柑橘パッショナート

二次元、三次元、映画、アイドル、サッカー他諸々の多趣味の結果、好きなことをアウトプットするためのビュッフェタイプになったブログです

”本当のファン”ってなんだ?という雑記

先日友人と話をしておりまして、いわゆる「本当のファン」「同担拒否」という言葉について昨今話題だったこともあり考えさせられました。

 

同担(=推し被りのこと)が嫌い・苦手は個人の自由だと思います。

SNSとかで相手に言われて「じゃあ解釈違いだ!付き合えないね!解散!!(リムブロ自衛など)」ってなるだけなのですが、それに対しての実害を伴うケース(買い物や現場に行っての舌打ちとかされたり(昨今友人が受けた話。怖すぎてびっくりした)すること)から「同担拒否している人が怖い」という先入観がどんどん膨らんでいっているのかなあということをぼんやりと聞きながら思いました。

だけど同担拒否=本当のファンではないという発想も私の中ではそれもまた「それはそれでひとつの考えなんでは?」という風にも思うわけで。同担拒否も「そもそも推しに対しての解釈が人と違うことを理解した上でのお前大丈夫か私と噛み合わないぜ?!!!」って人もいるだろうし好きだからこその嫉妬とかのパターンもあるし多種多様だろうなと。

だからそのいろんなパターンを一括りにして「本当のファンではない」と言われると果たしてそれはそれはどうかな!と遊戯王あるあるセリフを言いそうになるわけです。もちろんその人の意見もその人のものなので自由なんですが、自分の中ではじゃあどうかな?って時の話として。

 

私のいるジャンルの中のひとつには「サッカー」というものがあるのですが、それについてどうやっても”順位”というものがあります。チームの不振につきファンをやめる(応援をやめる)という人がいたときに「そういう人はいなくて結構です本当のファンじゃないと思う」という人もいるでしょう。

 

あれ…?あれ…?これどっかで聞いたことがある…って思ったんですよ。

「推しが結婚したら祝福すべきでしょ!!それこそ本当のファンですそうじゃないならいらない」とか「推しが抜かれただけでファンやめるなんて以下略」っていうのと似てるな~~~って思いました。

 

私は基本なぜ「ファン」をしているのか、という問に対して聞かれたら自分が「楽しいから」っていう答えになるんですけれども。

このブログは自論展開ものなので、「私の所感」って書き方になるわけですか、自分の中にある「ファン」とか「サポーター」が何を求めているのかって「勝利」「多幸感」「ファンサ」「質のいいパフォーマンス」といろいろあるんですけど、その大元である基盤にあるのは「楽しい(ワクワク)」「好き」という感情、衝動なんてすよね。

元々何かを楽しむことは強要するもんじゃないし、逆に止めることもしかりで。

意見もまた「発想の自由」があるというか。お前んなかではそうなんだろう。みたいな。悪いんじゃなくて個人差としか言いようがない。ポケモンだって個体値違うんだから人も当たり前に違うわけですよ。

 

勿論思ってた方向性と推しが違う方向に行くとそっかー…てなる気持ちは誰にしろあると思うし(何にしたって最初が一番楽しいとよく聞く)、チームが不振になると悲しいし「おい~~」ってなるし、正直この前のゴールに関しては私はゴールだと思ってるんだけど*1、まぁでもじゃあそれを相手に強要して「お前もこうあれ!!お前も苦しくても声を出せ!!」「売上伸ばせ!」ってなるかっていったらそうでもないんですよね。まあ勿論買わなきゃ続かないというのはビジネスなのてわかるのですけれど、欲しいと思ったら私は買う人なので(買った人がそれを読む権利、聞く権利を得る、という意味で同等のものが欲しいなら買うというのはラインだとは思いますが)この辺難しいなって思うんですけど。

 

ゴール裏という場所を選んだなら勿論声出していってほしい本音もあるんですけど、これは私の<希望>に近いし、スタンスの問題。

でも、野次が嫌いな気持ちもあって、野次るんだったら違うところいってほしいなあっていう気持ちもある。前に野次飛ばしてる集団に嫌悪感むき出しにした結果、取り囲まれて怒鳴られたことがあって、「こんな連中と一緒に応援なんかできるか!!!!!」ってブチ切れて帰ったら試合は完敗しその日にJ2降格したことがありました(笑)

その時の野次が人格否定までしていたのであれは名誉毀損だと思うんですけど、その後ご丁寧に私を取り囲んでいい大人(ご老人から青年に至るまで)でバッシングしてきたことについて、女だから何言っても良いんだろうなって思ったし(その後にインターネット上で議論が生じました)、また、その時に「こっちは静岡から来てんだよ!」と言われた選民的(私は東京の人です)なマウンティングは生涯忘れないもんです。うるせー私だって昔からファンでなんならお前らより遠方遠征行ってるわ!!って話になるし(ホームがそもそも遠征)、そんなの人によってそれぞれ思いがあるわけですよね。

昔からファンだろうがなんだろうが、今があるのが昔のおかげなのもわかるけど(株主になったのに紙切れになった思い出の話を笑い話としてきいたことだってある)お金払ってるのは「いま」だろうが!!ってなるわけで。

勿論それが出しているお金が違うという意味なら現在進行形の今年の個人スポンサーとかの人なら「お金出してるからこそ言えるもの、見れることってあるよなあ」って部分もあるし、難しいところなんですけれども。

それでもやっぱり、「相手に言う」の難しさを感じます。

 

でもそれってファン同士での諍いとか「ああこんな感じなのか、嫌だな」「あそこは本人悪くないけどファンが怖いから」の一つになるわけですけど。

ファンは推しも通して見られる(ユニ着て蛮行働いたらそれはこのチームは、と言われるのとしかり)ので、少し話がまた変わってきちゃうんですけどね!

