柑橘パッショナート

二次元、三次元、映画、アイドル、サッカー他諸々の多趣味の結果、好きなことをアウトプットするためのビュッフェタイプになったブログです

眼と耳で”知る”日本文学「音楽朗読劇 日本文学の旅」

新型コロナウイルスの拡大が懸念される中、ジャニーズ事務所、ひいてはエンターテインメント業界の復帰1作めに近しい形で舞台「日本文学の旅」の幕が上がりました。
出演は橋本良亮(A.B.C-Z)氏と新納慎也氏。よみうり大手町ホールで十分感染対策をした上での舞台となりましたが、ここ最近東京都内での感染者数は伸びている一方のなかで…という状態でのスタートです。

で、私は橋本くんのファンでもあることと、「日本文学!」そして「朗読劇?!!」と諸々自分の「好き」と重なっていたこともあり観劇を決めました。

橋本くん個人の舞台は「良い子はみんなご褒美がもらえる」ぶりでしょうか。ABC座はまたちょっとベクトルが違うのでカウントは違う形で。お芝居を見るのは先日の「特捜9」「鉄の骨」など、映像が多かったような印象があります。

 

▽良い子はみんなご褒美がもらえるの感想

 (多い…)

 

 ▽特捜9の橋本くん回の感想

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チケットを取るに当たり、発送されたチケットには十分な注意書きがされており、観劇するにあたっても非常に注意がされておりました。
そんな中でのお芝居ということで、コロナ対策をされていた内容をこみこみで感想を綴っていきたいと思います。

 

※なお、盛大に本作についてのネタバレをしておりますのでご注意下さい。

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「日本文学の旅」について

本作は演出はディファイルドを手掛けた鈴木勝秀さん。

そして共演者は前述したとおり橋本良亮さん、新納慎也さんが朗読を主として行う他、音楽は大嶋吾郎氏、コーラスに鈴木佐江子さんの4人で行われています。

場所は「よみうり大手町ホール」です。

yomi.otemachi-hall.com

今年舞台でありました、河合郁人さんの出演された「天国の本屋」ぶりなのですが傾斜もあって見やすい劇場なので大好きな場所になりました。

上は非常に舞台全体を見渡せて、下はほどよくかつ見切れにくい。非常にいい劇場ですね。

 

天国の本屋感想

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「日本文学の旅」概要

今作では、あらゆる日本文学作品が揃っている"架空の図書館"を舞台に、司書と読書家の2人の旅人が時空を超えた文学の旅をする。


"架空の図書館"には、『古事記』『日本書紀』~『源氏物語』~漱石、鴎外、芥川など近代文学まで、日本人の心の原点とも呼べる数々の珠玉の文学作品が揃っている。

2人の文学の旅人は、数多ある作品群から、選りすぐった名シーン、名セリフを朗読し、オリジナル音楽とともに各作品を立体化する。 それによって見えてくる、日本語の変遷、社会の変化、文化の移り変わり。

同時に浮かび上がる、時代や社会が変化しても存在する日本人の心のありかた。

それは、世界各国の人々と共有できる普遍的な人間の心のありかたでもある。


『日本文学の旅』は、限りなく音楽に近い演劇作品である。

 (日本文学の旅公式ホームページより)

「音楽朗読劇」というと、自分の中で印象的な音楽朗読劇として「ヒプナゴギア」というお芝居があります。

ヒプナゴギアは初演を見に行ったのですが山寺宏一さんと柳家花緑さんという異色なコンビで非常に見応えがあり、「目」「耳」そして「嗅覚」を研ぎ澄まされた舞台でした。非常に聞いてて楽しいお芝居で、以降朗読劇って楽しいな、面白いな、となっていったものです。

オリジナルの作品だっただけに「こんなかんじなのかな」というイメージが構築されていたため、今作はどのようになるのか非常に期待していた次第です。

音楽朗読劇「HYPNAGOGIA~ヒプナゴギア~」(通常盤)

音楽朗読劇「HYPNAGOGIA~ヒプナゴギア~」(通常盤)

  • アーティスト:ヴァリアス
  • 発売日: 2018/11/28
  • メディア: CD
 

(後々、キャストが変わったりで音源化してたりします。香りと視覚と聴覚で楽しむ舞台なので、現場で見るのが一番良いと思いますが…)

自分が声優さんのファンで朗読劇もいろんな形で見ているからこそ興味がありまして…

橋本くんにおかれましては2018年に「蜜蜂と遠雷」という恩田陸さんの小説をベースに作られたリーディングオーケストラに出演されています。こちらも後年、三浦大知くんがご出演されたりといろんな形で人に愛されている印象です。

 

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 (当時のブログです)(感想が長い)

当時は「まー朗読劇だし」とブログで綴ったり*1していましたが、実際にやってみることで朗読劇の普段のお芝居との違い*2みたいなものはきっとあっただろうと感じています。

だからこその、その上での「2度めのチャレンジ」がどうだったのかという期待も寄せていました。

 

また、今回の日本文学の旅は日本文化を国内外に発信する「日本博」の関連事業ということでした。

japanculturalexpo.bunka.go.jp

東京五輪パラリンピックが開催されるのに対して産官学他いろんな形で「日本」というものの文化を訴求していくためのもの。

そのうちの8つのジャンルにおけるこの作品は「Latest Programs(生活文化・文芸・音楽)」に該当するのかな、という印象です。

 

 

劇場での新型コロナウイルス対策

まず、検温がありました。こちらに関しては画面を用いた体温チェックの他、画面認証をされなかったらおでこにかざすだけで検温できる体温計でチェック。

事前に37.5℃を超えたら観劇をご遠慮くださいとの旨は通達されていたので(こちらに関しては超えていた場合返金あり)あまり驚かずにスムーズに行えました。

また、ロビー・会場内での会話もできるだけ避けてほしいとのことでした。

検温→手指の消毒→足裏の除菌(マットで足踏み)と三段階を踏み、ようやく入り口に。

もぎりの方がチケットを切る形ではなく「自分で」チケットを切り、そのチケットが「本日のもの」であり席が一致しているのかなどをチェックしてもらって、今回の無料配布であるパンフレットを受け取ります。

パンフレットはビニール袋に入っている形で渡されているので、実際にスタッフの方々との手に触れて、などの「濃厚接触」と呼ばれるものはありませんでした。

スタッフの方違はマスク+透明のカバーをされていて厳重かつ物々しい雰囲気の中であったと記憶しています。

 

パンフレットは両面8ページカラーで組まれたもの。シンプルな作りで表紙・裏表紙の他はお芝居の概要になります。日本語と英語が両方あるのは非常に興味深かったです。大まかな内容はホームページに掲載されている内容と一緒でした。なんの作品取り上げたかリスト欲しかった(笑)

 

舞台について

影ナレーションは大嶋吾郎氏、鈴木佐江子さんのお二方で2回行われました。

まず最初に観劇の上の諸注意についてが語られ、続けて新型コロナウイルス対策における注意事項がありました。

座席は前後左右が人とかぶらないように対策をとられていて500席である会場が250というのはやっぱりどこか寂しさもありつつ…。空席にしなければならない箇所については「ここは空席です」という注意書きがかかれていての観劇となりました。

 

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一席ずつあけなければならないというね

また、マスクは必着。

ただ、手拍子や笑い声などはしても良い(飛散に気をつけてくださいということでした)ということで最低限のことを守れば…という形だったように印象を受けます。

影ナレーションでどうしても重々しい空気になってしまう中でのフォローというか「皆さんに楽しんでもらえたら」ということを発信されていました。あれは毎日その場その場、裏手でされるのだろうか。そうだとしたら少しでもポジティブになっていったらと願うばかりです。

 

ステージは上手・下手に2つの机がありました。

センター奥にバンド(ヴォーカルとコーラス)の位置があり、机には両方ほぼ同じ形で「本」「ランプ」そして移動しても座れる形で回る椅子などが置かれていました。

形としては下手が四角形のランプ、上手がいわゆる普通のランプでした。

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卓上ランプ

イメージとしては「図書館」であると同時に「書斎」ぽさといえばいいのでしょうか。雰囲気が出ていました。

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書斎


どうしても「あつまれどうぶつの森」ユーザーとしては「このセット、あつ森で再現できそうだな」って思いました(笑)

アイテムとしては

  • こげちゃのホールのかべ(雰囲気出すならライブラリーのかべでも良さそう)
  • ふしありフローリング
  • しょさいのつくえ(下手は明るい茶色がいいかも)(上手はグレイ)
  • テーブルランプ(上手)
  • フロアランプ(下手)
  • つまれたほん(両方の机に)
  • 後ろに可能であればギター等を置く
  • 【本人たちの衣装】
     橋本くん「ツイードジャケット」(薄ブラウン)と「ツイードパンツ」(同じく)
     新納さん「ベストつきワイシャツ(白×黒)」または「チョッキつきワイシャツ」(グレー)、「スラックス」(グレー)

こんなかんじでしょうか。余裕があったら今度やってみたい。

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こちらが新納さん。お洋服は上だけ持っていたのであわせてみました。

 

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橋本くん。お洋服は上を寄せているのと後ろの本棚はイメージです。

机は足元が見えるようなタイプのものだったので新納さん、橋本くん両者の足の使い方がよく見えました。

また、開演前までBGMとしてヒーリング系?の曲が流れていました。全体的に落ち着いた雰囲気でほっとしたかんじがしました。

 

作品感想

作品を通して新しい「作品に出会う」ための物語だったように感じます。

物語としてはコード番号2161182(に・い・ろ・い・い・や・つ)が司書に新しい本を探してもらって知っていく、というような形です。

例えて言うならEテレグレーテルのかまど*3等に近いものを感じました。知っている人と知らない人同士のかけあいというか…。ちょうど先月ぐらいにグレーテルのかまどで「源氏物語」が取り上げられていたのもあって「おっ」となったりしました。

そこから作品を一つ一つ、時系列順にさかのぼっていき「日本文学」を知っていく、盛大なる日本文学のための日本文学PR舞台だったな、と(笑)

朗読劇のため橋本くん、新納さんそれぞれが本を持って動いてはいますが、このストーリーにおける「朗読」というのは「本を読む」というシーンに対して「朗読」をするという形で、二人のやり取りをするときはあまり本を見ないでのお芝居をされているのが印象的でした。めり・はりなのでしょう。

ビジュアル等については概ねキービジュアルにあったものと同じで至ってシンプルなものでした。

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まさにこんなかんじ

感想であげていらっしゃる方で「橋本くん髪の毛刈り上げている」というご指摘があって「そうだったんだ」と気づいた次第。まったく初回私は気づけなかったですが、キービジュアルよりもシュッとされた印象です。新納さんは良い意味で変化なく、そしてすらっとされた御御足が印象的です。

 

で、物語についてですが、「2161182」が司書に色々聞きながらお話を知っていきます。この段階で22161182はどちらかというと海外文学、特にSFがお好きな様子。「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?*4」とか好きそうな印象です。

司書は彼の読書傾向に日本文学がないが?というなかで「あまり触れていなかったからこそ知りたい」という返答で「一つ一つ」「最初から」時系列を追って文学が変わっていくところを見ていく形になります。

ゆえに、「司書」は知っている側/「2161182」は知らない側として明確に分断されています…が、2161182はある程度知性があるというか「一般常識」として本の名前や学生の時分で習ったようなことは暗記している傾向にあります。

 

古事記」という日本神話と歴史の真ん中

物語のはじめに取り上げられていたのは「古事記」でした。やっぱり鉄板ですね。

「何言ってるかさっぱり分からない」という日本文学に触れる中であるあるのことを言葉にしてくれていたのはすっごく「わかる」でした。古文にしろ漢文にしろ面白いけれどもやっぱり「入り口のハードルが高すぎ無理ゲー」ということで匙を投げる人が多いっていうのはよく聞くお話です。だからこそ古文と漢文の試験問題の配点も現代文より低いっていうのもあるような気がしますが…(すぐ使う、必要かどうかっていうのもこのへんはあるかもしれませんが)

 

古事記日本書紀の2作は区別がつかないことで結構定評があるんですが、「国内向け=古事記」「国外向け=日本書紀」というような意見も見かけます。わかりやすいのが「黄泉平坂」というオルフェウスとエウリュディケの物語に近しい話をしているのが「古事記」、その登場がないのが「日本書紀」と考えるといいかもしれませんね。

 

私個人の話になると「遙かなる時空の中で4」*5「夢幻伝説タカマガハラ」*6「ペルソナ4」*7といった古事記をベースに作られたであろう作品に触れた機会があるので、そこから紐づけて専門知識はないまでもほんのちょっと、概要を知っていた、というかんじでしょうか。

