柑橘パッショナート

インプットとアウトプットを繰り返すごちゃまぜブログ

A.B.C-Zのドラマ”ワンモア” 最終話「大人が青春して何が悪い」から歩む先

蓋を開けてみたらもう気づけば最終話。あっという間な1クールでしたね。当初はドラマが決まったことに驚いたものでしたが……定時制高校という「知っているようで知らない」世界の中で、そこに地続きの形で息をし、前を見ようとする傷ついた大人たちの不器用でよちよち歩きながらもしっかり地面を踏みしめた良い作品であったなと振り返るばかりです。

なんと地方ローカル局発信のドラマながら、ザ・テレビジョンの「推しドラマアンケート」の3位にワンモアが入ったようです。

A.B.C-Zのファンの人達の投票ももちろんですが、ドラマの前情報を見たり「なんとなく」見始めた人たちにとって心に刺さるものがあったということが推察されて非常にうれしいばかりです。

 

ドラゴン桜東京大学を目指すドラマとして過去にそれはもうとっても一大ムーブメントを巻き起こした作品であり、その続編ですが当時と今との違い(最近は「スマホを使いこなせ」という回がありましたね)とかも含めて見ごたえがあるなぁとしみじみします。多くの東京大学出身者が在籍するQuizKnockの方々の様子を見ていると「学ぶことが楽しい」というポジティヴなことがいろんな形で過去よりも見られることが増えたように思います。 

:ファンから教えてもらう企画「オシゴトガタリ

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過去のドラゴン桜の主題歌もすごく華やかだったのを思い出しました。今と当時を結びながらその頃とはまた違った良さをいっぱい出してくれるの、良いですよね。

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「着飾る恋には理由があって」はひたすらどストレートに「かわいいな~」「ときめくな~」というものがたくさん詰まっていてこちらもニコニコしますよね。火曜日の温度差やばいという声は随所から聞きますが個人的にはもう秋葉くんが非常に空回りしながら頑張っている感じが好きでして。高橋文哉くんは良い俳優さんにどんどんなっていくなぁと感慨深いです。Paraviの外伝も含めて楽しませてもらってます。

 個人的に誕生日一緒なので見かけると嬉しくなる俳優さんのお一人として今後も頑張ってほしいな~と思うのでニコニコするばかりです。

 

ひとつのドラマをとっても、たくさんの人達によって作られていて、息をしていて考えて組み立てられているからこその美しさがあると思います。

現実と虚構の間で生きる作品もあれば、「もはやこれはリアル」というものまでさまざま。制作スタッフ、俳優陣、テレビ局、PR会社……其々がいろんな考えがあって作られているからこその彩りが美しいです。

ということで、今回は「ワンモア」の最終回の雑感まとめになります。

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「ワンモア」 卒業おめでとうございます

 

:ここまでのワンモア感想まとめ:

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第7話あらすじ

なかなか授業に現れない水野(五関晃一)を待つ教室で、空田(塚田僚一)は水野先生お得意のサプライズだと決めつけ、いつまでも待つ構えに…。

しかたなく火村(戸塚祥太)と風間(橋本良亮)も空田に付き合い、居残り勉強を始める。そんな時、地井(河合郁人)の携帯に一本の電話が。

予想だにしない衝撃の結末と感動のラストが待ち受けていた。

(公式サイトより)

 

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ラストに対しての「えええええ?!!!!!!!」だった6話。

其々にとっての「居場所」として確立されてきた学校の中で、息づいて、考えて、そして拭い去ることはない過去との共存をしながら歩いていく展開で(火村と柳澤の再会と別離は過去との完全なる決別とはいかないまでも、自分の道を見つけて進んでいく中で「自ら」のしたことを抱えながら歩いていく覚悟にも見えました)、水野のラストに「えっ」「……え?」という謎の沈黙からの困惑でした。

それが今回どのようになるのか。ひたすら向き合うための時間として「何を学ぶ」のか。その姿を考えながら噛み締めたように思います。

 

集大成としての7話

虚構とリアルの狭間の世界観における「死」

「えっ……えっ、本当に”そう”なの?」と非常に驚きました。

作品のなかの登場人物の退場がこうもあっさり……というか、ドラマティック要素は皆無に行われることに驚いたのと(ナレ死ではなかったものの)びっくりするばかりです。

また、片方で展開が起きている一方での「きっとそうだよ」というポジティヴな発想、”知らない”がゆえに起きる出来事はすごくよくあることというか……「ワンモア」という作品が徹頭徹尾貫いている「地続きの日常」という部分を如実に表している前半でした。

