「村山聖」という男について、どのぐらい知っているかと聞かれると当時一大を風靡する勢いで将棋ブームになったそうで。残念ながら当時のことを私はよくしらなかったりします。
逆に、羽生善治という人をどこまで知っているか、と聞かれた90年代の小学生としていきた人にとっては大分おなじみ公文式のCMを担当されていた”将棋のすごい人”な印象なわけで。羽生という文字を見て「はにゅう」と取るか「はぶ」と取るかの違いみたいなのは面白いなあと最近思うわけです。
ということで、この二人の男性の生き様、とくに村山聖という人について触れたのが今作「聖の青春」です。
予告編の頃から「ウオオオ絶対見る!!絶対見るんだ!!!」と将棋部出身の友人におすすめされており、その結果本を貸してもらい読破し「村山聖ってすごいひとだったんだなあ」とつくづく思い、胸弾ませてこの映画を見てきました。
ニコニコ動画などで最近特集組まれたりもしていて気になっていたのですが調べれば調べるほどふかくハマっていくお話でした。
結論だけ言います。
今年見た映画の中で自分は一番好きかもしれない、といいたくなる映画でした。ぜひ見てもらいたい気持ちでいっぱいです。
ということで、以下つらつらといつものように感想を。
あらすじ
公式があらすじページもご丁寧に出しています。さすが角川映画。
1994年、大阪。路上に倒れていたひとりの青年が、通りかかった男の手を借りて関西将棋会館の対局室に向かっていく――。
現在七段、“西の怪童”と呼ばれる新世代のプロ棋士だ。
聖は幼少時より「ネフローゼ」という腎臓の難病を患っており、無理のきかない自らの重い身体と闘いながら、将棋界最高峰のタイトル「名人」を目指して快進撃を続けてきた。
そんな聖の前に立ちはだかったのは、将棋界に旋風を巻き起こしていた同世代の天才棋士・羽生善治(東出昌大)。すでに新名人となっていた羽生との初めての対局で、聖は必死に食らいついたものの、結局負かされてしまう。
「先生。僕、東京行きます」
どうしても羽生の側で将棋を指したいと思った聖は上京を希望し、相談を持ちかける。先生とは「冴えんなあ」が口癖の師匠・森信雄(リリー・フランキー)だ。聖は15歳の頃から森に弟子入りし、自分の存在を柔らかく受け入れてくれる師匠を親同然に慕っていた。
体調に問題を抱える聖の上京を家族や仲間は反対したが、将棋に人生の全てを懸けてきた聖を心底理解している森は、彼の背中を押した。
東京――。髪や爪は伸び放題、本やCDやゴミ袋で足の踏み場もなく散らかったアパートの部屋。酒を飲むと先輩連中にも食ってかかる聖に皆は呆れるが、同時にその強烈な個性と純粋さに魅了され、いつしか聖の周りには彼の情熱を支えてくれる仲間たちが集まっていた。その頃、羽生善治が前人未到のタイトル七冠を達成する。
聖はさらに強く羽生を意識し、ライバルでありながら憧れの想いも抱く。
そして一層将棋に没頭し、並み居る上位の先輩棋士たちを下して、いよいよ羽生を射程圏内に収めるようになる。
そんな折、聖の身体に癌が見つかった。
「このまま将棋を指し続けると死ぬ」と医者は忠告。しかし聖は聞き入れず、将棋を指し続けると決意。もう少しで名人への夢に手が届くところまで来ながら、彼の命の期限は刻一刻と迫っていた…。
(公式ホームページより)
原作は実際に村山聖氏とかかわり合いがあった大崎善生氏の作品。
非常に丁寧に書かれた文章で、とてもすんなりと読めます。
彼の周りに居た人、家族、友人、仲間たちからたくさんのことを聞いてフィールドワークしたのがわかる作品です。
また、今作については映画の内容は村山聖氏の最後の4年間を描いているのに対して原作だと幼少の頃から死去に至るまでのことを描かれているお話です。
将棋について全く詳しくなかったので「どういう状況なのだろう」というのを調べていかないといけない部分もあるのですが(私が本当に知識がないのもある)それでも触ってよかったと思える作品でした。
キャスト・スタッフ
