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【初日/ハシ河合・キク橋本】「コインロッカー・ベイビーズ」再演感想(+追記)

7月11日~7月29日まで東京、8月11・12で大阪、8月18・19で富山でそれぞれ公演する「コインロッカー・ベイビーズ」を観劇してきました。主演はA.B.C-Z橋本良亮、河合郁人(敬称略)。

2年前の2016年に上演された同作について、あいにくと私は「知識」としてしか知らず実際に自分の五感を用いて見ることは出来なかったため(ファンになったタイミングが遅かったため)、どういったものを作り上げるのか興味を抱き、調べていってみました。

 

事前知識についてはこちらから。

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感想については概ねネタバレをしているのでご留意ください。

良いことだけを思い切り書き連ねるというよりも、思ったこと感じたことをつらつら書き連ねているので、感情の反復横跳びと自身の理解不足が多くあるかと存じます。

とりあえず「初見」の感想ということで。何度か足を運ぶ予定になっているので、踏み込んでいく中で感想は追加されていくと思います。

お芝居としての「感想」、俳優に向けた「感想」、全体への「感想」が非常に混在していて自分の感情を整理するためにやっているので、微塵も多分参考にならないです。申し訳ない。

 

また、本記事は3つに分ける予定です。

「ハシ:橋本 キク:河合」

「ハシ:河合 キク:橋本」

「終演後の振り返り」

 

今回はそのうちの「ハシ:河合 キク:橋本」感想録です。

 

▽橋本良亮ハシ/河合郁人キクの感想は此方

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コインロッカー・ベイビーズという作品

村上龍が手がけた作品が「原作」です。同作については社会的な問題になっていた「コインロッカーに赤子を捨てる」というものから着想を得たものです。

新装版 コインロッカー・ベイビーズ (講談社文庫)

新装版 コインロッカー・ベイビーズ (講談社文庫)

 

 

「コインロッカーベイビー」

つい先日も痛ましい事件がありましたね。

2018年5月、つまり今年東京新宿歌舞伎町でコインロッカーで新生児が死体遺棄として見つかりました。記憶に新しすぎる一件で、70年台に問題になったものが今日も続いているというのは正直いかがなものなのか…とも思ったりします。

ここから窺い知れるのは、「子どもを産んでそして捨てる」ということでの生に対しての残酷さ。「可哀想」というのは正直弱者に対しての憐憫に近いものになってしまうので、私は好きではない表現なのですが…。

名もなきいのちがなくなるのって何ともいえない気持ちになります。漫画喫茶でこの人は子を出産したという話*1だけれど、いたたまれない。

今も、昔も、いろんな人がいろんな事情があるにしても、うまれてすぐに向けられる産み落とした対象による「殺意」「悪意」ってどんなものなのだろうと想像すると戦慄します。

コインロッカー・ベイビーズのあらすじ

コインロッカーに捨てられた子供、その中でかろうじて生き残った二人の赤ちゃん。キクとハシは施設で育てられた後、双子の兄弟として九州の離島に住む夫婦のもとで暮らすことになる。


感受性が強く優しいハシは、頭よりも身体を先に動かすキクの影に隠れる大人しい少年。しかし、ある時を境に彼は世界中のあらゆる音を聞こうとテレビなど様々な音源に耳を傾けるようになり、その他のことへの関心を失ってしまう。

実はハシとキクは、物心つく以前、暴力性を制御できない問題児だった。それを精神科の研究者が心臓の鼓動をもとにしたリズム音によって治療を行い、暴力性を抑えることに成功。

そのおかげで彼らは社会に適応できるようになっていたのだ。しかしとあるきっかけにより、ハシはかつて聞いたその音の記憶を思い出してしまう。それが自分の母親と結びついていると考え、母親を探しに東京へと旅立って行く。その後、東京でハシは様々な体験をした後、Dと出会い、歌手としてデビュー。その独特の歌唱法によりカリスマ的な人気を獲得してゆく。


 一方キクは、その内在するエネルギーを「飛ぶこと」で解消していた。陸上の棒高跳びで活躍していたキクは、家出したハシを追って東京へ育ての母の和代とともに出発。東京で突然和代が亡くなってしまい、彼はひとりぼっちになるが、巨大なワニのガリバーと暮らす不思議な少女アネモネと出会う。彼女とふたりで世界を破壊するため、謎の物質「ダチュラ」を探す約束をするが……。

(公式ホームページより引用)

この文章読んだだけでも「あっ頭痛くなりそう」となった方もいるでしょう。

ええ、私は当初小説開いて「文体の相性の問題的にだめな予感を察知」となりました。それなりに小説に対して受け入れ体制は出来ている方だと思っていたのですが…(笑)

小説そのものは上下巻になっている長編。

登場人物はいろいろいますが、”重要な人間”でピックアップすると以下の通り。

あくまでも所見なのでご留意ください。

 

ハシ

 穏やかで優しい、歌をうたうことが上手な「心の優しい少年」

 非常にナイーヴ、繊細。”線の細い”という言葉が納得できる立ち回り。

 色でいえば「白」に部類されるであろうタイプ。

 自分というものを持っているかと言われてば非常に難しい。

「誰かのために何かをしてあげたい」という有る種自己犠牲精神が根底にあるように見える。

 LGBTという考えが浸透する前の作品につき「ホモ」という言葉で揶揄されている。ゲイだけれどバイでもあるので、ちょっとタイプとして一言では言えない。

 

キク

 圧倒的な熱情と暴力性を持った少年。「根っこはいいヤツ」といわれる典型。

 ハシとは対称的。ヤンキー的というか…。昔で言えば「男とはかくあるべき」みたいな要素をはらむ。

 自分を持っているように印象を受ける。色で言えば「黒」に部類される。

 

アネモネ

 キクと出会うワニを飼う少女。「自分は誰かを待っている」という中で、キクと出会い運命が一転する。現代的な「美少女」という印象。

 

D

 キクをスタアへと導く男。関西弁。金持ち。権力者の象徴。損得勘定で物事を見据えている傾向がある。言い方が悪ければ「ゲス」い。

 一昔前のBL漫画に出てきそうなおじさん。

 

ニヴァ

 胸を摘出した女性。“ババア”と周囲に言われる程度の年齢。ハシを献身的に支える。

 

大変ざっくりもざっくりである。本当はいろいろ注視したほうがいい人はたくさんいて、要素はあるのだけれど全体に於ける重要な人たちはこんなかんじ。

 

音楽劇「コインロッカー・ベイビーズ

セットについて

ステージそのものは格子のような(おそらくはコインロッカーをモチーフにしたもの)セットを用いていました。

セットそのものについてはすごく大きく動いて変化するというよりも細やかなものたちが動いて変わっていく印象を受けました。

コーヒーカップが出てきたりとか、タクシーのシーンで突出してきたりとか。

 

”音楽劇” 

