小学館から「日本おいしい小説大賞」という新しい賞ができていました。
「食べることは生きること」といいますが、「食べる」という行為または「作る」という行為を日本語で描写することってとても個性が出る行為だと思います。読み手に想像力を掻き立てさせて「ああ、おなかすいた!」と思わせるような描写というのは読む時間帯によっては飯テロと呼ばれる部類にもなりますよね。
二次創作という部類ではありますが、文章を書く身として多くの作家さんが描かれる個性豊かな「食事シーン」というのは読んでいてひきつけられるものがあります。映像ではなく「文字」「文章」だからこその表現が絶対あって、そこに個性と魅力が詰まっています。読んでいて料理の芳しい匂い!料理の音!色鮮やかな世界!料理というのは五感でするもの……なんていう言葉もあるからこそのニュアンスが大好きです。だからこそ、この「日本おいしい小説大賞」というものがあることに納得と喜びがあり、見かけたものを読んでみよう、と思った次第です。
Twitterでうっかりお見かけした「殻割る音」はそんな日本おいしい小説大賞の最終選考作品の一つ*1。ぱっと見てタイトルがおそらくダブルミーニング(ないしはトリプルミーニング)かなと感じられたので購入してみました。
※ネタバレを入れているので、ご注意ください。
「殻割る音」のあらすじ
涙も愛も包み込む、奇蹟のオムレツ!
室本さくらは中学受験生の女の子。ある日、家庭科の調理実習で作ったスクランブルエッグが友人たちに絶賛されたことがきっかけで、料理の楽しさに目覚める。そんなさくらの母・泉は料理が苦手。「家でも料理をしたい」と訴える娘に、受験勉強と両立させることを条件に、母はしぶしぶキッチンを使うことを許してくれた。さくらの願いは「お母さんと一緒に料理をすること」。そのために、家族の思い出に残るオムレツを作ろうと決意する。プロが作るトロトロふわふわのオムレツを目指して孤軍奮闘するが、なかなかイメージ通りに作ることができない。両親へ料理を振る舞う日は、すでにさくらの中で決まっていた。その日に向け焦りが募るあまり、母とのある約束を破ってしまう。母の逆鱗に触れ料理禁止を言い渡されたさくらは意気消沈するが、祖母が作ってくれた温かな料理に心を揺り動かされ、もう一度挑戦してみようという気持ちを取り戻す。
さくらは受験勉強とオムレツ作りの両方をクリアすることができるのか。そして、母と一緒にキッチンに立つという夢はかなえられるのか。引っ込み思案な少女がその殻を打ち破っていく姿に、心が熱くなる成長物語。
(公式ホームページより参照)
大体の筋書きがここに書いてあるので説明しなくてもいいんじゃ……とも思うのですが(笑)
さくらという中学受験を控えた女の子が主人公です(表紙に描かれている子ですね)が、どちらかというと控えめというか、柔らかいタイプの女の子・自己主張があまり激しくないタイプの子です。
昨今中学受験をする子は多いので(私の時代はだいたいクラスの半分だったと記憶していますが、今はそれよりも増えていると思いますし……)いわゆる「当たり前」になってきた時代だとは思いますが、さくらに関して言うと自分が入りたくて選んでいる学校というのが良いところ。
親子関係はすこぶる良好――とまでは言い切れないですがほどよい距離感で程よく付き合ってきている感じがしました。その関係が「料理」ということを経て、少しずつ変わっていくのが今回の小説に於いての一番のポイントではないかと感じます。
この小説、章タイトルがみんな「卵料理の工程」としてコンセプトに踏まえているのが好きでした。ちゃんとただ流れを添えるのではなく、章題にあっている内容になっているので「なるほどここで」という印象もありました。
見る世代によって感じ方が変わりそうなお話
この小説は「さくら」が母・泉とお互いに抱えた問題と向き合いつつも自身が目指す「受験合格」に向けて進んでいくお話です。
共働き、父親は月に1度しか戻ってこない単身赴任であること、母もまた仕事をしていて自身も勉強漬けであるということ。食事は母娘で取りつつもその会話は「受験勉強」に向けてという息が詰まる空間であることが冒頭で描かれています。
「この学校に行きたい」といったのはさくら自身であり、それに向けて勉強をしているのですが「受験は甘くない」と口を酸っぱくして言う母の姿はステージママぽさというか受験するのは当人である以上親が言うものではないと感じさせる部分と(いわゆる代理戦争をさせようとしている感じといいますか)一方で娘であるさくらを心配している状態というのが伝わるジレンマが感じられました。
