A.B.C-Z主演映画「オレたち応援屋!!」が公開されました。
ということで映画に合わせて足を運んできたのですが、昨今鬼滅の刃の効果で映画館が凄く盛り上がっているのを見られて嬉しくなりました。新型コロナウイルスの影響で落ち込みがちだった空気の中でこうやってエンターテインメントが一つでも盛り上がって「いいよね!」「楽しいよね!」っていうことになったことが明るい兆しとしてニコニコと笑顔を作りたくなります。映画館のみなさんが換気や対策をしっかりをされているから今日の映画に繋がっているのだとも感じます。心から感謝したいですね。
ということで、以下感想になりますが雑記にほぼ近い状態ですのでご注意下さい。
自分のブログであることをいいことに「隙自語*1」&「日頃応援というものを自然とやっている(サッカーチームのサポーターとして)人」の意見になります。
- 応援屋の映画についての概要
- キャスト/スタッフについて
- 登場人物について
- アイドル映画かどうかのニュアンス差
- 演出について
- 全体通した感想
- 俳優陣のお芝居について
- メイキングについて
- 応援屋から、応援ってなんだろうと自らも考える
応援屋の映画についての概要
エールで世界は変えられるか!?
振り向けば奴らがいる、人々を“応援すること”を生業とする者たち〈応援屋〉が。<応援屋>として日々の依頼をこなしながらも、ただの便利屋となってしまっていることに嘆くメンバーたち。
「応援って、何なんだろう」と悩み始める彼らに一件の依頼が舞い込んでくる。
それは、とある島の高校教師からの「卒業する生徒たちのために、伝統行事である《雷神祭り》を復活させるのを手伝って欲しい」というものだった。
しかし、祭りの復活には、人々が恐れる“呪い”の存在や反対派の生徒などの壁が立ちはだかる。
果たして<応援屋>は祭りを復活させることができるのか!
そして“応援”の先にあるものとは?
5人の応援大作戦がいま、始まる!!
(公式ホームページより引用)
「応援屋」という存在については先日ブログにて舞台の感想を記録したのでそちらを参照してもらいたいんですけど、めっちゃくちゃざっくりいうと「誰かを応援することを生業(商売)にしている人たち」です。
▽舞台感想
ただ、実際のところ「誰かを応援するのにお金取るのかよ!!!」といいう気持ちあるのか、あまり仕事は彼らにはやってきません。来る仕事は明らかに便利屋(迷子の犬を探す、水道トラブルが起きたので対処して欲しい)のものばかり。
しかもメンバーがお人好しが過ぎて、集金もうまくいかない。ぶっちゃけ開店休業&廃業寸前・・・というかんじです。
キャスト/スタッフについて
概ね舞台版とスタッフとキャストは同じ。
- キャスト
橋本良亮 戸塚祥太 河合郁人 五関晃一 塚田僚一(A.B.C-Z)
小島藤子
井上瑞稀(HiHi Jets/ジャニーズJr.) 猪狩蒼弥(HiHi Jets/ジャニーズJr.)
林 蓮音(Jr.SP/ジャニーズJr.) 和田優希(Jr.SP/ジャニーズJr.) 鈴木舜映(ジャニーズJr.) 鈴木大河(ジャニーズJr.)