この「音楽劇」というカテゴライズが未だにちょっと知識がないものでして、ミュージカルとの違いが把握しにくいのですが、どう違うのでしょう。

あれこれ前にどっかで記事買いた気がするぞ…?と自分の鳥あたまぷりに悲観しているところです。

 ということで、復習も兼ねて調べてみました。

ミュージカルと同じように、音楽・歌唱を交えた楽曲を劇中に取り入れているものが多く、明確な線引きがあいまいな場合が多いとされているが、実際には、ミュージカルではセリフを歌唱で、また動きのあるシーンは踊りを入れる要素を取り入れるのに対し、音楽劇は、物語をセリフで進行し、その中で劇中歌・曲を挿入するというパターンが主であるとされる。

音楽劇 | 舞台・演劇用語 | シアターリーグ より)

 

すごく曖昧!!(笑)

作中で歌があるからといってそれが「音楽劇」と言っていいのかと言われるとすごく曖昧なところであるわけで。

今作は「物語をセリフで進行し、その中で曲が入る」という要素での音楽劇の要素が強いのですが、作中で”歌っている”部分は圧倒的にハシのほうが多いのですが、全体通してみるとキクの歌が印象的です。

上記の書き方だとディズニー映画の「リメンバーミー」とかは音楽劇というのが正しいのかも知れませんね。歌がモチーフの作品だし。

 

キャストについて(ビジュアル&それぞれの情報)

今回のキャストスタッフに関してはほぼ「前回と同じ」らしく、少しどこか懐かしさを感じさせる(らしい)なかで、勝手知ったる仲の中で「新しいものを築く」という意味で山下リオさんだったり、日替わりキャストだったりが注視されていたと思います。

 

ヒロイン/アネモネを演じる 山下リオ

前回はアネモネ昆夏美さんが演じていました。

私は当時のお芝居を見ていませんが昆夏美という女優さんに対しては「レ・ミゼラブル」でエポニーヌを演じていらっしゃったのと、マジェスティックプリンスの主題歌を歌っている人として存じ上げています。最近だと美女と野獣のベルの吹き替えをされていましたね。

朝の風景

朝の風景

  • provided courtesy of iTunes
美女と野獣

美女と野獣

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当時のシルビア・グラブさんと演出家の木村さんの対談*2から読み解いていく彼女の「アネモネ」という解釈は《執着》という要素があり、キクに対して孕んでいる感情の部分が「世間一般の恋愛」とのズレとしてあるのが非常に面白かったです。

 

で、今作はそんな昆夏美さんから山下リオさんにバトンタッチとなりました。

山下リオさんについてはスターダストに所属する女優さんで、私はどちらかといえば「A-Studio」という番組で笑福亭鶴瓶さんのアシスタントMCをされていたイメージが強いです。掘り下げていったら「武士道シックスティーン」等でも出ていて驚きました。

www.tbs.co.jp

ジャニーズというものでいえば、以前三宅健さん、森田剛さんあたりも出ていた印象があります。後風間俊介くん。

この番組は過去のアシスタントMCで波瑠ちゃんも出ており、いつ見ても面白い番組だったりします。笑福亭鶴瓶さんの「聞く力」というのはいつ見ても面白いです。

www.instagram.com

こちら以前の長澤まさみさんとのお写真。楽しそうで見ててほっこりする。

笑福亭鶴瓶さんといえば、このお芝居に対してフラワースタンドを橋本良亮君に贈っているのが目にとまりました。

また、「A-Studio」にもフラワースタンド山下リオさん宛にあったのを見ると、場所柄(TBS赤坂ACTシアター)なのもあって、もしかしたらご出演なさるのかもしれませんね。だからその流れで橋本くんとお話されて、結果お花が贈られているのかなという予想。過去アシスタントMCの方々がこの番組には凱旋的に出演されているので、そういった意味でも「そうだったらいいな」と考えているばかりです。

 

また、後日ですが東出昌大さん出演映画「寝ても覚めても」のご出演も決まっていますね。東出くんもせとまる(瀬戸康史君)も出ていて「実質朝ドラでは…?」(東出くんごちそうさんあまちゃん瀬戸康史くん=あさがきた)なんてネタにされていました。そういえば彼女も朝ドラに出ているって出ていたな~~って驚いたり。

こうやってたくさんのものに出て、たくさんのことを積み上げて、不思議と縁でつながるというものは面白いですね。

eigaland.com

  

彼女自身に関しては非常に顔立ちが溌剌とした印象が見えるアネモネとして、「足の長さ・細さ」そしてスタイルの良さが如実に出ていらっしゃる印象でした。すらりとしていて、けれど健康的。

エロティカルな下着も含めてさらりと着こなせるのは「自信のあるアネモネ」として胸を張っていて良いと思いました。

髪の色に関してはお芝居だということもあるのですが、私は彼女のお顔立ちだと茶髪よりアッシュグレーや暗めの色のほうが好きだなと。茶色のロングよりショートの黒が似合いそうなお嬢さんなイメージです。これはおそらくホームページを検索したときに出てきたお写真が似合っていたからなのでしょうが。

髪型の問題からなのか、アネモネがすごく…井上織姫*3みたいだなって印象を受けました。

 

BLEACH 3 (ジャンプ・コミックス)

髪の色合いといい長さといい、真っ先に思い出したのが「織姫だな~」でした。初期の織姫のエピソード好きです。たつきちゃんも好きです。

一護とたつきちゃんの幼馴染コンビ好き(突然の告白)ルキアと一護の相棒感も好き。このへん話し出すと長いので割愛します。

 

悪魔か救世主か…”D"/ROLLY

この作品に於ける私欲的な存在である「D」。その考え方は非常に利己的。

なんていうか「スネ夫ジャイアン」要素を持ち合わせていて、それでいてD自身は非常に頭が回る。誰のためにって自分のために。

彼自身がどうやって這い上がってきたかというのはこの舞台では描写がされていません。乞食に対して甘やかすと人々はやる気をなくす、ゆえに手を差し伸ばさない。自分だけが不幸面をするな、そんな人間はごまんといる。

このフレーズが非常に小説において印象的で「私が苦しいっていったら苦しんだよ!!」みたいなのをTwitterなどで全面的に出していこうぜイエイエイエイみたいな流れである昨今からすると、「D」という人間は非常に固定概念的で、レトロで、けれど粘着的な、いいようのない登場人物。

そのねっとりとしたかんじは「嫌悪感を抱かせるため」のものであるからこそなのでしょうが、演じるROLLY氏の存在感はなくてはならないものでしょう。

 また、開幕する前にこんなツイートが回ってきて「出ないんかーい!!」と思わずどこからその誤報が出回ったのかきになるばかりです。

ROLLY氏について調べていたら仮面ライダーアギトの3つめのED手がけていたことを知り「まじか…」と驚きました。自分がふわ~っと見ていたものを手がけている人がいる、その人が回り回って自分が見に行く芝居にいる。なんともいえぬ気持ちです。

そんなこんなで検索かけていたら、ROLLY氏のパフォーマンスが分かる動画を発見(公式です)

www.youtube.com

キャラが濃い。圧がすごい。

「猥雑、下品、怪しさ、軽薄、だがそれがいい、これぞロック!」

「胡散臭さがたまらない」「こういう軽薄さを感じさせるのがROLLY」などコメントが散見されているのを見て、なるほど彼が彼ゆえにDという配役に起用されたのかなと感じました。

