人生日々ハイテンション

好きなものをビュッフェスタイルに楽しむ人の備忘録

リーディングオーケストラ「蜜蜂と遠雷」感想録/音楽は言の葉を紡ぐ

前の記事がまさかの感想書く前に3万5000文字↑*1という数字を叩き出して「長い!!!」と友人にツッコミを受けたので感想を独立させました。

正直前回の記事のも2つに分ければ良いのに!!と友達Bにも言われる始末。まったくだ。

ただ、記事を分割すると自分的に読みにくい印象なので「見る前」「見た後」に分割することにしました。

ということで、今回は私が応援しているA.B.C-Z橋本良亮君が初の朗読劇ということでしたので「リーディング・オーケストラコンサート 蜜蜂と遠雷~コトダマの音楽会~」を見てきた感想を書きたいと思います。

あいにくと私、クラシック音楽については特に専門外でして。

ネオロマンス金色のコルダのだめカンタービレ!ブラボーミュージック*2デジモンアドベンチャー*3エヴァンゲリオン*4!」とびっくりするぐらいただのオタクっぷりを発揮しています。好きなクラシック音楽はなんやかんやありまして、展覧会の絵と美しき青きドナウとツィガーヌとカルメン幻想曲とツィゴイネルワイゼンと…となんやかんや「これ誰でもしっとるやんけー!!」っていう王道曲で好きなのがいっぱいあります。ありがとうネオロマンスそしてありがとうサブカルチャー

パッヘルベルのカノンとか、威風堂々とか。愛の挨拶とかもめっちゃ好きです。なお好きな作曲家はと聞かれるとびっくりするぐらい詳しくないんですが、ワーグナーとか。

生のクラシックを聞いたのは数えられる程度です。其のうちのいくつかはステラコンサートだし、そのうちのいくつは自分の友人が出ているとかそういうノリのやつです。でもそんな私でも分かる「パガニーニ先生の発想が鬼軍曹すぎる」というあれでそれ。リストの編曲も聞いて「恐ろしい…恐ろしい人が世界にはいたんだな…」という。もうなんか話そろそろ戻そうと思いますすいません。

 

amanatsu0312.hateblo.jp

事前に調べたのが此方。

完全に事前に原作を読んだ感想だったり、そこから派生してこんなんもあるぞ!どうだぞ!というのをまとめただけなのに3.5万字突破してる当たり「お前は何をしているんだ…」が否めない。知ってた。

そういえば前回の「蜜蜂と遠雷」について掘り下げて調べた記事を上げた後にネットを徘徊していたら、Hey!Say!JUMPの伊野尾慧君が2017年3月のTV LIFEと「メレンゲの気持ち」で蜜蜂と遠雷のことを話されていたようで、作品触れているのを知ることができました。伊野尾君とても読み込んでいるのか熱弁されていたのが印象的。

また、Princeの岸優太くんとSexyZoneの佐藤勝利くんがラジオで「蜜蜂と遠雷」を読んでいるというお話をしていました。マリウス君に「岸くんでも読めるなら」みたいな扱いを受けているのが非常に面白かったですが、きしくんがどんな立ち位置なのかはさておくとして!(笑)佐藤勝利くんといえば確か戸塚さんと仲が良いエピソードをよく聞きますが…読みやすさはジャニーズ事務所の方々もお墨付き!

本屋大賞直木賞受賞作品として改めて調べてみると本当に著名人も色んな方々が読んでるなあと痛感する次第です。

ということで、実際に見に行った1月5日、6日昼夜の東京公演での感想です。

リーディングオーケストラ「蜜蜂と遠雷」~コトダマのオーケストラ~に行ってきました

前回の記事と分けたのは話しましたが友人各位に「トンチキすぎる」「多いよ」「いやこれVol.3ぐらいに分けていいよ」と再三言われる有様でした。ちくしょう解せない。

ということで、いってきた感想をこれからのんびりと書いていくわけですが、決してプラスな面だけではなくて、多分見方によってはマイナスに捉えられてしまうかもしれない気がするのですが……申し訳ない。

 

ピアノコンサート重視の朗読劇

こう書くとあれなんですが、主役は圧倒的にピアノとオーケストラ、すなわち「音楽」です。リーディング要素だけでいったら、第一幕が少々と、第二幕の一人ワンシーンずつ。

通して見た時の私の印象は「あっこれステラコンサートか」でした。

www.gamecity.ne.jp

一つの「作品」に対して朗読・演奏・歌が集まるという……あれでもそれってネオロマンスイベントでは??

自分で書いていて「ステラコンサート」という表現にひたすら納得しているのですが「蜜蜂と遠雷」という作品のもとに集ったマルチエンターテインメントの印象です。

銘打ち方が「リーディングオーケストラ」だったので、個人的には朗読劇というものを見に行くつもりだっただけに、「鉄板焼きを食べようとしたらポトフが来た」「星奏学院祭*5に足を運んだと思ったら、やっていたのはステラコンサート*6だった」って感じでした。

主体をどこにおくのか、主役は何なのか、素材は同じだけど何かこう、こうもう一声、違うというか。

じゃあどうやって欲しかったか、というと基本はピアノコンクール、ピアノ・コンチェルト、オーケストラ、っていう形にしておいてほしかったです。

「リーディング」が先に来ている以上はもう少し、リーディングを考えてほしかったかもしれません。

ただこの「リーディング」が一体「どこ」にかかっているのかと考えるともしかしたらストーリーテラーである二人にかけられているのではないか、と思いました。

であれば、出演者というよりも今作における朗読を行った登場人物は「ゲスト出演」というのが一番適しているのかなあという印象。

「リーディングオーケストラ」じゃなくて「オーケストラリーディング」って表記のほうが見る前の自分の印象が違ったかもしれない。私が朗読劇に比重を置きすぎてしまったのが大きいと思います。

お芝居の内容について

1幕の朗読シーンも決して長くはないというか歌を挟んでいるので、どちらかというと「モノローグ」のようなものが多い印象でした。

朗読というとストーリーがあるイメージなのですが、今作においては「一人ひとりの登場人物をストーリーテラーが説明、その中で彼らがどのようなことを考えているのかモノローグ形式で語る」という形です。

だから、「風間塵」がいかに天才なのか、ということを言葉で説明されて、風間塵がモノローグで語り、その影響が亜夜にもある、という形でした。

私は「原作」である蜜蜂と遠雷を既読しているので彼らがどんなことを考えどんなふうにコンクールを経て友情を育み己を磨いてきたのかを知っています。知っていたから「ああ、天才である風間塵に影響を受け、刺激され、自分の心を震わせることができる」という亜夜の急激なまでの、それまで新幹線が「こだま*7」だったのがいきなり「のぞみ*8」になったかのように才能を開花させていくのを見ただけに、それをさっくりカットされたのはちょっと残念でした。

知り合い方が違っても良い、風間塵が亜夜のことを「お姉さん」と呼ぶような、どちらかというと幼さが残る少年要素の強い人から、なんとなく年齢とイコールにならない浮世離れした要素がどことなく漂う人になっていてもいい。

出会い方が違えば、印象も変わる。

だけど「風間塵」の演奏がなぜ楽しみなのか、「誰も何も知らない」少年の音楽を彼女がどうして楽しみにしていたのか、の描写がない以上「どこで知ったのそれ」ってなってしまうんですよね。

「この人の名前見たことない。どんな音楽をするのだろう?」とか、かけあいがあったなら、きっとまた違ったんだろうなと思います。

また、マサルと亜夜が過去にどう知り合って、どう別れたかを示されないままいきなり「久しぶりだね!」となったのは流石に「待って待って……」となりました。

「まさか…あのときのマーくん!?」という台詞に対して。

どの時のマー君だ。モノノフでおなじみ田中将大選手*9。とか思ったのは内緒だ。

そこはストーリーテラーでもいいから一言触れておいてほしかった。

「あのト音記号のバッグを持って」という亜夜のフレーズがありましたが、その「ト音記号のバッグ」が今”マサルの手に渡っている”。”彼らは幼い頃に知り合いだった”ということの描写がないから「持ってるよ」「まじで?!」っていう会話が薄くなってしまうのかな、っていう印象でした。

「あのト音記号はあの時ずっと仲が良かったマー君にあげちゃったけれど。それでも思い出はしっかりと残ってる」みたいな形でもありだったかな~とか。

折角の接点がある登場人物だったから、そこは描いてほしかったかもしれません。突発すぎて「え?」ってなってしまったので……。

マサルの「勝利に執着」しているような様子はニコニコしながら虎視眈々と狙っている印象だったので、「自分が日系ではあるが、日本人ではない」という描写を言いながら「日本をまるで拒絶している」ようにも捉えてしまって。そこで出会った亜夜との話を盛り込めばスムーズに話しを持っていけた気がするなあ。

後個人的には「高島明石」という存在に対して少々雑すぎはしないだろうか、という印象です。彼もまた登場人物として必要なピース、何なら視点で見るとしたら彼も主役です。今作のリーディングオーケストラでは完全に「凡人、凡才」としてただただ天才である「風間塵」に魅了されてしまうだけの存在に扱われているようで残念です。

「パパはどうしてもお前に自分の父親が音楽家であると思ってもらいたいんだ」という冒頭シーンから彼が「子持ちである」ということは示唆されていますが、落選してから突然奥様との会話が出てきます。しかしあの、誰だお前感が拭えない。もったいない。

凡人で、でもピアノに魅了されていて、そんな彼が描いた世界は天才たちの心にもちゃんと届いています。原作厨はこれだからといわれたくないんですが、もちろん「それとこれは違うからこそ、あくまで原作だから」っていうのも分かっているのですけれど、掘り下げられている登場人物だからこそ、原作読んでもらいたいなと思います。

結構作品における重要人物の一人だと思っていたので、ごっそりカットは流石に衝撃でした……。亜夜に対してよりも完全に風間塵に彼の感情も向けられてしまっていて、彼がいかに亜夜を評価していて、彼女の「天才少女」と言われた時代から今この場所に戻ってきたかを触れているので…いや尺の都合上仕方ないのもわかるので、もうなんか原作読んで…折角の機会だし、読んでほしい。お歌ソロがなかったの正直残念で仕方ない。

 また単純な疑問なのですが「私~」と語る部分と「僕/あたし/俺」と一人称が変わる部分があって、これは何だ、とならないかと思いました。

モノローグである、いわゆる「回想」「一人での考え事」の表現なのか、はたまた実際に聴衆/審査員の前で言の葉に乗せているのか。その違いがわかりにくいなという印象。

2幕ではストーリーテラーもまた敬語になっているし、コンクール出場者も「お聞きください」と語りかけてくるので「自分たちの配置」がどこなのか観客としては??ってなっていました。

物語をストーリーテラーに手を支えられながら俯瞰しているいわゆる「みなさんこちらですよ~」とバスガイドさん(ストーリーテラー)と一緒に観光している「蜜蜂と遠雷を上から見守る観光客」なのか。

それとも、蜜蜂と遠雷という世界観の中で生きている/生かされている「そこにいるもの」として扱われている観客なのか。第一幕と第二幕での表現の差異だとは思うのですがいまいちそこがぼやけているので、心の用意ができず「あれ…今私はどこにいるんだろう……?」と同じ芳ノ江国際コンクールにいながら客席に座っているのかはたまた俯瞰した状態で私たちはファータ*10になっているのか。首を傾げていました。

なんというか、パンフレットを今回無料配布で頂いたのですが、「パンフレットで説明してあるからいいよね」ってなってしまっているな、っていうのが大変残念で。

それは!設定過多なのに使いこなせていないのと一緒だよ!!!と個人的には思います。設定を組み込むのであれば、それを描写して頂きたい。

 

ということで、そうだ、原作を読んで補完しよう!!!ってことでぜひとも原作触れてみてくれると嬉しいな!!

