先日、V6森田剛氏主演の「ヒメアノ~ル」を見てきました。
まぁあれですひとことで言うと めっちゃ 胃に来た。
前持っていっていきますがもうお察しの通り、私、V6のファンです。
のんびりとファンやってます。それこそ森田剛という俳優については色んな舞台に出て色々経験を積まれていて、でもアイドルとしての一面もあって。そういう意味ではなんていうか多面性があるお人だなというのが第一の認識があります。
そんな森田剛氏主演の「ヒメアノ~ル」です。でもR-15です。
断言して言えるのは「森田剛だから見に行こう☆」というものではないです。
でも、是非、見てほしいなあと思います。
ということで、のんびり感想を。THEネタバレしまくってます。ご注意くださいね。
ヒメアノ~ルの世界
原作の漫画について
そもそもね、ヒメアノ~ルとはなんぞやというわけですよ。
『行け!稲中卓球部』の古谷実氏が手がけているコミックスが原作です。
2008年 - 2010年の間連載し、全6巻。絵柄に特徴があり好みは割れると思います。
ちなみに私は原作は未読。映画を見終えて調べたかんじで思うのは「映画を見てから原作は読んだほうがいいかな」ということ。それぐらい原作であるコミックスと映画は違います。再三キャストも監督も言っています。
作品の名前の由来
ヒメアノール【hime-anole】名詞・造語
“アノール”とはトカゲの1科である。イグアナ科アノール属に含まれるトカゲの総称。165種ほどがある。
(ヒメアノール=ヒメトカゲ)となるが、“ヒメトカゲ”とは体長10cmほどで猛禽類のエサにもなる小型爬虫類。
つまり、“ヒメアノ~ル”とは強者の餌となる弱者を意味する。
(映画ホームページより引用)
「~」の部分がトカゲの形になっていますもんね。
正直最初ヒメアノ~ル原作超絶未読だったので「トカゲ飼ってる男の話か」とか思っていました。そんなことなかったよ。
映画の「ヒメアノ~ル」
R-15である理由
そもそも映画はR-15です。当初ざわざわしていましたね。エロの15か、グロの15か、バイオレンスの15か。
結論的に言うと全部だなと。
ただ、「全年齢対象にしろ」というお声には異を唱えさせてもらいます。
R-15だからこそ振りきれてこの映画は作られたんだと思います。
15歳未満の方はどんまいとしかいいようがないですが(バトルロワイアル*1のときに私もなんでだよと思ったクチだから気持ちはわかります)是非15歳以上になったら自己責任で見てもらえたらいいなと思います。
映画「ヒメアノ~ル」の概要
スタッフ
監督・脚本は「銀の匙 Silver Spoon」でおなじみ𠮷田恵輔氏。
友人が彼のファンなので色々お話を聞きます。とてもインタビュー記事を見ていると自分の作品についてお話をとってもされる方なのかなとか。
私は彼の作品といわれるとあまりピンとこなかったのですが、「ばしゃ馬さんとビッグマウス」なども手がけているのですね。
また、調べていたら佐藤隆太氏主演の「BUNGO -日本文学シネマ-」の檸檬も手がけていたそうで。個人的に「檸檬」という原作そのものが大変好きなので気になるばかりです。
当時の感想まとめ。大分あっさりさっくりまとめているのに最近ばかみたいに長いわけですが…(笑)
キャスト
言わずともがな「森田君」にV6森田剛。
そして「岡田君」に濱田岳。ヒロインの「ユカちゃん」に佐津川愛美。
これに追随するようにムロツヨシ、駒木根隆介、山田真歩、大竹まことと並んでおります。
逆に言えば登場人物がすごく絞られた作品です。一人ひとりが濃い。そしてエグい。つらい。正直名前見るだけでもしんどい!(笑)
取り敢えず役名=森田君・役者=森田さん・剛君あたりで名前表記いたしますね。
あらすじ
「なにも起こらない日々」に焦りを感じながら、ビル清掃会社のパートタイマーとして働く岡田(濱田岳)。同僚の安藤(ムロツヨシ)に、想いを寄せるユカ(佐津川愛美)との恋のキューピット役を頼まれ、ユカが働くカフェに向かうと、そこで高校時代の同級生・森田正一(森田剛)と出会う。
ユカから、森田にストーキングされていると知らされた岡田は、高校時代、過酷ないじめを受けていた森田に対して、不穏な気持ちを抱くが・・・。岡田とユカ、そして友人の安藤らの恋や性に悩む平凡な日常。ユカをつけ狙い、次々と殺人を重ねるサイコキラー森田正一の絶望。今、2つの物語が危険に交錯する。(公式ホームページより引用)
まぁ見てわかりますが森田正一と岡田進という二人の人物を主軸に物語は突き進みます。
ところで岡田進という名前を見て一瞬自分で「岡田准一」と空目しました。ごめん、オカダごめん…(笑)
