柑橘パッショナート

二次元、三次元、映画、アイドル、サッカー他諸々の多趣味の結果、好きなことをアウトプットするためのビュッフェタイプになったブログです

透明感あふれる映画「マチネの終わりに」

先日友人に誘われて「マチネの終わりに」を見てきました。

原作を未読のなかだったんですけれども、既読済みの人に「文章の表現がとても丁寧」「全体的に透明感のある作品」というような評価だったので、実際にじゃあどうなんだろうか、とまっったく状態を知らない中で映画を見てきた感想になります。

 

 

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福山雅治×石田ゆり子による「マチネの終わりに」

 「マチネの終わりに」について

原作は平野啓一郎氏。文藝春秋から出ている作品です。

マチネの終わりに (文春文庫)

マチネの終わりに (文春文庫)

 

 マチネってそもそも何かっていうと舞台とかで使われる「昼公演」のことを指します。

昼公演と夜公演で「マチネ」「ソワレ」というふうに言います。ちなみに両方合わせて「マチソワ行くよ~」とか、そんなふうに友達と略して使ったりも私はしています。

 

映画についてはTOHOで書かれていたあらすじによると、以下の通り。

世界的なクラシックギタリストの蒔野聡史は、公演の後、パリの通信社に勤務するジャーナリスト・小峰洋子に出会う。

ともに四十代という、独特で繊細な年齢をむかえていた。出会った瞬間から、強く惹かれ合い、心を通わせた二人。

洋子には婚約者がいることを知りながらも、高まる想いを抑えきれない蒔野は、洋子への愛を告げる。

しかし、それぞれをとりまく目まぐるしい現実に向き合う中で、蒔野と洋子の間に思わぬ障害が生じ、二人の想いは決定的にすれ違ってしまう。

互いへの感情を心の底にしまったまま、別々の道を歩む二人が辿り着いた、愛の結末とは―

キャストは世界的なクラシックギタリスト蒔野を福山雅治氏、ジャーナリストの女性・小峰を石田ゆり子氏が演じています。

監督と脚本は『昼顔』のコンビである西谷弘氏(監督)と井上由美子氏(脚本)のコンビ。

 

▽昼顔の感想

amanatsu0312.hateblo.jp

 感想としては「めっちゃ好み分かれる~~」っていう感想なんですけれども、その傾向が強い感じで作るのだろうか、とかいろんなこと考えながら見てきました。

 

映像の美しさ

 ストーリーとして「東京」「パリ」「ニューヨーク」という場所での映画撮影を行っていたといいます。

非常に撮り方がキレイで、一つ一つが写真集みたいな雰囲気を醸し出している撮り方だなぁと感じました。

背中を撮ったり、手元を撮ったり(これは演奏のためかもしれないけれど)、細やかな部分の美しさが出てくる映画で、一つの表情、一つのカットでの主演二人とそれを取り巻く環境、更に言えば東京、パリ、ニューヨークという「場所」である意味みたいなものがありました。

 

また、慟哭に近い形での福山雅治氏の水道のシーン。泣きたいのに泣けないというような部分とほの暗さ、割ってしまいたいけれどそれをできないギタリストの現実みたいなものが交錯していて、「やりたい」でも「できない」の反復横跳びが印象的でした。水道がドバドバ出ているのって小峰洋子の雨のシーンと対比的(人工的なものと、自然的なもの)に描いているのかなって印象です。

 

映像での表現でいうと全体的に「秋」の雰囲気がすごく個人的に好きで、木枯らしというか、涼やかなところにコートを着て歩いている福山雅治氏も石田ゆり子さんも颯爽としていて自立して歩こうとするスマートな大人なかんじがしました。振り返りかたも美しかったです。撮り方にめちゃくちゃこだわってそう!ってしみじみ見ながら思いました。

 

誰にも共感できないけれど、そこに「ある」話しとして

ストーリーに関しては正直誰に対しても共感ができないような、言い方変えると「登場人物全員ダメ人間感がある」というような映画でした。

蒔野がなぜそこまで小峰洋子という女に固執したのかも理解できないし、小峰洋子もまた、なぜ蒔野にあっという間に絆されたのかも理解できず、私が見ていた印象では「完全に道ならざる道を進もうとする自分(たち)に陶酔している」かんじがにじみ出ていて「相容れない」ってなりました。

じゃあ彼らを取り巻いている環境の人たちはどうかっていうとこれまた「そりゃあないわ」っていう人のオンパレードで頭を抱えました。

 

蒔野に対して心酔に近い形で彼の生きる道を立てるべく存在すると自負するマネージャーがいますが、彼女はその「道」に出てくる弊害として小峰洋子を弾こうとします。その弾こうとする行動は正直「いやそりゃ…そりゃないだろう…」って思うし、その結果の罪悪感に耐えきれずに最後には吐露してしまうし(そこまでやったなら墓場まで持っていけばいいのに…というのが素直な感情)、結局”嫌われたくない”という感情があっただけじゃないかと思うし、それは「ファン」である自分と「マネージャーである自分」と、「女」としての自分が混在している結果だなぁと感じます。ある意味でこの作品において一番リアルな部分を持っていたと思いますが、まったくを持って共感できないという面白さ。

また、伊勢谷友介の演じる小峰洋子の婚約者(後に夫)は立ち位置的に考えるとそりゃあもう本当に不憫というか「一度勝手に不倫し飛び出され、自分を捨てたくせに泣きながら自分にまたすがりついてきた女」を拾った男になるわけです。そりゃあお前あまりにも不憫では有るけれど、同時にじゃあ他に女を作ってモラハラを小峰洋子とその子供(子供は割とそこまでじゃないかもしれないけれど)をしていいかっていうとまた別な話で。「そりゃないぜ」が詰まっていました。