蜜蜂と遠雷

蜜蜂と遠雷

 

  

1幕では「それぞれがどんな事情を抱えてピアノの予選に出ているか」で、予選で奏でるピアノとともにモノローグを語ります。「風間塵と知り合う前/後」のパフォーマンスの違いが出ていて、後、は亜夜、マサル、塵の歌のパフォーマンスがオーケストラとともにありました。

2幕ではピアノ・コンチェルトのまえに「どういう今の状態なのか」を語り、そこからピアノ・コンチェルトがはじまる印象です。

今作、とくに2幕は「音楽コンクールの聴衆」に我々(観客)がなり、彼らが審査される姿を見ているような形としての編成であったので特に本戦部分に触れている、というイメージです。

 

役者さんのお芝居について

ストーリーテラーのお二人について

ストーリーテラー朴璐美さん、湖月わたるさんは流石だなと思いました。

聞き取りやすさが圧倒的。「言葉」ひとつひとつを丁寧に聴衆に聞かせようとしている印象でした。

二人がステージに立った時、お衣装はどの色にも染まらない「真っ白」で、それでいて二人が対比的な印象でした。すらりとした佇まいなんですが、スカートとパンツスタイルの違いなのでしょう。二人共ショートなんですが、雰囲気がぜんぜん違う。双子のようでいて、それでいて、印象が異なるから、いわゆる幻想楽団SoundHorizonの第五の地平線「Roman」におけるヴィオレットとオルタンス*11みたいだなっていうのが初見の印象です。うーまれてーくる朝とー。

朝と夜の物語

朝と夜の物語

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 詳しくは歌詞を見てほしい…と思ったのですが。

www.kasi-time.com

しまったーーーサンホラ独特の「ルビないと死んじゃう病」だったーー!!!ということであの…視聴してもらって「なんぞこれ」ってなったらなんかこう、どうにかして探してください(?)

考察サイトとかいっぱいあって「答えがない答え」を探し続けるという意味でサンホラは楽しいです。

 

まあそんなこんなで、1幕では彼女たち二人はまるで作中に於ける彼らを俯瞰するように見つめており、どのような人物で、どのような境遇にあり、どんなふうになっているのかを淡々と語ります。

2幕ではどちらかというと音楽番組でのさながら司会者のように語り、彼らの発表を紹介する違いが如実に出ていました。

お二人の芝居において見ていて思ったのは、朴璐美さんの台本の持ち方、そして表情、喋っている時の声音が何もかもやっぱり「本業」なんだなあということを突きつけられた気がしました。本のめくる音が一切しなかったです。声優さんはアテレコをする時本をめくった音がはいらないように…ということを意識するらしいんですが、今回も自然とそうなっているのだなと思いました。

「音楽」とは何か。問いかけてくるときに、例え話として降り注いでくる名前をつけることが難しい「何か」を語る時。朴さんの穏やかで、優しくて、「生まれたばかりの言葉を持たない子ども」そのもののような、けれど「慈愛に満ちた音楽の化身」のようなものを孕んで我々に語りかける言葉に正直ひきつけられまくっていました。

ストーリーテラーとナレーションがどう違うのか、自分なりに調べてみたのですが、いかんせん わからない。仮面ライダーフォーゼであった「わかんねえ……わかんねえ…」の構図を思い出しました。

ナレーションっていっても、めっちゃ分かりやすく、極端な例で言うと静岡つながりで「ちびまる子ちゃん」のキートン山田さん*12も「ナレーション」ですもんね。

ちなみにこのキートン山田さん、静岡県伊東市にお住いなんですよね。SBSありがとう!!(笑)

 

www.youtube.com

でも、ニュース番組で語られるものもまた「ナレーション」です。

ナレーションといっても千差万別、物によって大きく違います。

ナレーションでいったらPRIDEとかの立木文彦さんとかもそうだし、ジョジョの奇妙な冒険での大川透さんもそうだし、それこそアッコにおまかせ!でいつもナレーションしている中井和哉さんもそう。

その場その場、求められているものによって全然違います。違って当たり前。番組も違えば、求められるものが違うからなあ、と。ナレーションが声優さんにとって一番お金になるっていうのもよく聞きます。

岩田光央さんがABChanZooに来たときに声優さんの仕事の中でCMの声もまたそうだと言っていたのを思い出しました。

それにしても声優さんとA.B.C-Zは仕事する機会が改めて多いなとほっこりしています。ちなみに朴璐美さんと岩田光央さんはアニメ「トリコ」で小松君とサニーで共演しています。あっ主題歌家入レオちゃんだ。不思議とつながりました(笑)世の中狭いなと真顔になっています。

 

まぁ話が脱線したので戻しますけれども、その上で「登場人物」を見据えて彼らがどんな立ち位置に居るのかを示していながら、彼女は彼女の「ストーリーテラーという立ち位置」がどんな雰囲気をまとっているのか、どんなふうに説明すれば良いのか、どんなふうに語りかけてくるのか…というのを示してくれたように印象を抱きました。

一方で湖月わたるさん。湖月さんもまた丁寧に言葉を紡いでいる印象でした。

二人の声のトーンがぜんぜん違うのに波長がとても合うから聞いてて心地が良い。

何をどう表現したいのか「言の葉」という意味で大事にしているように思いました。ところで言の葉って言われると言の葉の庭を思い出すよねっていう突然の新海誠の話。

 

ストーリーテラーなだけではなく、彼女たちはそれぞれに別の役割を担うこととなっており、ある意味で複数のお芝居をしているわけです。

また、茶目っ気のある音楽の巨匠であるホフマン氏の手紙を朗読する時、少しゆったりめに話しているのが印象的で、「このホフマンという人は何を考えて、どうしてコンクールの推薦状を書いたのだろう」と想像力を掻き立てられました。

個人的にやっぱりホフマンは金色のコルダ3アレクセイ・ジューコフの印象なんですけどね!(笑)もしくは先日みたオリエント急行殺人事件ケネス・ブラナー的な。国違うとかいっちゃけない。映画の感想ブログも兼ねているのではよ書かなくては…。

 

ストーリーテラーの二人の部分で、個人的に印象的だったのは「まるで驟雨(しゅうう)のように」と表現した部分。音楽に、何かに名前をつけるなら、という朗読パートの一部です。

驟雨って言葉にすると「何やねん」って話なんですよね。其の言葉が示すのは何かどういう意味があるのかっていうのを知っているか否かっていうのだいぶ違うと思うんですよ。「蜜蜂と遠雷」は作品として言葉遣いが結構難しい熟語が出てきます。

私が何で「驟雨」という言葉を知っているかっていうとまぁあの、このブログではおなじみネオロマンスの中に「遙かなる時空の中で」という作品がありまして。そのなかの登場人物永泉(CV:保志総一朗氏)が「花驟雨」という曲を歌っていまして。

花驟雨

花驟雨

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もう何年、生で聞いていないだろうか…。 

「驟雨」とはイコールで「にわか雨」なんですけれど。

「驟雨のように音が降り注ぐ」というね。光が降り注ぎ、音の中で自分が生きる。その言葉すらもまた、リズムがあって、「音」で「音楽」になっていく。

そんな情景が聞いていたら感じることができたと思います。

 

また、ろみねえが明石の奥様も演じていました。

ワンシーンだけなのですが、彼を「音楽家」にしてくれる、「音楽家の妻」としてのやり取りは印象的でした。

原作で彼らがどういうやり取りがあってどういう気持で挑んでいるのか、また、夫婦になるまでの過程も触れているので明石に関しては まじで 原作を 読んで ください。(二度目)補完に…補完したいと是非思ってくれたら…嬉しいです…。

 

マサルという天才と明石という凡才を担う二人

超当て馬感が拭えない二人なんですけれどね!!!

正直マサルが人懐こく「人に嫌われない人」として描写し、同時に亜夜に出会うことでロマンスを繰り広げていたぶんをスッパアアアアンとカットしている以上仕方ないのですが、このシーンの少なさから嘘だろバーニィ…ってなっていました。

明石が「上手く弾けている」「プロ並み」とストーリーテラーに言っても、コンクール参加者には歯牙にも掛けられることのないような扱いは個人的にはとても…そうとても、寂しかったです。ビッケブランカ氏の少し哀愁を持った「今回が最後」であることを心に刻んで挑む姿は印象的でした。

いかんせん彼もまた「朗読劇初挑戦」なので、感情の揺れ動きが文字を追う感覚が否めなかった中で、少しずつ一歩ずつ変えていくのが見えました。「何だよこんな時に」っていう夫婦のシーンもぶっきらぼうに言うのか、呆れたように言うのか、その言葉一つがもつ魔力を感じたように思います。奥様がストーリーテラーとして入っていくからこそかな、じっくりとしたテンポとはいえ、夫婦がどんな苦難を今までしてきたのかを、そして折れないハートにしてくれた添え木のような奥さんの言葉が柔らかかったことを感じずにはいられません。「くそっ」「こんなにも難しくも優しい曲」というのは、「嫌いなのに、好き」「自分の手が追いつかないことへのジレンマ」だからこその表現なので、その焦燥を燃やしているところが穏やかな人間である明石の温度差を感じるシーンだからこそ、少しずつ、言い方を変えているのかな、なんていう風に思いました。

 

マサルに関しては「最有力候補」と謳われながら、その立ち位置をあっさりと風間塵に抜かれるわけで。けれど彼は自分の実力を信じて疑わず前を見据えている。

その自信の裏付けが亜夜とのロマンスのような、自分が伸ばして実力を発揮しても亜夜はどんどん先にいってしまう、という追っていく描写が今回は省略されているので、非常に「勝ちに執着し渇望している、スリルを味わおうとしている勝負師」としての面が中心になっていると思いました。