最初はひたすらラブコメというか日常のほんわかとしたものでしたが途中で色合いがどっと落ちてしんどくなっていきます。
なんどでも言います。 しんどい 。
よく私目をそらさずに最後まで見たもんだ…
映画を見た感想
原作未読だし情報も映画雑誌買いあさりつつ、読むのは終わってからと思っていたので前情報はあんまり入れないで行きました。
#ヒメアノ〜ル みてきた。森田剛氏のお芝居が良くて引き込まれて「あそうだわこの人アイドルだったわ」てなる、昨日のあさイチでの有働さんと全く同じ反応をしてしまった…。ユカちゃんの子が足ほせえ可愛いと思いました。もう一度ちゃんと見たい pic.twitter.com/EtMYlc7IfO
— 甘夏 (@amanatsu0312) 2016年5月28日
まぁあれですよ。何度も言いましたが 疲れましたわ。
朝一番に見に行ってあんなにぐったりしたのは久々です。精神ゴリゴリ削られました。しんどいわ。
ストーリーについて
最初、安藤さんと森田君は≒なんだけど≠なんだなと思いました。まず第一に安藤さんも森田くんもストーカー行為というのは一緒。
「思い続けていればいつか願いは叶う」という安藤さん。安藤さんも割りと一歩踏み間違えれば崩れ落ちる人ですがね、彼は踏みとどまっている。というか、「思い続けていれば伝わる」って少女漫画に割りとよくある片思いネタですが、こう、冷静に安藤さんみていると「めちゃくちゃ痛々しい」「もう諦めてやれよ」ってなるわけで。
そういう意味でも若気の至りを思い出してもう一思いに殺せ!!!(※言葉のあやです)となります。
森田君は違う。というか、見ていてふと疑問だったのは「森田君は本当にユカちゃんに好意があったのかなあ」という疑問。あったんだとは思うんだけど、どこかで「住む世界が違う」と思っていたのかなあとか。それを「俺も、お前も、同じ底辺」の岡田君が付き合いだしたことも一つの引き金だったんだろうか。
でもそれって岡田君が悪いわけでも森田くんが悪いわけでも(いや森田君ストーカーしてるから悪いんだけど)ないんだよな、とかね。思ったり。
彼は確かにサイコ・キラー*2だったけど、その心はバラバラだったけれど、世間一般における「サイコパス」と同じなのかと言われると不思議な気持ちになります。そうなんだけどそうじゃない。
岡田君とユカちゃんが性行為をしている横で、和草君をさっくり殺し、その婚約者をひたすらいたぶり殺しているところはひたすら対比としてうえええ……となりつつ震えました。
和草っちゃんの死に方エグい。そもそも彼は自首しようとしてそれを止めたのは婚約者なのにいざ婚約者と殺そうとしたら婚約者が前もって用意しておらずもたついて、結果殺されるというのは何ともいえぬリアルというか「お前が言い出したんだろ!!!!!」というやつにも見えました。
ユカちゃんに関しては監督が「絶対演技上手い人がいい」といって彼女を選んで、「童貞の夢」を詰め込みまくったというのもなんか納得しました。そんな女いねえよ!!(笑)のぶち壊し方面白い。清廉潔白な綺麗なお嬢さん?そんなもんまやかしやで!!なかんじが。
森田剛氏の演技で印象的だったのはパチンコ大勝の笑顔からのボコられ。てっきりチンピラ殺すのかと思ったら殺さなかったあたりは彼にとっては保守では殺すわけではないのかな、とか思ったり。
「なんのために殺すの?」を考えていて、「生きるため」なのかとも思う。でも別にそうじゃない。タイトルにある「弱者」に部類されるのは間違いなく森田君その人なのに、彼は内面をほとんど見せない。これは映画独自のものらしいです。
あと、一人でブツブツ言いながら歩くシーン。考えながら歩くシーン。あれは100%ではないけれど分からなくもないです。 言葉に無自覚に出てしまうものってあるんですよね。 ブッ殺せ、とかは流石にないけど。頭の中でいろんなことが喧嘩し合う。脳内ポイズンベリーみたいに大会議してたらいいけど、実際はぐちゃぐちゃで、なんでだよとか罵り合ったりとか、ふざけんなよ!!とかあーイヤだなーとか、あ、猫!みたいな目に見えたものとか、焼肉食いてえとかふとした考えとか。頭の中で喧嘩し合う。その中にはもういいよとか、面倒くさい、とか、フツーなものもいっぱい混じり合っていた。 そうして、森田君は「ブッ殺せ!!!!」というまたひときわ大きな声が自分の中での決定権となっていく。 これが、彼のスイッチとか、引き金なのかな、とか。そんな印象的なシーンだった。
Q:森田に人を殺すはっきりとした動機がないから余計に怖さを感じたんですけど、そこは何か意識されたんでしょうか?