多分思春期の頃にこれを読んだら「いつ勉強するの」「宿題したの」「受験勉強はいいの」という親の言葉を思い出して「うるせ~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!言われなくてもやっているし焦っているしほっといてくれ~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!」って反発していた側としては「さくら偉いなあ」とただただ思っていたと思います。親御さん側になると「子どもに失敗してほしくない」という気持ちがあるのも十分に分かるんですけどね。後単純に受験するのにもお金いるもんね、とか。
ただ、親が「完璧ではない」という部分があるということは子どもも知らないわけですし、「歳を重ねて気づく父親の背中が小さくなったこと」とか「親だって完璧じゃなくて人間だった」ということをこの作品では一つのテーマにしているようにも感じました。
同い年(11~12歳)の子たちも三者三様で主軸となるのはさくらを含めた3人の女子小学生たち。
- さくら:おっとり系、自己主張が抑えめ、ふわーっとしているけれど頭はいい(要領良いタイプに見られる)
- 璃子:自己主張がはっきりしている、竹を割ったような性格でありつつ小中学生特有の嫉妬や「自分ではない」というジレンマや恵まれた環境だからこその齟齬が見える
- 薫:塾が同じ女の子。自己主張がはっきりしている闘争心むき出し系。同じ学校を目指しているからライバル視している。正論をぶつけてくるが…
読んでいて感じたのは「誰が良い」わけでも「誰が悪い」わけでもない描写がすごく印象的でした。
さくらは「料理をやりたい理由がある」「勉強ももちろんやる」という気持ちでやっているけれど、それが璃子にとって「料理をやりたい理由」が「自分の気になる男の子が彼女を評価している理由」なのではないかと危惧している。その言葉が時々棘になったり、視線がきついものになっているのは思春期特有というか……「そこで自分がやるという発想」に至れず「ずるい」となってしまいそうになるところと、親友だからこそのジレンマみたいなものが手にとって分かりました。
また、薫に関しては同じ学校を目指していて、「好きなものを全部諦めて頑張っている」からこそ、ふわふわっとして闘争心もなくて、その上で自分より上位にいるさくらに対して厳しい言葉を投げつけます。
ただ、それって「お前の中ではそうなんだろう、お前の中ではな」といわれる部類ですし、「余裕ないからって他人に当たるなよダッセエ」って部外者の男子あたりに言われても然るべきだなって感じました。作中に出てくるTHE小学生の沢崎くんがいたら言っちゃいそう。
「正論は正しい。だが正論を武器にするやつは正しくない」という図書館戦争でおなじみの言葉がありますが、ヒールのような立ち位置でむき出しにしてくる彼女自身にも「頑張っている同志」みたいな部分が知らぬうちに(自分より勉強で結果を出しているさくらに向けて)芽生えているからこそ、なのかなあとも感じました。ただまあきっつい言葉を言っているのに対して「お前も言いすぎだろ」と誰かに言ってほしかったというのは本当のところですが。帰宅後言い過ぎたかもって自己嫌悪に至っていそうなタイプですが、人と人の関係って難しいんだろうな……と感じた次第です。だからこその「続き」が彼女二人について描かれている部分がラストあっさりで、「どうかは分からない」からこその良さなのでしょうが。
思春期の自分だったら「絶対こいつ、痛い目見てくれ。何なら受験落ちろ」って思っていただろうなあ……としみじみします。いっぱいいっぱいになっているからこその当たり散らしているんだろうな、ともなるんですけれども…ただ、彼女側の視線になったら絶対「なるよね~~」ってなるのが面白い。人間の心って難しい。
三者三様にコンプレックスがあるからこそ「良いところもあって悪いところもある」というのがよく出ていたように感じます。
- さくらからすれば二人の家族関係が羨ましい
- 璃子からすれば「自分のできない料理」で「好きな子から評価される」さくらが妬ましい・羨ましい
- 薫からすれば自分が死ぬほど努力しているのに努力せず(焦りもせず)好きなこともやって半端なさくらが妬ましい
な、ないものねだり~~~!!!!!!!!
