先日友人から「天保十二年のシェイクスピアを見たい、見に行かないか」と誘われて二つ返事でいいよ~と言い放ちチケットを確保しました。
天保十二年のシェイクスピア。その作品のタイトルから察するに「多分江戸時代」「多分シェイクスピア」それぐらいの驚くべき知識で、なんとなくWikipediaで調べてみたら「シェイクスピアで大乱闘スマッシュブラザーズやってるかんじ」っぽいことだけを把握しました。
舞台といえばのシェイクスピア。そんなシェイクスピアが「天保十二年」というキーワードを引っさげて、どんな作品なのか。どういうものなのか、全く知識が本作においてないまま、飛び込んできたわけです。
ということで、作品について壮大なまでにネタバレをぶちかましていますので、ご注意ください。
- 日生劇場よ、再び
- 「天保十二年のシェイクスピア」を手掛ける人々
- 「天保十二年のシェイクスピア」という作品
- 天保十二年のシェイクスピアのあらすじ
- 「徹底してのセクシャル」
- 誰を見ても歌も芝居も上手い
- シェイクスピア大乱闘スマッシュブラザーズ
- 江戸時代×極道ならでは要素
- 振り返ってみて
日生劇場よ、再び
何かと日生劇場に年に一度は足を運ぶ機会を以外にも得ていると思ったわけですが、駅から近くていいですよね、日生劇場。ぎゅっと詰まったステージで見やすくて私は大好きな劇場です。
「天保十二年のシェイクスピア」を手掛ける人々
ひょっこりひょうたん島でおなじみ井上ひさしによって手がけられたこの作品は、概ね私の予想通りというべきか、「天保十二年」という時代にあわせて「シェイクスピアの作品全部をぶちこんだ」ものとなっています。
登場人物、ストーリー、全部をかけ合わせたものが「シェイクスピア」として天保十二年のシェイクスピアには詰め込まれたものです。大乱闘スマッシュブラザーズ、もしくは闇鍋的な。
過去の演出には蜷川幸雄氏がやっていました。それを見て「ああ~」となんともいえず納得してしまったのは多分、今回の出演者、演出家ともども蜷川さんの影響を強く受けた方々がいらっしゃるからなのかなーとも。ちなみに当時の出演者だと唐沢寿明さん、藤原竜也さん、篠原涼子さんとこちらもそうそうたるメンバーでした。
調べたら上川隆也さんもやってらっしゃるんですね。それはそれできっと印象がぜんぜん違いそう。
で、本作の演出家は藤田俊太郎さん。2年前、TOKIOの松岡昌宏さんと土井ケイトさんによる二人芝居「ダニーと紺碧の海」を手がけられた方でもいらっしゃいます。
パンフレットによると05年に蜷川幸雄さんの同作品の演出助手もされていたようで…そういう意味は蜷川さんから受け継いだ上で藤田さんならではの作品に仕上げたんだろうなあと感じているばかりです。
また、本作の音楽の作曲は宮川彬良さん。ゆうがたクインテットでお馴染みですね。
出演者には主演に高橋一生さんを据え、浦井健治さん、唯月ふうかさん、辻萬長さん、樹里咲穂さん、土井ケイトさん、梅沢昌代さん、木場勝己さんと錚々たる方々が並んでいらっしゃいます。
浦井健治さんと唯月ふうかさんの組み合わせ、ついついDEATH NOTEで見たなあとなんだか嬉しくなったんですがそれも結構前なことに自分でもめまいを覚えます。嘘だろう…?!(見直したら4年前でめまい覚えました)浦井健治さんの月と唯月ふうかさんのミサミサコンビ、いまでも大好きでCDで聞いています。ワイルドホーン良い音楽をありがとう本当にありがとう。
「天保十二年のシェイクスピア」という作品
前述しましたとおりウィリアム・シェイクスピアという人物の手掛けた作品「すべて」がこの作品には入り混じっており、また同時に本作のベースとして「天保水滸伝」という作品が連なっています。
シェイクスピアと天保水滸伝を父母としてもった作品。これが「天保十二年のシェイクスピア」。
ただ、私はその大本のベースとなる「天保水滸伝」についてほぼ、まったく、何なら全然知りません。
