柑橘パッショナート

二次元、三次元、映画、アイドル、サッカー他諸々の多趣味の結果、好きなことをアウトプットするためのビュッフェタイプになったブログです

担降りインタビューを依頼された件

先日、とある友人が担降りをするかもしれないという連絡をしてきました。

「担降りブログ書かないの?」と聞いたんですけど、そもそもその文化が他のジャンルであるのかどうかはわからなかったという話。

 

担降りブログというのは、ジャニーズ事務所を応援しているファンの中の一部で「担降りブログ」というものを書く人の文化のひとつ。

全員がそれをするわけじゃなくて、そういうこともする人がいるよって話。担降りブログって何って聞かれると一言で言うと「お焚き上げ」とか「自分との心の向き合うための記録」とかいろんな人の意見があると思うのですが、正直言ってそういうものを「読みたい」人と「書きたい人」「書く人を理解できないから黙って去れ」(存在そのものを否定)と思う人と、「好きにすればいいでも私は読みたくない」という人とそれぞれいます。

私はどれかと言われると、どうして書くのかという考えについては考えたことがないのですが、こういうブログを書いている手前なにか自分の心をアウトプットとインプットしたいという気持ちはやっぱりあるからこそいろいろ読んでみたりしている派なわけです。

「ファンであったのに、ファンだったからこそなぜやめたということを報告するのか」という疑問と「自分の中で折り合いをつけるための結果が記事になった」という人とそれぞれ。

で、今回の友人とのやり取りの中で「担降りブログを書きたかったけれど、語彙力もないしまとめる力もない。でも誰かにこの話を聞いてほしいから、インタビュー方式として聞いてほしい。まとめてほしい。誰のためにって私のために。私はそういう考えだったんだ、ということを自分で理解するために」ということで、インタビュー方式でこの記事を書くこととなりました。

 

担降りブログを代筆するわけには流石にいかない(本人の考えとちぐはぐだと申し訳ないし)、しかも別にお前担降り(そもそも私は担当という概念が未だにちょっとよくわからない系のファンである)予定がないということもあり「その人にしかわからないものがきっとある」ということ。

でも正直、めっちゃくちゃ興味深かったので、インターネットの海にこの記事を投げ込んでおきます。

 

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担降りをするという一人の意見ということで

注意事項は以下のとおりです。

  1. 「担降りブログ」として記事を掲載していますが、ブログを今書いている人間は担降りをしていません。
  2. 今回の担降り対象に対しては、相手が誰かを伏せた上でお話しています。
    以下、彼女のもともとの担当(推し)は「Aさん」としています。
  3. そういう考えの人もいる、というぐらいの心でお願いします。
  4. インタビュー方式で話を進めています。
    砕けたやりとりから文字起こしをして修正していますのでニュアンスで受け取ってもらえたら嬉しいです。

担降りということを考えるまで

ーまず、ご自分の立ち位置を振り返ってみてもらえますか?

ファンになったのはもう大体10年ぐらい前ですかね。強火であった頃もありましたし、いわゆる「リア恋(ガチ恋)」だった経験もあります。

女性の噂以外も、いろんな噂(いわゆる性格が悪いとか)にも右往左往したこともありました。女の噂に関しては本当なんなんですかね!!ほんと勘弁して!!居ても居なくても良いんですけど、うまいことやって!!(笑)

まぁそんなかんじで、追いかけるにしても距離的な問題、金銭的な問題も含めて出来なかった時間はありましたが、費やした時間とお金は自分の中では遠征費もこみこみでよくやったほうだと思います。

東京住まいになる前は地方に住んでいたんですね。の、割にはほぼ毎週東京にいっていたので「東京住まい?」と言われるぐらい行っていました。上には上がいるのは知っていますが「じゃあまた来週」って言いながら友達と別れて深夜バスで帰ったりもしていました。

「良く考えよう、お金は大事だよ」とはいいますが、自分の中で「この人にお金を出したい」と思って決めたことなので後悔はしていません。

 

