門脇麦・菅田将暉・長谷川博己・リリー・フランキーの「二重生活」を見てきました。
菅田将暉くんが最近本当ドン引きするレベルで忙しくて「そろそろ彼倒れるんじゃない?」っていうレベルなものだからハラハラしています。仮面ライダーWが好きです。民王もよかった。菅田将暉ってすごい俳優さんだなあって改めてしみじみしています。
窪田正孝くんや山崎賢人君も、若手俳優といわれる人みんなにいえるんだけど、事務所が推すのか、それとも業界的にギャランティがそこまで高くない(比較対象が他のもう売れている人・安定している人たちでね)かつ、話題性があるからなのか何なのかわからないけど、消耗品のようにガンガン出ていると心配になっちゃう今日このごろです。「イケメンだから話題だからこの人使っとけばオッケー☆」にはならんでほしいよおおおと思う一方で、仕事はあるだけファンとしては嬉しいってのが概ね同意だし、ないよりあったほうがいいし、経験は積んだほうがいいと思うジレンマ。
一概に言い切れないのが難しいところ。でも皆好き。俳優さんとしてのお芝居好き。
概要
直木賞作家・小池真理子の同名小説を、ドラマ「ラジオ」で文化庁芸術祭大賞を受賞するなど、数多くのドラマやテレビ番組を手がける岸善幸の劇場デビュー作として映画化。
門脇麦演じる大学院生が近所に住む既婚男性を尾行することで、他人の秘密を知ることに興奮を覚えていく。
大学院の哲学科に通う珠は、担当教授のすすめから、ひとりの対象を追いかけて生活や行動を記録する「哲学的尾行」を実践することとなる。
最初は尾行という行為に戸惑いを感じる珠だったが、たまたま近所に住む石坂の姿を目にし、石坂の姿を追う。
一軒家に美しい妻と娘と暮らす石坂を、珠が尾行する日々が始まった。
主人公・珠役を演じる門脇は本作が映画単独初主演作。石坂役を長谷川博己、教授役をリリー・フランキー、珠の恋人役を菅田将暉がそれぞれ演じる。
(映画.comより)
原作はこちら。
映画のサイト↓
感想
最初はチュッチュイチャイチャ彼氏としてやることやってリア充乙みたいなことしてるんですが、教授(リリー・フランキー)に勧められて始めた「哲学的・理由なき尾行」にのめり込んでいく(卒論のため)。
そんな珠の最初の尾行についてはおいおいお前超尾行下手だな!!!(笑)と思ったりね。まぁ素人ですから。そりゃそうだろう。無理がある。後眼鏡の上げ方がすごく気になった。キャプテンクロ*1みたいな。あそこまで露骨じゃないんだけど、
ちょっと調べたらこんなのが出てきた。
理由なき尾行・哲学的な尾行なんて自分がされたらたまったもんじゃないですが、他人を尾行するっていうのは「相手の生活を知る」ことになるわけで、そこに自分が投影されていく、“予想外”がどんどん起きていく。
珠は不倫現場目撃して奥さんが自殺未遂するまで追い詰められているところを知りながら「ルール」だからっていうことで手を差し伸べなかったわけで。転んで泣き崩れているところで助けてあげても良かったのにな~とかね。ちょっと思ったけど。
長谷川博己(対象者A/石垣)はお前ちょろすぎだろ泣いてたら転がされやがって!!(笑)とか思わなくもない。まぁその「完璧を求めすぎた男の現在」っていうのが面白いなとは思いましたが。
珠のバックグラウンドは自分の父親が死んで、よくしてくれた父親の親友に自分は恋心を抱いていて、でもその人は死んでしまって、その時何も言えなかった。そこからスタートでもやもやしているというようなもの。だから恋人の卓也にも言えていないと。
まぁ究極突き放して言えば石垣さんにはそれ何にも関係ないよね。っていう。知ったことではないし、尾行理由にはならん。
いやいやそこで泣いても多分長谷川博己オチないよなそこは「俺には関係ないっていうよねそうだよね……えっ転がされるんかい!!!」みたいな。思わずツッコミ入れそうになった。理解が出来ない。
あくまでも原作読んでない自分の想像なんですが「3日ってなんだっけ」「んー、お父さんの命日」というやり取りを冒頭でしていたのを思い出して。
「…このお父さんって【義父さん】じゃね…? お父さんの“親友”ってさあ……お母さんに好意あったんじゃねえの……」とか、そういうことを思わなくもなくて。完全に泥沼に泥沼ですがね。流石にそんなことない…よね…?
