ドラゴンクエスト ユア・ストーリーが封切りになりました。
総監督は山崎貴、監修に堀井雄二、音楽はすぎやまこういちと「スクエニが全面協力して作る映画版ドラクエ」っていう心持ちだったんですが、こう、イメージとすこしズレがあったのでそれをつらつら書いていきます。
また、いつもどおりネタバレしかしてないです。
ドラゴンクエストについて
もう言わずともがなのドラクエシリーズ。
FFと双璧をなす日本の人気RPGゲームの一つで、そのなかでも本映画の原案になった「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」はWヒロイン(現在は3ヒロイン)から自分だけの花嫁を選び、人生を歩むという冒険譚にもなっていることがあり高い人気を集めています。
いただきストリートなどの派生で「おい待てお前そんなキャラじゃなかっただろ」とメソメソすることは本当に多くあり公式はフローラが嫌いなのかって悲しんだ思い出があるビアンカ派なのですが、何にしても、まぁ思い入れのある作品です。
ちなみにDQ5の派生作品だと小説とCDシアターなんですけど、CDシアターと小説合わせて触れていくとすごく臨場感があるので再販してくれないかと今も思っている次第。
(小説をベースに作られているので、すごく細やかかつ繊細なやりとりがあり、また、キャラクターのゲームでは触れていない部分が引き出されていて個人的に大好きなドラマCDです。いのまたむつみさんのドラクエ絵というのも合わせてめっちゃ好き。めっちゃ好き(ニ回いう))
小説版もぜひ読み解いていって欲しい。
小説ドラゴンクエスト5―天空の花嫁〈1〉 (ドラゴンクエストノベルズ)
- 作者: 久美沙織
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小説ドラゴンクエスト5―天空の花嫁〈3〉 (ドラゴンクエストノベルズ)
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小説ドラゴンクエスト5―天空の花嫁〈2〉 (ドラゴンクエストノベルズ)
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という思い出を含めて見に行ったわけですが。見に行って色々感じた悲しみとでもポジティブが0ではないということを含めて記述したいと思います。
ユア・ストーリーについて
基本のベースはDQ5のゲームと一緒で、子供時代は大幅に「スキップ」されています。(これは後に分かる映画の描写としての展開で「あーそういう…」っていう感じでした)
また、全体的にストーリーとしては本当に2時間で詰め込もうとした結果の「忙しい人のためのドラクエ5ハイライトなのかな」っていう印象でした。
前述したように私の場合ゲームと小説・ドラマCDで確立されている部分が非常に大きかったので「まぁ映画のキャラクターたちはこういうふうに解釈したんだなあそうかあ」とコンテンツが大きい分表現され方がキャラの印象違ったりやり取り変わっているのは受け入れられていたんですよ。
ヘンリーとの出会い別れがさっくりしまくっててマリアがいないとかも「風呂敷広げたら終わらないもんなあ」とかもラインハットの内乱状態がないのも含めて、まぁ、まぁ、まぁと。
ただ問題点としては他の方々が言っているように「これはゲームだ」というメタ的な発言を始めて、そこからの完結に至るまでの流れ。
それがもう…なんというか…なんというか、、なんですよね。
もちろんドラゴンクエスト=ゲームが原作っていうのは大前提としてみんな知っていることから始まるわけで。それをやっている、やってきたプレイヤーに対して「おとなになれ」というのは、またそれに対して「データだからどうした」っていうリュカ(主人公)の返しもそれでいいのかなあという気持ちになりました。
ヒロインの選び方に対して「最初からフローラって決めている、自己暗示かけないとビアンカ選んじゃうからフローラにするんだ」っていうのはフローラという女性にとってとても失礼というか悲しいというか。一方でデータにそれを解除されているというのはシステムとしてどうなっているんだろうという素朴な疑問もあります。