ーAさん担として、Aさんの魅力について教えてください

彼のお仕事に対して真摯にしているところが凄く好きです。

一つのセリフを言う時の表現の仕方がとてもニュアンスで受け取れるものだとして「どういう風に」やりたいのかな、こうなのかな、っていうのを作品の役どころとして「こう考えるだろうな」という計算というよりも感覚、嗅覚で演じられているタイプです

(「シャーマニズム的な?」)

そうですね。「こいつはこう考えるからこう動く」っていうよりも自分の中でキャラクターを飲み込んで、憑依させて演じているかんじ。だから自分が動く≒キャラクターとして演じているような形でした。

後はご自身の人柄。真摯に向き合うのに余計な一言を言ってしまいがちなところも含めてハラハラしっぱなしでしたが、作品ひとつひとつ・人とのつながり一つ一つを大事にしるお人なのが魅力です。

 

ー彼のファン活動として行っていたことは?

そりゃあ、作品を見る、聞く、追う(行く)、じゃないでしょうか(笑)

お芝居はできるだけ見にいったし、イベントがあれば足を運べるように円盤も買っていたし、CDを出すなら売上に貢献しなくてはと買っていました。雑誌も買っていたし、できるだけその人の作品を漏らしたくなかったです。

でも「その人」が好きだからの切掛だったとしても、自分が行くのは「この作品が好き」だから行ける状態になりたいっていうのがありました。だってそういうのって、やっぱり「作品が好きな人に向けられたイベント」だと思うので…。

うまく言えないんですけど、「Aさんのためだけに作品を知らないのに作品イベントに行く」ってことに負い目があったのかもしれません。

きっかけは何でも、作品に触れる以上「作品」としてその作品を好きになっていたい、好きだからイベントにいくようでいたい。知識を持って、丹精込めて作り上げてきたものたちとしてその人が作ったものを評価して、見たいって気持ちがありました。

 

また、Aさんの考えやお話しているところも好きでなんですよね。

昔は頼むからSNSやるなって願ってた頃もありましたよね。尖っていた&炎上芸人になりそうでハラハラしていましたが(笑)

ただ、SNSやり始めて思ったのは、SNSではあまり口にしないことはあれど、実際に現場にいくと彼の感情を吐露されるときがあって、そのギャップが好きです。「この人こんなに考えているんだな」っていうのがわかったし、「自分の感情にストレート」な人なんだなとつくづく感じていました。逆にいうと機嫌悪い時とかまじ秒でわかるお人なんですけどね!!楽しい時は本当に素で出ている人で、自分の感情に嘘をつかない人という意味でとても好きです。

で、まぁ数少ないSNSに関しては、それでも「やってくれるだけ嬉しい」っていうファン心理もあってSNSの投稿にもコメントを残すようにしていました。これをすることで少なからず自分に対して熱心なファンがいるということ、楽しみにしている人がいるということが伝わってほしい気持ちからです。一番乗りじゃなきゃ嫌というわけじゃなくて「あ、コメントがたくさんついているな」ってなってくれたら良いなという…。

 

 ー担降りを考えるようになったのは?

イベントがたくさんあって、お仕事もたくさんあって、足を運ぶものもできるだけできるだけやって走ってきたのですが、単純に言うとその「過剰摂取」と自分で義務化をしたによって「疲れた」のかもしれません。

見ていて「なんで余計なことを言っちゃうんだろう」とか、「どうしてこうしてくれないんだろう」っていうマイナスの気持ちが芽生えてきてしまってジレンマに駆られるようになりました。

多分ですが認知もされていたかと。まぁこれ超自意識過剰なの承知なのですが。イキってた頃もあったという思い出ということで許して欲しいです(笑)

で、まぁ「ああこの人またきてくれてるんだな」と思ってくれている(かもしれない)」、そう言う風に考えたら、益々「見に行っている」が「Aさんに見てもらいに行っている」になり、本末転倒というか…。心の中でぐちゃぐちゃになっていきました。

 

チケットをとって後ろの方だったら、やっぱり「都内」と「地方」での違いというか、”遠征してまで行く必要はない”って思ってしまって。そのチケットをお譲りに出したこともあります。あれだけ「作品が好き」だから見に行けるようにしたいと思っていたのに「作品を語るAさん」「芝居をするAさん」が好きなのに。