 

▽遙か4のプレゼン記事(長い)

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 当然お話が言葉において「わかりにくい」ということもあり、この舞台で取り上げられていたのは鈴木三重吉による「古事記」でした。

古事記物語 愛蔵版

古事記物語 愛蔵版

 

こちらについては「青空文庫」でインターネット上でも読むことができます。もちろんKindleでも取り扱いがあるので、好きな形に読めるのが良いところ。

 

青空文庫のページ

www.aozora.gr.jp

 

古事記について橋本くんのインタビューを呼んだ時イントネーションがどこにつくのかという難しさをあげていて「なるほどなあ」となるばかり。そういえば「れいわ」の3文字ですらイントネーションがどれなのかというお話が上がっていたのを先日安住アナウンサーについて教えていただいたときにお話が上がったのを思い出しました*8

ここから朗読パートが行われ、司書、そして読書家の二人の語りに変わっていきます。

 

世界ができたそもそものはじめ。まず天と地とができあがりますと、それといっしょにわれわれ日本人のいちばんご先祖の、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)とおっしゃる神さまが、天の上の高天原(たかまのはら)というところへお生まれになりました。そのつぎには高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神産霊神(かみむすびのかみ)のお二方(ふたかた)がお生まれになりました。

この単語の「●●霊神」って、聞き慣れているか/慣れていないのかで多分印象は大きく変わるのではないかなと思います。

何も知らない0から聞いたら「まるで呪文のよう」だし、一方で「これは神話である」ということを理解した上で聴くと「~のかみ」で神様かなぁとイメージすることが出来る。

”言葉の意味”が理解できるかそうじゃないかっていうので、印象は百八十度変わるからこそ「文字」を追う一方で観客は「頭で文字変換」をしつつ「イメージを時分でふくらませる」さらに目の前の彼らの芝居を見るという3つのことをしなくてはならないのです。

ちょっとジャンルこそは違いますが「古事記」においての国が出来る流れっていうのは嘗てドラえもんの映画であったのを思い出させました。そうです。創世日記です。 

映画ドラえもん のび太の創世日記
 

こうやって見ると「ドラえもんちゃんと作品のことを踏まえて作っていたんだな」ということに驚きました。 確かに国を作る時ぴゃっとやってぴーっとやってた気がする。

 

また、イザナギイザナミ伊弉諾神伊弉冉神)について朗読をしている彼らの後ろで音楽とコーラスのお二人が実際に「イメージ」を表現していくことで「こんな感じなのだろうか」を触れていくことができたのがより如実化されていていいなぁとなりました。

優しい声音で朗読はしていますが、「どういうことをしていたのか」を目でイメージを見ることでまた想像力が膨らみますね。

 

万葉集」「百人一首

また、ストーリーの中で印象的だったのは万葉集でしょうか。

その言葉をどのように当時は言っていたのか(イメージ)をしてもらった上で、実際に訳したものを司書が語ってくれます。

その第一巻の第一句である雄略天皇によるものを具体的に取り上げてくれました。

籠もよ 美籠もち ふ串もよ 美ふ串もち この岳に 菜摘まず子 家告らせ名告らさね そらみつ 倭の国は おしなべて 吾こそをれ 敷きなべて 吾こそいませ 吾こそ背とは 告らめ家をも名をも

 「は、遙かなる時空の中で3~!!!!!!!!!!!!!」って思わずガタッとしてしまったのは言うまでもなく……遙かなる時空の中で3にてヒノエというキャラクターがしれっとこの一句を読まれていてしかもそれが登場シーンだったものですからすごく記憶に残っていたものですからめちゃくちゃびっくりしました。

 

遙かなる時空の中で3amanatsu0312.hateblo.jp

 

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こちらが遙が3に出てくる別当ことヒノエ。この雄略天皇の句を読み、さらに解説までしてくれます。

「知ってたかい?自分の名前を相手に告げるってさ…昔は相手に心を許すっていうのと同じ意味だったって」 

(遙か3にて、この雄略天皇の一句に続くヒノエの言葉)

このキャラがこの句を歌って口説いてるんですけど、まあこの人はこの人で「この句」を踏まえているのに理由があるんですよね。立ち位置的な意味で。別当そういうとこだぞ。

 

と、いうことで、このように作品に入っていたりするのはそれだけ雄略天皇の一句がいいもので、今でも続いているものだからこそなんですけれどね(笑)

この万葉集、「令和」という元号の元になったことは有名です。*9「梅花の歌」については触れていませんでしたが、知っていくと楽しい世界として…。あくまでもこの作品の「図書館」は架空の、それこそ時空すらも超越しているものということを示しています。

 

この長唄についての解説で印象的だったのは非常に穏やかな声で司書が訳したものを言葉にしてくれていること。

残念ながら訳したものを一言一句覚えているわけではないのでニュアンスなのですが……

「菜をつむお嬢さん、俺ほど権力あっていい男はいないと思うから君の家と名前を教えてよ」というようなものです。

「家と名前を教えることは当時における求婚の意」なので(名前を知られるということは相手を縛るものでもあり、”言霊”というものもありますよね。神かくしにあうときに相手に名前を教えてしまったが最後…みたいなことも取り上げられます。

わかり易い例が「千と千尋の神隠し」。

千と千尋の神隠し [DVD]

湯婆婆が「千尋なんて贅沢な名前だねぇ!」からの名前を奪って千にした時点で彼女の”千尋”としての存在が消えつつあるという描写は実に日本的ですよね)「……ナンパしてるの…?」っていう読書家の反応も「そうだよね!!!!!」ってなります。それに対しての「はい」としれっという司書の「そうだけど?」っていう表情がとぼけていたのが印象的。

万葉集百人一首等にも言えますが、恋の句は多くてそれぞれにそれぞれが「生きて」いた証なんじゃないかなぁと感じるばかり。

すごく短い世界で、思いを込めて作っていく。だからこその世界なんじゃないかなぁと。このへんは私としては「ちはやふる」という漫画のかなちゃんの考えから知っていくとどんどん面白かった……という千早の反応と同じような気持ちなので、「いつの時代も、伝えるということは勇気がいる」ということを改めて感じられました。そのうえで雄略天皇の「籠もよ 美籠もち」は彼が権力者であったからこその部分もあるよなあ……と思います。

このへんのラブロマンスでいうと額田王大海人皇子のものとかも言えますよね。

「お前ら乳繰り合ってんじゃね―ぞ!!!」ってなるというか、バカップル上等っていうか、その人兄の嫁(もともと自分の相手だけど)だぞとか色々思うところがあります。ほんとに。こんなん読んでるの聞くとか持統天皇ブチギレ案件じゃん…とか「天上の虹」*10という漫画を一気読みした身としてはつくづく……とか、人間関係を知っていくと面白いものがあります。もちろんそれが「エンタメ」と化していたんじゃないかという指摘も面白いですよね。

百人一首についてはほとんど司書と読書家による会話のテンポを見守る形でストーリーというようなものよりも「聞き覚えがある」というものを読み手と合わせていくような感じです。

平兼盛による「しのぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで」という一句が特にこの舞台では出てきますが、その意味を知っていると司書が淡々と紡ぐその一句に口元が緩むんですよね。もちろんこれは私が「橋本良亮」という人のファンがゆえなのですが…。

この一句って要するに「ずっと言わないでおこう、押し殺しておこうと思ってたのに顔に出てしまう。まわりから”誰か好きな人でもいるの?”って聞かれてしまうほどに」というような口元ニヤけるのどうしても押さえられない!みたいなかんじのものなので(非常にフラットに言い換えてます)その一句を何度も、何度も繰り返してくれるの良いなぁと思いました。

ゲームのようにあげているものでも、その一句には思いが詰まって作られたもので、それを詠んでくれるっていうのは嬉しいですよね。

 

「しのぶれど」という一句は私の場合は「ちはやふる」を通じてより好きになった一句だったからこそとても嬉しかったです。

ちはやふる(44) (BE・LOVEコミックス)

ちはやふる(44) (BE・LOVEコミックス)

 

(これはちはやふるに出てくる「しのぶれど」からお名前をとったであろう若宮詩暢)

 

ちはやぶる、もあったのもとても嬉しいです(笑)個人的には伊勢大輔の「いにしへの奈良の都の八重桜~」が意味*11も語感も好きなのですが、リズミカルに感じることで自分の「好き」に出会える機会になったらいいですよね。

 (訳も合ってとても楽しく読ませてもらいました)

出ていたのは

  • これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関(蝉丸)
  •  ちはやぶる 神代も聞かず竜田川 韓紅に水くくると(在原業平朝臣
  • 花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふるながめせしまに(小野小町
  • 瀬をはやみ 岩に塞かるる滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ (崇徳院
  • しのぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで(平兼盛
  • 夜をこめて 鳥のそらねははかるとも よに逢坂の関は許さじ(清少納言

など。

どれもこれも「うた恋い」でも見たなぁとマンガで学んでいる私としては彼らのバックボーンもしっていると合わせて楽しめると思うので全面的におすすめしたいです。みんなそれぞれ恋の歌だったり生きている中で思う「ラブレター」「思いを綴ったもの」だと思うからこそ、「いつの時代も、ルールを持って、その思いを告げている」っていうのが素敵だと思います。

 

 ▽百人一首の「それぞれの物語」を描いている「うた恋い。」

超訳百人一首 うた恋い。

超訳百人一首 うた恋い。

  • 作者:杉田 圭
  • 発売日: 2010/08/03
  • メディア: 単行本
 

 (杉田圭さんは遙か4のマンガを二次創作されていたことがあってこの二次創作が大好きな身としてめちゃくちゃ大好きなんですよね…。ニコニコ動画で話題になった「キスをしながら唾を吐いて」の手書き動画などをされていた方です)(ちなみにキス唾は遙か3のファンアートでした)

 

それが回り回って現代で「ちは」とか「しの」とか決まり字を踏まえて競技かるたで覚えられているっていうのもまた相まって面白い。一字決まりの「むすめふさほせ」はおかげさまでだいぶ覚えることができました。

 

清少納言紫式部

日本屈指のエッセイストと小説家と言われる二人。どっち派?というのは未だにありますが、どっちも違ってどっちもいいという結論で自分の中では留めておきます。最近FGO清少納言が出たことで(しかもギャル系だった)めちゃくちゃ話題になっていましたね。

どうやっても文学を語る上で避けられないものではありますが、一方で二人の「関係」にばかり注視されることが多いんですが、本作ではそこには一切触れていませんでした。なので「はじめて」触れるのにとても適しているというか…どっちがいいかなっていうのがちょっとでもついてしまうとイメージが下がるのなりがちですから(経験ある)

枕草子」については司書・読書家それぞれに朗読をしてくれます。

 春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる 雲のほそくたなびきたる。

 夏は夜。月のころはさらなり。やみもなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、 ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。

 秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行く とて、三つ四つ、二つ三つなど、飛びいそぐさへあはれなり。まいて雁などの つらねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。日入りはてて、風の音、虫の 音など、はたいふべきにあらず。

 冬はつとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず、霜のいと白きも、また さらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭もて渡るもいとつきづきし。 昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりてわろし。

枕草子より)

 

枕草子の第一段、一番有名なパートですね。ライトを使って季節感を用い、司書と読書家の言葉の中から季節感を感じられました。コーラス/音楽でカラスの声を聞いたり冬の音を楽しんだり、「耳」と「眼」それぞれの感覚で様子を見えます。

枕草子では「どういう意味で」「どういうことをして」ということは説明を触れておらず、そのぶん「感覚で楽しんでほしい」というように言っているようにも見えました。どんな状況でどんなものでどういうことか。それよりもまず「イメージ」してほしい。その言葉から作られるもの、その言葉たちから見えること。そこから初めて見るのも”あり”だよと言っているように見えました。

何より「春はあけぼの」「夏は夜」「秋は夕暮れ」「冬はつとめて」という簡単なキーワードから拾い上げて「季節のことを言っている」ことは如実であるからこその、”イメージしろ”が伝わってきました。ヴァンガードじゃん*12

 

枕草子 (岩波文庫)

枕草子 (岩波文庫)

  • 作者:清少納言
  • 発売日: 1962/10/16
  • メディア: 文庫
 

枕草子で出てくる文体はまるく、それでいてまろやかな感じがします。

今の日本人が使うとまた印象が変わりそうですが、だからこその言葉にして、「こうかな」って知っていくのにとても良いなぁと感じます。

 