猥雑で下品で怪しさMAXで「なんでお前…お前…ハシこんなんについてっちゃったの…おいどう見てもお前利用されるじゃないですか…なんでだよお!」というあれそれが塊でやってくるようなD。そういう意味で濃い。

 

 

愛を注ぐ、献身的な「ニヴァ」/シルビア・グラブ

以前中島健人くんが主演した「未成年だけどコドモじゃない」に出演されていらっしゃいました。

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シルビアさんに関しては深く知らないながらも、映像で見た中で「歌うまいなあ」「きれいな体つきだなあ」と思っていたので今回実際に見られる幸運に感謝。

ニヴァという人物を考えると、どこかDEATH NOTEのレムのような要素を感じます。

死神レム(Rem)アクションフィギアDEATH NOTE(デスノート)シーズン1JUN PLANNING少年ジャンプ

(もうちょいいい画像なかったのか)

ニヴァの人生は非常に壮絶で、「女」としての自らをほぼ諦めたに等しい人間で、彼女はハシに出会い再び女性としての部分を発揮していくわけですが。

ハシへの接し方は母のようであり、姉のようで、けれど女であり、そこも踏まえているからハシが彼女に対して縋り、悦びを見出していったのに、畏れを抱いたのかなあ…なんて読みながら考えたものです。

よくもわるくも「ハシに出会わなかったら」とは彼女について考えます。

ハシってニヴァにとっての「オム・ファタール(破滅をもたらす運命の男)*4」なのかなと。それでも彼に見せられ彼を信じて、そして最後はああなる。

 

オム・ファタールはフランス語で「Homme/オム=人」+「Fatale/ファタール(致命的な)」です。

=“あまりにも魅力的で惹付けられずには要られない危険な男”≒破滅を己にもたらす存在

これってキクにも該当するんだよな~~なんて思いました。

 

ハシとキクによってニヴァとアネモネはそれぞれ大きく変わったわけで。

子を宿したときの母親としての立ち位置になったニヴァ(けれど女の象徴であるものは失っている)という意味ではハシは「安定」「安寧」「母親の面影」を求めたようにも見えるし、ニヴァは彼に対してそれを「受け入れた」存在にも見える。でも求めよさらば与えられん、な聖人ではないから、最後はそうなれなかった。「なりきれなかった」が正しいかな。

その段階で、彼女が選んだ選択肢として 夫(ハシ)と腹に宿る命で、後者を見据えているというのが考えられていてあ~~も~~ってなります。

 

主役の二人については語らなくても多分これ検索かけてくる人橋本くんや河合さんのファンだろうしなあ……とも思わなくもない(笑)なので、個人的見解は過去の記事でつらつら言っているので割きます。

 

音楽劇コインロッカー・ベイビーズ 初日感想

所要時間は2時間20分。内休憩時間を挟む形になっています。

ストーリーとして

小説のあの分厚いものから「どこからどこまでをカットして、どれを盛り込むのだろう?」という点からだったのですが、ほぼ幼少期のものはハイライトとして省略されています。

かいつまんで、「ここ」と「ここ」と「そこ」のポイントを描写し、回想録のような形にしています。

時系列順に話が進むのではなく、そもそもの「コインロッカー・ベイビーズ」として彼らが発見されたところから物語は始まり、そして「幼少期にある音を聞かされる」ところに飛びます。

 

「ハシとキクは己を制御できない」という部分は医者から口にされており、ゆえに「どんなふうに、どんな形でセーブできずにいるのか」が、少しふわっとしています。

この作品における「東京」という世界はみんな頭のネジがぶっ飛んでいます。村上龍のグロテスクで暴力的、そしてセックス描写が入ったいわゆる「エロ・グロ・ナンセンス」が詰まった原作(良くも悪くも偏見の要素は非常に強いです)の中で、「すでに自分たちは不要な存在として消されかけた」ということをベースにあるキクたちのあり方と、その「不要と主張した世界」の対比があります。

 

物語が回想に回想を重ねており、アネモネとキクの出会うタクシーのシーンが冒頭に入れられ、そこから時間軸が動き出しました。

母親である和代とのシーンが回想にあるので、「彼らにとってどんな母親だったのか」はセリフで回収されています。和代だけじゃなくて一応パッパもいるんだよ!とか、思ったりしたのですが、それも踏まえると話が長過ぎるからだなとは納得しています。個人的には彼らが引き取られるまでの過程の物語も好きだけれど。

暴力性を孕んだキク。そしてそのキクにべったりで泣いてばかりいるハシ。その彼らのアシンメトリーが崩れていった催眠術の話。

 

すべてが非常にテンポがはやいように見受けられました。音楽劇だから余計になのかもしれませんが「情報過多で頭パンクしそう」ってなります。そう、それは遊戯王の映画を最初に見たときに「うん…うん?!」となったように(あれはカード説明がなるほどわからんだったのもあるけれど)

 

音楽についてはOvertureでアンサンブルが歌い、メインである主役二人が息づく様子が描かれています。白いパンツで上半身裸の彼らの姿が印象的。

 

重要なポイントを抑えるために、「セリフ」の上で消化されることが多く、個人的には非常にそれが「情報」として耳を通り過ぎていってしまうのが惜しいなと感じました。取捨て選択をしなければならないし、理解はできるのですが、物語として「この登場人物はこういうことを経験して、こういうことを考えて、ゆえにココにいる」という要素が「セリフ」で消化されてしまう。

 

全国大会に出るほどのキクの高跳び。ゆえの、ハシを探しに行くこと。ハシの持つ、キクへの劣等感、そして優越感のギャップ。彼らの「対比」というのは非常に不安定で、ハシの依存度が伺えるわけです。

ハシとキクは「きょうだい」であり「ふたご」であり、けれど「他人」です。同じコインロッカーで「不要」と言われた存在たち。そんな欠陥した要素を持ちながらいびつに相互を守り合ってきた関係というのは前述した「ハシがキクに依存している」ようで「キクがハシに依存しても居る」という読み解いていくと絡み合っている不可思議な状況です。なんだこの苦味。

 

母親である《和代》は女であると同時に母親で、彼らを愛そうとしていあわけで、そんな女が死んだときの「キク」と「ハシ」の表情の違いがあって、あの段階での「ハシ」の顔はどこの存在?とかいろんなことを見ていくと、掘り下げていくと人は人の悪意のためにさまざまな感情が渦巻く。

ストーリー軸で淡々と語っていくハシの言葉は「ハイライト」ではなく「言葉」だけで消化されていくからこその意味があるのかな、とも。そのことで、「受け止める側、飲み込む側である、生贄としてのハシ」の要素が強まっている気がしました。

 

原作を知っていたので終わり方は動揺があったんですが(確かそう終わったっけ…そうだったっけ…!と必死に頭の中で掘り起こしている)ただ、まぁ、違ったとしても、あの状況から考えて、「まぁそうなるだろう」という要素がありました。