下調べしたら「この作品はシェイクスピアより天保水滸伝を分かってたほうが入りやすいかも」っていうことを言われていました。読みそびれた。なんてこったい。
江戸時代後期の侠客である国定忠治の武勇伝はのちに『水滸伝』の影響を受けて脚色された。浪曲や講談で知られる『天保水滸伝』は、侠客笹川繁蔵と飯岡助五郎の物語に水滸伝の名を冠したものである。
水滸伝は北方謙三の水滸伝程度しか知識がなく、そうじゃないものというと「幻想水滸伝」シリーズのゲームが好きなのでもはや違うそうじゃないの部類なんですが(幻想水滸伝はそれはそれで面白いんで是非おすすめしたい)
(いつになったら新作出るんだ)(もう無理かもしれないと思いつつ待ち望むファンの声)
天保水滸伝は実在した笹川繁蔵をテーマに描かれており、その人生(敗走も含めて)を彩ったものとのことらしい。
天保十二年のシェイクスピアのあらすじ
基本的にあらすじは「天保水滸伝」で、そこにシェイクスピアのドッキングした作品。それが「天保十二年のシェイクスピア」です。
今作品は「絢爛豪華 祝祭音楽劇」とのことらしく、これでもかってぐらい豪華に、かつこれでもかってくらい音楽が盛り込まれた華やかな作品になっています(これを知ったのは舞台見てからでした。だからこんなに音楽多いのか…と)
江戸の末期、天保年間。下総国清滝村の旅籠を取り仕切る鰤の十兵衛は、老境に入った自分の跡継ぎを決めるにあたり、三人の娘に対して父への孝養を一人ずつ問う。腹黒い長女・お文と次女・お里は美辞麗句を並べ立てて父親に取り入ろうとするが、父を真心から愛する三女・お光だけは、おべっかの言葉が出てこない。十兵衛の怒りにふれたお光は家を追い出されてしまう。
月日は流れ、天保十二年。跡を継いだお文とお里が欲のままに骨肉の争いを繰り広げている中、醜い顔と身体、歪んだ心を持つ佐渡の三世次が現れる。謎の老婆のお告げに焚き付けられた三世次は、言葉巧みに人を操り、清滝村を手に入れる野望を抱くようになる。そこにお文の息子 ・きじるしの王次が父の死を知り、無念を晴らすために村に帰ってくる―。
主役はみなさまの想像力。この争いの行く末はいかに・・・
(公式ホームページより引用)
すごい!!どっかで見たこと有る(シェイクスピア)!!
基本的にはこの一族のバトル(お文vsお里)なんですが、いろんな人を巻き込んでの物語でもあるので「群像劇」といってもいいでしょう。
「徹底してのセクシャル」
歌詞、セリフ、振り付け、全部に驚きの男女の性交が盛りだくさんでした。別にそういった描写についてそこまで抵抗があるわけではないし、まぁ人間にとっての欲望の一つだもんなーっては思っていたのですが、すごかった。前半ずっとエロがたくさんだった(笑)
もともとやくざの物語っていうのもあるので、そりゃそうだって話なんですが女郎たちがあれやこれやして男を奪って、その上でどうやったら男たちを満足させているか。また、男たちは女達をどのように抱き潰したのかっていうのを描いていて、あんまり見ないジャンルだったこともあり「エロスでぶん殴ってきてる」って思いました。すごかった。
このへんはパンフレットでも「セックスに対しての執拗な執着」って描かれていて「ですよね~~!!」って思わずにはいられませんでした。昨今人気の高橋一生氏をはじめいろんな俳優さんがここまでエロス打ち込んでいるの、自分にとってはなかなかない経験でした。
音楽がとても軽快だったからこそ「歌詞とのギャップが激しい!!!!」って思わずには居られない(笑)
誰を見ても歌も芝居も上手い
「音楽劇」であるので、そのときの心情、動きに関してばっちりしっかり音楽を流して皆さん歌っているわけですがそのためらわないあけっぴろげなセクシャルな部分に「お、おお…」とびっくりしました。
そして思うのは全員歌がうまい。知ってたけど皆歌がうまい……誰一人として音を外さない。聞いててまったく違和感なくするする入ってこれるってやっぱすごいなと感じました。
