柑橘パッショナート

インプットとアウトプットを繰り返すごちゃまぜスタイル

悩んで悩んで困惑した2023年の夏と秋の間、河合さんがA.B.C-Zをやめるらしい

 

河合郁人A.B.C-Z 河合郁人ではなくなる』という事実に困惑をいまだにしています。

河合くんがA.B.C-Zじゃなくなるなんて思ったことがありませんでした。自Gから脱退者が出るより、正直先に解散か、はたまた「開店休業」になるだろう。なんなら一番河合さんは辞めなさそう、そんなふうに思っていたからです。

 

あまりにも驚きすぎて、かつ、何も書くことができなくなるくらいパニックになっていた日々ですが改めて一人のA.B.C-Zというグループのファンとしての想いを綴っておきます。だいぶ最初の頃より落ち着いてきたのもありますので、ちょっとした振り返り。

いつか見返した時に小馬鹿にしながらそんなこと思ってたんだ、と鼻で笑うかもしれないし、懐かしいことを言っているとか、五人の環境が大きく変わっているからこそ見えてくるものもある上での忘備録になったらいいな、という想いを込めて。

とりあえず今日、これを書くまでにかなり時間を有していて「えええ………」となったり「そりゃないぜ……」となったり、でも河合くんに向けて目に余る言葉たちをぶつけられているのには納得できなかったりいろんな感情が湧き立っていましたが、自分なりの整理、まとめとして記しておきます。

 

f:id:amanatsu0312:20231001225039p:image

 

ことの振り返り

きたる9/21、仕事に追われていた中で友人の戸塚担、河合担とのSNSグループが動きました。この時はいつも通りのしょうもない話をしていることも多いグループだったので気にも留めていなくて、後で返そうと思っていました。

大丈夫ですか、の一言に真っ先に思いついたのは結婚、ないしは熱愛報道でした。アイドルという立場上、やっぱりそういうことについてはとてもセンシティブというか、意見も割れるし…‥と思ったらどうやらそうではないらしく。続けてオリコンニュースからの通知に流石に声を漏らしました。

www.oricon.co.jp

 

河合郁人 脱退』この言葉は流石に想定外で、勝手になんというか河合さんってグループを辞めないというか「アイドル」という立ち位置を止めることはない人という認識を持っていました。もちろん、私の一方通行的なもので。なので、仮に自担(橋本くん)が辞めたとしても河合さんはやり続けるだろう、みたいなことは以前から友人たちとも話していて、なんなら全員一致で彼は辞めることはないかな。という見解をもっていました。

それが大きく覆されて、驚くとともに真っ先に友人の合流を決めました。彼女は河合担であり、自分をA.B.C-Zというコンテンツに引っ張り込んだ人でもあります。悲しいかな、社会人なので仕事をひたすらして、納得いかない気持ちと「どうして」という混乱と、でもそれでも「進みたい」という気持ちを尊重したいという考えが駆け巡っていました。あの日食べた焼肉の味は多分忘れない。

 

世の中ではいろんなグループのメンバーがいろんな進路に進んでいます。その中で、一つのグループの、一つのメンバーが進むことをまた選んだという話に過ぎないのかもしれません。ただ、ファンの一人としてはただただ驚きで。絶対はない。そんな当たり前のことを改めて突きつけられたような気がしました。

 

記している私自身は過去に応援していたグループのV6が解散という道を選んだときのことを思い出しました。今はそれぞれのステージで輝いています。気づいたら井ノ原くんは事務所を支えるポジションにいて、本当に月日というものを感じているばかりですが……。

amanatsu0312.hateblo.jp

 

河合くんの選択は、V6の時のものとは違いました。解散はしない。自身は自身の道をいく。でも事務所は辞めない。近いイメージになるのは岡本圭人さんやかつて所属していた山下智久さんみたいな感じなのかな、というような漠然としているものでした。

誰か一人が辞めるというのなら、解散を選ぶ、というグループもあれば、あえて屋号を残す、というグループもあります。先ほど記したV6と、同期にあたるTOKIOがそんなイメージです。どれがいい、悪いではなくて、彼らはそれを選んだ、ということなのかな。そんなふうに考えています。

 

ファンとして思うこと

まず第一に、もっと結果を出せていたなら、A.B.C-Zがドームをいっぱいにする国民的スターアイドルだったら、この選択はなかったのかもしれないな、ということです。

他の諸先輩のようにアイドルをしながら司会業を磨いていくということもできたんじゃないか?という言葉に私も頷いていますし、それができる人だとも思っています。でも、彼の選んだ決断の中に「そこに自分が辿り着けなかった(至れなかった)」という不器用な選択にかなりショックを受けました。