“やってます”という感じを出さないようにしました。監督が「人間なんて何を考えているのか自分でもわからないし、いま考えていたこともすぐ忘れちゃうぐらい集中力が持たない。さっきまで殺していた人も普通にメシを食うし、それが普通だと思う」っておっしゃったんです。
(同上リンクより)
映画のシーンで女を犯して殺し、その家の夕飯を何喰わぬ顔で食べる。カレーをひたすら食べる。
そして旦那が帰ってくる。返ってきた時何食わぬ顔で食事を続ける。いい匂い。カレー。旦那さん「誰?」と思いながら奥さんの状態を見て、振り返ったらドン。
でも、彼は、何食わぬ顔でまたカレーを食べる。下はパンツだけ履いて。
せめてズボン履け(そういう問題じゃないけど)。
基本森田君の殺人は快楽殺人ではなく、だからといって緻密に計算されているわけでもなく、我々が「あっ手に蚊が」ってなってペチン、と殺してしまうのと同じような感覚なのかなとか思った。その対象が人なのか、蚊なのか、の違い。
ユカ・岡田君との対峙の時に岡田君が過去のことを謝る一方で「ああ、あそこにお前いたっけ」みたいなことを言う。
加害者は覚えているけど被害者は忘れている。これって普段なら逆なんですよね。まぁ岡田くんの場合は「次は自分が森田君と同じ扱いを受ける」という恐怖概念からなのだろうけれど、それでもやっぱり思うところはある。
映画見終わって思ったのは森田君はあの後精神病棟&凶悪犯ってことで取り上げられ続けるんだろうけど、岡田君ってどうなるんだろうって思った。あのゆっくりと目を閉じた形は死んだようにも見えるし生きているようにも見えるし絶望しているようにも見えるし、何とでもとれる。そのへんは視聴者考えろよ、なんだろうけれど。
救いようがない、けれど救いようがないからこそ考えてしまう終わり方で、ああああ……って頭を抱えている。
森田君の「嘘」の話
息を吐くように彼は嘘をつく。岡田君から「この店よく来るの」と聞かれて、森田君は「エッそんなこと無いけど」って返す。
でも居酒屋での席で、安藤さんのことをネチネチ見てくる、「いつも」いる、という。
>>いつも、ってことはお前もいってんじゃねーかよ!!<<って岡田君が指摘しても「いやそんなこといってねーし」と返す。
まぁこれ煙草吸っちゃだめというおじさんとの言い争いのシーンでもその片鱗があるんですよね。会話のキャッチボールができていない。
おじさんは「(さっき)吸ってたでしょ」といい、彼は「(今は)吸っていない」と返す。咬み合わない。
「(今後は)吸わないで(気をつけて)」に対して「(今は)吸っていない」という返し。
(ところでこのタイミングで おっちゃん逃げてえええええええええって思ったの私だけじゃないと思うの)
なんだろう、「あんた宿題やったの」「は?(いまやろうと)してるし」みたいなのとちょっと近いものを感じたんだけど(ちょっと違うかもしれないけど・笑)
彼は一連の流れで自分が「嘘をついている」と思っていないんじゃないかなあと思う。
”嘘をつく”ことに意味なんてないんだろうな、とか。思いついたことをそのまま口に出す、一息置かない、乖離しているといえばいいのだろうか。
でもなんか、こう、見てて言いようのないうす気味の悪さというか、なんともいえなさを感じました。
音楽の話
いやぁよかった。個人的にすごい印象に残る音楽がいくつかあった。
ホームページで流れているBGMとかとてもいい。あのなんともいえない煽る煽る不安を煽る!!感じがいい。
これサントラ出ないんですかねえ。とても欲しい。
芝居のお話
すごいぞ森田剛!