誰かに何かが起きている時、相手がそのことに気づけない、シンパシーやテレパシーはそこには起きることのほうが少ないというものです。もちろん「なんかいますっごい嫌な予感がした」みたいな、第六感のようなものが働くこともあるでしょう。

けれど、そういったことって稀です。クラスメイトや同僚、ましてや家族に「なにか」があったとき、ぱっと分かることってそんなにありません。

だからこその「リアルと虚構のはざま」ともいえる傷だらけの人間が寄り添いながらも前に突き進もうとするワンモアの世界観における死の描写もまた、リアルでした。

 

あっけないからこその、残された側

他の誰よりもいわゆる「ドラマっぽい」あり方をしている水野先生の言動、行動(これは5話でヒーローじゃなくてもいい、自分らしさが出てきたところでもありますが)であったなかで、一番「ドラマっぽい」展開が交通事故というのも何とも言えない気持ちになりました。それも「誰かをかばって」という形ではなく、「教師」としての思いの形が詰まったラブレターのために。

昭三さんはこれに対して何を思うのだろう、とも感じるし「どうして」ってなるであろうことは間違いない中で彼らは一人ひとり「もう”い”ない」という現実を受け止めて向き合わなくてはならないという急速なまでの喪失感の中に投げ飛ばされるわけです。

 

キレイな顔してるだろう。ウソみたいだろう…。死んでるんだぜ、それで…

たいしたキズもないのに、ただ、ちょっと打ちどころが悪かっただけで…もう動かないんだぜ…もう…

あだち充の「タッチ」でのあまりにも有名なワンシーンですが、水野先生のくだりで、真っ先にこれを思い出しました。

試合終了! 君がいなければ…

(アニメ26話目でこれなの心しんどすぎるだろう……と未だに思う)(タッチの想像以上にこじらせる兄弟の展開に南ちゃんそっちのけでこの二人の生き方高校生しんどい…って原作読んで言いようのない気持ちにさせられました)

 

「死人に口なし」という言葉があります。過去にそういっていた言葉があったとして、「その時」はそうだったからといって、その後にどんな気持ちを持っていたのかとか、何を考えていたのかとか、残された側が何かを言っていたとしても訂正することも肯定することもできない。死者は死者であり、もう戻らないからこそです。

でも、「そうだったかもしれない」と死者を伴いながら思う気持ちもある。だから和也も水野先生も、会話のあちらこちらから出てくる。

達也と地井先生は彼らの「表裏」ではないし、其々の人生があるけれど、それでもどこか彼ら二人に近しいものが結びつかれています。たっちゃんの立ち位置を考えれば、そこから生きて生きてもがいてもがいていくのしんどすぎるし(良くも悪くも彼の人生の転機である)、地井先生に関しても「あの状況」で、一人で水野先生の家にいって、彼が残しているあまりの「ものの少なさ」から、彼の残したものをやろうとしているのが非常につらい。あのがらんとした部屋を見たときに、30数年間の人生に幕を閉じた水野先生に思いをはせ、そして考えるくだりは「同僚だから」こそのもので。生徒である他者が見ることが出来ないものを垣間見てしまったシーンでもありましたね。

 

地井先生も、たっちゃんも、根底としてあるのは「死者への手向け」と「自分の気持の整理」との共存で、傍から見ると”死者はそれで喜ぶのか?””この状況で何を言っているんだ”の気持ちで、それでも振り切ってやっていく姿は「生きる」ということへの気持ちなのかな…とも思いました。

 

だからこそ、地井先生は思いを引き継ぐようにして「水野先生のやりたかったこと」(そして、彼が望んでいたこと=金八先生)をするわけです。

一人ひとりに呼びかけながら、思いの丈を話していくのは金八先生の最終回の卒業式スペシャル特有のものですよね。感慨深さがあります。

 

金八先生」の最終回をモチーフにすること

単純にめちゃくちゃいいシーンなんですけどね、金八先生。一人ひとりが問題抱えて、どうにかこうにかあがいて、卒業していくくだりはシーズン通して見ていると「そこで息づく人たちの姿」みたいなものを見ている気がして、感情移入するものです。

