先日ようやく「クレイジー・リッチ!」という映画を見終わりました。
前々から話題になってはいたものの何かとタイミングが合わなくて「今日こそは」を続けていたらこんなことに…。
設定を聞いたときは「なるほどラブコメかな」「シンデレラストーリーと思ったらお母様から納得してもらえなくて孤軍奮闘する系かな」「それなんて花より男子後半戦?」って思っていたわけですが、実際中国系の方々のセレブの生き様というのは…というかどこの国もそうなのですが、セレブの人たちの生活スタイルっていうのは私とは大きく違うと思うので気楽にみようかなって思って見始めたのですが「国民性」「スタンス」の違いがもっと如実に、とてもはっきりしている、でもラブコメだからするりと入ってくる。そんなかんじの物語でした。
しかも、クレイジーリッチはちょうど昨年に「続編やります!!」という発表があった作品でもあるので、これからどういう風にまた展開するのかな~という興味があるので、最初の1作めを改めて見てみました。
ということで、さっくり感想いきます!
「クレイジーリッチ」の概要
原作はケビン・クワンによる人気の小説。
2013年に刊行されたらしく、近年では日本でも販売している様子。
ちょうど映画の原作だからということで帯にもそれが大々的に書かれていますね。
あらすじ
生粋のニューヨーカー、レイチェル・チュウ(コンスタンス・ウー)は、長年の恋人ニック・ヤン(ヘンリー・ゴールディング)が親友の結婚式に出席するというので、一緒にシンガポールへ向かう。
初めてのアジア旅行に胸を躍らせながらも、それまでニックが家族の話を避けているように感じていたレイチェルは、彼の家族に会うことにとても緊張していた。
出発当日、空港で案内された先はファーストクラス……なんとニックは、かの国でもとりわけ裕福な一族の御曹司であるだけでなく、社交界の女性たちから超人気の独身男のひとりでもあったのだ。
そんなニックの恋人として現れたレイチェルには、嫉妬深いお嬢さまたちからのキツーい視線が突き刺さる。
さらに悪いことに、ふたりの交際をよく思わないニックの母親(ミシェル・ヨー)が仲を裂こうと画策し始める。
そんななか明らかになってくるのは、お金で愛は買えないが、お金の存在は物事を断然複雑にするということだった…。
(公式サイトより)
…もうちょいなんかこう……なかったのかな文章説明!!いやわかりやすいんですけど違うなんかそうじゃない感(笑)
もうすぱっと予告編みるのが一番てっとりばやいと思う。
キャストとスタッフ
コンスタンス・ウーが主演で、レイチェル・チュウを演じました。で、その一方で相手役のニック・ヤンをヘンリー・ゴールディング。
ジェンマ・チャン、リサ・ルー、オークワフィナとここに続きます。
私はアジア系の俳優さんをあまり詳しくないのですが、みんないきいきとしてました。特にオークワフィナがめっちゃ印象的。いいキャラしてた。
この映画のポイント
その1:主要キャストにアジア系の俳優のみを起用。
メジャースタジオが配給した作品で、主要キャストがアジア系の俳優で占められた作品は『ジョイ・ラック・クラブ』(1993年公開)以来だそうです。
その2:オーディションで5大陸からオーディションしまくった結果
昨今、アジア系の人を白人の人がやることはいかがなものかみたいな運動がでている状態のハリウッドですが、一方で、アジア系が出ても映像としては売れないというふうにも言われていたらしい。
今回の作品におけるオーディションは何なら一般公募味して、なんならひたすら時間をかけて、「ぴん、とはまる相手」を探した様子。
もともと、今作のヒロインのレイチェルも白人にしたらという意見もあったらしい。作品破綻するからやめて正解だったと思う。
また、「アジア人にとってのアベンジャーズになってほしい」というお話を上記サイトでのインタビューに掲載されているのを見て、このラブコメがただのラブコメではなく色んな意味で考えたり、動いたりする「きっかけ」になったらいいという色んな人の思いがあるのかなって感じました。
作品のざっくり感想
ストーリーは結構よくあるタイプの物語だなって印象でした。もともと「花より男子」とか読んできたり、ドラマで見たりしている世代なので「THEシンデレラストーリー」だけど主人公が自分の足で立って、真っ向から向き合おうとする作品は一言で言うと「好きに決まってる」って部類なんですよね。
