最初このニュースを聞いた時に「ふむふむ、なるほどちょっとよくわからない」ってなりました。
いや勿論理論としてはわかるんですよ、わかるんですけど「すごいことになりそうだ」っていう漠然とした、ふわっとした印象でした。びっくりする以外にどう反応したら良いのかなるほどわからん
「天皇陛下御在位三十年記念式典」にあわせての披露だと聞いていて、三浦大知くんという人を本当ににわかもにわかで、ゆるいファンである私からしても「これはえええええっっらいことじゃん」という一言でした。
この式典はNHKやテレビ朝日といった地上波からインターネットでも中継されたし、自分もその姿をリアルタイムで見て、なんかもう一言で言うと「圧巻」だったので、その感想をつらつらと。
あくまでも両陛下のための式典で、そのためのお祝いの三浦大知くんだったからこそ、式典を見て「自分とは離れた世界」を覗き込んだという感想です。
式典についての雑感
いろんな人が祝辞を延べているわけですが、その祝辞も「聞き取りやすいなあ」と思う人、そうじゃない人、手がめちゃくちゃ震えて緊張されている人、本当に多種多様だったと思います。
こういう格式張った形の式典を自分が足を運ぶことはまぁ本当に限られたぐらいだし、だからこそ日本語というものを丁寧に選んで話している人たちを見ると「お祝いする」「そのお祝いに選ばれたこと」ということへの重要性を考えさせられました。
楽曲披露について
もともと今回三浦大知くんが披露した「歌声の響」については沖縄のハンセン病の方々がいる施設へ訪問したときにできた曲だといいます。
それを聞いて、だから三浦大知という人が選ばれたのだなあとあらためて理解しました。
沖縄周辺の島々に伝わる八・八・八・六の音数律をもつ定型詩の「琉詩」で、言葉も標準語ではなく、寄り添ったもの。
だからこそ歌う人に沖縄出身である三浦大知くんが選ばれたのではないかな、と。
実際に聞いてみて
どんな印象を持ったかって言うと、三浦大知くん最近星野源さんととっても仲良しエピソードがいろいろあって、ゲーマー要素が強くなっているのですが(バイオハザードめちゃくちゃやりこんで言うらしい)「あの人に緊張という言葉はないのだろうか」というふうにも思うわけですが、実際にステージにすっと入ってきた時、いつもだと「動いている!」ってわかるお衣装(ひらひらだったりね)に対して式典だからしっかりとした式服を着用されていました。
曲の披露には千住明さんもいらっしゃって「蜜蜂と遠雷ぶり…!」とこう、いろいろ感動しました。
いろんなご縁の結果でここに至っていると思うのですが、自分の中で知っている方々のお名前が出て、そしてこのような厳かな空気の中で披露しているのに、彼らは緊張してはいてものびのびと音楽を披露している、っていうのがとても感慨深かったです。
▽昨年の千住さんの推し事の一つ、蜜蜂と遠雷のリーディングオーケストラの感想。
三浦大知くんはリズムカルなものも得意ですが、琉詩という独特なテンポ、そして言葉を使っているのにあまり違和感を感じることもなかったです。
なんか、何を思ったって聞かれると私は音楽のことを「好き」とか「いい」とかぐらいしかわからないペーペーではあるのですが、三浦大知くんの心を揺さぶるような透明感のある歌い方がとても好きで、彼の周りに沢山の人がいて、たくさんの形にしてくれるための支えがあっているのだろうと思います。
あの式典で歌い終えた時、テレビに映っていた両陛下の表情が大変穏やかで何かをお話されている姿が印象的でした。
こんな経験できる人なんてそうそういなくて、その「そうそういない」に選ばれた重責もあるなかで、”やりきった”という表情をしている披露した彼らの表情を見て張り詰めている空気が少しでも和らいでいるようにも見えました。
「天皇、皇后両陛下からあふれる、とても大きく優しい愛に包まれたような気持ちになり本当に幸せでした。この貴重な経験を、感じた思いを、深く魂に刻みこれからも歌い続けていきます。本当にありがとうございました」とコメント(上記URLより)
三浦大知くんにとってのこの経験は彼にとってもそうですが、自分が「ファン」としての目線で「こういうことはなかなかない」だなあとつくづく思います。いろんなものの「好き」をやってきて、こういうことになるの驚きしかないですね。
琉球の言葉って私はあまりわからないのですが、ファイナルファンタジー10の”てぃーだ””ユウナ”はそこからだという話を聞いていましたし、いろんな作品やいろんな人、いろんな経験があることによってまた「自分」というものが確立されていくのかなと。
「すごいのは三浦大知であって自分ではない」というのは重々承知の上ですが、自分が好きだと思う人、自分が応援したい人、自分のなかで芽生えるその姿を見て感じる”なにか”は自分の考えの流れの結果だと思うので、こうやって「思えたこと」「感じたこと」は大切にしていけたらいいな……っていうそんな今日このごろです。
感想をいかにしてまとめようかなって思ったのですが、全く感想になっていない気がしています。全員が全員、あの会場にいらしゃった人、画面越しで見ていた人に「なにか」が伝わってその「なにか」を考えられる機会だったのかなと。その「感じた」1人としてブログにメモだけでもしておかなきゃ!!!!!という気持ちで記しておきました。
多分来年の今頃になった時「なんというふわっとしたブログをお前は書いているんだ…」となりそうですが(笑)少しでも私のブログがまた他の「誰か」に「なにか」として届いていたらいいなぁ。という、そんな気持ちでいっぱいな今日このごろ。
Blizzard聞いた後に改めて聞いていると温度差で風邪を引きそうなぐらいで、こうやって見るとパフォーマンスの振り幅が大きいって本当にすごいことだなあとつくづく感じるばかりです。