柑橘パッショナート

インプットとアウトプットを繰り返すごちゃまぜスタイル

坂本昌行氏主演「君が人生の時」を観劇してきた/誰もが人生の主演である

V6のアルバムが発表されましたね。

しかもアルバムの発売日がA.B.C-Zコンサート真っ只中で私が膝から崩れ落ちるレベルなわけですが皆様いかがお過ごしでしょうか。どうしてくれよう。これが掛け持ちするってことかと思いながら「掛け持ち」文化ってよくわからないなという気楽なファンライフを満喫しております。

さて、早速ではございますが6月13日に初演を迎えました坂本昌行氏主演舞台「君が人生の時」を観劇してきました。

 

www.nntt.jac.go.jp

坂本君といえば先日トニー賞の番組やったりと何かとアグレッシブな動きが見えますね。なおこの舞台のメディア発表でなんでか城島リーダーの熱愛についてコメントさせられたりと持っているんだか持っていないんだかみたいな状態になっていますが。何にしても楽しみにしていた舞台だったのでワクワクするぞ~と新国立劇場に久しぶりに足を運んできた次第です。

超絶ネタバレも含めてのんびりと感想録を書きなぐっておきますので、観劇がまだの方はご注意ください。

 

「君が人生の時」

今回の舞台については、ホームページを見ていると西洋演劇に対し日本がどのように影響受けたのかということを紐解くための活動の11回目のものとして紹介されております。

 「日本の演劇がどのように西洋演劇と出会い進化してきたか」をテーマに、新翻訳で贈る「JAPAN MEETS...―現代劇の系譜をひもとく―」シリーズ。日本の近代演劇に大きな影響を与えた海外戯曲を新たに翻訳し、現在によみがえらせます。

 元々は1939年ニューヨークにて初演された「The Time of Your Life」.

ちなみに大本の戯曲はKindleなどでも販売中の様子。 

The Time of Your Life (Methuen Drama Modern Plays)

The Time of Your Life (Methuen Drama Modern Plays)

 

 

www.playbill.com

 

 英検三級どまりの私には多分無理!!!!(しろめ)日本語の表現すら危ういのに英語とか絶対無理!!とは思いますが読めたらきっと解釈とかも違ってくるのだろうなと思うのでご紹介。

ちなみに「The Time of Your Life」と言われるとグリーン・デイが出した「Good Riddance (Time of Your Life)」を思い出します。

www.youtube.com

この表題「君が人生の時」あるいは「The Time of Your Life」って割りとある表現なんでしょうかね。調べれば調べるほど色々出てきました。

なお、同作は1948年に映画化されており、後にはTVシリーズにもなっている様子。

 

The Time of Your Life [DVD] [Import]

The Time of Your Life [DVD] [Import]

 

 

 

原作者について

ウィリアム・サローヤンという人がこの戯曲は手がけております。

調べてみたら日本版のwikipediaにも紹介されていました。*1 日本と米国とウィキの違いを見ていると非常に面白いです。

ちなみに彼の最初の妻は「ティファニーで朝食を」のモデルになった女優さんだそうで。調べてみると人間としてはとんでもねえなこの人、ってなります。暴力的で彼らの子どもは彼女がサローヤンに首締められるところ見てたとかなにそれこわい。奥さん逃げて超逃げてってなるけど(実際逃げられてよかったねって思っちゃうけど)作品は繊細でかつほの暗さの中でも光を渇望してやまないようなのが垣間見えるのがしんどいなあと思います。

ちなみにこの「君が人生の時」は発表した翌年、ピューリッツァー賞*2の演劇部門に選ばれたけれど辞退したというお話もあります。

 

キャスト

主演に坂本昌行さん、野々すみ花さんを据え、多くの方がこの作品に名前を連ねます。

個人的にかみむら周平さんが出ていたことを後々になって知って「なんだって!」とびっくりしました。蜷川幸雄さん関連で見たことのある方じゃないですか…。びっくりです。

 あと完全に抜け落ちていましたがトムを演じていた橋本君、マジレッドじゃないですか…マジレンジャー*3じゃないですか…びっくりしました。中屋敷さんのお芝居で見て以来です。わーびっくりした。マジレンジャーのイメージ強すぎて「あの子がこんなに大きくなって」の知り合いでも何でもないのに感動を覚える今日このごろです。

