柑橘パッショナート

インプットとアウトプットを繰り返すごちゃまぜスタイル

「音楽劇 コインロッカー・ベイビーズ」を走りきった雑感

つわものどもがゆめのあと、なんて言葉がありますが、光陰矢の如し。

気づけば8月ももう終わりですね。まじで一瞬。秒速。

ということで、先日、コインロッカー・ベイビーズが富山公演を無事終え、全ての公演を「音楽劇 コインロッカー・ベイビーズ」は走りきりました。

まずは出演者、スタッフ、関係者の皆々様お疲れ様でした。そして共に走り抜けた観劇された方もお疲れ様でした。主演となるA.B.C-Z河合郁人さん、橋本良亮くんに取っては2年ぶりとなる今作品。

MADEの秋山くん福士くんにとっては初となるこの作品。さまざまな新しい面との出会いも多かったことでしょう。

と、いうことで、富山公演を踏まえた上での総評といいますか、自分自身にとってのまとめを書かせていただきます。

自分自身の中との葛藤が今作では非常に多く、理科の実験、結果、考察のレポートを書いているような気分でした……笑

 

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ハシとキクの日替わりW主演


中身があまり感じられないかもしれませんが、そこはまあ、ご容赦頂けると幸いです。

東京公演で見た二つの「コインロッカー・ベイビーズ」という作品についての所感は次の通り。

 

★初日~ 橋本良亮→キク/河合郁人→ハシ

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★折返し/河合郁人→キク 橋本良亮→ハシ

amanatsu0312.hateblo.jp

 


富山公演について

今回富山という場所での公演は東京を7月末に行い、8月半ばに大阪公演を行った後のものです。おおよそ10日ぶりとか、それぐらい間を東京⇔大阪⇔富山でそれぞれに空けています。
私は大阪公演を観劇していないので1ヶ月近くぶりになります。


富山という場所というと「ほう……カターレ富山のあの富山ですね……」と真っ先に思いつくのですが(白崎凌兵選手がお世話になりました)。

今回のオーバード・ホールというのは駅から直ぐそこ、なんなら直結エリアにあります*1

 

www.kataller.co.jp

オーバード・ホールにいくのは初めてで、なんなら富山もなかなかいく機会がないので「おお~」と興味津々でした。富山って何が有名なのか片っ端から調べていたよね。

 

8月18日 橋本良亮キク・河合郁人ハシ公演

所謂前楽。チケットを握りしめてお伺いしました。

オーバード・ホールは2階というか、3階、4階まである(実際は2階という見方が正しいのかな)スタイルで、上から全体がよく見える形になっている様子。で、橋本くんのキク・河合さんのハシを見るのは本当に1ヶ月ぶり以上になります。

 

初日のときに感じた何ともいいがたい「こう…こう…かゆいところに手が届きそうで……もうちょい…!」というもやもやは抑えられた気がします。

声の出し方とか、ハシのパート・キクのパートの「音の部分」で、ハーモニーとしてどう交わらせるのか、とか。その点はやはり回数を重ねることできれいな調和を生み出していて、初日のようなアンバランスさでバランスをとるという見ていて「見ているこちらがドキドキする」という状況にはならなかったように見えました。

また、河合さんのハシが「ピュア(純粋、純白)」ということを私は称していましたが、最後までそこはブレなかったように感じます。どこまでも河合さんのハシは幼くて、作品の実年齢に比較しても見ていて受けた印象は10代前半、ないしはそれ以下のような雰囲気でした。

河合さんのハシは、河合さんが小柄ということもあり、「子どもで有り続けている要素」が非常に強く感じられました。いわばピーターパン的要素が強い。

(先日の自分のブログ感想より)

自分の記事から引用引っ張ってくるとか恥ずかしいのことこの上ないですが、それでもやっぱり、「河合さんのハシ」 は、この後に感じた「橋本くんのハシ」とは《同一人物》でありながら、多分ポイントとされているところは違うように受けました。

それは彼ら二人が台本、または原作を読んだ上で受けた「ハシ」という男への解釈の違いであるように考えます。

 

橋本くんのキクに関して言うと、アネモネにおける感情の向け方が初日よりも顕著に出ている印象。このへんは千穐楽での河合さんのキクに関してでも書きますが、二人の違いが「アネモネ」という登場人物を経るとよく伝わるように見えました。人と人の接し方でいうと「ありがとう」という言葉の言い方。目線の向け方、表情。その辺が印象に残ります。

橋本くんのキクで印象に残ったのはハシがスイッチが入った状態で、「やっぱりそうなんだ、この世界を支配しているのは人間じゃなくて、犯罪者の方なんだ」という言葉からの、ハシが「ありがと!」って去っていくときの看守との攻防。