まさに「くれなずんでるな~~~」ってなるというか。*1

贈る言葉

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メタ的なことをいうと、金八先生にはジャニーズ事務所所属タレントが多く出ており、V6の長野博さん、風間俊介くん、KAT-TUN亀梨和也くん、NEWS加藤シゲアキくん……と振り返っていけば多くの人たちがいます。

学園ドラマの登竜門とも言われていますし、過去作をさかのぼっていけばそこには声優の宮野真守さんとかがいる。そこで有名になったからといって定着するわけではないにしても、「金八先生」にでることってステータスの1でもあるんじゃないかなと思います。長期ドラマだし、いわゆる「出演者のファン」だけではない人も見る可能性が高いドラマでもあるんじゃないかな。金八放送時期に学生だった自分が重ねて見ていたこともあるので、学園ドラマは「XX君が出ているから見よう」という人がいるのと同時に「学校」という身近な作品に出ているからこそ見るというユーザーがいるのもしかりではないでしょうか。

また、その中で「ごくせん」と「金八先生」というのは、ジャニーズ事務所における切っても切りきれない学園ドラマではないかな……という印象があります。キーキャラクターはジャニーズの人がやっている印象もとても強いです。

  

「先生側」として、それを”やりたい”というくだりは、「生徒」にはなれなかった彼らの夢を叶えるような部分もちょっとあるんではないかな~なんて考えました。

「学園モノをやりたい、でも自分たちは年齢がもう高くなっている」からのスタートで、「夜間定時制高校」という舞台になったワンモア。がむしゃらに真っ直ぐに、ティーンズの頃のように受けていくことはできない、時間をかけてきたからこその傷とか考えがあって帰結するという考えを面白いなと思いながら見てきました。

 

くれなずむ、とは「日が暮れそうでなかなか暮れない」という意味です。昼と夜の間。

そして彼らは「日が暮れてから、学校にいく」人たちで、そんな彼らが「贈る言葉」として贈られていくシーンに重なるのは何とも言えない気持ちになりました。

ちょうど最近「くれなずめ」という映画が公開されました。

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作風はワンモアとは全く違う、「5人の同級生の結婚式と二次会の隙間時間」をピックアップしたものですが予告編見たときにすごく見たい作品になったのでご紹介。「くれなずんでるな~~」という響きもそうですが、「人生におけるたくさんの時間の中での、ほんの少しから起こる出来事」として興味深かったので。

 

そもそも「贈る言葉」の詩は失恋の歌だったそうで。言われてみればそういうふうにも取れるけれど「失った誰か」への手向けの歌にも思えますよね。

暮れなずむ町の 光と影の中去りゆくあなたへ 贈る言葉

悲しみこらえて 微笑むよりも 涙かれるまで 泣くほうがいい

人は悲しみが 多いほど人には優しく できるのだから

(「贈る言葉」)

くれなずむ、ゆるゆると「なにかが変わる瞬間」であり物悲しさがある夕焼け。でも陽はまた昇る。毎日を繰り返す中で。日々が変わっていく中で、それでも、「学び舎」というものがあって、そこに行って青春は来る。だからこその、最後の水野先生の「大人が青春して何が悪い」につながっていくのかな、と最終回の鉄板である「金八先生」を選んだ理由と、その上で金八先生のマネではなく水野先生が言ったことへの彼の成長を感じました。あとは「贈る言葉」は教師から生徒への楽曲にも感じられますが、今作の見方で言うと「いる」けど「いない」の水野先生の状況を鑑みても「贈る言葉」でもあるなとも感じました。

 

青春は何度でも来る

このブログで、何度でも何度でも記していますが、「ちはやふる」の29巻における坪口広志さん(主人公「千早」の兄弟子で学校の先生をしています。そして中々勝てなかったり天才に阻まれたり、影の功労者でもあります)の名言があります。

いろんなおっさんを おばさんを たくさん見てきたから先生知ってんだ

いいかおまえら

青春は何度でも来る 何度でも来るから 何度でもがんばれよ な

 

ちはやふる(29) (BE・LOVEコミックス)

