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”リスクを負ってでも、世界を変えたい”トニー賞演劇賞受賞作品「Oslo」観劇感想

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「Oslo」という舞台を見てきました

見出しに合わせた言葉はノルウェーの外交官・フリチョフ・ナンセンの言葉から引用。 ノルウェーの紙幣(旧5、10クローネ)でもあるそうで。世の中には色んな人のいろんな言葉があると学ばせてもらうばかりです。

「Selv de høyeste drømmer over skyene er av lite verd, hvis de ikke fører til handling.」

―― 雲より高い理想も(どんな崇高な理想も)、行動に結びつかねば何の意味も無い。

 

オスロ合意」という言葉をどこまで知っているか、と聞かれれば歴史の1ページであることぐらいは認識しているのですが遠い遠い海の向こうの、なんだか現実味がありそうでないような印象でした。

その当時のことを覚えていたり、覚えていなかったり、生まれていたり、生まれていなかったりは人それぞれにあるでしょうが、何がどうしてどう違って、これからどうなっていくのか――なんていうことについて、歴史としても自分はあまり詳しくないというのがこの舞台を見る前までの認識でした。

 

ということで、V6坂本昌行さん主演の「Oslo」を見てきました。

ネタバレかましておりますのでご覧になる方はご注意ください。

 

それと、観劇される前の方におすすめなのはプログラムのSTORYのところに「これだけは知っておいて!!」というまとめページがあったので買ってそれは着席して読むことをおすすめします。 

 

 

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舞台「Oslo」について

【ホームページ】「Oslo(オスロ)」公式サイト|坂本昌行主演

【公式Twitter舞台「Oslo(オスロ)」公式 (@osloplay2021) | Twitter

 

本作は2017年トニー賞 演劇作品賞をはじめ、オビー賞、ドラマ・デスク賞など数々の演劇賞を取得した「Oslo」という舞台が大本です。

アメリカの演劇では知られているということだったのですが、私は初耳でした。同時期の71回トニー賞*1のミュージカル部門で受賞していたのは「Dear Even Hansen(ディアー・エヴァン・ハンセン)」でした。

どんな話なのか検索したら以前ブロードウェイ関連について教えていただいたあっとブロードウェイさんに書いてありました。*2

www.at-broadway-musical.com

概要を見てみたら、こちらも結構ゴリゴリメンタル削られつつ考えさせられる作品のようで気になります。日本ではまだやってないけどいつかやってくれないかな。

「Oslo」と「Dear Even Hansen」という二ツの作品の受賞である当時のことを鑑みると社会派というか「考えされられる」ものが特に話題を集めた演劇界だったのかなというように思えますね。

 

そんな「Oslo」は、前述したとおりの「オスロ合意」という史実をベースに作られている人間ドラマです。日本初上陸の舞台をこうして見られるのはとてもありがたい。

 

www.youtube.com

 

 また、調べたらOsloの戯曲は既に販売されている様子。

Oslo (English Edition)

Oslo (English Edition)

 

早速購入して読み始めています。英和辞典とお友達ですが、ニュアンスの違い、翻訳ならではの難しさをプログラムで語られていたのを思い出し噛み締めながら拝読中です。

 

出演は「V6」というアイドルグループから自ら道を切り開き着実に演劇界で自らの演技力に磨きをかけていく坂本昌行氏。新国立劇場でのお芝居は「君が人生の時」ぶりでしょうか。それ以外、直近だとTTTぶり。TOP HATはいくその日にイニエスタが神戸に加入した年の試合だったので「1年契約でもしかしたら来年いないかも」というジレンマで泣く泣く行けなかったのを覚えています。しかし神戸との近年の試合だと六反がゴール決め込んだ2018年の試合が一番鮮明に残っています*3。2019天皇杯準決勝?知らない子ですね( ˘ω˘)。

 

▽当時の感想

さらにキャスト陣は、宝塚歌劇団星組元トップスターであり、現在もホリプロステージをはじめ、さまざまな華やかな舞台に立ち続ける安蘭けいさん。

トリッキーなキャラクターから蠱惑的な立ち位置、さらには直近の仮面ライダーゼロワンの敵キャラクターまでこなし、そのキャラごとにまったく雰囲気が異なるから「=」ではなく、その世界に引張こむようなお芝居をされるカメレオン俳優の福士誠治氏。とりあえずゼロワンの映画はおすすめなので見てほしい。

 また、昨今「ジャニーズの芸人*4」や「バラエティでこんなに会うジャニーズいます?」*5などなど、賛否どちらの意味でも話題になるA.B.C-Z河合郁人さん。私は…私は好きなんだけどね!!!

加えて、「テレビで見たこと有る!!!!!」な相島一之さんや舞台経験豊富な横田栄司さん(甲斐翔真くんのときの「DEATH NOTE」にご出演されていたのですね!)や石田圭祐さんクラッシュ・バンディクーディンゴダイルをされていると知ってびっくりしました。あなたでしたか……!)等など、調べれば調べるほどいっぱい出てくる作品の数々に出演されている方々でがっちりと固めてくれています。

 

演出は、上村聡史氏。様々な賞を受賞されているお人。舞台をはじめオペラも演出されたりと本当に様々なことを手掛けていらっしゃるように見えます。マーダー・バラッドも上村さんの演出だそうで。見たかったやつだ~と今回のご縁が嬉しいです。

 

「Oslo」の概要・あらすじ

あらすじは、ホームページを見たほうが早いと思います。ただ、前提としてあるのは何度も記述している「オスロ合意」ということ。

 

1993年にイスラエルパレスチナの指導者同士が握手を交わし「初」の和平交渉の合意したことを「オスロ合意」といいます。

その「オスロ合意」はどういった形で至ったのか。「握手」というゴールであり始まりに向かっての第一歩を踏み出すための七転八倒東奔西走した人物たちによる”ヒューマドラマ”。それが「Oslo」に出てくる登場人物、そして彼らの物語です。

 

登場人物の名前がどうしてもカタカナが中心になるので日本人である我々がストンと覚えられるにはある程度の前段階での準備をしておいたほうがいいと思います。結構混乱します(笑)

 