花より男子における牧野つくしは「貧乏」だけど「金持ち学校」に通っている子で、その価値観の相違も含めて立ち向かい、「馬鹿みたいに金持ち」集団であるF4(というか道明寺)と対立→いじめなんぞに負けてたまるか→自分を貫き、その貫いた結果道明寺と恋に落ちる というストーリーなわけですが。
この作品だと「もともと好き会っていた恋人があんまり家族のことを言わなかった結果馬鹿みたいに金持ちで、しかもその跡取り息子だから周りからもめっちゃターゲットにされてたことにより自分が泥棒猫扱いされる解せない」みたいな話なわけですね。
だから、主軸とすると花より男子の後半(親に認めてもらうまで)に近いかなって印象。
こういう作品は古今東西ずっとある話で、いわゆるシンデレラ・ストーリーとしてジャンルの一つになっていると思う。
作中における「人種(国民性)が違う」っていうのがとても重要なキーワードになっていたと思います。
”もともとどこ吹く他人だから 価値観はイナメナイ”と山崎まさよしもSMAPも「セロリ」で歌ってきたわけですが、如実に違いが出るし、そのことで困惑したり苦悩する姿が印象的でした。
作中における「アメリカでは家族を大事にしない」「こちらでは娘息子に叩き込む」という流れがすごくあって、女は家庭にはいって支える、家族のために自分の主張<家族のためっていうポイントがありました。
レイチェルは「普通の家」(彼女自身はシングルマザーの娘で、その結果自分の努力で大学教授に上り詰めた)の人で、その育ってきたもの、衣服、食べ物、なにかもが彼らと違って当たり前で、一方でそのことをなぜじゃあニックは隠していたのだろうと思うと、彼女たちと同じく「身分差を乗り越えて成立したカップル」の物語にも繋がります。
奥さん側は大切に思うからこそ気を使って「高いもの」「購入したもの」を見せないようにしていたけれど旦那さんはそれをされるたびに息苦しくて逆に貧富の差、収入の格差を見せつけられているようで苦しい。
この作品ではめでたしめでたしでは終わることができず、お互いを大切だと思う一方で接していけば接していくたびに「自分とは違う生き方をしているんだな」ということを見せつけられる。
彼女はどんなに顔がアジア人、中国人であっても育ってきているのはアメリカで、考え方はアメリカ人よりです。もちろんアメリカ人も「個人差」は絶対あって、性格というのは細分化されるけれど、大まかな「これってそういう考えだよね、フツー」みたいな部分、基盤になる部分は彼女はアメリカよりだし、それは「悪い/いい」ではなく、彼女は”そう”なわけで。
一方で今後彼女を取り巻く環境は”外からきた女”になってきて、それは顔は同じタイプであっても異なる人種という扱いを受けるわけですよ。
ニックが変わってしまったというシーンで「海外に居て世界が変わってしまった」という嘆くシーンがあったわけですが、もうこれ突然の木綿のハンカチーフの彼氏目線の世界が変わっていく結果かなって思いました。
この曲の彼氏本当最低だなって思う一方で、そのときは「それが普通」であったものがだんだん変わって、違う世界を見ることで「この考えが普通なわけではないんだ」っていう風に思うこと。
ニックもまたそうなんじゃないかなと。彼にとっては「普通」だったものが、周りから見たら「普通」ではなくて、スタンダードと言われるものはどこなんだと模索しているのはレイチェルもニックもしかりだなと。
清涼剤になったのはレイチェルの大学時代の友人ゴー・ペク・リンなんですが彼女は彼女でそれなりのお金持ちでTHE成金タイプですが、ペク・リンが割とてきぱきいろはを教えてくれる一方で「レイチェルの普段はどうだった?」と突きつけて彼女を引き戻してくれるとてもいいキャラクターでした。乙女ゲーとかギャルゲーに出てくる情報教えてくれる友達かお前は…いいやつすぎだろ…。
オークワフィナの演じるキャラクター性がとてもよくてあてて書いたのかなってぐらいイキイキしていた。日本でいうと多分立ち位置は渡辺直美ちゃんとかそういう部類なのかな。とてもコミカルかつチャーミングで「いいやつかよ~~~!!!」ってなりつつ「あれはあれで成金かつキャラがいい」っていう意味でアクが強い(笑)
で、こう、ストーリーは王道ストーリーなんですが、「金はあるにこしたことはない」「でも住む世界が違いすぎることで起きる摩擦ってのはどうやってもあって面倒くさい」っていうのはあるんですよね。