木村さんは原作を読んだ上でマサルがどういう視点でどういうことを考えているのかを見ている印象だったので、実際に演じて、「アーちゃん」と亜夜を呼ぶ時の親しみがあるかんじがいいなと思いました。一方で風間塵に対して「あいつか」という少し粗暴な言い方をするところが原作の「ジュリアードの王子」と称された彼の雰囲気との違いが明確でした。マサルの会話は亜夜とだけだったので、掛け合いがあまりにも少なく、どちらかと言うとモノローグ中心だったのが残念でした。天才だけれど、それに見合った努力を重ねて、師匠を越える存在であることを師匠に喜ばれる存在だっただけに、そういう部分も見たかったかなと。

全然関係ないですけど師匠とは越えるべき存在で、越えられないものほど虚しいものはない、という下りを原作で読み、一方でちはやふるで原田先生が「可愛いかわいい私の踏み台だ」と自分の弟子に対してモノローグで言う、あくまでも自分が自分という人生の主役であり皆それぞれの自分の人生の主役なんだよっていう、歳を重ねた人々を描写しているところもあって、作品が違えばまた言うポイントも変わるんですよね。お互いに伸びようとする。これはある意味年令を問わない「競技かるた」がゆえなのかなと。スターウォーズヨーダ先生とルークが話しているのを思い出しながらしんみりと。あれもう出た瞬間によーーーだせんせええってひええええってなったのは私です。スターウォーズはいいぞ。

 

初朗読劇である家入レオさんの芝居について

 家入レオさんのお芝居を生で見るのは初めてなのですが、とても落ち着いていました。初挑戦とはいえ、しっかりと台本を読み込んでいる印象。また、私のイメージする「栄伝亜夜」に近いものを感じました、特に声。顔立ちがはっきりされている、けれど口を開けば穏やかな声音。そのギャップが非常につよいです。

とても透き通るようなお声で、何より「聞き取りやすく」、をすごく意識しているように感じられました。

栄伝亜夜を自分の中に作り込んでいて、「いかに語るか、いかに伝えられるのか」を向き合ってお芝居をしようとしています。

「お母さん、先生」と語りかけるとき、不安でたまらない時、瞳が揺れるのが印象的でした。

また、亜夜が晴れやかな気持ちになったときの、ぱあっと開かれた視界みたいなものへの芝居が非常に良かったです。荒削りな箇所は確かにありますが、それ以上に、亜夜の「おっとり」とした性格であるところ、「風間塵」に興味をいだき、それまで見ないふりをしていた「全てを音楽に捧げることで”ギフト”に変わる」こと、自分が知らない振りをしていたことを突きつけられたときの動揺と自覚の過程が凄く良かったように感じます。

風間塵との掛け合いの時、亜夜はゆったりと彼に「なぜ?」を聞きます。人に「おい、あいつ過去に逃亡した栄伝だぜ」と言われて興味を抱かれる人だからこその「Why」があるわけで、他人の印象なんてあまり気にしないという風間塵のお陰で視界を開くところのお芝居がいいな、と思います。

一人ではなく二人だから魅せられたものなのかもしれませんね。橋本くんとの掛け合い、私はすごく良かったと思います。

お芝居に対して、「初めてだから」と彼女は度々コメントされていましたが、とても聞き取りやすかったと思います。もちろん、ここはもっとこうした方が私は好きだな~と思うポイントはいくつかあって、「落ちる、落ちないが決まる~」のくだりの落ちる、だけめっちゃ力んでたからヒッとびっくりしてしまったとか。

でもそれも彼女の表現だと思って見たら、それはそれとして、貫いてブラッシュアップしていくのだろうなと思います。こればっかりは好みだもんなあ。

お衣装は青と白とベージュのセットアップのようなもの。作中に出てきたドレスとか、それっぽい格好でもよかったんじゃないかな、と橋本くんの真っ赤なタキシードを見てて心から思ったのですが、でも家入レオちゃんにとっても似合っている洋服でした。

 

「朗読劇」の中で息づく“風間塵”の橋本良亮君

出てきて私の第一声。「お衣装なんだそれ」でした。

超びっくりするぐらい真っ赤なサテンらしき生地の、テロテロとした燕尾服。

シックなクラシックコンサートの中でどぎっついまでの「赤」にワイシャツ、黒いネクタイが橋本くんの「風間塵」としての今回のお衣装でした。

www.nikkansports.com

 真っ赤なタキシードが真っ赤すぎて、なんというか、あの、真っ黒のえび座のようなタキシードでも良かったんじゃない?!もしくは制作発表会見のお衣装とかでもよかったのでは…?!思っているのが本当のところです。

本人もカズレーザー氏のようだと言っていましたが、芝居より何より「えっ、メンバーカラーここでも引っ張ってくるの、個人の仕事なのに?」ということにびっくりしました。

他の人のお芝居のときもメンバーカラー色が強かったという話を聞き、モトイキシゲキ氏は彼らを起用する際に「アイドル」としての部分を強く引っ張ってきているのかな、という印象を受けました。

Twitterとかでツッコまれる」と本人が言うくらいには本当に赤くてビックリしました。ほんとに。コンクール衣装というよりもディズニーランドでミッキーが着ていそうなぐらい赤かったです。

 

さて、芝居についてですが。

初演に関しては正直文字をなぞった、「橋本良亮」がそこにいました。

風間塵という人間を演じている橋本くん、という風に私は捉えたのが「最初」のお芝居の印象です。

 

先日、「所さん!大変ですよ」*13で俳優の吉田鋼太郎さんが出演されており、今は亡き蜷川幸雄さんの後を継ぎ演出家となったシェイクスピア作品「アテネのタイモン」の稽古場の話が出ていました。そこで彼は「セリフをお前の言葉にしろ」と指摘していたのが私の心にとても残っています。文字をなぞるのではなく、自分の心を登場人物にし、その人物の言葉にどうやってするのか。口からその言葉がどんな気持ちでどうやって出るのか。

どういうのが「そうじゃない」なのかと言われるととてもむずかしいのですが。

「停電少女と羽蟲のオーケストラ」*14でおなじみ二宮愛先生が下記のようにコメントしているのがとても印象的だったので掲載しておきます。

この作品はドラマCDですが、彼女の指摘しているポイントについて「作品から現実に引き戻される」というのはいわゆるお芝居ならカーテンコールのことを指すのかなと思います。映画ならキャストロール

なぜこれをこの記事で紹介し出したかというと、観劇していたときに「橋本くんが芝居しているな」っていう目で私は初演で思いました。

けれどこういうことに対しての私の理想は「私は橋本くんを見ている」ではなくて、「橋本君という依代を通して、風間塵が息づいている”蜜蜂と遠雷”の世界に引っ張り込まれている」であるのかなと。

風間塵というのはどこまでもナチュラルで、ありのままで、体の中に膨大なエネルギーを孕んだ人です。

原作との違いは亜夜やコンクール出場者との「出会い」のしかたが壇上の上だったこと。

「どういう風に自然体」なのか。

「どういう風に天才」なのか。

「どういうふうに人の隠していた感情、見ないようにしていたり、隠していた心の扉を開いて、心の琴線に触れるどころか揺さぶりまくる“恩寵なんてものではなく、劇薬であるギフト”なのか」。

これらを「風間塵」は表現しなくてはならないから、とてもとても大変だったと思います。だってただただ天才なのではなく、聴衆を引き込む一方で全力で嫌い、憎む、嫌悪する対象になるっていう「好き/嫌い」が二分する“天才”って相当難しいじゃないですか。

 

そもそも塵の生涯を持っておこなうと決めた「音楽を外に連れ出す」の”外”ってどこだろう?

青空教室のごとく、外で合奏団をすればいいのだろうか。きっとそうじゃなくて、塵という少年が引き出したい「外」っていうのは、色んな人に、自然に、音楽はずっと側にある。ということなんだと思います。亜夜に於ける母親が「私の前から居なくなってしまったけれどずっとそばに居てくれたんだね」という言葉にあるのと似ているのかなあ…?とか。

音楽とは常に我々の傍らにいる。世界は音楽に満ち溢れているから、もっともっと広く、沢山の人に!っていうのが、私の考える“風間塵の言う外”です。

橋本くんの考える「外」は違うかもしれない。

だとして、それを、どう与えられた”言葉の中”で表現しなくちゃいけないのかが勝負どころなんじゃないかなあ、とも思います。

外の世界に、ハーメルンの笛吹き男のように誘うのか、皆出ておいでー!って思いっきり窓を広げて、開放させるのか。どういう意味で風間塵は言の葉に込めたのか。考えていくとすごくぐるぐる頭の中がフル回転されます(笑)

 

お芝居は、初演のときは本当に緊張感が此方にまで伝わっていて、子どもがまるで自転車に乗るための練習をしているようなハラハラ感があったことは否めません。

例えば「自然」「妻」という単語が言いにくいのかな、サ行が苦手なのかな、とか思うポイントはありました。

これに関してはこの短期間ゆえとは思います。滑舌を改善するの、とてもとても難しいことなのは承知の上で、サ行とハ行って言いにくいもんな、ともおもいます。自分も「サ行」苦手だからわかります。江戸っ子はハ行とサ行の区別がつきにくい、日比谷と渋谷の区別がつかない人も昔はいたと聞きます。

プロの方でも独特な喋りを個性に変えているし、短所を長所にすることで見えるもの、できるもの幅は広がるんじゃないかなあ。万人に聞き取りやすくするのは難しいけれど、私は彼の「自然に音楽を返そう」っていう言葉をどんな風に表現するのか、滑舌が…と引っかかるのではなく彼の芝居により集中できたらいいなあと思います。

滑舌については、声優養成所の方のレッスンを見たことありますが、やはり皆さん苦戦するのかなあとか当時思った思い出。

 

橋本君は決して「全てができない」わけじゃない。0じゃない、けれど100でもない。

そんな風に感じます。

一つ一つのお芝居で、文字を追うことに集中しすぎて、眉間にしわがよっていて、険しいなあとも思うのですが、芝居の中で納得していない表情が印象的で、悔しそうな顔が凄く初演の際は散見しました。癖なのか何度も何度も唇を舐めていて、本をめくる、芝居をする時の表情が余裕のない険しい顔立ちになっていました。家入レオさんとの芝居を終えてはけるとき「あー」とばかりに天を仰ぎステージを去るのは終わった!の解放感からなのか、もっとこうしたかった、の後悔なのか……私にはわからないですが。

嬉しい、という言葉なのに、苦しそうな顔で「ありがとうは、音楽にだよ」と言ったことは、私にとってはとてもつきん、と胸が痛くなりました。

その言葉は、感謝を音楽とピアノに、という言葉は、ピアノが好きだから、いう言葉は、橋本くんの中にいる風間塵という人物はどんな表情で言っているのだろう?

