柑橘パッショナート

インプットとアウトプットを繰り返すごちゃまぜスタイル

「ミュージカル 天国の本屋」を観劇し、あっちに心を馳せる


河合郁人さん主演のお芝居「天国の本屋」を東京前楽・東京楽の2公演観てきました。

本作については映画化もされている作品ということで、今回は原作未読のまま行きました。

だいぶ昼公演・夜公演と通した形でみたため、記憶ごちゃごちゃになっているのであまりまとめとしては参考にならないと思いますが、雑感として。

 

 

 

劇場について

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天国の本屋

今回舞台を公演したのは「よみうり大手町ホール」

その名の通り大手町駅から直通の読売が持っているホールのようです。

私は来るのが初めてだったんですが、知人いわく「ふぉ~ゆ~もここでやったよ」ということで、いろんな演目で使われているようです。

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とても綺麗だった

エントランスが吹き抜けになっていて、読売新聞の号外がずらりと並んでいたり、小中学生の子たちの書き初めコンクールがあるのか、作品が飾られていました。

あとはたくさんの斎藤工氏の姿(笑)広告のイメージキャラクターは今彼なんですね。

映画版について

映画だと玉山鉄二さんと竹内結子さんによる作品。
天国の本屋 恋火」がそちらは原作なので、さらっと概要を見て異なる世界観として楽しめるものなのかなという印象。今回は省略しちゃうけどこちらの映画版も集中して見てみたい気持ちが強い。

 

あの頃映画 松竹DVDコレクション 天国の本屋~恋火

 

あの頃映画 松竹DVDコレクション 天国の本屋~恋火

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  • 出版社/メーカー: 松竹
  • 発売日: 2014/06/07
  • メディア: DVD
 

 

天国の本屋」原作

松久淳+田中渉」による本が原作。盛岡の書店「さわや書店」が火付け役となって(偶然読んだ、と書かれている)一気に知名度を伸ばしたヒット作品。

原作に触れる機会は今回をもってで「初」となったんですが、温かみのある読んでいて非常に読みやすい(どこか児童文学の雰囲気も持っているような)本でした。
文字サイズも大きめなので、小中学生ぐらいの子たちでもさくさく読めるし、出勤・通学中の一書としても程よいという印象。朝の10分間読書をしていくのにちょうど良い(続きは?!とすごい勢いで読んじゃうというよりもテンポがちょうど良い、というか)本だったと思います。

天国の本屋 (新潮文庫)

天国の本屋 (新潮文庫)

天国の本屋 (新潮文庫)

  • 作者:松久 淳,田中 渉
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2004/04/24
  • メディア: 文庫
 

 

さっくりとしたあらすじを自分なりにまとめると次の通り。

  • 何をやっても「パッとしない」さとしがアロハシャツのあからさまに胡散臭い人に声をかけられ、目が覚めたら天国にいた。
  • 状況把握が出来ないまま、アロハシャツの男に「天国の本屋の店長代理」と言われ、結果短期のアルバイトをすることを言われる。何の取り柄もない、状況として意味不明のなかでも日々を過ごしていくなかで、朗読を人々に求められていく。
  • 彼自身も一方で同僚であるユイに心惹かれていくなかで彼女はなにか大きな傷を抱えていて……。

時代的な背景もあるのでしょうが、直球ストレートに描いたラブストーリーでした。

私が買ったのはKindleでしたが、本当にさくさく読める一冊。

 

ミュージカル「天国の本屋」について

主演であるさとしはA.B.C-Z河合郁人氏。

ヒロインのユイは乃木坂46井上小百合さん。動画調べたら個人動画も出てきててコメント欄が「本当はこれホラーでは?」っていうのがあってちょっとおもしろかったです。*1 すでに乃木坂46を卒業されることが決まっていて、お芝居の方向にいかれるのかな?若草物語をやったりといろんな作品へチャレンジしていらっしゃる様子。個人的にはブログ読んでたら「天使にラブソングを見に行ってるじゃん!」となんともいえぬ親近感を抱きました(笑)