その上で音楽がクインテットのような聞き馴染みの良い、口ずさみたく成るような楽曲ばかりなので「この歌詞口ずさんだら絶対だめなやつ」(軽率に外で歌ったら間違いなくアウト)って思わず何度か思い直しました。
私としては一番好きなのはイントロダクションの「もしもシェイクスピアがいなかったら」と王次の歌っているおんなの曲なんですが(頭から離れない)、聞いてて女と女の戦いっていう意味でもお里とお文のデュエット、はもりがめちゃくちゃ好きでした。土井ケイトさんと樹里さん歌がうまい。知ってた。
出演者が舞台を中心に活躍されている方々ばかりで、ミュージカルもしごく当然ながら歌がうまく、芝居も上手で切り替えのスイッチがはやいっていうのにも驚きました。
思わず噛んでしまった、とかちょっとしたミスが、とかあったかもしれません。でもそれを「やってしまった」という空気にはさせず、すぐに切り替えていく技量は見ていて観劇する側は作品に引き込まれました。最終的に「あそこやってたね」というあら捜しをした覚えがあまりない。
印象的だったシーンは王次のひたすら「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」という「To Be or Not to Be(原文)」をどのように日本人の訳者たちは訳していったのかを芝居するシーン。
隊長がつらつらと出版社、訳者をあげ、王次がひたすらにその人の訳した言葉を「芝居」する。思わず惹きつけられるとともに「こんなに訳でも違うの!?」っていうものがたくさんありました。ぶっちゃけ「なんでそう訳したの????」というトンチキ(褒めてる)なものもあって、翻訳という仕事の大変さを感じたばかりです。
また、唯月ふうかさんの強気なお光と清楚で可憐なお幸の芝居の違いも見ていて興味ぶかく、ある意味ふたりのロッテみたいな(これは別の作者ですが)一人二役すごいなって見ごたえがありました。
アンサンブルの皆さんも本当にセリフ量がたくさんあって、やることが多くて見ていて「やることが…やることが多い…!」と思うような舞台でしたが(その分きっとすごいやりごたえがあるんだろうなあっても思う)見てて楽しかったです。
お文の強くてしたたかで妹だろうと容赦をしない姉、お里の同じく強かで、でも可愛げがあって真ん中だからこその立ち回りが上手い雰囲気。それぞれの姉妹でも全く違っているからこその良さがありました。「姉さん」っていったときのお里のドスきかせたかんじが強い。好き。
ただただ不憫だった浮舟太夫たちの恋路に関してはこの作品の死生観というか「容赦なく死んでいく…」という印象を本当に印象づけました。シェイクスピアすぐ人死ぬ…。
シェイクスピア大乱闘スマッシュブラザーズ
本作においての立ち位置は「シェイクスピアの全作品を盛り込んでいく」っていうものだったので、そういう意味では大乱闘スマッシュブラザーズ感がめちゃくちゃありました。
しっちゃかめっちゃか大騒ぎ、というふうにもとれます。
舞台のセット、大道具がすごくて見ているだけで「金かかってる~!!!」って言わずには居られないものばかりでした。建物の反転や、ステージをこんなに活用している舞台ってすごいなあ、派手だなあと。
で、登場人物はそれぞれ「シェイクスピア作品」の登場人物のネタから持ってきているわけで。
最初に出てきた「鰤の十兵衛」という人間は「ブリテン=鰤、十」からとったであろうことは間違いないわけで。彼と3人の娘はリア王から来ていることは伺いしれました。
リア王はブリテンの王様で3人の娘に国を分け与えようとしたなかで、上の娘2人が建前、おべっかを言い誠実な末娘が本音を話した所勘当してしまう。でも実際は一番の末娘が思ってくれていて、というお話です。