 

と言うことで、だいぶ話が逸れましたけど、それってアイドルにしたってスポーツにしたってなんにしたって本当のファン問題は出てきます。

そう思う人を否定はしませんが、本当のファンというのは人によって違うのでそれを他人に押し付けられるのは悲しい。

 

まあつまりみんな育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めないし、山崎まさよしはいいよねって話。

セロリ

セロリ

 

認められなくても、好きじゃなくても誰かが何かを好きでいる気持ちを「ファンじゃない」という否定をするのは「私」としては悲しいなって話でした。

 

個人個人での考え方は違うので(ファン=お金を払って楽しんでいる人、という人もいれば、ファン=それを楽しむ大きいくくりの人もいる)出てくるのは「まあ私の場合はね」ってのがつくんですけども(笑)

 

ぶっちゃけこれって「同担拒否」か否か、「本当のファン」か否か、とかだけじゃなくて、ファンのスタンスの話にも言えるわけで。箱推し・単推しの話にも言えるんじゃないかなと思います。

ただ、それに属している人たちと仲良くなるなら、明らかに違うというのなら、それぞれがそれぞれに歩み寄ればいいってだけで。

私は基本<箱(チームや、そのグループ)が好き>が前提にありきなので、自分の大切な人が「どうでもいい」とか「興味ない」とか言われたら、そうか~…ってまぁ話を避けようとするし、残念だけどしょうがねえなって思う。

一方で、「この人がいればいい」って言われたら「そうですか。でも私は違うんで」としか言えないわけで…。ただ、自分の好きなものに対して「嫌い」とか「居なくても一緒」「琴線に触れない、@@と違って▽▽がない」とか言われたらもう心がしんどいんですよね。否定は心が擦り切れる。

でも、じゃあ、だからといって相手に対して「お前もこうなれ」というつもりはないし、好きにしたらいい。ファンのスタンスは人それぞれだから。

「そういうことを言う人と私は波長が合わないから、じゃあ住み分けよう。お疲れ様でした」っていう結論にしかなれないんですよね……。だってそれって違うものだから。違うからこそ離れること、自衛することって自由だと思うんですよ。

これって私の考えが合わない人も勿論いて「私はこの人だけが好きなのにそれを強要されるかのように箱推しありきで話されるの辛い」って言われたら「私とは違うね」ってしか言えないわけで。

多様性を認め合うなら相手の意見に耳を傾けなきゃいけないわけで、言葉に気をつけていかなきゃいけないんですよね。で、どうやっても不愉快な思いになるなら、悲しくなるなら、じゃあ「付き合わない」という選択肢をとる。「ATフィールドを張る」ということは、悪いことでは決して無いんじゃないかな。 

 

なんでこんなあんま明るくない話してるんだろう?とも思いつつ、お互いが傷つけ合うのは傍目から見てて悲しいよなあっていうそんな気持ちになったわけです。

否定されると誰もが悲しいし、見なかったことにしよう(※横光三国志ネタ)になっているなーって話(笑)

 

罵倒というスタンス(バッシング、ブーイング)を意思表示する側に向けて「どんなときでもポジティブになんとか持っていきたい」「応援したい」と楽しんでる側(応援したい側)からすると「どうやってもどうしようもない」から、難しいと思うので上手く森とタタラ場で分けてもらいたいな(※もののけ姫のセリフ)って思います。

もののけ姫

もののけ姫

 

ルールとマナー、そしてモラルを守って楽しく日々を過ごせたらいいなあと願いつつルールはともかくモラルとマナーの考え方って人それぞれで難しい。

自分がマナー悪いの開き直って「運営が悪い」って仰る方もいるし、でも運営に思うところが無いわけではない部分はある。そのバランスって人によって違うんですよね。

声に出すことによって変えたいと思う人、それに対して不満があるならやめたらいいのにと思う人…いろいろいるよなって思います。

こう言った問題で人と人の関係が悪化してしまうパターンも見かけるし、この世は闇が深い。

 

……なんていうなんの話にもなってない雑記なんですけど(笑)ほんのちょっとのメモとしてのいろんな考え方あるなあという話でした。それぞれにそれぞれのスタンスの「応援」と、それを度外視しても付き合ってられる人とうまく傷つけ合うことなく多様性を認めあえるようになるのには「踏み越えられない自分の境界線」っていうのを自分でやっぱり見極めていくしかないんだな~~なんていう、そんなことを思う次第です。

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それでもやっぱり「応援」をしていたいのは「楽しい」からなんだよなあ


ということで、そんなこんなの”思うこと”を書きなぐった結果でした。長い。

*1:3-0で鹿島に完敗したときのこと