そして脇を末次美沙緒さんや佐々木崇さんらが固めています。キーマンとなる店長はブラザートム氏。

脚本・作詞・演出は坂本昌行さんのソロコンサート「ONE MAN STANDING」でもお世話になった菅野こうめいさん。

 

 

ステージセットについて

ステージは基本「本屋(HEVENS BOOK SERVICE)」で行われるということもありあまり大きな転換をすることなく進みます。

階段があり、上には窓ガラスがあり、これがどこかステンドグラスのような印象をうけるというか、デザインがかわいいんですよね。ステンドグラスのイメージって天国というか教会とかそういうのの印象があるので(天の逆月、ノートルダム大聖堂のステンドグラスとか)見ていて【天国】であることを表現しているようにもどこか見えました。

 

舞台のストーリーについて

登場人物がめちゃくちゃ多いわけではないので、非常にテンポよくいきます。

出会う→働く→才能に芽生える→みんなから求められる→一方でユイだけはそれに反応しない→なぜだろうと思ってた→ある日本に対して嫌いなことがわかる→ユイの笑顔を見てみたいからあれやこれや画策する→めっちゃ困惑される→自分自身がここにきた「意味」「理由」を知る→ユイの過去を知る→二人でデートする→ユイの過去・現在・苦難を乗り越える→別れる→運命は流転する。

めちゃくちゃざっくりいうとこんな感じです。

概ね付かず離れず、「出会い」「そして知る」「笑顔がみたい」からの「お互いに思っているけれど」という展開。悲恋ではないけれど、どうしようもないこの運命を受け入れなくてはならないという話でした。

全体的に本当にコンセプトが突き抜けてわかりやすいものだったので、穿った見方をすることなく、すとん、と落ちてくる印象です。見やすかったし、心に届きやすかったお話。

さとしは不器用だけどまっすぐな青年ですし、心に傷をおったユイはユイで向き合うことも出来ないまま覆い隠されている中で生きていて、【本】というものを触れたくないのに触れざるを得ない仕事をしているわけで、その二人が向き合う流れはシンプルで良かったと思います。

さとしというキャラクターは河合さん自身もいっていますが「いじられ」キャラで、ちょっとお調子者な部分もあったり、本当に「そこらへんにいる大学四年生」に描かれていました。就職活動で自己PRはちゃんとしておいたほうがいいぞっていう時点でのズレはあれますが……。多分「嘘も方便」が使えないド直球型タイプとして描いているように感じます。

一方でユイはツンケンとしているというか人に対して壁を作った上で接する人です。そういった意味で彼女の壁を少しずつ取り払っていくのですが、結構お芝居の中ではテンポがめちゃくちゃはやかった。

「えっ今しがた平手打ちぶちかましたのにすぐデート行っちゃうの?!えっ!?」と驚くというか。女心と秋の空なのかもしれないけれど、そこにワンクッションほだしたエピソードがあったら心の交流として「少しずつ距離が近くなった」になったて思えたかなぁと。すごい急激にアップダウンがあったので驚きました。

 

また、ある意味でとてもストレートで、だからこその弟とのやり取りが輝いたのだと思います。さとしからユイの手に渡った時、またその世界に対して「夢中になってこの人達が食らいついている」状態のことを考えていくと繋がっていきます。

少し説明不足というか描写に対して「なんでそこでわかったの?どうしてなんだろう?」という考えることが必要になってくる要素もありましたが、全体を通してストレートに見てストレートに受け取っていくことが出来たと感じます。本がつなげていって、その結果「思い入れがある」のはお互いである、というのはユイであり弟であり、さとし自身であり祖母であり。そんな描写が印象的。

 