ふせえり 真飛 聖 国広富之 - スタッフ
監督:竹本聡志
脚本:徳尾浩司
音楽:濱田貴司 - 主題歌:A.B.C-Z「頑張れ、友よ!」(ポニーキャニオン)
配給は東宝映像事業部。
どちらかというとジャニーズ映画というと松竹のイメージがありましたが、今回は東宝映像事業部だそうです。
東宝映像事業部を調べてみたら東宝アニメーションとかとも関わっている部門でもあるのようで。言の葉の庭などもしかり。
調べたらいろいろな記事が出てきて「なるほどな~」となったので合わせてご紹介。
東宝では従来から、『ドラえもん』や『名探偵コナン』のようなファミリー向けアニメと別に、いわゆるアニメファン向けの作品を数多く手がけてきたのだが、こちらは主に映像事業部が担ってきた。映像事業部はアニメ以外の実写映画も担当するが、概ね公開規模が150館以下、いわゆる単館系の映画が同部署、というのが一般的なイメージだった。
(上記サイトより引用)
ここにあるように、実際のところ映画館として上映されている数は他の作品に比べてみるとやっぱりどうしても少ないかんじの映画ではありました。
昨今東宝アニメーションというと「君の名は。」を始めとした新海誠作品が伸張していることもあってどんどん変わってきているのだろうなぁとしみじみしていたりします。だからまた、少しずつでも良くなったらいいよねということで(笑)
登場人物について
公式でキャラクター紹介ムービーがあるのが非常にありがたいところなのですが、今作の登場人物は主人公が5人。「応援屋」という人たちが物語を進めていきます。
- 剣持秀一郎(橋本良亮)
「応援屋」という仕事をしている。
もともとは東京のど田舎/島出身だったが東京に「バイトをしにいきたい!!」ということで喫茶店のバイトをしている。そのバイト先が喫茶エールであったことがきっかけで応援屋をしている*2。
言葉が結構きつい。「便利屋扱いされてんじゃねーよ!!」という気持ちを持っている一方で「応援ってなんだろう」ということを考えてぐるぐるしている。
根本的にあまり頭がよくない。文字書くのが下手。 - 大城戸寛人(戸塚祥太)
学生時代野球部だったものの、高校野球最後の年で肩を怪我*3、マウンドに立てない、ベンチにも入れない自分がもう負けを確定しているチームに出来る精一杯の「応援」をしていた中で「応援すること」に目覚めている。ハイネックを常に着ている。柔らかな表情が印象的。 - 犀川勇(河合郁人)
大城戸と学生時代の同級生。
2016年応援屋の荒木修也*4を見て応援屋になった。*5
「応援で受験を乗り切った」ことから応援する側に転身。
なお、胡散臭い関西弁だが実際関西人ではなく、この関西弁は舞台版応援屋にてちょっとかわいい女の子に「関西キャラが一人居たほうがいい」という理由で始めている。ツッコミキャラ&ガヤになりやすいが、結構ドライな部分も持っているように感じられる。「商売は無理」とわかっている気持ちと「それでもやりたい」のジレンマの共存。 - 白井和磨(五関晃一)
応援屋の頭脳班。大学でAI研究をしている。
「将来は応援さえもAIができるようになる」「そのために自分は応援について調べている」というくだりで応援屋に。結構惚れっぽい。割と最近ガチな失恋をしている*6。基本的に会計も彼が行う。タブレットを持ち歩いているので、インターネットがないと結構しんどい。ネット駆使する系。 - 森田壮吉(塚田僚一)
「応援屋」の看板とも言えるような明るいキャラクター。
ずば抜けて明るいため「あの人だけ雰囲気が違う」と言われたりもする。
過去に新体操をしており、その応援に誰もこなかった過去と「ここに居る他の人を応援している人たちを自分の応援だと思おう」ということで乗り切っており、その重要性を知る。基本応援屋の商売がカツカツなのは彼のせいな部分もある(情にほだされやすい)
見て分かるとおり、大体がパブリックイメージでほぼ彼らの当て書きです。
また、その他のメンバーについては女性教師(沙織さん)が今作のマドンナ役。彼女を巡ってしっちゃかめっちゃか大騒ぎしています。
学生側の対立としては推進派の門倉くん(井上瑞稀君)と否定派の水野君(猪狩蒼弥くん)を中心に物事が動いていきます。
アイドル映画かどうかのニュアンス差
いわゆる「アイドル映画」というカテゴリーで見ていくと「それぞれにそれぞれの見せ場を作っていかなければならない」ということを前提にあるので、その中で軸を作るの大変だなぁと感じました。
最初は「応援屋という仕事ってこんなこと」っていう流れがあり、彼らの実態を描く。そこで依頼が来る、依頼先ではトラブルも発生している。それを解決し、無事にやりきる。
