時代的なものもあるんだろうけれど、当時私の周りは「ポケモン」と「デジモン」で割れていた。
ポケモンが育てて戦わせてRPGであるのに対してたまごっち的感覚で育てるデジモンは気軽にみんなでやり取りをしていたのを思い出すわけです。
デジモンシリーズはフジテレビ系列でやっていたアニメシリーズなんですが、今回は「無印」こと、デジモンアドベンチャーについて。
始めてみた時の思い出を振り返る
アニメは彼らとほぼ年齢が同年齢ぐらいの時期だったので、見てて衝撃を受けた。
今でいうと「なろう」系と言ってしまえばそれきりなのかもしれない。どっちかっていうと「漂流教室」的な感じで突きつけられる現実に”選ばれし子どもたち”が向き合わなくちゃいけない、ファンタジーなんだけど「子供の成長」を突きつけた話だった。
異世界ものっていうと私は「魔法騎士レイアース」とか、「ふしぎ遊戯」とか時代的なものもあってそのへん読み込んでたタイプなんですけど、どっちも割と容赦なく突きつけてくる暗躍する感情だの、政治的な部分だのがあって「うっわしんど」ってなった思い出がある。この後「十二国記」に出会って「おい!!相手いくつだと思ってんだ!!」って理不尽に怒った思い出があるんですが(笑)
それはさておくとして、「デジモンアドベンチャー」という作品はそれだけ当時「少年少女」であった側にインパクトを与えてくれたと思う。
ポケモンのサトシとピカチュウの出会いが「偶然」であり、最高のパートナーになったのに対して、太一たち「選ばれし子ども」たちと、彼らのパートナーデジモンの出会いは「運命」であったと思う。
(第一話の太一とコロモン(後のアグモン))
「僕らはずうっと待ってたんだ」という言葉がすごく突き刺さる。
時間軸が違う世界の中で、彼らは存在して、太一たちと出会い、冒険して、成長していく。
選ばれし子どもたちの成長として
この中で忘れていけないのは彼らがまだ小学生で、それぞれに色んな気持ちを抱えている。
少年少女にそんな無茶言うなよ!!って思う気持ちと、当時彼らと同じ目線に立っていて「自分ならこう動く」「なんてわがままなんだ、みんな困ってるのに」という一喜一憂をしながら追いかけた記憶が噴出してくる。
そこで思い出すのは「丈先輩本当…本当誠実だよ……あんたそういうところだ…」っておとなになって気付かされるところの多さ。
城戸丈こと丈先輩は6年生で、多分あの時代ではみんなまとめて進学っていうのが多かったなかで、「中学受験組」だった。私は東京の学校だったけれど、やっぱり中学受験する人は多かったし(今よりは少ないとは思うけど、クラスの1/3は進学を私立やら国立やら進んでいた)、丈先輩もクラスにいる一人と同じような感覚で見られた。
何がしんどいってこの人最年長なのにメインの所謂リーダー枠になるのは太一だったし、結構優柔不断なところがある。そのうえで「なんとかしなくちゃ」って悩むところがすごくリアル。
そんな彼に対して楽天的で「大丈夫だよお、丈」って言ってくれるのが相棒のゴマモンで、ゴマモンは今でいうとNARUTOでおなじみ竹内順子さんが声をされているんですけど、私は彼女がメダロットのメタビーや遊戯王の海馬モクバの印象もあるのですごく聞くたびに「子供のキャラクターやらせたらこの人ピカイチだよなあ」ってつくづく思う。
彼らはお互いに補いあって、そのうえでゴマモンはイッカクモンに進化したりして戦っていく。
この中で丈先輩は自分が「医者の息子だから」という気持ちで「なんとなく勉強してなんとなく進んでいく」という人生のレールをうっかり自分で敷いているタイプだったのを「自分が」「やりたいから」「医者を目指す」という道を進んでいったのがすごく好きです。
最年長なのに役に立たない、最年長なのに決められない、中途半端になっている「揉め事を嫌う」という彼が成長していく様で、確実に周りのことを気づかえるようになって自分自身の道を決めていくのは歳を重ねた今なら泣ける。
ちなみにですけど、当時、私はみんなのリーダー格である「八神太一」がすごく好きだった。
