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悪役は生まれながらにして悪なのかを問う クロジ第19公演「白い雪と赤い華」観劇感想

だいぶ前になってしまうのですが、クロジ第19回公演「白い雪と赤い華」を見てきました。日替わりキャストとWキャストによっておりなす新しい「クロジ」の姿です。

クロジを見に行くのは「いと恋めやも」ぶりになります。なんだかんだ木村良平さんが出演されているクロジの舞台「パビリオンの星空」「いと恋めやも」に続けて見に行けている現状です。ありがたい話ですね。

 

amanatsu0312.hateblo.jp

 

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いってきました!

概要

本作はクロジの2年ぶりの公演作品。

9月29日から10月5日まで東京・こくみん共済 coop ホール / スペース・ゼロで上演されました。

声優でもある福圓美里と松崎亜希子が主宰する演劇プロデュース団体クロジですが、Wキャストも含めて出演者は声優を中心に舞台俳優さんと様々。

今回は藤丸亮氏が脚本を、松崎亜希子さんが脚色、三浦佑介氏による演出により公演されました。

 

キャストは斉藤範子さんが主演で、阿部敦さん・中澤まさともさんのWキャストで、松崎亜希子さん、大髙雄一郎さん、三原一太さん、杏泉しのぶさん、中泰雅さん、福圓美里さんが並び、 食えない立ち位置のキャラクターに平川大輔さん・佐藤拓也さんんのWキャストです。さらに楠見尚己さん、細見大輔さんと「クロジで見たことがある!」お人が勢揃い。

この他日替わりゲストとして話題の声優さんたちが並びます。*1

私が見に行ったのは木村良平さんの29日。キャストとしては中澤まさともさん・佐藤拓也さんの回です。

あらすじ

「わたくし、何もかも忘れてしまいました」

「鏡よ鏡よ鏡さん、世界で一番美しいのは・・・誰?」

人が足を踏み入れるのも、およそ憚られるその土地に、一人の書生がたどり着く。

立派な屋敷、綺麗な花々、そして聞こえる老婆の歌声。

おそらく、少し足りないのであろう。耳は入るは、いとも怪しき夢物語。

彼女は語る。屋敷での生活、娘への愛、初めての恋。

彼女の言葉は嘘か真実か。

これは彼女の物語

彼女が如何に生きたかを記す物語

(公式リーフレットより参照)

 

観劇感想

タイトルから分かる通り「白雪姫」から着想を得た作品になっています。スポットが当たるのはヴィランズたる「魔女」の立ち位置。クロジはそういった女性の持つ悩みとか業にふれることが多いですね。本作も「すべての女性に捧ぐ」とある通り、女性である中で翻弄される部分等を色濃く描かれていると思いました。

ステージをふんだんに使い、大きく変動するというよりも「同じ場所」で起きる出来事を綴られている世界観でした。

 

最初はどこにでもいるような、「夢に夢見る」少女だった朱音(あかね)が愛されたいと願えば願うほどうまく行かず、運命と策略に翻弄され、絡め取られてしまい罪にどんどん染まっていくお話でした。

 

だからこその朱音と老婆を演じ分けた(最終的には同一人物なのですが)斉藤範子さんのお芝居が圧巻でした。主に老婆に切り替わった瞬間。朱音の舌っ足らずさおぼこさは微塵も姿を見せず、「分からない老婆」としての薄気味悪さは絶妙でした。が、ゆえの最後の慟哭も含めて非常に良かった。

関係として東様(家の長男)に焦がれ、恋心を利用され、そして捨てられてしまったことで運命の歯車が大きく動き、崩れてしまった状態です。華族だからこその立ち位置を利用して、嫌な位置にいる父を除外するための道具として気に入られている朱音。

東と父の関係の歪みに巻き込まれながら「だからといって」と受け止めることも出来ず、気に入られているがゆえの嫉妬を「平民」として仲間として見られていた褥と新平太からはてひどい裏切りとして「時計を盗んだ」というデマを押し付けられます。正直新平太には「人を呪わば穴二つ」という言葉がふさわしい報復が待っていましたが、褥に何もないあたりは如何なものかなというのは主人公である朱音よりの目線で見ているからでしょうか。ヒステリックにシンデレラストーリーを歩んでいった朱音に嫉妬している褥の姿は「女性の嫌な部分」(もちろん男性にもありますが)を露骨に見せてくるクロジの舞台らしさを感じました。「こいつ……!!!」と思いながらも、それも含めての「人間くささ」なのでしょうね。憎まれ役としてもう少し動くかと思っていただけに早々に退場したのは惜しかったです。

憎まれ役といえば三原さんの圧倒的な「小悪党」「こいつだけは絶対ボッコボコになってやられそう」という、二次元作品でいそうなお芝居がすごかったです。案の定清々しい退場っぷりを見せて憎まれ役を買ってでている姿はお見事でした。「いと恋~」のときもしかりですが、「人間くささ」を三原さんのキャラクターは毎回しっかりと押し出してきています。
今回も父との関係や兄との関係、全部含めて「ただ愛されたかった」という部分では彼にも共通する項目であったように感じます。