とてもシンプルな作りだったので、舞台と映画とどっちのほうがさっぱりして見れるか、と聞かれると私は「映画」と挙げたいです。ほぼ「あてがき」とはいえ、そこにいるのは彼らではなく「応援屋」だからかもしれませんが(笑)少し温度差があって、さっくりと楽しめるという良さがあったように感じます。
話の中身がシンプルなぶん、もう少し盛り込みポイントがあってもよかったんじゃないかなぁと思う一方でそれをすることで全体のバランス(今作の主人公がA.B.C-Zだからこそ)が崩れてしまうがゆえだろうな……ということも含めてアイドル映画の難しさを改めて痛感させられました。
学生たちのぶつかりあいの主張が実に青く、それでいて「全く考えていないわけではない」というのが凄く感じられ、そういう意味で井上瑞稀くんと猪狩蒼弥くん、そしてJr SPの子たちの対比が見ていてよく分かるのと、そこに寄り添っていた大城戸くんが個人的に表情込でよかったように感じられます。
戸塚祥太さんという人は後輩に好かれていることで有名ですが*7、そういう意味でも「大城戸」というキャラクターがなんとなく柔和でバランサー、周りのことを見た上で「その子」を否定しない上での聞いて、背中を押すというのは彼を通しながら戸塚さんを見られた気がしました。
舞台版で…もしかして…市浦くんたちに彼が寄り添っていったらもしかして物語はサクッと進んだのでは…とか思わなくもないのですが(笑)
関わった人が今回は舞台と組み合わせが違うからこその良さもあったのかなと思います。
ヒロインとの関わり合いかたを見ていると、応援屋を主役というより沙織さんが主人公の乙女ゲー見ている気分だな…とも思わなくもなく。ああいう作品ある……知っている…一部作品で見たことがある…というのはさておくとして(あそこまで2コマ落ちではなかったけれど)全員が好きになるの早すぎて「ちょろいな!!!!」となったんですが剣持くんも案外チョロチョロのチョロで舞台ではあまりそんな印象がなかったから*8「懐に入れるとこの人本当にチョロいんだな…」ともなりました。
さすがぶれない。キャラクターで言うと唯一キスシーン未遂があったのでそういう点は「センターだもんな~~~!!!美味しいところもらうよな~!!」ともなりつつ、個人的にはもう少し彼自身の「親」との関係や、【周囲】との関係、そして何より「自分が目指しているところが分からない」のことを掘り下げてほしかったりもしました。ストーリーを見るか、シーンでみるかの多分違いなんでしょうが…。相変わらず背中が好きだなと橋本くんの芝居シーンでは思ったりしました(笑)
ストーリー全体で言うところの感想としては「30代」という登場人物である*9中でお風呂を覗こうとするシーンなどがあって「それはいらなかったんじゃないだろうか」となりました。
悪ノリだろうと何だろうと(10代であろうとなかろうとアウトはアウトですが)社会に出ている彼らがやるべきではないし、そもそも世の中の流れとしても「いたずら」では済まされない性犯罪なわけですし、それを登場人物に肯定されるのは完全に胃が痛いというか……。事故ではなく故意っていうのも含めて視線を落としてしまったのが正直なところです。
お風呂シーンでもあることから「アイドル映画」であるため、サービスショットとして選ばれたのでしょうが(明らかに冬服を着ていらっしゃることもあって、水着というわけにもいかないでしょうし)個人的にはそれならもう少し違う形にしてくれたほうが嬉しかったかなぁというのが本音です。not for meと言ってしまえばそれっきりですが、アイドル映画でそういう犯罪を肯定してしまうような流れがあるのはちょっと…とはなりました。
「めちゃくちゃ寝相が悪い」結果、抱き合って半裸状態で寝ていたり等々がありBL要素が無きにしろあらずだったんですが*10、そこを含めても「いるかなぁ…」という疑問符がちょっと浮かんでしまって。
異性愛・同性愛どちらにしても「この作品でもそれを詰める理由は」と考えると「ファンサービス」ということだけに帰結しがちで、本筋からずれすぎているような気がしてしまうのが残念でした。もったいないな~~~という気持ちが強いと言うか。
このへんのサービスについては1年前に色々問題があがっていたときに見かけたブログさんで「女性は文字で、男性は目で」というのがあって非常に興味深くありまして。
自分が余りこう……「それはいらんかなぁ……」となったのはダイレクト表現が苦手だからなのかもしれないな、とも感じました。
あとは単純に車で沙織先生怪我させたくだりは完全に傷害罪だと思うのでアウトかなあ……とか細かい部分で「それはだめだろう」が散見されました。
<そういう作品だから>と言ってしまえば簡単なのですが、ちょっとムムム…としてしまうというか。町長それは職権乱用にもほどがあるというか普通にアウトだし、だとしてももっと掘り下げ要素はあったかなぁとも感じました。沙織先生の怪我は流石に治療費出すんですよね……?