で、その双極と言われる「源氏物語」。ジャニーズ事務所には光源氏をもとに光GENJIがいましたね。源氏物語については読むの無理~~って匙を投げる人は多く自分もまた「こんなん無理だろ!!!!!!!!!」と嘆いた思い出があるのですが、そこをきっちりと舞台で踏まえてくれて(やっぱりみんな難しいって思うよね)、森鴎外が認めた与謝野晶子訳をベースに「ストーリー」について、朗読をしてくれます。

光源氏を橋本良亮くんが、そして物語そのものを二人で。

朗読されたのは源氏物語の5つめ「若紫」の冒頭、光源氏が出会うところですね。

 

青空文庫

www.aozora.gr.jp

 

Kindle

源氏物語 05 若紫

源氏物語 05 若紫

 

このときの司書の声音が雄略天皇のものと同様に非常に穏やかかつ優男のそれだったので「光源氏そういうところだぞ」と改めてなりました。

光源氏計画」 なんていう風にも日本では言われますが、これを思うと谷崎潤一郎の「痴人の愛」や映画・ミュージカルの「マイ・フェア・レディ」も含めて「大人だからこそ」変えていくものというのは非常に通ずるものが(まぁマイ・フェア・レディはあくまで「淑女に育ててやる」という気持ちが強いイメージが映画を見ててありましたが)あるなぁと。

「作品は知っている」「展開もなんとなく知っている」「だけどそれってどういう言葉なのか」「どういうものなのか」の具体性を体現することで「触れる」機会になっていきます。

原文ではなく、与謝野晶子という人間によっての表現で、もちろんその人のその人のニュアンスは異なってくるであろう中で伝わってくるもののイメージというのは「古典」としてだけではなくストーリーとしての楽しさだと思います。

 

そういえば当時はコピーというものがなかったから、相当回し読みされたといいますし、同時にその文字を一言一句写ししていく人がいたとも聞きます。「新刊まだ?」と毎度言われるの相当紫式部大変だったろうな……とつくづく感じます。光源氏のモデルとして藤原道長源融源高明等色々あげられていますが……「俺モデルかも」「いや俺かも」も含めて色めき立っていたのかもしれないと思うと面白いですよね。

 

軍記物語として語り継がれる”平家物語

平家物語を取り上げてくれることは想像していましたが、物語で選んだものが自分自身すごく好きな「敦盛の最期」だったのでとても驚きました。

かの有名な冒頭部分も、授業でやった人も多いこともあってかあまり詳しくないながらも「学生」の頃合いの暗記を思い出させるような読書家の朗読に「そうだったそうだった」と頷かざるを得なかったです。

祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。

たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。

しかしよもや敦盛でくるとは思わず…。

受験の時にこの内容やったぞっていう方、授業のときにこれ触れたなっていう方が多いでしょうものからピックアップしたのかなあとも。

壇ノ浦の戦いとか鵯越とか色々平家物語も見どころがありますが(個人的には木曽義仲の戦いも好き)あえて「敦盛」を選んだところはきっと「馴染み深い」部分もあるからだろうなと思います。敦盛に関しては能にもなっていますし、作品として愛されるものでもあります。

 

<原文参考>

www.koten.net

琵琶法師によって平家物語を伝えていく、伝わっていくことでどんどん広まっていったんですよね。鎌倉時代になってからも伝わっていくなかで義経があれだけ活躍したのに…からの判官贔屓って言葉もあるわけですし。

敦盛の最期に関しては前述したとおり自分の好きな箇所で、なんなら「遙かなる時空の中で3」でも出てくる(何なら攻略キャラである)し明らかに「敦盛の最期」を意識したであろうセリフ・展開もあって大好きだったものですから「敦盛きた!」と思わず嬉しくなりました。

敦盛(スチル)

敦盛(ミニ)

遙かなる時空の中で3/平敦盛

 

こちらが遙か3の敦盛。ゲームやって原文であるこれを読み「すごい下調べして使ったんだなあ」とつくづく感心しました。

 

琵琶はないけれどギターの中、戦場を駆け巡る二人の攻防、そして熊谷直実が出家に至るまでの流れがとても迫力いっぱいに描かれていました。やっぱり梶原そういうところだ。(梶原景時も遙か3にでてきます)

こちらも「どういう流れ」「どういう意味?」というものは説明がありませんでしたが、「ああこの話、彼らがやっていたな」と思い出したときにふと手にとってもらえるようにしているのかな、とも思いました。

敦盛をしているときの司書の声音は力みがはいっていて、これまでの「たおやか」「柔らかい」という印象ではないのが特徴だったと思います。そのうえでの読書家(新納さん)の言葉の一言一言の重さが印象的でした。

 

平家物語といえば木曽義仲の「木曽の最期」と鉄板に壇ノ浦が好きなんですけれど(前述したように私自身が遙か3が好きなのもある。遙か3では冒頭で使われるのとドラマCDで巴御前について触れていたりする。とても良いからおすすめしたい)敦盛での「味方が迫っているなかで逃したかったけれど息子とほぼ同い年ぐらいの男の子を切る」っていうどうしようもなさ、やるせなさっていうのが描かれているお話としてしっとりと、けれど臨場感があっって聴くことができました。

「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」 という織田信長の大好きでおなじみ「敦盛」もここからの派生になるわけですし(そして何ならこの「下天のうち」の敦盛と信長から派生してコエテクは「下天の華」というゲームを出しました)そういう意味でも文学だけではなく芸術面でも縁があるように感じられます。まぁ後々に「戦国鍋TV」で敦盛2011とネタになったりもしているんですが…(笑)

 

敦盛2011

敦盛2011

  • 信長と蘭丸
  • J-Pop
  • ¥204
  • provided courtesy of iTunes

 

 

そういえば平家物語があったからこそできたのが「耳なし芳一*13ですよね。夏になるとおなじみだと思います。小泉八雲の話題が今回出なかったのですが、ふとこことここは通じるよなぁ、とか思ったり。この作品があるから、こちらにも通じていくものがある。そういう作品は古今東西たくさんあって、だからこその美しさがあるんだろうな、とも。

 また、後々に出てくる松尾芭蕉の「おくのほそ道」における、

夏草や兵どもが夢の跡

という一句がありますが、これは頼朝から追われた義経奥州藤原氏に世話になったものの4代目である泰衡に襲われて亡くなり、その義経の居城に芭蕉が赴いたときに作られたと言われています。

義経という言い方だとあれですが九郎っていったり泰衡っていうともれなくやっぱり遙か3を思い出さざるを得なくて「ううっ…」となるのがオタクの辛いところです(笑)

平家物語を読んだ段階で絶対触れるであろうと確信し、芭蕉の一句を皆で言うとき誰が言うかな、誰が言うかなとワクワクしていました(笑)

そういえば松尾芭蕉といえば、木曽義仲に敬慕してたとい話を知りました。芭蕉のお墓が木曽義仲のとなりにほしいというお話をしていて本当になっているとか完全に強火のオタクのそれ。木曽義仲のお話は私も好きな話なので(巴御前が好きです)一つのお話でいくつもいくつも続いていくのだなぁと感じるばかりです。

今と通ずるところもある”風姿花伝

本作で取り上げられていた「演劇論」という点での見方。俳優とはどうあるべきか、という論になりますが、あらためてここのやり取りで感じたのは今も昔も芸事というものの時代の流転はあれども若い台頭に四苦八苦やきもきする人はいたのだろうなという点。

風姿花伝 (岩波文庫)

風姿花伝 (岩波文庫)

  • 作者:世阿弥
  • 発売日: 1958/10/25
  • メディア: 文庫
 

舞台の上に立つ司書、そして読書家は両者とも「俳優」である一面も(メタ発言になりますが)あるため、その中で言葉を紡いでいるのに読書がオロオロしだしているのは何かと「読書家」が外の世界では「新納慎也」なのではないかと思わせてくれるというか…限りなくメタいなぁとも思いました。

一方で時代の流れで35歳から台頭されて一気に印象を覆す俳優さんもいらっしゃいますし、或る種高年齢化におけるピークの変動みたいなものも感じられました(笑)

私自身は世阿弥風姿花伝はまったく通っていなかったため非常に「そういう話なのか」と驚きがあったとともにきちんと読んでみたい一冊としてインプットされました。

 

昨今はいろんなものが出ていてくれるので「出会い」としてたくさんの可能性があるのは非常にありがたいばかりです……。

また、そのうえでの世阿弥の最後、「秘する花」についての部分を取り上げていましたが、ここがとても印象的です。

”他人に隠しているもの・ことは実際は大したものではない”と言っているわけですが、それをこのシーンの最後に持ってきたことの意味を考えてしまいます。非常に淡々と司書が「秘する花」部分を朗読していらっしゃいました。

 

秘する花を知ること。

秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、となり。この分け目を知ること、肝要の花なり。

そもそも、一切の事、諸道芸において、その家々に秘事と申すは、秘するによりて大用(たいよう)あるがゆゑなり。

しかれば、秘事といふことをあらはせば、させることにてもなきものなり。これを、「させることにてもなし」と言ふ人は、いまだ秘事といふことの大用を知らぬがゆゑなり。
まづ、この花の口伝におきても、「ただめづらしきが花ぞ」と皆知るならば、「さてはめづらしきことあるべし」と思ひまうけたらむ見物衆の前にては、たとひめづらしきことをするとも、

見手の心にめづらしき感はあるべからず。
見る人のため花ぞとも知らでこそ、為手の花にはなるべけれ。

されば、見る人は、ただ思ひのほかにおもしろき上手とばかり見て、これは花ぞとも知らぬが、為手の花なり。さるほどに、人の心に

思ひも寄らぬ感を催す手だて、これ花なり。

風姿花伝 秘すれば花 一部抜粋)

能ある鷹は爪を隠すという言葉がありますが、全部を広げるのではなく「少しずつ」見せるがゆえの想像力が広がるっていうのはそのとおりで、実際見ている側も何を伝えたいのか、何をしようとしているのか、どういう感じなのかな、というイメージをふくらませるからこそお芝居って色んな人の意見が割れて、だからこそ想像が広がるのかなぁ…なんて感じさせられました。

 

演劇と文学の結びつきについて

 世阿弥からの物語の発展の一つとして、「演劇」と「文学」ということへの密接な関係についても本作では取り上げられていました。

時代の流れでガラパゴス化した国内に一気に流れてきた西洋文化。そのなかでの「文学」からまた文明開化がしていったようにも感じられます。事実明治の文豪たちの花開き方はすさまじいものがありますもんね。

種本にして作られた作品もたくさんありますし、シェイクスピア作品が伝わったことでよりまた広がっていったものもあることでしょう。「もしもシェイクスピアがいなかったら」ということを上げられている「天保十二年のシェイクスピア」という舞台を今年見ましたが、そのへんのことも色々考えされました。

 

 ▽天保十二年のシェイクスピア

amanatsu0312.hateblo.jp

 だからこそシェイクスピア作品もまた「密接な関係」として、文学そして舞台と切り離せないものとして取り上げてくれたのが嬉しかったです。

翻訳者によってあまりにも表現が違う「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」ではなく、ロミオとジュリエット、そして真夏の夜の夢の序文、そしてパックの口上っていうのがチョイスが好きです。パックの口上知ってる……それ確かガラスの仮面で見た…!!!となりつつ(ガラスの仮面から真夏の夜の夢読んだので…)

 

上げられていたのはどちらも坪内逍遥の訳でした。司書、読書家の言葉で紡がれるシェイクスピアという「古典」は、改めて聞いていくと「この人達でやったらどういうお芝居になったのだろう」という「もしも」を広げていける、想像の翼が広がるような言葉だったように思いました。

 

 

 

ロミオとヂュリエット、真夏の夜の夢、どちらも「劇場」で、または「音源」として聴くべきものであるなという印象が個人的な印象です。戯曲であるというのももちろんですが、坪内逍遥訳の冒頭は「ことば」で「口にしている」のを聴く(または自分でいう)からこその意味合いがあるのではないかなぁと。

 威權(ゐけん)相如(あひ)しく二名族(めいぞく)が、
處ところは花はなの※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ローナにて、
古(ふる)き怨恨(うらみ)を又(また)も新(あらた)に、
血で血を洗ふ市内鬪爭(うちわげんくわ)。
かゝる怨家(ゑんか)の胎内(たいない)より薄運(はくうん)の二情人(じゃうじん)、
惡縁(あくえん)慘(むご)く破(やぶ)れて身(み)を宿怨(しゅくゑん)と共に埋(うづ)む。
死の影の附纒(つきまと)ふ危(あや)ふき戀(こひ)の履歴、
子等が非業に果てぬるまでは、
如何にしても解けかねし親々(おや/\)の忿(いか)り、
是(これ)ぞ今(いま)より二時間の吾等が演劇、
御心(みこゝろ)長く御覽(ごらん)ぜられさふらはゞ、
足はぬ所は相勵(あひはげ)みて償のひ申さん。

