突然ですが、私は飲食業界働いたことがある人間ではあるのですが(といっても製造じゃなかったけれど)、そんな中で「食べ物が美味しそう」な本が自分の中で特別な小説だったりします。美味しいものを美味しそうに、楽しそうに食べているシーンがあるとついつい嬉しくなるわけですが(同時に「美味しそうにものを食べている人は悪役ではない」という定説もありますね)ふらふらと本屋に入った時に見かけた「西洋菓子 プティ・フール」はそういった意味で表題と裏のあらすじで一目惚れした小説でした。
ということで、早速その感想文になります。なおネタバレは容赦なくしていますのでご注意ください。
「プティ・フール」というお店
プティフールとはフランス語で「小さなお菓子」という意味を持ちます。物語はこのプティフールにやってくるお客だったり、スタッフだったり「まつわる」人々が登場人物です。
プティフールは都会にあるような精錬された素敵なパティスリーというよりも、素朴で地域に密着した「まちのおかしやさん」を連想させるようなお店。
お店を構えるのは「じいちゃん」「ばあちゃん」、そして有名海外シェフが構える都内のパティスリーで働いていたパティシエール・亜樹。この二人は程よい距離感で、じいちゃんのケーキが好きで職人を志した彼女がきちんと修行を積み、フランスに飛び、そのうえでパティシエールとなって店舗で働きこの「プティフール」で働いている。つまるところパティシエの「明るい部分」と「仄暗い部分」(よくも悪くもなんだろうなとは思う)に触れている人なわけです。
また、亜樹には婚約者がいますが、その婚約者が「抜群なイケメン!!」というわけではなくて、こちらも良い塩梅でこの世界観にはまっている人だなぁと思います。
「お菓子」が伝える世界
プティフールは紅茶専門店に卸したり、アシェットデセールを披露したりと何かと「町のおかしやさん」であると同時に洗練さのある要素も持ち合わせています。
彼らはその世界に生きて、お菓子を一つ一つ大切に作っていく。そのうえで「過去の彼女が働いた店」を悪く描かないのがとても良いなと感じました。
大きなお店は大きなお店で、良いところもあるのと同時にやっぱり「作業」が分担されてしまうのでできること/できないことが出てきます。そのへんもっと小さな個人店であれば自分の一手で任されることも出てくるわけで。
そのへんの描写があまり強く描かれていない。そこが逆にいいところなんだと思う。良いところも苦いところも全部含めての人生で、そこに出てくる人々・世界における大小の悩みはさておくとして寄り添ってくれるのがとても美しかった。
「同じ名前」だとしても違う作り方、彩り方
プティ・フールに彩られるケーキたちは王道のショートケーキにはじまり色んなものがある。
その中で特に印象的だったのは冒頭から出てくる「シュークリーム」。
このお店ではいわゆるふわっふわのシュークリームと、パイシューの2種類のシュークリームが並ぶ。前者はじいちゃんの、後者は亜樹のもの。
亜樹自身が好きなのは前者ではあるのですが、彼女自身のスペシャリテとしてしっかりと積み上げていくところがすごくいいなと思います。また、彼女の祖父である「じいちゃん」も、シュークリームも、亜樹のシュークリームもとても美味しそうに描かれています。
読んでたらいろんなスイーツが出てきました。それこそピーチメルバとかレモンパイとか。鉄板の美味しそう!なものから文字から浮かび上がるどんなケーキだろうというワクワク感もどっちも兼ね揃えられた作品でした。
この上で、作中に描かれる物語は全てプティフールの名前に合わせたかのように短編で連作になっています。一つひとつが独立していて、でもみんなが集まることで「さらに大きなもの」になっていく。それはちょっとアフタヌーンティーみたいなかんじもして、見てて美しく、綺麗にまとめたなあって印象でした。
個人的に印象的だったのは「食べることで幸福感を得るけれど同時に吐いてしまう」女性の物語。全く感情に同調はできないけれど、彼女の抱いたもやもやが少しずつほどけていくことが良かったなぁと思いました。
ケーキというのは、スイーツというのは生活必需品じゃないかもしれないけれど、あることで「ほっとしたり」「小さな幸せを得られたり」するものだと思います。そんな小さな幸せを掴むためにたくさんの人が右往左往して、人生を彩ってその上で「積み上げていく」ものというのはとても美しかったです。
ほんの少し、誰かに優しくなりたいとき。ほんの少し、すべてのものにイライラしたとき。
そんなかんじで、ほっと一息つける。けれど飲み込んでいくうちにさらりと流れて、淡くしゅわしゅわと消えていく。そんな一冊でした。読みやすくて電車の中であっという間に読んでしまったけれど、カフェとかでゆっくり読むのも良さそうだな、なんて感じるばかりです。