天国の本屋の最後のシーンを見ていて「夢から醒めた夢」とか「千と千尋の神隠し」とかと同じように「ここからの脱出・脱却」になるわけですけれど(完全に自分の趣味)、天国の本屋にいる彼らが見送りながら、でも「何も手伝いをしない(旅立つ際、見送ることしかできない)」というのは「天国で生きている(天寿を全うする)」なかで、彼らができることは「生前のもの」がベースにあって、そこからの地続き、すなわち「新しいこと」は出来ないのかなって印象です。

もともと天国は悪と呼ばれる感情を削ぎ落とされているからで、有る種「決断できる範囲」っていうのがすごく狭まれているんじゃないかなと。

死者はあくまでも「過去」からの続きしかできない。一方でさとしとユイは「現在」から進むことができる(もちろんユイは一度死んでいるけれど、最後の審判で弾かれて戻ることが確定している=未来がまだある、仮死状態)わけで。そのへんが登場人物たちとの明確に線引されているところです。

 

劇団四季 ミュージカル 夢から醒めた夢 [DVD]

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それこそピコという存在を考えるとさとしとちょっと似ていて(まぁもちろん別人だし状況も違うんですけど)見送られていくシーンはこう……見ててぐっときました。「愛をありがとう」というナンバーを思い出して、感慨深さもありました。

愛をありがとう

愛をありがとう

  • provided courtesy of iTunes

 

 

だからこそ「今生きている」という感覚を覚えたさとしとユイは元いた場所に戻らなくてはならないしその決断をしていったわけで。有る種飛び出していった「千尋」と「ハク」に近いものを感じました。

千と千尋の神隠し [DVD]

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 出会って違う方向にあってまた出会うっていう意味では「君の名は。」もそっちに該当するんですけど、伝えたかったストレートの方向がまた違うと思うので(あれはあれで好きだけど)、私の認識としては「千と千尋」よりの印象でした。

で、まあ天国という壮大な世界の中の、でも一方の彼らの恋模様というのはとてもシンプルで根底を揺るがすとかではないっていうバランスがとても良かったです。世界を救うとか大きなことではないけれど、目の前の大切な人のそばにいたいし笑ってほしい、という実にありきたりながら大事な原動力が愛しかった。

 

音楽について

全体的に耳に馴染む曲が多くて口ずさみたくなるような楽曲がたくさんでした。
好きだなーと思ったのはユイがさとしに向かって“ここは天国で、どういう場所か”ということを教えてくれる「あっちから来た人に」がとてもきれいなメロディーラインでかつ頭に残りました。
あとはHBSのスタッフである二人ナカタ、アヅマ(お笑いコンビのスタッフ)とさとしの三人の曲「大切な想い出」が良かったです。何気ない日常の何気ないやり取りのそこから「何故自分なのか」ということ。さとしという人が持ち合わせた「平凡」で「何の取り柄もない」なかでの「朗読で人に伝える何かがある」こと。いわば「随想」の機会を与える側になっていく立ち位置に変わっていく、そんなさとしがいう「こんな場所で 思うのは変なんだけど」って言うことに対して「天国で?」「言っちゃいなよ」っていう二人の受け答えが良いというか。なんというか同僚としての立ち位置というか自然体で良いなと感じます。「生きているってかんじ」という、生きがいを感じていくの、すごく良かったです。

曲調がまるっきり違う部分で言えば、ギタージャカジャカしているような「ここはどこだ!?」や「あたしは本が大嫌い」については滑舌の問題なのかBGMの問題なのかもしれませんが自分の中で「何と言っているのか聞き取れない」部分がやっぱりあってそこが惜しいなっていう印象。

加えて、この作品の音楽で感じるところは「同じ歌詞、同じメロディーを繰り返す」ということが非常に多かったように感じられます。

例えば、イントロダクションである「ヘブンズ・ブックサービス」に関しては冒頭で3回同じものを繰り返しています。(これに関しては「どういうことだクソジジイ!」とさとしがブチ切れるのに対して「さっきから再三ここは天国の本屋っていってるでしょ」とヤマキ(店長)が返しているのであれなんですが)