坪内逍遥「ロミオとヂュリエット」より)

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ここのシーンはどうしても語り手のちからを込めて言わなくてはならない部分、いわゆる「物語のはじまりはじまり~!!」なのですが、文字で見るより力のはいった司書(橋本くん)の口上や、実際のお芝居を見たほうが絶対いいなぁと思います。

「文字で見てもなんとなくしか分からない」ではなくて、「ああこれからはじまるのか!」のワクワクが詰まっていて私は非常に楽しめました。

 

一方での新納さんによるパックの口上。正直口上については配役が逆なイメージがあったので、新納さんがパックをされている穏やかな声音に少しびっくりしました。もちろんどっちも違ってどちらもいいですが、パックのようなタイプのキャラクターをいつか橋本くんにも喋ってもらえたら、嬉しいなぁと思います。

 もし私(てまへ)ら影法師どもが、御覽に入れましたものが御意(ぎよい)に叶ひませんでしたなら、 どうか、あれは一寸此處で御一睡の間に御覽じた夢だと思(おぼ)し召して下さい、 さうすれば、御機嫌が治りまする。脆(もろ)い、たわいもない當狂言は、 ほんの夢同樣のものでございますから、どうぞ、お叱り下さいますな。 お赦免下さいますれば、おひ/\改良いたしまする。 私(てまへ)パックめは正直者でございますから、 もし幸ひに蛇の鳴き聲を頂戴しないで濟みますれば、 今に大改良を御覽に入れまする。でございませんでしたら、 パックは虚言者(うそつき)だとおつしやいまし。 では、皆樣、御機嫌ようお寢(やす)みなさいまし。 お贔屓下さいますなら、お手を戴きたうございます、 ロビンめがきッとお報ひを致します。

ウィリアム・シェイクスピア坪内逍遥訳「真夏の夜の夢

最初と終わりがある、お芝居として作られたからこそのシェイクスピア。その物語を日本語でかつ「浸透しやすく」することについて考えていく坪内逍遥の訳は非常に面白いなぁとしみじみするばかりでした。

ふと、坪内逍遥についてそこまでどころかほとんど詳しくないのですが、文アル*14に出ていたなあと調べてみたら見かけが好みで「ちゃんともっと知ろう…」としみじみ思いました(笑)こういうところからの機会を知れるのっていいなぁとつくづく感じます。それが「すべて」ではないし、侮辱と取る人もいるけれど、最終的に文学そのものに触れられる間口は多いっていうのも良いなと自分は考える次第です。

 また、このときのよっ!慎也等の舞台ならではの合いの手も含めて空気感がロミオとヂュリエットとの対比としての、いわゆる「スタンディングオベーション」となっている状態が故の言葉であるよなぁと楽しませてもらいました。

 

知っているようで知らない「俳句」の世界

流石に「おくのほそ道」 とか、正岡子規の有名所は知っていますが、そういえば知っているようで知らないものがたくさんあるなぁと改めて感じさせられました。

月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。

舟の上に生涯を浮かべ、

馬の口とらへて老いを迎ふる者は、

日々旅にして旅を栖とす。

(「おくのほそ道」冒頭)

私自身この冒頭がすごい好きなんですけれども、人生は旅というのは本当にまさに通りというか。光陰矢の如し、なんて言葉もありますしね。

”人生は冒険さ、地図はないけれど”というディズニーの曲もある通り*15、自分が生きる時間も、自分が過ぎていく時間もどちらも「旅人」という概念で考えるとすごい時間時間を大切にしたくなります。芭蕉の「時間」「風景」「その時みたもの」を描いている句が存在感が出ているのはそういう儚さ美しさもあるからかもしれません。

コンパス・オブ・ユア・ハート

コンパス・オブ・ユア・ハート

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また、この一節って李白に拠っているということを知りました。

李白の「春夜宴桃李園序(春夜桃李園の園に宴するの序)」の一節「夫天地者万物之逆旅、光陰は百代之過客(夫(それ)天地は万物の逆旅(げきりょ)なり、光陰は百代の過客なり)」に拠っている。この文章は「古文真宝後集」巻之三「序類」に掲載がある。

 レファレンス協同データベースより「松尾芭蕉のおくのほそ道冒頭箇所は白楽天漢詩の影響を受けたものと聞いたが、そのことを確認したい。」という事項に対しての見解)

「光陰矢の如し」と響きがニているせいでザワッとしたのは言うまでもなく(笑)李白漢詩はこれもまた学生の頃の授業や受験で学んだ記憶がありまして…「中国から学べ」という文化であった当時のことを考えると儒教が浸透していることなども含めて「そうだよな~~~」ってなるばかりです。 

 

また、調べてみたら廃人の長谷川櫂氏が本をあげていたので非常に興味深い次第。NHKで見たこと有る方だ!掘り下げたら「奥の細道文学賞」というものの選考委員でもあるそうで…世の中にはいろんな賞があるなと感心するばかりです。

 

「奥の細道」をよむ (ちくま新書)

「奥の細道」をよむ (ちくま新書)

  • 作者:長谷川 櫂
  • 発売日: 2007/06/01
  • メディア: 新書
 

 

NHK「100分de名著」ブックス 松尾芭蕉 おくのほそ道

NHK「100分de名著」ブックス 松尾芭蕉 おくのほそ道

  • 作者:長谷川 櫂
  • 発売日: 2014/10/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

出ていたのはざっくり記憶にあるのだと次の通り(実際はもっと多かった気がします)

  • 草の戸も住替る代ぞひなの家
  • 夏草や兵どもが夢の跡
  • 五月雨を集めて早し最上川
  • 閑さや岩にしみ入蝉の声
  • 古池や蛙飛びこむ水の音

松尾芭蕉の一句はどれも旅した松尾芭蕉だからこその一句で、聞いてて情景が思い浮かぶのが素敵ですよね。

また、一方で「秋深き隣は何をする人ぞ」を持ってきたのはすごく心に残りました。芭蕉が最後に残した一句とされているというのを見てすごく心に刺さりますね。出席する予定だった俳席に病欠するために、弟子に持たせた一句だといいます。

病に倒れた彼が静かにしている中で隣の生活音に「何してるんだろうなあ」という意味だといいますが・・・すこし寂しさと同時に出席する弟子に渡した=皆さん元気ですか、私は床に伏せていますというようにも見えて、少し寂しさがあるのは秋の句だからかもしれませんね…。

春、夏、秋…と着実に増えていく感じがなんとも言えず好きでした。

 

一方で正岡子規夏目漱石の返しがすごく有名だったり。

柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺

(獺祭書屋俳句帖上巻)

最近だとプレバト!などでいろんなかたち、いろんな一句が生まれたりしていますがそういうのを見ると、この文化も廃れることなく続いていったらいいな~って願うばかりです。そういう意味ではA.B.C-Zポンコツと言われ続けていますが挑戦し続けているのは良いな~って感じます。河合くん特待生おめでとうございます。

小林一茶の句もいくつか上がっててふふっとなりました。一茶の有名な俳句はいくつもありますが言葉に出したくなるので聞き心地が良いですよね。

雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る

やせ蛙 負けるな一茶 これにあり

やれ打つな 蝿が手をすり 足をする

個人的には「ともかくも あなたまかせの年の暮れ」とか、「大根引 大根で道を 教へけり」とかも好きです(笑)なんか絶妙にコミカルですよね。

 

インスパイア・パロディ・パクリ・オマージュ・模倣・引用の文化

この言葉の難しさを常々感じます。日本はもともと中国を模倣していろいろなことを学び、そして明治時代には西洋に対して模倣を重ねてきました。だからこそ種本というものから発展した作品があったり、和歌における「本歌取り」という言葉があったり……とそういったことについてこの舞台で肯定的に説明をしていたのが印象的です。

学んでいく中で使うことは悪いことではないでしょう。そのうえでオリジナリティを出していくのはどうしたらいいのだろうか、とかありますよね。

 

参考にさせていただいてます↓

ipmainly.com

 

一方で「これは明らかにアウト」という著作権における線引っていうのもとてもむずかしい昨今です。トレースにしろ、コピペにしろ、「どこまでがよくてどこまでが駄目なのか」ということはいささか自分には説明がし難く認識するのがあれなんですが…「スターウォーズ」は黒澤明作品に対してのオマージュ部分が有名ですし、こういったことは文学でもしかりなのだろうとも思います。

昨今、こういった問題に関してはインターネット、特にSNS上でも色々物議をかもしており、難しいところですよね。

例えば「おそ松さん」とか「銀魂」は名作のパロだからこその部分での笑いのシーンとかありますし。時代の絵柄に合わせて「恐ろしい子…!」みたいなのが言わせているシーンがあると「ああガラスの仮面」ってなったりとか。ただそれを「パクリ」と言われるとううん…ってなるし「オマージュ」とかの部類なのかなーとか、自分の中での境界線も非常に曖昧なので、模倣の文化といえばそれっきりなんですが、一方で「された側」になったときのことを考えたり…とか、答えのないぐるぐるを抱いていたりします(笑)

 

「そういう歴史であった」「模倣してきて、ガラパゴス化し、そうして再びまた今までのものからさらに模倣を重ね、現在に至る」という展開はたしかにな、と思うところと現代が果たして模倣をしていくことで柵がまったくないのか?といわれると疑問視してしまうところもありました。

 

「女流」と呼ばれることについて

昨今話題の性差でのあり方について。良いものは良いといいたい一方で女性が教育を受けることも、選挙にいけるようになったことも男性よりずっとずっと後の話です。平塚らいてうの活動などもふと思い出させますね。昨今はインターネット上でたくさん活動している人たちも居ますが、そこについて考えは置いておくとして。

樋口一葉たけくらべ」 与謝野晶子「みだれ髪」などが特に挙げられていますが、今現在の「差なく学べる」というのは良い時代になったと言われるのも納得します。学校で性別によって受験落とされる問題なども近年ありましたが*16それを踏まえてもなお、現代にもなかなか残る問題です。

与謝野鉄幹による「明星」で短歌を寄せ、華々しい文壇デビューをした彼女の話はいろいろ逸話があるなかで「みだれ髪」を紐解いていくと彼女の人柄が見えるような気がします。

やは肌の あつき血汐(ちしお)にふれも見で

さびしがらずや 道を説く君

与謝野晶子「みだれ髪」より)

これを詠ってくれたのはとても嬉しい限りでした。いいよね~~~とてもいいよね~!!って思うのと同時に「これ意味わかって言わせてるんだとしたらファンがヒエッ…てなるやつでは」ってなりました。

現代訳を見ると「理性じゃないんだよ!!!!今あなたがほしいんです!だというのに、あなたは今後のことを真面目に話している、あなたは私の体を抱きしめなくてもいいの?!」というものです(これは私が簡単に訳したのでニュアンス的に違うと思いますが…)。

推しが女目線に立った歌を歌うというのはなかなか見応えがあって楽しくて、また同時に与謝野晶子を詠う日が来ていることに喜びが隠せない次第です。

 

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と、文学的に見ることも出来るし一方で「女性の現状」や不条理を題材にしている部分も多く残っています。妾の話や姦通罪(不倫についてなど)も含めて、女性の扱いについて女性目線で描いていること考えさせられる物が多いです。たけくらべもまた、青臭いながらもその上で「身分の違い」「進路」についてを描いていて、だからこその切なさもすごく詰まっています。

たけくらべの”たけ”ってバンブーの”たけ”?それとも背丈の”たけ”?」

 「背丈の”たけ”です。男女の淡い恋心を描いた物語です」(ここはニュアンスなのでちょっと違ったかもしれません)

という、「素朴な疑問」を回収してくれている部分も今作にはあります。ちなみに個人的にたけくらべというとガラスの仮面で完全に北島マヤが泥団子を食べるシーンが印象的だったりします。

たけくらべ 二人の美登利

ガラスの仮面 たけくらべ 二人の美登利)

樋口一葉については文字で読むよりも声に出したほうが「イメージしやすい」「すんなりくる」という意味で”天才”と言われているという説明がありましたが――実際彼女の物語を紐解いていくと、「女性」として才覚を認められる一方での「女性のありかた」「現状の女性」の部分についての指摘を本作でされていたのがより印象的でした。