だってどうやってもどうあがいてもポジティブ方向に転じることはし難い作品なので。メリバ*5とも取れなくはない。

ただ一方で何ともいえぬ消化不良があるのもまた事実。このへんは作品の好みだから何とも。私は「好き/嫌い」でいえば、この作品に触れるタイミングがそれこそ10代の中頃であったならおそらく違うものを感じていただろうし、ハシやキク、アネモネの目を通していたのでしょうが、今この年令になると少し俯瞰した、彼らのいう「神様なんていない」の状態の、上から眺めている状態を続けているのだろうなーなんて。

 

薄汚れた大人たちの目線、考え側にたつと、ニヴァ側でサイドストーリーとしてまとめていくと心がしんどい。

キクという人柄でいえば彼が脱獄計画をかけている中でのさっぱりとしたカットに「突然現れた人の心を読む男とは?」って首をかしげられてしまったのも事実です。

必要なシーンが多い。地続きの作品だから。それを2時間という形にするのは非常に困難であるなと改めて感じ入ったものでした。

 

誰に軸を寄せるのか、どこを見せたいのか。すべて原作通りなのか、それともアレンジを加えるのか。そのへんは演出家や脚本家の技量によると思いますし、今回この難しい作品をカットして、一つの骨格を作るということを改めて挑戦されている姿は凄いですよね。

 

では「原作を知っていけばいいのか」と言われると、何ともいえなくて、彼らの関係がそこで躍動して集約しているからこそカットされたのは仕方ないのかなという要素もあって。

軸そのものはまとめようとしているのが分かるだけに非常に評価が分かれるのではないかと思います。

 

芝居として

印象的だったのはMADEの二人。どちらがどちらという顔の判別がつけられていない状態の人間で申し訳ないのですが、二人が入れ代わり立ち代わり様々な役を演じているのが印象的でした。

静からいきなりの動になるタクシードライバーの芝居や、もがき苦しむ佇まい。どちらが誰で、誰が何をやっているのかを顔を知っていけばより楽しめるのですが、有る種この立ち代わり入れ替わりは今回のコインロッカー・ベイビーズにおいての「日替わりキャスト」で彼らは該当しないのだろうか、なんて私は思いました。可能なことなら彼らも二人の割り振りをこの時期まではこちら、こっちからはこれ、というので見られたら面白かったのではないかと。

 

また、シルビアさんの歌唱力が凄まじいと改めて痛感するとともに、細々としたやり取りが印象的でした。例えばDとハシが「おしゃれをしよう」としているとき横でハンガーを投げて受け取るという動作を繰り返しているニヴァのやり取りは「落ちないかな」というドキドキがある一方で、この「うつろの極み」「泡沫」「刹那的」な空間を演出しているパーツとして良かったと思います。

彼女の芝居をがっつりと見たことがあまりなかったため、こういったシリアスなキャラクターを演じ、息づくたびに胸ぐらをぐっと掴まれるような印象でした。

河合さんのハシとのセックスシーン(キスシーンだけどどう見てもである)は蠱惑的というよりもハシが「かわいい」要素が強く、手引きしている要素が強かったです。

それにしたってDなのかニヴァなのかハシなのかわからないけどファッションセンスが黄色のファーに紫というシーンは「それで町中歩いてたら奇抜すぎて半端ない」と思わなくもない。

 

アネモネに関しては発声がはっきりしていて言葉の聞き取りがしやすかったです。

以前のものでは写真で見る限り「ガリバー」というワニの存在がぬいぐるみで表現されていましたがカットされていましたね。まぁぬいぐるみで巨大なワニと言われてもなかなか想像しにくいのかな、とも。イマジネーションが重要ということで。

アネモネが言った「その子(ハシ)と私とどっちが大事なのよ!」という言葉は「あーあー」という典型キーワードで、激情的にさせるには十分な引き金であり、魂の寄り添いにそこに入り込めない図式として思うところがありました。そこのお芝居の”言い合い”が良かったです。もっと抵抗してもっとジタバタしても良かったかなとも。

 

さて、初日でしかも「初」であるハシ河合さんとキク橋本くんですが、「ことば」を「歌」にするって改めて難しいなと思いました。後ろが生音であるのもあるせいか「セリフ(=歌)」が何といっているのか理解するのが難しく、言葉が難しい作品でもあるため、テンポの速さに私がついていけず「ああ、ああーそういうことか」と納得したら次へ…が続くという(笑)

もう少し言葉がはっきりしていると理解するの楽かな~という印象。ニヴァの言葉がはっきりと伝わってしまうから余計に感じてしまった点なのかもしれないのですが、音楽劇なので「感情をせっかく言葉にしているなら、どんなふうに言葉になっているのか、こちらも読み解きたい」んですよね!!!また見に行ったときに「ああ、これはこう言っていたのか」ともっとストンと落ちていくといいな。

 

河合さんのハシは、河合さんが小柄ということもあり、「子どもで有り続けている要素」が非常に強く感じられました。いわばピーターパン的要素が強い。

学生時代にピリピリとしていたキクの横で人当たりのよいハシという描写を考えると、見た目で言えば確かにオラついている橋本くんより小柄でふわっとした要素を持った河合さんのハシのほうが「幼い」という意味では通じているなと。

どちらのほうが好みかと言われると現状まだ「ハシ河合」「キク橋本」での姿しか見ていないので一概には言えないのですが…。

ハシでいえば踊っているときの手付きが「ああ、ジャニーズの人の踊り方だなあ」という箇所がいくつかありました。手の出し方、足使い。すべてのジャニーズ事務所のアイドルを把握しているわけではありませんが、例えばダンサーさんや今回共演しているアンサンブルの人たちと同じフリをしたとしても、その手の止め方とかは河合さんが積み重ねてきているもので、そこにあるのは「河合さんの解釈したハシ」であるのだと思いました。

 

また、橋本くんの「キク」ですが、凶暴性の中で「女性に手を挙げない」(まぁアネモネとはもみ合っているシーンがありましたが)が印象的で(まぁお母さん撃ってるけど)、彼という「人となり」を知っていると「女に手を挙げるな」という言葉はしっくりきました。

ただそれって「私が橋本良亮を知っているから」で、そうじゃない人にどういうふうに捉えられるのかは別問題だと思います。

 

芝居をしていく中で「俳優そのものが透けてはいけない」作品であると今作については感じているので、ポイントとして山下リオさんが仰っていた「女性へのタッチの仕方の違い」がどう言うふうになるのか注視してみました。

キクとアネモネの濃密シーンについてですが、触り方がソフトだなと思いました。

冒頭に書いたとおり「根はいいやつ」であるが故なのか、橋本くんの女性への扱い方からなのかはわかりませんが、ベッドを挟んであれやこれやキャッキャしているときの表情やキスシーンはふわりというよりも砂糖菓子のダイレクトな甘さでした。

ニヴァとハシの段々と、の流れとの対比として若くて可愛いアネモネと荒々しいキクという意味では「帰結するポイント」「男女の営み」としてはハシもキクも同じであり根っこの部分は男と女である、することは同じである、というように解釈しました。