長谷川はどこで珠のことに気づいたのかなっていうのはちょっと気になった。
愛人(しのぶ)とエンカウントしてしまったときに声をかけられてしまった時に聞かされたのかなあとか(だから「奥さんの差金か」っていってたか)。
後は監視カメラをつけた理由ってどこだろうとかね、大家さんは世間話をするためだけにいたのか、それともちょいちょい真顔にあった=何か知っていた という可能性もあるわけで。修羅場怖い。女の敵は女。
教授は何故そんなにも珠に勧めたのだろう、とか色々思うんですが、教授は教授で「本当は結婚していない(依頼した)⇔母親を安心させるための自分」の二重生活をしているわけです。
完全にその2ヶ月が終わってから憑物が取れたかのように穏やかになっています。
穏やかになった結果「やることはやった」の結末なのか、はたまた学問一筋だった男が仮初でも優しさを手に入れて、それが仮初と分かっていて、なのか。なんとも言えないですが。
見ていてふと思ったのは下記のソフィ・カルの”本当の話”で彼女は「客観的に見た自分」と「主観的な自分」の相違のために探偵に自分を尾行させるわけですが。
それを当然教授は読んでいるわけだから、自分が尾行されることを知っていたのだろうか、なんとなくそう仕向けたのではないのだろうか(「対象を変えてでも続けろ」と言っていた言葉から)思ったりね。
ラストの渋谷駅のJRから井の頭線にいく、マークシティに上がっていくところのシーンでうっかり近くを歩いていた卓也がいて、その前の引っ越しの時には石垣がいて。彼らは彼らで前に進んでいく(いかざるを得ない)。
奥さんと対象者Aはよりを戻したというか、奥さんが許したんだなっていうのが驚いた。
洗車しているとき遠くから撮っているのに真顔なのがわかるあの昼ドラ鬱な感じがすごく出てて女優さんすごいなーと思わずにはいられない。なにこれ怖い。
奥さんも石垣も「セレブ」「幸せ家族」「良い夫/良い妻/良い家族」であることのために必死に藻掻いて苦しんで足掻いて、相手にそれを見せないようにしてきたからこそああいうリスキーな道を選んで、裏切られて「こんなに頑張ってるのに」「私の何が悪かったのだろう」ってなって、奥さんはああなってしまったのかなあとか。
そういう意味では憑物が取れたように許し合えて息のつき方がちゃんと出来るといいなーと思いますが。
テレビでは「いいお父さん」「いい旦那さん」言われてるけど、そういうイメージでやっている人たちだって、根底的な部分すべてがそうであるわけないし、そこらへん「だからこそ人間臭い」ってなるわけだし、イメージとのギャップみたいなのって大変なんだろうなって。
珠も卒論を終えて、前に進まなくてはならない。前に止まることを「やめた」のは教授だけなんですよね。彼は前に進むことをやめた人間だからこそ横断歩道をわたらずに見ているのかなとか。
最後の振り返りと、珠のモノローグを考えて、「どうしたかったのか」というのは興味深かったけれど、決して後味超いい!スカッとする!というものではないです。
映像としては「まるでドキュメンタリー」という言葉のとおり、揺れがあったり遠巻きから見つめるところがあったり、表情の当て方が面白いな~と思いました。
ずっと門脇麦を見ているわけではなく、長谷川博己と愛人の会話をアップにするわけではなく、門脇麦(珠)から見た、二人の映像。探偵目線みたいな感じですかね。
しかし監視カメラ映像をうつすの正直ホラーかと毎度毎度ちょっと構えちゃうし修羅場るんじゃないかとドキドキしました。怖いよ!!(笑)
しかしふと疑問だったのは愛人が珠に向かって「あんたさっきのレストランにいたわよね!?」って言ってたけど会話修羅場ってた彼女がとてもじゃないが冷静に珠を見れることはなくないか……?とか。後
ホテルマン確実に珠のこと気にしてるわけだけど声掛けないんだ…とかね。そんなことを思いました。
別れてから珠が引っ越す際に見つけた卓也が描いた珠の絵は言ってしまえば「あんなことしなければ一緒にいられたかもしれない」というものとか、そういうものがぎゅっと詰まっていました。
