堤真一氏、橋本良亮氏によるお芝居「良い子はみんなご褒美がもらえる」を観劇してきました。
パルコステージのお芝居を見に行くのはちょっと久しぶりで、応援している人のお芝居に「うわ~そっか~!嬉しいな~!」という気持ちと、「どんな形になるのだろう」というワクワクとが相まっていました。
この情報が出たときにとても驚いたのと同時に「橋本君のお芝居かつ、つ、堤真一さんを生で見れるぞ!」という喜びがめちゃくちゃ出ました。
何かと堤真一さんの作品は耳にしているし、ドラマ、映画では拝見しているのに彼のこの業界に対して足を踏み入れた根底にある「舞台」としての「舞台俳優堤真一」にふれる機会がなかったので、とても嬉しくそわそわしていました。
で、せっかく見る上だから、きちんと自分なりに作品を理解できればと思いいろんなことを下調べしつつ(全く英語できないという問題点がある)、色々読み解いてきました。
作品としては75分しかない中で、どのように作品を走り抜けるのか――……そんな期待と不安をベースに、いろんなことを感想として述べていきたいとおもいます。
何がすごいって名探偵コナンの映画より短いっていうこの衝撃ですよね。マジか~って驚いたけどめちゃくちゃ濃密だった。あっという間だった。
なお、ネタバレ満載ですので観劇後をお勧めいたします。
事前情報収集/ 「良い子はみんなご褒美がもらえる」
原題は『Every Good Boy Deserves Favour』。
これは、五線譜を覚えるための英語の語呂合わせを意味しています。
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- 作者: Tom Stoppard
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電子書籍(Kindle)、ペーパーバック、そしてハードカバーでそれぞれ販売されている同書。
これを手にとって本当に驚きの英語力のなさながらもどうにかこうにか文字を追いかけて読み込んでいったんですけれども(英語できない)、言い回しも含めて当然ながら「現代アレンジ」「言葉の違い」みたいなものを感じているのでどうなるのか楽しみだったりする。
で、五線譜の流れで調べてみたんですけれど音楽のすべてのベースが「ラ」であり、その「ラ」=「A」なんですよね。そこから
- ラ=A
- シ=B
- ド=C
- レ=D
- ミ=E
- ファ=F
- ソ=G
ってなっていくんですけど。それを「どこ」に「何」が来るかを覚えるのが”Every Good Boy Deserves Favour”って覚え方らしい。そもそもこれを聞いて調べたら真っ先にムーディ・ブルースの「童夢」が出てきてしまったので(同じタイトルのアルバム。これはこれで好きだなって折角なので聞いた結果楽しめた)あちらではスタンダードだらしい。音楽に関してはあまり詳しくないので「そうなのか」祭りである。
Every Good Boy Deserves Favour
- アーティスト: The Moody Blues
- 出版社/メーカー: Polydor / Umgd
- 発売日: 1997/05/20
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この言葉じゃなくても覚え方は色々あって、例えばEvery good boy does fine.もその一つだし、結構色々あるらしい。また、こっちもこっちでそういう曲名が有る。
で、結構調べてみたら本当にそういう覚え方があるらしくて「へ~~~」ってなりました。
「良い子はみんなご褒美がもらえる」の公式ホームページで「一夜一代に夢見頃」という言葉でルート2を覚えるっていうのと同じ感覚って言われて「なるほどまったくわからん」ってなったので、自分なりの解釈を探してみたところ「九九の日本人の覚え方(呪文のようににいちがに、ににんがし、みたいな)」とか、そういう感じらしい。
確かに昔ドラえもんの九九数え歌で覚えた記憶がある。
似たようなかんじのものが大山のぶ代さんであったのを鮮明に覚えている(世代が割れる)
あとは年代とか覚えるとき語呂合わせで覚えるから、そんなかんじなのかなと。
意欲に燃えるコロンブス(1492)とか。鳴くようぐいす平安京(794)とか。あんなかんじ。実用性と言われると音楽みたいに即っていう感じじゃないけれど(笑)
ホトトギスのキャラクター診断(?)じゃないけど「鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥」の派生で「燃やせ!!!!」って主義の信長公と、鳴かせてみようってアレンジ加える秀吉公と、耐えるのだ…の家康公っていうあの戦国時代から江戸時代へ駆け抜けた英傑たちを覚えるときにやったな~っていうあれです。
「誰でも知ってるけれど、じゃあなんで?」って聞かれて「いやまぁそういうもんだよね」っていう状況がそもそも疑問に持つことの重要性を主張しているのが今作かなという印象を受けました。
覚え方の一つ。ドレミの歌はサウンド・オブ・ミュージックからだけど「そういうもの」として認識している。でもそれでいいのかなあ、誰がそれ決めたの?どうしてドーナツじゃなきゃいけないの、ドラえもんのドだっていいじゃないかっていう(いやこれはサウンド・オブ・ミュージックの歌詞という明確な理由があるからいいのかな…)あれそれなのかなあとか。
「Every Good Boy Deserves Favour(良い子はみんなご褒美がもらえる)で覚える」「なぜ?別の覚え方ではいけないの?」「いやそもそもなんでEから覚えなきゃあかんねん」とかそういうかんじかなと。哲学的というか自分の概念に疑問を抱くというか「なぜそれを思ったのか」「どうしてそう”なる”と縛られているのか」という問いかけが如実に出ています。なるほど絶対頭つかう。75分の間に絶対考えてわからなくなるやつだっていう(笑)
こちらはMichael Billington氏(@billicritic)によるロンドン公演にてのレビュー。
英語ができないなりに訳してみたんですけれど、「オーケストラ」との融合と示唆されやイワノフという存在が「自信が精神異常者であると認めるだけで物事は済む」という状態の話…という状態にもかかわらず彼がなぜ受け止めないのかということをどちらかというと「視聴者」「大衆」の我々に考えさせるように作られているのかなと感じました。
だから、今作の主役は「アレクサンドル・イワノフ」という二人の男で、その二人の男が示唆するものはそれぞれの魅力は絶対的に相容れないものであるとともに求められているもの、像は大きく異なっているのではないかと。
事前調査(2)キャスト・スタッフのそれぞれの解釈について
ウィル・タケットのコメントから考える”時は来た”
今作は海外の方による演出となっています。ウィル・タケットという方が演出に携わっています。
このウィル・タケット氏は振付師でもあるということから、もうなんかこう、まるっとおまかせ感がすごい感じられてびっくりした。
海外の人だからというつもりは1ミクロンもないし、日本の演出家は日本の演出家で良い部分もあるし、苦手な部分もある。そりゃ人間だから、当たり前だ。
で、調べてみたら調べて見るほど、彼の言葉に私は引き込まれていきました。この編集さん(ライターさん?)の日本語の使い方が美しいからかもしれないし、そうじゃないかもしれないけれど、とにかく私は上記の文章を読んで真っ先に奇跡体験アンビリーバボーの吹き替えやってる人の声で再生されたし、何ならNHKとかのドキュメンタリー番組の吹き替えをしている声優さんの声で再生された。自分が声優というジャンルのファンであるからかもしれないけれど「海外だから」という理由だけではなく、ウィル・タケットという人に魅力を感じたからかもしれない。
この作品には、ある真実を提起しながら、そこに突っ込みを入れ、登場人物たちがそれぞれ置かれた環境において何を信じるべきか、混乱させていくようなところがあります。
例えば、ここにツイートするのが好きな指導者がいるとしましょう。そして、発言とツイート内容とが異なるとする。もしもこのような政治家の支持者だとしたら、その矛盾とどのように折り合えばいいでしょうか。
(上記URLより)
これで感じたのは「内弁慶な人は結構いる」ということ。Twitterで御高説を垂れる(言い方に悪意がある・笑)タイプの方が、実際にお会いしたら他人に流されてしまうタイプの人もいます。実際自分の意見を持っていると思った人と映画の話をしてみたらその「好き」と言う人の意見と「苦手」という人の意見でひっくり返る、というパターンもあります。これは少し違うかもしれないけれど、「実際に会ってみたらぜんぜん違うタイプの人だった」というのはさもあることです。
でも「その両面とも、その人がその人たる個性」であることは間違いなく、じゃあ「どちらが本当か」と考えた時、どちらも本当であるわけだから、自分が信じたらいいのはどちらなのだろう??ってなった途端に一気に袋小路になるんですよね。なるほどさっぱりわからん。みたいな。
今作品は「オーケストラは”い”るか」というものなわけで、自分はまっさきに思ったのは「オヤシロ様はいるか居ないか」とか「魔女は”い”るか」という部類なわけですが。あのへんを思い出した人が自分の他にどなたかブログをあげてくれたり考察を上げてくれないかと僅かな期待をしています(笑)
魔女は”い”るか否か。このへんは竜騎士07氏が作った「うみねこのなく頃に」に該当するのですが……。ベクトルがちょっと違うかな…?いやでもそれを「妄想」ととるか「リアル」ととるか。「手品」ととるか「魔法」ととるかで物語は大きく変わるという意味合いでは同じなのではないだろうか、と考えているわけです。
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ストーリーにおける提示は赤文字で表現される「赤き真実」*1なのだとしたら、アレクサンドル(堤さん)の考察は青文字なんだろうか、とか。そんなことを考えたり。オーケストラは”い”る。これなんだろうか……。
まぁそのへんの脱線はさておくとして。「時は来た」って言われるとすごいそわそわしますよね。なんにせよ、今作において「今の日本だから」という言葉をタケット氏は言葉にしていて、それは今回のプロデューサーである福島氏との対談でも見て取れます。