学校にいくのも何をするのにもお金が必要で、選択肢として「裕福」であればそれはそれで広がるのは間違いなくて、でも一方で彼らは彼らで彼らなりに「生まれながらに決められた世界」があったりするわけで。
お互いの「スタンダード」をすり合わせていくと、どちらかが上げるかどちらかが下げていかなきゃいけないわけですが…それがすっごいしんどいなと思いました。
彼の母親と、レイチェルとのやりとりについても思うのは彼の母親が「ふさわしくない」といい、突きつけているのはレイチェルがいい悪いではなく、端的に「自分がそうだったからごめんけど優しくできない」っていう部分は絶対あるなっていうのを見終えて友人と話しました。
まぁその上で「泣き寝入りなんぞしてたまるか」っていう発想がね、昨今の作品のヒロインならではの部分もあるのかなって。牧野つくしとかもそうだし、韓国ドラマのヒロインの子も立ち向かうしね。わかる。私も逆境だろうとなんだろうと立ち向かっていくヒロイン大好きだ。結婚式のシーンでのやり取りが好きです。偏屈家がいようとなんだろうと、相手の《個》を見て、レイチェルが話しているところがとても良かったし、それはレイチェルが《大学教授》としてどうだったかっていうのを見せてくれている気がします。培ってきたものを否定されるいわれはない。そして、それを認めてくれる相手は0ではない。大事なことですね。
母親は障害ではあるけれど、その障害は障害なりに家族を思って「どうあるべきなのか」「ここまでくるのにどうしていたのか」っていうのがすごく大事だったと思います。その結果の麻雀シーンだったわけですが。レイチェルも母親エレノアもすごかった。
最終的に勝ちを譲った上で「まぁでもそうやってあなたが幸せに過ごした時、絶対あなたは私を思い出すの。名もなき普通の人間をね」ってばっさり言うのがすごい好きです。「試合に勝って勝負には負けた」って突きつけるようなかんじがすごく良い。
生き方っていうのは難しくて、また同時に価値観というのも異なるのもしょうがないんですよね。
その上で、育ってきた「国」まで違えば見かけは同じでも思考回路っていうのはぜんぜん違う。いつぞやにウエンツ瑛士君がお母様とお父様が喧嘩してるのを見て怒ると何いってんだか全然わからなかったなあっていってたけどそういうのもあるだろうし。
それこそ県民性、国民性、全体的なありかた、それらを踏まえてみても「この人達はそういう人たち」っていうのがすっごい感じてしまう部分ってあるんですよね。疎外感というか。日本だってあまりに考え方が違うんだから国を挟めばもっとで、だから国際婚ってだいぶ増えたけれども四苦八苦することが多いのも事実で、ここに貧富の差というかも出てきたらそりゃ~~~苦しかろうな~~っても思う。
作品としての展開はとても王道で「でも絶対ハッピーエンドだよね!!!!!!わかる!!!!!!」っていうのは詰まっていたんですけれども、見ながらいろいろ考えさせられました。
後キャストのみんながインスタできゃっきゃしてるのめっちゃかわいいです(笑)
字幕版でみても吹替版で見ても結構見やすくてするする入ってきました。
NG集とかは字幕になっているし、彼らの時の声がこんなかんじなのかって思うんですが、吹替版だとレイチェルの中原麻衣ちゃんがとても良かったし、國立幸さんの「あ~~めっちゃハスキー!でも女の子!!ってかんじのテンションも良かったし、全体的にしっくり見れる感じで「これはこれで」って思えました。
気軽に見て気軽に感じて、でもそうだよな~ってなりつつ莫大な金額だからこそのリアリティーがないぶん楽しめるのかなって思いつつ…お衣装もいろんなハイブランドの衣装が出まくるし、建築物もおしゃれだったりするので、そういう方向性で見ていても楽しいんじゃないかなあ。
追記
たまたまTVガイドPersonのVol.79を購入しまして。
表紙はA.B.C-Zだったんですけれど、その中のインタビューに井ノ原快彦さんのものがありまして。
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「気になるPERSON」というコーナーがあるんですよこれ。
で、なんと、「たまたま見た映画のオークワフィナさん」と言っていて。
あっ、この人絶対「クレイジー・リッチ!」みたいな!?!!って思いました。チョイスがすごいわかるわかるの嵐だったのでV6で井ノ原快彦さん好きな人どうですか…めっちゃ面白いし気になる人でオークワフィナさんを上げる理由「わ、わかる~~」ってなるので…どうですか…笑