もう典型的コロコロコミックの主人公タイプだし少年ジャンプでも主人公枠だし、わかりやすく好きだった。太一さんは圧倒的な「ヒーロー」だと思うし、彼が小学生の中で引っ張っていくのもわかる。そして彼の「人間」としての一緒に有り続けた「相棒」が空だったし、太一と空の関係が好きだ。何ならあの2人がそのまま成長していろんな紆余曲折もあってそこで人生を色んな意味で一緒に歩んでいたらいいなと願っていたぐらいだ。02ではぶっちゃけ膝から崩れ落ちたし「嘘だろ!?!!」って盛大に怒った思い出がある。
まぁそれはさておくとして、メンバーみんなそれぞれに色んなものを抱えていて、失敗して、成長していくというのをしっかり描いていた作品だった。
紋章というアイテムがあることで「それぞれの個性」の中にある長所がより明確にできていて、最年少であるタケルがパタモン(エンジェモン)を失ったタケルが「希望」というのもよく出来てるなあと思ったし、彼らだけではどうしようもないその「進化への導き」で「光」を光が持っていることで戦場が現実世界とデジタルワールドというのがすごく良かった。タケルに関してはパンプモンとゴツモン回を思い返してメンタルがベッキベキに折られそうになる。お前タケルいくつだと思ってんだスタッフ。
今だから見たら多分親目線になって絶対行かせたくないという親側の主張もわかるし別の目線で泣きたくなるだろう。子どもが世界を救うためにとはいえ、ここから離れていくというのは嫌に決まってる。空とお母さんのやり取りもそうだし、光子郎と親御さんの関係はテントモンがいてくれてよかったって思う部分がたくさんある。
だから02も好きだった。
もちろん「おい~~~マジか~~~嘘だといってくれよ~~!」って頭を抱える部分も当時小学生だった私は今でもやっぱりあって(笑)
でも、そのうえで、デジモンカイザーとなった彼を救っていくくだりはすごく好きだし、自分の相棒デジモンであるパタモンを失っているタケルにとっての「前回の冒険がポジティブなものだけではなく、傷となって残っているのもまた事実」で、それを救えるのは大輔たち02のメンバーというのがすごいいい流れとテンポだと思う。
タゴモンの花嫁回は本当になるほどわからんの空気感で見ごたえあった。及川さんのくだりは「大人だって選ばれたかった」という苦悩と葛藤が実に有ったし。
ウォーゲームに関してはサマーウォーズの前進とも言える作品で当時のインターネットという世界に飛び出していく流れがすごくできていて「島根にパソコンなんて以下略」の迷言を生み出した作品でもあるんですが、とにかくまぁなんだ。デジモンの世界観が好きだからこそしみじみしてしまう。空と太一の関係が好きなんだ(n度目)
話がそれましたが、デジモンアドベンチャーに戻します。
紋章というものを得て、超進化ができて、さらに太一とヤマトはワープ進化も覚えたわけですよ。でも最後の最後に掴むのは「彼ら自身の諦めない」という決断であって。そこからの【明日があるから】というくだりは今も昔もめっちゃくちゃ好きで。
なんかこう…黙々と単調に生きる日々の中に差し込むような「そうだよなあ」って元気をもらえる部分でも有ると思います。
出会いと分かれがあってこその作品
デジモンアドベンチャーは異世界の物語で、そのうえでの最後の結末は「出会い」とそして「分かれ」になります。
この世界に生きることはできない、世界は救われた、だからもとの有るべき場所に帰る。
とても心に刺さる流れだと思います。積み重ねてきたからこその出会いと別れ。
その別れ方がすごく美しくて、寂しくて、彼ら一人ひとりのどういう関係でパートナーデジモンとどういう関係を築いていったかが描かれているのが素敵だなと思います。
笑顔で別れたいと、握手する丈先輩もそうだし、ホイッスルを渡す光とテイルモンという「時間が少ないけれど確実に築いていった時間」というのも好きだし、パタモンとタケルの「一度失ったからこそ」の部分もあるし。
空がピヨモンを突き放してきたことが会った上での向き合って、愛情をかけて、ともにあったというものがあったからこその「そーらー!」っていうピヨモンのあの言い方も全部まるっと許せる好きだわ~~ってなってからの別れめっちゃしんどいし。
