柑橘パッショナート

インプットとアウトプットを繰り返すごちゃまぜスタイル

A.B.C-Z主演ドラマ ワンモア5話「大人が運動会して何が悪い」雑感

「大人だから」「子供だから」という境界線を超える”学校”という学び舎で築く人間関係や、これまで進んできた道があるからこそ見ていく世界を描く「ワンモア」。

一人ひとりにスポットを当てた回が続きましたが、学校というものに憧れを抱く存在(空田君)や、学校というものを一度去った(風間君・地井先生)と違って「自らこの仕事に憧れて」という描写がひときわ強かった水野先生が主人公のお話です。

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大人が全力で取り組むドラマ「ワンモア」

今回もイラストは伊於さんにお願いしました。ありがとうございます!

「笑顔なのに絶妙にいつも”虚勢”と”一生懸命”の背中合わせでやってる感じがする」というお話をしていました。凄くわかる。

 

 

 

 

 

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 第5話あらすじ

憧れの教師の職にようやく空きができ、定時制高校に赴任してきた新米教師の水野(五関晃一)は、初日から熱のこもった授業をするが生徒の反応はイマイチ。

担任の地井(河合郁人)にも呆れられるが、溢れる情熱を絶やすことはない。

そんなある日、体育祭をやってみたいという生徒の思いを受け、水野は奔走する!

しかし周辺住民の反対や全日制の不良生徒からの妨害で思うように進まない。

それでもあきらめない水野が体育祭にこだわるのは理由があった。

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水野先生というのはこの「ワンモア」という作品において、1話から並々ならぬ情熱を持ち、ちょっと浮世離れした雰囲気を持っていました。いわゆる新卒の「こういうことしたいんだ!!」という夢とか希望が詰まっているかんじが、ひときわ大きいと言うか。これまでたくさんのドラマのキャラクターを演じてきた中で彼自身の物語に触れるという意味でも気になる回です。

 

ざっくり感想

 

「運動会」ということの難しさ

そもそも10代の運動会だって正直「やだ」「かったりー」っていう人と「男子ちゃんとやってよ!!!!」っていう人が其々いてしかるべきで、その結果の揉めたりするのは非常にあるあるなんですよね。合唱コンと運動会はだいたい揉めるって相場が決まってるイメージです。

定時制は「やるか」というくだりが早かったようにも感じますが、それというのも人数が少ないからこその団結力みたいなものが生じているのかなと思います。良い年こいて……なんていうようにも描写の中でありましたし其々に時間が限られているからこその水野先生の奮闘っぷりが目立ちました。日常がそれぞれの中であって、それが10代の子たちの「学校にいく!放課後は遊んだり勉強したりバイトしたりする」というものよりもずっとずっとリアルというか「朝起きて、仕事してその後に学校行って、かえって御飯作って掃除して風呂入って寝る」というルーティーンがより過密というか……。もちろん其々によって生活リズムが違うからこその描き方だなとも感じます。

 

外国人労働者であり学生という存在

それがゆえに、グエンくんの「どういうことをしたいのか」ということを聞いて、こうしたい、ああしたい、という気持ちが強くなったことや、第三者への共有の仕方が水野先生「だけ」ではなく一人ひとりを広げていった――ようにも思えますね。

将来学校を造りたい、というお話についてベトナムの教育状況についてはあまり詳しくないのですが、MIU404の5話で、マイちゃんの日本に対するあこがれと絶望の描写が非常に印象的でした。学びたい、仕事したい、だけど、自分たちは消費されていくだけのあの流れは正直見ていて本当に心が辛かった。本当に辛かった。

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だから光と影というか、実際問題「どう」なのかとか外国人問題は後をたたないし、でも一方でちゃんと留学生制度を取り入れて職人として育てている人たちを自分は見てきているので、何とも言えない……ってきもちなんですが(全員とは思わないけれどね)

それでも「グエンくん」という今作の登場人物が学校を作りたいとキラキラしているのを見て「運動会は外すことはやっぱりできない」ってなるのがすごく良かったです。水野先生が目標としている先生像はたくさんあって、それでも自分の身近にいる「ドライ」で「一線をちゃんと引いている」けれど「その分仕事をきちんとする」タイプの地井先生を見て、生徒たちを見て”自分”が先生になっていくことの実感というのが好きでした。自己満足で終わらないというか、「誰か」のために何かをするっていうのって非常に相手からすると「ありがた迷惑」ってなりがちなのを、水野先生は今までの自分を受け止めた上で「自分なり」に作ろうとするっていう描写が良かったですね。

