柑橘パッショナート

インプットとアウトプットを繰り返すごちゃまぜスタイル

A.B.C-Z主演ドラマ ワンモア4話「大人がHRして何が悪い」を見ました

 「ワンモア」という言葉を聞くとまっさきにイエスタデイ・ワンス・モアがふと頭をよぎります。挫折したり色んな道を歩んでいく中で傷ついた人々がまた「もう一歩」を踏み出そうとするチャレンジを描いているメ~テレ×A.B.C-Zのドラマ「ワンモア」。

笑顔の裏側に自分の中で病室で過ごした「青春」を噛み締めながら学校生活の中でできる集団心理や“両立”の難しさにスポットを当てた空田や、過去を引きずりながらどうしようもない衝動を胸に「変わりたい」「変われない」に揺らぎながら初々しくも不器用さの風間。

二人共に言えることは「ドラマ」というある程度物語の中でハッピーエンドが予想される中での「酸いも甘いも噛み締めながら進まざるを得ない大人」たちの踏みしめている姿を見られるのが良きところですね。

空田は愛娘との距離を保ちながらも娘と亡き妻の願いを叶えるために、そして自分のために、彼女たちがくれた「学ラン」を着て学校に登校する。誰もいないがらんとした部屋で「いってきます」という表情に切なさと明るさが心にぐっときました。

風間は恋に破れながら、傷つきながらも「誰か」と時間を共有するということ、考えることを”言葉”にすることで踏みだしていきました。コンプレックスを孕みながら、それでも兄でも家でもなく「自分」として呼ばれる場所ができたことは大きな前進ですね。

だからこその甘すぎず、でも渋すぎない空気の中で今なお彼らを俯瞰的に見つめる登場人物・地井先生のお話になります。不穏な前回の最後でしたが――……歩みだす地井先生が、どんなふうなバックストーリーがあるのか気になりますね。

 

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「大人がHRして何が悪い」

今回もイラストは伊於さんにお願いしました。ありがとうございます!「地井先生髪型が日吉若*1に似てるよね」という話題になってつまり日吉≒地井先生……?と二人して頭を抱えました。

今度伊於さんがコミカライズ決定いたしました。めでたい!!!!

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 第4話あらすじ

以前は全日制高校の教師をしていた地井(河合郁人)は、訳あって定時制高校に赴任してきた。

生徒に対しては一線を引き、距離感を保って指導する、そんなドライな担任教師の地井が、過去に事件を起こしたという貼り紙が!
それでも淡々と授業を行おうとする地井に対して、空田(塚田僚一)たちはホームルームの開催を提案する。

過去の苦々しい出来事によって情熱に蓋をしていた地井は、そこで再び生徒と向き合う決断を迫られる。 

 

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 地井先生の過去については自分自身でエゴサーチをするシーンが1話にあがってて「なんかやったんだろうな」と思っていたのですが、予告編みたら流石に心痛くなりました……。

そして今回のタイトルが「HR」というのがいいですね。私はHRがあまり得意な生徒ではなかったですが(笑)今思うと先生たちからしたら生徒一人ひとりの考えは見えないし、よい機会だったのだろう……と大人になって思います。

 

ざっくり感想

”教師”という理想と現実

教師という仕事に対して夢を持てば持っているほど、志を持っていれば持っているほどのジレンマが生まれるというのは周囲に教師をしている人たちを見ていると思うところがあります。

ずっとずっとあこがれの場所であった教壇の上に立つ水野先生にとっては「理想」を掲げて走っているさなかであり、そんな彼を見つめる地井先生にとっては眩しく、羨ましく、また同時に、それがゆえに「傷つく姿は見たくない」という気持ちが生じていたものなのだなぁ……と見ながら考えさせられました。

地井先生が地井先生として、ドライに、距離を一定に保ちながらも本来の気持ちは「どう」だったのかというのを水野先生を見たときに出てくる「おれだってなあ」の気持ちが如実に見えたのが震えますね。しかも、たくさんの色紙を過去の生徒から貰っていたというのもまた彼が彼として懐かれていた、慕われていたこともわかります。