彼らのインタビューにおいて興味深かった今作における「通ずる普遍性」というポイント。これは「いつの時代でも 変わらない」という伝えたいもの、伝えるべきものを考えながら同時に「汲み取る」ものが人によって変わってくるんだろうなとも。
信じる自由、考える自由、実際に行動する自由、自由にもいろいろあるわけで、この作品が提示する自由の幅が実は非常に広いのではないかと思うので。幅広い層、世代に観ていただけたら幸いです。
(福島氏のコメント。上記リンクより抜粋)
老若男女問わず、子ども、大人問わず、見た上で物語について「視点」が変わることで見えるものも大きく異なるんだろうなと。
ある種の軽やかさをもった作品ですが、観終わったとき、観客があれこれ考えざるを得ない作品であるとも思っています。これまで信じてきた足元、土台が覆されるようなところもあるというか。
帰り道の電車の中で、ついみんなで語り合いたくなるような作品だと思うんですね。ここに登場してくる人物は誰一人として間違ったことは言っていない。大人はついつい、親として子供に正しい意見を言いたいと思うかもしれませんが(笑)
(ウィル・タケット氏のコメント。同上)
また、キャスト陣やタケット氏のやりとりは稽古場の光景も同じく取材されており、その姿を追うことができます。
稽古場の空気感は非常に緊張感に溢れながら「自分がどう舞台であるべきか」「何を考えていかに動くか」を主題として求められているようにレポートを見ながら感じました。
また前の場面の小道具を次の場面に移る際、ステージ上からいかに自然に消すかという、芝居ではよく発生する問題では、堤が手にしていたある物をそこにいた橋本にとっさにポンと渡して自分はステージからハケ、それを持ったまま橋本が後を追う、という台本にはない動きを見せるとタケットはじめ全員が大笑い。堤も「……ってのはどうですか?」と言いつつ笑っていた。
(同上リンク先より)
一方でこのようにコミカルなやり取りも行われており、非常にプロ意識が高い空間だったのかなと印象付けられました。
タケット氏のやり方は「まずどう思うか」っていうポイントを上げていると堤さんたちのインタビューにのっていましたが、今作の「良い子はみんなご褒美がもらえる」という世界観、内容の濃密さ。あと演者彼らが口にする「だって全然わかんないもん」が、逆に言うとチャレンジ精神に変わっていくさまに期待しちゃうんですよね。
ということで、以下、俳優陣について。
今回は主演である堤真一氏と、橋本良亮氏、小手伸也氏の3人について調べたり考えたりしたのでその3人について。
堤真一という舞台俳優の”目線”
舞台評論家の方が堤真一さんに行ったインタビューも非常に興味深く、彼の「芝居に対する考え方」みたいなものが垣間見える気がしました。
私は彼について深く知らないし、好きな作品はって聞かれたらやっぱり「やまとなでしこ」と「ビギナー」で(これだけ見るとめちゃくちゃフジテレビが大好きな人みたいであれである)、「フライ、ダディ、フライ」は言わずともがな名作だし、「SP」という躍動感あふれるなかでの堤真一氏のお芝居はギラギラ光っていた。
それに私はNHK連続テレビ小説が大好きでその中でも昨今ウイスキーブームの畑といっても過言じゃないくらいの影響力を持った「マッサン」は外せない。大将!!!大将!!!大好き大将!!*2
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何度目だやまとなでしこってフジテレビの再放送がされるたびに言われるし、矢田亜希子さんが「私堤真一さんに振られる確率が高い(笑)」っていつぞやに言ってた記憶があるんですけれど*3、それでもやっぱりあのなんかいい具合のトレンディドラマ感が好きでして。時代の差はあるけれども。
ビギナーに関してはDVD-BOX買ったぐらいには好きな作品なので、もう何度でもいいたい「妥当です」。松雪泰子さんとの掛け合いがすごく好きで、また一方で社会経験者としてのミムラさんとの視点の切り替えというか…ああいうお芝居って「自然体」だからこその難しさではないかなあ。距離感が程よくて本当に好きなドラマでした。
映画でいえばさっきも言ったけれど「フライ、ダディ、フライ」のあのうだつの上がらないトーチャンがここまでって下りが大好きだったし、岡田准一くんの細さに驚きながら(今見たら本当に雰囲気が変わったなとしみじみする)、映画として良い出来だったのを忘れていない。「ALWAYS 三丁目の夕日」の圧倒的な「昭和のお父ちゃん」というコテコテ感よかったし、もちろん原作とは違うながれだしろくちゃんのギャップも色々合ったけれど(堀北真希ちゃん当時のおぼこさから現在に至るまでのギャップすごい)好きだったし、須賀健太くんと吉岡秀隆さんの親子愛めちゃくちゃ好きだし、こうなんだ…映画としてほっこりする優しい気持ちになるなかでの「家族愛」みたいな普遍的なテーマがすごい未だに好きだし、たまに見返したくなる。
今度、彼は映画でいえば「決算!忠臣蔵」で大石内蔵助良雄を主演で演じるわけなのですけれど、奇しくも今回の共演者である橋本良亮くんも一緒に出る。世の中どういうところでつながるのか不思議でしょうがない。この映画の監督は「ゴールデンスランバー」と「殿、利息でござる」の中村監督なので、私はめちゃくちゃ楽しみにしている。「殿、利息でござる」も金銭絡みの時代劇だったからこそ、ワクワクしているし、大石内蔵助という人物像と吉良上野介義央との関係というのも興味深い。吉良上野介って名君と呼ばれていたからこそ、視点が変わることで全然違うのが好き。
ところで全然関係ないけれど吉良上野介って書きたいのにパソコンで打ち込む途中でうっかり「吉良吉影」って打ちかけるのは多分絶対私がジョジョの奇妙な冒険が好きだから。どうしてくれるんだジョジョよ…。「決算!忠臣蔵」とにかく楽しみにしています。その上で「良い子はみんなご褒美をもらえる」という作品が非常に楽しみで楽しみで楽しみだったわけだ。なにせ、自分が映像でしか見たことがない俳優の「生の息遣いが見られる」から。ありがたい話ですね。
話を戻しますが堤真一さんの演じられるキャラクターというのは皆血が通っていて、こう思うっていうスタンスの、それこそコミカルだったりシリアスだったりキャラクター性が豊かな人である印象が私の中で強いです。
そんな中で今回のアレクサンドル・イワノフについてのコメントは「怒り」という部分を指摘されていました。
自由のために闘っていてそのために拘束されている人間なんです。だから、役柄的にはシンプル。ハンストっていうのはちょっと、想像を絶することですけどね。
でも、それほど怒りがあるということだと思うんです。空腹って、そうそう我慢できるものじゃないと思うんですよ。『明日のジョー』の力石徹の減量じゃないけど。食事が与えられない環境で耐えることはしょうがない、どうしようもないことですけれども、目の前にあるのにそれを我慢するという意志、飢えに対する強い居方というのが、すごいなと。
(中略)
政府や政治に対するすさまじい怒り、人間の尊厳にかかわる怒りを感じている人ですからね。僕だったら普通に、あ、すみません、間違ってました、腹も減ったし、子供に会いたいから、帰らせてくださいって言いそうですけど(笑)。
(堤真一インタビュー~音楽と対峙するトム・ストッパードの異色作『良い子はみんなご褒美がもらえる』に挑戦 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス より )
「ごめんなさい間違っていました」と言えば出られるという言葉を聞いて真っ先に遠藤周作の「沈黙」*4を頭がよぎりました。
意味合いは違うけれどもあれもまた「転んでしまえば命は助かる」という意味合いで一緒なわけで……アレクサンドル・イワノフという男のそれでも「しない」という選択肢、意思を見られるのが楽しみです。
また、此方の記事で今作の「オーケストラ」との重要性のポイントを語っているのが非常に興味深いです。
オーケストラとかミュージカルを普段やることがないからこそビビってる(笑)とお話している堤真一さんがこれからどんなお芝居をするのか…というわくわくを込めて下調べをすればするほど魅力的にうつるんですよね。
また、堤さんは舞台というものに対して「戻りたくなる場所」「これをやりたいと初めて思えたもの」と称していました。
堤:僕は人生で「あ、これをやりたい」って初めて思えたものが舞台なんです。体を動かすのが好きだったから、まずアクションを始めたんですが、そこでたまたま坂東玉三郎さんの舞台の黒衣を手伝う機会があって。本番が始まったら衣装からセットから照明から見たこともないくらい美しくて、また泉鏡花の「天守物語」だったから幻想的で。うわぁ、こんな自由に飛躍していい世界があるんだって感動して、この先ずっと舞台に関わりたいとそこで思ったんです。その強烈な体験は残ってるし、やっぱり今でも戻りたくなる場所なんでしょうね。
(堤真一×橋本良亮が挑む難解戯曲「役作りはしない」と語る、その真意とは (3/3) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット) より)
だからこそ「戻りたくなる場所」である舞台で、”社会派”といわれるものになる本作がどのように描かれるのか。どのように演じるのか――……乞うご期待と言われる度に「よっしゃ~楽しみだ~!!」ってなるわけです。
また、関西のお人で快活なお人柄であるとともに時折見せるダークな部分は今作におけるアレクサンドル・イワノフという人物の「怒り」と「伝える・貫く感情」を描くのか非常に興味深いんですよね。
橋本良亮という人の見つける”可能性”
このブログを読んでくださっている方からすると「橋本良亮のファン」であることはいまさらだし周知の事実であることは間違いないかと考えますが、その上で興味深かったのは堤真一さんとの対談。
橋本:僕も最初に読んだときはちんぷんかんぷんで、5回目くらいからようやく頭に入ってきて、でももっと読んだら、お客さんは僕の味方だなと思いました。オーケストラは僕が演じるイワノフの妄想かもしれないけれど、実際には会場のお客さんからは見えている。堤さんはオーケストラなんて見えない、いない、と演じないといけないから、僕のほうが演技がしやすいんです。
(https://dot.asahi.com/aera/2019041100030.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=socialより)