たった「席が遠い」という理由で切り離してしまう、そのことで罪悪感もありました。

 

一番後悔したのはチケットが重複してしまったことがあってお譲りを出した時、どうやっても最後まで1枚余ってしまったんですね。

お値引きしたり、同じ作品が好きな友人に声をかけたのですが日程的なことも含めてやはり難しくて……。最終的に空席にしてしまうよりは、と「この作品が好きな方、最後まで離席せず見てもらえる方に」という条件をつけて無料で譲渡したところ、手を上げてくれた人がいました。

それでお譲りしたのですが、その人が同じ人を推している人のファンで、しかも舞台挨拶終わった後の作品鑑賞に対して席を立ってしまったんです。譲っているとやっぱり席が分かるじゃないですか(笑)確認してとても悲しくなった思い出があります。「ただなら見に行ってもいいかな、この人出るし」ぐらいの感覚で結局作品見ないのか、そんな人に譲ってしまったのか、というジレンマですね。

多分その人はAさんをはじめとした出演者の方の、次の挨拶のためのステージにいったのだろうなと思いました。追いかけるように去っていったので…。

なんだか、それでどっと疲れてしまいまして。

(「同担」に疲れたってかんじですか?)

いわゆる推し被りに対して気にしたことはあまりないのですが、このときに関してはひたすら虚無感というか、でもそういう人がいて作品(またはAさん)を支えているのだと思うと…というジレンマがありました。

 

加えて、「作品を知らないのにその作品のイベントにいく」ことが嫌だったのにその現場に行っている自分がいるという事実に嫌悪しました。

あれだけ「思い入れを持って作っている」人だとAさんが知っていたのに足を運んだ自分の感想が作品ではなくAさんが、ばかりになっていてひたすら虚無感でした。

しんどいっていうよりも「何してんだろう自分」みたいな。

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「そこにあるのはただ虚無感」と振り返られました

お芝居で原作ありのものをやる時、全く知らなくて切っ掛けで入るのとはまた違って「すでに作品が終わった後のトークイベント」とかで行ったことがあるんですが、全く知らない、”Aさんが出ている”という理由だけで行ったとき、第一に「楽しくなかったな」だったんですよ、出てきた感想が。

その時は自分が話がわからない上にAさんが楽しそうじゃなくて(笑)

これが例えば作品知っていたら他のキャストさんを見たり、裏話を聴けたりとかできたりしてよかったなあっていう何かしらポジティブな部分があったりするのに、最終的にその人しか見ていないので何のために遠征してまで行ったのだろう…ってなって、その後に出てくるのが文句なんですよ。

結構文句しか出てこなかった自分がいて、そういうのは嫌だなと。

この作品がすきで、この作品で演じているAさんが好きで、というものがないと自分は行くべきではないなと思いました。

 

ー何に疲れた?

いわゆる「自分がオタク」であることですかね。ジャニーズ界隈でいうと「担当」なのかな。

自分自身が追いかけ続ける、追いかけたいからやっているのもわかっているし、知っているし、「嫌なら離れなよ」という言葉を突きつけられるということも理解しているのですが、もうなんだかどうしようもなくなってしまって。

「なんで自分ここまでしているんだろう?」ってなりました。

「してあげている」というGiveであるつもりは無いです。だって自分が好きでやりたくてやってきたわけですから。だから「好きだからだよね」と納得してきたし、楽しんでやってきた。

けれどいつからですかね、「~しなくちゃ」という気持ちが生じていたのも事実です。

次につなげるためにこれをしなくちゃ、買わなくちゃ、行かなくちゃ、需要があるって伝えなくちゃ……みたいな。義務化を自分の中でしてしまっていた。

Aさんには投資(ファンとしての金銭面的な支払い)に対して「仕事(作品だったりイベントだったりお芝居だったり)」という形で応えてもらってきました。

よりよい作品を見せてもらってきて、楽しんでいました。そのことに後悔は一ミリもないです。

けれど、投資をしていく中で、彼の仕事に対して「どうしてこういうものばっかりなんだろう」「どうしてもっとこういうものに挑戦をしないんだろう?」「これをすればファンは釣れると思われているのかなあ」という疑問が出てきました。

自分の中で、過去の亡霊になってしまうのは嫌だったんです。

いつまでもしがみついてウジウジ言うよりは、距離をおくなり何なり自分の中でして、成仏するなり死者蘇生するなりはっきりしたかった。

 

ー”亡霊”は何の亡霊?