でも一方で「すべての生徒が”そう”ではない」ということも教師というのは――というか、人間というのは意識しなくてはならなくて、たまたまその学年のたまたまあたった子たちが”悪ノリ”でやってきたことでもあるんだろうな……と彼の過去を触れて思いました。

だからといってその生徒たちを許すとは言ってない(前回の全日制の子たちに対しての気持ちとデジャヴュが生まれますね)とは思うんですが、一方で「本当に傷ついた子はいない、本当に追い詰められている子はいないのだ」という安堵感がある地井先生の若かりし姿を見て、それを知っているのは向かい合わせになっている校長や周囲だけなのだというのがまた何とも言えないです。

悪ノリで人を傷つける、傷つけられた側がどんな気持ちでどう生きるのかという部分がすごく今回の話には出ていて、だからこその水野先生が自分の理想だと、そうやってハッキリ言っているシーンにCMでいっていた「どこで間違えたのだろう」という言葉を打ち消すような「灯」そのもののような包み込みに「み、水野先生…!!!」と泣きそうになりました。

一度どんなことがあろうと受け止められるのはおそらく生徒たちが大人で、訳ありで、それぞれにそれぞれの心を抱えているからこそでしょう。

地井先生の一件に関しては冤罪ですし、大本の原因は生徒たちにあります。もちろん地井先生が「そこまで追い込んでしまった」という自己犠牲精神というか愛にあふれている人だからこその気持ちであったとしても、彼女たちのうち何人が地井先生のことを覚えているのでしょうか。そして罪悪感を持っているのでしょうか。それは視聴者にはわからないです。

 規模はもちろん違っていますが、Jamさんの「多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。」にも類している部分があるかなぁ……とも。

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私は正直彼女たちの殆どは「ああ~~いたね~~やめちゃったじゃん笑 うける笑」で終わっていそうだし、何なら忘れているだろうとも思います。流石に学校側が停学処分ぐらいしてほしいなぁとも思うんですが、そこらへんの描写はわからないですし。もしかしたら、ずっと引っかかっている人もいるかもしれない。

それでも、地井先生の日常は続いていく、進んでいかざるを得ない。その受け止める先に過去の「彼女たち」があったとしても、地井先生を待っている世界は暗いものだけではないことを今回のお話で、自分があえて見ないようにしていた明るい部分を必死に向かっていこうとする水野先生や生徒たちによって見い出せていけたのではないでしょうか。

 

誰かと「向き合うこと」

また、今回の「生徒と向き合わなくてはならなくなる」という部分が大きなテーマでしたが、同時にクラスメイトの沖田さんもしかりです。

彼女は水商売を同時並行でしていますが、その流れというのもまた何ともいえぬことが原因なのだなぁ……とホームページを見てびっくりしました。

弟が作った借金を肩代わりしており、どんな事をしてでも金を稼ぐと決めている。弟の借金を返し終わったら介護士になるために、高校卒業の資格が必要で定時制に通っている。

弟~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

ただ一方で、その原因があえて伏せられているというのが何ともいえませんね。ソシャゲに走ってクレカ地獄になったとか、お馬さん・船・自転車といったギャンブルに走ったとか、それとも学校にいきたいとか(専門学校にしろ大学にしろ学費は馬鹿にならない)、それとも事故にあったとか――色んな原因は考えられます。

でも、作中で沖田さんは電話をしています。柔らかな声音で「大丈夫」といっているのを見ると、どうやっても肉親だからという切り捨てたくない気持ちと、自分がやってやろうという気持ちの共存が伺えしれますね。

そんな彼女は明るく、前回の風間くんの回や空田くんの回でも親しみやすくやり取りをしてくれています。少なからず今回に至るまでそんなに大変そうな姿は全然見えなかったし(そういうお仕事をされているのだなぁ、ぐらいの認識)この上での家族には心配かけないようにするっていうのがリアルだなぁ……と。

お仕事内容に関しての云々はさておくとして(そして特定班するあたりに「やめたげて!!!」って思いつつも、そういうののスレッドがあるところは限られるので見たのか…みたんだな…とちょっと思いつつ)沖田さんが危ない状況であることをわかって、その上でちゃんと向き合う、「担任」として生徒を守る流れを地井先生が選択したことにぐっときました。沖田さんにとっては自分の地元ではないことも含めて地井先生の言葉はすごく支えになったというか、拠り所になったというか……もちろんそれの結果で先生へ好意的な目で(恋愛対象として)見てもおかしくないだろうし、一方で信頼関係としてすごく親しみを覚えてなつくのもごもっともで。