 

あらすじ

 舞台はサンフランシスコの波止場の外れにある、安っぽいショーを見せるニックが経営する場末の酒場。そこには様々な事情を抱えた客がやって来ては去っていく。ピアノの名手、ダンサー、港湾労働者、哲学者、警察官、娼婦......。

誰もがそれぞれの想いを抱えながら酒を飲み、本音をポツリと語り、時の流れに身を委ねる。
若く美しい放浪者のジョーは、いつからかこの店にやって来て毎日朝から晩までシャンパンを飲んで過ごす不思議な男だった。

この店で出会いジョーの弟分となったトムは、客の一人、自称女優の魅惑的な女性キティに恋しているが思いを打ち明けられずにいた。
(公式サイトより引用)

 物語の年代は1939年。時代の変遷として第二次世界大戦頃です。

3月にはドイツがチェコスロバキアボヘミア占領をしたりとか。

4月にはフランス・スペインの勝利宣言があったりとか。状態として非常に不安定で、世界的にぐらついていたものです。

 たまたまお見かけした方のツイートで非常に分かりやすいものがあったのでこちらを御覧ください。

そんな世界的に見ても不安定ななかで、「自由の国米国」と称されながら重圧にあえぐサンフランシスコの街の中で生きる人々の物語。

主役ながら全体的に俯瞰している足の悪いジョーと、彼が3年前に助けたというトムという子分。そして子分のトムが気にし続けているキティ。

気の良いながらも街を占拠し好き勝手している男が許せないニック。色んな人間が酒場に立ち寄りビールを煽り、語り合い、そしてまた飛び出していく。そんな群像劇であり人間讃歌だと思います。人間賛歌は「勇気」の賛歌!*4ともいいますね。確かDEATH NOTEジョジョも根本的なテーマとして「人間讃歌」だったと思います。

 

作品としての感想

 ストーリー軸としてはサンフランシスコという場所の、ニックという男のやっている酒場での一幕。ほとんどこの場所から行き来しませんし時系列でいったら朝から夜にかけての1日の出来事です。

その場所にずっと居続ける「ジョー」(坂本君)がなぜ動かないのか、なぜ俯瞰しているのか、私は甚だ疑問ではあったわけですが。ジョーは基本的に人間のことを愛している人だなと思いました。誰に対しても隔てない。それこそ行き倒れていたトムを助け、キティにたいしてもきちんとした礼節を持って、世話をしてやる(脚長おじさんかよって思ったのは内緒)、ニックに軽口を叩き、新聞売の男には残り全部買ってやる気前の良さ。

ただ、一方で上流階級の人間や役人のブリックに対しては嫌悪を内側から外側に吐き出していて、その真意はまったくわかりません。何を見て、何を考えて、この人は本当にどういう人間なのか。随分とミステリアスだなと思いました。

また、この作中に出てくる人間は移民系のそれぞれ祖国がばらばらです。ジョーはアイルランドだし、ポーランド、アラブ、アッシリアギリシャのサロニカ、ニックはおそらくイタリアだろうし、それぞれが全く色を異なった状態で居ます。米国ってどういう国だっけって言われると「自由の国」「沢山の人が集まって出来た国」というイメージが相変わらずあり、私の中にある認識はある意味で「東京」と似ている部分があるんですが(もともと東京に住んでいる江戸っ子もいれば、そうじゃない人も集まる)東京の違いは「国」ではないこと。全部が大体「日本人」が集まってきていること。そうじゃない人たち。異国の人たち、考えも価値観が違う人達が集まることというのはそりゃあ育ってきた環境がなんとやら*5だよねっていう。

 

natalie.mu

 