兼近様は良くも悪くも「意志はあるけれど流される」というタイプにも見えました。女性が持つ強かさとは相反する、「男って」というステレオタイプの部分を東様と分け合っているようなキャラクターで、最後の最後に意志を出しつつもすべてが「遅かった」というようにも見えます。そんなに思うところがあるなら、時代背景として男性が強い立ち位置なのだから動けばよかったのに――なんても、思わせる「自分の持っているものに気づけていない」部分も強い人であるように見えました。

「現代」と「過去」を行き来しながら「輪廻転生」し成仏しきれない老婆となった朱音と彼女の弟の転生した書生。少しずつ真実が紐解かれながらわかってくるものはほろ苦く切なく、それでいて「運命」という二文字では取り戻せない多くのものがありました。

朱音にとって蓬生は「生きる理由」であり「白いもの」「頼り」であってほしかったのでしょうね。だからこそ、娘の白雪に奪われた・裏切られたことへの悲しみはひときわ大きかったのでしょう。罪の重さから逃れるように薬を飲み続け「忘れる」ことを選んでいくのは非常に辛かったです。立ち位置としては彼は「狩人」という立ち位置だったのでしょうね。だからこその最後の最後に死んでいく姿はしんどかったです。まさともさんのお芝居は純朴かつ青少年ぽさがあり「初々しさ」と「まっすぐさ」が感じられる役どころだったので、とてもあっていたと思います。阿部敦さんの印象もそういうイメージがあるので(遙かなる時空の中で5のチナミくんの印象が近いかもしれません)見てみたかったな。

 

東様を演じた細見さんは塚田僚一さんの「Mogut」ぶりでしょうか。

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ふてぶてしい&こじらせきった男性として「こいつだけは(以下略)」というお芝居で、その上で低音がよく響くお声でした。千寿との政略結婚も含めて絶対ブレることなく目的があって目標を目指していく男だと思ったらあっという間にほだされて「乙女ゲーの愛を知ってしまったキャラクターみたいなこといってる……」と驚きつつ、そもそも自分が手を染め、朱音にその罪を共犯させているのに自分だけしあわせになろうとするその考え方は気に食わなかったので、朱音に愛する娘(もちろん彼女は望んでませんでしたが)から「父親と同じ形」で葬られたのは「まぁ、でしょうね」という気持ちにもなりました。

 

本作は、朱音の罪はもちろんありそれは「罪は償わなくてはならない」でもありましたが、と同時に周囲の人物も罪にまみれているように思います。

小綺麗だった、親友だった千寿に関して言えば「知らないは罪」という無知であることが顕著になっていて、これは白雪にもつながっていくようにも見えました。もちろん彼女は友愛を朱音に注いでいて、東と朱音が「そんなこと」になっているのは知るよしもなかったのでしょうが。ただ、一言二言の無自覚の、潔白だからこその「あなたにも幸せになってほしい」「あなたに何でもしたい」とたくさんの屍の上に座っていることを気づかぬままに言ってしまったがゆえの結果なのかな――というのはどうしようもなさを感じました。友達だからこそ、なのでしょうが。……千寿と朱音の関係で言うと、すこし違いますが、「パビリオンの星空」のマカとミーナのような重々しさを感じます。

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最後に、花房の家に関わりが深い薬師。お衣装を見た時に「薬売りさん……!?」と驚きました。イメージの参考にしているのかな、と思ったり。

モノノ怪 海坊主 上

中性的な雰囲気で、それでいて朱音に協力し続ける存在。彼のもとにやってきた朱音とのやり取りは「千と千尋の神隠し」の釜爺とのシーンに似ていましたね。「ここで働かせてください!」のあれ。彼は花房の人間ではなく外の人間でいつつ、朱音に協力し続けます。時に彼女を制しつつも、肯定を続ける毒のように絡め取っていく存在です。

「望んだままになれた?」という問いかけは非常に皮肉があり、それでいて「愛していた」という突然の言葉に、「愛情があったのか?!」と驚きました。もう少しこの二人のコミュニケーションが見てみたかったですね。血塗られた女王になりながらも、彼はいつでも見ていて、「忘れる」という薬の手段を与えてきた。それは「毒にも薬にもなる」。佐藤拓也さんの中性的な所作、ふっと寂しそうな表情が心に残るお芝居でした
「愛していた」という感情は果たして「恋愛」かと聞かれると私はノーだと思います。愛といっても色々なカテゴリがあって、朱音の変化を付き添いながら見つめながら芽生えているものは一言では言い表せない色々なものが折り混ざっているものでしょう。彼のモチーフは「毒りんご」そのものでしょうか。

 

さて、本作のキーキャラクターである「白雪」ですが、世間知らずかつ目をずっと伏せてきた「純白」という意味では千寿と似通う部分がある世間知らずさ。
蝶よ花よと育てられて全く世の中の仕組みを分からない・知ることを許されなかった彼女は名前の通り「白雪姫」がモチーフでしょう。そのうえで彼女は朱音と同じように「誰かに利用」され、翻弄されましたが、と同時に周囲に救われた存在です。

