ダ・ヴィンチでは紹介されているしあちこちの映画雑誌や一般紙でも紹介されているからメールとハガキで送れるやつ片っ端から送ってみたら、試写会のチケットを一枚当てることが出来ました。
相当倍率高かったのかなと思いつつ、「君の名は。」いってきました。
監督は秒速5センチメートルの新海誠さん。私の周りでは鬱アニメの人として別の意味で有名です(笑)個人的に秒速5センチメートルも好きですが「ほしのこえ」が好きです。
ということで出来るだけ触れないようにはしていますが、ネタバレも入っているのでご注意ください。
あらすじ
わかりやすくいうと男女の入れ替わり物語。
東京の少年と地方の少女が夢を見るように寝て、起きて、起きた瞬間に互いが入れ替わる。
東京の少年(瀧君)は神木隆之介、田舎の少女(三葉)は上白石萌音。
で、互いの環境とかの違いや生活感の違いを感じながらぶつかり合ったりしつつ、この状況をどうにか打破しようとスマホに日記をつけて互いの状況を共有しあう。
ファンタジー要素も盛り込みつつ、それでも少年少女の思春期感のあるストーリーです。
感想
映像がとても綺麗です。山手線・総武線ユーザーにとってみれば「代々木」という駅のふた手に別れる姿を上手いこと表しているな~とか思ったり。
彗星が落ちる瞬間や、空の色、細やかな人の瞳の色等見ていてどこか実写的な映像の美しさみたいなのを感じていました。
「#君の名は。」見てきました。好みは確実に二分すると思う。100分ちょいなのはちょうどいいと思ったのと、余韻がとても残る作品でした。神木君もだけど上白石萌音の声がとても好き。そしてシンゴジラもなんだけど震災を思い出させるシーンが多々あってグッきた。
— ポジティブ柑橘類 (@amanatsu0312) 2016年8月13日
代々木から山手と総武分かれるところは総武線、山手線ユーザーとしてああ、となるところだった。あそこの描写とても好きです。新海さんが大人になって思春期の残滓、と言ってたのがわかる。忘れるってことは自分を守るってことでもあるんだよねえ… #君の名は。
— ポジティブ柑橘類 (@amanatsu0312) 2016年8月13日
オチがなんとなくこうかなあと思っていたら案の定でちょっとびっくりしました。
わかりやすくいうと「きみにしか聞こえない」みたいなかんじかなあと。
携帯のやり取りで三葉が絵文字だらけでその絵文字がちょっと懐かしい感じなのはわざとなのかなとか。
遠野物語のような民話性を感じたりもしました。
震災のシーンについて
完全に震災を意識して作られたんだろうなあ…と思えるシーンがありました。
シン・ゴジラの明らかに津波や地震のあとの姿を思い出させる風景描写と同じく、ああ、これはそういうことなんだろうなあ、と思うシーンがちらほら見えて心が痛くなる部分もありました。
というか普通に「彗星震災」と言っていましたしね。震災から5年、とも最後はあげていましたし、いろいろ重なる部分がありました。
登場人物について
真っ直ぐですね。メインの二人も含めて、皆まっすぐ。
幼なじみ二人がいい味していました。
また、主役二人の体に対しての反応が面白かったです。たきくんは男の子の馬鹿正直さがあって、逆に三葉は思春期女子のどうしようどうしよう感が可愛らしい。
後ショートカットの三葉大変可愛いと思います。女子ウケはすると思うのですが「前のほうが可愛い」という意見にすごく「今だっていいじゃん!!」っていいたい。
後先輩が(見かけの「都会の女感」との)ギャップも激しくてニヤニヤしました。途中で指輪をはめて別れるシーンとか、「幸せになるんだよ」といって背中は押すけれど何もしないところとか、ああ、時間とはとても残酷で、でも同時に愛しいものだなあとか。
内容について
主軸になるのは「男女の恋模様」とも言っていますが、一方で「町の人が死んでしまうのを回避する」というポイントが大きいのかなとか。
三葉の閉鎖的な場所だからこその葛藤とか狭さで全部が筒抜けになっていることが嫌ということで苦悩葛藤、それと父親との確執も最後の部分のために必要な鍵でした。
テンポのよいお互いがお互いの立ち位置に入れ替わった時の「違和感」のやり取りは見ていてフフッとなる部分が多く、楽しかったです。先輩と三葉(外見はたきくん)というのとか。女子力高いっていうのもそうだよなあと。
あちらと此方、此岸と彼岸の関係で「あの世」と「この世」は千と千尋の神隠しで渡った部分で「この世ならざるもの」という繋がりを思い出しました。神話とか、すこしふしぎ(SF)とかも交えているのが見てて面白かったです。