あのシーンは橋本くんのキクと河合さんのキクで大きく異なっていて、河合さんのキクはどこまでも「看守」は「上」ではない存在だなと感じ、橋本くんのキクは「敬語を使う対象」でもあるように見えました。

「待ってください、違うんです、待って、もう少しだけ、お願いします!!!」という言葉(これは橋本くんのキクがゆえのセリフでした)が突き刺さっていて、最後扉がしまったとき「お願いします……」とすべてにおいて絶望を感じる《壁》を感じる瞬間みたいなのがあるな、という風に見えました。

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直面した壁をどう乗り越えるのか

橋本くんのキク日千穐楽では、橋本くんの中でのキクが少しスカした……というか、イケイケ感が出ているように見えました。

今回の「コインロッカー・ベイビーズ」は、Wキャストで日替わりということもあり、ハシとキクを反復横跳びしつつ、振り子が以前は大きく行き来していたものが時間を重ねることで近づきました。段々と2つの役に対して近づいていくので、ハシとキクの境目が少し不安定・不明瞭になっていく。

それは、Wキャスト・日替わりであるとともに、《2つの役柄を1日という間で演じるゆえの状況》もあるのかなと。長い期間はこちら、今度はこちら、というものではないですもんね、大阪と富山に関して。

そこにコンサートを挟んだりするので、《ハシ》《キク》にプラスで《橋本君そのもの》もはいり、振り子が一定速で左右していたものが動きがまた変わっていくというか。

「役を引っ張るのが難しい」のは明確でしょう。ただ、その難しさを「楽しい」と取る人がいるのも事実です。この辺は「憑依型」と「組み立て型」の芝居をする両者がゆえにこうもはっきり出ています。

 

音響面でいうと山下リオさんについてトラブルが続いたことが不運であったように思います。カーテンコールでの表情が悔しそうでした。東京公演でも度々マイクが不調だったのですが、今回は何故か山下さんばかりのトラブルで、おそらくリハーサルのときは問題がおきなかったトラブルが生じたのではないかと推察します。

人が入って密集し、携帯電話の電源を切っていないとそういった電波障害が起きやすいんだというお話を聞いたことがあったので、そういう意味合いも含めて、最後の最後でこういったトラブルがあるのは当人も、スタッフももちろん悔しかったろうと。

 

8月19日 橋本良亮ハシ・河合郁人キク公演

すべての終わり、オールラスト・大千秋楽ということもあり、初っ端から全体的にスピード感があるように感じられました。

ただ、冒頭の「音が、消えた」「鼓動が消えた」の橋本くん・河合さんの音がとても響き、とても伸びていたのは気合が入っているように見えました。

 

今回のハプニングについてあまり大々的に書くことではないですし、読んでいる人も思い出して書くこともあまりポジティブになりえないと思うので、できるだけ簡略化します。が、私はキーの音を変えて歌うというとっさの機転は正しかったと思います。

どうやっても出ないのであれば、「相手にセリフを届けるにはどうしたらいいのか」と考えたとき、自分の範囲内で出せる音を使い、届けるべきでしょう。

まぁもちろん、折角だから本調子で、しっかりと聞きたかったというのは嘘ではないですけれど!(笑)なにせ「最後」だからね!

 

橋本くんの「ハシ」は、初日に受けたハシ、東京楽に見たハシとは印象が異なっていました。あまりに印象が違ったのでびっくりした。

橋本くんのハシは、ナチュラルな「少年と青年の境目」に立つ人間として彼(橋本良亮)自身の実年齢より幼いながらも「年相応」に見えるのが特徴で、その性格は「繊細」「ナイーヴ」な印象を受けていました。

で、それが東京楽で「ピュア」が増したというか。「年相応」から「幼い」へシフトチェンジしていきました。

 

もともと彼自身、お芝居は「今日はこういう感じで」という感覚でやっているというのは以前インタビューで拝読していましたし、今回も日毎にイメージが違うんだなあ、というのはありました。

―――公演ごとに違う″ハシ″を演じていたように感じましたがどうでしたか。

橋本「ハシと戦っていましたからね、ずっと毎日。今日はこのハシでいこうみたいな。舞台に出た瞬間に決まるんですよね。”あっ、今日はこの感じのハシか”って。それが毎日楽しみで。自分の中ではこのハシでよかったのかな、と思うことがあってもスタッフのみなさんから『今日すごくよかったよ』と言っていただいたりして、こういうパターンのハシもあるんだなって気づけたり。役としてはネガティブで落ち込む場面も多くて大変ではあったんですけど、そういう面ではやっていて楽しかったです」