その上で、とても丁寧にたけくらべの冒頭を朗読する司書の言葉が印象的でした。

廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒(ぐろ)溝に燈火(ともしび)うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來(ゆきゝ)にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前(だいおんじま)へと名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三嶋神(みしまさま)の角をまがりてより是れぞと見ゆる大厦(いへ)もなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長や、商ひはかつふつ利かぬ處とて半さしたる雨戸の外に、あやしき形(なり)に紙を切りなして、胡粉ぬりくり彩色のある田樂(でんがく)みるやう、裏にはりたる串のさまもをかし、一軒ならず二軒ならず、朝日に干して夕日に仕舞ふ手當こと/″\しく、一

青空文庫 樋口一葉たけくらべ」より)

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言文一致運動というものが明治には起きていて、尾崎紅葉二葉亭四迷の活動により「~だ、~である」とか「です」「ます」等が広まっていったのも文學界に大きな影響を及ぼしたと思うのですが、こちらについてはあまり触れていなかったです。と、いうよりは樋口一葉の文体である「雅俗折衷*17」について取り上げていました。

こちらの二人それぞれに言えることは、それぞれがそれぞれの「女性の今」や「現状を憂いながらも描いた」部分が感じられる次第です。

そういえばたけくらべは前述したガラスの仮面もしかりなのですが、宝塚でやっていたりと何かといろんな形で表現されているものですから、触れる機会もたくさんありそうですね。

 

 (調べたら出てきてびっくりしました)

夏目漱石”が持つ個人主義

また、後半には夏目漱石の「私の個人主義」を取り上げて朗読されました。

夏目漱石の言語達者っぷりは有名ですし、東大で教鞭をとっていたところもお話の中であり「すごく人気があった」「教授の説明がエンタメであった」という言葉にそのとおりである一方、「このひとボイコット受けたりしたよな…」ということを思い出したりしてました(笑)

clarus.shin-yo-sha.co.jp

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こちらを読むと「人間漱石」などで散々な言われようなのがわかります。分析系の授業と己が感性を委ねるタイプの小泉八雲とでは温度差激しかったのかもですね。

 

鉄板の三四郎、こころ、それからの三部作でもなく、虞美人草でもないところのチョイス、嬉しかったです。学生の頃に受けた内容でもあったしまた同時に、これって「明治」だからではなく【現代】でも言えることなんじゃないかなとも感じたので、今一度聞きながら「そうだよなあ」ってなったり「確かに」ってなったり「私はそうは思わないな」となったりする良い機会であったように感じます。

漱石として語る二人の表情は少し格式張っていたかんじがして、漱石のお硬い性格を表現されているのかな、なんても思いました(笑)

 

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私の個人主義

私の個人主義

 

 

私の個人主義について読み進めていくと「何やってもいい」ではないということを注意した上で、「人と人を認め合う」ところにも行き着いているように自分には感じられます。自由とは責任が伴い、また同時に義務も生じる。一方で何かを強制するものでもないのかな、とか。

それで私は何も英国を手本にするという意味ではないのですけれども、要するに義務心を持っていない自由は本当の自由ではないと考えます。と云うものは、そうしたわがままな自由はけっして社会に存在し得ないからであります。よし存在してもすぐ他から排斥され踏潰されるにきまっているからです。私はあなたがたが自由にあらん事を切望するものであります。同時にあなたがたが義務というものを納得せられん事を願ってやまないのであります。こういう意味において、私は個人主義だと公言して憚はばからないつもりです。

 この個人主義という意味に誤解があってはいけません。ことにあなたがたのようなお若い人に対して誤解を吹き込んでは私がすみませんから、その辺はよくご注意を願っておきます。時間が逼っているからなるべく単簡に説明致しますが、個人の自由は先刻お話した個性の発展上極めて必要なものであって、その個性の発展がまたあなたがたの幸福に非常な関係を及すのだから、どうしても他に影響のない限り、僕は左を向く、君は右を向いても差支ないくらいの自由は、自分でも把持し、他人にも附与しなくてはなるまいかと考えられます。それがとりも直さず私のいう個人主義なのです。

(「私の個人主義」より一部抜粋)(ここは読んでいません/笑)

国家主義」であるとともに「個人主義」であるという漱石の考えについて聞いていると「なるほどなあ」と思う部分も多くあります。世界情勢的に様々なことが考えられている中だと思います。香港の一件は特に「言論の自由」全否定のものでしょうし。

だからこそ、こう思うということの肯定と、また一方である相手に対しての「お前の考えはそう」ということへの距離感みたいなのを感じます。

正直まぁでも「自分と考えや解釈が、その他性格等合わないな」と思ったら自衛することも大切だと私自身は思うんですけどね!(笑)

映画シン・ゴジラにおける「私は好きにした、君たちも好きにしろ。」というフレーズがあります。すごく身勝手だな!!!!!とも思うんですが(人類に対しての不信と僅かな期待という指摘もありますね)、好き勝手したら「壊れる」ものがあるからこそ、守るべき一線を引いた上での個人主義、すなわち「国家主義」と「個人主義」はバランスの上で成り立っているのかな……なんていうようにも改めて感じました。

 

が、ゆえの、その後における「表現の自由」「言論の自由」と「有害図書」等の言論統制についても考えさせられるのですが……。

 

漱石といえば旧1000円札でおなじみですが、人としてみるとチャーミングというか、キャラクターが濃いというか…。

comic-zenon.com

漫画で読む奥様とのお話は思わず堅物の彼ならではというか、でニコニコしてしまいました。良いと思うそういうのもっとちょうだい…。

夏目漱石エピソードで、先日亡くなった藤原啓治さんが夏目漱石を演じていた「文豪シリーズ」が個人的に聞いてて楽しかったのもあって(亡くなった後の死後の世界でガヤガヤしてるやつです)なんだかふと懐かしい思い出に浸っておりました(笑)

この舞台では「正岡子規」についても上げられていたので、そちらも青空文庫ないしは書籍で読もうとしているのですがなかなかアクの強い人間で、その上で漱石とどんな交流があったのか、というのがユニークに舞台で朗読されたおかげで興味を抱くことができました。ありがたい。

正岡子規

正岡子規

 

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正岡子規を語る新納さんの声は穏やかで優しく「私の個人主義」とのギャップが非常に激しく感じられました。

御承知の通り僕は上野の裏座敷を借りて居たので、二階と下、合せて四間あった。上野の人が頻りに止める。正岡さんは肺病だそうだから伝染するといけないおよしなさいと頻りにいう。僕も多少気味が悪かった。けれども断わらんでもいいと、かまわずに置く。僕は二階に居る、大将は下に居る。其うち松山中の俳句を遣やる門下生が集まって来る。僕が学校から帰って見ると、毎日のように多勢来て居る。僕は本を読む事もどうすることも出来ん。尤も当時はあまり本を読む方でも無かったが、兎に角自分の時間というものが無いのだから、止むを得ず俳句を作った。

(中略)

 非常に好き嫌いのあった人で、滅多に人と交際などはしなかった。僕だけどういうものか交際した。

(中略)

 彼は僕には大抵な事は話したようだ。(其例一二省く)兎に角く正岡は僕と同じ歳なんだが僕は正岡ほど熟さなかった。或部分は万事が弟扱いだった。従って僕の相手し得ない人の悪い事を平気で遣やっていた。すれっからしであった。(悪い意味でいうのでは無い。)
 又彼には政治家的のアムビションがあった。それで頻りに演説などをもやった。敢えて謹聴するに足る程の能弁でも無いのに、よくのさばり出て遣った。つまらないから僕等聞いてもいないが、先生得意になってやる。
 何でも大将にならなけりゃ承知しない男であった。二人で道を歩いていても、きっと自分の思う通りに僕をひっぱり廻したものだ。

夏目漱石正岡子規」より)

正岡子規の食い意地張ったお話等もされていて、今読んでいる最中ですが蒲焼きのシーンめちゃくちゃ笑いました。そういえば文豪とアルケミストというゲームで、実際に正岡子規夏目漱石のシーンがあったな、とか思い出すこともあるのですが…実際このように書いていると非常にコミカルというか「なぜか波長があう」というのがにじみ出ていて素敵だなと感じます。

夏目漱石漱石で精神衰弱になることもありますし(学校ボイコット事件とか、イギリスでの単独での生活とか)一方で正岡子規は患っているものがあり。それでも「お互い」を接しているのは非常に興味深く、漱石の朗読に対して漱石の説明を少し入れる司書の言葉もまた、耳に残る印象でした。

 

表現の自由有害図書のはざまに

小林多喜二の「蟹工船」が取り上げられていて、まず新納さんの言葉の強さにゾクッとしました。圧の強い、力強さと逆鱗に触れるかのような苛立ちを持った表現。それを今まで出していなかったから「ヒュッ…」と一気に心を持っていかれた印象です。

空気が一気に張り詰めたのでやっぱり俳優さんってすごいな~と感心していました。

 

「おい地獄さ行えぐんだで!」

 二人はデッキの手すりに寄りかかって、蝸牛(かたつむり)が背のびをしたように延びて、海を抱え込んでいる函館の街を見ていた。――漁夫は指元まで吸いつくした煙草を唾と一緒に捨てた。巻煙草はおどけたように、色々にひっくりかえって、高い船腹サイドをすれずれに落ちて行った。彼は身体一杯酒臭かった。

小林多喜二蟹工船」冒頭)

 

 

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蟹工船、あまりのしんどさに投げてしまった記憶があるのですが……だからこその強さに物々しささえ感じました。 

蟹工船 一九二八・三・一五 (岩波文庫)

蟹工船 一九二八・三・一五 (岩波文庫)

  • 作者:小林 多喜二
  • 発売日: 2003/06/14
  • メディア: ペーパーバック
 

小林多喜二のこの作品も検閲にかけられましたしプロレタリア文学として突きつける結果政府に喧嘩売り飛ばしたとして警察からマークされ、最終的に警察の手で死亡が確認されています。拷問の間での死去でした。

検閲というのは絶対的にあるもので、有害図書とくだされたものは黒い文字で潰されるのは有名な話です(ゆえに第二次世界大戦後の教科書とか、黒塗りなものが有名ですもんね)

ただ一方での、あいちトリエンナーレの表現の不自由展に対してどうか?といわれると自分が顔をしかめてしまう、見たくない部分があったのも事実です。

「一方を肯定するなら、じゃあこっちはどうなのだろう」と見たときに、ううん…ううん…としか言えなくなってしまうんですよね。

焚書有害図書といえば漫画に対するバッシングだって1955年頃に悪書追放運動があったということは知識として知っています。真っ先に焼かれたのが手塚治虫氏の漫画だったということを聞いて驚いたとともに「でもまぁ手塚先生も内容結構容赦ないのあるよね」とも思ったり(笑)だからといって焼くことに肯定は全くできませんが。

 

「僕はマンガ家」でも描写があるという指摘もあったりするようで…このへんについては時代をあまり詳しくないので申し訳ないのですが…。

手塚治虫―僕はマンガ家 (人間の記録 (100))

手塚治虫―僕はマンガ家 (人間の記録 (100))

  • 作者:手塚 治虫
  • 発売日: 1999/02/25
  • メディア: 単行本
 

 

子供にとって有害とか言われてしまうと「そういうものかなぁ…でもなぁ…」っていう気持ちはあります。デビルマンのマンガについて取り上げていた「金魚屋古書店」というマンガでの反応を見ていると「た、たしかに~~」ってなったし良くも悪くも自分でセンセーショナルなものって受け取った上だからこその”取捨て選択”が出来るようになったというようにも感じるので…。

 

金魚屋古書店(1) (IKKI COMIX)

金魚屋古書店(1) (IKKI COMIX)

 

 

 

 (続いているので試し読みしてほしい)

でもじゃあ前述したものに対して「うーん」となる自分は、ナチズムや中国の行った「言論統制」に近しいものなのだろうか、と考えてしまうわけです。近年でも「どこからどこまでをゾーニングするか」ということは様々な活動で見受けられます。

……しかし一方で90年代、 ほんの30年前ぐらいですかにも「有害コミック騒動*18」というものが起きているとおもうと、なかなか考えさせられるものがあります。ドラゴンボールが対象にあったということを聞いて本当に驚きました。そうなの…?!