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「青春」って、ティーンズ特有な意味に捉えがちです。

陰陽五行思想では、「春」には「青(緑)」が当てられることからの「青春」、それと同様に、「夏」「秋」「冬」にも色が当てられています。

朱夏(しゅか)」、「白秋(はくしゅう)」、「玄冬(げんとう)」とかそれですね。北原白秋はここからきたんでしょうか。

この考えだと「春」は15歳から29歳を表していて、「青春」について人生における若々しく元気で力に溢れた時代を指すようになったとも言われています。

いろんな「大元」があって、それがいろんな形に転じていって今のティーンズ特有の悩んだり、考えたりする様相を「青春物語」「青春モノ」として描写されることが多い印象です。この「青春」は何を指すのかは作品によってまちまちです。ティーンズから29歳までの考えなのか、それとも「キラキラしたり、努力したりすること」を青春と呼ぶのか。

青春は何度でも来る。坪口さんの台詞からの、水野先生の「大人が青春して何が悪い」に対して考えることは「一生懸命」や「キラキラ」やもがいたり悩んだり苦悩したり、その上で「向き合っていく」「諦めない」を青春と読んでも良いんじゃないかな。

そういう、「いい年だから」とか「もう若くないから」という呪いの言葉を全部脱ぎ捨てるのは難しいけれど、それでも「自分がやってみたい」ことに向き合って走っていくことに恥もなにもない、何かを始めることに「遅い」はないのだと、訴えてくる作品でした。

メタ的なものとして金八先生の生徒は難しいかもしれない。金八作品ももうピリオドを打っている今「10代の生徒」は無理かもしれない。だからって諦める必要はなくて、地方のローカル局が手掛けてようと、何であろうと、「生徒」として「先生」として「学校」で、青春をする。それはとても美しいな、と感じさせてくれました。

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好きな作品の好きなシーンとして。反省は死ぬほどあるけれど、後悔はない。

学校にいった彼らが、いろんな経験をした彼らが、回り回って「学校を卒業」していく中で自分の人生そのものに反省はあっても後悔がないといいとねがうばかりです。だからこその「卒業、おめでとう」といいたい。

 

そして、4年間という時間の上で見送った地井先生が、新たにやって来る生徒たちと向かい合ってまた「1」から、けれども「0」ではない中で、考えて向き合ってまたあらたな学園生活を送ってほしいと、そう願うばかりです。

 

ドラマの中身としての好み

演出としてはローカル局であることも鑑みてもあまり予算がかけられない中で「地続き」ということをコンセプトにしたのかと思わせるほどの長回しが多かったように感じられます。

ストーリーに関しては非常に王道かつシンプルな作りでありつつ肉付けがされていました。アイドルグループのメンバーが主演なのでそれぞれにスポットライトが当たるように配置しながら――というのはそのアイドルグループのファンとしてより感じました。

表主人公でいうなれば「火村」で、裏主人公でいえば「水野」です。

舞台や映画で見ていて「このキャラクター、いる意味ある?」みたいなことってどうしてもなりがちなのですが、そういう部分をできるだけ感じさせないように割り振りをきっちりと決めたのかな、というようにも感じられました。

一方でヒール側になる全日制高校生や火村の職場の同僚、柳澤といったメンバーに関しては人間としての側面があまり感じられないというか「よくも悪くも、引き立たせる」役割で、どうして彼らが目の敵にしていたのかの説明、描写がなかったのが気になりました。もちろんその「余白」を感じろと言われたらそれまでなのですが……。勧善懲悪である部分を持ち合わせながら一方で「メインメンバーにやさすぎない?」と言われたらその通りでもあると思います。第三話の風間くんのくだりに関しては当事者がよしとしている部分もありますが、一方で「学校がもみ消している」と言われてもおかしくないかな~……とも。好きなら盗撮していいのか?は「そうはならないだろう」って思うし、志保が友達からと歩み寄れた、双方における色眼鏡はなくなったとはいえ「あっけないな」といえば確かになぁ……と思いますしね。

志保が高校の同級生と絡まなくなった一方彼らは運動会に来て「楽しそう」とちょっと心が動いていて、でも火村の一件で悪意を持って言っているのも含めてアップダウンが激しいというか……一貫性がないといえばそれっきりなのでしょうが。

お芝居としての印象

正直最後の最後で、地井先生にモノマネをさせたのは「河合郁人」というもともとのパブリックイメージからの派生からかなぁ……と思わせる部分もなきにしろあらずで。これは河合くんがものまねジャニーズとしてある程度名前が売れてきている昨今だからこそ自分が感じたものでもあるのですが、それを「しなくてはならない」状況に持ってきている内容が「水野先生」という人物を失ったがゆえというのも何ともいえない展開だなぁ……とも思いました。もちろん、クールでドライで粛々とやる、そしてこれからも「プロフェッショナル」としてその姿を崩さない地井先生だからこその「この瞬間だけ」として水野先生の思いを引き継ぐシーンだったとも思います。