登場人物は大きく分けて3つの国に分かれます(正確にはもっとありますが…)です。

ノルウェー人の夫妻(旦那:社会学者/妻:外交官)が実際にイスラエルPLOの少年たちが「憎しみ」「恐怖」の中でお互いを睨み合っているのに遭遇しているのを見て「こんなことをしないで済むように」と心に誓いを立てます。

しかし、両国とも「あっちと会えばどうなるかわかってるな?」状態です。それは法的に定められているため「こんなことをしたくない」のに「報復行為」と繰り返し続けられていた。だから憎しみの連鎖は繰り返されていたわけです。

なので彼らは自らの母国「ノルウェー」という”どちらにも顔が立つ”という立ち位置を有効活用し、秘密裏に両国のお偉いさんを面会させようとする。

ここから、彼らの和平に向かっての突き進んでいく物語が始まるのであった――というかんじでしょうか。上のは私がホームページにあるあらすじを読みながら噛み砕いたものになります。

 

オスロ合意について学ぶ

ことばとして知っていても、じゃあどんなもんだ?と聞かれると難しい。

ぱっと調べて出てきたのは朝日小学生新聞の1ページ。

また、東京大学文学部・大学院人文社会系研究科の今野泰三氏、鶴見太郎氏、武田祥英氏によるオスロ合意から20年 = Twenty years after the Oslo Accords : パレスチナ/イスラエルの変容と課題」*6を読ませていただいて社会的にどう影響をしたのか、また、どう評価されているのかを知ることができました。「はじめに」の部分だけでも読むだけでも大変勉強になりました。

最終的に両指導者がノーベル平和賞を受賞していることを鑑みても偉大なことであり「誰もが目指すこと」であり、けれど「そうかんたんにはできないこと」だなあとも考えます。

 

ストーリーの雑感

上演時間1時間40分休憩20分を挟みさらに1時間。9ヶ月という怒涛の時間を濃密な上演時間という形で描かれていました。

テリエ・ルー・ラーシェン(坂本くん)という「社会学者」という立ち位置の人物が、モナ(安蘭さん)という外務省に勤める彼女の協力の下、少しずつ少しずつ周りを含めて変えていく物語でした。

そこにいる人々は国が違う、言葉が違う、肌が違う、考え方が違う、概念――つまり、「アイデンティティ」も違う。そんな「違う」だらけのなかで、それでも求めていることは「平和」であり「殴り合わなくていい世界」「殺し合わなくていい世界」なのだということ。

また、同時に最初ヤマアラシのジレンマ*7というべきなのか、誰もが懐疑的で構えた状態での物事を進めて行きます。

「お前の話なんか信じられない」「お前の顔なんざ見たくない」そんな気持ちを孕みながら、「自分たちしか入れない」部屋に入り、そこで議論を続けていきます。

 

最初は「知り合いがまぁちょっと上とね…ゆかりあるね…今回の出来事は友達として朝ごはん食べる時に世間話がてらするかもね(チラッ)」というイスラエルの経済学者(※彼らはあくまで民間人)とアフマド・クレイとハサン・アスフールという「PLOの主要人物」なわけです。

「友達の友達がすごいだけで自分は別にね?すごくないよね」という人物を最初に据えたのは様々な思惑がありますが、「重要な場所にこんな意味わからんやつ連れてくんなよ!」という気持ちになるのもまぁまぁわかります。ただ、前述してあるように「法的に禁じられている」からこその危ない橋でもあるからこその、最初は違う人物で、そこからだんだんとランクがあがっていくのはちょっとした半沢直樹的なドラマ要素もあるように感じました。

 

ストーリーテラーとなるモナが状況を説明しながら、どういうふうに変わって、どういうふうに進んでいたのかを淡々と、けれど激的に彼らは議論しあい、言葉を交わし、考えていきます。

史実に基づきながら、一つ一つを見重ねていくからこそ、途中から経済学者や当事者ながらも部外者という絶妙に何ともいえない曖昧さの立ち位置のラーシェンが蚊帳の外になるのが辛くも現実感が非常にありました。

世界は着実に当事者たちによって動いているけれど、動いているからこそ、のジレンマがあって、それはでも「彼ら」の問題ながらも口出ししきれないという部分が興味深かったです。

 

この物語は、静と動でいえば内容としては激情とか、衝動とか、感情がたくさん詰まっているのに不思議なほど静かです。政治という机上だからこそでしょうか。それでもイスラエルPLOの其々の登場人物は心を痛めていて、重々しいものをたくさんもっている。「何とかしたい」という気持ちで動いている。

物語が何度も何度も交錯しあいながら、それはまるで「話し合い」を続ける彼らと同じように、考えさせられて。――そうして、最後の最後にやっぱり「どうしても譲れない」のやり取りがある中で、「お前!!!!!!!今はお前は下がってて!!!ハウス!!!!!!!」と言いたくなるような某大国流れがあった上で全部をそのまま漁夫の利ではないですが持っていってしまう――というのは何とも皮肉であり、また史実だからこその口惜しさであり。

史実であるからこその「どうしようもない、やるせなさ」「チェス盤をひっくり返しても、ひっくり返しても、それでもなお」みたいな悔しさと皮肉がかっているのがなんともいえない作品でした。

一方で「希望がないのか」と言われればノーで。前述したオスロ合意からの諸国の流れを論文で読み、彼らがどういう経緯でどういうふうに活動を進めていったのか――と思うとやっぱり無駄なんかじゃなくて、突き進んだ人々がいたからこその感情があるのだと思います。

 

そこにいる「人」と「人」として

この物語は「コロナ禍にも通ずるものがある」というように出演者の方々のコメントがありました。また、同時に日本というどうしても他国と隣接していない国に住んでいるため希薄になりがちな考えもまた、じっくり考えさせられました。

「一回見て、その上で自分の感情を何度も何度も噛み砕いて、自分なりの答えを導き出す」という作品といっても過言ではないでしょう。新国立劇場でやる意味、みたいなものも改めて考えさせられます。

そこにいる登場人物は「政治家」だったり「学者」だったり、「外交官」だったり色々ですが――やっぱりそこにあるのはそういった肩書を置いたら「人」なんですよね。あくまでも「人」と「人」。

「わたし(I)」と「あなた(you)」の関係で、もちろんそこにたくさんの其々が背負っているものが付随されていく。親がいて、子供がいて、家族がいて。大切なものがあって。そしてその大切なものが「な」くなっていって。怒りがあって悲しみがあって、でも同時に「笑うこと」がたくさんあって。