森田剛氏の森田君の演じ方が凄いなと思った。目があんなキラキラした御人なのに目が死んでる演技が出来るのすごいなーとか。
かっこいい、二枚目、クールの芝居って言ってしまえば誰でもできるけど普通とか感情の揺れとかそういうのの芝居って凄い難しいとよくいいますよね。「怪演」というのが特にふさわしいんじゃないかな。
ユカが「何かがいる」という恐怖から後ろへ行こうとしたのにひょいっと顔を出した時にこちらが「ひぃ!」となりました。
芝居についていうと、私は「この人が演じているから見る」というのは悪いことではないですしきっかけの一つとして大いにありだと思うんですよ。アニメだって声優さんが好きな人や気になる人でそこから見始めることなんてよくあることですよ。それはキャストが持っている強み。
最終的に作品を好きになってもらえれば十分こっちの勝ちだぜ!!と思う(xxが出てるから好き~って言うより xxが出てて気になって見始めたらはまった~のほうが聞く側は嬉しいけどね!)
森田剛氏のお芝居については完全にそういう意味では「作品に引きずり込むことに成功」したんじゃないかと思います。「森田君=森田剛」なんだけど、でも”森田剛”を見ていることを忘れることが出来た。それって彼の芝居力や映像として、さっきの私のセリフを使うなら「こっちの勝ちだぜ!!」なんじゃないかな。
先日あさイチで有働アナウンサーが「私なんでこの映画見てるんだっけ……ああそうか森田さんが出てるからだ」とプレミアムトークで言ってましたがまさにそれ。マジでそれ。
多分、“アイドル”の森田剛が好きな人は目を背けたくなるんじゃないかなあ。実際試写会で席を立つ人もいたと思うし。でも私は「森田剛ここまで芝居出来ました(・∀・)!!!!」っても思えたから、見てもらえたら嬉しいよね。
俳優冥利に尽きるんじゃないかなあこういう役任されるの。トリッキーなヒャッハー↑な役でもなく、かといって寡黙なわけでもなく、だけど異質、異常。うん、すごい難しいと思うの。森田さんご自身も「やってみたかった」というのは「そうだろうね!!!」と思いました。
”森田君と森田剛が似ているから出来た”という意見も見かけますが、私は実際森田剛氏が森田君と似ていたかと言われれば「そうかなあ」と思うし(ファン目線だからどうしてもね)もし仮に「そう」だとしても、それは決して悪いことではなく強みとして寄せられた、てことなんじゃないかな、と思う。
山田真歩の死に様がすごい
また、森田君に殺される山田さんのお芝居が個人的に印象的です。
婚約者目の前で殺されて、自分はひたすら彼にいたぶり殺される。
一方で岡田くんが合意の上で「生」「性」を楽しんで、人を作るための行為をしていて、一方で森田君と彼女は合意もなにもない中で「死」と一方通行を行っている。
ナイフをいれて抜いて、何度も何度もの行為は同じ時間軸、違う部屋、似ているけど全く違う、正反対なものです。
森田さんも山田さんもエグい、重い、しんどいの3段階芝居をひたすらやってくださったと思います。映画雑誌で「全力でやらなきゃいけない」ということを監督に言われたがゆえに本気でやった、と森田さんは言っていましたが流石に本気でやった後に「大丈夫ですか」と山田さんに言ったとも言っています。
そりゃあな。
あそこまでなってたらな、言うわ。
良心の呵責的に。