橋本君はコインロッカー・ベイビーズでプランを作る時「その時、その時でハシ(ないしはキク)の方向性は変わる」タイプだと私は感じていて(実際一緒に演じていた河合郁人氏いわく正直恐怖感《畏怖に近いと思う》を感じるぐらいにハシがその時々に変わる部分があると話していました)、そんな彼が「イワノフ」という登場人物を演じるのはどんなふうになるのかというのが興味ぶかかったです。
以前ファンからのQ&A*5にて、「次はどんな役をやりたい?」に対し「次はメンヘラ」とお話していた後にハシの再演が決まって今回のイワノフになったので「どういうふうにやるのか」何を感じるのかっていう興味深さがあるなかで「お客さん(大衆・視聴者)を味方につけた」上での芝居というのがとても感心がありました。何をどう味方につけて、どう取り込んで、その空気を自分のものにしていくのか。
橋本くんの板の上でのお芝居っていうのは非常にナチュラルで、個人的にはできるだけ物語がストーリー建てて進んでいきそれに合わせて動くという意味で彼に舞台をしてもらうことが好きなんですが(映像ものだとどうやってもカット割りになると思うので)(もちろんそれはそれで良いお芝居に出会えたらめっちゃ嬉しいんですけど)、今回の「イワノフ」はそれこそイメージの自由を象徴しているかのようなキャラクターなのだろうか、と思う一方で「自由」ってなんだろうと滾々と考えます。
自由っていうのは同時に責任を伴うものだと私は考えているから「自由」と「奔放」とは同じ言葉では同義語ではない、ゆえに「自由奔放」という四字熟語になっていると自分の中で解釈があるのですが……。
じゃあ一方で私が戯曲を1ミリも慣れていない英語で読み解いた(もう志半ばで倒れようとしている状態)イワノフを、橋本くんの解釈を持って演出家とディスカッションして「役作りをしないフラットな状態で稽古に臨んでそこから”演出家”や”みんな”と作り上げたイワノフ」がどんなものになるのか――……そんな意味合いでも期待しています。
彼は「お芝居」「舞台」について以下のように語っています。
自分を成長させてくれる場所ですね。本番が始まったら逃げ場がない。噛んでもどんなハプニングが起きても続けなきゃいけないから、心が強くなる。この挑戦も楽しみなんです。
(堤真一×橋本良亮が挑む難解戯曲「役作りはしない」と語る、その真意とは (1/3) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)より)
ジャニーズ事務所のお芝居やさまざまな場所で”Show Must Go On”という言葉を耳にします。同時にこれはEndless SHOCKを演じつづけている堂本光一さんのブログの名でもありますね。
意味はそのまま「ショーは続けなければならない」になるわけですが、橋本くんもまたお芝居に対して「Show must go on」という言葉に近い意味を伝えてくれています。
逃げ場がない。だからこそ「適応しなければならない」。
彼が臨むお芝居は「臨機応変型」なのか、それとも基礎がありそこに逸れることのない「安定性」のある万事見て一定クオリティのものなのか、という疑問も生まれますがそちらについては以前ABChanZooにて劇団四季のオーディションに挑戦した橋本くんを見て前者かな、と感じました。これが今作の「良い子はみんなご褒美がもらえる」ではウィル・タケット氏や堤真一氏、共演者の方々とどのように化学変化を起こすのか――が、楽しみな次第です。
小手伸也という人への"期待"
そして今作に於ける私の「ま、マジか~~!!やった~~!!」はもう一つありまして。それはそう、小手伸也さんという俳優さんについて。
この舞台について「面白そう」という気持ちになったキッカケはそりゃあもう間違いなく橋本良亮君という人にあるんですけど。
なぜなら私は彼のファンであるから。彼がでなかったらこの舞台に興味がなかったのかと言われると「面白そうだな」って思うぐらいでここまで掘り下げてあーだこーだ言わなかったとおもう。でも、それでも、知ったからには興味を持ってキャスティングをみたら、小手伸也さんがいました。
小手伸也さんについては先日、織田裕二・中島裕翔(Hey! Say! JUMP)主演のドラマ「SUITS」にてちょっとやばい蟹江先生を演じていた。すごいアメリカンだった。ちなみにこの作品はもともと海外ドラマなので「すごいアメリカン」って発想はたぶん間違っていない。
で、私がなぜ彼に対して「この俳優さん印象的だな」って思うかというと理由が3つ。
- 遊戯王5D's第一シーズンのラスボスだった(レクス・ゴドウィン超官長官)
- 仮面ライダーエグゼイドにてめちゃくちゃ個性的なキャラクター「天ヶ崎恋/ラブリカ」を演じていたから
- 本人のキャラクターが非常に面白いから
以上の3つです。
すごい いきなりの二次元の民感がやばい。自覚有る。やばい。
で、1・2に関してはもうこのツイートを見れば全部を物語っていました。
ゴドウィン「その宝生永夢という男がシグナーである可能性は?」
— 小手伸也 (@KOTEshinya) September 29, 2018
天ヶ崎恋「あいにく僕の専門は恋愛ゲームでね、稚拙なカードゲームに興味はな~い」
ゴドウィン「…(この男!)…」
天ヶ崎恋「…(声が似てる?)…」#デュエルリンクス #遊戯王5Ds #仮面ライダーエグゼイド #両方ともCV小手伸也 https://t.co/qN1tXXM32a
そもそも宝生永夢である飯島寛騎くんが「おい、デュエルしろよ」*6っていったこと自体が概ね私の中ではめちゃくちゃ笑ったし、遊戯王5D'sってニコニコ動画全盛期だったので、まぁ言わずともがなネタにされやすいんですよね。なんで決闘者なだけなのに筋骨隆々だったんだとかそういうツッコミはしちゃいけない。
でもって仮面ライダーシリーズとファンを兼ねている人は一定層います。それこそ「5D's初期の空気感めっちゃ仮面ライダー龍騎みを感じる」って言ってた人もいたし(実際はそうでもない)あとバイクに乗ってデュエルするしね*7。
ちなみにこれは「どんぐりピエロ」なんていう愛称で愛されていたイェーガー。CVはアメリカザリガニの柳原哲也氏。キャラが彼は立っていたので後々にも重要なポジションになってくるわけですけれども。イェーガーVSクロウのデュエルシーンはいつ見てもワクワクする以外の何者でもなかったので定期的に見直したくなります。カップラーメンネタは鉄板。
まぁこちらで分かる通り、遊戯王5D'sは結構ぶっとんだキャラが多くて、まぁ結果として満足さん(CV小野友樹)とか色々出てきたわけですけれども。ハーモニカ吹きながら突然やってくるインパクトは忘れない。その中にいる初期のボスとして君臨していたのがレクス・ゴドウィン長官。そうです、小手さんの役柄です。愛称は「超官」でした。
来週1/17(火)26:05~伝説の超官戦ラスト放映決定!最近小手さんを知った方は逆輸入的な楽しみ方を是非(笑) #真田丸 #生執事 #小手伸也
— 小手伸也 (@KOTEshinya) January 11, 2017
遊☆戯☆王20thセレクション【遊戯王5D’s(ファイブディーズ)】 | テレビ東京 https://t.co/4OW0b0kqxk
遊戯王20周年に関して友人たちとざわついたのは懐かしい思い出。
弟があれでそれで遊星(主人公)とデュエルしてあれでそれで、どんなキャラかっていわれると2つの神を持つ男です。(上記画像は彼らの過去が少しずつ明らかになるシーン)
いかにも!我こそは究極の神となった男レクス・ゴドウィン!詳しくは下記に色々書いてある(丸投げ)
— 小手伸也 (@KOTEshinya) January 12, 2017
レクス・ゴドウィン - ニコ百 https://t.co/FeLUF4HCp6https://t.co/cy6LAuQ6VYhttps://t.co/Hwi5nvTyhj https://t.co/zmXydg7UoA
何がびびるって本人がニコ百とかをネタにしていることなわけですけれども、レクス・ゴドウィンは重要なポジションにいるわけでそこらへんぜひ知っておいてほしいです。タッグフォースという「遊戯王キャラクターと一緒にタッグを組んでデュエルができるぞ!」なゲームにも出てきます。むしろタッグフォースが本編。
まぁとにかく遊戯王と仮面ライダーは共通のファンが多くて*8、私もそこに該当する人なわけです。だからラブリカになったときに笑ったし調べたら「ゴドウィン長官の人じゃないか」ってなってたわけです。どちらもキャラが魅力溢れてツッコミが足りない人でも有る。トークショーイベントもすごい楽しそうにしていたのを記憶している。
仮面ライダーエグゼイド ファイナルステージ&番組キャストトークショー [DVD]
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キャラが濃い。
ここに3が入ってくるわけです。本人のTwitterで各キャラクターに対して、自分の演じた人物に愛着がある人はその作品が好きな人間にとっては嬉しいものがありますよね。
ということで、「俳優として」「声優」としてドラマや特撮アニメーションで見ていて何なら大河ドラマでもキャラクターの濃さを爪痕として残していた彼を「お芝居」で、「舞台の世界」で見ることが出来るというので非常に楽しみにしていたわけです。
とかいってたらコンフィデンスマンJP*9の映画にともない、彼が主演でドラマをやるらしい。なんてこったい。
舎弟の登場が発表された段階で「ざわ…ざわ…」とまぁだいぶしたわけですが。もれなくしたのは私ですけれども*10、そのへんは流石に本人たちがTwitterでコメントしていました。
本編にライダーネタはございません。
— 小野塚勇人 (@Hayato_Onozuka) April 15, 2019
そりゃそうだ。でもこう、作品を経て数年を経てこうやってお芝居でまた共演してくれるのはやっぱり嬉しいですよね。 小手さんはこちらの小野塚くんのツイートにリプライもしており、そのへんもまだ和気藹々と、かつプロフェッショナルの一人として作品を築き上げているんだなあとなんだかほっこりしました。
「シンデレラおじさん」なんてまで呼ばれるほどお忙しい小手さんのお芝居。「舞台」という作品で見れるこういう機会。すごい嬉しいです。声優として見て、俳優として、今度は舞台で。縁ですね。
こちらテレビジョンのインタビュー。パルコ・プロデュースのハイクラスさについてウキウキされているのを見て思わずニコニコこちらもしてしまいました(笑)
――今回の役に対しての役作りは、どのようにされましたか?