そういうたくさんの積み重ねの上に、彼らは「人間関係」を構築した上で作っていきます。

作品について坂本くんが「難しい言葉はたくさんあるけれど人と人との物語」というお話をされていたのですが、実際にそのとおりで。

彼らは「美味しいものを食べたり」「ケンカしたり」「酒を酌み交わしたり」その相手のアイデンティティに触れながら「国」の代表であることと同時に人間として見ていくわけです。

自分に置き換えてみたときに全く他人事ではないことですよね。例えば「カルチャー(文化)」は好き。「人間(個人)」は好き、けれど、「国」でみたら嫌いみたいな……そういうものってどうしてもあって、なぜここに行き着くのかって歴史だとか、親からの教えだとか(概念とか)色んなものになるわけです。報道だって其々に有利に物事を作るだろうし、何が正しくて何が間違いなのかというのは当事者同士がすり合わせていったところで「何でうちの国はあの国の言い分を認めるのか!!!何考えてるんだ!!!!!!馬鹿なの?!!!!!」っていうのは……こう…どうしても起きてしまうことでしょう。

正義の反対は別の正義、なんて言葉もありますが……絶対悪というものはなくかつ人は100%善人でもない。性善説性悪説それぞれありますが「守るべきもの」が違う以上、意見は噛み合わないし妥協し合うにしてもどこまで?ということを考えていかなければならない。

 

しかし、だからといって殺戮をよしとするのか、と問われれば自分は全力でノーです。オスロ合意からの、結果としての現状に至っている姿を見て、打ちひしがれる気持ちもあるし、同時にそれでもまだ希望を捨てたくないという気持ちもわかります。だからこそのラストシーンは蜘蛛の糸のように細かろうがなんだろうが「突破口」であったと、そう願いたいばかりです。

 

また、ストーリーでいえばそこにいる男性諸君がみんな一瞬子供に戻るように「シュン……」としてしまうシーンがあります。これは実際にそうだったのかどうだったのか(脚色なのか、はたまた史実なのかという意味で)わかりませんが、「怒られたら同じようにシュンとする」し、同じように「バカ」もやるし、みんな変わらない。ということへのニュアンスなのかなぁというように感じます。

 

「苦しみ続けた上で、終わらない中で」考えること

少し話がずれますが、先日アメリカで起きた黒人の方が殺害され、その結果のデモがありました。この中でTwitterでたまたまお見かけした3人の世代の違う方々の言葉を見たことをこの舞台の帰り道に思い出しました。

www.youtube.com

このニュースに上る前SNSで全文を和訳されている方がいました。

「10年後、ここにお前はいるだろうそして止めるんだ」「良い方法を探すんだ」という部分が心に非常に刺さりました。

どんなものにしても、そこにいるのは「人」同士である。手を取り合いたい。そう願うのになぜそれが敵わない過激派がいるのかと考えれば、腕を下げることが収束になるとわかっていてもなお「敗北」という形になっていってしまうのだろうか、とか。そんなことを考えています。

彼らだって日常の生活があって、その延長線上にこれがあって。だからこそこう言葉にできないたくさんの思いが生まれていきます。差別。国と国のいがみ合い。そしてそれはずっと続いてしまうのかもしれないという恐怖。

だからこその「この日が生きているうちにこれるとは思っていなかったから、みんな泣いているんだ」という最後のオスロ合意に至る、最後の最後の部分でのシーンは心をつきます。上記の動画を見た上でもう一度見てほしい部分です。

 

1本の糸をたぐりよせるように、どうにかこうにかこうにかして結びつけて彼らは互いに話し合って、扉の「あちら」と「こちら」で国の代表としての一面と、友人としての一面を見せ合いながら時間を過ごすというシーンは本当に、ぐっとくるものがありました。

議論のときはシリアスに。どこまでも真面目に。だけれど扉の「こちら」に入れば一気にコミカルに談笑し合う。メリハリのある空間があって、それがゆえに演出を見ながら「今は”どちら”」なのか、テーブルの配置や表情で汲み取っていました。俳優さんたち大変だったろうなぁと感服します。

 

まぁ最後の最後にもっていった米国の流れに「アメリカァ……」と思う気持ちとそれが「できてしまう」という国であるという大きさ。そして黙らせてしまうほどの力があるというのは何ともいえない気持ちになりました。舞台の上演時間3時間という長い流れを10分にも満たない流れで覆してしまう。それがこの作中のアメリカでした。

あれほど時間をかけて考えをすり合わせていった中での握手になるのにその真中いるのアメリカかよ~~~~~~!!!!!!!!と、見ながら「この……なんだろう……絶対的なラスボス感…」とは思いつつ。言いようのない気持ちにさせられました。それでも収めたのは事実で、けれども、「じゃああのままうだうだしていたらよかったのか!」って言われたら「そうではなくて……」だし「じゃあどうしろってんだ!」って言われてううん…ともなる気持ちになり、見終えた後のいいようのない気持ち。

アメリカ側に立って見たらきっと「うまく行ってよかったね」で間違いないし、実際黙らせて、全部まとめあげたのは事実で。でも、ああ、けれども、という気持ちになるのはきっと「人間というのは一筋縄ではいかない」の集約でもあるのかなぁと考えます。

 

ただただ「うまくいったね」「よかったね」ではなく爪痕傷跡を残して問題提起して、考えさせられるような作りに帰り道を歩きながら「無駄ではなかったよ。無駄ではなかったに違いない。でもなんだろう、この気持は」とぐるぐるしながら初台駅を後にしたものでした。

 

ぐるぐると考えながら、答えを結論づけることはできないけれど何度も何度もかみくだいで、自分で飲み込んで、その上で自分の中で「こう」という希望が少しでも見えたらいいなぁ。

芝居として俳優さんの雑感

役柄と俳優さんというのはそれぞれ二人三脚だと思いますが、各キャラの個性や信条が明確だから1人のキャラクターのお芝居を見つつもその時のキャラの動作も含めて「その人」だからの魅力があるお芝居でした。

ラーシェン、モナはほぼ出ずっぱりだからこそ主演の坂本くんと安蘭さんは大変だったろうなあ……。

 