正直ユイが同じ歌詞で同じことを2度言わなくても良かったかなぁとは思います(本屋嫌いを2度言うのは良いんですが、それに対してさとしが「もうそれはいいから」と自分自身を引き合いに出されて困惑されること以外あんまり変わらなかったかな、と思うので)

あまり細やかにあれもこれもって記憶はしていませんが、大きく歌詞が変わったり大きく動きが変わったりしていなかったように感じたのですがもしかしたら私が気付いていないだけで歌詞が大きく変化していたのかな…?とも感じますが、あんまり派手に大きく変わったように受け取れなかったので、もっとニュアンスが変わるだけでも、印象は違ったかなあって思いました。(もし全然違ったのなら申し訳ないなあ…)

いい例でいうと「あっちから来た人に」でユイが歌っている横でさとしがあれやこれやしようとして脱却を試みますがうまくいかず戻ってくるながれがあります。ただそれは「歌詞」が変わっているから変化があって”1番と2番で違うもの”として認識できたなっていうかんじ。

結構話が飛んですっかり関係が良くなってるところがあったので、その長い部分少し削って、そのぶん新しいシーンと新しいナンバーを入れてもらえたほうが、感情の波が個人的には伝わりやすかったかなあとも感じました、尺の問題から仕方ないのかもしれないけれど…。

それでも曲はどの曲も聞いてて楽しかったのですが!個人的に好きな曲があったことは嬉しいです。リズミカルな曲、バラード。それぞれ印象が全然異なっていて、聞きがいがありました。ユイ・さとしの「さようなら」は井上さんの細くて高い繊細な声にあっていたし、ハモリが綺麗でした。

演者のお芝居について

正直今まで河合郁人さんのお芝居については「コインロッカーベイビーズ」「ジャニーズ伝説」「応援屋」「トリッパー遊園地」等に触れてきた中で「もっとこういうやつをやってみてほしいな」っていうのは色々あって、そういった意味では”≠河合郁人”であったように感じます。おちゃらけている部分など「似ている」ところはありますが原作がはっきり明確にしているところでさとしと河合さんは性質として異なるタイプだったところも多いです。だからこそ「構築しやすかった」のかなと思いました。

今作で言うなら、そこに「河合郁人」は不必要と言うか、必要なのは彼を通して作り上げる”さとし”という人物像であるので、河合郁人が演じていたとしてもそれは”河合郁人が透ける”状態ではなくて良かったから、とても良いと思いました。

お芝居で主演を張る、座長であること、主役だろうと脇役だろうと関係なく真摯に向かうことの重要性を河合さんは台本にてお話していましたが、今作におけるさとしは「ストーリーテーラー」の要素も持ち合わせており、一方で作品の主役でも有るわけです。

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実質写真集かってぐらいぎっしりお写真がのっていました

純朴というか、まっすぐであるからこそいろんなことを考えて、感じて「ユイ」という少女を見て心がざわめいて、笑ってほしいと四苦八苦する。真っすぐでとてもいいと思います。茶色の髪に前髪重めになりつつ短いっていうのはさわやかで、就職活動中感があってとても良かったです。原作の挿絵だと前髪が上がっているのでコインロッカーベイビーズのキクみたいなかんじで来るかなっていうふうに思っていたのですが、私は今回のさとしのすとん、とした髪型が好みです。

 

で、個人的には非常に河合さんは句読点もふくめての喋り方がハキハキした話し方をする人という印象をずっと持っていたので、一言一句何をどういいたいのか、ちゃんと言葉にすることで「相手に伝える」というお芝居というのはとても似合っていました。

あとはお芝居の中でいいなって思ったのは「ないたあかおに」のお話について聞いているこっちもストレート直球の泣ける話にうるっときているのに彼自身も感情移入しながら話しているもんだからちょっと泣きそう(なお芝居なのかどうかはわからないけれど)っていうところ。とても良かったです。

ないた赤おに (大人になっても忘れたくない いもとようこ名作絵本)