さらに出てくるCD会社のスタッフも「ファンです」に対しては大いにうなずけるけれど、そのCDを発売することでのメリットというか、集客力諸々の部分で切り捨てきれない面とかの描写はどうなんだろう、とか。一度やめた人間を戻すための労力って相当かかると思うんですよね…果たしてそれがどうなのだろう、という部分もある。

 

根本的な疑問なのですが、蒔野はギターが爪弾けなくなった原因は「スランプ」でよかったのかなあと首を傾げています。「導きたい音がわからなくなった」でいいのか。またそれは師の死別を経て克服したと見て良いのか…。ちょっとそこがわからなくて「なぜだろう」ということを考えていました。

繊細で、それがゆえの嘗てマドリードでの演奏で大失態もおかしているわけで(パリ、ニューヨーク、東京って言ってたのに突然マドリード出てきて驚いた)そこらへんも含めて「彼」の一つひっかかると崩れていく部分があるんだろうな~っていう風にも受けました。

後個人的にロミオメール*1を送り続けているのが許されているのは福山雅治石田ゆり子という顔面がきれいな人たちだからだなあとも思いますが(冷静に考えたら小峰洋子の立ち位置でめちゃくちゃメールきたら怖い)(笑)

芝居面での印象

そもそもの「脚本」での相性が自分との好みではなかったので、ううん、という部分もあったのですが、一方で印象的なお芝居は色々ありました。

特に印象的だったのは蒔野のマネージャーたる早苗を演じる桜井ユキさん。

良くも悪くも突出して「こいつだけはぶん殴りたい」って出てくるようなタイプの女の悪い面を如実に描いた人でしたが、その芝居をしっかりと演じきれるのってただただすごかった。

「G線上のあなたと私」で元婚約者の弟にヴァイオリンを教えなければならない女性を演じていますが(こちらでは逆に弟にめちゃくちゃ片思いされている)そのへんのギャップを含めてすごいなあと思います。最初G線上のあなたと私の先生役を彼女がやると聞いてイメージがなかったものですからとても驚いたものです(笑)

後は英語・フランス語での実際のやり取りが中心になっているのもあって、特に石田ゆり子さんはフランス語と英語でのやり取りをしているシーンが多く見られました。それこそ婚約者の伊勢谷友介さんとはひたすら英語でのコミュニケーション。

私は英語もフランス語も上手い下手が全然わからないのですが、ネイティブというか、ナチュラルにスムーズに話されているなあっていう印象を伊勢谷友介さんから受けました。本当に彼はなんというか…立ち位置が…アレすぎて……いやどっちの気持ちもわかる、彼のしんどさもわかる、ならさっくり分かれたらよかったのではっていう気持ちもある……という面倒くさい気持ちを抱きながら彼ら二人のやり取りを見ていました。

 

過去で未来は変わるけど、未来で過去も変わる。

作中で出てきた言葉で印象に残ったものです。今まで培ってきたものが、未来の一つの出来事で、大きな印象を変えてしまうことを言います。

例えば、自分がお風呂が好きでぬくぬくしていたとして、ある日身内や親しい誰かがお風呂で溺死したとき、その「お風呂」を見て思い出すのは毎日好きでぬくぬくしていた「過去」が事実であったとしてもある一点の「そこで起きたこと」に変わってしまうということ。思い出の上塗りに近いのかもしれない。

そういうことって誰しもちょっとずつあって、例えば友達とコミュニケーションツールとして使用してきたLINEが自分の陰口を言われていたと知ったらそのLINEに対して「その人だけ」の印象だけど同時にイラッとした思い出も生まれるとか。

めっちゃわかりやすい例としては「好きでも嫌いでもなかったものが、誰かの一件によって嫌いになった」例とか。未来が過去を変えていく。「どうでもなかったもの」が「どうでもよくないもの」になって振り返ってみたらその時抱いたものも「大切なもの」になったりとかするわけじゃないですか。

そんな「当たり前」に流していたことをピックアップしているのを見て、改めて感じる「未来によって変えられた過去」を振り返ってみることができたのが収穫でした。

 

終わり方が「どうとでも受け取れる」

今作での終わり方はどういうふうにも受け取れました。

すれ違いにすれ違いを重ねてきた彼らの道筋がひとつに交わりそうになったときに受ける二人の表情が「どういうふうにも受け取れる」作品でした。

ちなみに私は早苗から手を離された蒔野と一人として立たざるを得ない小峰洋子の道が交わるとは思えなかったです。目があって、それからどうするか。話をするかもしれません。けれど彼らの道が同じかたちに収まるとは思えないし、そうなった瞬間に一気にチープな感じがしてあんまり好かないです。

「誰かから奪った愛はそのままうまくいかない」という言葉を聞きますが、このケースもまたしかりだったのかな、とも。

 

ピュアな恋愛映画という形でこの作品を売り出している印象なんですが、ピュアっていうか…ピュアっていうか何というか「どうしようもない」感情を大人でも持っていてそれをコントロールしようとして、けれどどうにもならないから進んでいった、みたいな形でした。

*1:ロミオメールとは、何かを勘違いした男どもが送ってくるクサいセリフの文章満載のメールを、窓辺で愛を語る戯曲「ロミオとジュリエット」になぞらえたネットスラングである。無論、交際している相手にお花畑満載のメールを送るのは(相手が不快でなければ)問題無い。らしい。