 

今現在でもこういった問題は取り上げられています。献血の「宇崎ちゃんは遊びたい!」のポスター炎上もその一つに近いかな(あれは政府ではなくフェミニストを中心にしたものですが…)とか。

また、インターネットにおける規制に関してはつい最近のことでいうと香港と中国の関係なども含めて「主張のできぬ世界」は近くにあるのだろうな、と思う次第です。

 

TPPが決定したことで著作権が伸びたことにより川端等がインターネットで読むのは先になったこと。これに応じていろんな【考え】がまた生まれてくること。それが「あり」なのか「なし」なのかは正直自分には一概には言えませんが……ただ一つだけ言えることは「それでも人は表現をしないではいられない」なのかなぁと思います。

こうやってブログを書いていることもまた「表現の一つ」だし、何かを見て・感じて言葉にすることも「表現」だし。また一方で漫画にしたり、小説にしたりすることも「表現」ですしね。

なかなか答えは一つではなくてしかるべきだし、「こう!!!!!」っていう答えではなく、どちらかというとグラデーションで濃淡を持った上での考えな人も結構いるんじゃないかなぁ…とか舞台を見た上で改めて考えさせられました。

 

俳優さんたちにおける感想

と、これまで取り上げられてきた作品について自分の「ああ~これといえばこうだよね~!」みたいなものを感じていたのですが、本作における俳優さんたちの立ち位置について。

自分は彼らについてを「狂言回し」であるように感じました。

本作についての立ち位置は「読書をする人であり物語を旅する二人」なので、彼ら二人の物語でありながらも彼ら二人についての「考え」「意見」はお客さんである”読書家”はあれど、司書についてはどこか希薄です。彼らは物語を読み、語り、そして次の作品を旅していく。

その中で彼らの人格とか、彼らがどういうことを芝居してとか……というのはちょっとまた変わってくるようにも感じました。

お芝居の中でもう一度お芝居をする。そこにいるのは「司書」であり「読書家」であるけれど、それを読むときは「読書家が読む●●」「司書が読む●●」であってまた変わってくる。劇中劇といえば聞こえはいいですが、そういう意味ではすごく反復横跳び大変なことだなと思います(笑)

朗読劇の中で、彼らは朗読するシーン以外では本を閉じ、会話に耳を傾け眼を合わせてやり取りをしています。でも一方で彼らは「新納慎也」であり「橋本良亮」のいち部分を捨てずに舞台に立っているのかな(いわゆる「あて書き」といっていいのだろうか)とも思うフレーズがちょこちょこあるのが印象的。

橋本くんが「噛まずにやること」を意識していると話していたのを聞いて「朗読劇って別に噛むこと以外にも気をつけることあるんじゃないの?!」と思う部分があったのも事実なんですが、なるほど蓋を開けてみると「芝居する」ということの難しさみたいなのを感じました。紹介するストーリーテラーブックコンシェルジュだからこそメインには立ってはいけない。主演だけど主演ではない。

彼らは「本」を主役にしたバイプレーヤーなのかもしれない。

だからこそ、本が引き立つように、「何」が印象に残ったのか、っていうときに本のタイトルや中身があったら良いように作られているのかな。設定も少し不明瞭で、内容も本のタイトル、内容を紐解いていくものが続いていくからこそなのかもしれない、とも感じました。

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”主役”は日本文学だからこそ引き立つ二人


その上で、印象に残った二人のポイントはざっとですが次の通り。

 

新納慎也さん

  • スタイルがとても良く、伸びやかな声が印象的
  • 最初の第一声、そして朗読シーンで一瞬若かりし頃の井上 和彦氏に声がちょっと似てるなぁって思いました。それぐらい「聞き取りやすい」お声でした。
  • オーバーリアクションなキャラクターとして「静と動」であれば動きを象徴したようなキャラクター
  • なんだかんだいいながら松尾芭蕉小倉百人一首源氏物語の冒頭、平家物語と「授業で習ったぞそれ」みたいな部分を上げられる人でもあるというのが興味深い。
  • ソーシャルディスタンスを意識したパフォーマンスのときに「おっと」という表情をされているのが良かったです。寄りかかりながら、目線を朗読パートである本にしながら通る声を出せるということがすごいなぁってなりっぱなし。
  • 蟹工船の朗読は言わずともがな迫力。全部持っていかれる。
  • 随所随所で出てくる「かわいい」と言われるような部分が出ていました。
    カーテンコール後にお話されるときに「一曲歌う?アイシテルヨとか言わなくていいの?」と橋本くんをいじっているのが印象に残りました。

 

橋本良亮くん

  • 司書というキャラクターは「静」に近いほう。
  • 淡々と言いながら、時折ふっと声音が柔らかくなったり穏やかだったりしているメリハリが好きです。個人的に朗読としては雄略天皇の一句の訳が実に穏やかな声音でイメージと違うながらも斬新で好きです(もっと命令タイプの言い方をすると思ってました)
  • 服装はベージュスーツでした。
  • 朗読がちょっと早いかもしれないなぁ(初日の感想)もうちょっとゆっくり言葉を聞いてみたい部分と、尺の都合上との間なのだろうけれど、ちょっともったいないなって思いました。
  • しかし私は彼の声が好きなので「曽根崎心中」をやってくれたのがとても好きでした。
  • ラストの有害図書のくだりと、カーテンコールの晴れやかな表情が印象的。

「英語」で歌うことについて

本作では音楽/コーラス部分で何度か歌が入るのですがそれが英語で作られていました。

これはパンフレットに英語訳の解説があったりすることや「日本博」とともにやっているからだとは思うのですが…冒頭で「ジョイフル・ジョイフル」が流れたときに「なん……なんだって?!」とめちゃくちゃ驚きました。

私いつから天使にラブソングを2見始めたのだろうと(笑)

ジョイフル・ジョイフルは有名な賛美歌ですがあのアレンジを聴くとやっぱり天使のラブソングを2を思い出してしまうわけです。

 

amanatsu0312.hateblo.jp

 これは天使にラブソングをの舞台感想。ア

ラン・メンケンがミュージカルのほうは手掛けているというのを聞いて「あの!!!アラン・メンケン!!」と驚いたものです。

天使にラブ・ソングを2 (字幕版)

天使にラブ・ソングを2 (字幕版)

  • 発売日: 2018/11/11
  • メディア: Prime Video
 

 

Joyful Joyful

Joyful Joyful

  • provided courtesy of iTunes

いや正直この舞台で「joyful joyful」聞けると1ミリも思っていなかったので流れ出した瞬間「ゑ!?!!!」って驚くのまったなしでした。とんだあなや*19ですよ。びっくりしました。

で、さらにこの楽曲だけではなく確認できた部分では「Oh Happy Day」。Luckyに変わっていた(のかな?)印象なのですが(歌詞がオリジナルになっていた)、何にしても「これ知ってる!!!!!!!!!」ってめちゃくちゃ反応しました。

知ってる、それ知ってる…天使にラブソングを2で全生徒に向けて落ちこぼれの生徒たちが披露する曲じゃん……。ウーピー・ゴールドバーグがいいんだよね……うん…好きなんだよね……

Oh Happy Day

Oh Happy Day

  • 高垣 彩陽
  • ポップ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 個人的に高垣彩陽さんのOh Happy Dayも大好きです。

と、まぁもれなくざわざわガタガタしていたわけなのですが。極めつけに歌われていたのがアヴェ・マリアでして。

アヴェ・マリア

アヴェ・マリア

  • provided courtesy of iTunes

 

 びっくりしました(n回目)

何がびっくりしたってすべて讃美歌よりの曲で。

なぜ讃美歌を選んだのだろうという気持ちで考えていました。「日本文学」と讃美歌の組み合わせというのはいささか以外というか……。

まぁ一番最後にジョイフル・ジョイフルを司書・読書家の二人も交えての歌というのにもびっくりしました。ベートーベンの第九からの曲とは言え、予想外というか。

映画としても楽曲としても大好きだからこそ「な、なんだって~~!?」の極み。

www.youtube.com

推しがこれ歌うの~~!?!!?っていうのでもびっくりしました。

人生で推し*20が自分のとっても好きな曲を歌う日がくるとは、それも今回の舞台で歌ってくれるとは思っていなかったので「予想外」が過ぎて……いやぁびっくりしました。もう補正なの120%わかってるんですがテンションぶち上がりすぎて「ヒエッ…!」となりっぱなし。ありがたい。

音楽については女性の声である鈴木さんの声がとても通ってて聴いてて心地よいばかりでした!

話を戻しますが、これに関してラストに歌っているのってなぜだろう?讃美歌を何度も繰り返しているのは?って考えるのですが…。

Ever singing,march we onward,

victors in the midst of strife;;

joyful music leads us sunward,

in the triumph song of life.

(joyful joyful歌詞より抜粋)

このラスト部分が一番印象的というか、もちろん楽曲としてリズムがあって好きなんですがここの和訳で印象的なんですよね。

絶えず歌い 我らは前進する

争いの最中の照射

陽の指す方へ喜びの音楽が導く

歓喜の歌が響く中で

ジョイフルジョイフル 讃美歌・聖歌 歌詞の意味・和訳 より)

 これをどういう”意味”で使ったのかな~とか。ラストが「有害図書」の件や「検閲」のお話で、その中でこの曲を歌うっていうのはすごく考えいるばかりです。

”女流”作家における性差、「女性だろうと男性だろうと台頭してくる」ことについて。与謝野晶子紫式部の関係。1000年を超えての「作品を訳す」こと。

すべての作家、すべての作品、すべての文学に於いて物事を「作る」こと、そして文学を触れるということは文字を理解し言葉を理解するという「学」につながるわけで、そのことに対する「讃歌」でもあるのかなと。

 

私の好きな漫画「ジョジョの奇妙な冒険」にて、次のような言葉があります。

人間讃歌は勇気の讃歌!!

人間のすばらしさは勇気のすばらしさ!!

 

文字を知る、文字を使う、文字で考える、そして「誰か」に伝えること、表現すること。それら全ては「人」がなすことで、それらすべては勇気がいることではないでしょうか。

表現を人間はせざるを得ない。だからこその人間の讃歌。文学とは、表現とは人間の勇気の讃歌でもあるのかなぁ…というのが個人的に「この讃美歌」を使った理由としてあげたいです。

理由についてはまったくわかりませんが意図とか、考えていって「そうであるかもしれない」ということを表現することもまた、「私の勇気」の讃歌なのかもしれませんね!(笑)

ジョジョ~その血の運命

ジョジョ~その血の運命

  • provided courtesy of iTunes

 

ただ、じゃあ単純に「Joyful Joyful」を彼らが最初、そして最後に歌った(読書家と司書まで)のを考えると、その前の段階でTPPが確立されたことで三島幸雄、川端康成と死後75年経過していない人の書籍はインターネット上で読むことができなくなりました(Kindleなどで買うことはできます)

ここから「それでも図書館に来れば、読める」からの、「本は無限にある」のことへの帰結にも思えるわけで。

簡略すると二つのことへの歓喜、なのかなと。

  1. 読んでも読み終わらないくらい図書館に来れば本はあるぞ!やったぜ!
  2. ネットで読めない本も図書館で「無料」でよめるぜ!!!!! 

→からの「(書籍の)神様!!ありがとう!!」

 

…割とどんな見方もできるのが楽しいところですね(笑)

 

【雑感】司書は人間か?

これは完全に私の蛇足に近いのですが、冒頭シーンでこの図書館にある本は全て頭にインプットしてあるという司書のくだりがあり、そこについて「人間には無理だな」というフレーズがありました。

これはおそらくiPhoneでおなじみのSiriとかけているものだと思います。開始第一声が「ハイ、司書!」だったので……。

ただ、そこから思い立ったのは「彼は人間であるか?」ということ。可能性としてありうるなと思ったのは3つ,

  1. 人間
  2. アンドロイド、AI、ヒューマギア*21
  3. 神様
  4. これもまた作品の中のキャラクター(非現実というニュアンス)でVR的にユーザー2161182が見ている
  5. 概念

 

3だと神様だからこその次元も、空間も架空で、それがゆえに全ての物語を理解し、その上での繋がりをかな、というようにもとれます。

2である場合、≪読書家≫と会話はできたとしてもそこに彼の感情は、考えは生まれるのか?そのように、インプットされている可能性は?とか考え出していけるわけです。

AIだったとしたら「ナビゲーター」として、ブックコンシェルジュの仕事は可能でも文学を作り出すことはできない。もちろん後発で時代が変わればそういうものが生まれてくることもあり得るとは思いますが……(料理をAIが編み出して作ったものとか世の中ありますし…)

 

彼は「人間ではなかった」という仮定をしてこの舞台を見てみたらきっとまた見え方が分かるのだろうな、なんて思うばかりです。多分2に思い至った考えは仮面ライダーゼロワンのせいです(笑)

その結果における読書家の「考え」を導いていく、日本文学について「知っていく」ということに至った上でのjoyful,joyfulならまた彼の感性を刺激した、知識を得ることで変わったものがあった、というように見えるんですよね。神様だった場合は「これだから人間って面白ー!」っていうデスノートリュークぽさもちょこっと混ざりますが。

 

 