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ユイを演じた井上小百合さんについては、声が透き通るタイプのハイトーンであった印象です。だからこそ声の出しにくい音域のなかでのお芝居は大変だったろうなあとは思いますが、「あっちから来た人に」といった頭に残る音を歌っているのは印象的でした。パワフルなタイプのキャラクターではない、どこか涼やかなところと人と距離をおくユイだからこその細い声はあっていたし音も綺麗だったと思います。

あとは昼より東京楽のほうが声が出ていた印象で、だからこそ東京楽で噛んでしまってカーテンコールで悔しそうな顔をされていたの本当に悔しかったんだろうなあって痛感しました。

噛んでしまうのは有る種どうしようもないっていうか仕方ないことだと思うんですが、とても井上さんの負けん気というか、「120%出してやる」っていうのが垣間見れたかんじでした。間違えたところは絶対完璧に直すタイプだと思うし、だからこそ大阪公演でもしっかり直して綺麗に仕上げてきてくれそうな方だなという漠然とした好意的な印象を受けました。

踊りに関してはヤマキがメインになって歌うシーンでのダンスが印象的。

また、ビジュアルに関しては東京楽の際にアップされていたお写真姿を見て「このふんわり巻いたかんじのほうが好みかな」って思いました。ショートもロングも似合う方ですね!

あとは「さようなら」のときの高音の出し方がとってもよかったです。すごくいい!

勢い強くしてカーテンしめるときの表情が好きです。めちゃくちゃ肌が白くてさとしと並んだ時に淡雪のように消えちゃいそうな白さだなあと感じました。

 

ブラザートムさんに関しては直近で何を見た?ってなると「仮面ライダーエグゼイド」だったんですけど(笑)

そういう意味で彼のちょっと胡散臭いというか食えないというかのらりくらりというか飄々とした感じの雰囲気と今回のヤマキとの相性がとてもあっていたと思います。生で実はブラザートムさんを見たのは2014のフル・モンティぶり。あのときはどっちかっていうと山田孝之さんを中心に(作品をふわっとしながら)見ていたので「そっか~~!」っていう衝撃がありました。ハワイアンテイストの楽曲すごい似合ってました。違和感がない。堂本兄弟ポンキッキーズなど、ジャニーズ関連とのご縁も有る方だなぁと改めて痛感しました。井ノ原くんとのお歌もすごく好きだった想い出。今作でもアロハあんなに着こなす人いる?ってぐらい着こなしているのととても自然の極みみたいにセリフの違和感のなさのアドリブが好きでした。

 

また、佐々木崇さんは2.5次元舞台で戦国BASARA豊臣秀吉役に出たことがある御方。脚の長さが印象的でそりゃ2.5でもめちゃくちゃ重宝されるタイプのお人だろうなって思いました(すらっとしているスタイルの良さが印象的だった)佇まい、所作が綺麗なお人だった印象です。舞台千秋楽付近でお誕生日ということで最後のお写真でみんなから祝っていただいているお姿を見てなんだかあったかい気持ちになりました。

 

末次さんと白山さんは言わずともがなというか、歌い方と踊り方で「劇団四季~~!!!!!!」って感じがすごいしました。めちゃくちゃ詳しいってわけじゃないんですが、発声のしかたがてにをは含めてちゃんとはっきりしているっていうのが劇団四季特有のそれっていうのはお芝居を見ている上で感じる部分があったので、実際の「喋り」と「歌」で音域がまったく異なっていくところとかも含めてすごく迫力がありました。ヘンゼルとグレーテルが特に顕著。ぶっちぎりで父親が上手で目をひきました。おばあちゃんの「ここぞ」で出てきてのお歌を引っ張っていくかんじも見ていてすごかった。

 