全体的にもう少し起承転結に合わせて彼らの背景があったら良かったかなぁとは思います。
「それぞれの言葉からそういう事象があったことを説明される」だけではなくて、「今」どう思っているのか、どういうことを考えているのかの描写が描かれていたら、もっと「なんで剣持はこんなに反発しているんだろう?」「でもやっぱり情にほだされて一番頑張るんだろうね」とかのズレが生じないのではないかなぁとも。
また、森田くんが素直に感情をむき出しにして「無理じゃなくてやれ」というシーンがある中で、そこのステップが「過去にそういうことがあったから」ということで終わってしまうとキャラクターとして弱いような感じがして、もう少しせっかくだからいろんなことを考えている、だから一生懸命にやる、一生懸命に「応援する」という”繋がり”を見せてほしかった気がします。
(これはちはやふるのシーンの一つ。「やらない理由」とか「やれない」とかじゃなくて「やる」ということを言うシーンは「いいぞいいぞ~!!!」ってなりますよね)
「この状況下」であることを認めた上で、次のステップに踏み出そうとしているのが他の誰でもない「応援してくれる人がいない」という状況から切り替えていった森田くんというのが中々くるものがあります。
「じゃあこの状況で、どうする」を考えていくと「やるっきゃない」になるのが非常に良いです。諦めが悪いというべきなのか、最善の次は「その状況に陥った上での次の最善」である、みたいなように見えました。
森田くんの「誰も応援に来なかった」というのは正直なところそんなことはなくて声に出さないけれど、言葉に出さないけれど見ていた人はいるんじゃないかなぁとも思ったりします。それに気づいたらどうなるんだろうなぁ、とか想像してみるとくるものがありますね。
軽トラを助けるシーンのときに水野くんたちが手伝うときに一度突っぱねたりとかして「いいんだよ!やりたいんだよ!」とか言ってくれたら多分心の交流がもっと出来たのかなぁとか。尺の問題だからしょうがないのかもしれないんですけれども。せっかく良いこと言ってるんだからもっと引き込まれたらよかったな~~とも。その後のアキラとのやり取りは「森田くん」がいたからこその成り立っている部分もあるように感じられたので、そういうのも含めての「もったいないな~~~」と感じるところがいっぱいありました。
白井さんの計算、予算の面ももう少し「なぜ彼がやっているのか」という部分やそこをキーにして動いている部分があったらよいなと感じました。計算キャラクターだからこそのWi-Fiの下り含めて「この人」だからこそのポイントがほしいと言うか……。
メイキングにて「撮影中に振り付けのことが頭にずっとあった」というお話をされれているのを見ると仕方ないのかなと思う部分と「それとこれとはまた別だよな!?」というジレンマ。
演出について
コメディにしたいのか、はたまたハートフルストーリーにしたいのかでの印象が違うのですが、いわゆる「コミック系」にしたいがための演出にしても変顔、ハート背景などの演出が個人的には「コメディにしてももう少しアレンジがほしいかなぁ」という印象でした。
変顔が嫌というよりも、「そのシーンって必要なのだろうか」という疑問とか、「変顔すれば笑うわけではないんだよなあ」というテンポ面の心持ちとしての複雑な心境でした。映画の展開としてアップになって変顔になるという下りが結構ずっと続いているのも含めてちょっと個人的にダレてしまったりとかありました。
ハートを撒き散らしてのマドンナのくだりもまたしかりで、全員がときめくというくだりで必要だったのかなぁとも思うのですが同じようにカットして同じようにSE入れて同じようにハートが飛ぶのの繰り返しが続くのは「こう!!!みんな!!!ときめき方変えてほしいな!!!」というのが正直なところです。