”テリエ” というナチュラルを演じる坂本昌行

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坂本昌行さんのラーシェン(テリエ)という主人公について。この舞台はそもそもラーシェンのはじまりの行動がきっかけになっている物語なのですが、前半はあまり「ラーシェンが主人公」という印象を受けないで見ていました。

14人による群像劇だからこその、前半は確かにセッティングして、妻であるモナの力を借りながら広げていって、提供して、「待つ」という姿勢を持てる器の大きな人なのかなぁと感じさせる人でした。

テリエは喜怒哀楽があって、モナはそんな彼に振り回されながら「も~しょうがないな~」となりながら好きを隠さない表に出ている感情があって、これもまた時代的なものもあるのだろう(93年という時系列を考えれば女性の扱いもまたしかりなのかな…と感じました)ってなりながら、彼らが二人三脚で作っていくくだりは見てて「台風の目」のようで、それでいて少し「外」な寂しさが凄く感じられました。

スリーピーススーツをさらっと着こなしたテリエは社会学者として有る種「蚊帳の外」だからこそ見られる「第三者」で、それがゆえに「どちらにも寄らない」状態を維持します。だからこそ、そのテリエがモナやエルゲンといった同じノルウェー人で同じ志を持った人間と話をするときに一気にコミカルに、そして一気にキュートになっていきます。この「キュート」になったときの声音が可愛らしくて、そしてよく通るなぁという印象。

一方で坂本くんのお芝居でいえば福士くんの演じたウリとの対峙シーン。これをどのように解釈したかは後述しましたが、スッ――と感情が引いて、一方で「この男(ウリ)のトップ」である人物を演じながらあくまでも自ら、そしてここにいる人間たちの目標は外さないという気迫がこもったシーンはテリエの持つ本来の「感情」と彼自身の「信念」のぶつかり合いのように感じましたし、同時にそりゃテリエのほうが一枚上手かな、というようにも思いました。

普段は穏やかで、チャーミングで、妻に甘くてニコニコしてしまう、でもぐっと引き寄せる力もある。そんなテリエを一言で表すならナチュラル。

自然体に、柔らかく、それでいて緩衝材でありつつもメインではない立ち位置として彼らを見つめています。神のような第三者でありながらその第三者に「なりきれない」からこその、自らの行動の是非をラストに正しかったと思いたいという坂本くんのシーンは「妻のモナ」とともにかけられているというのが彼もまた人間らしさがあるように感じました。

フラットで、俯瞰的でいるからこその少し人とは離れていそうな形ですよね。作品によってはなろう小説の主人公やれそうとか思ってました(笑)あえてそういう意味でも意図的に館の主人達に言い聞かせるようにウイスキーを頼んだり、食事のことを指定したりしている部分でのメリハリがある人になっているのでしょうね。

 

坂本さんのお芝居は室温がすごい好きなんですけれども、あの雰囲気とは15年以上経過していることでまったく違う味を見せてくださっているように思いました。そもそも室温は内容が内容なのであれなんですが……。

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テリエが気持ちとして「フラット」で「ナチュラル」でいるからこそ、周囲が引き立ち合いどんどん前にでていく。その普遍性を保つ、いわゆる「いるけれど、いない」という部類を徹底しているからこそ彼らの激論がより目をひく作りになっていて引き算がお上手だなと思いました。

スタイルがさらっとしているからこその良さもあって、マーダーのときともまた違う味になっているし、君が人生の時とも「演じる人間が同じでも、役が違えばこういうスタイルになる」というのをはっきり見せてくれるお人だなというように感じました。 

 

”モナ・ユール”という徹底した女性像を作る安蘭けい

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モナという女性

安蘭けいさんは颯爽としているキャリアウーマンであるモナの印象と同時に「ストーリーテラー」という淡々とした立ち位置を演じる難しさをきれいに分けているように感じられました。このストーリーテラーという存在の有無については意見がどうしても別れてしまいそうですが(単純に見ていて話のリズムが刻みにくい、という意味で)自分は見ていてすとん、と入ってくるように見えました。

他の人間が様々な意見を持ちながらぶつかり合う中で、柔和にこなすテリエと一方で「ヒロイン/マドンナ」として一歩間違えれば夢小説のヒロインかなっていう状態に描かれていたりもするのですが(このへん海外の舞台作品だからこその要素をより感じられるところでした)安蘭けいさんご自身の佇まいや所作でうまく立ち回っているモナらしさがありました。

プログラムの対談で「なぜ、モナはラーシェンが良かったのか」というくだりにお互いにベタぼれしているように見られるやり取りにニコニコしました。この人の”どこ”に惚れ込んでいって、そして結婚にこぎつけたのかとか、どっちがほだされて行ったのか。どういう気持だったのだろうか。そんな裏話的なバックボーンを考えては優しい気持ちになりました(笑)

しかし一方でモナとラーシェンが策を練ってヤンを丸め込む流れはコミカルでしたし(ここで一気にチャーミングさが増したと思います)、その一方でラストシーンでの「この行動の是非」を考えるシーンは観客側に問いながらもまた、自身も考えているのかなと。

「答えなんか見つからなくてもいい」と安蘭さんのインタビューにありましたが、答えは見つからなくても自分たちが考えていく機会になれば良い。考えることから始まると、モナの瞳がそう言ってるように感じます。

アリス・イン・ワンダーランドを以前CD音源で聞いたことがあるのですが、コロコロと変わる雰囲気と、今回の芯を徹底したモナとの温度差が面白かったです。

 かつてはアンドレもしていたということで、宝塚はアマプラでたくさん見られるので見てみたいですね。オシゴトガタリ*8の際に色々教わったことを思い出しながら見てみようと思います。

amanatsu0312.hateblo.jp

 

バラエティ・アイドルの形を消して俳優として挑む河合郁人

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ふたつの役を演じた河合さん

河合郁人くんに関しては、過去に「コインロッカー・ベイビーズ」「トリッパー遊園地」「天国の本屋」といった3つの舞台、そして内部の「ABC座」などを見に行ったことがありますが、ストレートプレイとなる舞台を見るのは初めてでした。

 

▽ここ近年の河合くんの舞台感想

 

声の質がストレートプレイや、言葉をはっきりと発するミュージカルに向いていると思っていましたが、想像よりもさらにハマっていたように思います。

ヤンの方がなんとなく流れで思わず同意してしまう、流されがちな形作りというインタビューを読んでいると、流されやすさに親近感を覚えます(笑)