また、本作の主人公にあたる佐渡の三世次(みよじ/高橋一生氏)は、いろんなキャラクターの色んな部分を踏まえています。(「リチャード三世」+「オセロー」+「ジュリアス・シーザー」+「リチャード二世」と言われている。)彼に関して言うと「見かけは火傷があり、片脚は不自由、加えて瘻」という見かけに関したら誰もが避ける出で立ちをしているものの、一方で野心は高く、邪知暴虐に長けています。女を我が物にしようとして、かつ下総という舞台の地を手に入れようとする。全てを”利用”しつくす、自分しか信じないタイプの人間でした。シェイクスピアの人間臭い人間の空気めちゃくちゃ踏まえていますね。
この作品における三世次は運命に翻弄される部分とその運命に抗おうとしつつ自分の欲望にまみれた邪心を否定することなく全部受け入れるタイプの人間だなと感じました。「悪役は徹して悪役たれ」といわんばかりの所業祭りに「絶対反省なんかしなくていいから無様な死に様を見せろ」って言いたくなるような、そんな感じです。
一方でそんな「大乱闘シェイクスピアブラザーズ」感を感じさせながら、キャラクターが皆何かしらのシェイクスピア作品に関連していることもあるせいなのか、「同じ登場人物にした結果の弊害」とも言わんばかりの部分もいくつかありました。
例えば王次(浦井健治くん)は「ハムレット」と「ロミオとジュリエット」が入っているのが間違いなく、その立ち位置からハムレットの「狂人のふりをする」部分と「愛した女は敵対一家の娘」というロミオの要素があるわけです。結果として婚約者のオフィーリア(お冬)とジュエット(お光)が必要となるわけで。
そうなった結果「王次最低だな!!!!!!!」と盛大に思うわけで。もちろん絢爛豪華な仕様で、お祭り騒ぎだからこそツッコミ倒したらきりがないわけですが、王次が狂ったふりをして、母親と叔父(自分の父親を殺した相手)を憎んでいる中(「弱き者、汝は女」「生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ」などのセリフを言っている部分から伺い知れる)最終的に盛大に婚約者を狂っていないふりをして突き放し、彼女の父を彼女の目の前で手にかけ(この辺ハムレット)、最終的にお冬も狂ってしまうわけですが、一方で、ロミオとジュリエットのシーンで早々に好きな女が出来てそこでバカップルを発揮するわけです。お冬への仕打ちに対してお光に対しての扱いの差にお冬はぶん殴っても許されると思う。
そのへんの「なんでだよ!!!!!」っていうツッコミも含めての本作だとは思います。
また、最後の挨拶でストーリーテラーである立ち位置の隊長(木場勝己さん)が「全作品を突っ込みながらもうまく進んだのは皆さんの想像力の賜物です」というお話をされていて(おそらくこれもセリフだろうとは推察します)、ある意味問答無用で片っ端からつっこみつつ、一本の筋にして、中には「バッサーニオ」という抜刀して斬りつけるだけのシーンを抜粋した作品(ヴェニスの商人)もあるっていうのが面白いなと思いました。
だからこそ「シェイクスピア作品をもっと触れていたら、これはそうで、あれはこっち」というのが分かるだろうなとも。言っても有名なところの有名なシーンしか私は知らない部分もあり、「知識」として知っている部分と「ちゃんと読んだり、見たりしている」人との差はどうあってもあるわけです。小ネタを拾い始めたら分かっている人ほどきっと「ああこれかー」っていう面白い部分ももっとあると感じられます。間違いの喜劇に関してはほぼノータッチだったので「こんな作品あるの1?」と驚いたり。
間違いの喜劇については「双子の息子と双子の召使いがいたけど、双子の兄と召使いの兄、弟同士で生き別れになってしまう。それぞれの人生を歩んでいたけれど、最終的に同じ場所に行き着いた結果お互いがお互いを間違え、間違いが間違いを生み~…」という物語。双子がゲシュタルト崩壊おこしそう。
私の好きなシェイクスピア作品というと「夏の夜の夢」がガラスの仮面のおかげですごい好きなんですけど(妖精パックのせいで散々な目にあう話)今作は黒幕であろう老婆によって有名な「惚れさせる」シーンが描かれているのがすごいシュールでした。知ってるこれ知ってる……!