ステージナタリーの概要がとてもわかり易かったと思うので引用。

物語として見ると本当にひたすら時間の流れに身を委ねてそれぞれがそれぞれ”生きている”のが特徴。出たり入ったり、往復を繰り返しぐるぐる悩んで、「生き様」を日常的にワンカットではなく、まるでカメラをひたすら回しているように続いていく。

そこにあるのは「地続きの日々」なんですよね。

この上で彼らが望むのは「日常の幸せ」にすぎない、ラジオを聞き、ゆったりと過ごし、仕事をし。そんなこと。だというのに、圧迫されて動けないでいる。こんな仕事辞めたいってなるくせに「やめたら明日どうやって食べていく」という葛藤を重ねて動き出せないなかで折り合いをつけたり、諦めてしまったり、多種多様です。

オスカー・ワイルドというアイルランドの詩人(多分ジョーが渡したかった詩ってこれだよね/夏目漱石森鴎外も大好きオスカー・ワイルドですね)は "It's an odd thing that anyone who disappears is said to be seen in San Francisco."ってもいってんですよね。英語出来ないって言ってるだろ!!!(笑

グーグル先生の翻訳に頼ったら「消えた人は誰でもサンフランシスコで見られると言われているのは奇妙なことです」って言ってるけどちょっと言ってることが分からない。まぁ要するにアメリカの、西海岸サンフランシスコという場所に集まってくる「危ない地域」であり、色んな人がより密集してくるっていうことなのかな(適当)

 

最初進めているとみんな知識人で「やべえ…言ってることが深すぎて学のない私には全くわからん…」ってもちょっと思ったんですが、結論的に言うのは人は誰しも自分を持っていて、そのうえで「自分がどうしたい」ただ「幸せになりたい」だけなのに、その権利を誰しも持っているはずなのに、なんで?っていうことなのかなあと。

ジョーという人間は世界に愛されていて、彼もまた世界を愛して、人間を愛していて、俯瞰している。だから彼はまず「信じる」ことから始める。

嘘で塗り固められた人々も酒場で入って接していくうちに溶けていくように、ぽろぽろと会話がうまれて、そこで「人」になっていく。国とか、いろんなものを脱ぎ捨てて、ニックの酒場は「良い」場所だ、というのは彼も、ニックも口にしているとおりだと思います。そこに生まれるのは「素」だろうと。

ただその上で、彼は銃を構えます。自分が愛したもの、「魂」に乾杯と彼がシャンパンを掲げていた身を地に叩きつけられながらももがいたキティの精神を侮辱した男に対して。

それって彼が世界に牙を剥いた瞬間で、彼自身が銃を放てなかったのは世界が拒絶したからなのかなあと思います。引き金を引いたのに弾は出なかった。それはつまり彼が「主要」にはなれなくて、世界に愛されているのに外側にいるからなのかなあと。

物事が起きる時、ジョーに関して言えば、ジョーはあくまで手助けとか、聞いたりとかしかしません。身の上話をしても、アイルランド人の女との会話をしても、結局は彼はいつも「見送る側」でした。トムとキティのことも、最終的に見送っていますしね。

そんな彼が「去る」ときを考えると、そこにはもう「ジョー」は不必要だと自分で判断したのか、何なのか・・・・とか考えます。

死は終わりの始まりです。エヴァンゲリオンでよくいってましたね。死ぬことがそんなに怖いこと?って。私は多分三番目だと以下略。

 

キッドのじいさんが口にした言葉はホラだったかもしれませんが、最後の最後本当になっていく。それは彼が「決めた」からで、「動いた」結果なんですよね。彼の”人生の時”だったのでしょう。

トムとキティが互いを「少年みたい」「子どもみたい」と口にしたとき、それを聞いていたのはジョーだけで、そんな彼らが寄り添いあい、泣いているキティの手を引いて世界に飛び出す瞬間をジョーは見ていません。「また逢おう」といっているだけ。多分今生の別れだろうなあとも思いますしね。とんだ死亡フラグだと思ってすいませんでした。