でも、ひと夏を経てみんな前に行こうとするわけで。だからこそのミミちゃんとパルモンの流れが「うっわ~~~うっわ~~!!」ってなるし演出すごい好きなんですよ…入り神かよって思う。
選ばれし子供になりたかったあの頃
彼らが「どうして選ばれたのか」っていうのが描かれているのが映画なわけですが、そのへんも踏まえて、考えることがすごく多いです。
デジモンは「ポケモン卒業生集まれ」っていうかんじで作られているシリーズなわけですが(Wiki曰く)、私はポケモンも楽しめりゃマンガも読むしなんかこう…わかりやすく二次元楽しんでたわけですよ。モンスターファームとかめっちゃやってたし(笑)
ただ、何にしても「デジモンアドベンチャー」が与えてくれた影響っていうのは彼らが「成長」して「悩んで」「失敗して」「ぶつかって」という、所謂青春ドラマにさもありなんな部分をどうしようもない、絶対的なアウェイ感、逃げ出せない状況の極限状態で行われて無理くりにでも這い上がって葛藤して成長していったって言うのが印象的なんです。
私も彼らと一緒に冒険がしたかったというべきなのか、私もパートナーデジモンがほしかったというべきなのか。
とにかく「選ばれし子供」になりたかったのかもしれないなあと思います。
でも一方で、ある程度歳を重ねた今だからこそ振り返ってみて思うのです。
「いや私選ばれし子供だったんじゃないかなあ」と。
パートナーデジモンはまぁいないですし冒険もしてないんですけれども。
所謂作品を通して、彼らの冒険を通して見ている世界は間違いなくキラキラしていて、彼らの葛藤というのも「疑似体験」ではあるけれど共感したり考えたりしていたから、その作品そのものの登場人物にはなれないけれど、そこから与えられたものは全くなかったわけじゃないし、だからこうやってブログを書いているわけです。
だから、私はあの作品を通して「選ばれし子供」になったのだという解釈をしています。今みたら子供だもんねしょうがないよねって気持ちと親御さん~~!!親御さん話してあげて~~っていうのと丈先輩のお兄ちゃん私だ彼女にしてくれ(?)とか色んな気持ちが出てきそうなんですけど(笑)
もうなんですかね。全部ひっくるめて、あのときもらったもの全部をひっくるめて、8月1日になるたびにデジモンアドベンチャーという世界について考え、そして「選ばれし子供たち」について考え、デジタルワールドにおいてきた「自分のわくわく」をひょっこり顔を出してくれないかなあ…ってしみじみするわけです。
仕事さえなけりゃ何ならYoutubeで今見れるから今だからこそ見直したい気持ちもある。
でもって、そんなデジモンアドベンチャーですが2020年には”最後の物語”として映画化が発表されていますね。
「おとなになる=もう会えない」なのかという問いかけについて良い意味でも悪い意味でも「まぁ大人だけど普通に楽しむがな!!!!!!!!」っていう勢いで好きに爆進している私にとって今回の言葉についてちょっと考えています。
02のキャラクターが出ているということも踏まえて「無印→02→02ラスト」の一番最後の手前のワンクッションという見方でいいのか、それすらもパラレルとして捉えていくのか。
別にパラレルでもいいと思うんですけどね!(笑)「一つの可能性の物語」として見られるっていうのは楽しいですし。スパロボとかもしかりで。
ということで、あの日あの時代に思いを馳せながらButter-flyとBrave HeartとI wishとkeep onでも聞こうと思うばかりです。
藤田淑子さん(太一の方)も水谷優子さん(空の方)も、和田光司さん(主題歌)も亡くなってしまったけれど、それでも作品として「あ」り続けているというのはすごく寂しいけれど嬉しいなと思います。
とりあえず勇気を翼にしてが大好きでカラオケにあったらだいたい歌うんですけど、この曲めっちゃ胸にくるので聞いていただきたい…いい曲なので…。
劇中歌として使われているの聞いて「あ、熱い~~!!」ってなったのはいうまでもない。