「大泉洋を当て書きした小説が、実際に大泉洋で実写化する」という面白い試みだったので興味本位で「騙し絵の牙」を見てきました。
なお、内容については「出版社が舞台」「多分大泉洋だから大泉洋している」ぐらいの認識で、かつ先日何かのテレビ番組で(これはおそらくA.B.C-Z河合郁人さんが出ていた流れで録画していた番組だと思う)ちょうどこの番組のプロモーションということで大泉洋さんと松岡茉優さんが出演されているのをチラ見したぐらいです。
好きな女優さんに松岡茉優さんを上げるぐらいには、「個人のキャラクターがすごい立っている」お人の認識の女優さん(ももいろクローバーZの方と同級生だったのにびっくりするぐらいハロヲタを貫いていたというエピソードが好きです。実は陰キャでしたよとカラっという姿が私は好きです)なのですが……。鞘師里保さんと対面したときの松岡茉優さん見てなんかこう……いい感じに本日もイキイキオタクしてるな、とあったかい気持ちになったのとそのときの大泉洋さんの反応が好きでした。モニタリングだったかな。絶妙な空気感で二人のかけあいも含めて良い内容でした。
ということで、騙し絵の牙、ネタバレ要素はできるだけ抑えて書きますが、正直言って「全く知らなかった」からこそ、非常に楽しかったです。
その後小説も購入してみたのですが、「原作」とのギャップも含めて良かった。
映画の概要
ミステリー小説「罪の声」の著者・塩田武士が、俳優・大泉洋を主人公にあてがきし、2018年本屋大賞にランクインするなど、話題・評判ともに世間の注目を集めた、前代未聞のベストセラー小説「騙し絵の牙」(角川文庫/KADOKAWA刊)。崖っぷち出版社を舞台に描かれた本作が、ついに実写映画化!
(公式ホームページより)
最初から「大泉洋」を当て書きしているからこその大泉洋の起用というのが面白いですよね。メンバーも豪華。塩田武士さんの小説を読んだことがなかったのですが「罪の声」も昨今小栗旬さんと星野源さんで映画化しましたね。こちらも好評だったのが記憶に新しいです。
監督は「桐島、部活やめるってよ」や「紙の月」などでおなじみの吉田大八宇治。桐島~、紙の月どちらも非常に面白く、とくに前者に関しては映画と小説での「見せ方」がゆえの違いが非常に明確でした。そういえば、桐島~で松岡茉優さんを知って女優さんとしてグッと引き寄せられたのを覚えています。「女学生の年齢特有の側面」が非常にでているお芝居をがっつり貫いていましたね。
脚本は『天空の蜂』の楠野一郎氏と吉野監督との共同執筆。「天空の蜂」も追い詰められて追い詰められてのどんでん返しが頭に残った映画でした。終わったときのやるせなさというか引き方がすごい好きです。
秦基博さんの「Q&A」がいい感じにスパイスになっていたように思います。本木雅弘さんのお芝居が印象的です。
あらすじ
大手出版社「薫風社」に激震走る!かねてからの出版不況に加えて創業一族の社長が急逝、次期社長を巡って権力争いが勃発。
専務・東松(佐藤浩市)が進める大改革で、お荷物雑誌「トリニティ」の変わり者編集長・速水(大泉洋)は、無理難題を押し付けられ廃刊のピンチに立たされる…。
速水は、新人編集者・高野(松岡茉優)と共に、イケメン作家、大御所作家、人気モデルを軽妙なトークで口説きながら、ライバル誌、同僚、会社上層部など次々と現れるクセモノたちとスリリングな攻防を繰り広げていく。嘘、裏切り、リーク、告発――クセモノたちの陰謀が渦巻く中、速水の生き残りをかけた“大逆転”の奇策とは!?