「ご本人とは乖離しているキャラクター(ノルウェーの外務副大臣)」と「ご本人のキャラクターに近い登場人物(イスラエルの経済学者)」という二人の人物を演じ分ける難しさはあったことでしょう。

インタビューなどでも坂本くんに「こっちはいつもの河合に近い」というアドバイスをもらっていたということだったのですが、あまり「コテコテの”河合郁人という人物に当て書きした人物”(いわゆるいつものABC座のように「自分という人間に寄せたキャラ」を立ち回ることが多い河合さん)」ではなかったことが嬉しかったです。

お芝居の仕方はご経験からみてもジャニーズ舞台ではない外部というのは坂本くんと比べて当然少ないでしょうし*9舞台経験の数から鑑みてもインタビューにあるとおり「自分なんかが!?」と思ってしまわれることも、経験者の方々の中に入るからこそ思うところがあっても仕方ないとは思います。

何より、ジャニーズの大先輩、そしてたくさんの舞台で経験を積まれている方々を「前」にしてのお芝居で新国立劇場というステージはおそらく緊張の連続でしょう。

しかしながら、ひとつひとつを積み重ねていく、そして「ご自分の解釈」を生み出していく(=作り出していく)タイプの俳優さんであることは河合担の友人と感じているので、初日の河合さんと大千秋楽の河合さんではまた異なった様子が見られるのではないでしょうか。

 

この辺は「コインロッカー・ベイビーズ」で一緒にW主演をした橋本くんと逆のタイプである彼の役者としての性質を見ていて感じることです。

下記でより掘り下げてはいますが、私は橋本くんと河合くんは性質の違うアプローチをしている役者さんという印象があり、その違いを見ているのが楽しいです。

橋本くんはいわゆるキャラを自分の中に取り込んでいく「イタコタイプ(憑依タイプ)」で、役が自分の中に入ってきて動くタイプ。役が抜けないと以前言ってたことありましたね。

その一方で河合くんは「建築士」タイプかなと思います。

「このキャラはこう考えるから、こういう行動(セリフ)に至る」ということを組み立てていく傾向にあるように感じます。

 

俳優だと憑依型といえば上野樹里さんとか、大竹しのぶさん、松本まりかさんがあげられますね。

松本まりかさん「私の代表作言ってみろ!!」ってこの前番組で言ってたけど「ファフナーの真矢がおるやろ!!!!!!!!」「FINAL FANTASY Xのリュックのこと忘れたとは言わせねえぞ!!!!!!!!!!」と2次元界隈で賑わってましたね。ホリデイラブの役回りすごい体張ってて「すごいなあ」と感心した覚えがあります。

 

ファイナルファンタジーX-2 HD リマスター アルティマニア (SE-MOOK)

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 (リュックは一番左の子です。良い活発女子だった…)

 

声優さんでいうと林原めぐみさんが橋本くんのタイプで、神谷浩史さんが河合くんタイプであることはラジオやインタビューで印象付けられています。

林原さんはご自身の中にキャラクターを降ろして自分を通して言葉を喋っている「イタコ声優」でおなじみですね。

その時のエピソードとして「演じるキャラが嫌いなキャラがいるとその人のことまで演じているときは嫌いになる」ともいいます*10(灰原を演じるときに蘭ねえちゃんに嫉妬するというお話を聞いてかわいいなぁと思った思い出)

橋本くんに関しては「演じるごとに変わる」というお話が前述のコインロッカー・ベイビーズでご自分が挙げられていました。かつ「自分が口を開いた瞬間に今日はこういう感じ、というのがわかる」ということをインタビューで話しているのが印象的でした。

 では、逆に理論付けて、組み立てて、築き上げていくタイプ(建築家型)の河合さんはどうかというとある程度「このキャラクターはこういう思考なのでは?」ということを考えて、「だから、こういうふうに反応をするし言葉を返す」と事象に対しての理由とか結論を結びつけていくタイプかなと。

キャラクターの部類で言うと「姫川亜弓*11「百城千世子」*12そして昨今だと”推しの子”の黒川あかねあたりでしょうか。研究して、考えて、そして組み立てる。建築家だったりフィーリングというよりも理論を立てる。

推しの子のヒロインというべきか「アイ」は橋本くんのような降ろす性質と 河合くんの構築タイプを組み合わせたタイプですが*13、主人公たるアクアは「何を求められているか、どう演じるか」という意味ではあかねと同様建築家タイプだと思います。*14

 

建築家タイプの役者さんは「初日」と「千秋楽」の間で変わってはいるけれど「こういうことをしたかったんだろうな」「こういうコンセプトなうえで彼はこのキャラクターを作り上げたかったのか」が、見えそうだなぁというイメージです。

A.B.C-Zでいうと個人的には下記のイメージ。

  • 【憑依型】橋本くん、戸塚さん、五関さん
  • 【建築家型】河合さん、塚田さん

 塚田さんはリカちゃんをしっかりとイメージして「こうであってほしい」の設定を練り込んで作っているタイプかなという印象ですが、五関さんはナチュラルに取り込んでそのまま自分を媒介として言葉を放っている感じでしょうか。戸塚さんは言わずともな。1つのシーン、例えば「怒り」とかでも「どうしてこいつは怒るのか」ってなった際のアプローチや解釈の仕方がきっとぜんぜん違うだろうし、同じグループでも1人ひとりで全く異なる方向なのが面白いですよね。

Jan Egeland

Jan Egeland

  • provided courtesy of iTunes

 此方は「ヤン・エーゲラン」氏を称えるために作られた楽曲。

詳細は下記URLでご説明があって、より彼の人柄を知ることができました。有難うございます。

blog.goo.ne.jp

 

ヤンに関しては常に眉間にシワを寄せ、キリキリしているタイプなのですが河合さんの体格が坂本さんに比べて小柄ということもあり「キビキビカリカリしているのに、何となく愛嬌がある」というような感じのキャラクターを確立しているように見えました。

もうひとりの人物であるロン・プンダク氏に関しては非常に愛嬌あるキャラクターとして愛想よく、一方でテキトーっぽい(これは良い意味で)ひょうきんさでお芝居をしていらっしゃいました。こののらくらさが人の心を和らげる部分があるという解釈で私はいます。だからこそ「柔和」に対応ができた。

