大好きな漫画が終わってしまった……大満足の形だけれど終わってしまった……。
ということでその満足感と「やだ~~~終わっちゃやだ~!!!!!」という気持ちの間で揺れ動きながら、「でもこの漫画面白いから読んでよ~~!!!!!!!!」という気持ちをまとめておきます。
結論だけ先に言うと「トクサツガガガ読んでほしい」。もうこれだけです。
トクサツガガガについて
ドラマにもなった作品です。このブログでは都度「いいぞ!!」と言ってきた覚えがあります(笑)
▽ドラマ版
ちなみに主題歌はゴールデンボンバー。
主人公はオープンではなく、日常では“ファンであること”を公言していないタイプの「隠れオタク」の仲村叶(かの)。
毎週やっている日曜朝の特撮番組「獣将王」に今ダダハマっている一方で、「ソールマン」*1や「ダゴン」*2など、特撮というジャンル全般をいろんな形で触れていっているような「特撮オタク」です。
隠れオタク、というキーワードについてですが、「オタクであることを隠す必要はないんじゃない」という人もいれば、「自分の中では誰かに伝えたいけれど、それを拒まれることが怖くて言えない」という人もいるもので……私は社内の人にサッカーファン(清水サポ)という点はなぜかやたら認知されてるのですが、人の趣味の幅って濃淡含めて色々だと思うので、私のように「いろいろを色々に楽しむタイプ」もいれば「濃く、濃く一つのことに打ち込むタイプの人」もいるわけで。
果たしてそれを「会社」「学校」など、多くの人と話す機会で出したいのかって言われると果たしてなんとも言えない気がします。
オープンにしているとすごい軽い感じで「この前の試合さ~」って言われたりするんですけれど、もれなくボッコボコにされた試合……例えば先日の川崎フロンターレ戦とかを話題に出されると「もうやめてあげて」って気持ちになるので、「いっそ触れないでほしい」という人の気持も1mmもわからない、わけではないのかな。
ちなみにこの作品は「隠れオタクである会社員の彼女が日常の中で特撮を通じながらドタバタするコメディ」というように紹介されていることが多いのですが、確かにコメディ要素も強いんですが(同時に「そうだよな~!!!!」ってなることが結構ある)同時に仲村さんの親子としての考えや、友人たちのお話、「好きだったものを忘れて、次に進んでいくこと」など、何かを好きだったからこその触れられる部分がすごく刺さります。軽く見えるけれど、すごく刺さる。
それが「トクサツガガガ」の魅力だと自分の中では捉えています。
彼女が出会う人々や出来事の中で、大切なことは「特撮が教えてくれた」……みたいな感じになっていますが、要するに「好きなことを好きと自分で肯定する力」をくれるのもまた、トクサツガガガの魅力の一つ。
「この世に無駄じゃないものなんてない」っていう話がすごく好きでして。
「これ買っても結局使わないんじゃないかな」というお話の中で、他のオタクの人に「この世にムダじゃないものなんてないんだよ」と諭されるシーンです。ユーズドショップで買う/買わないのお話で最終的に「ほしい」という気持ちを忠実に「買っちゃえ!!!!!」ってなる流れの話で、最終的に「よっしゃ買ったらぁ!」っていう展開です。
ムダじゃないものなんてない。服だって着なくなったらムダになるし、本だって読まなくなったらムダ。CDだって取り込んでしまえばもうそっちで聞くからムダ。
そう言われてしまえば「そう」なのかもしれない。でも、その時自分が“ほしい”と思うからムダではない。
いつかムダだと思う日が来るまで、その日までは「好き」「ほしかったもの」として使っていけばいいじゃない、という見解で実にそのとおりだなと思いました。
いいじゃんジャニショの写真いっぱい買ったって!自分が「ほしい」という気持ちに突き動かされたんだから!(見返して「同じ写真なぜ10枚も私は……?」ってなることある)
いいじゃんガチャガチャ回したって!選手のグッズほしかったんだから!!(エスパルスの大人ガチャお値段するのに欲しいからひたすら回すこと結構ある)
いいじゃん円盤買ったって!今の自分がほしいと思って買ったのだから!!!(手元に置くことで満足しちゃって結果未開封なのあるある)
以前Twitterで見かけたのですが「ほしいと思ったものを悩んだ時に理由が“高い”とかなら買っていいと思う。他の理由があるなら一度置いたほうがいい」というものがありました。一方で「高いな」と思うものなら一度欲しい物リストとして置いておいて、少し(1週間なのか、はたまたもっとなのかはその人によって異なると思いますが)してやっぱり「ほしい」なら買ったらいい、という意見もありました。
