皆さん「サッカー選手」って言えば誰を思い出すだろうか。
大迫?うんうん半端ない。
岡崎?うんうん、裏を取れ。ゴールを決めろよ岡ちゃん。
中山?うんうん、中山中山ゴンゴール。
本田?うんうん、俺は持ってる。
みんなそれぞれにそれぞれの思い入れがあると思います。
それぞれに、それぞれのサッカーがあって、その「サッカー選手」にきらめきを感じて、好きな選手になる。自分が一緒に背負いたいと思うユニフォームを買う時、誰の背番号にしようって悩んだとき、とか、ね。色々思うことが有りますよね。
そんな中で、私の中でも「だいすき」の一人、市川大祐さんがスパイクを脱ぎました。
ということで、そのことについてつらつらと書きたいと思います。いつか、誰もが「その道」から違う道を選ぶ日が来る。それは老いだったり負傷だったり、自分なりの決断だったり。色々が交錯して、自分の中の「決断」になる。
いろんな思い入れがあって然るべきなので、私なりの、「市川大祐」という人との思い出と、市川大祐という選手について。
市川大祐という選手について
愛称は「イチ」。清水エスパルスというチームの、Jrユース、ユース(いわゆる下部組織)に所属して育った、いわゆる「生え抜き」の選手です。
17歳でJリーグデビュー。この時まだ高校生のなかでのデビューでした。
ちなみに高校在学中にデビューする選手の記録は2018/01/10現在は15歳10カ月6日、当時東京ヴェルディにいた森本貴幸選手が持っています。
それから彼の経歴は決して楽なものではありませんでした。
1998-2010 清水エスパルス
2011 ヴァンフォーレ甲府
2012 水戸ホーリーホック
2013-2014 藤枝MYFC
2015 FC今治
2016 ヴァンラーレ八戸
色んな所を渡り歩きました。
また、98年フランスワールドカップの際には「オーバートレーニング症候群」となり、その症候群を一気に有名にしました。24歳で引退も考えるほど、辛かったものだと聞きます。
01年にはJリーグのアシスト王になるなど、輝かしい功績を残しています。02年の日韓ワールドカップで日本が敗退した際、誰よりも悔し涙を流していたのは私の中で鮮明に記憶に残っています。
市川大祐、という選手はすごいキレッキレなクロスを上げる選手でした。レーザービームかよ…ってぐらいのクロスをあげて、それがドンピシャに上がる。
アレックス*1との両サイドでシーソーゲームのように動き回り、大きくサイドチェンジをして「いっけーーーー!!」と走る姿は幼い私にとってはグリーンの、それこそ今でこそベストピッチ賞をもらっている日本平スタジアムが穴ぼこで「これはひどい」と言われ続けていた時代も、ガンガン走って、走って、走っていく。その走行距離を図ったらどうなるんだろう?ってぐらい「走る」「飛ばす」そんなサッカーをしていたイメージが有ります。清水エスパルスというチームの右サイドバックといえば、と言われる人です。
でも一方でいわゆる「クロ…うん…ワロス…?」と揶揄されていた頃もありましたね。懐かしい。そんな時代も含めての、市川選手だと思います。いろんなことがあったでしょう。優勝出来なくて悔しかった思い出だっていっぱいある。勝てて嬉しかった思い出も山のようにある。そうであって欲しい。
そんな彼が去った今、現在は松原后選手が背番号を引き継ぎ、グリーンのピッチにオレンジのユニフォームで走り回っています。鄭大世選手には(# ゚Д゚)<后!!!!!!!! って散々叱咤されているようで、そのかいあってか代表への光も見えてきました。まだまだ荒削り、だけど確実に育ってきている。そんな選手だと思います。
芽吹いて、育っていく。そして、追い抜いていく。時代はめぐる。
その中で、過去に走り続けた先輩の背中を見て何を思うのだろう。何を感じるのだろう、と考えて、彼らが走り続けている、美しいけれど残酷なまでの世界に目を落とします。私はそれでもやっぱりサッカーという競技が好きで、エスパルスというチームが好きで、応援し続けていたいのですけれど。取り敢えず2018年のユニフォームが出たわけですけれど今年どうしようかな。
なお、イチくんは2016年の引退の後、2017年からエスパルスの普及部スタッフに就任しています。
2017年10月にはJリーグから功労選手賞として表彰、Jリーグアウォーズに参加しています。
市川選手、ではなく、「市川コーチ」とよばなくてはならないというは何だか不思議な気分です。それでもやっぱり、清水に根ざして、これからも続けていくと思うと感慨深いものがあります。
お疲れ様ですとありがとうと、これからもよろしくお願いします、という気持ちを込めて。
市川大祐引退試合について
1月8日、連休最終日。新成人のお祝いの中、其の日は馬鹿みたいに冷え込む日でした。寒い。なんでよりにもよって雨なんだ…と寒い一日の中、その試合を迎えました。
来場者数1万越え。新年の、しかも雨の中で。
冷たい雨が降った引退試合。史上最年少の17歳322日で日本代表の試合に出場した98年の日韓戦。2002年ワールドカップ(W杯)日韓大会の決勝トーナメントで敗退し、号泣したトルコ戦。16年、日本フットボールリーグ(JFL)のヴァンラーレ八戸での現役最後の試合。節目の試合はいつも、雨だった。
そう思うとたしかになあって気持ちとふふと何だかほっこりしてしまいました。
引退試合は静岡新聞でも中継が行われ、静岡県外の人たちからも注目を集めていました。
このためにメール登録したのはいうまでもない。アーカイブで配信もされているから、もし興味がある方いたら是非見て欲しい。ちなみに私は家に帰ってもう一度見て、あーーーうわーーーってなんか一人で泣いた。
試合を終えて、松原后選手はこう語ります。
サポーターに愛され、こんなにも多くのスター選手が試合に来てくれるそれを築き上げた市川さんを改めて凄いと思うと同時にまた尊敬した日でした。俺はその25番を自分なりに築き上げていきたいです。
試合中中山雅史選手のトーク力に舌を巻いたし「イチがね、ついてくるのよ!でね、振り切ったらテルがさあいるのよお……最近喋るようになったテルが!!」っていう物言い笑ったし試合に集中したのに笑いを取るし面白い人だなってあたら溜めて思うし、小笠原満男選手のキャラわかってんなあこの人って言う意味でも笑ったし。オージーがいることにも更に震えたし。長谷川健太氏について皆小ネタにしすぎててツッコミポイントが多すぎて、笑いが耐えませんでした。
【結果発表】
— JAPAN AIRLINES【JAL】 (@JAL_Official_jp) 2018年1月8日
市川大祐引退試合の結果を発表します!