監督:森義隆(『ひゃくはち』、『宇宙兄弟』)
脚本:向井康介(『リンダリンダリンダ』、『ピース オブ ケイク』)
人の心の動き、一生懸命に生きる姿を描くのがお上手な森監督と、的確にピンポイントをつく向井氏の脚本による本作。
森信雄(聖の師匠) - リリー・フランキー
聖の母・トミ子 - 竹下景子
弟弟子・江川貢 - 染谷将太
病床の村山をサポートするプロ棋士・橘正一郎(モデルは滝誠一郎) - 安田顕
東京にきた聖と交流するプロ棋士・荒崎学(モデルは先崎学) - 柄本時生
聖の父・伸一 - 北見敏之
「東京の師匠」として村山を支える将棋連盟の職員・将棋雑誌編集長・橋口(モデルは原作者の大崎自身) - 筒井道隆
細かいお名前が変わっている理由は分かりませんが(先崎さんは3月のライオンの監修もしているから気を使ったのかな、とも思いましたが…)実在する方は「さん」、作中登場人物については呼び捨てでこのブログでは統一したいと思います。
そういえばこの作品の原作は昔ドラマになったこともあるそうで、そのときの主演は藤原竜也くんでつい先日DEATH NOTEを見てきた身としては随分となんだか「おお…」とそわそわするものがありました(笑)
感想
ストーリーの感想
非常にシンプルです。非常にシンプルだけどそこに男臭さと泥臭さと「生きたい」という渇望とさらに凌駕する「勝ちたい」という気持ちを全身剥き出しにして作られた作品だと思います。
もう端的に端的に言えば「そういう棋士がいました、生涯のライバルがいました、戦いました、彼は最終的に死にます」ということだけなのかもしれません。
でも、そうじゃなくて、「村山聖」という男がどういう生き方をしてどういう考えを持ってどういう風に沢山の人達と接して考えて呼吸して、どうやって羽生善治という男と顔を突き合わせたのか、というのを事実に基づきながら脚色を加えて繊細なタッチで描いていきます。
村山聖という男の人について
5歳のときにネフローゼという病気にあい、生涯付き合っていかなければならない立ち位置なわけです。
この病気を調べていったら「蛋白が尿へ排出することで蛋白の濃度が減少、浸透圧のバランスが崩れる」ということで、どういうことかと掘り下げていくと「顔、手足がむく、蛋白質が不足すると体を守る免疫細胞の供給が減少し抵抗力が低下、発熱しやすくなる。治療が遅れると肺水腫で呼吸困難に陥り死亡することがある」ともあります。
まとめると
1.顔 手足がむくむ
2,体の免疫力が低下するので、疲れやすく病気にかかりやすい・熱もだしやすくなる
また、作中では「どうしてこんなになるまで放っておいたんですか」と言われており、大分進行してしまっている状態です。
原作では出てきますが、当時の村山氏は周囲の同室の子たちが「明日いない」ということも多く経験していたらしく(それは決してプラスの意味ではなくて)そこで生死についてのことを他の人より間近に考えるものがあったのではないかなと思いました。
そんな彼に父親が持ってきてくれた将棋盤との出会いから、変化が訪れます。最初は病院の子たちと将棋をはじめて、3連敗をして、そこから「もう一回じゃ」「もう一回」を積み重ねて、後には「怪童」とまで呼ばれるほどで。
17歳のときにプロ棋士になった彼の人生を思うと、棋譜を読み漁りたくさんのことを知っていたのだと思います。
一方で漫画をたくさん読んでいて、そこがチャーミングな方だったんだなと思いました。特に映画では「イタズラなKiss」(通称イタキス)がお気に入りとされていました。
イタズラなKissといえば今度こっちもこっちで映画化しますね。
どんな話か気になる方は映画→映画で合わせて映画見てみてもいいんじゃないでしょうか。完全なる少女漫画です。
とにかくこの村山、こだわりがめっちゃくちゃあって。部屋は汚いというかずらりと本が並ぶしダンボールだらけだし頓着しないように見せかけて部屋選びは「なんでそこを選ぶんだ」って少女趣味で「ないわー」と周りに言われるし(結果的にそれを貫く流れも非常にコミカルだったけど)病気のことありつつも普通に酒飲んでるし・ご飯もがっつりしたやつ食べているので面白いです。