どちらもまた、間違いではないんだろうな、と感じます。
ドルオタ・北代さんについて
このトクサツガガガでは隠れオタクの仲間の一人、ローカルアイドルオタクの北代さんという方が出てきます。Bee Boysというローカルアイドルグループ*3を追っかけている中で、オタク仲間によって社内でオタバレした結果周りに気を使われ、それが辛くなって転職したり、一方でオタク仲間である「ミヤビさん」との関係だって間違いなく楽しかったものなのに――といういろんなこじらせている部分がある女性なのですが。
彼女がBee Boysというグループにハマったきっかけの話を見たり、また同時に「えっ……安い……!」と特撮価格に驚いたりする姿を見て「そうだよなあ」と感心したり、同時にファンの形色々だからこその違いみたいなものを見させてもらったりしています。
(ドラマ版4話「オタクノキモチ」より)
仲村さんにとっての「特撮仲間」は吉田さんという方がいて、その方とのお話がこのトクサツガガガにおけるベースになっている部分もとてもあります。
「良くも悪くもなんにも変わらない。おとなになってからできた生涯の友達」というのが吉田さんと仲村さんの二人がテーマになっている*4なかで、北代さんは「自分とは違うタイプの人だけれど友だちになった」というタイプの方です。
オタクの形ひとそれぞれ。人というのも人それぞれ。多様性の中の、ひとつの「何かが好き」な人として描かれているという意味ではすごく素敵だなと思いました。
うちわのレタリングについて見ていたら「すげ~!!!!!!!!」と思わず感心したのは言わずともがな。オリジナルうちわ作ることもありますが、あんなきれいに作れる北代さんすごい。
変化を伴いながら進む
この作品を通して「変わった先も良いものだと伝えること」についてひしひしと感じることがあります。
誰でもハマった“その時”のものが一番楽しいものではないでしょうか。
だからこそ、変わっていくことに対して自分が好きだったものではなくなることもすごくよくあります。
「変わらないことに苛立つ」「変わってしまうことを悲しむ」その一方で自分たちも成長していくからこその難しさがあります。対人であれば、その人が時間を進めている中で一方で自分も変わっていく。
作品であっても時代の変化、自分の変化、周囲の変化それぞれが合った上で作られていく。
じゃあそうなったときに、そのズレを「自分が好きだったものは“これ”であって最新作ではない」と割り切ることもいいでしょう。
それもまた、一つのスタイルで。リメイク作品について「うん……うん……」ってなることもよくある話です。
でも一方で「変わっていく、変わったからこそ、今の変わったものも良いものだった」と言うことをやめない人もとても素敵で。そういう風に誰かに流されずに自分の感情を柔らかく伝えられるようになれたらいいなぁと読みながらと教わりました。
前へ進んで、過去になっていくこと
この作品は「獣将王」という作品がはじまって、そして終わるまでの1年間を描いた物語です。
とても密。すっごい濃密な1年だなぁと思う一方で(めちゃくちゃ仲村さん毎週忙しいなとも感心してしまう)同時に、登場人物たちの成長もゆっくりと、でも確実に描かれています。
彼らは「オタク」「ファン」というククリの中で生きて、でも一方で属する形もそれぞれで、一番大きく変わっていくのは特撮という作品ジャンルの一番のターゲット層である「少年」であるというのがとても好きな箇所でした。
「仕方ない」「もういい」「頑張ってもムダ」「どうしてそこまでやるの、意味ないのに」「需要ない」
いろんな言葉が世の中にはあって、その言葉は容赦なく作り手に、そして“それ”が好きなファンに降りかかられていきます。
最終巻に向かっていくにつれてダミアンという少年がだんだんと心をこり固まらせて好きだった作品も、誰かと夢中になることも一線を引いて「モウイーワ」になっていくなかで、それでも真摯に誰かのために、と戦う彼らを「頑張れ!」ということに向き合っていく姿を見てめっちゃくちゃ刺さります。
応援しているなんて馬鹿みたい、結果なんて見えてるのに。絶対勝つって決まってるのに。そんな風にいうダミアンの言葉は「もうこんなにボコられてるんだから負けるよ」みたいなかんじで言われた時にちょっと似てて、何ならそれを自分が1度も思ったことがないのか?って言われたらそうでもないのでヴッ……となったりもしました(笑)
その中でみんなの声援が鍵となるヒーローショーで「声がでないかもしれないけれど、絶対くると信じて打つ大博打」の獣将王の姿はすごく劇的に描かれていました。