Aさんの過去の作品の亡霊です。前に進み続けて新しいものを作り続けて、過去にできなかったことをできるようになっているAさんが好きなんです。

「思い入れのある作品」と「推奨したい作品、手にとってほしい作品」は別で、Aさんのことを知ってみたいっていう人には「最新作」であってもらいたいんです。

人に薦めるなら最新作、その上でじゃああなたの思い入れのある作品は?って言われたら「これ」というものを紹介したい。そういう風に考えています。

(同じこといつも言ってるからこの時点で「わかる~~」という下りがあったのはちょっとしたネタ的にどうぞ)

他の人が「それ」なのは別に人それぞれでいいと思うんで、どうぞどうぞ!ってかんじなんですけど、「自分自身が」そうなのはなんだかすごく悲しくて。

”お前あれだけ最新作をどうぞってオススメしてきたのに、追うことに一人で勝手に疲れて一人で過去にしがみつきつつあるじゃないか”っていう、自分自身に対しての矛盾が許せなくて。

その現実に気づいたら亡霊としてホーンテッドマンションの中でウロウロするより、過去にしがみついてAさんの今を直視しないという状態より、おとなしく成仏(オタクをやめるなり、これはこれ、として楽しめるようでありたいことを彼女は指していました)したいし、「今のAさん」を見られる状態に死者蘇生していたい。

そうじゃない、こんな状態になる自分に対して嫌だと思ったのが、「担降り」とか「推しを上がる」というキーワードに結びついたのではないかなあと。

 

ー距離を置くという考えはなかったのか?

ありました。というか、自分の中では「距離を置く」を踏まえた上で少しずつ俯瞰して戻ってこれるかなってなってたんですけども(笑)

別のなにかに夢中になったわけじゃないし、相変わらず好きであることに変わりない一方で自分の中で忸怩たる思いと「どうして?」っていうモヤモヤも相変わらず出てきてしまって。

「過去の亡霊」っていう話に戻るんですけど、ちょっとどうやっても一時離れなくてはならないタイミングがありました。

で、その現場納めとも言えるときに、一番自分の見たかったものを見せてもらいました(この作品は以下「B」という作品という名前にしています)。

当時は「いい現場納めだった…B本当にいいものだった…」としみじみしていたのですが、自分がAさんからしばらく離れざるを得なくなった時、「Bで満足してしまったのかもしれない」っていう気持ちと「それ以降の作品や現場で、Bという作品、Bという現場の空気と比べてしまう自分」がいることを気づきました。

前述した「亡霊」になった自分がショックでした。

これは持論なのですが「ファン」ではあっても「お客さん」ではなくなっているのだな、と。

 

ファンであり「お客さん」。ファンだけど「お客さん」じゃない

ー「ファン」と「お客さん」についての考えについて教えてください

ファンは正直「誰でもそうなれる」、「好きになった、応援したいと思ったらファン」だと思います。

よく「本当のファンなら~~すべき!」っていうの回ってくるじゃないですか。

本当のファンってなんだろう?って考えてみて、自分の中で「本当も何も好きならファンはファンじゃない?」っていう答えを持っています。

【ファン】

特定の人物や事象に対する支持者や愛好者のこと。「熱狂的な」を意味するファナティック(英: fanatic)の略

だから、ファンに「本当のファン」も「本当じゃないファン」もないと思っていて「お金を払っていないとファンじゃないって言うんですか!」っていう喧嘩に関してはちょっと違うかなと。