笑っていたのだろうか、嬉しくてたまらない!って気持ちで言っているのか。はたまた結果が出たことで自分の音楽をナチュラルにやっているのに順位がついたことへの気持ち?どんな心で彼が、「音楽に感謝だよ」といったのか考えさせられました。

朗読劇って、「声のお芝居」だけれど、それを表でやるということは、その「声をベースにしながら、どんなふうに芝居をしているのか、そのときの気持ちが込められているのか、動きが少ない中で感じ取れる」ことが良さだと私は思うので、表情を見ながら、「風間塵」の言葉というよりも「橋本くんが文字をなぞっている」ように感じてしまったのかもしれませんね。

 

表情を一つとるだけでも、「もっとリラックスすればいいのに」って思いました。

でも、リラックスして、というのは簡単ですが、”リラックスなんてどーすりゃいいの? ほーら問題も山積みで フルスピードでどこへ行くの?そうさイライラも空回り"って歌ってる曲*15もあるくらいですから真面目に「リラックス」っていうのって言うのは簡単やるのは難しいものだと感じます。

だからこれは橋本くんが場数を踏み、稽古の上できちっと「できる」という自信で固めないと初演は特に難しいのでしょうね。でもじゃあ「できる」の自信ってつくのかって言われると大半の人が不安との戦いですよね。私だってそうです。始まってしまえばあっという間という言葉がよくありますが、橋本くんは割りと緊張しいの印象が私的にはある御人なので、最後まで確認を何度もしたいタイプだと思います。今回みたいに切羽詰まったカツカツスケジュールなら「足りなかった」「もっとやれたのに」ってなっているのではないかなという希望的観測。

だって2日目昼公演のカーテンコールで「いいメンバーでやると良い舞台になる」と言葉にしていました。そのうえで、「本当に皆さんしっかりとされていて」という事を言っています。

また、開演前のゲネプロで「ボク以外完璧で」というふうにも口にしていました。

www.daily.co.jp

その意味合いを考えれば、彼は謙遜でも何でもなく、「もっとやれた」と思っているのだろうな、自分に足りないものが見えたからこそ、東京楽で芝居を変えて、自分なりに「風間塵」を飲み込んでいったのだと思います。

少なからず、初演で気になった「ピアノに感謝」という言葉で私が引っかかった表情は、東京楽では穏やかな顔つきになっていて、眉間の皺はとれていたので、一歩ずつ、たしかに、彼は彼の中にある「風間塵」に歩み寄っていると思いました。

風間塵という、”天才”がゆえに周りから羨望と嫉妬と歓喜と驚嘆を孕みながら、あるいは憎悪を向けられながら、いろいろな感情を向けられてもなお「ナチュラル」であるというお芝居をしなくてはならない中で、ナチュラルって何なのだろう?と思いました。

今回の脚本では亜夜とのやり取りの中で彼の言葉を聞くことができます。けれど一方でマサルの曲を聞き、反応をしている彼は聴衆と何も変わらない「まさに神の子」とたたえている部分があります。

どうあるのか、神の子と呼ばれる子たちが己等を切磋琢磨させ、ダイヤモンドのように同じものたちでぶつかりあうことで輝きを見出すコンクールの中で、周りを気にしないのは正直マサル・亜夜も比較対象:他のコンクール参加者な時点で同じなのですが(原作ではね)(それでもやっぱり亜夜は自分の突きつけられた現状に戸惑ったり、周りに評価されることと同時に「あのひとよくやるよね、私だったら無理」とお手洗いで見えないところで言われたことにショックを受けたりしているわけですが)その上でどう、亜夜や他のコンクール参加者と「違うところ」を作るのかが重要な鍵なのだと思います。

橋本くんはそれを模索して、毎公演の中でひとつ、またひとつ、零れ落ちそうながらも手にとっているような印象を受けました。暗闇の中から煌めきを見つけるのってとても大変なことだと思います。答えがないから、自分なりの「こうしたい」、自分の中にある「風間塵」と対話し、見つけていく必要がある中で、未だ発達途中で、それでも確かに風間塵の手を握ろうと手を伸ばしているように感じ取れました。

 

ところで、彼はブログで「朗読劇だから。」という言葉を口にしていました。

ちなみにそれに対して、割りと友人に「は?!!!!」ってブチギレられていました。なお私は其の日に確か「DESTINY 鎌倉ものがたり」を見終わったばかりで「っはーーー!感想まとめよ!!」っていう気持ちの中にいたら、連絡がきてびっくりしたもんです(笑)

その人は声優ファンも兼ねている朗読劇も好きな友人なので、「朗読劇」というものを下に見ているようにとれたようで、非常に悲しみ、怒り、どういう意図で彼がその言葉を紡いだのかわからないと戸惑っていました。

彼女の言葉を聞いて、読み直してみると、なるほど彼女の言うこともわからなくもないし、一理あるし、そうだなあ、って感じる部分もあります。その中で、その意見を聞いた上で、私はどうだったのか、というと、「朗読劇だから」という言葉に、「まだ朗読劇の楽しさを知らないんだろうな」って思いました。

いやぁ実にもったいない。朗読劇の楽しさも難しさも台本が来たばかりだからなんだろうか、とも。

ただ、それでも「任せとけ」と口にした以上、座長は彼である以上、自信がなかろうとあろうと、彼が前に進む姿を信じたいと思って、ポジティブに捉えました。「おっ、言ったな?!”任せろ”っていったな~?信じるからな!!!期待値上げるからな!!!よろしくね!!」っていう、スーパーポジティブで、やる気を持った彼に応援しようと決めました。

蓋を開けてみれば、原稿を読めばいいわけじゃない。音読と朗読は違う。その難しさを初演で改めて感じたのではないかな、と見ていて思いました。そうじゃなきゃあんな険しい顔をしないと思う。

この仕事に対してどういう心持ちで挑んだらいいのかわからないのかなあ、とも当初思いました。

でも、一方で、J's倶楽部でラジオドラマを経験しているわけで、梶裕貴さん・斉藤壮馬さんの芝居を目の当たりにしているからこそ「プロはすごい」って肌で感じているわけです。だって少なからずJ's倶楽部で彼らがラジオドラマの脚本をよむ、アドリブで胸キュンワードを引っ張り出す姿を見ているからこそ感じているもの考える箇所は出てきているわけです。

決してマイナスなんかじゃない。その経験は何かにつなげられる。

"恥ずかしい”と泣ける心は美しいと思います

(「ちはやふる」より大江奏)

という言葉があります。恥ずかしいなら、どう変えていけばいいのか考えて、そのための一歩を踏み出せばいい。失敗は成功の母、なんてもいいますし。

そんな風に感じた経験は無駄じゃない。派生して糸を手繰り寄せていけば”縦の糸はあなた 横の糸は私織りなす布は いつか誰かを暖めうるかもしれない”っていう詩*16の通りだと思います。中島みゆきはいいぞ!!!

糸

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たくさんの出会いの中で、たくさんの作品と出逢っていくことで見えてくる別の角度がある。お芝居の中で、それとも自分が触れたゲーム、アニメ、ドラマ、映画、小説の中で。物語の中で。人の話で。いろんなところに多面的に何かのヒントっていうのはごろごろ案外転がってるんじゃないかな、というのが個人的な持論です。

彼もまた、0ではない、けれど100でもない。

ひとつひとつを積み重ねているように感じられ、少なからず東京楽で、初演とは違う「何か」を見つけられたのではないか、なんて思いました。

もちろんこれがゴールではないでしょう。それでも私は「彼なりの風間塵」を見られたことに東京3公演という短いお芝居の時間の中で「こういうふうな風間塵を演じたいのかな」って思えたことをポジティブに捉えました。風間塵という人を自分の中に入れ込んで、自分だけの「風間塵」を最後にはもっともっと作り上げていってほしいものです。その片鱗が東京楽で見られたから、大阪ではきっともっと彼の作る深みがある風間塵があったらいいなあ。見られた方がどんなふうに受け取るのか。今から感想が楽しみです。

 

朗読劇の中でとても個人的に好きだなと思った部分

声音というのは面白いもので、同じ言葉一つでも違いが明確なものだと思います。

例えば、「あなたのことを蜜蜂王子と呼ぶ人がいる」と亜夜との掛け合いのときに、彼は「そう」という言葉から始まります。

この「そう」は「いかにも!(同意)」という意味なのか、「そうかなあ(疑問)」、「なるほどね(納得)」なのか、それとも「へえ(相槌)」なのかで表現が変わります。

初演、2回め、東京楽でここの芝居だけピックアップするなら、橋本くんはこのたった一言「そう」を変えてきました。何気ない「そう」の一言から塵という人の言葉が「蜜蜂は僕にとって大切な存在」というニュアンスのものなので、一つの言葉で「蜜蜂王子」という本人が意図せずとして与えられた二つ名をどういう風に感じるかが聞き手にとって変わるのだろうな、と思いました。

ちなみに、初演・2回めでは「そう」(相槌)のようなかんじで、東京楽では「そう!」(同意)っていう風に私は捉えました。

朗読劇の面白さとして、こういった何気ない言葉一つ、でも人となりが変わって見える、お芝居を目で見ながらそこにいるのは「風間塵の声を持った橋本くんで、彼の表情を見ながら、更に風間塵をイメージして、どんなふうのやり取りをしているのか膨らませていく」なのかな、なんて。

印象に残ったのは「あなたの先生は素敵ね」という今は亡き恩師に対しての賞賛の言葉に「最高さ」という言い返しにつながる言葉。

初演・2回めは淡々と「最高さ」と答えていましたが、東京楽では自分の自慢の師が褒められて、嬉しくて仕方がないとばかりに微笑みを携え、自信満々に「最ッ高さ!」といわんばかりのものでした。私は後者のほうが、言葉が持つ力が上がった気がして好きです。

モノローグよりも個人的には亜夜との掛け合いの中で、二人の呼吸、タイミング、温度差みたいなのをより感じられたから良いなと思いました。

モノローグだと自然と気持ちが高揚した風間塵なので走っているように感じられて、生き急いでる……?!と思ったので(まぁ実際風間塵は見ているこちらがハラハラドキドキしていても気にしないぐらいマイペースな人物像だとは思うのですが)、おっとりふんわりの亜夜との掛け合いで朗読劇としての楽しさを感じられたと思います。

 

掛け合いといえば、橋本君は割りと身振り手振りを加えているタイプの人で、家入レオちゃんは基本台本を見て、正面(観客)へ顔を向けるというお芝居をしているように見えました。

