柑橘パッショナート

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推しは推せるときに推していこう

今週のお題「応援」にあわせて、万年ゆるっとではあるけどサッカーチームのサポーターをしていて、応援しているアイドルもいるなかなのでちょっと書くか~と思ったんですが、決して明るくはないながらも「応援するって何なんだ?」ってことについて考えていこうと思います。

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Image by Free-Photos from Pixabay 応援するってこと

 

 

 「応援する」とは

「応援する」っていうのはとても漠然としている言葉だなぁとつくづく思います。

何故応援するの?という疑問に対しては「したいと思った」という言葉を返すことがほとんどなんですけど、「それじゃあ答えにならないよ」と言われることもあるので、自分の「応援したいと思う理由」「応援する」ということは何故かなぁと考えてみます。

もともとサッカーファンで「応援する」っていうことは身近に有り続けたものだから、こう……Don't think,Feel!っていうか。考えるな感じろで生きてきたので「なぜなぜどうして」って言われてあらためて考えていく機会になるなってことで。

原動力は「好き」

何事にも言えることなんだと思うんですが根本的に「なぜ応援する」にはこの【好き】が入ってくるんじゃないかなあって印象です。

好きだから応援したい。

好きだから歓喜に包まれたい。

好きだから声を出したい。

好きだからお金を払いたい。エトセトラ。

結局その行動についてまわるのは自分が「好き」ってなるのが一番根底にあると思います。


じゃあなんで「好き」なのか、って「楽しい」に繋がっていくわけです。楽しいってなんだろう。ここでまた考えてみるとすごく難しい。

勝つから楽しい。

ワクワクするから楽しい。

見ててウキウキする。

どうなるんだろうとハラハラドキドキするから楽しい。

「楽しいから好き」で、だからこそ「もっと見たい/もっとワクワクしたいから応援したい」になっているんだなぁと最近思います。


ただ、よく話にあがる「辛いときに支えてこそのサポーター」「祝わなくちゃ本当のファンとは言えない」っていう話について。

自分もそういうのを通ってきたことがある身として(野次る人が嫌いなので、それで揉めたことがある)、では何が正解かっていうと答えは1つではない、多様性にしかならないんですよね。
もちろん人格否定とか、そういったものは危ういなぁとは思うし、推しがやらかしたときに「おいおいおいおいおい……」って頭抱えたりしんどくなること、苦言を呈することに対して「ファンなら応援したれよ」っていうコメントも、百万人人がいれば百万通りの考えがあるから、全部を総括して「そうだそうだ!」ってはなれない。

ぶっちゃけ自分と同じ考えの人間なんてそうそういないもんですしね!価値観も違えば考え方も違う、家族ですら考え方が合わなくて揉めるのにそんな赤の他人と同じ「趣味」だったとしても考え(解釈)の一致が起こることってそうそうないんですよ。

でもその上で、同じものを”応援”することの楽しさと難しさを感じるわけです。

 

応援してるなら○○すべき、のジレンマ

以前担降りするにあたってインタビューをさせてもらった方とお話していて思ったのは「全てを聞いて全てを追っていくことの難しさ」みたいなのって絶対あって、好きだったものがどんどん「強要」という気持ちに自分でなっていってしまったこともあるよなって話。

これは自分の話ですが、サッカーチームのファンをしていますが全試合全部網羅して見ているかって言われたらそうでもなくて、だけどじゃあ「応援しているチームはどこ?」って聞かれたら他のチームを上げることはないし、応援していない、なんていう発想は行き至らなかったりします。でもじゃあグッズ100%買って、色んなものを見て、ラジオも欠かさず聞いて、この試合には全部いって――ってことはしてないです。

応援するって何だろう。声を出せば応援する?お金を出せば応援する?そのへんは個人差があると思います。金を出さないからファンじゃないっていうのか、っていう意見も見かけているのでそこはちょっと考えるんですけど、「お金払わないと見れないシステムであるならそれはそうかもしれない」っていう難しいところがあります。

 

声で「応援している」っていうのとお金を出して「これで原動力になってほしい」っていうのはちょっと違っていて、そのへんは「ファン」か「お客さん(ターゲット層」の違いだと思うという指摘をされている方の言葉を聞いてなるほどなと感じました。

上も下もないという考えと、同時に「お金を払っている人が優先されてしかるべき」という部分もまた思うし、この辺ちょっと難しいですよね……。

 

ただ言えるのは「こんなに応援しているのに」「こんなにやってるのに」っていうのになると自分で自分の首締まっていくんですよね。

お金を出して試合を見に行って、ボロボロに負けて「こんなに金を出しているのに」「時間も無駄になった」わかる。すごく思うことがある。

推しがトントン拍子に進んでいってくれなくて、「違うそうじゃない…そうじゃないんだ…」って応援している気持ちと反して傷つくことがないかって言われればまぁあります。

そうなったときにどう気持ちを折り合い付けていけば良いのかなぁって考えます。今も自分で模索している。

 

