柑橘パッショナート

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「溺れるナイフ」を見たところ、重岡くんの印象がガラリと変わった件

連日連夜なんでか唐突に映画を見たくなる時期がある一定期間あるわけですが、ここ数日はそれが顕著だなあと思います。ということで見に行く予定もなく当初見たいとも思っていなかったはずの「溺れるナイフ」をうっかり友達が「見てきたけど良かったよ」とおすすめしてもらったので見てきました。

 

gaga.ne.jp

その中でもジャニーズWEST重岡大毅君が大変良かったので、つらつらと書いてみたいと思います。

あらすじのネタバレとか感想とかダラダラ書いていますのでご注意。

 

www.youtube.com

 

 

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あらすじ

15歳の夏。東京から遠く離れた浮雲町に越してきた、人気モデルの望月夏芽。

退屈でウンザリするようなこの町で、夏芽は体を貫くような“閃光”と出会ってしまう。それは、コウと呼ばれる少年・長谷川航一朗だった。

傲慢なほどに激しく自由なコウに、反発しながらも、どうしようもなく惹かれてゆく夏芽。コウもまた、夏芽の美しさに対等な力を感じ、やがてふたりは付き合いはじめる。「一緒にいれば無敵!」という予感に満たされるふたり。しかし浮雲の夏祭りの夜、全てを変える事件が起きるのだった―。


失われた全能感、途切れてしまった絆。

傷ついたふたりは、再び輝きを取り戻すことができるのか。未来への一歩を踏み出すために、いま、ふたりがくだす決断とは―。

(公式ホームページより引用)

 

 キャスト/スタッフ

監督は山戸結希。Wikipediaで調べたら商業系のものはあまり出ておらず、これが初に近い形なのかな?

過去に作られた作品については少女の葛藤等が得意な様子。

脚本は 井土紀州、山戸結希の二人。

井土さんは「64(ロクヨン)」の脚本協力もされていた方のようです。

 

主要キャストは以下の通り。

・望月夏芽 - 小松菜奈

・長谷川航一朗(コウ) - 菅田将暉

・大友勝利 - 重岡大毅ジャニーズWEST

・松永カナ - 上白石萌音

・広能晶吾 - 志磨遼平(ドレスコーズ

 

【感想】

トーリーの感想

そもそも私は「溺れるナイフ」の原作を一切知らない状態でいきまして。

原作はジョージ朝倉さんの「溺れるナイフ」(別冊フレンド、全17巻)ということで。

原作と映画とどう違うのかはわかりませんが、Wiki等の情報を見ていると、映画はコンパクトに余計なものが色々省かれていたように思います。

 

東京から引っ越してきた人気ティーンズモデルの夏芽にとって「何もない」浮雲に対して、コウちゃんは光そのものだったという言葉がありますが、見ていくと神話におけるイカロスをふと思い出しました。近づけば近づくほど焼かれる。

また、作中における「イザナギイザナミ」の黄泉平坂の話(さらっと触れられて以降ぱったりでしたが)はこの作中で「死」と「生」といろんな感情がぐっちゃぐっちゃになっているんだろうなあと。

 

夏芽は「見かけ」という絶対的な武器を持っていて、コウちゃんは「特別な何か」で≒神さんなのかなと思いました。「神様に愛された少年」みたいな。まぁ逆に言うと彼が彼女と心を寄せ合うからって言う風にも見えなくもないですが。

ティーンズモデルで写真集だして粘着なファンにひどいことをされて心を閉ざすまでの過程がそれまでキラキラしていたのに沈む、というのが本当しんどかったです。

 

見ていて「なんだってコウちゃんは夏芽を気に入ったのだろう」ということを考えたのですが、彼女が「意見する」「歯向かう」からなのかなあと最初の反発を見ていて思いました。まぁその後駄々をこねてヤダヤダ!別れるのヤダ!って言ってるのを見てあっティーンズにあるあるの嫌われたくないからなタイプだめんどくせえと。申し訳ないが私は友達になれない奴だ彼氏頑張れってなるやつ、とまぁそこまではいいとして。

wikiに書いてあったコウちゃんの大地主・長谷川さんの息子であること等で「勝手に周囲に期待されて勝手に失望させられるプレッシャーの中にいる」という必然的に目立つ二人だからこそ、寄り添うようになってったのかなあとか。

 

つい最近でもないですが「怒り」とか割りと女の子がひどいことをされる作品を見ていたせいか(ヒメアノ~ルはちょっと違うか)「あーーなつめ逃げてー!!」と志村後ろ後ろーみたいな気持ちに。