“ファンに優劣はない”っていうのは本当だと思います。誰だってみんなその存在が好きだから。そこにかけた時間、かけたお金っていうのはあまり関係ない。勿論視点として見えるものは変わってくるように思いますが。「優劣はない」けれど「同じ」ではない。

 

でも、じゃあ何がそれを変えるのかっていうと、私の場合、”お客さん”っていうキーワードがここに入ってきます。

「ファン」と「お客さん」っていうのは同時に存在しています。

お客さんっていうのはもう言葉の通りの「ターゲット層」もしくは「購買者」。

「お金を出さなきゃ@@しちゃいけないんですか!」っていうのが前に話題になっていましたけど、「そうだよ」って思います。

 

漫画が好きだけど海賊版で読みました→それはだめだと言われる→お金がないからって漫画を読んじゃいけないんですか、買わなくちゃいけないんですか!っていう議論が前にSNSでありましたが、これに対して多くの人が「そうです!!!!!」ってなることと一緒なのかなと。

漫画が好き(ファン)であることは別に良い、でもそこに金銭的な面で支払いをする/しないでは大きな溝が自分の中ではあって、その「金銭的な意味で支払う層」がお客さん(=ターゲット層)であるなかで、「金銭的な部分に対して”これにこれを支払うのはなあ…”とか”これで@@円かあ…””どうしてこういう作品じゃないんだろう?”」って思ってしまったり、お金に見合った彼の作品なのだろうかと疑問をいだいてしまったりして、「お客さんじゃないのかもしれない」ってなりました。

お金だけが全てではないとは思いますが、お金を支払う(=数として出る)ことが、次へとつながっていくこともわかっています。

次に繋がるために支払う。自分が支払いたいから支払ってきました。何故か。自分が「ファンでありお客さん」だったからです。

私は「ファンでありお客さん」である状態が一番いいなって思う立ち位置です。

自分の好きなものが好きな形でものを出してくれる→購入するの循環が出来上がっているように感じられます。

 

ー「お客さん」だけど「ファンじゃない」場合は?

あるとは思います。潜在的なユーザーとかかなあ。購買客層として見込みがある人とか…?

(この辺お互いに言葉に出来なくてウーン…と考え込んでしまいました)

どちらかというと「ファンだけど、お客さんじゃない」という目線に自分がなってしまっているのだな、っていう部分があったのも事実です。

彼の売り方に対して、それこそ芝居やイベント、いろんなかたちがありますが、そこに対して「それでいいのかなぁ」という疑問を持ったり、彼のお仕事に対して「私が求めていたものではもうないんだな」ってなりました。

これって「お客さん」としてのターゲット層から自分が外れたんだと思います。

 

誰が悪いとかじゃなくて、時間の経過によって昔と同じでいられなくなったのは自分自身もそうで。自分が変わっていくのと同じように、同じ時間は彼にも流れているわけです。感じ方があちらとこちらで合致しなくても仕方ないし、需要と供給のバランスで自分がそこを求めないけれど、今の彼はそちらで売ると決めているんだなっていう部分もあり。

昔だったら何でもわーいってなっていたものが今ではならなくなった、っていうのは自分の環境の変化とか成長する上で見えてきたものがあったりとかっていうのもあるし、また彼もキャリアを進めていく上で彼の中で変わったものがあるんじゃないかと。

だから、私は「ファンではある」けれど「お客さんではない」から、”担降り”という選択肢を取ろうかなってなりました。

 

ーファンはやめるの?

やめる予定はないです。あくまでも「担当」「推し」という概念から外れるという感じですかね。

自分の今いるこのジャンルに於いて、今でも一番好きなのは「Aさん」です。

これからもっと他に好きな人ができるかもしれませんが、それは未来のことなので今の私にはわかりませんが、確実に言えるのは「今でも私はAさんが一番応援したい人である」ということ。

だから「ファン」ですね。でも、「担当」「推し」「オタク」じゃきっとない。

 

今まではとりあえず好き・嫌いになる前にとりあえずAさんの出ているもの、携わっているものに対して手に取っていたんですよ。そこから合う・合わないは自分の中で決めてまぁそこから絞っていくようにしていたんですけれども…。