たいへんチャーミング。それも含めての「村山」だから、いいんだよ、っていう意味で自然体な感じがしました。
そんな彼が、「生」よりも「勝利」に渇望し続けたわけですが、彼は決して孤独ではなかったのが救いなのだと思います。
広島、大阪、東京。3つの場所で物語は進行していきます。広島には両親がいて、大阪には師匠がいて弟弟子がいて、いきつけの古本屋には可愛い子がいて。東京にいくに至ったのは他の誰でもない彼が「勝ちたい」と思いつつづけた羽生善治という男がいて、同じように将棋を指して戦う人たちが居て、決して彼は「ひとり」じゃなかったんだろうなと思うんですよね。
それは、本作においてでもそうですし、この作品だけではなく本来の村山さんから垣間見れる部分も多くあります。
クローズアップ現代では下記のように紹介。
読めば読むほど奥深い人間であり、だからこそこのように作品が作られていくのだろうなと思います。
彼について松山ケンイチ氏は以下のように語っています。
(公式インタビューより)
「混じり気がない純粋さ。
そういうのを村山さんに感じる。
自分が本気になれないで、がむしゃらに動いている人を馬鹿にしているような人は、ぶん殴られるような。
男として格好いい。それに尽きますね」(――クローズアップ現代参照)
ただ村山さんを演じているうちに実感したのは「いつか人は死ぬ。限りある命であれば、それをどう使い切るのかが大事」ということ。村山さんは病に人生を左右されない。すべてに妥協せず、正直に生きた。他人に意見されたくない、という村山さんの頑固さも僕は好き。自分の人生をきっちり使い切ったような生き方がすごく格好よく、きれいだと思った。今回の映画で改めて「生きる」ということを考えていただければと思う。
また彼のライバルである羽生善治を演じた東出昌大氏はこのようにコメント
「人生のすべてを何かに懸けるって、すごい難しいことだと思うし、奇跡のようなことだと思う。
映画の中で、本物の村山さんの遺品の将棋の駒が出てくる。
プラスチックの駒なんですけど、ずっと触り続けていたから角がすっかり丸くなって。
お芝居でもテレビ制作のディレクターでもいいと思うんですけど、命を削ってやれる人がどれだけいるのか、そんな言葉で説明できるほど、簡単じゃない覚悟があると思う。」
映画でも彼の将棋は「野性味溢れている」などと言われていましたが、本当に作品に触れている印象としては純粋、頑固、まっすぐ、己の道を貫く、という難しさをそれでもやり遂げた人なのだなあと感じました。
泣かせようとして泣かせに来ているのではない
この作品において、「人が死ぬ」から感動するというものと誤解されやすいのですが、決してそうではないです。
村山は、弟弟子がプロを目指せない上限のとき、彼が夢を諦めかけるその直前「人はいつか死にます」と非常にシビアな、けれど現実的な一言を放ちます。
そして結果としてはご覧の通り、というわけなわけですが。
こういう点について「落ち込んでる中に傷口に塩塗らなくても」とも思うのですが前述したとおり、たくさんの死を感じて、常に隣り合わせであった彼が言えることなのかなと思います。やめていく奴に「お前は負け犬だ」といい、「第二の人生なんてない」という突っぱねるシーン、あれは心ををえぐるものがありました。
言われている側は図星つかれた気持ちになるし、たまったもんじゃないし、そもそも立場は弟弟子だし兄弟子の彼が脚光浴びるたびに「キミも頑張れ」と散々言われてコンプレックスとで悩んだであろうに、とかいろいろなことを思いますが。
それでも、当たり前のことながら、それが「勝負の世界」なのだな、というのを突きつけられた気がしました。