でもお客さんがそういうふうにいったらやっぱり焦るよね…。おじいちゃん年いってるって話だったし…と思うと辛いものを感じました。

作中における大友君の最初の見せ場でピシャリというところは完全なるセカンドレイプからの彼女を守る過程でとってもいいなあと思いました。

優しさが溢れているというか。ダメなものをダメだと言えるのがいい。

また、そもそも「そんなに仲が良くなかった」二人が(原作だと元々大友くんはコウちゃん第一主義の親友系だったそうですが、途中で疎遠になったそうな)少しずつ親しくなって「何とかしてあげたい」になって、友達として、ひいては恋人になる過程がすごく良かったです。 

また、心が荒んだ状態で、それでも「この場所から出られない」ということや周囲から好奇な目で見られ続けるのは、先日見た「ミュージアム」の霧島とリンクするものがあり、なんだかなあと。

田舎特有の秘密にできない個人主義になれないかんじの圧迫感が夏芽にはあって、そこから寄り添う形で突き放すのではなく受け止めるという大友の流れはとても好きです。

 

トーリーについては十代の女の子の「ここではないどこかに自分の居場所を探す」というものから出会いを重ねて見出そうとする話ってかんじですかね。

前述した夏芽の武器は「見かけ」としましたが同時に「どこへでもいける」というものがあります。ある意味で自由。ある意味で孤独。

タロットカード的に言えば彼女は「愚者」そのものだったのかな。愚者のカードって要するに一寸先は闇みたいなかんじじゃないですか。崖の上を歩いているわけで。その危うさを孕みながら「どっちにでもいける」という象徴かな。

だから、「依存」しかけたコウちゃんとの関係が映画では最終的に寄り添って一緒に生きるのではなくて「お前はここにあったことは何も気にしなくてもええ」ってなったのかなあとか。(まあコウちゃんはコウちゃんの選択肢があったわけで結局ああなってしまったわけですが)

P4的に言えばコウちゃんはちょっと雪子の要素も持ってたのかな、とかしんみりしたりもしなくもない。まぁ雪子とコウちゃんは完全に違う生き方だけれど。

 

また、コウちゃんはコウちゃんでちゃんと夏芽に(多分)惹かれていて(私の憶測ですが)そのうえで「何もできなかった」自分を責め続けている絶望している部分があり、無力な子どもとしての部分がナイフのようにギラギラしながら、二度目の犯行で彼女を守るために動いたのがしんどいなと。

あちらとこちら、同じ道を歩むことはできないのかもしれないけど(一緒に居たからこそ辛いものもたくさんあるだろうけれど)それでも、彼女は彼の背中を見続けている、都会の芸能界という世界で、みたいな終わり方は本当に十代のナイフみたいに尖って触るものを皆傷つけた(チェッカーズ参照)でありながら言いようのない気持ちをずっと抱えて行き場のない怒りだとか悩みだとかを爆発したいのにできない「感情」としての作品であったなと思います。

 

主題について「作者曰く、題名中の「ナイフ」とは「十代の自意識」であり、破裂寸前の十代のこころと、剥き出しの刃物のような青春の情景を多彩に描く」とあったので、最後の熱烈なファン(とすら言えないけれど)の男を刺したナイフのことではなく、十代が持ちうる「自分とはなにでどこへ向かうのか」っていうアンジェラ・アキも歌ってたことと同じことを指しているそうで。

危うさを孕みながらもがく、苦しむ、やつ当たる。爆発させたいのにできない、子供みたいなキラキラなだけではいられない。ってことなのかな、と。

 

水の演出がとてもきれい

タイトルが「溺れるナイフ」なのですが水の中のシーンが度々出てくるわけでそこがすごく丁寧に描かれている気がしました。

喉を触る、首を触る理由は「オマエを支配している」という意味にチョーカーつける意味ってあるらしいんですが(首輪的な)、原作の話を調べてみるとそもそもあの神さんのいる場所って幼いコウちゃんを母親が首を絞めていたところを見つかり、飛び込んでそこから消息をたった場所だということで。だからあの首に触るのは彼の愛情表現と歪んだ結果にも思えなくもないなとか。

まあ何にしても深いブルーの中に光が差し込むような空間、白に近いコウちゃんの髪と真っ白な服装というのはとてもはえます。そしてなつめの手を取らないで沈んでいくところもいいなあとか。

 

役者さんについて

心にたくさんのものを抱えた「夏芽」と小松菜奈

小松菜奈さんについては私あんまり存じ上げないのですが少女漫画含めていろいろで実際に活躍されていらっしゃる女優さんとのこと。

夏芽って周囲より「大人びている・垢抜けている東京の子。ただその一方でどこにも居場所がない葛藤をし続けている少女」なわけで、そんな彼女の駄々をこねるところ、声を張り上げる所が特に印象的でした。

なんていうかこう、大人が直視できないというか「ああ……青いなあ」みたいなかんじというか。思い出すと死にたくなる心のなかに爆弾を抱えているかんじというか。盲目になっている感じのイラッと感は私はいいなと思いました(褒めてます)。