ニヴァとアネモネもまた対比的であり、ハシとキクも対比的。この作品における「対比」の中で”同じ生きているもの”としてのシーンとして橋本くんはキクを、河合さんはハシを演じて描いたのかな、と今回のシーンについて自分の中で考えました。

後は「舌出せ」というセリフが非常に甘ったるい言い方だったのが印象的。はちみつミルクみたいな言い方だったので、文字で追ったときと全く違う「キク」がそこにいて個人的にはギャップを楽しめたと思います。彼の中にあるキクはそういうふうにしゃべるのか~と(笑)

 

演出面で気づいたこと/考えたこと

アンサンブルの人々が白と黒をベースにした服を来ています。

胸部と股間を隠すような覆いをして、シンプルな出で立ちで有る姿を見て、真っ先に受けた印象は「羊」でした。前掛けをして居るときはおそらく間違いなく「生まれて来たのに死んでいく子供」だと思うのですが、私が受けた印象は赤子、よりも羊、が強い印象。

キクとハシは施設ではキリスト教の孤児院に入れられているわけで、イエスの教えを聞いているわけですよね。

羊って聖書で結構描写あるじゃん…とか見ながら思いだしました。

tell the sheep from the goats(善と悪を分ける)

 という言葉があるとおり、この2つは似て非なるものです。

どちらかといえば羊=善であること多い、一方で山羊は悪になる。スケープゴートという言葉があり、羊たちの沈黙という映画がありますし「迷える仔羊」という描写も有るわけで。山羊というと悪魔的なイメージが先に出てきます。多分「うみねこのなく頃に*6のせい。

羊=人という解釈でもいい。その中で、冒頭Overtureで「暑い」とうなり、踊る彼らは贄となった羊=コインロッカー・ベイビー(すでに死んだ新生児たち)なのだろうか、と思ったら、思えば重要な箇所で彼らは何度もバックにおり、踊っていたなという印象です。生まれる前に天に召された、誰かに必要ともされなかったというのは弱者の象徴でもあるし、げんなりもしますが心に刺さるものがあります。

また、アネモネのキクとの言葉におけるキーワードになった「あんた、死んでるの生きてるの、それとも死んだように生きてるの」というフレーズが非常にぐさりと刺さる。

それって現代社会にも言えることで。”壁”というキーワードが出てくる。咎人のための「あちら」と「こちら」を遮断するためのものなのか、異常者と正常者を遮断するものなのか、コインロッカーの外と内なのか。

この作品は比喩が非常に多く、「蝿を食べる」というところとか、「あいつは黒焦げになった」とか、いろんなポイントで「それどういう比喩でどこに答えがあるのだろう」と考えるわけです。

蝿って言われて「たかる存在」「不潔」「人に害をもたらす存在」の害虫としての描写なのかもしれないし、聖書的に言えば蝿=ベルゼブブに至るわけだから…「暴食」で「人を喰らう」ものなのか。

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(※女神転生にでてくるベルゼブブ)

 

それとも「蝿の王*7的な意味で「お前はもう狂っている」「狂った対象」として言葉にしたのか。

なんか書いていて自分も頭が痛くなるという状況です(笑)

 

黒焦げと言われて思いつくのはギリシャ神話のイカロス*8だし、あれだけちやほやされて作り上げられた仮初の「ハシ」は太陽に近づきすぎて羽を失ったのか、とか。

概念的な部分聖書的な部分を噛み砕いて解釈していくのか、それとも描写をイメージしていくのか、視覚的に見て、考察するのか、文字を自分の中で落とし込んで読み上げていくのか、で変わりそうな印象。

 

また、高い高い塔に閉じ込められて、真っ白な世界の中で、「精神病棟の中で」両手を押さえつけられて生きている彼の世界の見たもの、感じたもの考えるものは何なのだろう。思考回路をすでに狂った中で正気なのかもはや0なのか。

 

そもそもキクはハシに対しての「東京爆撃」について、どう考えているのか。巻き込まれることを考えていないのだろうか。あれだけ執着していたのに?

女子校の女子の友達かよってクラスで執着していたのに?(一部の話)

アネモネとの爆撃の際に読み勧めて「そこにハシがいても、彼にとってはもう不要なものなのかな」って思ったんですよね。

「お前を誰があんなにしたんだ、世界か」の下り。また、ハシを壊した世界を壊すけどそこにいるハシがいても「大切だったハシはもう壊れている」なのかなとか。

小説で「自閉症」と書かれるたびに私は「うるせええええ(怒)」とハンディを持った人たちと接することが多かったためか、今からこいつをこれからこいつを殴りにいこうかっていう気持ちになった類なんですが(突然のYAH YAH YAH)、 この舞台では彼らの内側に押し込めた部分は「自閉症」と言葉にはされていなかったのでホッとしました。

時代の「偏見」なのはわかっているし、その頃の言葉の描き方、メディアの扱いを考えたらそうなのだろうけれど。現代に変えたからといって「変えようのないもの」はそうなのかもしれないけれど、誤認が広がるのは正直自分の中ではモヤモヤしました。。床屋が整髪屋と描くのとはまた意味が違うんだよなあ…。

スチュワーデスがキャビン・アテンダントと書くのとはまたちがうというか。このへんは原作についてなので省略。

 

とにかく、「ハシ」についてのキクの認識が、なんか言いようのない。目的のために真っ直ぐ向かうための多少の犠牲はしょうがねえなのかなあとも思うし、もう自分の目的のために走り出した以上ハシは見えなくなってしまったのかな、とも。

それってエヴァンゲリオンのアスカがあんな状態になってカヲルくんを自分が殺してしまって、使徒が来た状態で皆から押し出されてしまってエヴァに乗ろうとするシンジくんみたい…と、つい思ってしまう。 

なんかこう…こう…全部見終わった後に頭の中でまっさきに流れるのが魂のルフランでした。割としんどい。

 

魂のルフラン

魂のルフラン

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どちらかというと、狂わされた側の人間が、《変わったのは自分たちだと気づかせない。変わったのは世界だと思わせる》といった言葉をひっくり返したのかなとも。

エヴァも終末思想的な部分もあるけれど、アニメにおいてはアスカとシンジが新世界のアダムとイヴ的なようにも見えるし(あれは全員ああなっているけれど。ダメな奴もいいやつもみんなああなったけれど。あれはあれでしんどい)

 

 

ある意味でエヴァの「みんな考えるな悩むなすべてを0に戻そう返そう*9」とコインロッカー・ベイビーズは真反対なところにいるわけで。

でも、崩れ行く世界という部分は共通しているわけで、自分で書いていてなんですが心が落ち込むばかりである。

 

何故「海だったのか」という問いかけを友人からもらったとき、海は結局すべてを包むものであり、「母」と称されるものだからかなと思います。

私に還りなさい生まれる前に、って魂のルフランにありますけれど、世界ができたとき、海があって、そこから生命の息吹がある。

母の胎内にいるときと、海って同じような揺蕩いともいうし。

女の子宮の中で芽生える命と海の中でうまれるプランクトンたちのいのちと。それらは同じくして「漂う」もので、だから母親というものを結局持たない彼らが生まれてすがるべき対象に拒否された彼らが海にいるのって、「母に抱かれる」のは「海」であってもいいわけで、その中で「彼らは踏み出している」なのかな。