「ぼくは名人になるんだ」「時間がないんだ」という言葉が何度も出てくるのですが其のたびに本当にうるっときて、うっかり泣くのですが、これは「命が限られているから泣いている」のではなくて「必死こいて魂削ってでも何かをしようとしているから」泣いているのだと自己判断しています。
華やかでもアクロバットでもない、静かながら緊迫した魂の凌ぎ合い
この作品において欠かせないのは「将棋」を題材にした作品であるので「対局」のシーンです。
冒頭シーン、大阪のおじさんが村山を助けて彼を将棋会館に運び、しん、とした部屋に彼を連れて行きます。そのあとにB級以下の人々の対局を見ます。
たくさんの向かい合う人たち。たくさんの時計(持ち時間をストップさせる特殊なものです)、たくさんの一手、たくさんの音。そこで彼は「あの兄ちゃん、何者や」という言葉を放ちますが、それぐらい「音」「空気」は違うものなのだと思います。
映画の中で、一つ一つ、将棋を指すシーンがあります。
一つ一つ、それぞれの人間の将棋の指し方には個性があり、それでもたいへん力強いものを感じました。
以前映画の「バクマン。」について、神木隆之介君が小畑健氏のペン入れの音をひたすら録音してそれを聞き再現する、というプロフェッショナルに佐藤健君がドン引きする話があったんですが(もともと神木隆之介くんもたいそう漫画がすきだそうで)そういうのがこの映画の中でもあったらしく、一人ひとり、将棋を指すピシッとした音が印象的でした。
また心の動きに合わせての一手の動き、音、が非常に出ていてわかるなあと思います。
一番最後、例の対局。例の一手。完全に「からん」という虚しい音が非常に悲しく、それでいて痛ましく。
その一手であっけなく終わっていくことに対しての二人の表情が胸をつまされるし、その直前までの会話のない対話がとても美しいながらも削り合っていく姿として美しい、楽しい「仲ええ将棋しはるわ」と思わせるだけに、あんなに一手の音で変わるのか、と感じるばかりでした。
また、将棋を打つときにぐるぐるカメラワークが動くのではなく、ただ単調に、静かに、BGMも派手ではなく落ち着いたものだったからこその緊迫感みたいなのがあったと思います。
特に最後の、羽生との一局はノーカットで2時間撮影しており、見ているこっちが「うえええ緊張感で吐きそう」みたいな気分になる。
ドキュメンタリーっぽい映画として作ろうとしてるのがわかるからこそ、こういう映画にしたのだろうなあっていうのを感じます。
また、音に関して言えば広島で村山が将棋を黙々と打つとき。
あのとき、既に彼はどんな状態だったのかを考えるともう息もつまされるわけで、どちらかといえば母親目線でミてしまうわけですが、思わず嗚咽が走るしもうやめて、って取り上げたい母親の気持ちもわかるながら、父親が制止するのもよいなと思います。
彼はもうとっくに選んでいて、その道を邪魔できなくて、だけど寂しくて辛くて苦しくていろんなものがぐるぐるしている、というのに、村山の将棋の音ははっきりと、混じりけもなくパチン、と鳴り響いている。美しいほどに。
壮大なまでの男と男のラブストーリー
実際にどういう人達でどういうことを考えていてどういう流れだったのかということを知っている人たちには「似てないよ」という言葉があるかもしれません。
時代柄、羽生さんを名前だけでも知っていて「あのひとトンデモナイ人だよ!!」と見て聞いて「羽生さんやってるから公文やりたい」って公文式に入った私にとっては非常に東出くんの羽生善治という人への入り込み方といったら半端なかったです。
「は?!めっちゃくちゃ似てる」ってびっくりしました。眼鏡の姿もそうなのですが対局のCM時にびっくりするぐらいに似ていたと思います。
羽生善治という男を演じるにあたって下記のように東出くんは語っていました。
「モノマネであってはいけない。監督からは『芝居をするな』『精神性を勉強してこい』と言われました」