どちらが正しい/間違っているではないと思います。朗読劇でも全力手振り身振りをする人もいるし、物事を説明している時自然と体が動いてしまうこともある。

ただ、なんだろう、見ていて思ったのか「風間塵」はトリッキーでいて、ナチュラル。コンクールというコンクールにいなかった異端児そのものだからこそ、亜夜や他との温度差みたいなものを感じました(笑)

演出で、わざとなのかそうじゃないのかは分かりませんが、あくまでも朗読劇の中でも自然体の、人と話しているときはその人を見る、視線を向けるようにしているなあというか。面白いな、と思いました。台本を持った上でのお芝居、みたいな印象です。まぁストーリーテラーの二人が交錯したシーンもあるので演出の都合なのかもしれませんが。

Kiramuneのリーディングライブもあっちゃこっちゃ動き回っている印象ですが、それに近いかな。何度も顔を上げて、何度も人の表情を見て、そして前を向く。眉間にしわを寄せながらも文字を追い、ときに楽しそうに、ときにもう今はなき師を思う。

声の芝居でも、初演の時から彼は掛け合いの時表情が表に出ていた印象があります。それをモノローグに段々、段々と踏襲して拡げていったように見えました。何にしたって、表情が出てきてくれて、動きの少ない朗読劇とはいえ、洋酒がゆったりと染み込んでいくババみたいに、彼の中で「風間塵」になる時間が増えていった、彼は風間塵になっていく過程にいるのかな、とか。

 

 

音楽について

ピアノ演奏について

西本夏生さんと川田健太郎さんのお二人が演奏を担当していました。

第一幕ではオーバーチュアとして「ひかりを聴け」をアレンジした千住さんの楽曲が披露されました。ちなみにこちらはピアノコンチェルトになっていて東京フィルハーモニー交響楽団の華やかな演奏が耳障り良く奏でられていて「これから蜜蜂と遠雷が始まるよ」とゆったりとしたテンポからどんどん引き寄せているような、手招きされているような印象でした。

最初は高島明石のベートーヴェンピアノソナタ第3番ハ長調op.2-3第1楽章」。

youtu.be

これは第一次予選のときに奏でられた楽曲ですが、私はあいにくと金色のコルダで学内コンクール制覇*17したり、アンサンブルでクリスマスコンサートしたり*18、オーケストラ1stヴァイオリンしたり*19、高校生のオケ部コンクールで全国制覇したり*20、何なら週末合奏団と名付けが合奏団のトップをやったりしているわけですが*21、音楽の良し悪しは私にはさっぱりなわけで。いやだってゲームはゲームだし!!(笑)

どこがどうすごい、とか素敵だなって思うのかはあいにくどんなにハイテクニックだとしても「そうなんだ」ってぐらいになってしまうんですよね。残念。それでも聞いていてこの高島明石として演奏している西本さんによるピアノソナタ第3番ハ長調はとても華やかで、聞いていて清廉された軟水みたいにガブガブ飲み込むような、入り込んでいけるような印象でした。弾き手によって多分表現の仕方はぜんぜん違うのは分かっています。が、知識がいかんせんないので、聞いた印象では華やかメロディなのに(さらにいえば聞いたことある曲であるのは間違いないのに)、繊細に奏でられているなあ~とかそういう、もうなんだ雑な意見しか言えなくて大変申し訳無い…。

 

次に奏でられたのはマサルのリストのソナタロ短調S.178。川田健太郎さんによるものです。

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リストって言われると土浦梁太郎君がコルダで語ってたという超付け焼き刃認識。個人的に好きな楽曲はラ・カンパネッラ愛の夢です。辻井伸行さんの弾いてるものを聞いて知識がない私でも「すげえ…」とまぁほんとなんの語彙力のカケラもない感想を抱いたものです(笑)

マサルという人間が自信に満ち溢れた人なだけに、ピアノの一音一音が「俺の歌を聴け!」と言っているみたいな印象を受けました。なるほど熱気バサラ

というかうっかり調べていたらリストの作品で「ピアノと朗読」を組み合わせたものもあるんですね。掘り下げて面白いな~って見ていたらアレクセイ・トルストイの名前があってびっくりしました。人はなんで生きるかを晩年、宗教的な面で童話として書いていたトルストイがこんなところにかかるとは思いませんでした。世の中って近くて遠い。ちなみにこのマサルの演奏は第三次にて披露されたものでした。

 

栄伝亜夜のラヴェル作曲「ソナチネ 第2楽章」は西本さんによるもの。

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ピアノ曲って聞き取りやすくて穏やかな気持になったり、逆に荒々しい、圧倒されるものであったりいろいろですが、この第二楽曲は文字で語られる音楽の中でも一際水面のように広がっていくように思いました。波紋のように、それこそ音の驟雨のように。しっとりと、じんわりと。そんな響きが似合う曲だなあ、と西本さんの演奏に耳を傾けながら思いました。

 

風間塵の第三セレクションにて披露されたメンデルスゾーン「無言歌集 第五巻「春の歌」」が演奏。此方は演奏者は川田さん。

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メンデルスゾーン、音楽の授業でなんか聞いた記憶がある!!!(記憶力の欠乏感)

というか曲聞いて「ゆっ、柚木様*22の2アンコールでやったやつやんけ…!」と震えました。

すごい!進研ゼミでやった!ってぐらいに「わかる、わかるぞ!」ってなったのは多分間違いなくコルダのおかげ。

ありがとうネオロマンス。ありがとう金色のコルダ2ff。ありがとうそしてありがとう!!!!!アンコールも楽しみにしています。

これはもうタイトルの通り「春の歌」なわけですが、聞いてて真っ先に思ったのはこれは菜の花畑なのか、それともスイートピー畑なのだろうか。はたまたタンポポだろうか。

春の柔らかな日差しと穏やかな心地を描写したような、芽吹きと、春の息吹を感じられる曲です。明るくて、軽やかで、ぽかぽかと、楽しそうで、風間塵が表現したかった「春」を家に帰って本をばーーっとめくりながらその描写を見て「あーこれだ!これだ!」とワクワクしました。

文字が歌うのと同じように音楽が語りかけてくるように思えて、それが一番今作の中ではわかりやすい曲だったなあと思いました。

音楽の中で見える情景があって、そこに彼の考えている「外の世界に!」という言葉に手を引っ張られて、こっちこっち、とおぼつかない足取りながら連れられていくような気分になりました。私はこのメンデルスゾーンの春の歌、とても好きです。

最初に「春の歌………スピッツ……?」って思わず思ったのは間違いなく3月のライオン*23のせい。カバーも原曲も私は好きです。

\はるのうーたー!/ この曲出たのが2005年とかちょっと信じたくない。

 

ということでピアノは以上。ココからピアノコンチェルトになって、さらにいうならお歌が加わります。

 

お歌について

リーディングなのに歌唱指導がある…だと…と当初話を聞いて目玉を飛び出すのではないかとびっくりしたのですが、超わかりやすく言うと平原綾香さんのJupiterみたいな感じです。

Jupiter

Jupiter

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 最近だとリトルグリーモンスターがカバーで歌ってますね。陸王でおなじみですね*24!!!!陸王いいドラマでした!!

Jupiter

Jupiter

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 ニューイヤー駅伝もワクワクしましたね。茂木選手超注目されていて同じ名前でドラマとはいえ「こうなるとは…」だっただろうなあと思いました。しかしいいドラマだったからなあ仕方ない。

箱根駅伝もそうですが、年始は何かと駅伝でワクワクできるので、全く関係ない人間ながらついつい見ていたので、題材にしてくれた池井戸潤氏にも感謝だし、陸王という作品をドラマにしたTBSにも「ありがとーーーう!」と叫びたいし蓋を開けたら「おいこれお前の好きな俳優ばっかやないかーーい!」と友達に散々ネタにされてニコニコしてました。

話がそれましたがJupiterももともとはホルストの「木星」に歌を付けていますし、そんなかんじです。そう考えるとイメージしやすいかなと。

 

マサルは「アヴェ・マリア」を。もうこれは言わずともがないというか木村優一さんの伸びやかなソプラノがすごすぎてソプラニスタってすごいなあと感動していました。神々しいというか、宗教色の強いアヴェマリアという曲を聞きながら、バックの演出が優しい光が差し込むようなやり方で「う、うわーすげー!」っていう。心地よい。どっからそんな声出てるのすごい。みたいな。語彙力が低下著しい感想でした(笑)

アヴェ・マリアは言わずともがなしれたクラシックの名曲で、「わ…私でも知ってる!」っていうやつです。金色のコルダで散々聞いた!

コルダ以外にも、色んな作品に出てきますね。フランダースの犬でも使われているのが有名*25

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いやもうなんか感想一言でどうぞ!って言われたらソプラニスタすげえ」でした。語彙力が!ない!!(笑)

 

亜夜は「月の光」を披露。

今回恩田陸氏による月の光は作詞がされており、もともと音楽に関わっていた恩田さんなりの解釈を入れながらの詞でした。

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「月の光」と言われると四月は君の嘘で流れたいたなあというのと同時にこちらもとても有名な楽曲ですね。

しっとりとした曲調で、先程のメンデルスゾーンの「春の歌」が華やかで爽やかであたたかな風が吹いている昼間だとしたらタイトルの通り、落ち着いた夜。

青く、白く、ぼんやりと浮かぶ月が何を語るのか、いつからそばにいるのか、どうしているのか。優しくそばにいるのか。

Rie fuの「Life is like a Boat」を思い出させる(出た順番を考えたらメンデルスゾーンのが圧倒的に先なんですけど!(笑))感じで。

Life Is Like a Boat

Life Is Like a Boat

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 これに関してはもう家入レオさんの歌唱力すごい。伸びやかでつい先程まで朗読で語っていた「亜夜」が、自分自身の心にウソを付くのを止めて、嘗て自分が逃げ出した神様との遊び(=音楽に全てを捧げること)を求めて、自分が、風間塵を羨んで、神様と彼が遊ぶ姿に自分を重ね、今、自分が「どうしたい」のか、ずっと考えていた「弾きたい」のか「弾くしかない」のかを答えを見出すというのを歌に込めています。

ずっとそこに居てくれたんだねという言葉を見てつい先日「スターウォーズ最後のジェダイ」を見た私は「音楽とはフォースである」という結びつきを作品を飛び越えて感じました。

音楽を通じて彼らは死して尚そばにいる。それは作曲家が残した音楽が今もこうして奏でられているように。

フォースとは自分の中にある。生と死、暖かさと冷たさ。いろんなもののバランスの中にフォースはあって、死して尚、肉体は滅びても彼らは「側にいる」のと同じように、それはきっと音楽もまたそうなんだろうなあ、なんて、ええ。ルーク・スカイウォーカーのあのシーンを思い出してウッ…ルーク…と今感想をまとめながら振り返っています。スターウォーズまたみたい(話が逸れている)