でも、だからこそ「このシーン知ってる!」が詰まっているからこそ、知らない人にとって後々調べるきっかけ、シェイクスピアにふれるきっかけになりうる舞台だなと思いました。
良くも悪くもシェイクスピアは「皆知っている」人物で、めちゃくちゃ有名な作品が数多くあります。その一方で「触れるには格式が高い」っていう部分がどうにもあって(表現が独特すぎて大変という話もよく聞く)、だからちょっとなあっていう人にもこの作品で「ああこういう話(の一部)がシェイクスピアにあるんだ」っていう、”興味”を持つことができる作品だと思います。実際間違いの喜劇については私はすごく興味をいだきました(笑)
江戸時代×極道ならでは要素
江戸時代のものだからこそ感じるものがたくさんありました。
下総の場所柄なのかもしれませんが「天保水滸伝」にやくざの「知ってるこの人!!」が出てきたのがすごい細かいことかもしれませんが嬉しかったです。
この水色!!あの水色の人もしかして――!!とか思ってたら「清水の」って言われててまぁもれなく「やっぱり!」とときめき隠せませんでした。
清水次郎長親分じゃないですか~~!!!!!!!くいねえくいねえすし食いねえ。
次郎長ネタに関してすごく詳しいわけではないのですが、清水エスパルスを応援している身として、また静岡関連に色々お世話になっている身としてお話に聞くことはたくさんあります。
後エスパルスの応援歌(チャントともいいます)「JIROCHO」という曲があります。ジロチョウソウルネバーダイです(何度見てもちょっとおもしろい)(そしてやくざもんだけど大丈夫なのかとか色々思わないこともない)
史実とかでは「そこにタイミング的にいるわけない」とかとも言われていますが…何にしても、そこに自分の知ってるネタがあるの嬉しかったです(笑)
振り返ってみて
舞台の好みとかは当然あると思うのですが、好き/嫌い以前に「こういう芝居を見たことがない」っていう意味でひどく感銘を受けました。自分自身がシェイクスピアにふれる機会がいかに少なかったのか、ということと共に、全力で色々やってみるとまた見える世界というのも異なって見える。そう感じました。
「もっと気軽にシェイクスピアの世界に飛び込んでみよう」という気持ちになれたこと本当に自分にとってはプラスだと思います。
また、最後の「墓場からのエピローグ」で客席降りがあり(それ以前にもちょいちょい客席降りがありましたが/この辺は作中におけるものなので余り気にしていなかったんですが)正直びっくりしました。知ってるそれ天使にラブソングをでもあった。
通路席だったこともあって近くで高橋一生さんはじめ皆さんのお歌を歌っているところを見れてびっくりしました…(笑)みんな歌がうまい(n回目)
また、カーテンコールの後去っていく高橋一生さんのファンサービスに友人がとても驚いていました。ダブルピースして去っていく姿はジャニーズでの座長の方々やっているような感じのことだったので私も驚きました。一般のお芝居でもあるんだ…!!(笑)
友人曰く「マーキュリー・ファーのときはあんな感じのファンサービスしたことなかった」ということで。
(こちら友人が見に行ったマーキュリー・ファー)
彼女にとってはマーキュリー・ファーいい具合にトラウマになってるわけですが、多分そのへんは今作における作品傾向が「明るい」というか…祝祭音楽劇だからというのもあるからじゃないかなと思います。
FORTUNEで森田剛さんそんなことしてなかったし(あれはやる雰囲気でもなかっただろうし)、ジャニーズで言うなら2番手だけど「良い子はみんなご褒美がもらえる」のときに橋本良亮くんもあんまりやってなかった記憶があります。作品傾向にもよるんじゃないかな、と。
そんなこんなで見終えた今「なんかすごい経験をしたぞ…」となるお芝居でした。
天保十二年のシェイクスピア、円盤になるというのを聞いて、本当できればこれは「ナマのお芝居」を見た上で感じたほうがいいような印象でもあるんですが果たしてどのような円盤に仕上がるのか、興味があったりします。
とりあえず「シェイクスピア」作品と【天保水滸伝】、それぞれしったらまた印象がきっと大きく変わるお芝居なので、そのへん踏まえて考えられる機会がまたあったらいいなあと思います。
コロナウイルスはじめ、インフルエンザ等が大変な時期なのもあります。演者さん、観劇される方、スタッフの皆さんそれぞれが健康的に最後まで走りきれますように。