役名がなく、医師というポジションだけなんです。ポジションでキャラクターを作るということは、作家はそれ以上のものを求めていなくて。
どちらかというとその人の本名や人生は関係なく、主役の人達を翻弄(ほんろう)して、動かすためのガジェットとして、存在すればいいのかなと思っていたのですが、その割にはかなり演じ手の人間性を試されるというか、演じる人によってイメージが変わるんだろうなと思います。
とにかく台本上のせりふや情報に執着するとトム・ストッパードのわなにはまりそうなので(笑)、基本なすがままにしているというか、正直会話から生まれる以上の役作りはしないようにしています。
(同上リンク先より)
このコメントにある通り、「演じ手によって医師というキャラクターの変化がある」に、じゃあ彼はどのように考えるのだろうということを考えながら観劇したい。そんな気持ちで挑んでいきました。
ところで今小手伸也さん忙しくて忙しくて「シンデレラおじさん」と呼ばれているそうですね。今はNHK連続テレビ小説「なつぞら」*11の撮影に忙しいということをお話されているのをみて今からめちゃくちゃ楽しみにしております。「シンデレラおじさん」って一体誰が名付けたのか。誰がうまいことを(笑)
また、小手伸也さんは日刊ゲンダイで連載もされているのですが、先日検索したらインターネットでの掲載もされているようでした。読みやすくて面白い記事でへえ~ってなるポイントが諸々。ジャニオタの心をつかむであろうキーワードが散りばめられていて「うまいなあ」と思わず感じたり。
直近で読んだものが此方。
真田丸でご一緒だった毛利殿こと岡本健一さんとの真田丸パーカーの結果のやり取りがあったり(オフでのやり取りが見られるのはありがたいお話ですね)、良い子~の交流も含めた飲み会があったことも書かれていました。
一緒のシーンが多い堤真一さんとも初めて悩みながらというよりも心底笑いながらシーンの話ができたし、同じくA.B.C―Zの橋本良亮くんとも、「中島裕翔とは同い年で昔ホテルで相部屋になって……(以下、バカ過ぎて書けない)」みたいな話を聞けたり(笑い)、やっぱりお酒の席って楽しいですよね!
Hey! Say! JUMPの中島裕翔くんといえば蟹江先生(SUITS)でのつながりがあるので、そういったやり取りもあったのかあとお話が聞けたり、堤真一さんとシーンについての掘り下げたお話が聞けたり(堤さんは「ぜんぜんわかんねえもん!!」といったことをインタビュー等でも言っていたからこそきっと気さくに色々なことを詰めていったのだろうなあと思います)そういう、なんでもないこと、さりげないことを聞けるのって非常に面白いですよね。
しかし毛利殿のくだりを思うと現在進行系で「なつぞら」を撮影していることも含めてNHKのご縁みたいなの感じます。マッサンも北海道、なつぞらも北海道。北海道が舞台といえど小樽と十勝できっと感じるものも違うだろうしそういったものを含めて…なんというか「いいな~~」っていいたくなります。朝ドラはいいぞ!!(笑)
そしてそこから紡がれる縁っていうのもいいなって感じます。朝ドラに特撮出身俳優出るのもワクワクしますよね。磯村勇斗君のときも「あ、アラン様~!!!」*12ってなったし「アラン様と泊さんでみね子取り合ってる…!」とか思ったりするのは先日の「仮面ライダー芸人」(アメトーーク)で言ってて「わ、わかる~!!」ってなりました。あれ多分井ノ原くんもわかるって思ってたと思う。
あるある。
「まんぷく」でも菅田将暉くんと瀬戸康史くんに「Wとキバじゃん」ってざわついたのは記憶に新しい。その後にもたくさん共演されていて「あの頃」とは違うところがたくさん増えているからこそ塗り替わって、「こんなお芝居もある」「あんなのもある」っていう羅列ができるの楽しいですよね。現行朝ドラ「なつぞら」にはフォーゼにてメテオを演じていた吉沢亮くんとビルドを演じていた犬飼貴丈君という組み合わせで”兄弟”という状態に「なん…だと…」とざわついている主に私の周りです。皆特撮をヘていろんなものを経験して、また平ジェネやジオウみたいなかんじで「こんなふうなお芝居もできるように!」「こんなに厚みが出て」とか見られたらいいな。
小手さんのコラムにはいろんなことが触れられていてその中で「小手伸也という名前よりも「演じた役」を覚えてもらいたい」という記事に俳優さんが「役名」で覚えてもらえるってそれぐらい強烈なインパクトを相手に与えられたっていうことの裏付けになるのかな…とか考えさせていただきました。 今週の格言と合わせてとても楽しませていただいております。
ということで、下調べを概ね終えた段階ですでに1.5万字という桁数になった段階で「人に読ませる気が毛頭ないのではないだろうか」とも自分でちょっと思う次第なのですが、折角なので最後まで突っ走っていきたいところです。
【ネタバレ含】「良い子はみんなご褒美がもらえる」初日観劇感想
まず第一に言えるのは今作については軽い気持ちでみてほしいというような旨をプロデューサー、演出家、キャストそれぞれが口にしていたということ。
その理由というのはやはり「社会派」に部類するであろう作品であることや、トム・ストッパードという人の難解な作品であるからというのが挙げられるでしょう。
この上で、自分なりに感じたものをピックアップして話していきます。
まず第一声、めっちゃくちゃ疲れました(笑)
75分という凝縮された時間の中で濃密すぎる内容に驚き、また同時に「何を伝えたいのか」「今のこのシーンはどんな意味があるのか」ということを考察することが非常に楽しく、また同時に私は今作において「考えるという行為をすること」を求められているのではないかと思いました。
だからこそ、「かっこよかった」「かわいかった」だけではなくて掘り下げて掘り下げていってほしくて今作を「橋本良亮」というキャッチーなジャニーズアイドルを「俳優」として起用したのかなと。もちろ名前という部分から興行収入を鑑みたという点というのもあるとは思うんですが、それでも、この作品に触れる機会をあえてああいう人を選んだことに意味があったらいいなあって思いました。まぁ個人的な願望もおおいにありますが。
アレクサンドル・イワノフという二人の男が精神病院に入れられて、その中で「自分はおかしくない」と思っている政治犯のアレクサンドルと、頭の中でオーケストラが鳴り響いているという<真の狂人>であるイワノフがいて、彼らがだんだんと共鳴しあってしまうように見えました。
また、同時に「自由」における矛盾というか違和感みたいなものがあって、今作における「自由ってなんだろう?」っていう議題を常に突き付けられて問われていたように感じます。
「詞」か「詩」か「韻」か
冒頭、サーシャにあてた手紙のような形でアレクサンドル・イワノフ(堤真一、以下「アレクサンドル」)が話しています。
「詩をね、書いているんだ。忘れないために」。
この部分、戯曲の冒頭シーンにはありませんでした。なのでオリジナルかと。
アレクサンドルはのちに医者との会話の中で言葉をつづることを許されなかった時代に生きており、ゆえに「忘れないために」と話しています。
はたしてそれはリリックなのか、ポエムなのか・・・・と考えたのですが、文中を見ていたら「rhyme」でした。
「ライム」。そう、ライム。ヒプノシスマイクでおなじみのあれ。
ライム刻まれているあれだ~~!!!!!!!!!
実際英語版を見たら、医者に「あなた何がしたいんですか」っていう話を振られたときにアレクサンドルが「過去に戻りたい」と話していて、そのときのセリフがすべてライム刻まれてるんですよね。韻を踏んでる。マイク握りだしてのソビエトデビジョンかと一瞬思った。
I want to get back to the bad old times
when a man got a sentence appropriate to his crimes-
ten years' hard for a word out of place,
twenty-five years if they didn't like your face,
and no one pretended that you were off your head.