音楽とは力。音楽とは自然。音楽とはそばにあるもの。森羅万象、ナチュラルに、呼吸するように。それこそが風間塵の「音楽」で、それに気づいた彼女もまた、彼とシグナルを交わすように、自分の中での答えを見出していきます。

圧巻のお歌で、本当にオーチャードホールに彼女のよく通る歌が伸びやかに広がっていて、聞き終わった後にほう…と息をつきたくなるような、そんなお歌でした。

 

最後の風間塵は「ジュ・トゥ・ヴ(あなたが欲しい)」でした。サティの名曲ですね。

此方も恩田陸氏による作詞で作られており、もともと同曲がキャバレーやミュージックホールで奏でられるために作られたものだったので、とてもシンクロしているなと思いました。まぁコンクール?と言われると彼らと同様首を傾げる楽曲ですが。

ここで、初演のときはスタンドマイクで歌っていたのですが、2公演目以降はマイクを取ってのパフォーマンスになっていました。

突然のアイドル感覚。下手/上手を練り歩き歌う様は「あれっこの光景どっかで見たことがある…はしソロ…?」とデジャヴを覚えました。「アイドル感がある」というように言葉にされていましたが、多分その通りの演出なのだろうなと思います。

風間塵が自由だから、やりたいようにやるから。その「自由」さのために、マイクパフォーマンスに変更したのだろうか、という印象。それがいいのか悪いのかって言われると、個人的には「風間塵」を見に来ているので、最初の通りの動きのほうが好きだなあと思いました。

橋本くんは声質が甘いタイプの人なので、サティのジュ・トゥ・ヴーという音楽はとてもあっていたのではないかと。恩田さんの歌詞も相手に振り回され、気持ちを探り合っている感じがして非常に楽しい曲になっていました。

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ちなみに個人的にジュ・トゥ・ヴーの思い入れというと最初に小説読んでて出てきたとき「きっ、吉羅暁彦理事長!!!!*26」でした。すごい!ネオロマンスすごい!!(笑)技術レベル13すごい!!

華やかで鮮やかで、今でもお店で流れている印象。ちょっとフレンチを食べに行ったときにお店で弾かれていたりすると耳を傾けたくなるような弾むような曲ですよね。

マイクパフォーマンスの時の橋本くんはどちらかというと蠱惑的というか、その「恋愛ゲーム」をしている歌の中の相手側として、に近い気がしました。それはそれで「風間塵を通しての相手」になるのかなあ…とか。分かりやすく言うと眼鏡をかけた上にサングラスする、みたいな!(笑)

オーケストラの音楽に合わせて歌う姿はアイドルである一面と俳優の一面と、なんかいろんなものが融合していて、うまく説明できないんですが、歌と表情を合わせてみるとどんなふうに表現したいのかの、「風間塵」の欠片探しをあちらも此方もしているような、その”駆け引き”を観客と橋本良亮、ないしは風間塵としているような、そんな感覚に陥っていました。

 

”ひかりを聴け”は今回千住明氏によるオリジナル楽曲で、こちらもまた恩田陸さんの作詞によるもの。

この曲に関しての主役は誰にあたるのだろう。自分が聞いていて、歌詞を読み直して思うのは「自然そのもの」のひかりを指すのかなと、そのままの意味ですが。少なからず電球的光ではないだろうし、サイリウムのようなものでもないだろうし、太陽光であり、月光であり。

この作品の亜夜と塵という人物はそれぞれの境遇が全く異なりますが「大切な人を失っている」という部分は共通になります。

誰のために音楽をしているのか。自分が好きだから。その確証はどこから生まれてくるのか。繰り返される自問自答と、迷宮入りと堂々巡りする気持ちの中でのヒントとなる、この作品全体の答えに至るためのヒントたる曲だと思います。

曲に入る前に、「手 広げてみて」と口にしたのが明石なのは、作中で「一人じゃない」がよりはっきり妻の存在で示唆からなのかなと思いました。

コンクール出場者とストーリーテラーによる全員曲、テーマ曲と言ってもいいと思います。満ち溢れる光は彼らの人生の中にある戸惑いから導くものだと思います。

永遠とは何か。刹那と永遠は対象言語になるわけですが、そこにある彼らの見る世界、感じるもの、音楽を凝縮した、「次のステップを踏むための示唆」の、曲かなーとか、感じました。

劇薬として「ギフト」で「災厄」でもある風間塵を生かすも殺すもある意味彼ら次第で、小説の一番最後、エピローグでの風間塵のシーンを最初聞いた時にイメージしました。

塵であり、亜夜であり、マサルであり、明石であってほしい。そんな曲なのかなあ、とも。もうなんか微塵も美味いこと言えてないんですけれどね。これに関しては全体のレベルが非常に高く、木村さんのソプラノめちゃくちゃ通るしろみねえ歌やっぱうめえ…ってなったし、家入レオちゃんの声気づくの早いし、ビッケブランカ氏のハーモニーが心地よい。橋本くんに関して言えばハイレベルの彼らに引っ張られて声をいつもより出せているのかなあという印象を受けました。この曲は誰か一人が目立たさせるのではなく、オーケストラとか、アンサンブルのような「調和」を作ろうとしている楽曲だなあ、とか、溶け合って、響き合って、共鳴に近いのかなあと思います。ゆえに、歌唱指導の方がしっかり丁寧に作ろうとしているのかと思いますし、応えていこうとする彼らにも思うところがあり、さらにさらに引き出して伸びやかに軽やかに歌のブラッシュアップはされるのだろうな、なんて思いながらみてました。

歌とピアノコンチェルトの協奏。うまいことばで全然言えないからもうそのままやんけと言われそうですが、協奏は心地よく、優しく天啓のような、それでいてヒントだけのような、茶目っ気と優しさが孕んだ楽曲だと思います。オーバーチュアとまた印象が違うので千住明さんの作曲、面白いなあとしみじみしてました。

 

東京フィルハーモニー交響楽団の演奏について

澤村杏太朗さんの指揮で奏でられるオーケストラは言わずともがなすごかったです。

原作で出てきた「ここからはスターウォーズっぽく」というマサルのコメントの通りあのスターウォーズの「来るぞくるぞ…」みたいなばーん!と総大でスケールの馬鹿でかい感じが出ているものは言わずともがなでした。プロコフィエフのピアノ協奏曲でも、マサルと亜夜の表現する第三番と第二番でぜんぜん違うし、受けた印象は華やかさと淑やかさ、一つの曲で言うとAメロBメロサビどーん!!みたいな流れの中でまた戻って、の空気感。

いやクラシック・ミュージック私本当好きなんですがある程度短くしてくれないと心地よさから葛藤を始めやすいんですが(クラシック慣れていない感)澤村さんのタクトに合わせて波のように動く奏者の人たちがとても印象的で、良し悪しというのは本当にあの芸能人格付けチェックなんかしなくても分かる通り\わからん/なタイプなんですが、それでも、見ていくうちに引き込まれて楽しくなってくる。そう思えました。

私が聞いた5つのピアノコンチェルトの中で好きなのはプロコフィエフの「ピアノ協奏曲第三番 第一楽章」かなと。

 

音楽だけで言えば、ある意味ベスト盤の作中で使われた楽曲をCDにしてくれているのですが。 

『蜜蜂と遠雷』ピアノ全集[完全盤](8CD)

『蜜蜂と遠雷』ピアノ全集[完全盤](8CD)

 

最初の段階で「どういう状況で」踏まえて、演奏をするのか、っていうのを聞いて挑めると言うのは楽しかったです。

 

「短期間でここまでこぎつけた」という言葉について

これに関してはとにかく、スケジューリングもう少しなんとか…もう一声!って思いました。決まったのも急すぎて、キャストの困惑が此方に伝わっていたのがとてもとても残念。もっとブラッシュアップが時間があったらできた、という感情が端々から見えました。

演者さんに関して言うと、芝居を個人練習しても結局「これでいいのか」「これじゃだめなのか」という判断は演出や周りの声があってできるもので、演者は要求に応えるのが仕事であると私は思います。

もちろんじゃあ「言われた事だけこなせばいいのか」と言われれば答えはノーです。断固としてノーといいたいです。のど自慢の時河合さんが「それは違う」と口にしたことで変わった箇所があると聞きました。

役者から見て、演じる側から見て「変だ」と思ったことは口にしていいと思うんです。演出家も、役者も人間です。人間だから、それぞれがそれぞれに高みを目指すために、積み上げなければ良いものは作れないと思います。ディスカッションをすることでいいものって出来上がるのではないかな、と。一人よがりじゃ良い物はできないし、かといって馴れ合いでダラダラと会議していてもしょうがない。常に一緒にやればいいわけじゃなくて、音楽の合唱をするとき、「ソプラノ」「アルト」「男声」でそれぞれパート練習して、その後全体で合わせたりするじゃないですか。全体を通してわかる自分の改善点があって、そこをまた直して、を積み重ねていく。

ピアニストの波長も合わせて、そこのタイミングの合わせも考えてオーケストラと合わせてと重ねて重ねて考えていく。その先導者になるのが今回でいうと「演出家」になるのではないかなあ、なんて。

 

だから、実際の本番になると見えてくるものが会って、反省点はきっと、だれにでもあって、じゃあどうするかっていうと「次に繋げるための糧にする」しかないのかなと思います。

「そんなこといったって1公演しかいけない人だっている」、本当にそれな!いっやほんまそれな!!って全力同意。

すくなからず「何度も行って当たり前」という風潮は私好きじゃないです。

お芝居にしてもコンサートにしても、何にしてもしかりで、「その瞬間は一度切り」なんだということを思ってほしい。

好きだから何度も行く、それが決して悪いわけではありません。

ただ、「その1公演を、たった一度しかない一期一会を楽しみにしている人がいる」ということを知って、意識して、表現者の人は表現してほしいといつも思います。全部入れる人ばかりじゃあない。どんな公演であったって、100%以上の力を発揮してほしい。そんなふうに私は思います。表現を終えた時「もっとできた」「こうすればよかった」その反省点が出てきたとしても「今、あの瞬間の失敗や経験があったからこそ生まれたもので、この失敗は自分にとっての糧である」と思ってほしい。

やるからには完成していてほしい気持ちと、毎公演続けることで変わっていくこと。いやあファンというのは実にめんどくせーな!!って自分の二律背反のまとまりのなさを見て頭を全力でハリセンでッバアアアアン!と叩きたいです。