その上での「まっさらな白い服」っていうのは、清廉潔白、何もかもが白に戻るっていう……エヴァで見たそれ。碇シンジくん白い状態で綾波に抱っこされてた。

また、海って「遮るものがなにもない」っていう象徴でもあるから、そういう意味でも「壁の打破」につながるのかな~とか。

誰かに遮られて押し込まれて「誰かに認められたい自分」じゃなくて自分になる、コインロッカーから這い出ろ、ってことなのかなあ。

 

なんか、こう、見ていて思ったのは、自分がおそらく非常に新世紀エヴァンゲリオンを見てセンセーショナルなあれで考えたせいなのか、基盤になるのかその点になっているのだなということ。

この時代の偏見と固定概念が渦巻いている部分がそれなりにある小説の中で(これを否定しているんじゃなくて、時代柄「そう」だった部分は絶対あるだろうって意味で)、これを今、やるっていうことへの意味を考えているわけです。

 

答えはなくていいし、あったら創作の意味がないと思うので、自分の中で手ぐすね引きながらいろんな知識盛り込んで「ああだったのかな」「ここの解釈はこれなのかな」っていうのが楽しいのかなと思います。

そんな話をしていて、かつてエヴァ好きの友達と破のときさんざんそれで言い合ったことを思い出しました。何だったら見終わってジョナサンで3時間会話してもう一度同じ映画館でエヴァみてもう一度同じジョナサンでああでもないこうでもないって言い合った思い出(笑)

 

この作品もそれと同じで「あの描写はこうなのだろうか」「いやこういう解釈なのだろうか」「やっぱりよく見たら気になるよね」「よっしゃもう一回見て考えてみよう」っていうものなのかな~とか。

単純に私がこねくり回すのが好きなだけかもしれないけれど、「答えがない」からこその答え探しって楽しい。

舞台の「コインロッカー・ベイビーズ

芝居の「コインロッカー・ベイビーズ

いろいろ感じるところは違うだろうし、正直私が小説で読み進めたコインロッカー・ベイビーズと演者の彼らとがきれいにマッチしていたかというと、小説というのはイマジネーションで、視覚化されないからこそ皆それぞれの心の中に「ハシ」「キク」「アネモネ」がいるのだと思います。

ゆえに、実写化するときに小説だと「え~~この人~~?なんかちがう~~」ってなりやすいんですよね。漫画とかアニメーションだともとより視覚化されていてビジュアライズされているからもっとイメージの乖離が激しくなる。

まぁそのへんも含めて、私は「最終的にこれはこれで、こういうものなのだろう」という解釈をして、今回の「ハシの河合郁人・キクの橋本良亮」の初演で抱いたイメージをベースにここから組み立てていけたらと考えています。

 

歌について

音楽劇なので当たり前なのですがレパートリーが多いなと思いました。

後はエレキギターを使ったロック方式なものが多く、暗転するときにギュイーンと音が大きくして変わる部分が多い印象。

歌で聞きたかったな~という部分は「ハシのライブシーンの曲」はせっかくだからいれてもらってもよかったかな~とは思う。音楽劇だし。それこそ歌の見せ場だから折角だし。もったいない。

後はアネモネの「ワニの国の曲」(タイトルはわからない)が、ヲタ芸をしているのが正直「アネモネ=アイドル」である描写が非常にカットされていたから驚いた。

全体における仄暗い部分が多いだけに明るさがあるのは面白いですね。

 

個別の楽曲として印象に残った曲は音を探している、というハシのところ。

やっと気づいたんだと穏やかに笑いながら行為に及ぶのは正直サイコパス的というか、崩れ落ちていく過程というか。もはや誰にも止められないのだろうなという。激情と狂気の孕み方が好きです。

 

カーテンコールと客席降り

正直、ゆえに、カーテンコールで2階にいったり客席に降りてファンに手をふるというのはどこか不思議な光景でした(笑)

高低差が激しすぎて「!?」となりました。

なんというか、お芝居を見に来ていたはずなのにいきなりライヴ的なものになったというか。いやでもここにいるのは「すべてをぶちまけた後のハシとキク」ととっていいのかな?とか。答えがわからないままリズムを取って唄う彼らを眺めていました。

「不思議な光景」でした。これに尽きる。

テニミュとかも客席降りはしているし、別段そこに対して何かを思うわけではないのですが、このカーテンコールと客席降りのお歌の意図って「エンディング」と取るのか(いやでもエンディングはすでにアネモネ、ハシ、キクの歌としてやっている)何と解釈したらいいのか大混乱でした。

2階にいったよ~という話を過去のものを調べたときに聞いていたのですが、私はてっきり「ハシのコンサートを行う描写として2階にいったのかな」とか「キクが脱獄する芝居の一つとして使ったのかな」とかいろいろ思っていただけに想定外でした。

あの瞬間はアイドルがいて、お芝居を私はみにきていた、ような?おや?みたいなジレンマが生じていました。そういう意味も含めてもう一度見て、どういうカーテンコールの中で彼らがどういう意図を持ってこの流れを入れたのかなとかを汲み取りたいと思います。

 

カーテンコールの最後、初日は橋本くんと河合さんが階段を登りながら背中を向けた状態でがっつりと高い位置で握手、ハグをしていきました。そのまま登りきる、というところで黄色い声が。

 

個人的には音楽劇でいろんな音楽を感情として見られるのもいいんですがストレートプレイでこれを「言葉の芝居」として演じていったらどうなるのだろう?という興味がわきました。

最後まで怪我なく無事に走りきってくれたらいいな、ということでこのへんで一旦筆を置きたいと思います。

とりあえずパンフレットは後日改めて購入するのでそこで知れることもあるだろうし、次回見たらまた印象が変わりそうだな、なんていう印象。そりゃあ何度か見てなって彼らもいうな~とか。

 

終わってからの疲弊感が半端ないので帰りにかき氷食べたいとずっといってましたとさ(笑)

 

そういえば脳内革命ガールという曲を作られた極悪Pがコインロッカーベイビーという曲を作っていたなあとふと思い出し聞いてしみじみしたのでご紹介。*10復帰したと聞いて。

コインロッカーベイビー

コインロッカーベイビー

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改めて色んな所でいろんな形で地続きで世界は続いているなと思うばかり。

 

これからWキャストの二人に期待すること

正直「再演」とはいえ主演二人が前回とは逆の登場人物で演じているのでほぼ「初演」に等しいと思います。手探り感は否めない。

それこそ歌唱表現がそれぞれの「ハシ/キク」で違うだろうし、言葉が同じでも「声音」「表情」で大きく異なってくる。

だからこそ彼らは己の中にいるハシやキクと対話し、お前は何を考えているのだろう何を見ているのだろうと段々と憑依させていくのかなと。

 

彼らが「憑依型」の芝居をするのか(私は橋本くんはやっていくに連れてどんどんとキャラクターを吸収していくタイプだと思います)