そのAさんが基準になっていたこと、ものがAさん「だけ」をベースに見るのをやめるかんじでしょうか。

「Aさんだから」全部手に取って、「興味はないけど、Aさん出ているから、まずは見てみてからにしよう(支払う)」となっていたものが、今は「Aさんを経由して知ったものを、自分の中で咀嚼して”気になる”かどうか考えた後、手に取るかどうするかを決めよう」となろうと。

このジャンルにいる理由がAさんだった気がしますが、(もちろんAさんが出ていなくても自分が気になる作品があったら手を出していますしそれは今も変わりませんが)好きじゃなくても触手を伸ばしていた、好きじゃなくてもまずは「作品そのものを知ろう」「出ているものは買ってみよう」「とりあえず見てからにしなくちゃ」と、ポジティブな何かを吸収できるんじゃないか、だってAさんが丹精込めて作るものだし、「~~しなくちゃ」と義務化していたものを「Aさんが出ていて、かつ自分の好きそうなものだから手を出そう」という形にシフトチェンジしていきたいと思っています。

Aさんがきっかけ→全部手を出す、ではなくAさんがきっかけ→作品を知る→好きそうだから手を出す、というワンクッションを置けるようにしたいです。

 

ーやめることによって何が変わるのか教えてもらってもいいですか?

自分の中で「無理しなくていいんだよ」っていう肩を下ろすための行為みたいなものかと。

もしかしたらやっぱり戻るかもしれない。そのときは「ファンでありお客さん」という状態に戻ったら、になりますが。

推し=自分というイメージを周りに付けてもらっているからこういう風に言うっていうよりも、私自身の中で折り合いをつけていくために、「オタクじゃなくてファン」、「応援したい人なのは変わらないけれど、自分の中で無理をしない」という線引のために決めたかんじですかね。

 

(こんなかんじですかね、と別の友人隠居さんのブログを紹介)

x1026.hatenablog.com

 

多分とても近いです。

卒業される方もいろいろだと思います。

追いかけることに疲れた、他の推し被り(同担)の空気に疲れた、推しとのスタンスに対して違いにもどかしさを覚えて疲れた……。その他人事によって、いろいろあってしかるべきかと。

今の私は先程の方の「オタクをやめてファンになった」が近いと思います。お客さんでファンとなったものを「オタク(担当)」と名付けるなら、「お客さんじゃなく(と自分で感じた上で)(でも好きなことは変わらないので)ファン」という立ち位置なら自分は隠居さんのいうところの”ファン”ですね。

同じ”ファン”だと表現難しいですね(笑)他に言い方があると良いのですが……。

担当とか推しとかオタクとかいろんな表現があるけど、自分の中では「Aさんのことが好きな人」でいようかなと。これはニュアンスというか表現の違いですが。

 

ー”担降りする”にあたっての話を記事にしてほしいっていう話になったのは?

「担降りブログ」は自分との見つめ合いというか、こうだったなっていう思い出を振り返りながら朗々と語るようなイメージがあるんですけど、それと同時に誰かに話して楽になりたいっていうものがありました。

「勝手にやってろ、推しを傷つけるな」という意見も分かるし、自分も前だったらそうだったかもしれない。

いろんな形で推しを卒業(担降り)する人がいて、その一つにこういう形もあるんじゃないかなっていうので甘夏さんと話をしたいし聞いてもらいたいし、その上で自分の感情がどういう風に精査されるのか見たいって思いました。

自分ではまとめるのがとても苦手だし、言葉にし難い感情ってあるだろうから、それを教えてほしかった。

 

ーなんで私にそれを依頼したんですか?