In the good old Archipelago you're either well or dead-
And the-
(Every Good Boy Deserves Faver 608Pより引用)
注目してほしいのは一番最後。
time,crimes/place,face/head dead という、音に出すと「ライム刻んでる」ってかんじなのですが、この直後に「書くことを禁止されているから詩を書いて覚えていた」と話しています。
で、これはサーシャに対しての手紙のような詩もしかりで、すべて最後の部分が韻を踏んでいます。
この時点で「詩」としたのか「詞」としたのかはわかりませんが、英語では「rhyme」です。ちなみに「rhyme」=「詩を書く(リズムに合わせた詩)」とも意味しているらしいです。
その辺考えたら、それこそ直後に医者が「ちょっと待って~!!!今なんかすげーの見つけっちゃったかと思ったよ…」ってドキドキしていたのもなるほどなあってなりました。
精神異常なのかもしれないけれどもそんなテンポよくコミカル&シニカルに言うのアレクサンドルお前ってやつは…って思います。そりゃ医者大混乱である。
それにしたって韻を踏むということは、つまり「良い子はみんなご褒美がもらえる」(EGBDF)と一緒なんですよね。
それこそ感覚で、ライムで覚えていってるんですよね。「そう覚えるものだから」という法則をアレクサンドル自身は自分で無意識ながらも作っていってるなあって感じました。
【2019/04/22 追加】
前半、医者と話していたシーンで「rhyme」と言ってたものの後半でサーシャがイワノフと対峙している時についての戯曲はAlexander's 'poems'って書かれていて、「やっはポエムじゃん!詩じゃん!」てなったんですけど、ここがしかもご丁寧にカギカッコつけているのはやっぱり何か意味があるんだろうか…って考えて、ラストのサーシャの歌の部分、「リリック」として見たらどうなんだろう?とか色々考えてます。なるほどわからんだけどわからんを少しでも減らしたい。
三者三様すぎるアレクサンドル・イワノフ
また、アレクサンドルとイワノフ(橋本良亮)の二人は至極反応も含めて真逆でした。
- 自分にはオーケストラがいると思っているイワノフ/自分は政治的な面で捕まっているというアレクサンドル
- オーケストラが見える・聞こえるイワノフ/オーケストラが聞こえないアレクサンドル
- トライアングルを持つイワノフ/持たないアレクサンドル
- 「戦争と平和」をあえて音読するイワノフ/もくもくと読むアレクサンドル
- 薬を「飲む」イワノフ/「飲まない」アレクサンドル
- 自分の意見を曲げることを躊躇わないイワノフ/かたくなに曲げないアレクサンドル
- 人の言葉に耳を傾けるイワノフ/聞かないアレクサンドル
- バックグラウンドの描写がないイワノフ/あるアレクサンドル
- 見た目から「やばそう」なイワノフ/見た目は普通なアレクサンドル
- 出された食事を「食べる」イワノフ/ハングリーストライキの結果食べないアレクサンドル
さっくりですがまずこのへんが見ていて気になりました。
また、登場人物の一人である「サーシャ」こと第三のアレクサンドル・イワノフ。
この3人を「あえて」同じ名前にしていたというのは対比という意味があって、それぞれがそれぞれに「支配」と「自由」とともにあるように感じました。
アレクサンドルは「統制のとれたこの社会」に対してその政治批判を繰り返しており、その結果として政治犯として逮捕され精神異常者とみなされている。
またその感情に抱いているものは作中圧倒的に「怒り」です。世界に対する、というか社会に対しての「怒り」かな。これは事前に調べていたなかで堤真一さんも指摘されていた彼の感情です。
私はロシア文学において「どうあがいてもどうしようもないんだ」という部分を文学に込めているものが多い印象なんですけれど、その結果伝わってくるものが「怒り」という感情だともあると思うんですよ。チェーホフの「ワーニャ伯父さん」とか「桜の園」とか見てて「しっしんどい~~~ロシアしんどい~~」ってその暗さに心どん底に叩き落された人なんですけれども(笑)
ちょうど2年前にお芝居で観る機会があったのですが、その時の感想がそれ。
(当時見て「そりゃさ~~革命起きるよね~~そうだよね~~」と思ったもんです)
アレクサンドルはワーニャ伯父さんのような「不条理」を突き付けられたのか?と考えると彼の中での「おかしくない?」が膨れ上がって「いやそりゃ友達がああなってるけど自分的にはこうだと思うんだよね」が政治につながっていったのかな~とか。
また、アレクサンドルはレフ・トルストイの「戦争と平和」を愛読しているのか精神的支柱としているのか…という点もきになりました。戦争と平和における「生きる喜びとは何だ」というポイントについて考えているのかなっても思うんですが、作中で右往左往してどうしたもんかと悩み続ける若者の「もうみんな考えっぱなしでしんどい~~時代に巻き込まれるのもしんどい~」って小説だったんですが(※途中で結構投げ出したタイプの人の意見です)、それをああも後生大事にしているっていうのはあの時代の人々の描写として必要なシーンなのかなとも思うのです。
一方でなんか醸し出すドストエフスキー感もあって(※ドストエフスキーも政治犯として逮捕されて、しかも何なら死刑宣告まで受けてぎりぎりで生きながらえている)、ロシアの当時の背景や文学、思考を知っていたらなおさら楽しめそうだなとも思えるような…非常に不安定で不条理に対しても「怒り」を抱いている人です。
彼の友人のCは明確にトム・ストッパードに名指しされていて、それがチャールズ・ブコウスキーなんですけれども、その詩がなかなかにインパクトすごいなって思いました。また、時代的なものも含めてキャラが強い。
wikipedia調べたら(あくまでもwikiて誰でも編集できるので確証が持てる内容なのかって言われたら違うと思うんですが、情報として)下記のようなことが書かれていました。
敬愛する作家にルイ=フェルディナン・セリーヌ、ジョン・ファンテ、アーネスト・ヘミングウェイなどがいる。セリーヌについては遺作の『パルプ』の他様々な文章で語っている。ただし、ヘミングウェイに関しては、長編『詩人と女たち』で、「彼は良い文章を書くが、全てが彼において戦争である。」と主人公が言っている。これは、著者の考えともとれる。また短篇「上流階級の女」では主人公がヘミングウェイとボクシングをする場面がある。
そうかあ、ヘミングウェイかあ~~ってなりつつ。そんなCと友達のアレクサンドルのキャラが濃いのもまた必然的だなあとも思いました。
アレクサンドルの一方で、イワノフは「頭の中で音楽が鳴り響く」というイヤーワーム*13現象にも似た状態ですが、それの原因がうつ病なのか精神病なのかがちょっと不明瞭で、でもイワノフってそれに対して「いない」と復唱してといわれたらそれを享受してさくっとやるんですよね。
「やるのは全然いいんだ、いてもいなくてもいいんだ。ただ、音楽を止めてくれ」と言っている点から彼は正直自分がくるっていようと狂っていなかろうと「さしたる問題」ではないように感じられました。重要なのはこの鳴り響く音楽を止めること。(いるのだとしたらその肯定をされること)かなと。
この時点でアレクサンドルとは正反対で、アレクサンドルは「自分はくるっていない」「狂っていない友達が精神病院へいれられた、俺はそれをおかしいと思ったので触れ回った結果周りからおかしいといわれて自分もそちらに送られた」ということを話しています。
でもってイワノフは自分の中で「オーケストラがいる」わけですが、それを他人に否定されようとなんだろうと「そうなんだ、へー」ってぐらいの感覚で、彼自身の感情ってまったく見えないんですよね。どちらかというと道化というか…ピエロ感というか、薄暗さを感じます。ITのあのピエロみたいな。
笑っている。笑っているけれど笑っていない(のかもしれない)。深層心理がまったく見えないし、あえていうなら「楽」の人だと思います。
サーシャに関しては作中は「アレクサンドル・イワノフ」とわかるのがだいぶあと、それこそイワノフの手によって発覚します。学がある人、有識者の人ならわかると思うんですが私はまったく気づいていませんでした(笑)サーシャの「トライアングル」とイワノフの「トライアングル」では全然意味が変わってくるのではないかなと。
サーシャは「ロシア革命」の後における”これから”の象徴でもあります。
今と未来のサーシャに対して父親であるアレクサンドルは「過去に戻りたい」と言っている部分がある。これってすごい対比的ですよね。
それにしたって同じ名前が3人いるっていうのを見てSound Horizonの「見えざる腕」もそうだったなと(しかも親子だし)ふと思いました。ローラン…。
「良い子」と「ご褒美」って何だろう?