そこで出会った存在が「母親・家族によって復讐を誓った由良」というのも何とも言えませんね。である人間一つで大きく変わるのでしょう。求めていたもの、欲しかった答えは朱音も白雪もきっと同じでしたでしょうに。ただ、蓬生がいたように白雪にとって由良がいることで少しずつ、受け止めながら「無知は罪」を知って生きていく、ひな鳥と思い続けていた自分が外にでなくてはいけなくなるというのは重いものを感じますね。「あの子は私」という言葉はいと恋の母親同様「自分にできなかったことをしてあげる」と同時に「自分がされて嫌だったからこそ塞ぐ」にも見えますね。毒親といえば毒親のそれですが……。

 

由良は「多分そうだろうな」を凝縮した王子でした。
いと恋よりもセリフ量が多くお芝居のシーンもあったのでゲストキャラクターながらもしっかりと組み込まれた芝居が見られました。木村さんというとチャラいようなキャラクター像が組み込まれやすいですが、本作の由良は孤児であることや陰りがあるぶんの一つひとつの芝居の中で「ツッコミ」や明るそうな部分の中にふとした沈黙等の「一瞬の止まるところ」が見られてよかったです。
外からの人間だからこそ見える異常性や、外に行かなくてはならないこと、罪を受け止めることも含めての手を添えていく力は強かったです。復讐心は消えることはないでしょうし亡者は帰ってこないからこそ、彼もまた傷を引きずりながら生きていくのでしょう。

欲を言えばもう少し白雪と亡者の間で揺れる瞬間が見てみたかったかな、とは思いますが、いと恋ぐらいの出演時間かなとも思っていたので(笑)見ながら由良という存在の必要不可欠さがあってほっとしました。

 

クロジでは台本を販売しているのですが、カットされている部分が多くありそれを読み込んでいくと「こういうことを言いたかったんだろうな」という部分が多く見受けられました。蓬生が転生し、姉である朱音の亡霊を向き合った後のモノローグで「それが愛であったらと願う」という部分が私にとっては本作のメインテーマでもあったんじゃないかなと思います。

たくさんの罪を背負い、たくさんの人々を血に染めながら、それでも彼女が欲したのは単純明快な「愛」であり、そこに与えてきたかったものも「愛」なのでしょう。愛憎という言葉がありますが、まさに紙一重で、朱音が罪を告白していく中では「いやでも相手が相手でもあったしな……」という部分も多くありました。朱音は前半、ほとんど「誰かのため」に生きている存在で、それが結果として周囲から八つ当たりのはけ口にされているようにも見える部分もあったし、「人間の業」という部分も感じられましたが。だからといって全部を肯定することは出来ないし、朱音は最後の最後に行き着くところは地獄であってしかるべきではあると思います。

ただ、それでも、転生した蓬生がこの場所に来たことは転生前の自分の心残りと、同時に「愛」であったから。そのように感じる物語でした。台本一つひとつ読み直して、アーカイヴを見てみると印象がまた良い意味でも変わる作品でもあったように思います。

ヴィランズは生まれながらにしてヴィランズなのか、という問いかけは昨今ディズニー等でも見かけるのですが、より日本の閉鎖的な時代と和洋折衷の文化が花開いている時代だからこその描き方でした。クロジおなじみプロジェクション・マッピングも綺麗でしたね。

私は「ヴィランズがこんなに苦労しているんですって言われても、ヴィランズはヴィランズらしく容赦なく死ぬことは悪いことではない」と思っているのですが、(例:幻想水滸伝2 ルカ・ブライト)今作の朱音もまた罪を抱えながら、周囲に理解されないまま逝きました。「忘れる」を選んだ彼女が突きつけられて成仏しながらも「抱えていくこと」は罪と罰でしょう。罰せられるにしては甘かったようにも見えますが、全てが「叶わぬ愛があまりにありすぎて、向けられていた愛に気づけなかった」要素の火の中のシーンに結びついている気もしますね。由良からしたらたまったものではないでしょうが。

 

舞台は2年ぶりの公演ということもあり、スタンディングオベーションとなりました。彼女たちの涙ぐむ姿に「よかったなあ」という思いである、エンタメという火をともし続けることの難しさや、彼らの作る【エンターテインメント】というものについて考えさせられました。

お客さんがいて、演者がいて、スタッフがいて。もちろん映像を通して見ることができるのも一つの手ですが、生のお芝居だからこその「リアル感」「そこからヒリヒリと感じるもの」というものもきっとあるのだろう。そんなふうに思うお芝居でした。

舞台の様子はTwitterからも少し見られるようになっていますので、アーカイヴをご覧になっていない方、円盤を待ちきれない方におすすめしたいところ。

 

ということで、だいぶ遅くなってしまいましたが感想は以上!思い出しながら書くということの難しさを改めて痛感したのでもう少し今後は早めに書きます…(笑)

*1:木村良平(29日18時30分)、笠間淳(30日18時30分/1日18時30分)、狩野翔(2日13時・18時/4日18時30分)、沖野晃司(3日13時・18時)、島﨑信長(5日12時・16時)

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