それとも考えて考えて作り上げられるタイプの「構成型」で作っていくのかはわかりませんが、もっとブラッシュアップできるしまだやれるだろう、って思います。

 

同じ登場人物でも違うからこその楽しみ方はたくさんあって、初日を迎えるというのは有る種のベースラインに経っているのだと思います。ここから同じ舞台を何度も何度も繰り返していくうちに見えてくるものはあるだろうし、自分の中で「これはこうしたほうがいい」となったり「俺の中のキク/ハシはこうやって怒鳴る」と組み立てるかもしれない。

 

橋本くんのキクはヤンキーというか、口数が少ないがゆえに誤解を生じさせるタイプの印象を受けます。

河合くんのハシはナチュラルで、ピュアさが強い。ギフトをもらったタイプの「ハシ」の要素が強いように感じられました。

ニヴァへの接し方、アネモネの接し方が例えばセクシャルな部分、もしくは傷つける部分でどう「変わる」のかが興味深いです。

また、Dという存在に依存し執着し「誰かに捨てられる」ことを拒むハシの縋り方も同じキャラクターでも彼ら二人の「Dにすがるハシ」は彼らの個性は出るでしょうし。そういったものを考えるとWキャスト/日替わりが面白いと感じられる作品になるのではないでしょうか。

まぁキャストからすると「Wキャスト?ざけんなよ俺が@@だ!!」って思うっていいますけれど(いつぞやに井上芳雄くんがWキャストされるとね!!比較されるからね!!と言っていたのは記憶にあります)。

見る側としてはその違いが楽しいと思うし、Wキャストになったときの「他のキャスト」がどうやって変化をもたらすのか、アネモネは同じ「キク」を好きになったとしても接し方が違う彼らの微々たる部分を感じ取って山下リオという女性はどのように演じるのか、というのが興味深いです。

橋本キクとのやり取りは渋谷および六本木あたりでキャッキャしている頭弱いバカップルみたいな感じにも見られる(言い方があれで大変申し訳無いけど、これはこれで褒めているつもり)ものがあったけれど、じゃあ河合キクとなったときそれはどう変化するのだろう。もともとキクは田舎の少年ですから、そこから精錬された都会のアネモネとのイチャつきというポイントをベースで考えると「どうする?どうなる?」っていう興味があります。これは芝居の中身というよりも「演者の表現」の話に近いのであれですが(笑)

ニヴァはすでに橋本くんのハシでやっていますが、手引きをされた流れに沿っていたのにそこから打って変わって豹変していく過程での橋本くんの表情が興味深い。

 

狂気をはらんでいくところ、絶望していく所、たくさんの人々とか変わっていくところの細やかな変化。

どんな風に違って、どういうところは同じなのか。そういったものを見られたら、幸いです。

 

追記/橋本くんの誕生日併せて0715昼夜観劇

橋本くんのお誕生日(0715)のマチネ/ソワレに入ってきて、合わせて自分の考えを踏まえながら見てきました。

まず冒頭、ROLLY氏とシルビア氏もコインロッカーに捨てられた「こども」としてのOverture、ROLLY氏の髪型がやっぱり「羊」ぽさを感じるとともに子どもであり、赤子であり、「パパに」「ママに」「神様に」捨てられたというフレーズ。

”神様に捨てられた仔羊””親に捨てられた子”は同義語なのだと思うと心がしんど~~って思いました。

 

また、ハシに対しての認識はやはり「河合郁人氏の演じるハシ=おさない」という感じ。良くも悪くも無垢。ピュア。「自分は母親に会いたいから、キクのお母さんがいて、キクはお母さんん会える、なら会わせてあげたい、嬉しくなってほしい」というかんじの衝動。

キクは目に見えての表に出ての破壊衝動だけれど、もともと内側に入っていくハシの対比は原作で描かれていた「コインロッカーからの脱出の仕方」の比較からの成長も踏まえてだろうか。駆け足であったので「和代」「ミルク」「島」「全国大会、高跳び」という細かいところが読んでいないとわからない部分が多く、そういう意味でフォローがあったら良いのだけれどな~とも思ったり。

いわゆる2.5次元の「原作知ってて当たり前」のヴィジュアルを作品に寄せて作っていくというものでは今作は違うという認識なので(それはそれで私は好き)、だからこそ「舞台だけを見て、どういう状況で、どうするのか、ここの間の謎が腑に落ちないということがない状態であってほしいかな」という印象。

また、アネモネとサチコの電話の下りがあるなら、もう少しキクがアネモネをどうして好きになったのか、の「部屋にきた下り」とか、和代が彼らとの日常的に会話していたこと、もしくは「ミルクとは何か」を入れてほしかったかなあとは思う。結局サチコって誰?アネモネって女優でいいの?アイドルなの?と聞かれてしまったのは作品としてもったいないな~って思いました。

 

キクは外側への破壊衝動、悪いのは俺ではなく世界だであり、ハシは「僕が悪い」というような内側に込めての爆発してしまうケースだと思うので最終的に壊れてしまったハシが猟奇的に瞳孔を開き、嬉々とし「やっぱりそうだったんだぁ~~」というぴょんぴょん跳ねるシーンが印象的。

黄色いファーをまたいでまでジャンプしていた15昼の河合さんの「ああもうどうしようもない、こいつには何もしてやれない」という橋本くんのキクが受ける絶望感みたいなのが対比として良いなと思いました。

 

橋本くんの慟哭は昨年DEATHTRAPで拝見していますし、サイコパスというか「頭がいいゆえのいってる感じ」のお芝居から今作の限りなく本人に寄せたような「優しい/ぶっきらぼうの同居」であるキクは新鮮で、なんてことのないフレーズの芝居が好きだなと思いました。例えばアネモネのワニの国のシーンで、アネモネが歌い、アンサンブルがヲタ芸をしているときに微妙に手拍子というか、リズムを取っている所とか。

割と「喜怒哀楽」という4分割された感情の中で私が見た3つの「キク」の中でコーヒーカップのシーンで「うん」と言った後に視線があう二人と、終盤のニヴァを殺害すると嬉々として言うときの彼らのアイコンタクトの温度差。

また、2幕冒頭の背中だけで話しているシーンは「哀愁」「悲壮感」よりも「うつろ」という言葉が非常に似合う状態でした。空っぽ。なにもない。

だからそこからアネモネと対峙しダチュラを取りに行く過程で「お前…お前どこで復帰したん………」と思わなくもないんですけれど(笑)そういう意味で死んだ魚のような目をしてアネモネに振り返るところ。まぁそこからアネモネの「殺してあげる」の死んだように生きているならのくだりからのキクハシアネモネのトリオの2幕の表題曲といっていい曲での復帰なようにも見えましたが。個人的にはあそこ好きです。生気が灯るまでの流れというか。

 

キクは母親を恨むよりも「その母親を産んだ世界を恨む」なんですよね。

その目で「殺しなさい」といった言葉で、教えられなかったすべてを教えようとした。その下りが小説であって、ダチュラダチュラ、と「世界に対して」「すべてを壊そう」とするというある意味もうお前も究極突き詰めてやべえよっていうのが見えるのが興味深いです。