【雑感2】「紙の本を読みなよ」

本作におけるポイントとして「図書館」ということがとても重要な要素を孕んでいます。

図書館も閉館を新型コロナウイルスの都合上されていてなかなか借りに行くことができなかったのもまた一つ事実なんですが、昨今はKindle電子書籍の浸透ということもとても出版業界における課題にもなっています。

かくいう私も電子書籍を活用しています。その方が軽いから。手堅くその場で買えるから。

ただ一方で、図書館という「紙」の本に触れるということもまた(新聞や雑誌でも然りですが)とても素敵なことだと思います。

「紙の本を読みなよ」と「電子書籍がとても楽」のジレンマ - 柑橘パッショナート

これは過去に自分が書いた記事ですが、本作ではひたすら「紙の本」でこの本たちを読んでいます。槙島聖護見たら喜んじゃう。

この考えには「図書館が無料だから?」もありますが、時代を経て作られてきたものだから「もちろん電子書籍が悪いとはいわないけれど、紙だからこその<味がある>」のかな、とも思います。

私自身、紙でも読むし電子でも読みますがそれぞれにそれぞれの良さが詰まっているからこそ、「選ぶとき、この本はこっちで読みたい」の可能性が広がったと思って欲しいなあとも感じました。電子でも紙でも、「読んでもらう」「知ってもらう」ことに変わりはないと思うので…。

 

【雑感3】声に出したい日本文学として

昔、「声に出したい日本語」として流行ったのを記憶しているのですが…

声に出して読みたい日本語

本って黙々と読み進めることがどうしても多いですが、かつて授業の中で誰しも声を出しての朗読を順繰りにされたことがあると思います。

声に出すことでその言葉の意味を知る、「これってなに?」になる。

さらに、音読するために一度黙読して作品の言葉の区切りを探していかなくてはならない。口にすることでまた分かることもあるしその反復って重要だからこそ、「朗読劇」という形で今回たくさんの作品に触れられるというのは良い機会でした。

知らないからこそ、知りたい。知っていくことでさらに「わかる」が増えていく、という経験。また、声に出すことで意味がある、音楽と文学の密接な関係ということも繋がりますね。

 

海外ではリズムやメロディーを見ますが日本のJ-POPシーンにおいては「歌詞(リリック)」を重視するものが多いように感じられます。和歌がここに結びついているのだから当たり前なのかもしれませんが…私はJ-POPシーンでメロディーとあう歌詞に注目をすることが多いので作中で司書の口にした、音楽や演劇との関係、というのも納得した次第です(そもそもシェイクスピアの戯曲からウエストサイドストーリーも生まれたわけですしね!)

 

【雑感4】短い時間でたくさんの本を知ること

読んでおくべき日本文学みたいな本はいろんな形で本屋さんに並んでいます。大学教授が選出されてたりとか。これは海外文学でも然りですが。

踏まえた上で今作はまさにそういった本の「朗読版」というか…時代背景や人と人の関係も踏まえて生み出された作品たちはどんなものなのか?というものを一つでも取っ掛かりになってくれたら…みたいな形で本作は作られたのかな、と思いました。

内容が難しい、というのも一つの意見だと思いますし「確かに平家物語とかそのまんま読んでたしな」っても思います。そうなったときに、朗読していた2人の言葉を思い出して見かけて「現代語訳から始めてみようかな」とか「あのシーンに至るにはどういうものだったんだろう」の門戸が開いている状態として伝わっていたら、と感じる次第です。

まあこんなこと言いながら私自身も「知らない」「タイトルだけ」というものは山盛りにあるので(笑)触れていく機会に先程山のように反応していた「知ってる!これ遙かのシーンで見た!」「たけくらべガラスの仮面でやってた!!」と同じように、「日本文学の旅で触れてた!!!!!」になっていけたら、そこからまたスタートを切って行けたら、と。

 

また、そのスタート地点がこの文学に関する舞台でもいいし例えばそこから「どうやっても入りにくいな」って人のために小学校の頃にあった漫画で読む日本文学系でも大いにありなんじゃないかなと。

あれ私学生の頃めちゃくちゃ読んでたタイプなので「わかる~~!!!」が詰まってて、そこから現代文→原文にいったってアリではないでしょうか。

 

まんがで読む 古事記 (学研まんが日本の古典)

まんがで読む 古事記 (学研まんが日本の古典)

  • 発売日: 2013/08/27
  • メディア: 単行本
 
まんがで読む古事記 第1巻

まんがで読む古事記 第1巻

  • 作者:久松 文雄
  • 発売日: 2009/08/06
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
奥の細道―マンガ日本の古典 (25) 中公文庫

奥の細道―マンガ日本の古典 (25) 中公文庫

  • 作者:矢口 高雄
  • 発売日: 2001/04/01
  • メディア: 文庫
 

 

まんがで読む 百人一首 (学研まんが日本の古典)

まんがで読む 百人一首 (学研まんが日本の古典)

  • 発売日: 2013/08/27
  • メディア: 単行本
 

 今だと描き方が全然変わっているからこその「そうくるか~~!!」がいっぱいあって楽しいんじゃないかなと思います。

出会い方100通り。それこそドラマで最近「ああ無情」とか「巌窟王」をベースにしたドラマをやっていたりしますしね*22。「派生作品はこうだったけど、実際はこうなのか!」とか思うとなかなか見方が変わったりして好きです。

 

【雑感5】本作を別の角度で考えてみる

(※2020/07/13追記)

それはその人によって感じ方色々でしょう。

私は最初「文学を触れる」ためのものとして見ていましたが「現代のこの状況だから」ということを指摘されている方をインターネットでお見かけして「なるほどな」となったのでメモとして。

 

本作を「現在の日本の批判(ソーシャルディスタンス、コロナのくだりからのいわゆる「正義厨」(自粛警察)」として見ていくと、夏目漱石のくだりで「私の個人主義」をあげたところで「私もあなたも自分が生きるために物事を考えている。その結果が国につながっている部分があるかもしれない。豆腐屋が国のために豆腐を売っているんじゃなくて豆腐屋は自分の生活のためにしている」っていうのはそれを示しているのかなとか。

国家は大切かも知れないが、そう朝から晩まで国家国家と云ってあたかも国家に取りつかれたような真似はとうてい我々にできる話でない。常住坐臥(じょうじゅうざ)が国家の事以外を考えてならないという人はあるかも知れないが、そう間断なく一つ事を考えている人は事実あり得ない。豆腐とうふ屋が豆腐を売ってあるくのは、けっして国家のために売って歩くのではない。根本的の主意は自分の衣食の料を得るためである。しかし当人はどうあろうともその結果は社会に必要なものを供するという点において、間接に国家の利益になっているかも知れない。

これと同じ事で、今日の午(ひる)に私は飯を三杯ばいたべた、晩にはそれを四杯に殖(ふ)やしたというのも必ずしも国家のために増減したのではない。正直に云えば胃の具合できめたのである。しかしこれらも間接のまた間接に云えば天下に影響しないとは限らない、否観方(みかた)によっては世界の大勢に幾分(いくぶん)か関係していないとも限らない。しかしながら肝心(かんじん)の当人はそんな事を考えて、国家のために飯を食わせられたり、国家のために顔を洗わせられたり、また国家のために便所に行かせられたりしては大変である。国家主義を奨励(しょうれい)するのはいくらしても差支ないが、事実できない事をあたかも国家のためにするごとくに装(よそお)うのは偽りである。

青空文庫 夏目漱石「私の個人主義」より)

ここの部分、新納慎也さんがお話されているの非常に淡々とけれど聞いていて漱石のカチッとした感じにあってて私は好きです。結構読み直していると「全部」をくだりで読むのではなく、抜粋しながら読んでいるのが印象に残りました。

で、本題ですが、もちろん「国のために」と「自分の生活のために」はどちらも一緒に共存しあっているからこそ、成り立つ部分があるわけで。

またこの講演にて話されている「国家のしめつけが強くなれば、個人の自由が狭まっていく」「国家が安定していけば自由は広がる」という部分、これは現代社会における立ち位置にも言えることだなぁとも感じます。当時良くもまぁ検閲を免れて出たものだと感心します。

 

文学を演劇と置き換えていくとエンタメが取り上げられている昨今、また「こんな時期に舞台なんか見やがって」という声に対しての反発(焚書の流れも込み)にも見えるし、だからこそのその世界にいる「司書」というのは何なんだろう…いっそもう概念か・・・・?とかいろんな可能性が見えてくるのが面白いですね。

 

でもってそこの漱石のしっかりかっちりとした空気からの蟹工船への空気の温度差でやられるわけですが、前述されていた部分で注視すると抜粋されているところにも意味があるのかなぁとか。

「帝国軍艦だなんて、大きな事を云ったって大金持の手先でねえか、国民の味方? おかしいや、糞喰らえだ!」
 水兵達は万一を考えて、三日船にいた。その間中、上官連は、毎晩サロンで、監督達と一緒に酔払っていた。――「そんなものさ」
 いくら漁夫達でも、今度という今度こそ、「誰が敵」であるか、そしてそれ等が(全く意外にも!)どういう風に、お互が繋がり合っているか、ということが身をもって知らされた。
 毎年の例で、漁期が終りそうになると、蟹罐詰の「献上品」を作ることになっていた。然し「乱暴にも」何時でも、別に斎戒沐浴(もくよく)して作るわけでもなかった。その度に、漁夫達は監督をひどい事をするものだ、と思って来た。――だが、今度は異(ちが)ってしまっていた。

「俺達の本当の血と肉を搾しぼり上げて作るものだ。フン、さぞうめえこったろ。食ってしまってから、腹痛でも起さねばいいさ」

 皆そんな気持で作った。

「石ころでも入れておけ! かまうもんか!」

(中略)

 そして、彼等は、立ち上った。――もう一度!

小林多喜二蟹工船」より朗読部分一部抜粋)

「もう一度」 の部分は小説だと強調されているわけですが、このストーリーでは「主人公」が不在の状態での群像劇だからこそでもあります。誰が主人公でもなく「この状況」に憂いながら、それでも「生きている」「生かざるを得ない」なかで、葛藤しストライキをしようとし、その結果の失敗からのあがきにもあるわけで…。

 

 蟹工船でドラマCDを一度聞いてみたのですが、もうなんというか…こう…これは原作が「そう」だから仕方ないんですが精神的に追い詰められていく感が半端ない。

第1章 蟹工船・博光丸

第1章 蟹工船・博光丸

  • provided courtesy of iTunes

 一方で「これは現状である」と突きつけてくるリアリズムというかプロレタリア文学ならではというか…聞きながら、「もうやめたげて」と思うのに引っ張られていくあたり声優さんのお芝居のうまさがゆえの部分もあると思います。

朗読劇の「耳」で感じる部分、耳に特化しているからこそ「見えないイメージ」を膨らませていく形もあれば、舞台・映画での「蟹工船」はもっときついことこの上ないだろう…と思う次第です

蟹工船 [DVD]

こちらは松田龍平さん主演の「蟹工船」。みたい気持ちと心が絶対しんどいから余裕があるタイミングじゃないと自分は見れない…というジレンマです(笑)

 

蟹工船の「もう一度」が強調されて、かつ司書・読書家が揃って口にしているのは鼓舞にも受け取れるし「このままでいいのか」という現状への問いかけにも取れる。

現状に置き換えたときに「どのようにも」見えるってすごく面白いなと感じます。

 

また、ほぼラスト部分にて太宰治の「斜陽」「桜桃」を読まれたことを考えている次第。

 

朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、
「あ」
 と幽かすかな叫び声をお挙げになった。

青空文庫 太宰治「斜陽」冒頭部分)

 

www.aozora.gr.jp

斜陽はチェーホフ桜の園から影響を受けている部分があったり、家が没落していく部分も描いているわけで…それを一体何ととるのか、というのも考えさせられます。”お母様”は病気の一途をたどっているわけですし。

 

私は、悲しい時に、かえって軽い楽しい物語の創造に努力する。

太宰治 「桜桃」より)

www.aozora.gr.jp

桜桃に関して言えば使っているフレーズは非常にシンプルなもので、上記の指摘だとなるほどなぁとも感じさせられました。

「辛いからこそ芝居をしよう」「辛いからこそ空想の世界を作ろう」というスタンスもまた、先人たちが作ってきた部分でも有るからこその「この言葉を選ぶ」ということにちょっと考えを広げさせられているばかりです。

だからこその、「俺達はどんなにしんどくても舞台をやるのをやめないぜ!」(ショー・マスト・ゴー・オン)という考えも出来るし、「ジョイフル・ジョイフル」という「神様チョーサンキュー!!!!!!!!!!BE HAPPY!!!!」で歌うっていうのは「演劇が出来る喜び」にもできるなぁと感じる次第です。