河合「本当にハシは僕から見ていても毎日違ったので、怖すぎて泣いちゃう時もあったくらい。それぐらい毎回新鮮な気持ちでした」

(再演に伴うロングインタビューより)*2

ただ、その公演の中でも基本的な軸はあまりぶれないようにしている印象だったのが東京公演でした。だからこそ、東京楽で感じた「ああ、こういう方向で結局収まったのか~」という驚きもあった一方で、その「東京楽公演」とも違ったハシが千穐楽にはいて、とても驚いたというか…動揺しました。

 

「見てみ、ハシが困ってるやないか」のDのフレーズで、橋本くんのハシは基本「D>キク」であるのが東京公演の途中からはっきりと出ていました。

ある日は、「困っているやないか」のときは唇を尖らせ、ブンブンとその言葉を否定していましたが、基本Dの言うことにとても従順、素直、好き好き!がとっても伝わってきました。

 

だから、Dがキクに対して”恥を売っている連中に優しくはしない、好きで淫売をしているんだ、乞食に優しくもしない”という部分を歌っているときに後ろからついていき、リズムにのって、Dの振り付けを真似したり、ニコニコしていました。

それこそ売春している、男娼感が強いと言うか。「淫売」と言われている人の一人の印象を受けるというか。

その後、Dがハシにも言えると矛先をハシに向け、コインロッカーで生まれたぐらいで、の部分でも「自分が言われている」としても、橋本くんのハシはそこまでダメージを受けているようには私からは感じられなかったので、彼の解釈は面白かったんですよね。

Dになら何を言われても、ある程度オッケー!っていう、媚びなのか、誰にも頼れなくなったからこその《すがる対象》、《妄信的状態》に近いというか。

極論言うと、あのシーンって「お前みたいなやつはたくさんいて、何傷ついた顔してんだ。世界中の不幸な人を見てみろ、お前はまだ恵まれてんだぞ」っていう部分なわけで、トラウマを持っているナイーヴなハシだと「ウワアアアアアアア」と発狂してもおかしくないよなあとは思わなくもない部分でもあります。だからこそ、その発狂してもおかしくないシーンを「でもそれ以上にDすきすき!!」っていうポイントを重視したっていうのは「彼の独特のハシ」として、「こういう解釈したのか~なるほどな~」ってなったというか。

 

でも、千穐楽の橋本くんのハシは前述した「D>キク」ではなく、「D≧キク」でした。

「この人は大切な人なんだ」という部分をDに殴りかかるキクを止めるときにいうのと同じく、Dにも「大切な人」とキクを上げていたのは不意に出た言葉だとは思うのですが「D≒キクの大事さ」にも見えたし、ボッコボッコにされたキクに「大丈夫?」と駆け寄るところでいえば、以前はちょこちょこついていって、足を止めてチラチラDの様子を伺った後に「大丈夫?」というのが橋本くんのハシでした(正直その「大丈夫?」も軽い感じで、めっちゃくちゃ心配しているというよりも憐れみが強い感じを自分は受けていた)

が、今回はすぐにキクに駆け寄る+とても心配した声音での「大丈夫?」という言い方だったので「D>キク」というより「D≧キク」な印象。

東京にきた時点で、過去のことを捨てたいハシが《自分にとって憧れで、きれいで、見ていれば見ているほど自分が汚いことに気付かされ、耐えられなかった》キクを”大切”と取るのか、自分が作り上げたDや「このまち」を大切ととるのかは結構視点を変えると違っています。

「ああ…キクはしわしわの祖母の手を離れて一人で訪れた歓楽街にいっちゃった子のおばあちゃんみたいなもんなのかな」と「歌舞伎町の女王」という椎名林檎さんの曲を思い返したり。

歌舞伎町の女王

歌舞伎町の女王

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また、そういう意味では「あのとき憧れていたものは何て小さなものだったのだろう」と解き放たれたハシのキクを見る目線が本当になんというか……「お前木綿のハンカチーフの男かよ……!!!」とか思ったなど(笑)

 

木綿のハンカチーフ

木綿のハンカチーフ

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 (あえて綾瀬はるかを紹介してみる)

話が脱線しましたね。戻します。

 

千穐楽ということもあり、全体的に振り切れている印象が橋本くんのお芝居からは感じられました。アドリブが多いというか、アクシデントに対してのカバーのためにした行動が、今までの「ハシ」と違って見えるというか。