しかし珠は「本当に卓也のこと好きなの?」っていうのが見ていて思っていたので(「なんとなくでここにいる」に繋がるわけですが)そういう意味では彼女は卒論を書き上げることで、「他人の秘密を知る」ことで自分の抱えていた秘密、自分の中のもやもやを晴らすというために動いていたのかなとか。
まぁエゴと自己満足の塊ですが、彼女は彼女のために自分のためにやっているので(巻き込まれた石垣はどんまいですが)すべてが終わった時に彼女の因果応報で周り回って手元に残ったのは卒論だけで、アパートも出て行くというのはなんとも言えない気持ちになりました。そりゃそうだろうなぁ、とも。
門脇麦のインタビューを読んでいて、やっぱりよくわからなかったという哲学に対しての率直な意見と、彼女の女優としての在り方が興味深かったです。
しかし珠の服装が体のラインが出ないようなものが多いから気づかなかったんですが石垣とのベッドシーンがすごく美しかった。あーいいからだしてるんだな~とか。
原作との違い
原作を調べていると色々違いがあるようで。原作は原作で別物のほうがいいのかなとも。彼氏である卓也(菅田将暉君)が運転手したり、彼に対して疑心暗鬼になったりとかがあるようで。
映画だと卓也くんは「何も知らない」わけではないと思うんですが(珠と石坂がホテル行った時にタバコめっちゃ落ちてるの、あれ彼のだよね?)
「本当の話」
この映画におけるキーになる話。ソフィ・カルの「本当の話」。
ソフィ・カルの本だと第二章の「尾行」では“探偵を雇って自分を尾行させる”ようです。
- 作者: ソフィカル,Sophie Calle,野崎歓
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1999/10
- メディア: 単行本
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珠は卒論でこの本からも引用したのだろうか、とか。そもそもソフィ・カルは写真家なようで、何故ここにいきついたのか……。
「客観的に見た彼女の行動と彼女自身が記録した行動では食い違う点もあり、面白い作品です。」
(Amazon レビューより)
ということなので、ちょっと気になります。
なお、彼女の理由なき哲学的な尾行は「ヴェネツィア組曲」からのようです。
最後に
後ろつけまわされるの怖いから哲学的尾行でもやめよう……怖いからやめよう……やられる側は怖いから…(当たり前なことですが)
ちらっと思ったのは「好奇心は猫をも殺す」って言葉。中盤、石垣に捕まるまでの流れの珠は非常に見ているこっちはハラハラでした(笑)
昔哲学についてちょっとだけ学んだことがあるのですが、哲学は数学の証明と一緒で頭がめっちゃくちゃ痛くなった覚えがあります。
Aの方程式のためにBがあって、Cを用いて……緻密な計算をひたすら組み上げていく。そういう意味では非常に疲れるものですよね。偏屈だったり変わっている人がいるのもしょうがないのかなあとか。理詰めで突き詰めていく。
「フィーリング」じゃなくてそれを「理論」で突きつけて、結論づけていくのだと思うと改めてなんとなーくで好きーとか嫌い―とか楽しいーっていうのに対して「なんで楽しいの?」「なんでこれが好きなの?」「好きって何?」ってなっていくのだと思うとあれですね。
最終的に そのうち考えるのをやめた、ってなるのはしょうがないかなってなったなあと見ながらふと思いました。だってわからないものはわからないし、その「わからない」は罪なのかと言われたらそうでもないし。
ということでDVDも発売されます。また2回目みたら印象が変わるのだろうか。
しかし登場人物のジャケットの中に菅田将暉くん入っているけれど印象にはあんまり残らないアニメーターさんの立ち位置でもうちょっと卓也くんの存在によって何かが違うのだろうか?という部分が見られたら良かったかなとも思う。珠の物語だから仕方ないのかもしれないけれど。
珠という存在と関わることで変わった3人の男、という視点ならこのジャケットも納得っちゃ納得だけれども。難しい。
*1:ワンピースのキャラ