本作における主題に対して考えたのですが、私は「良い子」とは「アレクサンドル・イワノフ」の対義語ではなく、「秩序という枠組みがあって、それを享受した存在」こそが”良い子”と称されるものなんじゃないだろうかと思いました。
誰に対しての「良い子」か。それはたぶん「枠組み」というものではないかと。
そもそもロシア革命がおきて、今までの枠組みが外されて自由になりましたと銘打つ
↓
だけれども、新しく作られた「自由だよ」与えてくれた枠組みに対して作った人は死んだ(射殺された)、また、その枠組みに対して変だ!おかしい!いやだ!という存在(=アレクサンドル)がいて、それをたとえば処刑という形で処分すると「前と何も変わらない」という自らが作った枠組みの否定になってしまう。それは避けたい。
そもそもアレクサンドルが見た「良い子」は何か。それは彼の中にある「良い子」として貫くことなんですよね。
正義の反対に存在するのはまた別の正義ともいいますが、アレクサンドルの根底にある「おかしいと思う」という部分はあるわけで。それは彼がまた「別の枠組み」にいるがゆえの自由なのではないかと思います。
「幾何学を学べ」とアレクサンドルはサーシャに最後いうわけですが、あれもまたアレクサンドルとサーシャという狭い父と子の世界、コミュニティにおいて、サーシャの「枠組み」にアレクサンドルがなっている矛盾なんですよね。
そもそも「幾何学」ってなんだろうと考えると幾何学=そうであることが前提として考えられる学問です。
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算数っていってるけどめちゃくちゃ数学的なピタゴラスの部分とか入ってたDVDなんですけど(笑)幾何学というのはそれこそ三平方の定理をはじめとしてユーグリッド幾何学における重要なポイント「そうであるという前提」が出てくるわけです。
この映像いまだに見直してもやっぱり「なるほどね!!!ぜんっぜんわっかんね!!!」ってなったので私は文系理系問われたらやっぱり文系なのだろうと思ってます(笑)
まぁつまり「こうであることが当たり前」という学問を学べというのはそれを「そうだと受け入れて前に進む」ことであり、「これをこうであると受け止めて自分が前に進めない」アレクサンドルに対してお前~~お前だって受け入れてないじゃん~~って話にもなりうると思います(笑)でも、それを言われてサーシャはしっかりとうなずいているんですよね。
親子・家族というのは身近にある一番の小さなコミュニティで、そのコミュニティの枠組みを作っているのはだれかと聞かれるとこの作品においては「アレクサンドル」にあるわけです。で、その枠組みの中にいることでサーシャは「枠組みの中の自由」を得ているという形になる。自由の中で得られる安寧を享受するということは「絶対的な何か」に属しているからこそできることだと思います。
それは究極いけば「宗教(神様)」という存在がそうなのかもしれませんね。教えではこうだから、その分「これができる」という約束。安心感。安堵感。
日本人は宗教にあまりリンクしていないという話をよく耳にしますが、根底としてのアニマリズムとか、いろんなものがミックスされて作られている”考え方”っていうのがそれぞれあって、それがたとえば「ここではそうだから」みたいな感じになるんじゃないかなと。郷に入っては郷にした従うという言葉もありますしね。「ここ」とはどこか。それは「枠」というものなんじゃないかなと考えています。
「医者」と「教師」はそういった意味では作られた枠組みの中での<自由>を享受している「いい子」であり、そのご褒美こそが「安寧」なのではないかと感じました。
わかりやすく言うと学校の校則とかもそうなんじゃないかなと。
学校における「制服」や「髪型」についての問題視にされている部分は各校それぞれにありますが、その「校則」という枠組みがあって、その内容を受け入れ享受している人たちは一定の制限がありながらも「自由」が与えられている。一方で受け入れられない人たちは反発し、そんなのは自由ではない、と叫び、最終的には「そう思うお前はおかしい」という目で向けられやすいのかなと。
自由というのは何に対して「自由」なのかという対象となるものが出てくるんじゃないかなとこの作品を見ていて感じました。
運命を選ぶというのはまた別の運命を選ぶことで決まっている、という形にも近いのですが、無限ループというか…。
だからこそ、本作のタイトルが冒頭で話していた「Every good boy does fine.」(良い子はみんなちゃんとしている)ではなく、「良い子はみんなご褒美がもらえる」にしたのではないかな、と。ニュアンスとしてはそんなに違いはないけれども、内容のふたを開けてみたら「そ、そりゃそうだ~~」感がめちゃくちゃあります。
アンサンブル+ステージ=楽譜と見える形
アンサンブルの方々の動きと階段が組み合わさって「楽譜」「音楽」に見えるという風にTwitterでご指摘されていらっしゃった方がいて「た、たしかに~!!」ってめちゃくちゃ目からうろこでした。いわれてみれば確かにそう思う。軍人さんがベースなのにアンサンブルがどちらかというと女性が目立っていたのはそういう理由なんでしょうかね。
なぜオーケストラなのか?
友人と話していた「なんでオーケストラだったんだろう」という話。
私はイワノフが見えた「オーケストラ」というのは彼のコミュニティの象徴なのではないかなと思いました。オーケストラが見える(そこから奏でられる音が聞こえてくる)なかで、自分自身はそこの指揮者をしている。
→オーケストラという大人数のコミュニティがある。+そこで指揮棒を持っている指揮者(指示する人、命じる人、権力者?)が自分なので、彼のコミュニティと彼の枠組みが「そこ」にある。彼の主張が(いるはずのないオーケストラの人々から)肯定されるという(という妄想か?)のは彼自身が枠組みになっているというようにも見えるわけです。
しかもイワノフはアレクサンドルに「(オーケストラの連中は)みんなリュックに指揮棒を持っていて自分が成り代わろうとしている」ということを伝えています。それって「枠組みに自分がなろうとしている、なりかわろうとしている」というようにもくみ取れます。
周りにずっと否定されて「見えないよ」「ないよ」と言われてきて、それに対してさも興味なく(まぁでもじゃあ音楽消してくれよというイワノフ)「オーケストラは”い”ない」というイワノフの表情からうかがい知れないものがたくさんある。
また、一方でいない、といったのに「ある」と言った医師によりやった~~~HAPPYYYYYYってなったイワノフの周りになぜ「ヴァイオリン」を持ったアンサンブルだったのか、という点。
これについて私は「彼の肯定」をした医師がヴァイオリニストそのものだったから、という部分と(世界の肯定は、イワノフがひたすら「ねえ聞こえる!?」って聞いたりとか朗々とあいつはだめだこいつはだめだ俺は新しいオーケストラを雇おうと思っているんだ!というくだりに対しても誰も肯定してくれなかったからこその表現にも見えました)、同時に「第一ヴァイオリン奏者(コンサートマスター)」という部分もあるんじゃないかなと。
私はオーケストラに関して明るくないですが、少なからず第一ヴァイオリンのコンサートマスターという存在はオーケストラの統率において必要不可欠であると思います。
だからこそのヴァイオリンなのかなと(音が聞こえるとしたらそこから)。
コンサートマスターの役割はオーケストラの「最初の音」に対してのチューニングを行うことです。ゆえに「最初」であるヴァイオリンでのアンサンブルやイワノフがアレクサンドルをそちらの「音」へ導いていったのかな、と感じました。
楽器のチューニングの時、ひとりのヴァイオリニストが立ち上がって全体に指示を出します。それがコンサートマスターです。
( N響が贈る芳醇なひととき|NHK交響楽団 より「コンサートマスターの役割」)
また、良い子はみんなご褒美がもらえるで見てて思ったアレクサンドルがオーケストラが見える直前でアンサンブルとイワノフがヴァイオリンを持っていたのはオーケストラにおいて第一ヴァイオリンが不可欠なのと医師がヴァイオリニストだからかなと感じた。
また指揮台にラスト、ずっと立っていたイワノフが降りました。
そして、彼は「そこを去る」のです。壇上で横にいてもいいのに。空の指揮台にはアレクサンドルが登壇。指揮棒を振りかざします。
この解釈として、私は「イワノフはもうオーケストラが聞こえなくなる」のかもしれないなと思いました。逆にそこに立ったことでアレクサンドルは聞こえるようになる。
これはプログラムやTシャツでも販売されていたイラストに該当する流れなのかなと思います。
いよいよ、本日から公演始まります!!
— 良い子はみんなご褒美がもらえる (@parco_EGBDF2019) April 20, 2019
ロビーでは「公演パンフレット」と「Tシャツ」を販売しています。公演の記念に是非! pic.twitter.com/uF0Ro4keMA
二人の人間が同じものになる。2が1.5になっているというのは最初アレクサンドルは見えなかったのにそちらによっている…という答えかなと。
また、一方でイワノフが「はぁ」と大佐に伝えるシーン。あれどちらかというと「イワノフもまたアレクサンドル」に寄っているように見えたんですよね。
どちらもまた、共鳴しあって影響しあっている。そんな風に感じられました。これはプログラムにおいて一番最後のページでイワノフとアレクサンドルの「顔がぶれて”ない”」状態の取り方になっているのにも通ずるのかな、なんて思います。
「すでにあって、確立されていた人物」がぶれて、「いる」けどそれは果たして本当にアレクサンドルかな?イワノフかな?って思わせるというか。ちょっとMONSTERの「なまえのないかいぶつ」をふと思い出してぞわっともしましたが…(笑)
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【2019/04/22追加】サーシャの「歌」はどんな意味があるのか?