ニヴァの歌に対しての自分の身を削ってまで成功したにもかかわらず自分の行動に対して”危ないことをしないで””みんなの言葉のために自分を見失わないで”というニヴァの心配に対して「コンサートだって成功したじゃないか(=みんなは喜んでくれているのに、どうしてそんなことをニヴァは言うんだ)」というセリフが、今回は「うん」と最早人形のように相槌を打っていました。

 

だから、このときの、千穐楽の「ハシ」は、あの時点でニヴァの言葉は何も届いていないのかな、心が空っぽな、空虚状態なのかな、と見えました。

その中でニヴァに対し「子どもができた」という現実を突きつけられて、いろんなことが重なって「自分が良いと思う方向がうまくいかない」状態というぐちゃぐちゃっぷりはマッシュポテトのようにきっつい。

女が彼に尽くしているとき「他者の声」「ニヴァの声」が雑音としてぐるぐると自分の中で回っていて考えてしまっている。答えが見えない答え。迷路に入っている。

ニヴァに対して愛情がある(周囲からは「ババア」と言われても、彼らの関係はきちんと夫婦であった)のに、自分を捨てた「母親」という存在になるニヴァへの嫌悪感と、子供に対して「ニヴァを奪われる」という恐怖感と、いろんなものがまたそこで生まれて、「周りから求められる声」「批判」に耳を傾けすぎた結果で、もうどうしたらいいのかわからない、全部自分に対してこれをしろ、あれをしろと命じてくれる(責任転嫁ができる)だから、蝿のいうことに逆らえない(ニヴァを殺せ、と言う言葉は蝿からの描写でありました。殺したくない、殺したくないと彼は小説描写ではあるし「僕はどんなことでも耐えなきゃいけない」という自身の言い聞かせは彼自身の衝動を世界に向けるときの「自分はこれをそれでもしなくちゃ」って気持ちになっているわけで…)

考えるのをやめる、傀儡になりつつある、のハシの結果の「うん」「わかってる」「うん」という「心あらずの相槌」なのかな…とも思ったのですが、一方で「お前はニヴァと結婚するんだな(笑)」という声や「このxxx野郎!!」という声にキレたり、荒いだり、「まだスイッチが入っているようで入っていない」なのか……いきようのない衝動が単調のホワイトノイズで訴えているように見えました。

 

そもそもホワイトノイズとは何かと言われると、「赤ちゃんが母胎にいるときに聞いている音に近しい音」でもあるわけです。

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「催眠術」が解かれてしまった彼が、それでも「ある音を探す」という意味でエネルギーを抑える”音”を探す曲名が「類似している」ホワイトノイズというのはとても皮肉めいてますね。

 

ただ、「ニヴァごめん、でていって」というハシの言葉はその後のキクの柵を蹴るシーンに対してキクの行動がおかしくなってしまったのがちょっと個人的には残念でした。

この行動でキクがいきなり暴力で抑えたように見えて「女殴って楽しいかよ」という言葉に対して「キクもぶん殴ってるじゃん……」ってなっちゃうんですよね。

解釈違いが……!

私が感じた橋本くんのハシと、橋本くんのハシでの解釈違いが起きている…!

例えるなら「ある原作に対して、好きになった同人作家さんの解釈が自分とだんだんと逸れていっている…」みたいな……こう…「あっあっでもあなたの作品は好きだし…いやでもこの解釈は私のツボじゃない…ああーでもどうしよう…ああああ…」みたいな、そんなかんじ(笑)

 

橋本くんの解釈のハシは振り子のように一瞬一瞬がもとに戻るけれど、基本振り幅が大きく狂っている時間が長い。殴った後にごめんねごめんねって言うDV男の典型みたいなことになってる。

「戻る瞬間」がニヴァに対しての「ごめん」にしてしまうとその後の動きがまた変わってしまっていくから、そこらへんのさじ加減って難しい。

じゃあどうしたら良かったのかなあ…と自分なりに考えたのですが、女殴って楽しいかよ、の後に「ニヴァごめん、ごめん…」っていってまたユラァって上がって「ねえキク」と話を戻せば違和感なく、かつ「ブレブレの中にいて、自分が2つに割れているハシ」としての橋本くんのハシの解釈に近い形で、かつキクの行動に意味もあって進められたかなあ、とか。

 

河合さんのキクについてですが、千穐楽の河合さんのキクが私の見たキクの中で一番好きだ、という風に思えました。

Dとの会話、アネモネとの会話、ニヴァとの会話。見ていて掘り下げていきかた、表情の違いみたいなのが面白かったです。

アネモネのこと何やかんや大事にしているし、Dに対しての嫌悪・憎悪も隠さないし、けれど非力な「少年と青年」の間であることも事実だったり、の、くせにちょっとジャイアンのようなぶっきらぼうでいつつ他者と関わることをやめなかったり等。