 

2人は早着替えですごい動き回っていたので、これは「ジャニーズの伝統文化」のひとつである早着替えが有効活用されている瞬間かなとも思ったり。30秒ですぐ出てくるあたりジャニーズすごいなあとも(笑)

また、お芝居の中でで感じたのは河合さん独自の”独特な笑い方”(それこそ「ウヒャヒャ」という笑い方がまさにそのとおり)が、なかったなと。

キャラが全く=にならないエゲラン氏はもとより、ご自分に近いプンダク氏の芝居で「河合郁人色」は出ていないように感じました。

プンダク氏は既に逝去されていますが*15彼の貢献なくしてオスロ合意のベースはなかっただろうし、ご本人がこういったチャーミングな方だったのかどうったのかは不明瞭ですが、”陽気”なイスラエル人というのだっていてもおかしくないだろう?という提示にも見えました。

これはヤンの「ノルウェーの人だけど(海外の人だけど)流されてしまいがち(に見える)」にもいえることで、「○○人はこう!」という固定概念や偏見を覆してくれる2人の人物なのかなという印象です。

 

そこで息をする、其々の「役」と「役者」陣

また、福士くんに関してはやっぱり言わずともがなというか……芝居が上手だなぁと感心しっぱなしでした。徹頭徹尾ずっと聞き心地が良い声をされていて、難しい言葉を言っているはずなのにすとん、と入ってきました。冒頭でも話しましたが直近の印象が「仮面ライダーゼロワンの敵リーダー」だったので「なんか全然イコールにならないね?!」と終わってから前述した河合担の友人とびっくりしていました。

緊張感のある喋りとくだけた口調、そしてそこの間にいる「モナ」という存在。

一番アピールしているのが彼というのも何だかちょっとおもしろかったです。年功序列ではなく、結果をだし、地位についているからこそのウリ・サヴィールという立ち位置だからこその描写は非常に感じられました。研究職である最初のイスラエル側として出席していた2人を外せば初となる「政治家」の彼だからこそ見えるものもあるでしょうし、それがゆえの温度というのもより感じました。やっぱり芝居がうまい。

ウリ・サヴィール氏のPLOに対しての認識というのも非常に興味深くて、前述した東京大学の方々の文献に「PLO側の姿勢が柔軟であることに驚いた」と同時に歴史的転換に対しての喜びの描写の説明がありました。*16 この「思ったより柔軟」というのは完全に身構えていたからこその「同じ人間である」という件の流れだからこそ感じる部分だったんじゃないかなぁと福士くんの舞台を通して史実のウリ・サヴィール氏に思いを馳せることができました。

 

また、一人二役といえば相島一之さんのシモン・ペレスとヤイルとの演じ分けも見事でした。

口調も仕草も、しごく当然ながら何もかもが違うヤイル・ヒルシュフェルドとシモン・ペレスの行き来は見事でした。真意がまったく見えないシモン・ペレスの「でもママ」という喋りと「高く――速く、飛ばないとね」という食えない、ゆったりながらのラスボス感に完全に圧倒されてヤイルのひょうきんで、一生懸命で、それでいて弾かれてしまう立場の人間というのがイコールの人物が演じられているようには到底思えませんでした。あの母との対話は「戦いを投げてでも生きていてほしい親心」と、「敵を討つことで悲願を果たしたい」の子心の対比、また人を引き寄せる立ち位置の人間になった今でもの見解にも取れるでしょう。

ヤイルたちは史実でもおそらく「着席」していた存在から「記録係」に降格され、その上で「もういいよ」と同席を拒まれるわけで……ひたすら不憫です。貢献者なのに!と思う気持ちももっとも。

そこでのテリエの言葉が「人生はままならないこともある」という言い方が慰めなんだけど慰めになってないんだよな~~!!!!!!という気持ちにもなりました(笑)

それでも館にはい続けていたあたりの一言二言描写が(創作で「ここにいることは許してほしい」というくだりが彼らからの打診でも、テリエからの打診でもPLOからの言葉でも)あったらよかったなぁというのは彼ら2人が「ここまで」くるのに凄く貢献していたからこそ思うことだろうな…とも思います。

だからこその、ロンとの外の空気を吸うことへのくだりのシーンは2人の関係が共同で貢献していること、信頼関係がちゃんとあることにつながっているのとヤイルのこの時の表情がとても苦しくも苦々しいものを飲み込もうと努力しているのが感じ取れて好きです。

 

益岡さんに関してはVS魂での「声ちっさ!!!!!!」のくだりとは到底同じ方とは思えないと言うか壇上にあがると改めて俳優さんって光り輝くなぁと感心するばかりでした。アフマドの下りとしてはひたすら虚空を見つめコンコンと考えている姿のシーンが非常に――こう……社会人の1人として(国ほどの大きなものを動かしているわけではないのですが)「答えなければならない」とわかっていながらも考えて、考えてどうにかしなければの焦燥感と、色んなものが折り混ざってしまったときの姿を重ねました。わからないけれどわかる。そんな気持ちになったというか……。絶妙に息が詰まるシーンであったように感じます。

また、プログラムの益岡さんのインタビューにて過去に演じられた「負傷者16人」のお話があがっていて少し調べてみたのですが*17レビューを読んだだけでも「いやしんっっど……」となりました。

今回はオスロ合意を作る側だった一方で、負傷者16人は晒された国民の反応という違いです。*18

そこに「至るまで」を作っていった人々と、結果として「話を受けた側に”こうなりましたよ”ってぱっと言われて納得できるわけがない」流れとのギャップは川の隔たり、大きな壁の如くあって然りでしょう。益岡さんはその差をより感じながら演じられていることを知り、ヒリヒリとした擦り傷みたいなものを心に覚えました。

どうしようもない、でもどうにかしたい。だけれど、その「どうにか」は自分の心のおさまる形になってほしいものと、同時に怒りや悲しみが打ち消されるわけではない現実でもあるわけで。

どちらにしても「そこに生きている」という意味ではまったく変わらないのに、それでも「許せない」という気持ちや「やるせない」思いって絶対あって、上が勝手に決めたことを「許せっていうのか、家族を、友を、仲間を殺されたのに」って気持ちにもきっとなるのだろう……なんていう、イメージしかできない人間として、2つの作品を通じてきたからこその益岡さんだから出来る「それでも、何とかしたい」というアフマドが見られたんじゃないかなと思います。