友達だから…っていってしまうとそれっきりですが。

手紙にしろSNSにしろ文字にするのって難しくて、それを言葉にて名付けてもらえたらと。

どうやっても私が書くと主観になって、かつ思い出語りにだけになってしまって、「楽しかった思い出」を知って欲しかったわけじゃなくて。それならSNSで自分で発信しているし(笑)

そうじゃなくて、どうして自分がこういう考えなのかなっていうのを突き詰めたくて、客観視してほしかったんです。

自分が書くとどうやっても甘い言葉になったり都合の良い言葉で修正してしてしまう。でも甘夏さんが書いたら甘夏さんしか言葉の修正は出来ない。

(校正やります?と聞いたら「嫌です」って即答されました)

端的にいうと「この言いようのない気持ちに名前を付けて欲しかった」ので、甘夏さんに話を聞いてもらって形にしてもらうことで靄がかかった何かに「名前」が付けられるかな、と。

 

ーAさんに一言なにかありますか?

これからもよろしくおねがいします、ですかね。これからも応援していますでもいいかな。

これからも貴方は貴方らしくあってくれれば。って言いたいですね。やっぱり大好きな人ですから。

 

担降り・卒業・他界いろいろあるけど、一番好きなことは変わらないし自分が良いと思ったものには消費者としてお金を払いにいこうとは思っているので…。

なんか全部を全部捨ててしまうというわけではないから、全部からの卒業というのは違うので「担降りする!」っていう担降りブログといっていいのか難しいですね。

 

ー同じように悩んでいる方にコメントとかあれば!

担降りってそんなしんどいものじゃないかなと思います。だって別に全部にバイバイしなくてもいいし。

Aさんの宣伝大使(フォロワーの中でAさんのことは私に聴け!という扱いを受けていたので、こういう言葉を使っています)だった頃の私はいないなあ、っていうだけで。

Aさんといえば私(身内では)っていうものが、Aさん=私=Aさんじゃなくなって、自分というものの再発見でもするかなあ~みたいな感じに受け止めています。

 

なので、「担降り=悪いのではないか」と悩んでいる方にそんなことはないよ、と伝えられたら幸いです。

そもそも、こんなインタビューしかも自分からお願いしておいてなんなんですけど、Aさんのイベントに近々行く予定ですし(笑)

 

ー行くんですか(笑) 長時間ありがとうございました。ところでこの記事カテゴリどうしましょう?

どれでもあってどれでもないぐらいでいいと思うんで「雑記」または甘夏さんが「インタビューという形で体験」でいいんじゃないですかね。

ジャニーズの人、女性アイドルの人、声優の人、俳優の人、いろんな人が推しになってる人それぞれあると思うのですが、わかる!!ってなって共通する人がいたら教えて貰いたいです。仲間はここにもいるし、そうじゃない人はそれはそれでいいんだよって思うわけで。

 

なんにしても、完成するの楽しみにしていますね。フォロワーさんにバレないかうまいこと誤魔化してください!!(笑)

バレたら気を使われそうなので!!(笑)

 

インタビューを終えて考えること

「推し」「オタク」「担当」という立ち位置っていうのはそれぞれによって違うんだなあという当たり前に当たり前なことを感じ入る次第です。

ジャニーズの「グループ」をチームとして見て、タレントさんを「選手」として見るなら「自分が応援するチームの背番号をつけるならこの人。この人を見たいと思う人をあげるならこの人」という考えをイコールで「担当」という見方をするのも一つの見方としてありだと思います。

フラットな感じで「担当」を決める人もいればそうじゃなくてすごくすごく考えて自分が選ぶならこの人、他の人じゃない、この人がいい!!っていうお方もいます。

それはもうその人それぞれで、「担当」「推し」「オタク」というカテゴリっていうのは難しい。それぞれのニュアンスもあるだろうし。 

 

難しく考えていったらどこまでも掘り下げていけるし、人によって言葉に対してどう見るかもまた大きく相違してくるだろうから、今回こういった機会に恵まれてお話を聞けて実に興味深く考えさせられました。

何かを好きで何かを応援したいっていう気持ちは確実にあるはずなのに人間というのは難儀なものですが、だからこそ自分の好きだったり応援しているものがピカピカ輝いている瞬間を見て胸をときめかせるのではないかなあと。そんなことを思う次第です。

 

だからこそ、今「ファンでありお客さん」の立場にある好きなものをいつか変わってしまうかもしれないことも踏まえて精一杯楽しんでいけたら。そんなふうにお話を聞いて自分の中でも留めておきたいです。