 

つまるところ「そういう意見で見てみると自分の記憶を揺り起こし、何度でも反芻していろんな見方を楽しんでいける」という面白みを感じるばかりです。社会に対しての訴えを起こすのは文学だけではなく、それこそ学生運動の頃に演劇も一気に花開いていく部分があったのも事実だからこそ(そして演劇もまた、非難されている部類にあったと効いています)なのかもなぁとか。

どこでどんな境界線を引くのか?どういう解釈をもつのか?というのは「個々人それぞれ」であって、でもだからこそ、どうある”べき”かっていうのもまた他者に縛られすぎてはならないわけで。自由とは責任を伴って存在するからこその「アイデンティティ」はどこなのだろうとか、指摘していらっしゃる方の言葉に「なるほどな」とうなずきながらいる次第です。

カーテンコールの感想

これに関してはお芝居が終わった後の話になるので俳優さんのお話と重複しますが…。

全公演を行くわけではないので、覚えているところ覚書としてメモ程度に。また、本作に於いては「スタンディングオベーション」(ジャニーズは結構率先してそれをしている印象があります)をあまり推奨していないのではないかなと思います。やっぱり距離が近くなっちゃいますし。初日新納さんが立った人に「座って」というモーションをされていたのはそういう意味なのかなぁ…とか。

そこらへんなんともいえないですが。千秋楽は皆さん立つのかもしれないけれど、通常公演では立たないほうがいいのかもしれないな、というのが感じた印象でした。

 

7/9

初日ということもありお二人とも緊張されていた印象です。

一気に気が抜けたというか、ふわーとされる新納さんが印象的でした。この新型コロナウイルスについての懸念がされる中エンターテインメントが自粛され、触れる機会がなく「なにか中止になりましたか?」という橋本くんへのふりがあり暫く考えられたあと「ええ中止になりました」というお話をされているのが印象的で。A.B.C-Zとしてファンが知らないことでも延期や中止になったものがきっとおそらくあったのだろうな…という気持ちになりつつ。新納さんのお芝居のほうもなにかと中止になられたようでした。

そんな中での本公演、実質舞台関連でもほぼ初に等しく(もちろん全てを把握しているわけではないので公演されているお芝居もあると思います)その辺のお話も上がっていました。「舞台に上がるとあっ俺役者だったんだあ…となんだか恥ずかしくなったよね」という新納さんの言葉がとても印象的でした。

お芝居をするにしても、ステージの上に立つにしても「お客さん」あってのことですもんね。橋本くんが緊張してタメ口になってしまった結果「なんでおれタメ口で話してんだろう?」と口を押さえているのが橋本くんのファンの見どころの一つだと思います(笑)

その上で、新納さんに「愛してるよとか言わなくていい?」「一曲歌う?」とふられているのを見て俳優というよりもアイドルとして認識されているのだろうなあとちょっと思ったり(それが悪いことではないとは思いますが)。そこでやらないです!と照れているのも含めて橋本くんの表情見られてよかったなと思います。

なお、初日ということで演出家の鈴木さんもいらっしゃいました。だからこそピリッとした「お客さんはどんな反応をするか?」ということ、「演者はどんな展開をするのだろう?」のお互い探りあいしているかんじが初日ならではでした。
2度目のカーテンコールでは演者であるお二人しか登壇されなかったので千秋楽では音楽、コーラスのお二人にも登壇してもらいたいなあ…と思う次第です。

 

7/15 ソワレ

下手より橋本くんが登壇し、いつもなら2人そろってながら新納さんが来なくて「?」となっていたなかで真っ赤なお花紙に包まれたひまわりのブーケを持ってきていらっしゃいました。

手には青いゴム手袋をされていて、手渡しはできないので、ということでデスクの上に。アルコール除菌をされていらっしゃるのが印象的でした。

 

また、お歌を歌う流れがあり、観劇者は声を出すことも飛散に繋がるため手拍子で、ということでした。

プロによるプロのバースデーソングを聴けるのは良い機会で、曲に対して「ハワイっぽい」とお話しされてました。レゲエぽいということ…?いやボサノヴァぽかったということかな…「ハワイっぽい」に対して「ハワイ…?」と新納さんが首を傾げていらっしゃるのが印象的でした。「ハワイ好きなんで!」と返されていたけれど「なるほどわからん(にっこり)」みたいな感じで見ている此方もなるほどわからんでした(笑)

 

2020年27歳の抱負は?ということについてでしたが「(今こうしてお芝居ができることがうれしい。ジャニーズ事務所の初のお芝居(仕事)が自分ときいてとてもビクビクしたが、今舞台ができるのは皆さん一人一人のおかげ」とお話ししていました。

新納さんに「レコード大賞取る!とかベストジーニスト賞とる!とかみたいなのないの?」っていわれてるの中々あれでそれでした(是非とも目標に向けていくのいってほしい)

とにかくありがとう、ありがとうを繰り返されている印象でした。

かつて2017年、デストラップの舞台の時に「日本語、上手くなる!」ということを当時の目標とされていたので、それから3年、こうして「日本文学の旅」という作品に触れているのはなんだか不思議な気持ちです。

また、今日見たら国木田独歩芥川龍之介の小説の一部を朗読、追加されました。

芥川賞の発表が今日あり、その辺も全く関係なくはないと思うので(芥川龍之介大好きな太宰治の小説の合間に挟んでいるのが面白かったです)(その後に「刺す」といってた川端の話をあげているのも中々アレですが)感慨深くなりました。

 

文豪たちの悪口本

文豪たちの悪口本

  • 発売日: 2019/05/28
  • メディア: 単行本
 

目下今これが読みたくてしょうがないんですが(笑)太宰治川端康成に対するコメントはなかなかアクが強くて、それを元ネタにいろんな形で表現されているものですからふふ、となってしまうのは言わずともがな。

 

此方は今では声優として目下成長を遂げている木村良平さんと、俳優としてご自身の立ち位置を確立している宮下雄也さんによる舞台「シーサイド・スーサイド」。こちらにて太宰が出てくるんですがコミカルな立ち位置で、それでいて太宰ならではの色が出てて私は好きです。定期的に見直したくなります。遊戯王大好きな人間なので思う所いっぱいありすぎてニコニコです。

 

【2020/07/22・千秋楽】

千秋楽ではスタンディングオベーションがありました。初日や他の日で新納さんが座って~というモーションをされていたダブルアンコールの段階ではなく一番最後全員が登壇されたからではないでしょうか。

個人的にはスタオベしていいのかなとか(コロナの一件もあるので人との距離がより”近く”なる印象があったので)正直最初「えっやっていいの!?」と驚いたりもしました。

まぁそのへんは劇場側の臨機応変というか、その劇場によっての「うちは禁止です」とか告知がある/なしで対応していけばいいのかなとも。

お話に戻りますが、演者お二人そしてステージを彩ったアーティストのお二人も登壇。また、鈴木勝大氏がお席にも座っていました。

覚えている範囲ですが、それぞれについて。

  • 新納さん自身はこのお芝居の以前にたくさんのお芝居が延期/中止になったなかでのお芝居だからこそ作中にて綴られた「芝居はなくならない」という気持ちに自分ものっていらっしゃったということ
  • 橋本くんに関しては「滑舌の悪い自分がここまでできるようになった」というお話をされていて、正直本当にびっくりしました。朗読劇であるため「相手に”聞いて”もらう」からこその言葉の難しさ、ニュアンスというものをよく感じて、よくよく鈴木さんの演出の元指導を受けられていたように感じます。「これを活かしていければ」というお話だったので、次回等お歌やお芝居の中でもこういった機会があるとまた新たな印象に出会えるのかなと感じました。「挽回」という言葉が出てきましたが多分…多分だけど挽回の意味合いが違う…(笑)いろんなことを吸収されている印象で「この4人でミュージカルやってみたいね」というお話もされていました。終始明るい表情で、ファンサービス含めて「千秋楽」がゆえのホッとした表情が印象的です。
  • 小林一茶役…」と大嶋吾郎さんは笑いを取っていましたが、本作に於いて「朗読」をひたすらするという大変な中のお二人とはまた違った形で影に日向に徹している印象だったからこそ明朗快活にお話されているとき笑いを誘っているように感じました。小林一茶のイメージにあうようなお人でした。
  • 鈴木佐江子さんは「カァー…カァー…」と枕草子にてカラスの鳴き声を演じていらっしゃった印象が強く、ご挨拶のときもそこからはじまっていましたがアヴェ・マリアのような透き通るお声と楽しそうな弾む声とでお三方と一緒にお話をされているのが非常に印象的でした。舞台からはけるときに橋本くんとのソーシャルディスタンスをとりながらのさっと歩いていく姿が颯爽としていてかっこいいという印象です。

 

全体を通して

全体的に知っている作品が多く(たけくらべとか真夏の夜の夢とかどっちも「ガラスの仮面で見たぞ!」とかある)そういう意味で「読書会」や知っていく機会の一つの提供の場であったように感じます。

知らなかったらひとつでも覚えて読んでみたらいい。知ってたら復習と「今一度読んでみよう」になったらいい、なのかなあとも。

何にしても知る機会って全てのベースで、その上で「興味をもつ」に繋がっていくからこそ、一つ一つ「まずは知る」「そんな作品があるのか」から始めたらいいのさ、みたいな形でのお芝居をフラットに楽しめて、また同時にそうなんだ、と知識としてさらに教えられることの多い舞台だったように感じます。

ただ一方で「堅苦しく見なくても良い」中で何かを伝えたいのかな、とか掘り下げて考えることも出来るからこそ非常に興味深く感じられました。人の指摘、人の感想を見ることで見える世界もまた出てくる。

 

…オンライン配信を…お願いしたいところなんですけれど…なかなか環境整備等も考えると難しいことでしょうし、仕方ないんだけれどもな~~とか思う次第です。

兎にも角にも、どうぞ最後まで走り抜けていけますように。

 

今回紹介された日本文学

うろ覚えの部分もありますが、あくまでも私の「記憶」です。まだ舞台に行く予定なので随時更新していきます。順不同。

名前だけなら森鴎外樋口一葉に関することも多かったため、キーワードとして出てきました。谷崎潤一郎源氏物語訳のお話が上がったりとたくさんの羅列があり、非常に興味深かったです。江戸川乱歩なら鉄板に「D坂の殺人事件」あたりやるかなと思ってました。

だんだんと日付を重ねるごとに作品が多くなっていくことで変化を与えていて、そこも見ていて楽しかったです。

*1:2017年末、はしブロでそんなことをお話されていました。言葉のあやだと思っていたい…。

*2:ただ読めばいいものではなく、呼吸やリズムなども考える箇所はたくさんあると思っています。

*3:Eテレにて放送されている番組。お菓子にまつわる数々の物語、そして思いがけない誕生のドラマを15代ヘンゼル(瀬戸康史)と魔法のかまど(キムラ緑子)が展開していくもの。かまどさんは何でも知っているけれど、ヘンゼルはお姉ちゃん(出番がない)に頭が上がらない男性として描かれています。【サイト】グレーテルのかまど - NHK

*4:ブレードランナーのもとになったお話

*5:コーエーテクモゲームスのルビーパーティーが展開する「遙かなる時空の中で」シリーズ4作目。

*6:なかよしで連載されていた少女漫画

*7:イザナギ」「イザナミ」といったものが本作におけるキーワードでもある。黄泉平坂の話も出てきます

*8:

amanatsu0312.hateblo.jp

*9:新元号は「令和」 出典は「万葉集」|平成から令和へ 新時代の幕開け|NHK NEWS WEB

*10:持統天皇を主人公にして作られた漫画。面白いから読んでほしい

*11:「奈良の八重桜が今日は宮中でめっちゃキレイ!!!!」という一句

*12:ヴァンガードの櫂トシキによる名言

*13:盲目の琵琶法師が平家物語を弾くなかで平家の怨霊にこれを語ることとなる物語

*14:文豪とアルケミストというゲーム

*15:コンパス・オブ・ユア・ハート

*16:東京医科大で女性の受験に対し点数がいじられていた一件など 【参考】「東京医大 なぜ入試で『女性差別』」(時論公論) | 時論公論 | 解説アーカイブス | NHK 解説委員室

*17:平安時代の文語文に基づく表現法と日常的俗語とを混合した文体のこと

*18:有害コミック騒動 - Wikipedia

*19:古語。叫び声。「え!?!!!」ってことです

*20:橋本良亮氏を指す

*21:仮面ライダーゼロワンにて出てくるテクノロジーロボット

*22:近年でいうと「モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-」とか山田涼介氏が演じた「カインとアベル」などもこれに該当する