また、子役のお二人についてもそれぞれ印象が大きく異なりました。

中村流葦君(スペースクラフト所属)はどちらかといえば明朗快活なアグレッシブな感じの子供感がありました。表情がくるくる変わるというか。あどけないお芝居で、お姉ちゃん/お兄ちゃんとの温度差みたいなのをより感じる”無垢”っていうのが似合っている印象です。彼のお芝居の中で好きだなーって思ったのはヘンゼルとグレーテルを聞いているときの細やかな動き。いいぞーやっちまえーっていうか、の流れがより上野くんのものに比べて素直っていうか、容赦ないかんじがしました(笑)

上野黎也君(劇団ひまわり所属)に関しては、中村くんに比べて少し落ち着いているというか、お姉ちゃんが大変であるのは分かっている上で、でもやっぱり末っ子ならではの甘え方ができるようなシーンが印象的でした。喋り方も含めて「劇団ひまわりならでは」ぽさ(どこがっていわれるとうまく言えないんですけど、こう、子役さんでもきっと事務所ごとによってお芝居の指導の仕方がきっと違うんだろうなと思う)があって、特にいいなって思ったのは河合くんとのシンクロする「ないたあかおに」の流れが良いなと思いました。

ふたりともメインスポットが当たっていない中での「話を聞く子供」としての様子や「語る子供」としての部分、それぞれにまったく違う色を見せてくれていて、どちらも見ていて楽しかったです。「ないたあかおに~Who am I?~」のシーンも含めて子供ならではの明るく、そして通る声が良かったです。

 

「朗読」としての部分

この作品は朗読パートもあったので、そのへんもこみで、「朗読劇」が好きな友人の意見を聞いていたら「演劇指導で朗読指導はなかったんだなぁ」とちょっと残念そうにお話していて、そう言われてみれば確かに、なかったんですよね。

「本を見ながら、話をする」という中でも、人が耳に入れてリズムを含めてやっていくなら、もう少しナルニア国物語のシーンではゆっくりしてほしかったという意見を聞いてなるほどなあって思いました。

 

「朗読」を題材にしても「朗読劇」ではない部分=ミュージカルであるという部分と、「さとし」が”そんなに上手じゃないけど人を引きつける”っていう部分があるので自分の中ではあんまり気にはならなかったんですが、「読み聞かせる」ということは相手に「伝える」っていう部分が生じてくるのかな、っていう意味で「ないたあかおに」に比べてニュアンスがちょっと難しい(抽象的な部分や、表現がどうやっても「絵本」ではなくなる)ナルニア国物語であれば、ふたりとももっと「聞かせる」という部分があってもよかったんじゃないかなっていうのも分かるな、って思いました。

 

さいごの戦い (カラー版 ナルニア国物語 7)

 

さいごの戦い (カラー版 ナルニア国物語 7)

さいごの戦い (カラー版 ナルニア国物語 7)

 

 

「子どもたちが自然と入り引き込まれていく読み聞かせ」を目指す旨を河合さんがお話されていたので、そのへんは子役の子たちに読み聞かせたりしていたのかなっても感じたのですが、さとしはあくまでも「素人」で、その「素人ならでは」の不器用感を出しつつもそのへんのバランスを作らなきゃいけないっていうのはとても難しいところ。

彼にとっては「そこまでうまくない」けど、何か人を惹きつける、だからこそ「魅力」になっていくわけで、でもお客さんには「何を言っているのかを伝えなくてはならない」から、そのへんのニュアンスって非常にアンバランスでバランスをとっていかなきゃいけないんですよね。

この作品はリーディングライヴではないし、朗読劇でもない作品の中で「作中劇」として朗読を盛り込むからこその、友人が「朗読劇」が好きだからこそ引っかかってしまったというお話を聞いて見る人によってやっぱり印象に残る部分は異なるんだな、っていう印象でした。

 

知っているか、知らないかでの印象の違い

ナルニア国物語天国の本屋っていうのは実は結構近い作品であるように感じています。

指輪物語と並んでナルニア国物語はイギリスで子供から愛されている一書であり、一般教養とすら言われているわけで……その内容はとてもキリスト教の色が残っています。

といっても私もそこまでめちゃくちゃ覚えている、読み込んだというわけではないのですが…。評価の中でも「子供向け聖書」でもあるというふうに評している方もいらっしゃいますね。