森田君にはなくても森田さんにはあるからそこの温度差みたいなの激しそうで森田さん大変だったろうな~ペットショップぼんやり眺めちゃうわそれ…とか思ったり。山田さんすごかった。それぐらいエグかった。
後一番印象的なのはラストのシーンの「またいつでも遊びに来てよ」の笑顔。特殊メイクもすごいけど、そこは邪気0の混じりけなしのいい笑顔なんですよね。彼の壊れた心の中にある「楽しかった時間」なんだよなーって。
映画でカットしたという(パンフでいってた)家宅捜索にあったゴミ箱になった犬小屋とか。
最後のシーンで犬をかばった森田君とか。もうなんか、もうなんかあさあ!!!としかいえない。
清涼剤のムロツヨシ
散々しんどいしんどいっては言ってますが、でも安藤さんのムロツヨシさんのオーバーすぎるリアクション芸みたいな芝居は大変コミカルであんなに嫌なポジションの役なのに(笑)場を少し明るくしてくれます。
ふふ、と思わず吹き出してしまったり、岡田君に「安藤さーーーーん!!!」って言われてるのも面白かった。俺たち親友だよな、という繰り返しは最早恫喝だよ!(笑)
でも安藤さんんんんって最後自分たちも思わせてくれて、その上で映画見終わってから「そうか…あの人がヨシヒコではああなるんだもんな…俳優ってすげえや…」ってなる今日このごろです。
ムロツヨシさん、人生波乱万丈すぎて応援したくなります。頑張れ。好きです。ごちそうさん好きでした。
ミュージカルのフル・モンティも楽しかったです。思えばアレヨシヒコメンバーだらけじゃねえか!!!(笑)
いじめていたという“認識”について
ヒメアノール見てて、ふと藤原竜也主演の「海底の君へ」を思い出したんだけど、一歩間違えれば彼もそうだったのかなあ、とか、なんか、のう、ああ………ってなってる
— 甘夏 (@amanatsu0312) 2016年5月28日
「海底の君へ*3」はNHKでやっていたドラマ。藤原竜也さん主演で、先日見たすごく私の中で傷を与えてくれた作品です。
なんの救いもない作品ではあったけれど相当考えられました。それを藤原竜也くんがやるというのがまた大きい。
是非見てもらいたい。心えぐれるから。 そんで、思い出したのは森田君もこの作品の子も心の闇のために底辺にいる。底辺にいながら抱えていて、森田君はアイマスクをしてヘッドホンをしても聞こえてくる過去の声。自分の声。あれはどうしようもなくて、ふとした時に思い出すものなんだと思います。 頭をガンガン叩きながら、それでも聞こえてくる。自分の声になって。過去が苦しくて忘れられなくて苦悩して葛藤して助けてを叫ぶのかもしれない。でも森田君、過去の話を見て映画の中ではSOSを表立って言えていない。たぶん、岡田君への、絶望しきった瞳、だけなんじゃないかなあ…
ここが凄いぞ!ヒメアノ~ル!
後は、映画感想録ちゃんと書くならそれっぽい(主観です)ことをちゃんと書こうとして考えてみました。
で、思い出したのは「色合い」と「撮り方の違い」を意識して撮っているなという印象。
その1.色合いの違いを感じた
前半、岡田君、安藤さん、ユカちゃんの会話の時は色合いがポップでした。
岡田君お店に行くシーンの時に丈の短いパンツを履いていたりパーカーの色合いが明るめなので「この子随分可愛い色きてんなあ」って印象。いうなればひなたですよね。
森田君と岡田君が初めて再会するときも森田君の髪の色はすこぶる明るいです。パツキン!パツキン!