確かにモノマネではなく、そのものであるのに作中の羽生は羽生さんではなかったけれど(勝負師として「この台詞は多分言わない」という部分があったと映画論でも言われていますし、東出くん自身もコメントしています)でも、それも含めて作品の一つとして大きな流れとして見たときにとても美しく、あの二人の関係は美しいなあと思いました。
「食堂で二人で語り合うシーンは、デートみたいなものです(笑)こういう男と男のラブストーリーもあるんだなと思いました。」
(パンフレットより 松山ケンイチ氏のコメント)
公式で、「羽生善治がこの作品におけるヒロイン」という言葉があがっており、また同時にラブストーリーとも称されています。
で、まぁその言い方って良くも悪くも腐女子歓喜なやつだなあ…と少し「公式の売り方そういうのどうなのかなあ」とあまり得意ではない自分は当初思っていたのですが、見終わったときに「ああそうだな、ラブストーリーだな」となんというかストンと納得しました。
村山と羽生の二人の関係は魂の凌ぎ合いをして、一手一手を編み出していく中でお互いを見つけ出した戦友であり仲間でありライバルであり、けれど同志みたいなものがあり、ソウルメイトなのかな、と思います。
それが対局から食堂、対局、と続いていくのだなあと思うともう胸がぎゅうと締め付けられるわけで。
羽生さんを追いかけて追いかけている村山と、「時々戻ってこれないんではないかと不安になる」というぐらい一人で海の中に潜っていく羽生と、「お互いでならそこにいける気がする」「そこではどんなものが見れるのだろう」という話をしあう姿はただひたすら綺麗でした。
よこしまなものが何一つとしてはいらない、混じりけなしの世界だと思います。
対局のとき、昼間、静かに猫がいるところを窓越しに二人で見る。
会話なんてないけれど、そこに不思議と朗らかな気持ちが僅かにでもあるのだろうなあというか、真剣勝負のなかに、どこか楽しさがあって「この人と今やりあっている」みたいなものがあるように感じられました。
食堂の羽生の「私は今日、あなたに負けて、死にたいほど悔しい」は、彼が彼として向き合った時の言葉で、敬意を払ってきた村山にとってようやく向かい合った存在として「ああ同じなんだな」と感じたからこそのあのシーンに至ったのかなあとか、そんなことを思います。
好きなものも趣味もあまりにも違うし考え方も違う羽生と村山ですが「違うけれど、近い何かがある」というのがこの二人の、「将棋を通して分かり合える何かがある」というのが、素敵なのだと思うのです。しかし羽生の口から「イタキス?」って言われたのはちょっと笑いました。
実際に羽生さんと村山さんはお話されたということなんですがどういう話しされたんでしょうね。
なんだろう、「友愛」「敬愛」「ライバル」「心友」「仲間」「戦友」色んな言葉が似合うのでしょうけれど、彼らは間違いなく近い場所に居てお互いに感じ合えるものがあったのだと思います。
父と息子、母と息子、師匠と弟子
この作品における「他の人達とのコミュニケーション」だなと思います。
師弟関係はまぁびっくりするぐらい原作とか実際のお話し聞いているとべったりというか仲良しというかが出てくるのですが、今回は4年間の最後のお話を中心に描いているため、師弟関係はあんまり描かれていませんでした(仕方ないとは言えちょっと残念です)でもリリー・フランキーと松山ケンイチの食えないというか師弟何だけど兄弟みたいなフランクさがあって、そこの関係はとても楽しくて素敵だなと思いました。
知り合いでもなく、親でもなく。けれどほっとけない。
リリー・フランキーさんいわく「過剰なまでに愛情を注ぐ人」がもとの彼だそうですが・・・冒頭の村山のために話を伸ばそうとするところとか、金に執着しない彼が「こんなもの生きている人間には必要かもしれないけれどボクにはいらない」と破り捨てるところもなだめたりだとか、こう……たくさんのところで、彼の優しさというか、弟子に対する愛情が見えたと思います。
また、母親との関係について。