 

ラーシェンとサヴィールの対峙の解釈

友人とともに終わった後にこのシーンについて小一時間ほどずっとLINEで談義していましたが未だに答えはでてきません。

いつものみんなで集まる場所で、リラックスした場所でラーシェンは何もしてないという揶揄をして弄り倒した上で、サヴィールは「敬意を示した」上で、相手国たる人物を真似、その上でラーシェンを壇上に誘います。そして、これにラーシェンは乗る。

2人の対峙に対してはじめは「やったれやったれ」と酒の席であるためほぼ全員が笑っていたのにだんだんと緊迫した空気が伝わり始める。一度デッドラインとして線引してもなお、彼らはやめることがなく。

最後は、ハグで終わり、膝をつくサヴィールと、去っていくラーシェン。

しかもライトアップは仄暗い。一体どんな意味で、どんな意図でこの演出を作り上げたのだろう。議論はずっと続きましたが、私は仮説として「こうじゃないかな」というものをいくつか考えてみました。

 

1.今回の「オスロ合意」というものの縮図

まず、ラーシェンはそれまでのくだりで完全に「いじ」られています。見方からすればだいぶ胸糞悪いというかいじりといじめって紙一重だよねって言いたくなる描写でもありました。

「教室って世界の縮図」というように唱える方がいます。何かしらのきっかけて対立(いじめる・いじめられる)存在ができ、それを見て見ぬ振りをする人物。または「またやってるよ」となる人々。

これを当てはめていくと、2人は双方に「イチャモンをつける理由がある」わけです。

ラーシェンは「妻>自分」にされたこと、自分に対しての行為にたいしての苛立ちは見ていてとれます。

サヴィールは「何もしないくせに」という言葉やモナに対して好意的(これは恋愛ではないとは思いますが)なぶんのラーシェンに対してあまり好意的であるようには自分は感じられませんでした。

そして周囲は当初ラーシェンに対しての何もしてないという揶揄を入れながら対峙しているのに焦ったり、眺めたり、一度止めようとするがそれでも2人は止めることがなかった。最後にはにくい相手が目の前にいるとして、さあ、どうする、と銃をつきつけられる距離にある自分をどうする、と煽りに煽るサヴィールに対しての「挨拶」のハグとキス。これは最終的に隣人愛がゆえの行動。

けれど決してそれを「許したわけ」ではないからこその颯爽としていった退室につながるのかなぁ。

 

右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ

(『マタイ』5,39より)

この言葉はイエスの言葉ですね。あのシーンのハグで、私は「散々言われた相手にこれができるのってテリエがノルウェーキリスト教の考えに基づいている部分もあるからかな」とも思いました。

本作で度々挙げられている聖地・エルサレムという場所はキリスト教にとってもゆかりが深く、本作の登場人物たちの思考における「聖地」としてユダヤ教イスラムキリスト教其々に関係があります。

”無抵抗主義”(悪を持って悪を制するなかれ)というように表現されることが多いようにも感じますし、実際これを思い出すとガンジーの言葉にもつながっていくのですが正に”やられたらやり返す”の半沢直樹主義(別にこれはこれで自分はいいんじゃないって思う派ですが)ではなく、「今自分たちが求めている、目指している本質はなにか」「自分の感情だけではなく目指すべき場所はその一歩先」のテリエの現れが出たのかなあとも思います。

 

結果としてオスロ合意は実現したけれど、彼ら自身だってすべてがすべて「うまくいく」わけではないからこその、「互いを許せないから」こその、それがゆえの歩み寄りなのだということ。また、ラーシェンという「発起人」が芯をぶらさずに「実現する」という意味でのハグとキス、ラブアンドピースにつなげていったようにも感じました。

ロンたちがいっていた「デッドライン~!!!デッドライン!!」というくだりは今目下彼らがやっていることそのものなわけで。それさえも超えて、つかめるものが「良い」方向であったら。そうポジティヴに思います。

 

2.ラーシェンは「当事者」である再確認

部外者・第三者といってしまえばそのとおりですし、このくだりは先程も上げましたとおりなのですが、一方で「みんなわかっている」けれど彼なくしては始まらないのに天の邪鬼が出ている。

が、ゆえに「一番俯瞰して、冷静に”言いそう”を汲み取っている」上で「彼ら全員が望む結末(=オスロ合意)」を実現しようとするラーシェンの行動そのものの暗喩にも見えました。

だからこそのハグとキス。そして退場(=主役は自分ではないからこその捌ける)ということで。一枚も二枚も上手、だからこそひっくり返された、ちょっと下に言い方悪いけれど見ていたからこその器の違いに愕然としたようにも見えるのかなあなんてサヴィールの行動で「膝からいった!!!」という意味で考えていました。

誰のグラスがあいてて、すぐウイスキーを4ケースさっさか注いでいくラーシェンはいい飲み会の幹事になりそうだなぁとつくづく思いました。

 

3.それぞれの「おじいさま」を部外者がやることで現実味を増す

1と若干考えがかぶるのですが、Twitterで「他の誰でもなくテリエがやること」で、おじいさま同士のやりとりが現実感を覚えていったというものを見て、なるほどなあと思いました。

これがPLO側の人間がやったら、極論いえば空想というか「自らにとって都合の良いシモン・ペレス」になってしまうわけで、だからこそ壇上に”無関係”であるテリエが引っ張り出された。

ロンがやったときは既にブチ切れられたという下りがあるからこその「もうやってもいいぐらいのお互いの距離感になった」上だからこその、部分ですね。

現実感が出てきたからこその「すごいことをしようとしている」という恐怖感と圧倒されてしまうことへの愕然。それがその場にいる人間たちも段々と世界が変わることに気づいて足が一瞬すくむかんじかなと。これはテリエが見せつけてくるからこその意味で、1回目の「続けて」という声と2回めの”デッドライン”とロンたちが遮っている時はそれぞれ「テリエ」として見ている彼らが、お芝居にどんどん吸い寄せられて彼らの光景が実現したら、と思うようになったのではないか――……と解釈するとまた面白いですよね。