空回りしてばかりだけど、空回りだからこそ、水野先生が「水野先生」として生徒にしてあげられること、自分がまた磨きをかけられたこと、良かったなと思います。

 

これまでの定時制の築かれた関係性がゆえ

今回、いわゆる「アイドルグループ」であるA.B.C-Z5人の人物へのスポットがあたった回としては最後になるわけですが、一人ひとりが1話ずつ、時間を掛けて作ってきた関係図だからこその取り組み方になるのではないでしょうか。

それは5人だけではなく、定時制の他の生徒たちである沖田さんとか昭三さんとかがしかりですね。何ができるか、自分たちにできることは何かを見ていった結果の自治会長への歩み寄りであったように思います。

全日制トリオが吹聴したことを自らひっくり返していったのは「誰か」ではなく「実際に」見てもらうからこその意味があるという形で作ったからなのかなというようにも思いましたし、いわゆるコミュニケーションを取ることが仕事である沖田さんと、おそらく同年代である昭三さんが自治会長と赴き「レッテルを覆す」という流れは少年漫画感がありました。

また、みんなで用意しているからこその、こつこつと準備している姿も印象的で、まさに「かったりぃ」の様相でありそうな火村くんが自ら木材を運んでいるところが印象的でした。後驚きの風間くんのレタリング能力。プロの仕業感が出てしまっているあたり美術さん……とふふっとなりました。その割にクラスTが絶妙にあるあるなのも含めて芸が細かい。

 

これまでの関わってきた人たちが来る運動会

定時制の学生たちが運動会をする際どうしても夜になってしまうのですが、それでも見に来てくれる人たちがいて、それを精一杯楽しそうにしている姿が印象的でした。

一生懸命やって、一生懸命楽しんで、取り組むこと。風間くんと志保ちゃんの関係がほどよい距離感で、明らかに風間くんが諦めきれない雰囲気を持ちつつ(笑)友人として、少しずつ歩み寄っているのだなぁと思いましたし、空田くんに関しては本当によかったなと。義父母、そして娘の関係が途絶えなかったことが嬉しいです。義理の娘である以上血筋のつながりはないし、フェードアウトしてしまうことだってありうるけれど、それをしない、良い関係になれていたこと。そして父母が「みにいってもいい」と思えるようになったその隙間みたいなものを感じられて良かったです。

この上での、全日制トリオの女の子が「楽しそう」というのはやっぱり自分たちが無作為で特別熱中できるものがないからなのだろうな、と思うし、彼女はまだ引き戻せる部分が色々あると思うんですが、引き止められてしまった以上難しいかもしれないな、とも。よくも悪くもクラスで浮いている3人ではないかとずっと思っていたのですが、この3人全日制の運動会、合唱コンを「かったりぃ」「暑苦しいのうぜー」といってサボってそうなタイプだな……とも思いました。自分たちができないものを、大人がやっていることに対して眩しくて疎ましくて羨ましいを孕んだ結果なのかなーなんて。ヒールの子たちの中で女の子が「いいかも」となれたのは改善の兆しがあるのに、引っ張られることで「戻されてしまう」ほの暗さみたいなのを感じました。つらい。

 

”誰かのマネ”ではなく”自分なりの姿”での目標

CMでも使われていましたね。本物の先生。

 めちゃくちゃ見覚えのある3年A組だな……とも思ったのですが、ものまねシリーズにカウントしてくれたの単純に驚きました。良い作品ですよね。菅田将暉くんの熱演が光るドラマだったと思います。

第5話

(局を飛び越えてあれやこれややろうとするのはいわゆる地方局ローカルドラマだからこその強みでもあるのかな、とも思いました。)

 

それはそれとして「誰かになる」という意味では中の人(俳優)でいえば河合さんが「モノマネができるジャニーズ」として世間的に話題になっていますが、「モノマネではない彼が好き」という人もファンの中にはたくさんいらっしゃって(自分も”モノマネするところも好きだけどモノマネ以外も好きだよ!”層です)ふとそういう意味でも、「河五」というコンビで動きやすい二人として水野先生が言葉にしているのが印象的でした。誰かではなく、自分なりの築いていく姿。もちろんロールモデルはいくらでもいたっていいけれど、ただただ真似るのではなくて、吸収して噛み砕いて、自分の中に落とし込んでいく。まさにアウトプットとインプットを繰り返していく「学ぶことをやめない」姿として描かれているのではないか、というように受け取りました。