待ちに待った海軍憲兵のひ弱な青年と、白衣の天使エルシーの会話は「愛だけでは何もできない」ということ。”愛が世界救うだなんて僕は信じてないけどね”*6ってことですかね。目の前に君がいる君が明日をふっ飛ばしていけですね。桜のあとに大好きです。

彼ら二人の行動もまた「彼らのドラマ」であり、同じ時間の、同じワンシーンで、彼らが「運命」を築いた「君が人生の時」なのかなと考えます。あのシーン後の売春婦二人の「この店どういう店?!」というツッコミに実にごもっともだなと思いました・笑 ラブロマンスが突然始まる店ってどういうこっちゃ。

 

演出に関してはハリーという男の「お笑い芸人としてはナンセンスだけれどタップダンスはすごい」とかピアノ、ハーモニカとさまざまなことへの組み合わせ掛け合わせで広げられていくガチャガチャ感といいますが、ちゃんと作り込まれているのに即興感みたいなものを感じるのが面白いなと思いました。

 

Tina & Heidi interview

また、シカゴ大学でこのような対談のログを見かけたので、そちらを引用。

完全に英語出来ないのに出来る人みたいになってますが何万回もいっときます。英検3級で外国の方に声をかけられて反射的に英語出来ないマンです。でも声掛けられる確率めっちゃ高いです。

それはそれとして。そもそもティナは誰だ君とか思ったけどまぁいいやグーグル先生助かります。

ジョー・サローヤンという目線で見れば、ジョーが世界に愛されているのも分かります。世界の中にジョーは入りきっていない。サローヤンは物語を編み出しているその「視点」(神ではなく、天使の視点といえばいいのかなあ)にジョーを選んだと思ったら、天使の介入はある程度だよなあとか。ポルノグラフィティの「オレ、天使」という曲で俺は見ているだけみたいなかんじのフレーズがありますけど。介入するけど結局決断をして動いていくのは当事者たる彼らにすぎないというある意味非常に酷な立ち位置ですよね、天使って。

 

演出家である宮田慶子さんはサローヤンという作家がアルメリア・ジェノサイド*7から逃れてきた両親のもとに生まれてきたこと、祖国を失ったことがある現実を体験をしていることについて触れています。

「戦争はよくないぜ!」分かっていますよ、そんなこと。市民はそんなこたぁ望んでない。そうなんだよなあって思います。これ、ビニールの城でいっていた矛盾をはらんでいることに繋がるんですよね。「戦争をしたくない、平和を願いながら戦争の準備をする」

エレーナはいいます。「あなたが軍服を着て、銃を持ち、誰かを殺して、誰かに殺される前に」と。ああメンタルやられるな!!!

でも殺したら殺したで英雄になったらなったで、父親たちの星条旗を見て考えるトラウマにもなるんだよなあって思います。人生って本当醜い。醜いけど、美しい。

 

ニックも超絶血気盛んに見えますけど一方で娘には甘いですし、娘超可愛いし(水色のワンピース可愛い)「くぁわぁいい」っていってるの「それなあ」ってなるし、そこにあるのは至極当たり前な家族愛で、普通なんですよ。普通だからこそ、なんか色々くるものがあります。

ほしいのは「人」が「人」としてある姿。

そして彼らの美しさ尊さは、地べたを這いずってでも安酒場であろうとも決して汚れないものなんじゃないかなあと。

 

演出について

会話が多い舞台で場面転換があまりない、群像劇かつ密閉型のものだからこその演出というのは難しいだろうなあと思ったんですが(言い回しも独特だし)

1人が動いている中で別の人達も動いている。躍動、連動、誰かの行動に対して茶々を入れたり笑ったり、全然関係なくガチャガチャしていたり。正直全員が全員会話に参戦していなくても聞き耳を立てているのはわりかしあるあるなので(居酒屋さんで隣の席の盛り上がりが気になってしょうがないとかね)見ていて楽しいです。何度か見ているとこのシーンでのあいつの反応はこうじゃんっていうのがワクワクしますよね。

個人的に好きだなと思ったのはニックの娘アナがやってきたとき電話に夢中のニックをよそにお客に自由奔放に歩き回るアナ。ハリーが挨拶したときにレディーとしての挨拶している瞬間が「超かわいい」ってふるえました。可愛い。可愛いぞ!