(公式ホームページより、あらすじ引用)
登場人物も内容も非常にシンプルでわかりやすいです。そして今回ピックアップされているのが出版社というのも出版業界というインターネットの普及によって紙媒体がなかなか過去のようにはいかなくなってきている業界だからこその、「歴史」「伝統」があるがゆえの難しさが非常に出た世界をピックアップしているのが面白いですよね。
雑誌トリニティの立ち位置は大人が楽しめるエンタメ雑誌ということなので、Hanakoやダヴィンチをモデルにしているのかなとも受け取りました。そもそもこの企画の最初が「ダ・ヴィンチ」からだったという話を聞いたので、そこからなのかな?とも。そういえば大泉洋さんはダ・ヴィンチ・ブックスでエッセイも出されていました。縁を感じます(笑)
ざっくり感想
小説を読まず、前情報も映画館で流れる予告編のみを頼りでいったのですが、非常にテンポよく、コンパクトにしっかりとまとめられている映画でした。
速水という編集者はあくまでも大泉洋の当て書きであるので、彼のパブリックイメージの「飄々さ」を外さずにいます。しかし冷静に俯瞰できる一面と、人の懐に入っていく愛嬌で、端的に言うと世渡りがめちゃくちゃ上手です。水商売関連詳しくないんですけど勝手なイメージで「聞き上手」という意味でも着実に売上伸ばしていくタイプだな……とも思いました。
出版業界ってダイレクトに「何が売れた」「どういう企画が需要があった」かがわかるジャンルだと思います。「流行と添い寝」なんても言いますし。本を手に取るときどういうことを意識して買うのか?と聞かれれば「話題になっているから」「気になるから」「好きな人がいるから」などなどがあると思います。自分もそのたぐいの一人です。
特に本作では「話題になっているから」というセンセーショナルさを巧みに使い分けながら、どんどんと売上を伸ばしていく速水の姿が描かれています。引き抜きも含めて人を見る目があるな、とも思いますしね。
そのメインの軸に速水・高野(松岡茉優)がいて、紐付けて派生して、いろんな出来事が起きます。作品として「文学雑誌」が同社における一番歴史があるものだからこそ重点的に置きたい専務(もともと自身がそちらの畑の出身だからこそ)と、改革を行いたい東松(佐藤浩市)との見えぬ火花は狭い出版社のなかでの派閥争いとして描かれています。中村倫也さんの亡き父を失った「時期社長(血筋面)」がなぜ中村倫也さんを起用したのか、ということも追っていくにつれて「ああ~なるほどな~!」という納得ポイントも盛りだくさん。もちろん彼だけではなく、敏腕の文学雑誌における編集長の木村佳乃さんも品の良さとキャリアを積み重ねていくからこその自信、一方で「売上」としてのコンプレックス等がぎゅっと凝縮されているお芝居が印象的です。ショートカット非常にお似合いですね。
本作におけるポイントでの「皆が皆騙してる」というようなことを煽り文には書いてあるのですが、一方での「こいつだけは裏切らない…俺は知ってるんだ…!!」みたいな気持ちで見たらどんでん返しくらったりして「そうきたか」がたくさんありました。
出版業界が落ちているということは結果として作家もまた以前のような形ではいられなくなっていて、売上の高い作家というのも限られてきます。「色んな人が訴求できる」からこその、難しさもあるとは思いますが……。
ぱっと見てると東松vs宮藤の覇権争いに巻き込まれている編集部たちっていう印象ですが、文学部と他の部署同士の距離や、人と人のおかれた状況における心理戦が見れます。立場が変われば見方も違って当然。
その上で驚いたのは我が家の坪倉さんが違和感なく、作品の中にきちっとハマっていたこと。お笑い芸人のイメージが強かったので後々見て「あのひと、このひとか!」みたいなびっくりがさらにありました。これもまた、騙された(笑)
また、原作小説も映画を見終えた後に読み始めたのですが、これがまた空気感がまったく違いますね。
私は原作ありのものにおける実写化(これは漫画やアニメ等を実写化するっていう意味でも)について、変わってしまうことについて最終的に「面白ければ良いんじゃないかな」と思っているのですが本作においては「それはそれ」で「これはこれ」が該当するタイプの違う作品として(でも原作のイメージを崩さずに)作られているように感じました。誰と誰がちょっといい感じとか、家族構成とかより掘り下げられている部分については映画はソリッドにされていて、映画だけ見ても楽しめるし、小説は小説の世界を楽しめました。