「明日はどう変わっているのだろう」という期待、ワクワクと。

「今日のパフォーマンス本当に良かった、初見だからこそ得られるものがたくさんあった!」の満足感と。

初めてだから知ることができるものがたくさんあって、だから私は橋本くんのはしソロで彼が何度も口にしていた「2週間しか用意できなかった」も今回の「3日間しか練習してない」も、あんまり好きではないのですよね。

だって見る人にはそれは関係なくて、その1公演のために必死にチケットとったり、仕事休みをとったり、勉強を頑張ったりして準備して、お金を出している、と思うから。

短期間だったから、を言い訳にしないでほしい。

だって、正直それならゲネプロとして初演の価格を落として出すべきなんじゃないかな?っても思うんです。

納期に間に合わせるのは引き受けた上で「大前提」なのではないかな、とも。

ただ、今回の件に関してはそれにしたって短すぎるって意見には超同意の上で、「ほんっと、ほんっとさあ!!!」ってこの企画を押し通した人に憤りを感じながらも、書いています。

だけど、其の上で、全ての今回の携わるステージに立っている人たちに言いたいことは、

 今の俺だからこそ奏でられる音があるって――それだけは証明してみたくなったんだ。

という、私のとても好きな作品の一言です。

短時間かもしれない。時間がないのかもしれない、だからこそ、短くても何でも、今の彼らだから出せるものがあって、表現できるものがあって、それを是非、証明してみせてほしい。

どんな状況だろうと、「俺、こんだけやったから!やれるだけのことはやった!でもやった上で、新しい直せるところを見つけた!明日はそこを直してもっともっとやれるだけのことをやってやる!」…みたいな感じで、前向きで居てほしい。そんな最大限の「やってやる」を、見たいんですよね。

いやあファンってわがままだな!(笑)

 

で、ぶっちゃけ好きなの嫌いなのって言われると…

原作がとてもおもしろかったのですが、その分の期待値の反動か、今回の「朗読劇」と「オーケストラ」の融合の脚本・演出・編成に関しては私の好みではなかったです。

しかしながら、これらが融合することに対しては個人的には肯定的です。というか、自然とオーケストラ有りきの朗読劇、コンサートについては聞いたことがある類だったので、「事前の言い方で受け止め方は変わっていた」と思っています。それでも脚本ここはつなげていてほしかった、このセリフを、このシーンをやってみてほしかった、が、ないかと言われればまた嘘になりますが。

それでも、オーケストラもピアニストも指揮者の方もすごかった。圧倒されました。演者の方々も各方が思う作りこみをされているような印象です。

脚本を渡されたタイミングがあまりにも遅かったこと、また、千住明さんから直々にコメントをされているのを見たら、ピアニストのお二人に「この短期間で、しかも地味ながらもすごい技術が必要な曲で。コンクールと同じぐらいの短さでやってもらいました」という言葉を聞いて立ちくらみを覚えるかとおもいました。

いや座ってたんですけれど!(笑)私はてっきり演者の方々が決まるのが遅かったのか、リーディングオーケストラながら「リーディング」要素の本の完成を鑑みると時間がギリギリになったのでそこの決定に時間を有したのかなと思ったのですが、演奏者の方々も演奏分に対して時間配分がとても急だったようです。

本当に突発的に決まって突発的に進んでいったのかな…と思うともうなんだろう、なんだ!!もう!!っていう気持ちでいっぱいで。そのなかで足掻いて足掻いて作品を作り出そうとしている姿を見ると責任者の方は今回の件に関して、どのように考えているのか聞いてみたいばかりです…「もっとやれた」と思うことは決して誰に対しても悪いことではないと思います。次へ進む一歩なので。

でも、やっぱりもっと稽古をさせてあげてほしかったし、練習を積み重ねてこそ「披露」につながるのではないかと思います。

リーディング側に関して言うと、経験者は少ない中です。だからこそ時間を有して、リーディングとして完成させてほしかった。

「オーケストラがベースだから」「ピアノ・コンチェルトが中心だから」というのならば「リーディングオーケストラ」と銘打つのはナンセンスだと思いますし、それでも完成させるしかないよね、プロだから、とキャストに押し付けるのまたちょっと違うのではないかな…とワガママなことを思っています。スケジューリングどうなってんの!

とはいえ、じゃあこのままでいいかって言われたらンなわけあるかー!!って本人たちも当然思っている(千住さんの言葉に対してとても力強くそれぞれが頷いていました)ってことで、大阪まで20日前後ある中で、彼らがそれでも前向きに「こうなった以上やるしかない」として東京公演で得たものをポジティブにポジティブに糧にしてブラッシュアップしてくれると思いますし、大阪で見る人達にとって、絶対「東京公演より良くなっている」と思わせてほしいものです。

演者はもっとお互いの中でディスカッションをしてほしいし、呼吸、掛け合い、この言葉をもっと自分の中で落とし込んで登場人物のものにしてほしい。そこにいるのは「あなた」ではなく「それを通した役」であるから。

でも、一方で、 どんな形であれ、私は3公演見ていく間に「ああ、こういう芝居をしている表情が好きだな」という要素が1箇所でも2箇所でも3箇所でも出てきたのは事実です。

そういう、個人個人の少しの変化が楽しめた、リアルタイムでその場所にいて「あ、変わった!」みたいな経験を得られたことは、3公演というお芝居を何度も見たものとして、とても良い経験だったと思います。

誰にとっても其の瞬間を生きることしかできなくて、お芝居だったり音楽だったりを触れられる機会であるわけで。そういう意味でも、プラスに転じてほしいな、なんて、思います。演者にとっても、観客にとっても。

どんな形になっても「人生は一度切りである」という当たり前のことではありますが、その人生を謳歌するごとく、お芝居を「しんどい、でも、楽しい!」になってほしいと思います。朗読劇を楽しんでもらえたら良いなあ。

オーチャードホールなんて中々ない機会です。ジャニーズという枠でいうと「坂本昌行」「亀梨和也」その流れからの橋本良亮です。

正直聞いて「は?!オーチャード橋本なの!?」(オーチャードでやった坂本くんが「オーチャード坂本!」って言われていたことに由来*27)。

その”音楽”を楽しむ、コンサートやオペラ、バレエを楽しむ場所で、朗読劇とオーケストラというものを組み合わせたことに対しては楽しかった、と思います。東京フィルハーモニー交響楽団の方々の演奏も、ピアニストのお二人の繊細だったり激しいタッチの音楽も、澤村さんの振りかざすタクトも。贅沢な時間だったと思います。そんな方々に支えられたお歌や、お芝居を聞けたのはいい機会でした。

 

まぁ来月同じように朗読劇×オーケストラ、私行くんですけどね!!!(笑)

声優さんですがお歌歌うみたいですけどね!!

prtimes.jp

 

なんにしても「変化」を楽しむという意味で、大変意味があったものだなと感じている次第です。

1公演だけだったらどうだったかと言われると、多分初演だけ見たら当日の私のツイートを振り返ると闇しかないので(笑)

初日にいくか、その情報が入った上でいくかでもまた違ったんだろうな~なんて思います。初演みたときに行くのをどうしたものか……っていう正直な気持ちを持っていたなかで、それでも足を引きずり観劇して変わったものたちに”変わって良かった”って思えて安堵しました。

最後の最後まで、最後の一音まで、鮮やかなこの「蜜蜂と遠雷」という小説を題材にした作品をどんどん良くして、素敵なものにしていってくれたら、なんて心から願っています。

これから大阪でお芝居を見る人は東京公演を見ていない人もいるだろうし、逆に見ている人もいる。全日行ってる人もいればそうじゃない人もいる。

だからこそ、その一瞬一瞬を、一公演ずつを、大切に、丁寧に、全力で挑んでいってくれたら嬉しいな。全部が終わったときに「いや~~大変だったわ~~でもやっぱやりがいある仕事だったわ~~朗読劇って難しい、でも楽しいね!」ってなってくれたら。

そう願うばかりです。また橋本くんが声のお仕事をしてくれたら。今回とは違う形の正統派なものでもいいし、「まさかのロック朗読劇!?」とか、世の中色々あると思います。ホトケンサーの朗読劇は色々衝撃でした。懐かしい。

まぁそんなこんなで、自分の中で、色んな「得るもの」が観客も、演者も、スタッフもあったらいいな、と思うばかりです。

 

余談(1)「ドゥ・マゴ・パリ」のシブーストが美味しい

オーチャードホール場渋谷Bunkamuraにあるわけなのですが、そこに隣接する「ドゥ・マゴ・パリ」というお店のシブーストが究極美味しいんですこれがまた。

 とろっとしたリンゴをあっためてくれているのでちゃんと温かいし、さくっとした生地との相性も良い。都内でシブーストを検索すると早々にでくるのが此方のBunkamuraオーチャードのドゥ・マゴ・パリのシブーストでした。

www.bunkamura.co.jp

ちなみにこれは全く蜜蜂と遠雷どころかお芝居何も関係していないタイミングで足を運んだのですが、友人と二人で「えっ……アフタヌーンティやすいやん…」って話から追加しました。現在は値上げされているのかな?私達が行ったときは2500円でした。

シブーストで検索したけどホームページでは「タルトタタン」と書かれていました

 

余談(2)VIRON渋谷のタルトタタンもめっちゃ美味しいよ

ちなみに渋谷東急のすぐそばにあるパン屋さんのVIRON(2階はブラッセリーになっているのでイートインも可能)(でもご飯めっちゃ美味しいからよくランチに行きます)のタルトタタンも美味しいんだなこれが。

VIRONのタルトタタン

タルトタタンに生クリームを添えて

リンゴがドゥ・マゴ・パリはどこかとろりとしたリンゴが今にも零れ落ちそうなかんじの食感が残っているけれどこちらはしゃりっとした形が残っている印象があります。また、パン屋さんがやっているだけもあって生地がぱりっとしていました。

生地はぱりっとしたタルト生地。生クリームやバニラアイスを添えることもできて、お店のお兄さんいわくおすすめは生クリーム。お値段は結構ハリますけど、その分サイズがしっかり大ぶりで食べごたえ十分です。

フランス小麦で作られたパン、お菓子、そしてパンとともに楽しめるフレンチは言うことなく、今回の「蜜蜂と遠雷」がお芝居決まった瞬間に「やったーーー!VIRONいこう!!」ってすぐ行くのを決意したぐらいには私は好きです(笑)

その結果が此方。

ランチがちなみに日替わりメニューだとバゲット食べ放題なので、しっかりパンの味を楽しむことができます。 

ホットワインはシナモンとオレンジ系の果肉がしっかり入ってて心も体もぽかぽかでした。お肉に関してはもう言わずともわかるな?美味しいです!!!って一言です。背伸びランチ楽しい。