お店のママがいていいよ、といってくれたのも初恋の人に似ていた、というのも「先生」だからこその部分もあって。そういえば1話でお店で流れでお持ち帰りしてしまったお姉さん、どこのお店だったんでしょうね。このお店ではなさそうな気がしますが……。

 

沖田さんも、地井先生も、状況的にこのお話で「救われた」部分はあるけれど、実際問題レッテルというか沖田さんについている団体が全く狙わないか、と言われたら多分答えはノーで(もちろんどの程度の規模なのか、というのもありますが)、一度支払った以上、地井先生もそのまま付け回される可能性もあるわけです。このへんは「ヒマチの嬢王」とかで読んだな……って顔していました。

ヒマチの嬢王(1) (裏サンデー女子部)

ヒマチの嬢王(1) (裏サンデー女子部)

 

(元歌舞伎町No.1キャバ嬢だった人が地元に帰って地元のキャバクラの経営に回る、という漫画)

そういえばこの取り立て屋というか、元締め、監督だったんですね。監督のお顔を見たことがなかったので気づきませんでしたが、にらみ合い凄みあいを見ててここからばしっと支払いをという形に切り替えて進むという行動はやっぱり地井先生かっこいいな~~ってなるばかりでした。

 

また、その上で「誰かを見る」ということ、誰かの「居場所」になるということというのがすごく重要で、実はたくさんたくさん地井先生が生徒たちの様子を見に行っているという意味で遭遇したりしているところで「自分は一人ではなかった」と思わせてくれている部分が良かったですね。人に与えてばかりの地井先生が、火村くんや生徒たちから、同僚からレスポンスがあった。もちろん過去は消せないけれど、地井先生の、そして沖田さんの大きな「一歩」だったんじゃないでしょうか。だからこそ、ホームルームという「互いを知る」に至れた。そんなように感じます。

 

インターネットの怖さ

沖田さん、地井先生ともにインターネットから特定に至っている部分があるんですが(これは多分わざとなんだと思います)、特定班といわれるような人たちはインターネットだと特に顕著ですよね。先日、北海道での悲しい事件がありその加害者側を特定する動きを私もSNSを用いながら見ていました。

私刑、という言葉がありますがそれが冤罪だった場合どうなるのか。実際地井先生は調べていったら生徒たちによるデマだったわけですが……。

過去に熊本地震のときにデマ騒動でライオンが逃げ出した、というものが拡散されましたね。*2 どんなに気をつけていても、こういったことが起こると混乱に乗じて面白半分に言う人や、それを信じてしまう、誤解のまま進んでしまうケースがあります。オレオレ詐欺とかもそうですが「自分だけはそうならない」と思いたいけれど、「そうならない確証もない」ということを自覚しなければならないのかな――と、今回の話を見ながら考えました。

もちろんこれは芸能界におけるまことしなやかな噂とかもネット記事とかで言われるじゃないですか。それもどこまで信じたらいいのか分からない――とか色々あったりするわけです。「噂」はあくまで「噂」で、でも信じたくないといわれたらそのとおりで、声が大きければ大きいほどそちらに引っ張られてしまう部分もすごくわかる。

「匂わせ」という言葉がこのジャンルにいるとよく耳にしますが、真偽は当人たちにしか分からないんだよなあ……とか考えるけれど、見ることにモヤモヤすることもまた事実で。難しいですよね。

「自分」を保つことの難しさと、それで誰かが傷つくのは(それがでまだったらことさら)つらいよなあ、なんていうふうに思います。

サッカージャンルで言うと非常にナイーヴというか、次の一年を左右する移籍問題とかでデマだったり(それは流石にないだろというものがあったりする)本当かもしれないけれど、そういうのは本当に……本当に胃が痛い……みたいなのとかね、経験しますよね……しんどい。昔「(移籍)するの?」と聞かれて「しないしない(笑)」と返した選手が結局去ってしまったなんていうエピソードがありますが、それって選手からしたら「しますよ」なんて答えられないよね……とか思ったり色々考えさせられるエピソードでふと思い出しました。