河合さんは過去にキクを演じたことで「芝居は楽しい」という認識を持ったといいますし*3、そのうえで彼がまた「自分が楽しいと思えたお芝居」をやれるというのは更にステップアップするためのキーであるように受けます。

 

また、千穐楽でも音響トラブルが数度あり、「?」となる部分もあったのですが、なったなかで機転を利かせた俳優のみなさんの「マイクがオフになっても届いている状況」を当たり前ながらすごいなと思いました。

お芝居というのはいつ何がどうなるのかわからないし、こういった機材トラブルに対して俳優陣が「それでも堂々と役として、相手に届くようにする」という部分は大事なことでしょう。

マイクがなくても、相手に届かせてやるという気持ちと、実際に届くということ、その非常時に対しての臨機応変さは見ていて拍手ものでした。

 

二人のキク/二人のハシ

正直、こういったものに対して比較するのは良くないことは理解しているのですが、性質がまったく異なる以上「こちらではどうだった」「あちらではこうだった」というのを言わざるを得ないのが難しい所。

どちらが好き/どちらが嫌いではなく、「それぞれがそれぞれの形」をしていて、演じている登場人物が同じでも、描き方が異なればぜんぜん違うように見えるんですよね。

ウルトラジャンプの付録についてきた「ジョジョ25周年記念BOOK」で、他の漫画家がジョジョ描いたら「そうだけど…そうなんだけどそうじゃない…!!」っていう個性がでるようなかんじ。

 

ウルトラジャンプ 特典 ジョジョの奇妙な冒険 25周年 記念 BOOK

描く人(演じる人)が変われば、同じ作品・キャラクターでも違う人に見える。

それは人が人としての「今まで見てきたこと/感じたこと」を通したイマジネーションを膨らませたものの結果だからこそ、 違いがでてきます。

荒木さんが描くジョジョはやっぱり荒木さんのもので、例えばそれを他の漫画家が描いたとしても、やっぱり「ベースは同じでも、何かがちょっと違う」になるのです。それが良い/悪いではなく、「その人だからできるもの」になるとも思いますが。

 

「ハシ」と「キク」の”衝動”をどう描くか

この作品に於けるキーポイントって二人の中に眠っているぐるぐると螺旋を描き、自分の腹の中に眠る「何か」をどうにかこうにか表に出したくて、でもそれを表に出すことで世間との乖離、窮屈な閉塞感を感じてしまうっていう物語ではないかなと思います。

「生まれたときから閉じ込められている」というサチコに対してのアネモネの言葉で感じます。

生まれたときから人は閉じ込められていて、自分が外に出ようとするけれど「世間の目」「人の意見」がノイズになって「思ったように動けない」という。

行き場のない憤りとか、どうにかしたい、何とかしたいというあがきがキクだとしたら、ハシはそれを全部飲み込んで、自分が崩れていく。

《行き場のない憤りを飲み込んで、全部受け止めて、最終的に崩れ落ちるハシ》と、「誰があんなにした」となるキク。

橋本くんのハシは「自分の中で取り込んで飲み込んでいく」細さがあり、河合さんのハシは「生きるために飲み込んでいく」というピュアさ。どちらも「人に好かれたい」「人に受け入れてもらいたい」の流れの結果なのでしょうが、演じるポイントで重視したところの違いは如実でした。

 

「ハシきゅん」(=河合さんのハシ*4)の場合でいうと、「Dとキク、どちらが大切なのか」という問いかけはナンセンスなのかなと思いました。こっちも好きだけどあれも大切、どちらかというと今の気分はこれ、みたいな。河合さんのハシは自分が壊れてもなお、「子供」感があるというか。小さな子供を見ているような、ほっとけなさというかがあります。やんちゃではないのに、目をそむけられないというか。気づいたら怪我してそうというか。

だからこそかな「気の済むまでやり尽くす 見ていろ」の”見ていろ”の部分は、ある意味で「河合郁人のハシ」に適したフレーズであるように感じました。

 

橋本くんのハシは世界全部に対して「僕という存在はここにいて、認めてほしい、愛してほしい」があるように見えました。

だから世界に愛情を注ぐし、だからてひどい扱いを受け、傷つく。例えば、先程話したとおり「D>キク」という印象。Dから向けられるハシの目線は「面白いものを見る」「ひな鳥を見る」というようなもの*5で、ニヴァをあてがったのも彼らがどういう反応を見るかという実験、面白いことを探しているからこそなので、とてもそういう意味で橋本くんのハシは「哀れ」というか、ちょっとどこか目線をD側からすると「ピエロ」にも見えなくはないんですよね。だから見てて切ないんですが。