まぁ塚田さんの演じていた森田くんが落ちといえば落ちなんですけれど、舞台を見た後だと「またこの落ちか~~」っていう繰り返しになっちゃっているんですよね。正直「もったいないな」というか、繰り返し繰り返し見るのがちょっとつらい。
そういえば作中でアイスを食べるシーンがあって、剣持くんがザ・クレープを食べている横で大城戸くんたちがパリパリバーを食べているのが印象的でした。突然の森永製菓つながり。
パリパリバー好きとしてはあっ、とニコニコしてました。美味しいですよねパリパリバー。ザ・クレープも板チョコアイスも含めて何かを美味しそうに食べている姿は良いですよね(宿屋での兜焼き美味しそうでした)
全体通した感想
ここまで色々言っている上なんですが、それでも「生徒同士の対立」としての流れは個人的には好きでした。大人として成長を見守る人たちが、感情を持って「どうにかしなくちゃ」と「それをすることで残される側の気持ちが分かるのか」というぶつかり合いを取り持ち、プラスアルファで「俺達が出来ることをする」「できる・できないではなく”やる”」というコンセプトは非常に良かったです。
喧嘩シーンだとジャニーズだと「BAD BOYS J」とか「ごくせん」とか、「金八先生」とかが印象的ですが(金八先生やごくせんはいろんな俳優さんが混じり合った上でのジャニーズが出ているって印象ですが)そういう路線というよりは、「喧嘩慣れしていない子たちの喧嘩」っていう意味で水野君と門倉くん、そして賛成・反対派の二組の喧嘩は凄く「普段は仲良し」という島独特の狭い空間だからこその団結感が感じられました。取っ組み合いとかそれこそ中学ぐらいまでしかしてなさそうというか。「品が良い」というよりも「喧嘩をする必要性がない」子たちなのかな、みたいな。
ある意味「てっぺんとってやんぜ!!!!オラァ!!!!!」のハイローにおける鬼邪高校との高校生とは真逆だなぁとしみじみしました(笑)
けれど、「普段喧嘩しない」であろうあそこの水野くんたちとのぶつかりあいと、先生が「信じる」ということをブレさせない流れが良かったです。
彼らの歩み寄りとしてきっかけになっているのが大城戸くんという「外からきた応援屋」というのもしっくり来ましたし、当て書きにしろ何にしろ「他の四人にはない、大城戸くんが持っている柔らかさ」がゆえのシーンではあったんじゃないかなぁと。
(個人的に沙織さんが「人を信じる」「うちの生徒はそんなことをしない」という信頼の流れは剣持くんが幼馴染だったらそこのシーンの後に「変わらないね」という下りがあっても良かったような気もする。沙織さんからはあったので……)
尺の都合や諸々含めると仕方ない部分と「でもなあ」という気持ちでのジレンマが生じていますが、エンディングで「頑張れ、友よ!」が流れ出す瞬間はすごく好きでした。
散々ふざけまくったコメディ路線にシリアス路線を踏まえながらも王道に王道の「かっこいい」という勇ましさを見せてくれる「古くからのお祭り」としての舞は印象深かったですし、力強さがありました。
俳優陣のお芝居について
主演5人が全員「当て書き」で、すんなり自分たちが入っていくための準備がされていたように感じます。舞台もあることからファンからしても「違和感なく」「入りやすく」作られていました。
だからどちらかというと地続きで、「演じている彼ら」を見ている中で切り離しきれない部分と「まぁこの人こういう人のイメージだもんね」の同居を見た気がします。良い/悪いじゃなくてそういう作りなんだなぁというか。
とりあえず突然の松崎しげる氏には大変びっくりさせられました。踊ってるシーンも見てみたかったのが本当のところ(笑)
メイキングについて