……が、やっぱり「死ぬことは……なかったんじゃないかなあ……」というしょんぼりさも残るというか、死というセンセーショナルな、どうしたって喪失感と忘却への恐怖と隣合わせになりながら考えていかなければならないもので「誰もが来ることだけど、誰もがその後を知らない」という世界だから、どうしてもやっぱり世界を切り離してしまうことにううんそうか…そうか…とも思ったりします。

ただ、そういう背景があったからこそ、水野先生は「イマジナリー水野先生」として、彼らの想像する姿で、卒業に向けた彼らに一人ひとり言葉を紡いでいきます。

抱え持ってきた日々は4年間でそうたやすく払拭できるものではないかもしれないし、彼らは門を抜けたらまた「日々」が切り替わっていく。その中での「贈る言葉」として、熱血にはなりきれないけれど、どこかほんのりと憧れもまじりながら、苦笑いも似合うような姿で、水野先生は言葉を紡いでいるのだと思います。それが「どんな姿」だったのかは、結局共有する「イメージ」で、本当の水野先生はいないのだけれど。彼らの中で生きている、ちょこんと座っているであろう水野先生の不器用な、彼なりの言葉がノートの中から広がっていくシーンでの五関さんの「灯」の歌詞にあるような表現が心に残りました。

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くしゃっとした笑い方で、いくつになっても変わらないビジュアルで穏やかに佇む五関さんを知っているからこそ、水野先生みたいな真っ直ぐな姿が「本当はどこにでもいる村人Cだった」過去から変わっていった過程がゆえの美しさみたいなものが詰まっているように見えました。

 

「余白」を汲み取りながら考える

最終回における一人ひとりの見せ場としては全体的に走馬灯のように走っていったからこそ「止める」というお芝居が光っていたような気がします。大きく物事が衝撃的に突き動かされる「水野先生の死別」がゆえに、「卒業」という着々と進んでいった中での「聞く」姿勢みたいなものが良かったですね。キビキビと動いている委員長(空田)が真っ直ぐにいる姿や、火村の「聞く姿勢」、また、返事すらできなかった風間がじっと見返せるようになったこと。沖田さんの表情が明らかに4話から明るくなったこと、グエンくんの変わらぬ柔らかい表情。それぞれにそれぞれが引き立っていました。

 

大きな卒業式ではなかったし、本作には他の登場人物があまり出てこないぶん、コンパクトでその分入りやすさというか「世界観」が確立しやすくなっていたと思います。多くないからこそ、狭い教室の中で見える人間性と外側のやり取り。

火村が工場の人達にみせる表情と、クラスメイトに向ける表情の違いのようにそれぞれがそれぞれ「其々に合う」コミュニケーションを見出していった結果なのだなと思います。

風間の行動を「ありのまま」で肯定するのではなく、ありのままですべてを受け止められないからこそのはじまりであった3話。自分らしくあろうとする難しさみたいなものは常日頃生きている中でとても考えさせられます。

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(ジャンププラスで連載している「左ききのエレン」では、その「ありのまま」の難しさと「自分になる」ことへの光と闇、クリエイター、アーティストとしての苦悩も描かれています。)(才能しかないクズ、というくだりは実にしんどかった)

 

だからこそ、彼らが必死こいて作っていく「彼ら自身」の姿は明確には描かれていなくて、その空白、余韻をかみしめて考えて人物像をイメージしながら作っていったのだろうな、と感じさせられました。

俳優陣、制作陣との共通認識がどこまでなのかはわかりませんが「こういう人だから」という人物像の形成をした上での視聴者に「こうなのだろうか」ということを考えさせられるのと「空白の時間」の中でどう変わっていったのかの明確な答えが提供されていないからこその「それぞれの考え」を働かせることができる、文脈からイメージしろみたいな投げ方は中々難しくもあり、また同時に「そうくるかあ」と驚きと楽しみでもありますよね。

例えば風間は家族関係は良くなったのか?空田は娘の小学校の卒業式にいけたのか?火村は資格が取れたのか?沖田さんはその後本当に「逃げ切れた」のか?とか。卒業式、誰もいない黒板に掲げられた言葉たちが彼らの「感情」であり言葉だとするのであれば、きっとハッピーエンドではあるけれど、全てがぜんぶハッピーではなくて。