橋本くんのハシはもう自我を崩壊させた後でも「何をしでかすかわからない」状態で、鎌を背中に持ってブォンブォン振りかざしていそう。

タイプでいうとゲーム序盤の竜宮レナ*6タイプというか。

 

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ちなみに私が好きなのは月下の決闘者だったりする。

何というか、「人に優しくありたい、人にやさしくされたい。けれど人にやさしくされるとその反動で怖くなる」タイプにも近いというか。

「この人のことが好きだけど自分のことを好きになられると”なんでこの人私なんかが好きなんだ…えっ私の好きなこの人はそんなことはない”」となって一気に気持ち冷めていくタイプというか。上手く言えないぞ…!(笑)

 

キクとしての印象だと、河合さんのキク「キクきゅん」は、 どこか「島から出てきた、粗野な子」なんですよね。でも人の痛みに敏感である橋本くんのハシとのバランスがそこで取れる。

極論言うと彼らは魂の双子的な部分があって、ない部分を補い合っている。

けれどそのバランスが崩れて、どんどん片方が崩れていくなかで、キクは自我を保ち、自分が捕まっているからこそ「助けにもいけない」中で「自分には何も今できない、ハシを誰があんなにした」からの「総てをぶっ壊して、(世界と、ハシを)もとに戻すしかない」というカッコ内の言葉が出てくるのではないかなと友達と話していて納得していました。

キクは「人」とのコミュニケーションが下手な部分があります。それこそ「考えるより先に手が出る」がゆえに。でも、一方で「アネモネ」と出会う・肉体関係を持つことでの描き方はハシとの分岐になっている。

二人の「ゴール」は同じながらもアプローチが全く違う、と河合さんは言っていました。

役というかタイプ的にハシとキクは全然違うんですけど、実は目指しているところは一緒。

ただ目指しているところへの持っていき方が二人は違う。

だから対立したりする瞬間もあるんですけど。単純にやり方違うだけでゴールが一緒だとその時の若者の力って他と戦った時に一番強いというか、パワーがあると思うので、そういうところを今回見せられたら、とは思います。

その点では、河合さんの「キク/ハシ」はどこか類似点があるようにも見えて、同じ人が演じているから当たり前に同じと思う部分と、意識して「同じ」にしていたのかとか思う点はいろいろありました。

 

橋本くんのキクは、倫理的な部分があり、感情の振れ幅がより大きく感じられました。ハシの壊れてしまった状態とは違う流れというか。

こちらもアネモネと接するときで違いがでるように見えました。アネモネに対して橋本くんのキクは「好き」が結構表に出ていますよね。顔に隠しきれない「好き」が出ていて、カップルとしては付き合いたてというか、キャッキャしてるようにみえるというか。例えば「東京を爆撃だ」というドチャクソ中二病にも見える危ないことこの上ないシーン でも、手をつないだとき本当に嬉しそうに嬉しそうにしていました。

演者の考えではなく「俺のキクは、アネモネのことめちゃくちゃ大事なの表に出す」っていう解釈なのかな~と。アネモネがワニの国なのー!聞いて聞いてー!!に対しても付き合ってキャッキャしているところが特にわかりやすいですよね(笑)

河合さんのキクによる「アネモネの大事にする仕方」とはまた違うので、彼ならではの芝居なのかな、と思っています。

 

また、アネモネとの対面のとき、ダチュラの記事を見せるときの二人の「キク」は橋本くんのキクは周り(看守)を伺っており、河合さんの「キク」はアネモネの反応をどちらかというと伺っている。そんな違いを見るのも楽しかったです。

 

二人の演者としての目線

スクラップ・アンド・ビルドを繰り返していくタイプの橋本くんと、綿密な計算・設計をしていく建築家型タイプの河合さんというある種両極端に立つ二人の芝居を見るというのはとても新鮮でした。

また、それはジャニーズでやるお芝居ではなく「外側」に向けての発信するお芝居である「アテガキ」と言われるものではないからこそではないでしょうか。

個人的には「この芝居をしている中で彼らを透けないでほしいからあてがきではない芝居でみたい」派なんですけれども。

  

性質的にいえば、多分橋本くんはガラスの仮面における「北島マヤ」で、河合さんは「姫川亜弓」タイプであると思いました。

 

ガラスの仮面 1 (花とゆめCOMICS)

 

ガラスの仮面 1 (花とゆめCOMICS)

ガラスの仮面 1 (花とゆめCOMICS)

 

 

それを言って「わかる~~」って言ってもらえると思ったら友達に「???」って顔をされたわけですが。ガラメカ未履修な友人のためにわかりやすく紹介しておきます。

www.hakusensha.co.jp

 