河合さんは物真似というご自身の個性を伸ばしてA.B.C-Zというグループが「存在する」ということを多くの人に知らしめるきっかけを与え続けてくれていて、大変貢献してくれていたと思います。世の中には星の数ほどアイドルがいて、魅力的なコンテンツがたくさんあります。

二次元も、三次元も、それ以外も。たくさんの趣味も多種多様化している中で「この事務所にいるからみんなが知っている」というわけではなくなっています。時代の変化で、テレビだけではなくインターネットや選択肢が広がったがゆえでしょう。

だから「誰?」ではなく「ああ、河合くんのグループか」という認識に辿り着けたことってとても大きなことだと思います。塚田さんがSASUKEやアウデラに出て、バラエティの金髪!筋肉!塚ちゃんです!で広がっていったときも同じように思っていました。

けれど、A.B.C-Zは決して優等生というグループではないです。これは本人たちも口にしてきています。河合さんが売れないという自虐を過去にしてきたことを他のファンの方が掘り起こしてもう聞かなくて済む、という言葉を聞くたびに「言いたくて言ったわけではない」と私は思っています。事実として他のグループとの差は歴然で、現実問題として10万が程遠すぎるグループです。

でも、A.B.C-Zというグループは素敵なグループで、だからこそ大切にして欲しい、宝物だからこそ胸を張って欲しいという気持ちもわかります。ゆえに河合さんも近年は不必要な時に言っていなかったというような印象があります。

 

仮に河合さんが尊敬してやまないSMAPのように、嵐のようにグループの知名度もあって認識も強かったら違ったんじゃないかな、とも感じています。もちろん、グループの色は千差万別で、個性だから違うんですけれども。

でも、そうはなれなかった、または、なれていない、が今のA.B.C-Zです。

でもそうはならなかった、ならなかったんだよ、ロック。だから--この話はここでお終いなんだ。

かつてそんなふうに言っていた作品がありました。そう、所詮もっと○○だったら、はたらればです。もしもなんてない、目の前にあるリアルが全てです。

でも、もちろんこの部分は作中のキャラクターと違って生きている彼らの未来はわからない。これから変わっていくかもしれない。そして1人のファンとして今もなお未来が変わっていったらと願っています。それでも、現状として「数」として彼らを測られた時の結果は目に見えています。ご時世とかいろんな理由をつけても、ファンの絶対数や購買状況を鑑みて「売れていない」と突きつけられてしまいます。悔しいけど。

 

A.B.C-Zがキラキラ輝くステージは東京ドームではない。

5周年の時に10周年には、と話していた彼らのことを思い出すたびに、そこに連れて行ってあげられなかったことへの申し訳なさとファンとしてまだ何かできたんじゃないか……というような揺れ動きがあります。毎回この話をするたび、事実を目の当たりにするたびに打ちのめされます。

ファンができることなんてたかが知れていて、慈善事業じゃないからこそお金を出さないと続かない。そんなことを思う一方で強制ではない、のジレンマというのは常あるな、と思うばかりです。人には人の。でも私はそ彼らの明日に続けたい。どうしたらいいんだと思ったときに矢張り資本主義の日本社会に属している以上コツコツでも買うことが一番なのかな、とかも考えています。

A.B.C-Zはどの曲も素敵で、どのパフォーマンスも輝いていて、彼らを包み込む雰囲気も愛しいものです。それでも「辿り着けていない」「KPI(KGI)が未達成である」という、営業成績で数値としてみると、言い返せないものもたくさんあります。

 

それでも、5人は、河合さんはファンに向けて愛を口にしてくれていましたし、感謝を口にしていました。数が出ないことが事実だというのであれば、彼が向けてくれたファンへの感謝も間違いなく事実で、築いてきた時間も確固たるものです。自分たちがファンをしていて悔しい思いをすることもあるかもしれない、と彼はよく口にしていました。

音楽番組に彼らだけがスキップされる。小馬鹿にされる。ジュニアのファンの人に枠を譲れと言われる。売れていないならいらなくない、などなどいろんな言葉がありました。それでも私はどこのグループが好きか、と言われたらやっぱりA.B.C-Zかなって言い続けたいです。

 

裏切り、嘘つき、いろんな言葉が飛び交って、過去の言葉一つを錦の旗のようにして言われるたびに私は私が見てきた河合郁人という偶像から与えられた幸せを嘘であったと認めたくないし、その「嘘」は本物として私の中で受け取っています。

嘘はとびきりの愛、そんなふうに今話題の「推しの子」という作品で触れられていますが、実生活や思考はファンにはわからないからこそ、パフォーマンスや言葉でもらったものを私は「永遠」として受け止めています。いつかもらったパフォーマンス、キラキラした輝き。イベント、ハイタッチ、ファンサービス。いろんなものをもらいました。感情が揺さぶられたことも遠い日々の思い出にあります。

 

私の好きなアイドル哲学作品として「少年ハリウッド」というアニメがあります。ファンとしてのあり方、また、彼らの偶像としてのあり方みたいなものについて、このアニメが私の指針となっています。

永遠なんてないと自覚した上で築いていく少年たちによるアイドルストーリーですが、この中である過去のアイドルと今のアイドルによる対話での言葉を思い出しました。

君がずっとアイドルでいられるよう僕も応援するよ。だって僕は君のアイドルだからね。

図々しかったかな?