そうなった時に思うのは「応援は強要されるべきことではない」という結論で。

まぁもちろんこれは自分なりのの言葉で、でもやめられるんだったらとっくに辞めてるよって気持ちもすごく分かるし、そこにあるのは情だったり想い出だったり、「好き」っていう根底があるっていうこと。

誰かの願いが叶うころ」という宇多田ヒカルの歌がありますが全員が全員納得する楽しいとか好きとか実現出来たら本当にいいけれどそうはならなくて。人生ってだから難しいのかもしれない。

誰かの願いが叶うころ

誰かの願いが叶うころ

  • provided courtesy of iTunes

 

だから「こうある”べき”」っていうのはその人の意見であって、他の人にとっては違う可能性もあって、まぁだから私の意見もまた、人からすれば違うっていうケースもあるっていうもうなんかとりとめのない結果になっちゃうんですけどね(笑)

 

「推しは推せるときに推せ」

ここで直近の応援しているチームネタなんですけど。

先日の天皇杯準決勝で諸々色々あったヴィッセル神戸エスパルスから「戦術ドウグラス」とまで言われていたドウグラス選手が移籍決定しました。この選手に関してはめっっちゃくちゃ人間性もできていて、リスペクトにあふれていて、エスパルスの中でも中心選手の一人でした。ぶっちゃけ私の2020年シーズンのユニフォームは彼にしようって決めていたほどでした。

で、移籍にあたって凄く難航しました。エスパルスにとどまるのか(エスパルス側は留まってほしいと当然主張)、ヴィッセル側に行くのか(ヴィッセルエスパルスより断然お金があるし、イニエスタというワールドクラスのスーパースターがいて、しかもACLに出れる)ということでサポーターの中でも「まだ!?発表まだ?!」ってなっていました。胃痛が新年早々にあったのは言うまでもなく。

でも、彼は「ヴィッセル神戸」への移籍を決定しました。そのへんに関しては決まってしまった以上仕方がないし、正直自分がドウグラス選手の立ち位置ならまぁ…そうだよね…サッカー人生短いもんね…って気持ちもあります。

でもそれはそれとしてめちゃくちゃ悲しいしめちゃくちゃ悔しいし、いかないでほしかった。仕方ない、仕方ないって言ってるけど、それはそれで悔しい!!!!!元気でな!!!試合では負けないからな!!!!!!

移籍したあとの彼を応援するのかどうか、って言われると正直「同じディヴィジョン」であることも含めて、エスパルスとの試合以外のところで活躍してくれればっていう気持ちでは有るんですが(笑)彼のユニフォームをじゃあ移籍先にも含めて買うのかという疑問については、私の場合はNoになります。

これって大きな枠にある「エスパルス」っていうものがあって、そこにいたからこそ好きだったっていう気持ちもあるのかなぁとか、同じディヴィジョンじゃなくてこれが海外にいっていたら違ったんだろうなあ(北川航也選手とかはエスパルス生え抜きからの海外にいってもユニ買ってしまうか~~!?とか友人界隈と話になっている)とか、諸々考えたりします。そこらへんの感情をうまく説明できたらいいのにとも残念な心持ち。

ただ、この経験を経た上で思うのは「推しは推せるうちに推せ」という言葉をよく最近聞きますが、毎年毎年本当にそのとおりだと思います。ずっとはいてくれない。ずっと維持はできない。

 

好きだと思う自分。応援したいと思う自分。そしてその応援したいと思える相手の環境ががちっとハマるタイミングってそうそうないんですよね。だから、”応援したい”と思えることっていうのはすごい確率ですごいタイミングで、すごいことなんじゃないかなあと心から思います。

 

いつその仕事を辞めてしまうのかもわからない。アイドルならアイドル業、アイドルグループ、バンドだっていつまで続くかわからない。サッカー選手だっていつ引退しちゃうかわからない。

いつ違うところにいってしまうかもわからない。海外に挑戦しにいって見に行けなくなることも有る。今の「状況」が変わらないとは言えない。

そして、いつ自分がその熱が落ち着いてしまうかもわからない。環境の変化、心境の変化、人それぞれですしね。

 

いろんなことも踏まえて「楽しい」「好き」の結果である「応援したい」に私はこれからも身を投じていきます。

別に強制されているわけでもなくて、自分で強要するわけでもなくて、自分が「したい!」と思った時に応援していく。それは今までもこれからも、変わらず自分のスタンスであれたらいいなぁと思うばかりです。

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