 

tokyo-calendar.jp

1回のパン屋さんではバゲットの他にここのカヌレやフィナンシェをよくお土産に買っていきますが好評だったりします。是非一度お試しくださいませ~。

なお個人的におすすめはモーニング。

朝はやく行くとパンをいくつか、コンフィチュールと飲み物とセットで食べられるオトクな仕様になっています。朝早く起きてゆったりモーニング、是非。ランチにもディナーにも使える当たりマジVIRONさん有能。いつも友達連れて行っています。いつもお世話になっていますありがとう…今度ごはんの記事ちゃんと書きますね……。

 

余談(3)偶然見た寺西拓人くんの印象が超良かった話

たまたま1月5日に会場入口で寺西くんと鉢合わせしたのですが(関係者口から入ってきた)(どっちにしても入り口は一緒だから自然と会う)、至極当然のことと言えば当たり前のことなのかもしれないのですが、(恐らく)元生茂樹さんとお話するにアタリご挨拶する時脱帽して、マスクもずらして、ニコニコ頭を下げていらっしゃったのが印象にとっても残りました。

それだけに、「あ、とってもしっかりした子っぽい」という印象になりました。そういうなんだろう当たり前のことを当たり前にできる、って個人的に凄くいいな、と思います。

たしか、前にJ's倶楽部にゲストで来ていらっしゃいましたよね。河合くんのお芝居で共演されていた印象だったので、そのご縁で見に来たのかな、という印象でした。

スグリーンのダウンコートっぽいの着てグレーのパーカー?フードがついていたのと帽子だったような記憶があります。めちゃくちゃうろ覚えだし、私最初友人に「(髪の毛明るくて垢抜けてるから)橋本くんの友達かな?」といったところ「寺西くんだよ!!」って言われました。オーラで気づけって話ですねごめんねごめんね人の顔覚えられてないんだ…でも素敵な、しっかりした子なんだろうな、っていう、そういうところでそういうのができるっていいなあって話。

もうなんにも関係ないんですけど、うっかり好感度があがったエピソードでした。どれ見れば出ているんだろう…?

 

余談(4) 千住明氏さんの差し入れの話

先日歌唱指導の今井マサキ氏のInstagramにこのような投稿がありました。

www.instagram.com

このポージング完全にジョジョ5部のジョルノ・ジョバーナさんじゃないですか……。

ギャング・スターにあこがれるようになったのだ!

のところじゃないですか……。詳しくは「ジョジョ立ち ジョルノ 」で検索してください。私見つけた瞬間一人で「ジョルノじゃん…」とびっくりしました。

このイラストすごい細かくてバックにはちゃんと楽器はあるし、左側には譜面もあるしで見てて楽しいですね。

なんとこのイラスト、ちゃんとジョジョ荒木飛呂彦先生のイラストなんですよ……調べてみたら「あっ…あっ…これは凄い…」ってびっくりしました。

 よかったジョルノ・ジョバーナで合ってた。

調べてみたら2015年に出たCDのイラストからだったんですね。

natalie.mu

 

メインテーマ

メインテーマ

 

 割と真面目に「なん…だと…」とびっくりしました。それでもこのイラストをとてもとても大事にされているんだなあとにっこり笑顔。

荒木飛呂彦さんといえば川端康成の「伊豆の踊子」の文庫表紙を描いたりしていましたね。

 

伊豆の踊子 (集英社文庫)

伊豆の踊子 (集英社文庫)

 

 当時流石に「こんな顔の濃い伊豆の踊子居たらびっくり以外の何物でもないわ!!」といいながら購入した覚えがあります。ジャンプの漫画家さんが集英社文庫の表紙を描くっていう企画*28で、ほかにも小畑健さんが太宰治の「人間失格*29とかありました。(非常に悪い顔してて「すごく…DEATH NOTEみたいで…いいです…」と買ったりとかしていました。超売れたらしい。わかる。

人間失格 (集英社文庫)

人間失格 (集英社文庫)

 

 

しかも「肉まん」って。チョイスが肉まんって。ってほっこりやさしい気持ちになりました。肉まん美味しいよなあとしみじみ。そういえば2017→2018の年明け一発めの音楽番組であるCDTVA.B.C-Z家入レオちゃんは同じ時間帯だったわけですけれど、そこで「忘年会」を「新年会」に歌詞を変えて彼らは披露していました。ちなみにA.B.C-Zの前に三浦大知くんが出るし新年早々EXCITE出てきてイヤッッホォォォオオォオウってなったのは言うまでもない。というか連発で出てきたから私がひたすら楽しい時間でした。ありがとうTBS。

で、そこで毎回ちょっとずつ変える「抱負」について、橋本くんは「肉まん10個食べる!」と言っていました。

Q.その10個とは累計なのか、それとも1回で、なのか

A.本人しかわからない

何にしてもまぁ、美味しいものは美味しいから仕方ない。千住さんがそれを見たのか見てないのか(たぶん偶然だとは思うけれど結びついたのはちょっと嬉しかった)わかりませんが、それでも楽しい、座組として「頑張ろうな!」ってなったのなら、団結力が増したのなら良いなと思います。

ちょーわかるわかる同じ釜の飯を食うって大事だよね…ということで肉まんのお話にうっかり自分も井村屋の肉まんが食べたくてうっかり帰りにほかほか肉まん食べました。肉まんはリリンが生み出した文化の一つだよね…(?)かこつけて肉まん食べたかったとか言っちゃいけない。

 

ということで文字数が3万6000を越えてしまってマジでここまで読んでくださった方には感謝しかないし「ごめんな…まとめる力なくてごめんな…」としか言えないわけですが。

前編と含めると7万字というあれでそれ……。なんてこと。まぁ言っていることも重複していたりするし、全体を精査してみるともっと削れそうなんですが、勢いでぐあーーっと書いているので…なんというか「長いわ!!」って思われた方、本当申し訳ない。長文にもかかわらずお読み頂きましてありがとうございました!

注釈というか小ネタ解説

*1:35407文字という文字数でした。どういうことなの??(笑)

*2:プレイステーション2で発売されたゲーム。合奏団の指揮者になった男の子を操ってコンサートを成功させよう!っていうゲームです。「茶の間にチャイコフスキー」が合言葉。

*3:ラヴェルの「ボレロ」が冒頭のBGMに使用されています。刷り込まれた人大多数

*4:第九、G線上のアリアなど

*5:金色のコルダの作品イベント。生演奏と生朗読劇、生歌があったりと色々を突っ込んである。取り敢えず声優がフリーダム。基本イベントの打ち出し方は「作品イベント」で、何でもありだけど主軸になるのは声優さんな気がする。キャストの一覧は出演者(声優)、演奏者、と続く形。参考例→2017.09|金色のコルダ 星奏学院祭6

*6:金色のコルダのクラシックコンサート。

こちらにも声優さんと演奏者が出演するけれど、あくまでもメインは「クラシック音楽」ということで、演奏が中心。声優さんは演奏に華を添える形。

今回と同様に「朗読」パートが演奏の前にあったり、実際にやり取りはあるけれど「演奏」をベースにおいている。表記の仕方は「指揮」「コンサートマスター」「ゲスト奏者」「演奏合奏団」、「出演者(声優)」「出演者(進行役・アンフィニ)」、「声の出演」(ナレーションのみで今回は来ない人たち) 参考→2016 05 22|金色のコルダ ステラ・コンサート 2016: cast

*7:各駅停車の新幹線

*8:こだま・ひかり・のぞみの中で一番スピードがある。停車駅は少ない。

*9:田中将大/MASAHIRO TANAKA(@t_masahiro18)さん | Twitter

*10:金色のコルダにおける「音楽の妖精」

*11:「朝と夜の物語」などRomanに登場する生と死を司る人形の姫君。シンメになっている。片方が碧、片方が紫。

*12:「後半に続く」が有名ですね。

*13:NHKでやっている番組

*14:ドラマCDシリーズ。この度愛蔵版が発売されることが決定されました。おめでとう。

*15:ウッチャンナンチャンウリナリで作られたユニット・BLACK BISCUITS「RELAX」より。

SMAPの「SHAKE!」作ってる人たちのタッグなので凄くアップテンポで明るい曲に仕上がっています。

*16:中島みゆき「糸」

*17:金色のコルダ。音楽科のある私立高校で普通科で高校生をしていた主人公が音楽の妖精が見えちゃったせいで「お前!お前に!魔法のヴァイオリンをやるからそれでコンクールにでろ!勝ち抜け!!」って言われてしまい学内コンクールに出る羽目になるストーリー。ちなみに学内コンクールに注視し過ぎたら誰も迎えにこないという難易度が高いゲーム。乙女ゲームだろ!!!!と私は何度も「土浦くん来ねえ!!」と頭を抱えながらやった思い出。基本システムは妖精を一狩りしようぜ(誤解を招きそう)である。

*18:金色のコルダ2。1に比べてめっっっっちゃくちゃシステム楽になりました

*19:金色のコルダ2アンコール

*20:金色のコルダ3

*21:金色のコルダ4。合奏団を作って知名度上げてスケジュール組んでコンサート開催して…と実際今度は「主催者」になる話。季節は秋から冬だよ!難易度は久しぶりに高くて死ぬかと思った。むしろ現在進行形で四苦八苦している。

*22:柚木梓馬(ゆのきあずま)。声は岸尾だいすけ金色のコルダに出てくる超絶金持ちのフルート専攻、高校3年生。進路の話がしんどい。温和な性格で優しくてファンクラブというか親衛隊もある、THE王子様。まぁそんな一筋縄で行く人がネオロマンスにいるわけがないので、そこらへんは話を進めていくとあれでそれ。

*23:映画版の3月のライオン後編にてスピッツの「春の歌」を藤原さくらカバー。歌い方や曲調が変わると雰囲気が一気に異なる。

*24:

Little Glee Monsterが歌うドラマ『陸王』劇中歌「Jupiter」が配信チャート首位独占 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

*25:パトラッシュ… 疲れたろう…。僕も疲れたんだ。なんだかとても眠いんだ。
パトラッシュ…。っていうあれでそれ

*26:金色のコルダ2に出てくる主人公に課題を提示する学校の理事長。イケメン。甘党。そしてジュ・トゥ・ヴーに関しては姉との思い出があってあれでそれ

*27:V6坂本昌行のソロコンサート開幕!ゲネプロ&囲み会見レポート | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

*28:“文豪の名作”ד人気漫画家”! 川端康成『伊豆の踊子』の表紙カバーを、荒木飛呂彦先生が手掛ける! | @JOJO ~ジョジョの奇妙なニュース~

*29:「人間失格」×「デスノート」、「地獄変」×「ブリーチ」。その答えは?? | asianbeat