エスパルスオールスターズ ⚽️⚽️
ジャパンオールスターズ ⚽️⚽️⚽️
市川選手は前半、エスパルスオールスターズ、後半、ジャパンオールスターズに出場し、ハットトリックを決めました‼️ pic.twitter.com/iJMbDUDdnL
そして、試合後の皆のコメントでうっかり「うわあ…」と泣きそうになったというか、泣いた。
そして、同時に、彼がコメントした「J1,J2,J3,JFL,地域リーグで経験したことが自分の誇りです」という言葉。
「J1、J2、J3、JFL、地域リーグ、5つのカテゴリーを経験したことは、ぼくの誇りです」 pic.twitter.com/gXF20Wdtnr
— おん (@Orange_papico) 2018年1月8日
そして、全てのチームに対する、背番号。
いい関係だなあと思う。素敵だと思う。
彼の、サッカー選手としての人生が終わりました。
サッカー選手としての”市川大祐”はここで終止符が打たれてしまった。そのことがとてもとてもさみしい。本当に寂しい。正直いって、私は「寂しい」の気持ちが強いけれど、じゃあ選手一人一人の人生を全部背負ってあげられるかって言われたら微力すぎるサポーターの一人で、そんなことはできなくて、だから「寂しい」って言葉しか言えないのだろうなと思う。
残念だ。でも同時に、イチが決めたことだとも思うし、それでも「エスパルスに貢献したい」とスタッフとしての道をあるき出した、そこにエスパルスがある。彼の「人生」はまだ続いていくことに感情が揺さぶられたのは言うまでもない。
私は静岡県民じゃないし、静岡の友人たちみたいに気軽に試合にいけるほうじゃないかもしれない。常ににわかだっていう気持ちもある。気楽に、自分が楽しいから、サッカーにいきたい。サッカーを見たい。
それでもやっぱりエスパルスが好きだ。イチくんが好きだ。サッカーが好きだ。試合にいけなくたって応援できる方法はある。取り敢えず「金を落とそう」。その結果のユニフォーム貢献になっているし、お金を出す方法について考えまくっている。今年は何人かエスパルスの試合っていいよって言ってる芽吹きつつある友人たちを引っ張り込みたいなあと思っているところです。
イチくんといえば、「cafe de S」というコーナーで「花咲」*2ってお店がお気に入りで紹介してたり(一度いってみたいと思い続けてはや数年)。草薙グラウンドで行われたファン感(選手とサポのふれあいみたいなの)で、小学生+それぞれの選手が入ってやりあうミニサッカー(その後大人もやった)で、私イチくんのチームだったんですけど、めっちゃ冷静に「そこっ!」ってシュートする瞬間に的確に声だしてたのが印象的。ちなみにその後の大人のミニサッカーの時は初心者だろうと何だろうと容赦なくぶっちぎっていきました(多分手加減はしているだろうけれど)。
当時の思い出を振り返りながら「すげー!すげー!」って言ってた思い出があります。当時練習場にて小学生でカードにサインが欲しくて「おねがいします!」っていったらカードがぶっとんで「?!!!!」ってなった結果大急ぎで拾いにいってくれた思い出があります。「曲がっちゃったね」って言われたことが忘れられません。
ちなみに戸田和幸氏にはマジで兄妹ゲンカみられて、帰りにハイタッチするとき森岡さんと揃って「兄妹仲良くしろよ!兄ちゃんにちゃんとごめんなさいしろよ!」って宥められたのを覚えている。お二人ともお元気そうで安心しました。なお兄妹は相変わらずアホみたいなことばっかしています。
私は「当時がよかった」「懐かしい」って気持ちもありますが、それでも今の、現在走り回ってる松原選手を始めとした色んな人達が集まっている「清水エスパルス」が好きです。いろんなものが繋がって、繋がって、そして今がある。
イチくん、お疲れ様でした。そして、これからもよろしくお願いします。
いっちいっちいーちー!いっちかーわーだいすけー!!
*2:草薙から移転したらしい。静岡市 | 旬味 花咲