ちなみにカーテンコールでうっかり幼女子役さんにお手振りをいただいて(ニックと揃っている親子感)非常にキュンキュンしました。かーわーいーいー!!!

 カーテンコールの何が良いってこういう親子とかカップルとかの何気ない「役」としての挨拶をしてくれるところ。トムとキティとか、エレーナたちとかね。手を取り合っていく姿、見ててほんわかします。

ニックの酒場について

もともとモデルがあるそうです。

www.izzyssteaks.com

こちらのサンフランシスコ店がモデルになっているらしい。

 サローヤンの作品については私はあいにくとあまり触れてきていないのですが、ビニールの城も含めていろんな戯曲が日本にも生れている変遷の中でこうやって「モデル」があるというのはやっぱり見ていて楽しいというか。ビニ城もモデルありましたね。

お店の雰囲気見てたらご飯が美味しそうで羨ましい。(そういう問題じゃない)

 

タイトルの意味を考える

enterstage.jp

坂本くんに「タイトルの意味合いを考えよう」という宿題を出されたのでのんびりと私なりの解釈とか、どういうことだろうかを考えていこうと思います。

「The Time of Your Life」「君が人生の時」。

この舞台を見た上で思ったのは主人公、主演は確かにジョーであり、また同時にキティなのかもしれないんですけど、でも彼らは彼らとして「人間」であり、決して彼らだけが「メイン」じゃないんだよなあと。

あなたの物語はあなたが主役なのです*8、ってジョン・バーズというアメリカの短編小説家がいってました。英語できないんでどこでそれを言ったのか掘り下げていくと「参考文献は多分これ*9」くらいのざっくりさしか言えないんですけど。求:英語力、語彙力 譲:適当さ これはひどい

まぁとにかくですね。

チャーミングだったりセクシュアリティ溢れたり、野心家だったり冒険家だったり英雄だったり一般市民だったり飲んだくれだったりカウボーイだったり、色んな人間がいて当たり前で、その一人一人が思考を持って、考えていて、生きているんですよね。みんな幸せになりたくて、みんな近くにいる人を幸せにというか、笑っていてほしくて、一緒にいるんじゃないのかなあって思います。悲しい顔してると笑わせてあげたくなるよな~元気だせよ!って背中叩いてやりたくなるよなあ、聞き手に回ってあげたくなるよなあとか、そういうかんじのことなのかなと。

やだ…超ざっくり…。

物語のヒーロー/ヒロインになりたかったなんていうのはよくある話ですけど。レ・ミゼラブルでいえばエポニーヌは立ち位置的に振られて散々な目にあって、(まぁその前に虐げていたあれそれあるけれど)立ち位置的になりたかったのは「コゼット」のようにマリウスに愛されたかったんだと思うんですよ。でも腕の中で抱かれて、最後に死ぬ時、彼女の悲壮な死は人の心を打つし、物語とは言え「エポニーヌううう」ってなるし、それときっと同じことなんですよね。

生を持って、この腐敗した世界に落とされたゴッドチャイルド*10な時点で「こんなもののためじゃない」と葛藤しながらでも生きていくしかないわけで。誰かを羨んだり妬ましく思ったりすることもまた間違いではなくて、その感情一つひとつは他の誰でもなく「自分」が生み出した腹の中からうわーーってなりたい何かであって、その衝動に突き動かされたり、踏みとどまったり、諦めたり、考えたりするのは、自分が自分として至る道のなかの流れであって、立ち位置を得たのは誰かの力じゃなくて自分の努力と、生き方と、考え方と、後はまぁ偶然ですよね。

芸能一家に生れたくて生れたわけじゃないし貧乏人に生れたくて生れたわけじゃない。そんなん当たり前で、そんなんどうしたって「誰がそうしてくれっていったよ」って言われたら「しらんがな」としか言えないわけで。