「あなたがたのおかあさんおとうさんそして、あなたがたは…影の国でいう、死んだということなのだ」

ヤマキアスランとなり話しているシーン。これは「お前はもう死んでいる」という宣告のシーンでも有るわけですが…(これ言うとめちゃくちゃ北斗の拳感が出てしまう)

アスランイエス・キリストとして考えて、最後の影の国とまことのナルニアという区分に関してですがこれは要するに最後の審判というニュアンスになるわけで。もっと深く、もっと奥へ。

 

「舞台の作品としての天国の本屋」だけで捉えていくことで”何故周りにいる人間がこんなにも熱中しているのか”ということをさとしは気づきます。これは有る種「自分たちの物語(死した自分たち)」への投影にも近いからと受け取りました。彼らにとっては人生は終わっていて、でも天国での「生活」はまたあるもので、輪廻転生を繰り返しながら「天国」でその時の知識を持ったまま生きている。

また、ユイへの「始まりに過ぎない」ということへの表しではありますが(要するに7章の最後、まだ物語のページを開いていない、っていう部分を表す)でも同時に、この作品に没頭している彼らは「終りがある」という部分をどこかで分かっているからなのかな、って印象です。はじまりのおわり。おわりのはじまり。そんなニュアンスを思い出しました。まぁそれを言ってしまうと最後の最後、物語の終わりでもう一度1から始めようというのにニュアンスがおかしくなってしまうのかもしれないのですが…。

ライオンと魔女―ナルニア国ものがたり〈1〉 (岩波少年文庫)

ライオンと魔女―ナルニア国ものがたり〈1〉 (岩波少年文庫)

 

映像にもいくつかなっているので…何卒…。

ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女 [Blu-ray]

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 (私の好きな声優さん吹き替えデビュー作でもあります。畠中祐君です)

ナルニア国物語」をあえて選んだ理由をぼんやりとここで考えていると聖書に近いからなのかなあと思いました。同じように子どもたちが大活躍する「ピーターパン」ではなく(あれは第一次世界大戦の背景を考えると諸々色々考えさせられる)、ナルニア国物語という長い長い物語の中に触れていく、その世界の奥にはいっていて触れて、もう一度「はじまる」という輪廻転生に近いものを考えると「天国の本屋」で本の結末に触れ、もう一度最初のステージに戻るという意味ではあの本屋で、さとしが読むことが福音に近いものになっていくのかもしれないなあとか。

アスランヤマキであるブラザートムがやることは神=神であるということ。

そして涙を流しながら「結末」をユイが語るということ(ストーリーテラーとして自ら物語にピリオドをうち、また自ら歩き出すこと、弟との向き合いになること。自分自身の最後の審判としての救済を得ること)。いろんなことがありえて、いろんなことを感じられました。

「知っている」のと「知らない」ので印象は多分大きく違っていて、また、ラストのシーンで再び「ないたあかおに」をさとしが読み、それで良いのだと祖母が出てくるところは「最後の審判」として祖母との出会い、分かれ、そして旅立ちにあたるわけで。だからこその「祖母」とのデュエットはくるものがありました。

 

神様からの「ギフト」

同じ顔をしていてもそこにあるのは「経験」があるわけで、表情が変わるのは当たり前なわけです。昔めちゃくちゃ可愛くても屈折したら表情が変わるとか、あとは直近で言うと「自分の中ではおしどり夫婦で素敵だと思っていたけれど実際はそうではなかった、結果として同じ笑顔を見ているはずなのに違うものに見えてくる」に近いものを感じます(何とは言わない)(個人的にめちゃくちゃダメージがでかい案件でした)