作者の公式ホームページには役者のQ&Aもあるよ!

miuchisuzue.com

 

さっくりいうと北島マヤという天才肌の女の子と、姫川亜弓というサラブレッドでずっと努力してきた努力型の二人の女性が出会い、切磋琢磨しあい「紅天女」という作品を演じるに至るまでの作品です。まあまだ終わってないけど。

 

で、その主人公たるマヤは天才肌で、その作品作品における登場人物(=自分の演じるキャラ)と対話するかのように入り込んで行きます。

独自のテンポで、アドリブで物事をこなせるタイプ。だから観衆は「次何が起こるのかわからない、何かしでかす」のワクワクがある。

そして、人を引きつける能力があります。

 

千の仮面をもつ少女

月影先生野際陽子にしかできないと私は思っている)(安達祐実北島マヤもよかった)
芝居をしている中で、マヤは憑依しているからこそマヤじゃなくなっています。ちょっとしたシャーマン状態。恐山のイタコに近いものを感じます。よみがーえーれー。*7

Over Soul

Over Soul

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だからこそ、作中では演出家や共演者等からは「舞台あらし」という不名誉極まりない名称までもらっています。

良くも悪くも惹きつけてしまって、例えばサブのキャラクターで演じたときに人が見るのを「サブ」になってしまい主役ではないほうこうに目がいってしまうのです。

作品の方向が一人の手によって、大きく大きく変わってしまう。その「舞台」そのものが崩れてしまう。けれど、天才肌で、そのキャラクターの解釈で、彼女は悪意があるわけではなく、壊そうと思っていたわけではなくそのキャラクターを「演じきってしまう」。憑依状態になってしまう。

とりあえず10巻くらいまで読むとなぜ「舞台あらし」と呼ばれているのかがわかると思います。

 

参考として下記サイトの方の北島マヤの「舞台あらし」について見てもらえると嬉しいです。

ameblo.jp

 

私が橋本くんを見ていて受けた印象は「憑依させる、シンクロさせる」という北島マヤとしての素質と、また同時に一生懸命己のアピールをさせるため、自分の解釈のために動いた結果で起きた摩擦の部分で「北島マヤ」に類するかな、という形。

 

ただ、こういったことに関しては、彼らの芝居の中で生じる仕方ない部分でもあったりするわけで、コントロールしていけばいい、という話なだけなんですよね。

それができるようになるのはやっぱり月影先生がやったように「周りとの呼吸を合わせる」という経験なのかな、と。

たくさんの魅力を持っているからこそ、そこに惹きつけられてしまう部分があって、だからこそ「瞬間、心重ねて」というエヴァンゲリオンで出てきたシンクロを上げる方法を自分で見出して、気づいていけたら、さらにさらにもっとよくなるんじゃないかな、と思っています。

今回の場合はWキャストだったからこそ、そのお芝居が他の人に影響を受けたり、自分の中で整理しにくかったであろう部分もあると思いますし。やっていくにつれて彼はどんどん自分の中でキャラクターを生み出して添わせるタイプだからこそ、初日より色濃くなる印象があります。普通のブレンドコーヒーがエスプレッソになるくらいには。

 

だからこそ、間合いとか、相手、芝居そのものを俯瞰できたとき、もっともっと素敵なお芝居ができると、そう期待しています。

 

一方の河合さんの場合ですが、河合さんは結構プランニングして、そのゴールにいきつくために蓄積して、組み立てていくタイプという意味で「姫川亜弓」タイプだと称しました。

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姫川亜弓

この亜弓さん、もう本当「この人浮かばれてくれよ…」って思えるタイプの素質を持っている人です。努力して、頑張って、でも「天才肌」に勝てなくてという葛藤もあって。

才能というのは誰しも持っているわけではなく、彼女の場合は環境があって、それに見合った努力をして、積み重ねてきたエリートなわけです。

芝居をする中で徹底して徹底して自分の中で「計算」「試行錯誤」「思考」をして、答えを作り出している女優。ゆえに、芝居の中で筋が通り、一点でずっと回り続ける、まったくぶれない独楽のようなんですよね。

精密コマ NEXT-STARLIGHT (スターライト)

安定している人だと思います。

そして、だからこそ河合さんのように「積み重ねる」「計算する」タイプの人はアドリブ等が徹底して少ないように感じます。

そういった意味では河合さんにぜひとも私はエチュード(即興劇)とかやってみてほしいんですよね。

www.moon-light.ne.jp

MCは一種のエチュードであるとは思うのですが、そうではなく「芝居」としてどんな風に彼がするのか…という興味があります。

 