あくまでも「効果音」と取るべきなのかなに他の意図があるのかってちょっと引っかかったんですが、劇中3回?ほどサーシャの「パパ、いう事聞いて 全部うまくいくから」という歌があります。
私は絶対音感があるわけでもないし一音きいて「これ何の音だ」って思い出せるタイプじゃないので、とりあえず速攻で鍵盤アプリを購入。音を探してみたのですが(この間にTSUTAYAに寄っちゃったせいで、円盤が発売されたばかりのボヘミアン・ラプソディの主題曲とも言える「Bohemian Rhapsody」が流れて”ママー!!!”により音が迷子になったという)(割と心は「あの音を探してる…!!!!」ってなってました。どこのコインロッカー・ベイビーズのハシだ)。
で、一応探した結果がこちら。
「GGEAGE(ソとミとラ)」で形成されているものでした。
で、この曲が何を意味しているのかって考えたときに「悪夢を見る」という話をアレクサンドルがしているからじゃあ「音」=幻聴として「見たくないもの」「幻想」「妄想」なのかなと。でも妄想としてウロウロしている中で実際に話しているサーシャの言葉は最後の「パパ、嘘をついて 全部うまくいくから」になる。
歌詞がちょっとあやふやなんですけど、「パパ、嘘をついて」と「パパ言うこと聞いて」はあったと記憶しているのですが(ここもちょっと正直どっちが先だったかわからなくなってきてはいる)(多分言うこと→ウソをついてだったと思う)、戯曲で”パパ、嘘をついて~”は「パパ意固地にならないで(的なニュアンス)」だったんですけど、それが最後の最後に出てくるPapaは違って「Papa, Don't be crazy」なんですよね。「狂わないで」「おかしくならないで」。
しかもそれが戯曲だと最後の流れで 教師はオーケストラの中へ、医師もヴァイオリンを持ってオケの中へ、イワノフもトライアングル持ってパーカッションの中に入って鳴らしていて、サーシャもオルガンのところへ走って行きながらアレクサンドルに一度振り返って、その「Papa Don't be crazy~」の歌になる描写になるわけですよ。で、アレクサンドルが壇上に上がって指揮棒を振り上げて「サーシャ…!」ってなってるわけで。歌ってたっけ…?パパ狂わないで(仮)言ってたっけ・・?だめだ覚えていない…。
何にしても、この最後の流れをどう取るか。また、舞台で「最後大佐と先生と医師とサーシャが去って、ずっとイワノフが立っていたけどその場所を彼は降りて、去って、最後の最後アレクサンドルだけが残っての流れだったような気がしたんだけど、あれ?違ったっけ?」ってなってるんですよね。記憶が…記憶が薄れている…。
これを変えたとしたらその理由はなんだろう、ってなるし一方で、同じだったら「なぜこの件で、最後の最後に”パパ狂わないで”だったのか」という疑問が生じるわけです。
この辺ちょっと自分でももう一度見直すときに煮詰め直したい……って思ってます。
大佐の采配は「あえて」か「ミス」か
これ、見ていて友人と意見がばっさり割れました。
私は大佐が「天才」という部分が強く印象に残り(これは医師が非常に連呼していた部分がある)、友人は「でも彼は精神科医ではない」という部分を指摘していました。
そもそも「精神病院」は「監獄」なのかはたまた「市民病院」なのかという部分がありますがサーシャが「こんな監獄みたいな」というところを言っているのはアレクサンドルの意見意向に染まっているからにも見える。あとはサーシャをこんなところに連れてきたくないというアレクサンドルの主張は「精神病の人間と一緒にいると自分も精神病になって健常者も引きずられる」というような考えからなのかなあ…とか。
一方で「大佐」という言葉を何度も言い換えて「先生」となる時点から軍の指揮下にあることは間違いないでしょう。医師もまた、「雇われ医師(ヴァイオリニストも兼ねている)」で自分で決断はできないわけですし。
そのうえで、彼ら二人を同じ部屋に入れた大佐の目論見はなにか?当初から「最後の混濁」を目的としていたのだろうか、とも感じます。医師の意見を一括した点からなんですけれども。
でもそうだとしたら何のため?って考えるわけです。
私の考えとしてはあくまでも主役が「アレクサンドル」であるという点からみて、アレクサンドルという政治犯および害悪(枠を壊そうとする意味合いで)の象徴を黙らせるため、なのかなと。
まぁそのあとのことは正直どうとでも取れるんですよね。音が聞こえるようになったアレクサンドルが今度はイヤーワーム現象に近い形で「考えはあるけれど普通の人(精神病と周りには言われてしまう)」から本当の異常者に追い込んだようにも見える。
でもそれが偶然の産物だとしたら、イワノフが新たなモンスターというか政治犯として確立されていくのだろうか。かつて俺は音楽が聞こえた、というくだりで。でも一方でイワノフは「自分がどっちでもどうでもいい。」だからこそ、軍に対しての「直してくれた」という心酔に向かう可能性もあるんですよね。
だから「どれであっても正解」として描写を抑えたのかなと思います。私はあの引き際「う、うわ~~~そう終わるのか~~うわ~~~~」ってなりました。頭抱えるのまったなし。
各俳優の所感
お芝居についてですが、とりあえず事前調査の段階で話していましたが「映像作品でしか堤真一を見たことがない」私が、板の上の堤真一さんを見て、本当にひたすらに驚かされました。
やはり「戻ってくる場所」とインタビューでお答えあるだけあって、本当に聞いてて「何をどう話しているのか」という活舌が非常に良く、またやつれきった憔悴しきったアレクサンドル・イワノフという男を演じていました。
普通にみせかけた異常。内側に込める「怒り」を全身にありながら、どうにかしてサーシャに会いたい気持ちと己の義を貫こうとする身勝手さがめちゃくちゃエゴむき出してみていて好きでした。絶対この人友達になれない!!!っていうような、そういう感じが出ているお芝居圧巻でしたし、最後に指揮棒を握った時の、背中を見せた時の「に、に、に握っちゃった~~!!!アアアアア~~!!!!」みたいなかんじが背中から伝わってくる哀愁とかよりも「崩壊」に近いかんじがして、背中で芝居ができるってすごいなーって思いました。
アルカディア、栗山民也氏演出でやっていたという話をしていたので「み、見たい~~!!!」ってなっている次第です。どっかで円盤ないんですか!!!!!!!
また、共演となる橋本良亮くんですが、彼を起用したことについて感想の冒頭でもいいましたがいわゆる「客寄せパンダ」という部分があるんじゃないかと最初非常に思っていたわけです(大変申し訳ない)。
しかしながら、今作ではジャニーズ色を消すようにして今作は作られているなと思いました。それこそ御本人がプログラムのインタビューで「アイドル橋本良亮はいません」というように、俳優として彼を見るべきだなと印象づけました。
いわゆる「当て書き」かと言われたらこれはNOでしょうし、橋本君に「アイドル橋本良亮」を今作で求めているようには感じられず、観客にもアイドル性を求めてきたらしっぺ返し食らわせるぞ感があり私はそういうの好きなので(笑)印象がガラッと変わるのがとてもいいなと感じました。
で、内容についてイワノフは非常に「飄々とした」(これは医師とは違う意味で)部分と、極論言えば「精神的にぶっとんだ」人で「何考えてんだお前…」って男の芝居です。
まくしたてるようなセリフも多く、ゆえにもう少し活舌がよく、聞き取りやすくなってほしいと思う部分がいくつかありました。特にオーケストラに対してどうしてやろうか、という部分はどうやっても「まくしたてている」「こいつやべえ」っていう部分なのと何をしてやろうとしているのかっていうのがイワノフの「考え」が聞ける箇所なのでもう少し聞こえるといいなと。でも、表情や一つ一つのお芝居で「ジャニーズ」色がなかったのが私は非常に好感度が高いです。彼自身の繊細なお芝居は「DEATHTRAP」「コインロッカー・ベイビーズ」で非常に感じていたからこそ、こういったキャラクターのお芝居とのシンクロ率は高く、憑依させる、いわゆるシャーマン的「下ろすタイプ」の彼のお芝居の中で、どんどん回数を重ねていくにつれてより「イワノフ」になっていくのだろうなと思いました。
アンサンブルとのダンスシーンもありますが、どちらかというと振り付けは「ロシア」を意識して作られているからこそのバレエやコサックダンスがメインでした。
だからこそ、見終えたときに「ああ、いい芝居だった」「きっかけは橋本君だったかもしれないけれど作品の中に取り込まれていった」という感想になれたのかなと。終わってから橋本くんが、というよりも作品の考察や「イワノフが…」と話せている点で言えば私は自分自身が彼のファンでありつつも「作品そのものの世界」として見れた、雑感が取り外せたという意味でポジティブな印象を受けました。
ジャニーズだから選ばれる、でももちろんそれはそれで大事なことで興行収入とかいろんなものがビジネス上あると思うんですが、一方で「明らかに普段の客層ではない」人たちが「普段では120%選ばないであろうお芝居でも彼が出ているから見に行って、そのうえでいろんなことを考えさせられた」という結論に持っていけるというのは大事なことなのではないかな、よいことなのではないかなあ。
橋本君の「リンクさせる」タイプの憑依合体シャーマンタイプのお芝居だからこそ、今、こうなっている彼がどのように千秋楽でさらに化けていくのか・・・・という期待を寄せています。楽しみです。\よみがえれ/*14
小手さんに関しては「う、うっさんくさい役だ~!」っていう気持ちが最初にきたのですが(笑)場の空気を一気にコミカルとシリアスの間に引きずり込むキャラクターだったと思います。また、彼のお芝居も私は「板の上」ではないので、こうやって「生の声」「生の体」「リアルタイム」で動くということの難しさとその適応力について感じさせてもらいました。仮にミスをしたとしても「それすらも舞台の中の一つ」として取り込む流れが見ていて面白かったです。