 

全日制・学生トリオ(今回も「お前らそういうところだぞ……」となりましたね)のなんとも言えなさというか「暇なの?暇なのね?!」という若さゆえのパワーを持て余しているところのストレス発散というか、「自分より下(だと思いたい)にマウントや自分たちが”上”であることを示すことで満足感を得たい」という心境なのかなあ……とも思います。いつも3人でいるのはドラマの都合なのか、それとも「3人がまた誰かにとっては浮いた存在」だからなのか。一生懸命に取り組もうとしている人たちが、妬ましい。羨ましい。もちろん言葉にしないけれど潜在的な問題になってくるんじゃないかなぁ……とも感じますね。つまらない日常だから面白おかしくしてやろうぜ、誰かを下に見ることで「うけるw」にしたい、みたいな感じでしょうか。傍目から見ると滑稽なんですけれど、滑稽であることを本当は自分たちも知っている、でも抜け出せない――彼らもまた、ワンモアという作品における「日常」のループでもがいている人たちなのかな、とも思います。

しかし3人の字が想像よりきれいで(チョークで書くの難しいですよね)そのへんも含めてあのシーンは色々と思うところが多いです。

 

「あの頃は」からの脱却

「俺だって、俺だって昔はなあ」というくだりを見て、時間の経過を改めて感じさせられます。

本作における過去の選択肢からの流れで、今に至るまでの時間を痛いくらいに伝えてきます。

「あの頃はよかった」「あの頃の俺はすごかった」というキーワードは大人になるにつれて思わず出てきてしまうフレーズでもあります。居酒屋とかでおじさんが「俺だって昔はよお」みたいなのを言うのと同じような感覚ですよね。

 

その上でついつい経験しているから「あの頃は」っていってしまうし、「俺だって(昔は)」につなげてしまうけれど、そこにあるのは「思い出補正」と呼ばれるものもすごくあって。

「今」との受け止め、折り合いってどうやっていったらいいんだろうなぁ……と最初過去の自分を思い起こしながらぐるぐるしている「今の”キラキラ”している水野先生にあてられた”遠い昔の自分”」を見ている地井先生に思いをはせていました。

 

思い出は美しい。でも思い出のなかには苦さもあって、その苦さは地井先生にとっては引きずられるものであり、自分の選択肢の正誤も含めて考えて考えて――が、ゆえの「踏み込まない」ことで他者の心を守る部分もあって(一見すると自分の心を守っているような、傷がえぐれてしまうのを見ないようになのに本編見たら相手をそこまで追い詰めてしまっていたのだ……というくだりがしんどすぎる)昇華されきっていないけれど、今日も彼は生き続けて、その上で「教師」という仕事から離れるという選択肢をしないでいられているのはすごいなあと感心します。人間不信になってもおかしくない……。(学校側は懲戒免職ではなく、しかもちゃんと考慮した形で退職認めた感じだったとは思いますが…)

 

ただ、そこで地井先生は「昔」の自分に縋ることなく、過去の自分の生徒を“そう”までさせてしまった/追い詰めてしまっていたという過去を踏まえて今があって、歩いています。

たくさんの積み重ねで、”ここ”に至っているのは大人だからこその失敗と成功を積み重ねていての結果です。でも、一方でそれを「尊敬すべき先生」として認めてくれたのがキラッキラの新任である副担任の水野先生や、周りのお陰でもあります。

沖田さんもまた、「関わっていくことで救われた」一人であることは間違いないわけで。その選択肢が肯定になれたなら、きっとまたちょっとだけ世界は手のひらサイズかもしれないけれど明るくなるのかなあ……なんても考えました。

 

それにしたってヒール組よ……

ヒール組となる全日制の高校生3人さあ!!!!!!本当さあ!!!!!!!としか言えないのですが、やっぱり前回のブログでも言ったとおり、「持て余している」がゆえなのかなぁと思いました。

 

▽前回の感想

amanatsu0312.hateblo.jp

 

攻撃対象はなんでもいいんですよね。とにかく「楽しい」から。とにかく「俺が<悪い、正しくない>と思ったことだから攻撃していい」に近いのかなぁとも感じます。彼らの行動に関しては地井先生が過去に受け持った生徒たちと同じような「10代特有の尖ったもの」と、それを正義として使ってしまう要素があります。