~29日まで見られるメイキングを見たのですが、3日間しか撮影がないことに驚きました。非常に短いスパンで撮っていらっしゃったんですね。この下りに関しては完全に「ジャニーズ」のA.B.C-ZまたはHi Hi Jetsが好きな方々向けのものでした。
各人カメラを回していて、ナチュラルな表情が見られるのは嬉しかったです。円盤に…円盤に入るんですよね……?(笑)
戸塚さん、河合さんがそれぞれ橋本くんにカメラを向けようとすると完全に過保護している五関さんがいて、それに対してゲラゲラ橋本くんが笑っているのが印象的でした。何なら自撮りで話そうとするのも妨害しているあたり過保護がすぎる。ムービーとして落ちも含めてよかったなぁと。
HiHi Jetsの猪狩くん、井上くんは非常にメンタル的に大人で、しかもしっかりとした受け答えをされているのが印象的でした。個人的には猪狩くんのコメントがすごい好きなのと、彼らを妨害する塚田さんに関して「ほどほどに!!ほどほどにしてあげて!!!」という気持ちと、それにケラケラ笑っているのが朗らかな気持ちになりました。塚田さんに関しては見せ場のシーンでの非常に真面目にやろうと台本ぐっしゃぐしゃになるまで読み込んでいたあとというのが印象的でした。
林蓮音くん、和田優希くん、鈴木舜映くん、鈴木大河くんのクランクインでの頭をぺこっと下げているところも印象的で、中々しっかりと見る機会が少なかったぶん、こういうところでニコニコはきはきしているのを見ると”ジャニーズの子たちって挨拶がしっかりしている”という話を以前何かで聞いたとおりなんだなぁとつくづく痛感させられた次第でした。表情が柔らかなのが良いですね。
応援屋から、応援ってなんだろうと自らも考える
応援ってなんだろうということを考えると、元々誰かを「応援」することの難しさにまた行き着きます。
応援する方もされた方も最後には笑顔になれる、ということを作中で言ってて、実際問題生じるのは「それは商売というものではないカテゴリーであった場合」でもあるんじゃないかなと。
誰かを応援したい、という気持ちは人それぞれに嘘で早く存在していますが、じゃあそれに対して「○○しか勝たん」というニュアンスなのか?という疑問もあります。すべての人がそういう考えなのか?と言われたら多分それだけでもない。
森田くんの感じた応援というものが力になることについてですが、かつて某サッカー選手が「ここにいるサポーター全員黙らせてやろうって思ってプレーしてました」と大軍の相手サポーターに対して思ってたことをお話ししていて*11、他人に向けられた頑張れでも力にすることってあるんだなあと当時感じました。
昔、自分の応援しているチームがまっっったくホームで勝てなくてアウェーで勝ててるという事案があった時「ホームだと緊張するのかな」「萎縮するのかもしれない」「ため息が怖いのかもしれない」という憶測が飛び交っていたのも記憶にあります。
同じように「いつも通り」のつもりでも何かが変わってしまうのかもしれない。難しいところですね。
最新刊の「ちはやふる」で自分らしくって?というくだりや悩みと同時に相手と同じ土俵に立ってやるのではなく「自分が一番生きるのはどんな時だ」「一番強いのはどんな時だ」で自らのパワーに変えて取り戻しにいくシーンがありました。
「チャンスのドアはドアノブがなく、自分では開けられない」
「誰かが開けてくれたのを飛び込めるかどうか」
「その準備をしているか」
全てがイコールにはなりませんが、私はこの作品を通じて感じるのは、応援はすべての扉を開けてあげることはできないけれど、開けようとする人が「開ける瞬間を見たい」からするのかなと思います。
なぜ見たいか?嬉しいから楽しいから。
なぜ嬉しいのか?自分がその人が好きだから。
とてもシンプルで、とてもあっけらかんとしているけれど、アドレナリンが爆発して嬉しくてたまらない瞬間を知っているから、見たいから、知りたいから。だから応援したい。