他の誰でもない、一番テリエを煽った「ウリ自身」が、一番驚いて、一番愕然として、その大きな”出来事””歴史の1ページ”を感じているのだとしたら、なんとも皮肉というか、なんとも不思議なものです。

 

全体を通して

時間が交錯しあいながら、会話も交錯しながら「一つの結論」に至るまでを結びついていく集中力を要するお芝居であったと思います。

マチソワ両方入ったら多分自分の魂が抜ける(笑)

「コロナ禍だからこそ感じるものがあるだろう」という言葉や「他人事では終わらない」「答えが見えないからこそ」というのは本当にそのとおりで、人間生きていく上で「本当にこれで正しかったのかな」というのを模索しながら生きていきます。だからこそのこの3時間の舞台もまた”どういう見方をしたらいいのか”って人によって大きく異なっていくことでしょう。

明け透けに言い合いしながらカラカラ笑ったり、コミカルになっているシーンもたくさんある、けれど一方で一つのテーブルにつき、「12人の怒れる男たち」のごとく、激情を持ち話し合う。

聖地エルサレムという場所に関しては特にですね。エルサレムは両国が「聖地」としているからこその場所で、それがゆえのやり取りが重苦しくピリついています。その温度を感じていられる舞台としても要人たちのひりついた感情と視線、言葉が双方に投げかけられるシーンが必見です。

えっワッフル食べてたの??この人達本当に??と時間差で混乱しそうになる(笑)

個人的には見に行って本当に良い舞台でした。咀嚼して咀嚼してもっともっと自分の中での「こうだった」を取り込んで、自身の考えの糧になったらいいなぁと思うばかりです。

 

そして最後に、スタッフ・キャスト・関係者、そして観劇されるお客さん全てが体調不良等にならないことを心より願っております。


【雑談】ノルウェーオスロという「場所」

その昔、北欧へ一人旅をしたことがあります。

理由は「推し活」と言われるものに近しいですが、自分の好きなノルウェー人のサッカー選手*19が日本を離れて自国に戻られるというお話を聞き、見送りもできなくてそのまま引退をおそらくしてしまうだろうということを理解していたからです。

この一人旅は「引退してから推しに会いに行ってしまったら完全に一般人なのに迷惑がかかる…そうなったら私完全にアウトでは……?!」というノリと勢いで決め込んだんですけども、行ってよかったなと未だに思い出深い限りです。

このときにいろいろなご縁が生まれて、何ならこの出来事が最終的にA.B.C-Zと自分をご縁として結びつけてくれたものでもあります。*20何がおこるか世の中というのはわからないですね。

秋口のオスロで見た風景と少しでもなにか類するものがあるのかなぁとか感じたり、いろんなことを考えました。

もちろん本作「オスロ」は「オスロ合意」の物語ではあるけれど、でも「オスロ合意」はオスロおよびその近郊だったからこその名前ですしね。

ノルウェースウェーデンは自分にとってもよい思い出になっています。

 

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ストックホルム市庁舎

これはノーベル賞晩餐会会場のストックホルム市庁舎。たまたま写真で残ってたんですけどこう――……色々いいたいことお察しいただけますでしょうか…(笑)

 

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ノルウェーオスロ国立劇場

写ってる銅像はビョルンスティエルネ・ビョルンソン。ノルウェーの国歌作詞者らしい。ふらふら歩いてたら見かけたのをふと思い出しました。

色々あちこち回ったんですが、せっかくなのでオスロにちなんでちょっとした画像をのせておきました(笑)

そういえば、スティーブン・スピルバーグ氏によるOsloが既に決まっているということで……

www.hollywoodreporter.com

 

日本で放送はしてくれるんでしょうかね、ネトフリ……!

 

見終えた後にウイスキー片手に誰かとひたすら懇々と語り合いたいような、平和ってなんだ、お互いの歩み寄りって何だ妥協ってなんだ、「人と人」ってなんだ。

そんなことを考えて、考えて、やっぱり答えがでなくて、それでも「考えなければ」と思える。そんな舞台でした。正直このタグにジャニーズ入れなくても十分自分は楽しめた(自分が「ジャニーズのお二人」を知っていたからこそ見に行くきっかけだったのもあるんだけれど……)俳優を切り離しても見応えあり、もちろん俳優お一人お一人の魅力も詰まっているお芝居でした。

 

*1:2017年6月11日発表

*2:あっとブロードウェイについて→【PR】「あっとブロードウェイ」でもっと気軽にミュージカルの世界へ - 柑橘パッショナート

*3:

www.youtube.com

*4:これはゲネ後の挨拶で坂本さんが河合さんのモノマネに対して「誇張してない?」という声に対し「芸人なんで」と返していたことから

*5:VS魂にてミキのお兄ちゃんに言われていた

*6:http://www.l.u-tokyo.ac.jp/tokyo-ias/nihu/publications/mers09/mers09_fulltext.pdf

*7:ヤマアラシは二匹が一緒にいると、お互いのトゲで相手を傷つけてしまうため、適切な距離を取って触れ合わなくてはいけません。 ヤマアラシのジレンマとは、この「近づきたくても近づけない様子」という。

*8:人の推しを教えてもらうインタビュー企画です

*9:今回も坂本くんがいらっしゃるので「完全に無関係」というのには難しいでしょうが

*10:山寺宏一×林原めぐみ対談 声優界のスペシャリストが語る、プレミア音楽朗読劇『VOICARION IV -Mr.Prisoner-』とは | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

*11:ガラスの仮面

*12:アクタージュ

*13:自らで構築した上で、「アイドル」としてこういうのがいいんだなっていうのを学んだらそれを一気に吸収する部分がある。

*14:特に3巻収録の恋愛リアリティショーがわかりやすいと思う。

www.youtube.com

*15:オスロ平和合意の陰の推進者、ロン・プンダク氏死去(大貫 康雄) | ニコニコニュース

*16:22P「反・二国家解決としてのオスロ・プロセスと新たな和平言説の誕生」より

*17:負傷者16人−SIXTEEN WOUNDED−|演劇|新国立劇場

*18:新国立劇場「負傷者16人」 鬼気迫るセリフの応酬|NIKKEI STYLE

*19:フローデ・ヨンセン選手

*20:この旅に関して、ラジオで取り上げていただきました。その節はありがとうございました。

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