フローラとビアンカのどちらを選ぶというのはゲームの最大の選択肢で、公式的に描かれることが多いのはビアンカですし、まぁ映画に関してもそうなるんだろうな…とは思ってたんですが。個人的には娘が…娘がいなかったことが結構ショックでして。そうか…娘いないのか…となりました(原作だと双子)ただ、これは「自分が思い出があるからこそそう思うのかも知れない」と思っているのと”映画を作る時、ただ原作をなぞるだけではそれならゲームをすればいい話になってしまうので、変わっていて欲しい”といいうふうに思う人間なので、「仕方ない」「この作品ではそうなんだな」と理解をするようにしました。
ただ、それを踏まえたとしても、出てくる「一つの作品としての違和感」というものがすごくあって、「原作とは違う解釈」であるのであればなぜその大本であるゲームに対して「所詮ゲーム」という言葉を吐き、このゲームをやっている相手にいう、「大人になれ」という言葉にしてしまったのか。「ゲームは俺にとって大事なんだ!!」というちょっと違うそうじゃない…ってなってしまった展開にしたのか。
そして、開放された後に、明らかにもう「データ」とわかってしまった人々が彼のことを勇者と呼び、伴侶として扱い、父と慕う。このなんというか…虚無感というか……エンディング、倒して終わりで良かったんじゃない……?しんどくない…?ってなりました。
演者に関しては俳優が声優をやることに対して違和感を抱かないタイプなので、仮にどんなにCDシアターに思い入れがあっても、ドラクエはもともと「ポポポポ…」という効果音で物語が進んでいる作品だったのもあって自分は気になりませんでした。
何より、タイトルにもあった「一握りの喜び」っていうのは「ゲマ」という原作/本作における「一番憎むべき敵」として存在している魔物の扱い、そして演者吉田鋼太郎氏のお芝居が相まって「分かる、いいクズだ」「そうだそうだ~~それでこそだ~~」みたいな感じがたくさんあってよかったです。
また、井浦新さんも全く気づかなかった。正直最初「おっなんだなんだウイルスは津田健次郎さんか?」って誤解するぐらいでした。上手でした……。
ヒロインの2人も有村架純ちゃんはマーニーで「声の印象が大人ぽいなあ」という感じだったのですが、ビアンカの動きに合わせてはつらつとさせようとしていましたし、波瑠さんに至っては一人二役本当にすごいなと思いました。
一人二役というと私は風間俊介くんの表遊戯/闇遊戯の演じ分けがすごい好きなのですが、波瑠さんも色んなものを挑戦してもらえる機会になってたらいいなあとも感じるわけです。
ドラクエがVRに手を入れているのは実際本当のことで、新宿にあったドラゴンクエストVRであの主人公(リュカを選んだ子)はやっているのだろうとは思います。
実際背景が似たような感じでしたし……。実際にVRを導入しようとしているドラクエだからこそなのかもしれません。でもだったら「新作ドラクエ」というテイストであってもよかったんじゃないかな、とかそれって5である必要はなかったんじゃないのかなあと色々考えさせられます。
山崎氏は「自分が手掛ける作品はドラクエだけではない」というふうにおっしゃっており、結果としてそのへんも含めての今作への批判は集まっている印象があります。
それに関しては「なんでそんなことわざわざ言っちゃうかな~~~思ってても言わなきゃいいのに~~」って感じなんですが、「原作愛がある=良い作品になるとは限らない」という考えが自分の中にはあります。
もちろん作品愛があるとないであれば、あってくれて、すごく熱意を持って話してくれるのは嬉しいです。そりゃあ原作ファンですから。ただ一方で、仕事としてきっちりとこなすということが大事になってくるわけで、そこに「愛情」の良し悪しは関係ないんじゃないかなと思います。要するに私は「愛情があろうと、なかろうと、どっちでもいいからちゃんと作品として、ちゃんと良いものを作って欲しいなあ」っていう感じです(笑)
今作については本当にどっちともつかずというか……そうか…そうかあ……みたいなかんじが強くて自分の中でうまく咀嚼ができない気持ちでいっぱいです。なんだろうこの気持ち…なんなんだろう…。
また、現在先程お話した久美さんが提訴されている件について。
#リュカ搾取 #映画ドラクエ
— 久美沙織通称くみにゃ (@kumisaori) August 2, 2019
2019「DRAGON QUEST YOUR STORY」製作委員会さまを提訴しました。
テキスト版です。https://t.co/nKRTB2bHzc
すみません、間違えたのじゃなくて、こちらをよろしくお願いします。
こちらについては本当にはやく解決してほしいなと願うばかりです。
行き場のない気持ちのまま、とりあえずドラクエ5のゲーム久しぶりにやろう…とそう思う次第です。ドラクエVはいいぞ。