応援屋の人たちは生業、ビジネスとして応援がしたいと言います。便利屋だろうとなんだろうとスタンスは変わらない「ボロボロだろうとまだやれる。やれると思うから手助け(応援)する」という精神で「応援屋」の看板を掲げています。
それって彼らが結局「有名になりたい」わけではなくて、純粋に応援したいという気持ちから始まって、それを「仕事」として進めていきたいという確固たる強さとか感情を集めて起業に至ったのだと思いたいです。(銀行から融資もらえてるんだろうかとか素朴な疑問はここは除外)
応援することに明確な答えは多分ないです。
人間の数が数多であるように考え方も数多でしょう。応援のスタンスは千差万別です。
野次ったりマイナスなことを言って鼓舞させることを<応援>という人もいるでしょう。ちゃんとやれ、という言葉が「出来ると信じている」の裏返しということもあるでしょう。他人を下げて自分の推しを肯定する人も「推しを応援するため」という人もいるでしょう。
一方で「1枚しか買ってないのに応援って言えるの?」とか「100枚買えば立派なファンになるの?」「応援しているってどこからどこまでが応援なの」というのって凄く難しいと思うんですよね。「ほしいから買った」「1位をとってほしいから買った」なのかとか。それを「応援」というのか「自分がほしいから買った」の浪費なのかって人によって感じ方それぞれですよね。
応援=対価として渡すことでの浪費とするのか声がけをするのが応援なのか、好きということが応援なのか……っていうのは「本当のファン理論」と一緒で感じ方其々です。何なら推している人やチームがはっきり提示してくれたほうがいっそ清々しい(笑)
こういうのって「普通/普通じゃない」みたいに人によって境界線は曖昧です。
その境界線をたどりながら、彼ら、そして自分のように何かが「好き」な人は「好き」の形として表現の一つとして応援という形に至っているのではないかなぁと思います。
だから、それを考えるための一つのきっかけとして「応援屋」という存在があることに自分自身が考えることは出来ているなぁとなります。
森田くんの突き抜けた明るさがゆえに「諦めてはいけない」「出来ないじゃなくて”やる”」という言葉とか、白井さんの冷静でありたいという気持ちと、熱量に感化されてどんどん変わっていくところも、大城戸くんのやんわりとした空気感で寄り添ってくれるところも、納得がいかないという気持ちと自信が背中合わせになっている剣持君、関西弁の中にすっ……と本音を隠す犀川君(時々標準語が怒ったり真面目になるときに見えるのが個人的に良かったです。徹して標準語でもよかったとは思う)其々に其々がいるから「応援屋」というものが成り立つのかもしれませんね。
「青春はいつだってくる」というのが上のコマに対しての対比として私は真っ先に挙げたいんですが(広志さんの話は実に良いので見て欲しい)大人になっても本気でやろうとするというのが応援屋で、それに感化される人々……とどんどん派生させていくのが「応援」なのだとしたら、自分もまた熱量がこもっていくなぁと感じます。
ところで犀川君二次元にいたら120%糸目キャラで開眼すると強い系だなって思います(笑)市丸ギン的な…。
剣持くんの最後の「どんな形だって応援屋だから」という形で収めているのを見て、「どんな形も意味がある」という結ばせ方は大城戸くんよりになっていったのと「便利屋だって一つ」というのは本業プラスアルファに見えて良かったです。
あの【嫌だ】を全面に出していた剣持くんが「それもまた」といえるようになるのは前にいた4人の影響や今回の依頼にも繋がっていくのかな、とか。
大好きな言葉なんですが(私はやりたくないことはやりたくないけども)すごくこのシーンを思い出しました。ちょっと違うけれど「それもまた応援」と飲み込めて、また次に進められるのはきっと剣持くんの強さになっていくのかなぁとか。