君がいるから、僕もかろうじてまだ自分のことアイドルって言っていいかなって。

(少年ハリウッド -HOLLY STAGE FOR 50- 第17話 より)

河合さんがA.B.C-Zという道から違う道を選んだとしても、河合さんは河合さんのことを求める人が居続ける限りアイドルです。そうであって欲しい。だからこそのゴゴスマで口にした「全てを辞めるとは言っていない」ということと「求める人がいたら」というキーワードが繋がっていくのかなとも考えています。

仮にそれが歌って踊ることをやめてしまったとしても、求められ続ければ、そこに「偶像」としてのアイドルはいるものなのかもしれない。

 

少年ハリウッドの同じ話数で「アイドルがアイドルじゃなくなった時について」「己のスキルを磨くことについて」も触れています。SMAPもV6も嵐も突っ走っている時代なのによく本当にこんな核心に触れる話を作ったなと今でも感じます。16話の遠くへ遠くへ幸せなかけらをばら撒き続けて欲しいというファンの願い⇔カケルの「近くにいたものが遠くなることが本物ということへの恐怖感」も好きなのですが、諸々含めてやっぱり少年ハリウッドは良い作品だなとしみじみします。物語でありながらリアルに寄り添った「頑張ったからといって叶うばかりではない」を如実に表現している作品です。

 

 話がそれましたが、私は彼に対して「いやそれ言い方……」という気持ちもある部分も否めませんが、目指すと決めた彼の道を、見送る側または見ていく側としてなれたらいいなあと願っています。

うまくいくかはわからない。でも、アイドルとして培ってきて、与えてくれたものを否定もしたくない。間違いなく彼はアイドルで、間違いなく与えてくれた幸せは自分にとっての本物です。

「4人が売れなかったら彼のせい」「彼がいなくなって売れたらやはり彼はいらなかったってこと?」というような言葉をナイフのようにして傷つける意見もありました。

私は橋本くんを自担として据えていますが、彼の世界のなかにある、彼と関わっていくA.B.C-Zの一人ひとりが好きなのと、基盤として作ってきた年月があってそこにさらに重ねて行く日々が生まれると思うので「4人のA.B.C-Zが売れて欲しい」と思いながら「自分の道を進む河合さんにもたくさんの幸せが降り注いで欲しい」と願っています。

河合さんがメンバーととことん話し合って、とことん向き合って、考えて、その上で選んでいったのであれば、そして、彼らが背中を押すと言うのであれば、それがつまるところ結論なんだろうな、とも。

 

まあもちろん一方で、彼が築き上げたアイドルとしてのポテンシャルや磨いたものは彼ならではのもので。模倣を重ね、オリジナリティを積み上げて彼らしくあった河合郁人というアイドルがA.B.C-Zというグループで、あんなにもドームに立ちたいと言っていた彼に、「A.B.C-Z河合郁人としてドームに立たせてあげられなかった」「ドームに立つことを諦めて、別の道を歩く決断をさせてしまった」ということは悔しさと歯痒さはあります。あんなにアイドルが似合う人なのに!とも。

何年も前から考えていた、と言う発言もでもちょっと分かるんですよね。自分が転職する時も今いる会社にいながら「そろそろ転職しようかな」とぼんやり思ったりとかしますし、周りが変化を遂げている中でじゃあ自分はどうやって生きていこうかな、と思うのも、まあ自然といえば自然ですし。

河合さんがやりたかったことはSMAP×SMAP嵐にしやがれみたいにゲストがいて話を聞いて引っ張り出していく、「聞く人」になるのかな、とも思います。

私は彼のことをファンとしてしか知らないし、これからもそうでしょう。これは自担でもそう。当たり前のことです。板上で輝く彼らを見て好きになって、いろんなことを経験させてもらって今日に至っているので、矢張り好きな姿はと聞かれれば彼らが彼らとしてあるステージで輝く姿です。その派生としてあるのかもしれない。いやでも、彼らが彼らとして個人でやりたいことがあることを否定なんて誰にもできないもので、自分が転職するときに誰かになんやかんや言われても、でも、ってなるよね、とかぐるぐる巡っています。

 

うまく折り合いがついて、振り返ったときにみんながそれで良かったんだと笑える日が来たらいいな。そんなことを願いながら折り合いのつかない自分の心とせめぎ合っている日々です。

TOP