ただ、全員が全員「悪い子ではない」からこそ「どうにかしなくちゃ」のもがきが感じられてじれったいの何のと感じつつ。やっぱり言えることは「頑張れ」になるのですが…。
「中途半端にやっているわけではない」からこその、頑張るからこそのしんどいを、中途半端だと周りに言われてしまうさくらの心についてはちはやふるの机くんの言葉を思い出します。だからこそ「火を付ける」なんですけれどね。半端にやってきたわけではない、「でも」やりたいこともある。この流れからの踏み出すためのくだりが素敵でした。
本作品における大人たち(教師、塾講師、祖母など)が凄く丁寧に親身に対応していてくれるからこその子どもたちが悩んだり考えたりしているところが非常に印象的。
完璧ではない・一番身近にいる母との距離感が測れないからこその対比なのだと思います。また、同時に泉はさくらの要素を踏まえながら後半で分かる、先程の子ども三者三様の誰に近しいのかということを感じたときに其々を孕んでいるイメージです。
心を解きほぐし、火をつけ、知識を流し込み、発想を逆転させ――自分という「殻」を割り、チャレンジしていくことへの肯定をしていく形として「大人も子どももチャレンジャー」として最後まとめていくのが美しかったです。
子ども三者三様があったからこそ誰か一人を悪く描く、というよりも「こいつにもいいところ、悪いところがある」というのがわかりやすくなっていて、母親にも繋がっていったのが良いですね。あまり近くないからこそ祖母や先生、講師にそこが見えなかっただけで、お互いにきっとあるんだろうな、とも感じます。
リズミカルな”美味しい音”
さくらが音楽を好きなところにも由来するのですが、全体的に柔らかくそれでいてにぎやかなオーケストラが文章の中で躍動していたように感じます。
自らの殻を割る、「意外」であることを悪いと捉えない。自立とチャレンジ。そして料理。多くの意味を持つ「殻割る音」というタイトルですが「音」という名前があるよう、本作は音楽が違和感なくたくさん描かれていました。
ただ「パチパチ」というのではなく、其々にどんなイメージであるのか、と表現しているニュアンスはより文字を読みながら「こういうかんじかな」と想像力を膨らませてくれて自分の周りにオーケストラを作ってくれます*2
拍手にも似た、何かを焼いているような音。
この描写から始まり「音楽」のように奏でられる作品の食事シーンの音はリコーダーやホルン、パーカッション。様々な楽器の表現で説明されていて、読んでいく度にさくらの心境と相まってのファンファーレだったり、カンタータだったり、一方でエレジーだったりと変わっていくのが良いです。
作中に出てくるエドワード・エルガーおなじみ「威風堂々」はCook DoのCMでも使われる「食事のCMのBGM」でおなじみであるからこそ色々読みながらふと思い出させるユニークな箇所がたくさんありました。緊張感があるのに、どこかふふっとなれるというか……壮大な音楽でも有るので自分が自信を持つという意味でも、さくらの心にシンクロしてていいんですが「自分の知識」と照らし合わせたときのちょっとしたニヤリ感がありました。
最後は「ブラボー!」といいたくなるような、自分たちの日々に「アンコールはない」からこそ失敗を糧に変わっていく「さくら」「泉」の関係、また、「さくら」という名前とぴったりとくっついた”さくらいろ”のハムやベーコンの描写が繋がっていくことで「作品」がまとまってラストに繋がっていく流れが素敵でした。
読み終わった後に「ごちそうさま」といいたくなる、そしてオムレツ作るか~!!!ってなれる小説でした。
*2:「良い子はみんなご褒美がもらえる」を思い出しました