原作では非常に癇癪持ちであった頃のことが細やかに書かれていて、その描写がちょっと尋常じゃないってレベルで(お母さん精神的にこりゃきつかったろうなと思う描写でした)したが、ずっとお母さん負い目を感じていたのだろうなというのが竹下景子さんの芝居でよけいにはっきりしていました。
息子に何が何でも生きていてほしくて、だからこそ「将棋」という勝負のために自分の命を削らないでほしいという気持ちがあって、見限ることも出来なくて、母親として「ごめんねぇ、聖…丈夫な身体に産んでやれんで」という言葉に結びつく。
けれど、彼は彼で、膀胱がんで余命三ヶ月(実際は半年だったようです)の宣告をされ、対局後、母親に手術を受けるという話をするわけですが其のときに「子ども作れなくてごめん」という言葉でした。うっかり泣きましたよね。
別に親のために子どもを作るわけではないとは思うのですが、それでも、彼が「親になりたい」という気持ち、「誰かを好きになりたい」という気持ち「女を抱きたい」という気持ちがどこにつながるのかなと思ったらもうひたすら泣きました。
父親は母親に比べて「男同士だからできる」会話をしており、上記とはまた関係が変わります。師匠ともまた違うわけで。
直前まで話していた「密葬」のこと。みっそん、と言い間違えたりする「自然さ」があるわけです。でもそこに「なーに、何の話し?」って母親が聞いたときに彼らは答えないわけです。言えば泣くことを分かっているから。
その優しさ、村山がこうしたいという気持ちを叶えてあげる父親としての力強さみたいなのが「あっ広島男児」と思いました。
そして彼のこだわりである牛丼は吉野家、お好み焼きならみっちゃん*1…とあるように全てが「決まっている」というのに賛同しているシーンは非常に可愛らしく彼を「息子」としてちゃんと大事にしているのが見て取れました。
松山ケンイチと東出昌大という俳優について
松山ケンイチさんはこの原作が非常に好きだそうで自分からこの企画に対して名乗り出るくらいだったそうです。ご自身が増量や体感を得ようと非常に努力されていたのだと色んなインタビューを読んでいておもいました。
入れ込み方がしっかりしており、「5年に1度、10年に1度の作品」と称する本当に魂の隅から隅まで、「命削って」作った作品だと思います。
東出くんはオファーがあって選ばれたそうなのですがもともと羽生さんのことを知っていて興味があったとのこと。
ふたりとも見ていて思ったのはドキュメンタリーのような映画だから、決して演じている感じがしないというか、まぁ実在の人間だからそりゃそうなのかもしれないのですが、それぞれの表情が非常によくて。とくに対局のシーンは正反対の二人が向かい合った瞬間の緊張感が非常にありました。
またふたりとも対局のときに「どこにカメラがある」「どう動く」「台詞回しやカメラの角度が演技しているときはあるはずなのに」”対局シーンは消えていた”という部分が共通しており、非常に緊迫感があったのは二人共がふたりとも、あのときは「松山ケンイチ」でも「東出昌大」でもなく、「村山聖」と「羽生善治」という人だったのかなと思います。2時間掛けて撮ったという最後のシーンは是非本当に皆見てほしい。見てくれ。大好きなシーンです。
いい味を出していた棋士たち
それぞれの棋士がまたいいんですよね。
橘(安田顕氏)は非常に柔らかくて優しくて「いい人」で、でも彼がA級脱落するのは村山の手で、というのがまたエグいというかシビアというか現実的というか。それでも表情は変わらず態度も変えず彼はちゃんと向き合っているのがまた。
一方で荒崎(柄本時生氏)は噛み付いたりああだこうだ言い合いながら面倒見のいい兄貴分みたいな空気感で、「あんたに勝っても1だよ1!!」って村山に言われても「うっせー!」とかいいながら潰れた彼を看病してやったり、一人で黙々と将棋を打つ彼に「どう思う」と聞いてみたりとか。江戸っ子らしいキャラクターで柄本さんに非常にあっていると思いました。散々童貞俳優とか言われてましたけど!!(笑)なんかまぁ言いたいことはわかりますけど!!私は好きです!!