そこから傷ついて大友と一緒に居てだんだん柔らかく笑えるように心を開いていく様もいいなあと。バッティングセンターとか、お部屋に御見舞にいったところとかのきゃっきゃしたかんじも好きです。「等身大」で「体当たり」という印象を受けました。

中学校時代の近寄る物なにも怖くない、という雰囲気(個人的に二つ結びのセーラー服可愛いなと思った)と、高校生になって閉ざしていく姿が同一人物に見えない形で明暗がはっきり出ている感じがして、女の子ってどんなふうにも変われるというか。そういう印象の残る形でした。

 

傲慢とさえ思える「コウ」を演じ分ける菅田将暉

菅田将暉くんについては終始「コウ」という少年だったなと思います。

実年齢おいくつかわからないのですが、ずっと「コウ」なんですよ、中学も高校も。ふとした拍子に「あっそうか菅田将暉だった、この人」という感覚に陥れる。それってすごいことだなあと思います。登場人物を登場人物として認識させるのって難しいことだと思うのですが、完全に入り込んでました。

だって少なからず二重生活の彼氏ではなかったし、民王のバカ息子でもないし鬼ちゃんでもなく、菅田将暉でもなく、「コウ」だと思わせるっていうのは、作品を追いかけながらでもどこかやっぱり俳優さんの芝居を見てしまうものだと思うので、切り落としていたのすごいなって思います。うまいこといえないけど。

コウの見せ場で好きなのは2度めの火祭りのシーンですかね。また、大友くんとのギクシャクを含めたときのその前述のやり取りもいいと思います。

「めんどくさいわオマエ」っていってたのに対して「アンタがそれを言うのか…!(笑)」と流れを見ながら思ったなど(これは菅田くんがどうこうっていうかコウについてですが(笑))

 

幼馴染として憧れを持っていながら憧れとの「決別」をする上白石萌音

上白石萌音さんは「舞妓はレディ」「ちはやふる」に続いての作品ですね。最近だと「君の名は。」ですか、やっぱり。

かなちゃんのような雰囲気のある子だと思いましたが今回のカナ(そう言えば名前が同じ「カナ」だ!)の設定は下記の通り。

小柄で地味なクラスメイト。

モデルだった夏芽の大ファンで、転入してきた彼女を何かと気にかける世話焼きな一面も。

コウの幼馴染みでもあり、ずっと想い焦がれてきたが、憧れの2人が惹かれ合っていると知り、「夏芽ちゃんとコウちゃんは特別じゃ」と思い込み神聖視するようになる。
高校入学後は化粧を覚えてぐっとあか抜け、夏芽をライバル視する。

(公式ホームページから)

 

作中で彼女がどんな子であるのかはよく分からない印象だったんですが、一番最後の「もうコウちゃんとは二度と会わんで」といったときの表情がすごく良かったです。顔半分隠れているからか余計にゾクッとしました。瞳で射殺すってああいう形だな!と

「ライバル視」というポイントについて、自分が垢抜けたことで優越感を感じているのか、それとも異性としてまだ「コウちゃん」が好きなのか、なんというかそのへんが個人的によくわからなかったのが残念。原作だと「特別だと思ってたからなんで大友なんかと」ということでブチギレで疎遠になったのだそうです。大友くんいいじゃないか。

しかし見ていて思ったのは「この子、いろんな役が出来るんだなあ」としみじみと。かなちゃん(ちはや)はこのカナに比べて朗らかさと自分の意志を持っていて、千早という「無駄美人」「かるたばか」の横で影響を受けながら自分の夢を貫いていくわけで(ところで机くんとのやり取りあれすごく好きです)

そういうふんわりとした感じは決してカナとは同義とは思わなかったし、舞妓はレディのときは同じタイプの「田舎の子」だけどカナみたいなこじらせ方はしていなかったな、とか。そういう意味で決して同じようには見えなかった。

そこにいるのは「カナ」で、女としての勝ち負け嫉妬憧憬が渦巻いて、ぴんと伸ばそうとする姿は人生経験を重ねて行きてきたかんじがとてもいい。

 

”いいやつ”だけど、それだけじゃない 大友君が大変良かった

いやこの映画におけるキモなんじゃないだろうかと思える役柄でした、「大友勝利」君。主人公の夏芽とコウちゃんを側で見ていた頃から、途中で彼女が心を閉ざしたのを寄り添って、恋人になって、相手のために手を離そうとするという少女漫画における「この子の何がダメなんだよおおお」ってなる存在です。

でも、大友君の場合は自分ではダメなんだという部分もわかってるんだよなあってのがまた。荒れたコウと疎遠になって(原作だと友達のリンチを傍観してたことの絕望したとか)しまったなかで、夏芽とコウは「特別」だから、って思っていたのに夏芽が心を閉ざしたなら余計に思うよなあって思いました。