また、北島マヤ姫川亜弓という全く異なるタイプの二人、鏡のような二人が並ぶ(そして何なら芝居によってはWキャストしたりする)中で、見えてくるものがあります。

お互いがお互いを切磋琢磨し、磨き、ないものへの羨望を抱き、自分の中の長所を伸ばす。

今回の「コインロッカー・ベイビーズ」で感じたことは彼らもまた両極端に「彼らにしかない芝居」をしており、その中で個人の良さをどう引き伸ばし、また自分の中にある欠点をどう補うのか、相手を見てどう短所を長所に変換するのか、というのを学べる良い機会だったんじゃないかなあということ。

もちろん商業として、ビジネスとしてこのお芝居は成り立っているわけですから「不完全燃焼」はあまりに寂しすぎるわけですが……、折角やった中で自分の中で「もっとああすればよかった」「こうすればよかった」「こうして大正解だった」「この芝居を通してここを覚えた」という得るもの、反省点をそれぞれ活かしてもらえたら良いなあと願うばかりです。

 

今後彼らに求めること

私としては河合さんは言葉の聞き取りがとてもしやすくて、音楽劇でも先日えびチャンズーでやっていたような「劇団四季」といった「聞き取りやすくて把握しやすい」舞台に向いていると思うし、こういったお芝居で違う芝居をもっとみたいなと思う。

また、橋本くんに関してはナチュラルで自然だからこそ見える、降臨させたときの「シンクロ率」がたかいからこそできるお芝居って絶対あるわけで。できれば長期間の芝居よりも土日昼/夜の合計4公演しかないお芝居と言った類でのものとかで、すごい集中力を発揮してみてもらいたい。

それぞれに「やってみてもらいたいもの」「見てみたいもの」が生まれてくるのが楽しくて、自分の中で「次のお芝居はどういったものをやるのだろう」と思いました。

自分の中でもさらに見てみたいお芝居は広がっていきますし、いろんなもの、こと、に挑戦してもらえたらまた嬉しいな。

「座長」の立ち位置

ふと、全てを走り終えた時にこのカンパニーに於ける座長って誰なのかな?ってカーテンコールを見ていて思いました。

日替わりW主演、Wキャストなのでハシなのかキクなのかどっちなんだろう?という素朴な疑問です。 毎回ご挨拶してるのが橋本くんだったたので、座長は橋本くんでいいのかな?とも。

個人的にはせっかく日替わりW主演であったので、キクまたはハシのどちらがやるのかを決めておいて、河合さんの時と橋本くんの時とあってもいいんじゃないかな、という風にも思いました。
まあそうすると指針がどこになるのか分からずクルーとなるカンパニーの皆さんにとってみると混乱が生じそうですが…笑
千穐楽でせっかくバンドの皆さんも来たので、お一人ずつネオロマ方式のごとくコメントもらえたらよかったなあとは思いつつ。バンマスから何か言葉もらえたらなーと。あとMADEの2人とか……!尺を使うから難しいのでしょうが…!
スタッフ、キャストそれぞれで作っていたからこそ橋本くんが話を振ろうとしていたのは見ていて伝わったので、折角なら思いつきではなく計画してる!と事前にスタッフやみんなに通達できてたらよかったのかなあ(完全に唐突だな!ってなってたし)とも思ったり。
みんなそれぞれのコメントを聞いて見たい気持ちと、時間と、また、それぞれが言いたいことを用意しているかしていないかでの考える時間のロスをカットできて時短化出来るのでは?とかついつい思ったり(笑)

 

 

 

稽古期間も含めての2ヶ月間お疲れ様でした。これが終わればすぐにまたコンサートだし、何ならABC座もはじまりますね。楽しみにしています。

ということで、雑感になってしまいましたが私のブログにおける「コインロッカー・ベイビーズ」についての記事もこれで終わり。しかし見直してみると「お前河合さんのファンか……?!」と言われそうですね。いや河合さんも好きなんですけど!(笑)

 それにしたって、自分で言うのもなんだけどバカみたいに長かった…笑 お付き合い頂いた方、ありがとうございました。

*1:詳細:AUBADE HALL

*2:音楽劇『コインロッカー・ベイビーズ』橋本良亮&河合郁人 インタビュー | ローチケ演劇宣言!

*3:2017年冒頭の各雑誌インタビューにて

*4:自分自身の愛称が「ふみきゅん」だから

*5:コインロッカー・ベイビーズ初演のときのROLLY氏のインタビュー参照

*6:ひぐらしのなく頃にの登場人物。「嘘だ!!!」でおなじみ

*7:シャーマンキングより

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