江川(染谷将太くん)の話も見ていて辛かったですね冒頭のあの面倒見のいい弟分からの途中過程。でも彼が彼として、また最後の最後でどういきていくのか、というのはちょっと光が見えていて、良いなあと思いました。一番最後のシーン、本当に何気のないことなのかもしれないけれど彼は彼の道を歩こうとしながら、村山に言われた言葉を覚えながら、歩いているのだなあというか。それこそ「歩」のように。と金にいつか彼もなるのかな、とか。
将棋はいいぞ
といっても私は将棋について殆どといって詳しくないのですが(対局時のおやつの話とかはよく耳にして楽しいです)将棋について掘り下げていくと本当に奥深いなあと思います。
将棋繋がりで個人的に好きなマンガをひとつ。
「月下の棋士」は躍動感のあるHEROみたいな主人公による物語でしたが(あれにも羽生さんじゃん!!みたいなモデルになってる方いましたね)(森田剛主演のドラマにもなってるんです)(大分展開違うけど)「3月のライオン」も話題作のうちの一つではあると思うのですが、個人的におすすめしたいのは「ものの歩」という漫画です。
青春少年漫画ですが将棋についての説明が非常に分かりやすくて好きなマンガなのでひとつご紹介。
また将棋ブーム来ないかな~っても思うんですが、でもニコニコ動画とか色んな所でコメントしていたりするのを見るたびに将棋ファンの方の定着度とか、しっかりと考えているかんじとか奥深くて楽しいんだろうなあと思います。
盤上ゲームは「聖の青春」をすすめてくれた友人から色々おそわっているのですが、本当に分かっていない私にもこの「聖の青春」という作品は非常にヒューマンドラマとしても映画としての作りもいい映画でした。
楽曲のこと
今回の主題歌が秦基博くんの「終わりのない空」です。最近自分の好きなところに彼がいて本当に感謝したいのと大変この曲がまた良くてですね
PVとのコラボも非常に良いので見てもらいたいです
痛いほど 僕ら 瞬間を生きてる
もう何も残らないくらいに
このさすがとしか言いようがない気持ちになるかんじはなんなのでしょうね。
PVのやり取り見るだけでああもういっかい行かなきゃ…という気持ちになります。
映画を通して
非常に良い映画に出会えたと私は思っています。
競技かるたが「畳の上の格闘技」と言われていますが(実際あのアグレッシブさは大変だと思います)、将棋もまた、「知の格闘」なのだと思いますし、相手の動きを考え、推察して、その一手に対して自分の動きをまた考える。相手に見抜かれないように何百も考えて、一手を指す。
その一局にどのくらい知力を張り巡らせるのだろうとか、感想戦で自分たちが納得するまで繰り返すというのも含めて映画は奥が深いと思います。
将棋を通して映画を通して見る「生き様」というのはとても地べたを這いずる男臭いものがあり、けれども純粋で真っ直ぐで美しい。眩いほどに、まっすぐな閃光のような作品であったと思います。素晴らしい作品に出会えて私はよかったです。見に行ってよかった。志半ばで死んでいくということの悔しさを噛み締めながら、それでも命を削っていく、男臭い、よい作品でした。
また、見終わったときにもれなく吉野家が食べたくなると思います。
たまごと味噌汁はマストアイテムで!(笑)