原本を読もうとしたときどうやっても頭の中に小手さんの声が再生されるというのは大成功なんじゃないかな(笑)ラブリカや長官、蟹江先生のイメージが強い人だっただけにどうなるのかドキドキしていたんですが、入ってみたらもちろんそれの色はありつつも、彼のなかでの「医者」としての中間管理職みが出ていました。「枠組みを享受することでの自由を得ているタイプの象徴ながら、その枠の外に出ようとしてぶっこわそうとしている人たちに常識をもって話をする」というのが興味深かったです。
また、重要なポジションである「サーシャ」を演じたシム・ウンギョンさんに関しては私ははじめましてだったのですが、非常に「子供」という部分と「ジェンダーレス」なかんじを受けました。何にも染まらないようで、一方でアレクサンドルという父親の影響を強く受けているからこその発言になる。日本語が非常にお上手で「普段のお芝居でも日本語が多いのだろうか」と思っていたのですがそんなことなくてびっくりしました。
斉藤由貴さんに関しては舞台というより映像作品のイメージがあったからこそ(何なら小手さんとセットで「さ、真田丸だ~~」ってなった)、今作において「教師」というある意味「外の世界」の人間で、<外の教え>を守る<自由>を持った人、ご褒美をもらえている存在としての描写でした。
ぴりっとしたお芝居は「三度目の殺人」の母親を生で見てるかんじのヒステリックなかんじで、でも彼女は彼女でなぜ周りがわからないのか…というジレンマが出ているのが興味深かったです。当時のロシアの女性像が結構「こらえてこらえて本当こらえて」いるタイプか、自由人かの印象がめちゃくちゃ自分の中であるので、だからこそ良くも悪くも「THE普通」っていうのが出ていて面白かったです。
ということで、超ざっくりだし駆け足で自分の感想をまとめてみましたけど、1回見ただけじゃ拾いきれないしわからないことだらけな部分もめちゃくちゃあると思います。パンフレットもまだ読み切れていないし、せっかくなのでと図書館で「ウオオオオトルストイとドストエフスキーの本かりまくったぞイエーーー!!!」となっているので、そのへんの考えやら第二回見てきた感想まとめとかも書いていけたらいいなあと思います。
小林秀雄氏も「トルストイを読み給え」*15っていってたしね。正宗白鳥と小林秀雄のトルストイ論争もめちゃくちゃ好きだった記憶があるのでインターネットと文献で読み漁ってみようと思います。
あとこの作品、どうやっても「俳優とオーケストラのための戯曲」だし重要箇所として「オーケストラ」がいるの百も承知なんですけれどもイワノフの耳に聞こえてくる、目に見えてくる「オーケストラ」が0の状態で聞けたらまた全く別の作品として楽しめそうだなって思いました。イワノフを演じる俳優さん(今作で言えば橋本良亮くん)がめちゃくちゃ大変にさらに拍車をかけて大変だと思うんですが(橋本君は「お客さんが自分の味方」というふうに仰っていたのですが)「誰も、何も”見えない”」がベースっていうのを考えたらすっごい見かたが変わりそうだな~とかそういう感じにも思えました(笑)
フラワースタンドがきれいだったのでせっかくなので
TVガイドパーソンさんから橋本君へ。最新号拝読して楽しみをさらにさらにあげていっただけに、橋本君の撮影エピソードを聞いて「この人は本当にアイドルのときとのギャップが激しいなあ」と和ませていただいた思い出。
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見た目もめちゃくちゃ決め込んできていた田中圭さんをみて「う、うわ~~お美しい!」ってなりつつ、友人に買った?買った?と聞いたら結構売り切れがあったらしく…恐ろしい田中圭さん。Personの雑誌裏話Twitter大好きなので今後ぜひ続けていただきたい。
こちらはテレビ東京系列のABChanZooさんから。赤一色なのは橋本君のメンバーカラーが「赤」というのが大きいでしょう。
また、以前の「マスコットキャラクターについて」の義務じゃない教育で採用された橋本君のマスコットキャラクターも描かれていて(最近ABChanZooにも冒頭イラスト出ている)、これテレビ東京でグッズ化しないかなあとか印税がっぽりじゃんとか思ったりもしたんですが(笑)そのへんはないのでしょうかね。いつか前向きに検討していただけたら嬉しいなっていう。
こちらは「決算!忠臣蔵」から堤さんと橋本君へ。紅白という組み合わせで対比的なのもいいなって思うしそろって並んでいるのも見ててニヤッとしました。映画は11月22日公開ですね。スケジュールもあけておきます!!(笑)
堤さんも橋本君も今作とは全く違ったお芝居が見られるでしょうし、予告編も公開されてニコニコしております。討ち入りできない予算がたりない感、た、楽しみだ~!!
小手さんには本当にたくさんのフラワースタンドがきていました。よっ!シンデレラおじさん!!めちゃ忙しいね!!
なつぞら正直めちゃくちゃ楽しみなので十勝終わってほしくない気持ちとはやくどうなるのか見たいジレンマにかられています。
こちらは堤さん宛てと小手さんあてに鈴木保奈美さんと織田裕二さんからのお花。
織田さんと鈴木さん無意識かもしれないけどめっちゃ色合いが似てて「蟹江先生みを感じる…(笑)」ってなっていました。なんかこうここ二人が並ぶと安定感ありますよね。さすがのSUITSなのかさすがの東京ラブストーリーなのかあれなんですけど。蟹江先生のインパクトやはり強かった。
また、こちらは湖月わたるさんから。「蜜蜂と遠雷」からのご縁ですね。フラワースタンドとてもカラフルで素敵です。蜜蜂と遠雷の方々を見たのがもう1年前という現実が「嘘だろ…」と自分でも驚いています。
共演者の1人であるろみねえ今レ・ミゼラブルかあという衝撃。しかしこうやってご縁があるの素敵ですね。
>>当時の感想
これよりもっともっとたくさんのフラワースタンドや舞台花があって、写真に撮りたかったんですけど取り切れなかったの残念…!!
感想を持つことについて
今回のこの舞台については「私はこう思った。君はどう思った。なるほどオーケー!」みたいなディスカッションをしたい舞台だなと思いました。
ウィル・タケット氏も「帰りの電車の中であれはああだったこうだった~って言ってほしいな」(ニュアンス)ということをお話しされていたので、見終えて友人とひたすら「あのシーンのこれはこういう意味じゃない?」「こっちがこれかなあ」という話をしていたのですが、”考える”という機会を与えるというお芝居なんじゃないかなって思っています。考える機会があるということはすなわち、自分の中でインプットとアウトプットをすることで、誰かに何かを伝えるというのは自分の中で咀嚼して解釈をもって「こうなのかなあ」とふんわりでも教える・伝えるっていうのが必要になってくると思います。
わからなかったけど、わからないなりにいろんなことをこれからも考えていけたらいいし、同じように「わっかんね~~~わからん~~!」ってなってる人たちの「でもこうかも!?」って思った内容とかも聞けたらいいなあといろんなブログサイトさんやSNSを使って調べまくっていきたいと思います(笑)
最後になりますがけがなく大千秋楽の5月12日まで走り切れますように!
次見るまでの課題として「パパ言うこと聞いて 全部うまくいくから」というサーシャの歌(たぶん)の「GGEAGE(ソとミとラ)」にどんな意味合いを込めているのか、を考えられたらいいな~なんて考えつつ、このブログをいったんしめたいと思います。
第2回こうじゃないか大会
自分の中での意見がまあだいぶ180度じゃないですけど「こんなのもありでは?!」ってなってきたので新しく書きました(笑)
*2:マッサンでは鴨居商店の大将を演じていました。
*3:「やまとなでしこ」からの「恋ノチカラ」で安定と安心の振られっぷりだった
*4:キリスト教禁止の時代における長崎を描いた小説。映画にもなっています。
*5:2017年橋本良亮氏のブログ「Hassy's Style」
*6:遊戯王5D's不動遊星の迷セリフ。警察に追いかけ回されて捕まったときの第一声がこれだった。「お前は何を言ってんだ」と全力で視聴者を困惑の渦に巻き込んだ。でもそれが遊星。仕方ない。不動遊星そういうところだぞ
*7:ライディングデュエル・アクセラレーション!!後半になると「なんでバイクに乗らないの?」って思い始める不思議
*8:作品が違うけれど、「仮面ライダードライブ」では敵キャラクターの幹部役・ブレンのとある砂場でのシーンが遊戯王の城之内克也の「AGO之内」と呼ばれるシーン(※作画監督の加々美高浩さんが描いたことからやたら美しいともネタにされるけど渾身のコメディ顔である)にめっちゃ似てたことを散々インターネット、特にSNSではネタにされていた。結果本人(松島庄汰)くんもエゴサしており、「誰が城之内だ!!」ってドライブのファイナルイベントでネタにしていた。そしてTwitterでもネタにしていた。(https://twitter.com/ShotaMatsushima/status/637194945741254657)ちなみに彼のそのネタっぷりさもこみこみでブレンは未だに愛されているし、イベントで出てきた瞬間黄色い声より笑いが渦巻くのも本人のネタになっている。そんなブレンですが、「平成最後のライダー」で「令和初のライダー」になるのが発表されました。もはやネタである。
*9:長澤まさみ主演作品。ドラマ。この度映画化が決まりました
*10:小野塚勇人くんは仮面ライダーエグゼイドにて九条貴利矢というキャラクターを演じていました
*12:仮面ライダーゴーストにてアランという3号ライダーを演じていました。彼と言えばたこ焼き
*13:Involuntary Musical Imageryかもしれない