狂っているのは「ハシ」だけではないんですよね。

だって東京は犯罪者が統治する世界とハシはいっているわけで。ハシはある意味狂っている中で非常に静観している部分もある。

 

そういやハシは自身をホモ(原文ママ)と称していますが、「ホモ」とは何かと考えるのです。同性愛者、といいますが、別にハシは「ホモ」ではないように私は思いました。「そうである自分を求められている」からそう演じて、その結果「そうやって陥っていく、錯覚していく」なのかなと。

ニヴァに対しての感情は母親への思慕、憧憬、また、彼女の胸がないからこその「自分を捨てないかも知れない」という安堵感か…。

またエヴァの話かって話なんですけれど、キクはシンジくんでありアスカのようで。ハシもアスカ要素あるけれど。「ママ、そこにいたのね」の嬉々とした発言を思い出して、かつラストの「真っ白」「海」という描写がもう…あの……エヴァじゃん……パシャった後の「おめでとう」って言われたいシンジくん状況…。

 

アネモネへの印象なのですが、何ともいえぬゲームのお助けキャラクター要素が強く、作中における「アネモネ→キク」は見えるのですが(自分の窮地を救ってくれた、ぶっきらぼうな男の子。でも根っこは優しい)逆が今作の舞台では薄く感じられて、今のままのあのエンディングでは下手するとメリーバッドエンドのこの現状から「ハシのことで闇落ちしてキクにその結果そうならない??大丈夫??新世界のアダムとイヴになれる??リリスもしくはリリンとして戻らないか……?とかぐるぐるとしていました

アネモネを見ていると「女もそうさーーー見てるだけじゃはじまらなーーーーい」っていうdoaの「英雄」を思い出します。

英雄

英雄

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 doaはいいぞ(真顔)

 

後はDのハシとニヴァ/キクとアネモネのキスシーンからのベッドシーンのとき、キクとアネモネがいちゃついたベッドをそのままニヴァとハシが使う流れのときDが黙々と清掃しているのが面白かったです。

芸が細かい。きれいにシーツ直して、枕叩いて、脱ぎ捨てたキクのシャツを拾って「クッッサ!!!!」って顔してて(でも持ち帰る)全部整った上でニヴァ・ハシに「どうぞ」と差し出す工程が非常に興味深い。

あのシーンっておそらくこの舞台を観劇する人が橋本くんや河合さんを見に来る人が多い中で、ちょっとした「視線をそらしたくなるタイプ」の人への優しさでありコミカルなところでもあり、といういろんな箇所が見られると思います。

Dは茶目っ気がある&それはそれで狂っているけれど打算的部分も含めて非常に「現代的な人」でもあると思うので(やり方が気に食わない部分もあるけれど、感情論を抜けば実にそのとおりと思える正論も口にしている)、こういうところを見るとDって面白いな、って思いました。憎まれ役になりがちですが、ROLLY氏の表現で「嫌なところもあるが嫌いにはなりきれない」というか。

 

シルビア・グラブさんに関しては柔らかさとたおやかさが揃っている状態で見守っている姿が慈愛のようで、「母」であり「妻」でありのジレンマがそこにありました。多分ニヴァから見た世界とハシ、キクから見た世界って全く違いそうだ。

 

15日のマチネカーテンコールでは橋本くんのお誕生日が祝われケーキが運ばれてきました。なお、アネモネ山下リオさん)がパーンと盛大にクラッカーやった結果ケーキが大惨事。どんまい。

 

また、お花について「なんで紫と黄色なの?赤じゃないの?」と尋ねる橋本くんに河合さんが「A.B.C-Zのね、目立ちたがり屋だから」っていうお話でした。そしてそれを見守るピンク。

外部のお芝居ですが、メンバーが二人もいるためなのかA.B.C-Zの話題が豊富でした。

お花を見ていると確かに紫、黄色、青、ピンクで包まれていました。仕様なのかどうかはわかりませんが、「グループ」としての祝も兼ねているのかなという印象。

25歳の抱負は「ありません」。ということでした、正直あってほしいので追加してくれ…頼む…!

また、「笑いの絶えない一年にしたい」というお話をしており、「2525の笑いを」と言った瞬間のアンサンブル、ほか出演者の「( ゚д゚)…?」という顔が印象的でした。

「考えるな考えるな」とツッコミ入れていましたが、ニコニコ動画に常駐していた時期があった人間としては「ニコニコってことだよね…にーこにこどーがー…ドワンゴが…午前0時ぐらいをお知らせします…」と思わず頭をよぎりました。

笑いの絶えない、というのは苦しいことも有るだろうし悲しいことも有るだろうしだけど僕らはくじけない泣くのは嫌だ笑っちゃおう進め!なひょっこりひょうたん島的なお考えということでよろしいか。よろしいね??(真顔)

 

昨年、2017年7月15日の目標として「日本語、うまくなる」ということを豪語しておりましたがその後進捗はどうなのだろうとか思うところはありますが(できれば聞かせてもらえると嬉しい)、それでも「笑いの絶えない一年」のために、じゃあどうやったら笑いが絶えなくなるのか、笑いのためにどうするのか、を、考え積み重ねていってもらいたいなと思います。

最後はケーキ指で食べて「めっちゃうめえ」と2度ほど食べ、最終的に河合さんに一口あげていました。会場が湧いていてすごかった(笑)

 

夜の部では個人的なことで、自分で言うのも何ですが~といいかけたのを河合さんにお誕生日おめでとーーーー!!と遮られていました。

和気あいあいとしている彼らの姿が印象的だったのと、内容的に考える中身だからこそカーテンコールで朗らかなものを見られるとちょっとしたヒメアノ~ル見た後に朗らかな森田剛さん見て心がなんだか安心するような、そんなかんじを思いました。

最後まで走ってもらいたいところです。怪我なく、全力で。

*1: ”捜査関係者によると、戸川容疑者は当初、「(女児が)産声を上げたので殺害した」と供述。その後の調べでは、動機について黙秘しているという。戸川容疑者は昨年1月ごろから、同じ漫画喫茶の個室に滞在。今年1月下旬に女児を出産して殺害後、遺体をポリ袋にくるみ、スーツケースに入れて2月28日にロッカーに遺棄したとみられる。” …乳児殺害容疑で母親を再逮捕 新宿のコインロッカー遺体 - 産経ニュース

*2:昆夏美×シルビア・グラブ×木村信司が語る「コインロッカー・ベイビーズ」~熱い思いで赤坂ACTシアターを埋め尽くしたい | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

*3:BLEACHの登場人物

*4:ちなみに女性だと「ファム・ファタール

*5:メリーバッドエンド

*6:山羊の頭かぶった連中がでてきます

*7:孤島に漂着した少年達が集団狂気に陥る姿を描いた小説

*8:ギリシャ神話 イカロス

*9:Komm,susser Tod/甘き死よ、来たれの歌詞を和訳するとそんなかんじのこといってる。

*10:コインロッカーベイビー - 初音ミク Wiki - アットウィキ

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