世間一般の森田剛の髪の色のイメージって今なおこれなんだよなきっと、とかふと思ったり思わなかったり(私は黒も好きです)(でも濃い茶も好き)(※無節操)
例えば酒場で飲んでいるシーンでも濃淡がはっきりとした森田君と岡田君のやり取り。なんというか、「住む世界が違う」というのがより感じました。溝みたいなのかな。色で表しているんじゃないかと。
安藤さんたちの作業着はくすんだ、浅葱色みたいなのですが窓拭きも含めて光が指している場所でのシーンが続くわけです。決して暗くない。
でも、タイトルをドーンと入れられてから色合いは一転。一気に暗い。
森田君、岡田君、ユカちゃんが鉢合わせになった時に特に思った。
岡田君は濃い青。森田君は濃い赤。臙脂色かな。
言ってしまえば「血が酸化した色」とも思ったり。
森田くんもパーカー着ているんだけど清涼感はなかったから、そういう意味でも岡田くんとの対比なのかなあなんて。
ただそれでも統一されているのは、いじめのシーンは「白い」。
森田君が例えばターゲットにされてエアガンで撃ちぬかれるところ。
例えば女生徒の前でパンツを脱がされ自慰を強要されたところ。
例えば人としての尊厳を否定されて糞を食べろと強要されているところ。
もう本当ひたすら心が痛いシーンなのに、目を背けたくなるのに、彼らは白い。
岡田君を見る森田君の逆光で見えにくい表情。いじめられている時の顔をほぼ映さない状態の森田君。和草君もほとんど顔が出ない。背中ばかり。
あくまでも「弱き者」「捕食者」な彼らは弱がりで、暇つぶし、ふざけあいに喰われる。
その色の対比みたいなの、すごく心に来ました。森で殺すシーンはあんなに暗いのに(夜というのもあるけど)
一緒に岡田くんと秦野の実家で遊んでいた中学時代の後ろ姿、少し猫背な状態。テレビに反射する岡田君の顔は見れるのに森田君の顔は見えない。多分そのへんも考えて作られているのだろうけれど。きっと穏やかなんだろうなあとか思ったらすごく辛い。
「おかーさん麦茶もってきてー」のやり取り。綺麗で、ありふれてた「日常」に胸が痛くなるラストであーーーもうあーーー!!!ってなる(説明できていない)
その2.映画の撮り方としての切り替え
前述した明るさと暗さでも思ったんですが、前半とタイトル入ってからの後半では映像の撮り方が絶対違う、目に見えて違うと言える。映像だけに。
前半は固定させて撮っているというか、見やすい撮り方しているんですが後半はそうじゃない。
「密着警察24時」とかそういう類でよく見る、手ブレも起きるようなほどの揺れが明確な映像の撮り方をしているのが素人の私でもわかりました。
テールランプがゆらゆら揺れるのが何ともいえない揺れ動く心境にも見えて、なんか、グラグラ見てて気持ち悪くなりました、
車酔いみたいな。臨場感ともいえますが、森田君の目にはどう世界は映っているのだろうとか思ったり、ね。しました。
その3.キャスト・スタッフテロップで思ったこと
タイトルが出てくるのが遅い。主役が「誰」なのかわからないようにするためなのか、それとも温度がカチッと切り替わるためなのかはわからないけど、意図的にスイッチが切り替わるために冒頭ではなく、真ん中に入れたんじゃないかな。
日常の終わり的な。岡田君とユカちゃんの性行為を遠巻きから見ている森田君の切り替えがゾッとする。
ところで映画のタイトルとキャストのフォント、DEATH NOTE、バトルロワイアルと同じようなスタンプ系でしたね。
↑こういうやつ。ちょっと違ったかな。記憶があやふやで申し訳ない。
パソコンに入っていたやつで作っているのですがこれはステンシル、という名前でした。
フォント分かる人誰かあれのフォント名教えて下さい。
まぁそれはそれとして、つまり人が死ぬ映画だよ!!感めっちゃでてる。
このフォント見ただけで「あっやばい誰か死ぬ」(※もうこの映画人死ぬこと分かってた上で言ってる)
終わりに
ということでヒメアノ~ル感想でした。
きちんとインタビュー記事とか、雑誌とか、パンフレット読み込んで後で追記したいと思いますが、こう、思いの丈をぶち込みたかったので勢いでつらつらと語ってるのでまとまりがなくて申し訳ないです。
きちんとストーリー把握した上で見れたし、原作だと森田君が殺人犯になるプロセスが描かれるわけですが、前述しました通り「映画と原作は違う」として見たほうがいいかなと思います。だって森田さんも監督も「あえてそれを外した」ということは、意味があることであり、最後も大分変わっているからこそ意味がある。
「実写化」に対して「きちんと作品通りに作れ!」という意見もよく見かけますが、個人的には違うからこその楽しみを見たいので、これはこれで意味があることなんだと思います。
題材があって、それをどう料理するのかっていうのが監督の腕の見せ所なのかな、っていうのを映画好きとのんびり話したり。
逆にこのヒメアノ~ルの原作が好きな方は、どういうふうに捉えたのか(ユカのキャラクターも大分変わっているそうですね)そういう意味で意見を見てみたいな~とも思います。
そういえば、Twitterで検索しててこんなツイートをお見かけした。
昨夜レイトショーでヒメアノ〜ル観てきた。帰り道に本屋にぶらりと寄ったら入口付近にテレビ雑誌が並んでいてV6全員が笑顔の表紙だった。幸せに生きた森田に見えて涙が出そうになった。そのくらい森田剛の演技に引き込まれた。
— 僕はコマドルン(セ*タクロー) (@aoi_yuhi) 2016年5月29日
新曲が出るから、ちょうど同じタイミングとしてV6さん表紙が多いんですよね。(おかげで財布すっからかんだよ!!)