「ないならないでも、やりきる肚はあるでしょ。」
「ステージに立つ人は強いっスよ!」
(トクサツガガガ20巻より引用)
このセリフは自分がステージに立つ人たちを追っている身として、またスタジアムで駆け抜けている人たちを見ているからこそグッサグッサ刺さりました。
どんなに格好悪くても、どんなにグダグダでも、最後まで走り抜ける、やってくれると信じたいと思えるのは、「この人達を信じている」からで、一方で作り手もコチラ(受け取り手)への「信じたい気持ち」があるから続けている、というのはなんかこう……得も言えぬ気持ちになります。
「自分たちについてくることで、悔しい思いをすることもあるだろう」と言われたことがあります。
また、一方で、「結果が出せずファンの方に申し訳ない」と言われたこともあります。
これどっちも本当に心にグッサグッサきて「そんなこと言わないでくれ~!!!!!!!」ってなるのと同時に「この人達にこんなことを言わせてしまって申し訳ない」という行き場のない気持ちになりました。
両方それぞれ違うものだったんですが、こう……コチラ側の困惑とか、もやもやってステージの上や遠く離れた場所であるはずの”あちら”にも伝わっちゃってるんだな、という……。
サッカーでいうと「どんなにやろうと結果を出すのは選手たちの仕事で自分たちの声なんかあってもなくても変わらない」というのも事実だと考えています。
それでも応援したいとか、声を出したいと思うのは自分の中で突き動かされる「何か」があって。それは多分この作品の中にある「頑張れ」といいたくなる仲村さんたちの気持ちに類するものなのかなぁ……とか。其々に其々の気持ちがあって、その中で向き合いながら、走り続けようとしている姿を見るのがやっぱり私は好きです。
その理由をこの作品を見ていて、完全にOLドタバタコメディだったはずなのに最終巻で「熱い」って気持ちと「わかる」って気持ちと、ほどけていく「好きだって叫んでいいんだぞ」という気持ちがゴッチャゴチャになっていくのを感じました。
いつか好きだったものの手を離すことがあったとしても、それでも自分が好きだったものを忘れてしまったとしても、気持ちは「ここ」にあったのだとそう言えたら良い。
自分のできることを、自分のやってみたいことを。自分の「好きなこと」を向き合えたら。
こう感じさせてくれる良い漫画でした。
コミックス派なので毎週読んでハラハラ!ドキドキ!というリアタイ系ではなかったのですが、伝わってくる熱量は間違いなく本物で。
たくさんのもの、こと、ひと。其々に触れていきたいしもっと知っていけたらと感じる良作でした。
ドラマ2期作ってくれ~!!!!!!!!とか言いたい気持ちも色々あるんですが(笑)
わくわくとドキドキが詰まっている、素敵な作品に出会えたことに今もとても満足しています。好きなものを好きということ、楽しむということ、馬鹿にされてもやっぱり「好き」っていう気持ちは大切にしていきたいなぁと思うばかりです。
そして奇しくもこのタイミングで、仮面ライダーゼロワンが本作最終巻が出たタイミングで最終回を迎えました。作品が終わってしまって、どんどん次の作品たちが出てきて、時間を経ることで「過去」になっていったとしても、そうやって前に進んでいく限り「そこにあった」という中で過去もあってこその「今」なわけで。
その上で過去に見たものを経験として、新しいものを作っていくから「続いていく」っていうのは、糸が繋がっていく奇跡みたいな部分もあるんだろう。
獣将王最終回の映像を見てたら「まとめて!!!まとめてみたいぞ獣将王!!!!!!!!!!一挙見させてくれ!!!!」って気持ちです。多分推しはトライガーになりそうなんですけれども(笑)
“さよならは 言わない”という作品のスタイルに倣って、本を読み終えた時。一番最後の奥付を見てふーっと力が抜けていきました。
一つの物語の終わり、でも日々は続いていく。「生き続けていく」ってそういうことで。
だからこそ私は人の推しをこれからも聞いていきたいし見ていきたいし、その上で自分の好きなヒト・モノ・コトを楽しんで「好き」と言い続けていたいですね。
だから胸をはって言おうと思います。
トクサツガガガはいいぞ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ちょっとずつ、シュッとして自分もなっていったらいいなぁ。そんなことを思える漫画でした。
いつかまた、どこかでのために「またね!!!!!!!!!!!!!」と大声で叫んでいます。