じゃあそのうえで「君が人生の時」はどうしたらいいのか。ト書きされていない自分の人生をどう演じていくのか、人生というのは大きなステージだ、という風に言うことがありますけど、みんながみんな演じているから思った通りにいくわけないんですよねえ。育ってきた環境が(以下略)だし。だからみんなセロリ聞こう。名曲過ぎて困ったことが有ると大体「育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めない」っていいだす自分本当ぶれないしブログだけでセロリの歌詞調べたら散々出まくっててこいつ…ってなります。

 

舞台を見た上で思ったのはこの舞台の時代が1939だったということ。当時の舞台の流れの中を確実に変えた「人間賛歌」であること。このサローヤンの勇気の賛歌は何を持って、どう考えて、当時見た人たちの心を打ったのだろうと。3回もブロードウェイで再演されて、ドラマになって映画になって、今こうして日本で再び形になって。

人は違う、人はそれでも寄り添い合う。そんな答えはほんとうに些細なことなのかもしれませんねえ。

見終わったときに言いようのない「あーーこの気持はなんなんだーーー!!」を葛藤しながら、考えながら、それでも整理をつけながら、私たちはまた明日からも頑張っていくしかないんですよね。

わたしは今日まで生きてみました 時にはだれかの力をかりて*11ですね。そして今、私は思っています。明日からもこうして、生きていくだろうと。

変わるタイミングは確実にある。でもその変わるタイミングは自分が生きていくものの中の過程があるからこそやってくるのだと思います。

ジョーが歩きだしたその先に何があるんでしょうね。高級酒の代表格であるシャンパンはお祝い事の象徴ですが、その「シャンパンを飲もう」という言葉を受け取らず、去っていった彼は”根拠ない”世界のなかでまたあまり健康とはいえない足を引きずって、世界を放浪するのでしょうか。

停滞していたニックの酒場から歩き出した彼の世界がどう広がっていくのだろうか。

また、トムとキティ、エレーナたちのそれぞれが「飛び出した」カップルとして、どこにいくのか。飛び出したからと言ってうまくいくわけじゃない。もしかしたら途中で挫折するかもしれない。

これは第2次世界大戦前の閉塞感とかがどうこうじゃなくて、シング・ストリートでも描写されていたことで。現代も、そして多分未来的にも同じことだと思うんですよね。

だからこそ、今こうして「君が人生の時」が上演されたのではないかな、なんて思います。

 

どうですか坂本君!私なりに意味を考えてみたよ坂本君!!(笑)

ということで答えというのは見当たらないからこそ探して、考えて、こねくり回して、結論付けられないながらも歩いて行くしかないのだろうなあとかそういう「世の中はそれを投げっぱなしジャーマンとも言う」って友達に言われましたがそんなこと考えています・笑

 

今日までの自分も、明日からの自分も、またどちらも「私」として。そしてこの作品に出会ったことでまた何かを見つけ出した「私」として、さーーて明日も何とかかんとか生きていくか~~みたいな、そんな心持です。

 

*1:ウィリアム・サローヤン - Wikipedia

*2:向こうの権威ある賞 The Pulitzer Prizes

*3:魔法戦隊マジレンジャー』(まほうせんたいマジレンジャー)は、2005年(平成17年)2月13日から2006年(平成18年)2月12日まで、テレビ朝日系列で毎週日曜7:30 - 8:00(JST)に全49話が放送された、東映制作の特撮テレビドラマ、家族戦隊ものです。名前のとおり「魔法」をモチーフにしたもの。

*4:ジョジョの奇妙な冒険 第一部ファントム・ブラッド」からウィル・A・ツェペリ氏の名言

*5:毎度おなじみSMAP「セロリ」より

*6:UNISON SQUARE GARDEN「桜のあと」

www.youtube.com

*7:アルメニア人虐殺 - Wikipedia

*8:Everyone is necessarily the hero of his own life story.

*9:Everyone Is Necessarily the Hero of His Own Life Story | Quote Investigator

*10:鬼束ちひろ「月光」参照

*11:吉田拓郎「今日までそして明日から」

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