ただ、恋愛映画として見に行くと「…?」となり震災パニック映画として見にくと「ご都合すぎやしないか?」とも。でも決して悪いわけじゃないというジレンマに私はモヤモヤがあります。恋愛ならもっと好きになる過程が欲しい。ハイライトなのがちょっと…。
音楽のこと
RADWIMPSの音楽もすんなり心にしみましたし、私は主題歌も好きだな~と思いました。
のと、同時に劇中流れる音楽も手がけているのは知らず、違和感なく入り込めました。因みにRADWIMPSなら「君と羊と青」がとくに好きです。
頭に残る楽曲として大いにありだし取り敢えず帰りにTSUTAYAいって借りてこようと私はなりました。
因みに主題歌の「前前前世」はサントラの中にあるようです。初回版もありましたよ。
気になったところ
引っかかったというか、途中でついていけなかったのは「どこで二人は惹かれたんだろう」というところ。
ランダムで入れ替わって情報の共有があって運命共同体のように「あの男は!」「あの女は!」みたいな言い争いをしているわけですが、そこの部分が完全にハイライトになっているから先輩とたきくんがデートをしている時に三葉が泣いたり、たきくんがそれはそれで何となく楽しくないっていうのは「おや」と思わなくもないかな。と。
(最初から「ラブストーリー」って言ってたからもっと内面の惹かれるところ書かれるのかなと思ってたので)
ただ、まぁお互いに「無自覚」に惹かれてたのかなと分からなくもないから、そうなのかなあとも思わなくもないから「うん…うん? うん」みたいな感じで納得してました。そういう意味でも「思春期の男女」っていうことなのかなと私は位置づけました。幼なじみが無自覚にひかれあうような、そんな感じってことで。
でもそこで「無自覚に惹かれ合う」ならそのプロセス(コミュニケーションの流れ)がほしいなあって思いました。「何度も入れ替わって相手が自分を理解しないけど相手に委ねるしかない」ならそれは「恋愛」じゃなくて「同志」、いわゆるカップリングと友情の間でもいいわけで。できれば「恋愛」を謳うのであればときめいたり人間性に惹かれたりとか、こいつこんなこと考えてるんだ、とかそういうのが欲しかったかな~とは思います。
印象深かったのは「片割れ時」のシーン。カットが切り替わって切り替わって重なるというのは幻想的で美しくていろいろ感慨深かったです。
声優/役者さんについて
声優さんへの違和感はそこまで自分は感じなかったかな。神木隆之介くんも上白石萌音さんもすんなりと入ってきて、アニメ映像ながらそこまで「アニメです!」と主張しているかんじが(自分の中では)しなかったというか。
市原悦子さんのおばあちゃんが個人的には割りとしっくりきました。違和感らしい違和感はそこまで…先輩の長澤まさみさんも言うほどひどくないと思うし(コクリコ坂からを経験していますしね)入り込んじゃえばこっちのものって思いました(笑)
なので、私は割りとすんなり新海ワールドで楽しめました。
振り返ってみて
「その後どうしたのか」「これでどうなったのか」については相手の見方に委ねるという作り方で、終わってからの余韻に浸ってスタッフロールを見ながらどうしたんだろう、こうしたんだろうかとか思える作品だったと思います。
また、空の描き方、風景の描き方がほんとうに美しくて波打つところとか動きがあるところ・無いところのはっきりと分かれているところも含めて見入りました。
思春期の「残滓」とは
深海監督は作品について「思春期の男女」とおとなになってそれを“残滓”として持っている人に向けてと言っていて、大人になってしまった自分がこれを見た時と、ティーンズの頃自分が見たら感覚は違っているのだと思います。
「子供らしさが死んだとき、その死体を大人と呼ぶ。」とブライアン・オールディス(イギリスの小説家・SF作家・評論家)が言ってたことがありますが、思春期ってその狭間だからこそのいろいろなものが詰まっているんだよな~とか思ったりアンバランスさがいいんですよね、きっと。だからアニメとか漫画とかも含めて年代がそこになりやすいのかなとか。
忘れることが罪だとは思わないし、仕方ないと思うし、この作品における「忘れてしまうこと」とは違うかもしれませんが忘れたくなくても時間って自分が傷ついたこととか色んな考えたことをすり減らして癒やして振り返るためにあるのだと別の小説でいってまして。その「忘れたけど、それでも覚えていたかった」でタイトルに繋がる、お互いに繋がるっていくという意味で青臭さがあって、眩しいなあと思いました。
三葉たちの空白の数年間で彼らもいろんなことがあったわけでその間にいろんなことを経験して、ラストシーンに結びつくとなると背景を考えて想像して、噛み砕いてみたくなりました。