本作では、応援屋という人たちは自分たちの「ありかた」というよりも自分たちの存在によって他人を変えていく立ち位置に居ます。
どうしようもなくなったときに「頑張れ」をどこに向けて言うのか、ということを考えたとき、彼らの心が折れたとき、信じられなくなったときに「がんばれ」をお互いに言い合えていたらいいなぁと思います。頑張れなんてとっくにもう頑張ってるわってなるのあるあるだし、分かるんですけれど、それでもやっぱり頑張れと言いたくなるのはなぜって、「そこにたどり着きたいから」「そこにたどり着いているのがみたいから」とかいろんな感情が交差するんじゃないかなぁ。
「頑張れ」といったところで、100%頑張ったって叶うことはない。ただ、「諦めるかどうか」のちがいなのかなぁとも思います。
古い話になりますが、2008年のJリーグディビジョン1(J1)の降格争いにおけるジェフユナイテッド千葉の残留劇*12は怒涛だったしそこにあったのは「諦めない」という気持ちもあったんじゃないかなと。勿論他のチームがなかったといえば違うだろうけれど、絶対に残るという気持ちがプレーに繋がっていった最たる例ではないかと思います。
頑張れでどうにかこうにかなるなら自分が応援しているチームなんて常勝だし、サッカーで優勝不可避だろうとは思う。自分が応援したものは全部うまくいって、全員売れて、爆発的なヒットをかまして……とか、いろんなことを考えるけれど、現実は甘くなくて「勝ち」があって「負け」があって「予算」があって、漫画のように、ドラマのようにはいかない。いかないけれど応援したいと思うのは「やっぱり自分の中で見たいと思うシーンがある」から私は応援し続けるのだろうと考えます。応援屋よかったらお金出すから試合見に来てくれ!コロナ落ち着いたら!!(笑)
そういう「どうしようもない」「自分の応援では何も変えられないかもしれない」という気持ちを抱いているけれど「でも応援したい」という気持ちに行き着くとき、やっぱり楽しいからに帰結するんだなぁと思います。
其々に其々の努力がきっとあって、そこには其々のドラマがあってしかるべきで。
自分にとっての「応援」がなにかをこの映画と舞台、そして主題歌「頑張れ、友よ」を聞いてつくづく考えさせられました。
作品としての評価がどうか、ということを言うと「好みか、はたまた相性としてそうではなかったか」でいえば「もう少しこういうのがあっても面白かったかも」とか色々思うところはないわけじゃないです。
でも、同時にふとしたときに自分が考える「応援とは?」「ファンとは?」「それにおける自分のスタンスは?」という疑問はワンクッションとして考えられる機会に至っていて、良い機会だったんじゃないかな、と感じています。
最終的に隙きあらば自分語りになってしまったわけですけれども、私の感想+雑記としてはそんなかんじです!(笑)
*1:隙きあらば自分語り
*2:舞台版にてその話がちょこっと出てきました
*3:舞台版にてそのことが示唆されている
*5:舞台版で説明あり
*6:舞台版にて
*7:少なからずKing&PrinceのPrince三人がみんな戸塚さんのこと好きってよく聞く+最大の戸塚担Sexy Zone佐藤勝利さんを例に出しておきます
*8:雨宮さんとは「見ねぇ顔だな」みたいなかんじであまり恋愛色は少なかった印象
*9:舞台盤にてそのセリフが恐らくはアドリブではなくあったので
*10:橋本くんと戸塚さんが手をつなぎ合ったりとかの寝相のくだり
*11:そのあとその選手が相手チームに移籍したときにざわついてた。
*12:J2降格寸前ジェフが11分で4得点。フクアリの奇跡と巻誠一郎の男気。 - Jリーグ - Number Web - ナンバー