にこやかに穏やかに笑っている「アイドルとしての森田剛」を見て、ああ、とふとしたときに「森田君」を思い出すのかもしれない。そんな風に思う映画でした。
Blu-ray出たら是非メイキング映像も見たいものですし、何ならオーディオコメンタリーやってもらいたいですね。濱田くんやムロさんや監督たちと。
「うわー」「やっちゃったー」みたいな会話を副音声で楽しめたらとっても嬉しいです(笑)まぁなくても多分お買い上げしますのでどうぞひとつよろしくお願いしますわ!!!
追記
「進撃の巨人」の作者諫山創先生がヒメアノ~ルの感想について書かれていました。
原作をすでに読んでいる人の意見として非常に興味深く、森田君という人となりが映画では「わざと」描いていなかったところとこちらでははっきりと描いたところの違いみたいなのが分かります。「そうなんだ」みたいな。
上記しましたが私は原作未読だったので原作を知っていて、原作のファンの人の意見を聞いてみたかったからなるほどねえってなりましたよ。
例えば森田君はもともと人と違う感覚だったことに気づいていたりだとか(映画では分からなかった)快楽を満たすために殺人を行っていただとか(映画では少なからず“こいつ何でこんなに殺人をあっさりしているのかよくわからん”ってなった/多分その「よくわからん」を描きたかったんだと思うんだけど)
彼はまず死ぬことを考えました、こんなクズこの世から消えるべきだと
しかし、彼には死ぬ前にどうしてもやりたかったことが一つだけありますそれは、バスケでもサッカーでも宇宙に行くことでもなく
人を絞め殺して性的快感を得ることだったのです
できるだけ多く(中略)
人との違いに悩んだことがある人ならそれが快楽殺人じゃなくても
理解できる部分もあるんじゃないでしょうか「別に俺が選んでこうなったわじゃないんだけどね」
っていう生まれ持った性についてです
(先生……先生……「別に俺が選んだこうなったわじゃないんだけどね」になってます…気づいて…)
映画との違いについて見てて「これはこれ」「あれはあれ」という同じタイトルでも違うように料理するというのは非常に面白いことだと思っている(これ前述してますけど)のでほほーってなりました。
進撃の巨人の映画については原作者も大分一枚噛んでいると聞いています。その割に評価ボロクソになっていて私は結構好きだった(というかヒメアノ~ルと同じく「これはこれで、別物」として楽しめた)ので、なんとなく、ヒメアノ~ルについて諫山先生が言うっていうのが面白いなって思いました。
けど...僕は知りたい...
じゃあ、何でヒメアノ~ル映画化したの?って...
(同上)
原作ファンと映画そのものにおけるズレについてよくファンが心のなかで葛藤する問題だよなあと思います。
進撃の巨人、ルパン三世、ちはやふる。原作と違う流れやスポットの当て方(最後のは時系列がゴッチャゴチャになっているのが特徴ですね)になっている中で、ファンが言うこと。それこそ鋼の錬金術師の映画化で原作やアニメのファンがいった「なんで映画化するの!?」の根っこの部分のことなんじゃないかなあって。つい最近だと植物図鑑の髪の色問題で有川浩先生が反論したらファンと揉めていたりね。
ただまぁそれいっちゃうと原作ファンの進撃の巨人ファンの友人が「なんでわざわざここまで変えて『進撃の巨人』でやる必要があるの?」と映画を見た上で言っていたのをふと思い出しました。
ちょっと諫山先生や監督のインタビュー記事載ってないか調べてみようと思います。
ところで近所の本屋ヒメアノ~ル売ってないんでしょうがないから密林先生で一括購入したらおすすめリストが偉いことになりました。
Amazon先生はちょっと落ち着いてください。
もっとほら、ビューティフルなワールドとかさ。あるじゃん!!!あるじゃん!!!!!