その上で、ではなぜ「神」(ヤマキ等)は記憶を残したのか。

これっていうのは個人的には「短期のアルバイト」のアルバイト代みたいなもんとして見るとわかりやすいと認識しています。

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お給料大事

メリット/デメリットとかそれぞれにあるわけですけれど、まぁご都合主義って言っちゃえばそれっきりなのかもしれないのですけれど、個人的には「彼が選ばれた理由(=神が合いたかった人、いい関係だった人が祖母である、結果として彼女と出かけるにあたって白羽の矢を立てたのはさとしだった)」ことも含めて、彼への「選ばれた人」の対価として「自分のやりたいこと」への目覚めとともに愛を覚えること、そしてプラスアルファとして「お給料だよ」ぐらいの認識でも有りかな―って思いました。

ラブストーリーだもの、結末は素敵にハッピーエンドであってほしい、っていう気持ちももちろんあるのですが、「天国」という題材であることも踏まえて神様からのギフト(この言い方はいろんなニュアンスがあるんですけど)はそうであったならいいなあと思う。そうじゃなかったら偶発的になかなか会えないですしね。

 

大好きな友達、とはなにか

ラストに出てくる楽曲から考える「大好きな友達」ってなんだろう?なわけですが、これは天国で出会った人と共に「本」ひとつひとつかなと思います。

何者にもなれなかった、何者でもなかったさとしが人々と同じようにたくさんの本に出会う。子供向けの童話から、太宰治の斜陽、不思議の国のアリス古事記

本にはたくさんの人生があり、人生にはたくさんの本がある。その随想のトリガーを引き続ける。人々の表情を見て、そして自分の中にある随想たる「ないたあかおに」をしっかりと持ち続けている。

だから、本と人、それをどちらも指すんじゃないかなあと思いました。振り返りながら文字を読み起こしながら、ほんのちょっとした一文に、何気ない一文に人は救われたりするわけで。心にずっと残ったフレーズってあるから、その本を読んだときに通じて得た感情もまた友達であるというか……。人は香りから思い出を掘り起こされるということをプルースト効果っていうのでありますが、本それぞれに誰かのドラマがあって、さとしが辛くなったとき誰かが辛くなったとき、自分の指針となり得た、座右の銘になり得たものに触れるということの重要性を伝えてくれているように私は感じました。

 

全体を振り返って

本当に「直球ストレート」なお話でした。演じている河合さんは30代の男性でどちらかというと酸いも甘いも噛み分けてきているのですがアイドルという職業柄どちらかというと明るさを中心に立っている人な印象があります。

主演のお二人がアイドルであるからなのか、全体的に透明感を持ったお芝居内容であったと思います。心の中にどんよりしたものとかを孕んだいたとして、すーっと洗われるというか。清らか正しく、そしてまっすぐに。

この作品って「悪意」というものが基本なくて(それこそ現世の人間の言葉くらい)、だからこそのピュア感がありました。ある種ステージに立つからこその美しさにもどこかしら似ているというか。

ふと見ながら思ったのは「筆者が女だから女に読んでほしい」といつ客の気持ち。はたしてあれは悪意があったのか、ということを思うわけです。答えはノーで、悪意ゼロだからこそのタチが悪い、と言われるものになっている。無自覚な男尊女卑というか、「女が書いたんだから女が読むほうがわかる」っていうのは昨今問題になりやすいあれそれですよね。そんなんいったら読み人知らずどうしたらいいんだ……ていう(笑)

アドリブもナチュラルに息を吐くようにブラザートムさんがしていて、そこのほんのちょっとした違いを見せてくれるのが面白かったです。

 

そういえば昼公演は五関くん、塚ちゃん、夜公演は戸塚さんとHey!Say!JUMPの薮宏太くんと同じタイミングで見ていたらしいです。なにげに薮くん同じタイミングで見に行くことが多くて(以前コンサートでも席が近かったらしく終わってから友達に教わってびっくりする)ちょっとご縁というか、親近感?みたいなものを感じます(笑)

 

とにかく、大阪公演も楽しく、素敵に走りきれますように。

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