「小賢しい」というキーワードが実に似合う役回りだなぁ……とも思うのですが、ちょっとどこかAdoの「うっせぇわ」の歌っているキャラクターに似ているかなぁとも思います。

ナイフみたいに心は尖っていて、それでも弱い相手にしか強くなれないイキがりかたというか……。自分が世界の中心にいる、そんな気がしてたような錯覚を覚えているかんじかな、とも。

うっせぇわ

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 実際に喧嘩に明け暮れていた「ちっちゃな頃から悪ガキで15で不良と呼ばれたよ*3」な最初の火村とのつかみ合いを始めとして、今回も強く出られたら結局ぐう……となってしまう小市民感があるので、ノイジー・マイノリティーに類している部分があるように感じました。

だからこそ、彼らと付き合ってきた志保が真逆にサイレントマジョリティーとして、「全日制のほとんどの生徒の描写」な気がしますね。正直定時制がどうしていようと、ご老人が勉強していようと、「自分から掘り下げに」いかないわけですし。

その対比を見ていると彼ら三人も彼ら三人のドラマとして見たときに、帰ったときに空っぽだったり、とにかくなんでも良いから憂さ晴らしがしたい、でも強くは出られない(愛知県の「轟高校」がどこにあるのかはさておき、いわゆるがっつりヤンキーとは絡めない、喧嘩はできない、という意味で)部分を考えると、「このまちで生きてはいるけれど、俺は本当はもっとすごいのに!!!」のフラストレーションだけが溜まっているようにも思えました。やっぱりDQNにいってしまう中二病高二病の類なんだろうな……とも思います。

時間だけがいっぱいあって、その時間の使い方が志保とか、他の人のように趣味とか、学業とか「楽しい」とか、何でもいければ変わるんだろうけれど……とも。ただこれは前述した地井先生と同じように、こういうことをしていたとしても彼らも今のままでは5年後たったとしても、やれ大学や専門学校いったり、インスタにパフェだのスイーツだのあげたり、結婚とかしていたり特に覚えていないのだろうな……なんても感じます。

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「多分傷ついていても向こうは忘れている」な気がする

だからといって「気にするな」というのは違うと思うし(というか実害被ってるし)そのへんは今後ちゃんとしっかりしてくれる…してくれるんだよね?!!という気持ちです……。

 

そして次回はついに今まで圧倒的光属性を発揮し、「現実的な表裏があった上で生きる彼ら」のなかに燦然と「漫画みたいなキャラ」としてパロディを踏まえながら夢を持った爛々とした様子をみせる水野先生がメインとなる回です。体育祭に関しては過去にCMでちょこちょこ出てきているのを思い出しましたが、はたしてそれが「どういう形」で彩られるのか楽しみです。

当時の学生(いわゆる中学生からそのまま流れで高校生になった人たち)の頃は「なんでこんなことしなくちゃいけないんだ」と思っていた典型例なのですが、一方で歳を重ねると「誰かと一緒に何かをする」「スポーツというものをする」という機会が明らかに減っているからこその「どういうふうにやるのか」、また彼らの表と裏、そして「わざわざ見せなくてもいいからこそ見せてこなかった部分」が、また誰かと触れたり、関わったりすることで少しずつ見えてくるのが楽しみです。

 

今回の水野先生のモノマネはスクール☆ウォーズから。この前大泉洋さんゲストでモニタリングしたときにうっかり本物出てて「これかーー!!!!!」となんか感動も覚えました(笑)

 

それにしたって風間くんがちょっとずつ、3話から一気にここまででお話ができるようになったことに感心しました。確実に時間は過ぎていくし、関係は変わっていく。良いことですね。

水野先生が「本物の先生になるんだ」という言葉はぐっときました。モノマネをしてきて、色んな小ネタを用意しているからこそ、彼のエピソードが「ただ教師になりたい」だけではなさそうなのが楽しみです。

物語の”ヒーロー”はいつでも明るくてかっこよくて、強いけれど、そうじゃなくて地面に足をつけて、頑張って生きている彼だからこその、土臭さが愛しいものでありそうな気がして楽しみです。

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