地続きな日々がゆえの「ビター」さと、ほろ苦さと、けれども甘くて楽しい甘酸っぱさと。それが全部ひっくるめて、あの門の内側、学び舎の中で見えたものたちなのかな、とも思います。

 

「亡霊」といったオカルト的に水野先生が出てこないことで、色々を考えさせられたラストでした。目には見えないけれど”い”るととっても良いし、一方で「人はあっけないな」と諸行無常感を感じながら、それでも歩いていく彼らに思いを馳せても良い。

答えはまた、自分たちの中にあるのだと進んでいく。それでもやっぱり「歩いていく」世界なのだと、そういうふうに自分は受け取りました。

だからこそ、エンディングはこれで良いのかな~なんても思います。

続編したいというお声を監督が挙げているのをお見かけして、個人的に総集編という形で皆で三回忌とか同窓会という形で集まっているのをビール飲みながら話している――、その横で外伝的に過去にこんなことがあったねのワンシーンみたいなのだったらみたいな~と思うのですが、まとめたからこその美しさはあるんじゃないかな……なんても考えます。「終わる美学」というのはどっかしらにあって、無理に繫いでいかなくても、ここで終わるからこその「見えない未来をイメージする」ということができるんではないでしょうか。

 

そういえば、特捜9とかだと「結構雰囲気似てるよね」と実際に俳優・アイドルがいるていで「顔が似てる」「ちょっと雰囲気似てる」みたいな感じで役柄が言われたりするんですが、ワンモアだったらどうだったんだろうとも考えます。

具体的にアイドルグループA.B.C-Zの話題が上がっていなかった分、そういう文脈の中で「全然似てない!!!!!」って全日制の子に怒られるかもしれないし、水野先生がいなくなった空白の時間のときに「一人いない足りない」って言われてウッ……となることだってありえるかもしれないし、どういうふうに世界観として見られるのかなあ……とかそんなことをふと思いました(笑)

 

「灯」という曲に対して思いを馳せる

歌詞は思い切りのラブソングなのですが、灯っていうものに対していろんなかたちがあるなと思います。

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やわらかなオレンジ色はこころを温めますよね。

今回のA.B.C-Zのライヴペンライトにオレンジが増えたのは「灯」をやるときにオレンジをともしてほしいサインなのかな、とか、有事の際でもおけるペンライトでもあるので、そこで「灯してほしい」という意味なのか。いろんな考えがあると思いますが命そのものも灯火として表現されることは多いですし、身近で、それでいてあったかくて、安心する曲です。でも一方で、その灯火の「距離」っていうのは心の距離なのかなぁとも感じたりとか色んな様子として考えられて、素敵だなと感慨深くなるばかりです。本作の「傷だらけの人々」が少しずつ、傷を癒やしながら前を向く姿として詩的に描かれていて、また進む力になっていくの、よいなぁと思います。

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ということで、全7話、キャスト、スタッフ、関係者の皆々様お疲れさまでした。

素敵な作品に出会えて本当によかったなぁと思います。A.B.C-Zというグループが好きだから、橋本良亮くんのファンだから、いろんなきっかけを持ちながら見ていった作品ですが蓋を開けてみれば改めていろんなことを考えさせられた作品でも有りました。

一つひとつ、毎週楽しみにする形と一挙でまとめて見るのとそれぞれした上で個人的には「もう一回一気にまとめてみたいなぁ」って思える作品でした。どちらかといえばまとめて見るからこその感じるものがまた生まれていったように思います。

 

作品全体で見たときに「よかった」と思う人と「最後それは…そうなのか…そうなのね…」と驚く人と両方いるであろうドラマでしょうし、内々の話や関係性(例えば、水野先生のくだりを五関君自身で考えた、などのエピソード)を知っているかどうかでの感じ方も其々違うからこそ「2周め」でみたときに見える発見も色々あるのかな、なんても考えます。

ということで、最後の最後はまとめて総括として自分なりの感想を改めて読み直しながらもう一回かけたらいいなぁという希望的観測を最後に記して、とりあえず一旦ここで区切ろうと思います。お疲れさまでした!

*1:金八先生の屈指の名曲「贈る言葉」の冒頭。

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