映画でいうと東松と速水の本屋で誰が最初に本買うかのくだりが完全に上の階から競馬眺めているVIPぽさがあって面白かったです。昨今流行りのウマ娘プリティーダービーを私もちょうどやっているせいかフフッとなったりもしましたし、彼らが普通に競馬場でやりあっててもおかしくない佇まいと会話なのに、内容は違う――というのも好きです。
後、二階堂先生と高野さんが最初にご飯食べているシーンで「あっこの店あそこじゃん」と知っているお店だったのちょっとびっくりしました。見覚えがある!!(笑)
やっていることは作品通して「手に取る消費者」には分からない、けれどもいろんなものが張り巡らされた、其々が其々に「騙し合っている」部分を把握してもう一度見ると全然また違って見られる映画だと思いました。
飄々としていた速水の表情がスッ……と崩れ落ちる瞬間みたいな、仮面が剥がれる瞬間とそこから吐き出された感情が私は見ていて「騙し絵の牙は誰にでもある」というようにも思いました。それは穏やかな顔をしている中村倫也にも、虎視眈々と相手を蹴落とす顔をしてる佐藤浩市にも、イライラを隠さない佐野史郎にも、速水に振り回されている坪倉にも。人の顔が騙しているから、騙された、になるとき。そのときに見える本質的な「やられた」と「してやったり」の共存が非常に面白い部分でした。
とりあえずもう一度見たい!!ってなれたので劇場に再度足を運んでみたいと思います。
「紙」だからこその意味とのジレンマ
昨今データ社会になっているからこその紙媒体というのはどうしても逼迫されつつあるのが現状です。かくいう自分も、気になったものはとりあえずKindleでポチッとすることが以前より明確に増えてきたように感じます。
紙の本における独特な質感が好きです。文字を追っていく中でペラペラとめくって「あっ」となる瞬間というのもあるし、辞典を眺めながら、適当なページを捲って意味を知るっていうのは「紙」だからできることだと思います。
でも、Googleで、YAHOO!で、検索エンジンで、SNSで事が足りてしまうということもまたしかりで、そうなったときの差別化や「この本が欲しい」になるためのむずかしさというのをつくづく感じます。
ジャニーズ事務所はここ近年、インターネットを解禁しました。それによって紙媒体でのシルエット類だった表紙が本人たちの写真になったりしています。CDジャケットとかもしかり。CDジャケットなんかを見てもわかりやすいですね。
▽2014年のもの
▽最新のもの
CD業界、出版業界、それぞれの悩みというのは尽きないもので、だからといってじゃあネットが全部悪いのかって言われたらそうではなくて。インターネットが主流になっていたからこそのすり合わせとして「どうやって生き抜いていったら良いのか」ということは大小問わずいろんな業界でも考えさせられる部分でもあります。
みんな誰かをちょっと騙しながら生きている
これ言い方に語弊があるといえばあるんですが、人間ってちょっとした「騙し」を入れながら生きることも世の中必要になってきます。全部を全部誠実に生きられたらそれはそれでとても素敵なのですが……。
先日サッカーアカウントでちょっと話題になっていた「中継で、ファンの姿として若い女性を載せるのやめてほしい」というのに対して「年齢性別問わずそもそも皆それぞれ事情があっていってることを黙って言ってる人もいるから映さないで欲しい」というコメントがあり、実にそのとおりだと頷きました。
過去に映ったことで自分が冷や汗をかいたことは数えられるぐらいしかないのですが、友人に職場の人に「○○の試合、行ってたよね? 映ってたわよ」とうっかりバレて言ってもいないのに自分のオフがバレてしまってヒュッとした、みたいなお話を聞いたりしました。人には色んな事情があるからこそ、アップにするにしても一人ひとりを映すよりも、引いた形で色んな方々がいて――という感じで気づかれないぐらいが一番よいよな……とも思います。
ぼかして、そつなくやっていたのにその”騙し”が剥がされるのってやっぱり心が痛いじゃないですか。人はだれかと話すときに全部自分をさらけ出すよりも多少の「人によって」合わせるペルソナを被っているもので、例えば3歳の子どもと20歳の人と同じ態度で物事を話すわけではなくて、3歳の子どもに「ぼくねーこれ知ってる!」と言われたときに、仮に自分が知っていたとしても、私の場合は「すごいじゃん~~物知りじゃん~~」と返すのですが……これも味方によっては「その子を騙している」になるのかなぁとも考えさせられます。