同じものを見て、感じて、それぞれで意見が違って。他人の意見を見て「わかる~」となっただけではなくてそこから更に自分の意見としてどんどん自分なりの経験とか、学びとかを組み合わせていったらそこに生まれるのは「影響は受けたけれど、あなた自身のオリジナルになっていく」ものなのかなと思います。

これはブログをやっている身としてよくある人との意見の被りとか、「その意見私がブログで言ったやつでは……!」とかのジレンマにも言えることで(このへんよくいろんなブロガーさんとか、発信している人たちの悩みとして聞いています)非常に興味深いくだりでした。

また、水野先生が「本物の先生」になれた部分に地井先生のくだりが先にあったからこその、自分が目指したい教師像、尊敬したい教師像っていうのにしっかり地井先生がインプットされて、それは「水野先生だから出来た出会い」であり、水野先生が出会った「誰でもない、クラスメイトAだった自分を変えた先生」と同じように体験したからこそのわかる部分でもあるのではないでしょうか。

主人公にはなれないクラスメイトA、最近だと「久保さんは僕(モブ)を許さない」など、モブ主人公がモブじゃなくなっていく描写がコミックスでもよく見かけます。

 

個人的には「可愛いだけじゃない式守さん」のクラスメイトの子が主人公である和泉くんが式守さんと関わって、どんどん変わっていく中でその男の子もまた「輪」に入っていく描写がすごく好きです。

 

ヒーロー/主人公というものの気質じゃなくても、その物語の主人公はあなた、なんていうのはよくある台詞ではありますが、なれなかったとしても、違ったとしても、自分なりの目指すものがヒーローだけじゃなくなったのだなぁと思います。

 

人は誰だってヒーローになれる。

傷ついた少年の肩に上着を掛けてくれて、世界は終わりじゃないと励ましてくれる男だ。

これはダークナイトライジングの有名な台詞ですが、本作に出てくる彼らは誰もが傷を負いながら、そういう優しさを持っているのかな、とも。

ダークナイト ライジング (字幕版)

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  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

だから、そういう意味で「ヒーローになりたい」「先生になってみんなと頑張りたい」で伝える言葉が空回りになりがちで、そのぶん精一杯のアップアップだった水野先生だってちゃんとヒーローなんだよ、そのままの水野先生で、かっこ悪くても「自分なりの先生」としてなっていく過程として進んで行けているのなら、今回の5話は先生が「ヒーローになっていく」物語でもあるのかもしれませんね。

勧善懲悪ではなく、めちゃくちゃにされた傷は癒えないけれど、それでも自分が自分たちができることをやろうとする。励まされる。それはヒーロー作品ならではだと思います。そう、特撮でも何でもそうですが一度はアップダウンがあるもんなんですよね。ゼロワンの或人社長もそれはもう大変だったので……*1

ヒーローじゃなくたっていい。そう思えたところで、改めて水野先生の「ヒーロー」としての物語が始まっていくのだと思います。

だからこその、五人が、そして関係者やクラスメイトが、それぞれのオクラホマミキサーで見せてくれた表情は目指していった結果で素敵でしたね。

オクラホマ・ミキサー

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  • ワールド
  • ¥204
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ということで次回なんですが……次回なんですが…。

 

轟高校に轟くん来るの?!!!!!!!!!!!!!!!!!

(轟:前田公輝氏が演じた「High & Low」のキャラクター)

しかも喧嘩するの?!!!!!!!!!!!!!!

 

SWAG & PRIDE

SWAG & PRIDE

  • provided courtesy of iTunes

 

色々困惑していました。ウィキペディアで見てたらさわやか3組 2001年度主人公だったと聞いて「多分みたことある」って驚いたぐらいには困惑しました。ひぐらしのなく頃にの映画も圭一くん彼だったことに驚きました(ドラマは稲葉くんなの知ってたけど)。

火村くんは立ち位置が元ヤンキーですし、状況が状況で「過去の友人」だそうで……。あらすじ見てCM見て明らかにこれまでと空気感を変えてくる流れ持っていくのか!?と色々予想をたてています。

youtu.be

どうなるのか次回も楽しみですね!

*1:仮面ライダーゼロワンの話

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