少しずつ惹かれた椿のシーンは顕著だなと。少し心が惹かれたなかで、それでも夏芽が見たのはコウちゃんで。追いかけていくわけですしね。

でも個人的に夏芽が「夏芽」として、芸能人の夏芽ではなくただの「夏芽」として呼吸が出来る場所になってあげたのは大友君だったと思うんです。

「大友といると心が明るくなれる」というのは間違いなく真実で(まぁそれは残酷っちゃ残酷ですけどね)最初から「好きにならないよ」と言っていた夏芽の心をここまで持ってこれたのは彼のおかげなんだよなあ。ベティキュアの赤に、「椿が咲いているようじゃのお」と笑っていた自然体なかんじが良かったです。

 

割りと好きなシーンどれ?と聞かれたら「バッティングセンターのやり取り」等をあげたいところです。

大友くんが「嫌いになって」と言われて「大好きだ」と言いながらも、夏芽の手を離すことを選ぶのは、彼女が「芸能人としての夏芽」を選んだからで、彼女の「神さん」であるコウが心にいる以上、彼の背中を幻想の中で追いかける以上、彼女は歩くのを止められないんだろうなとか。

だけど、その一方で「ごめん」と泣く彼女に笑わせてあげようとするところが実にしんどいのにいいシーンでした。泣く人と笑う人がいると思いますが、私はどっちでもなく「この子本当いい子なんだなあ」としみじみと大友君を見ていました。

インタビューで「格好悪いことを出来る、かっこいいやつ」みたいなことを重岡くんが指摘していましたがその通りだな~って感じます。

大友君が夏芽に向けるものは「プシュケの涙」のシリーズで書かれていた一節の、「君が笑っていればそれでいい」なんだなあと思ったらじんわりきました。切ない!

 

「大友勝利」という少年を演じた俳優・重岡大毅について

重岡大毅くんについて本当申し訳ない、同じ事務所の先輩アイドルグループのファンながら、ぶっちゃけほとんど存じ上げてなかったわけです。

いや、お名前だけは知っているかんじながら「あっ重岡くんってジャニーズWESTなのか」とかそういうレベルです。(ドラマやってたのも知らなかった)(本当にごめん)

それこそ普段どんなことを話していたりどんなふうに動いていていらっしゃるのか分からない自分にとっての重岡君の今回の「大友勝利」という少年の動きを見ていて思ったのは「あっ昔の山本真希に雰囲気似てる」でした。

ただそれは「大友勝利」という純朴で柔らかな少年だからこそ思ったのだろうなあとWESTについて調べてたら思いました。

センターの男の子で普段のアイドル写真みたら全然似てないもん!(笑)正直前述みたいなことを思って本当にすまなかったと思うレベルで似てなかった。ごめん。

多分ファンの方が調べたら「ふざけんなよ!!!」ってレベルだと思う本当スイマセン。 

まぁそれはそれとして、「殿、利息でござる」も私は見ているのですが(ゲストに羽生結弦の実話映画、「殿、利息でござる」を見てきた(+完成披露試写会) - 人生日々ハイテンション) 全然記憶になくてですね、というかイコール、大友勝利という少年だとは思いもしなかった。

 

今回本当にあの、アイドルのジャニーズWESTは相変わらずわからないままなんですが(「あさが来た」の桐山くんがとてもよかったと思います。八代目好きです。ぐらいの認識。後逆転裁判の歌歌ってました…よね…?後サーティワンのCM)今回俳優さんとして主要キャストとして演じられたのを見て「彼にとって間違いなく特別な作品になったんだろうなあ」と思いました。

ある意味で菅田将暉くんの「コウちゃん」と対比的な存在として描かれる登場人物の「大友」くんの魅力が出ていて、自然体で、椿口に加えてるのきれいだな~とうっかり見入ってました。眉毛みせんしゃいの流れは非常に可愛かったですし、好きなシーンです。

その後の別れるための吉幾三で笑って踊って励ましての握手、コウちゃんとの「青春をイカに捧げるんじゃ!」というところでの距離が少しだけ戻った「ギクシャク」も含めて良かったと思います。

そういう意味でできればまた重岡くんのお芝居が見られたらいいな~と思うのと、ご本人が「またやってみたい」という気持ちになってくれているようなので(インタビュー曰く)是非でてもらえたら、うれしいです。

 

っていうか調べたらジャニーズWESTのセンターなんだね……!!(本当に無知でごめんなさい)

WESTファンの方、なんかおすすめの曲やらこれから始めろみたいなのあったら教えてください。ええじゃないかはちょいちょい聞いて楽しんでます。CD借りてみよう今度。

 

映画を見ていて気になった所

挿入歌が本気でよくわからなかったというか、台詞にかぶっているように聞こえてしまって残念でした。

作中の夏芽の感情を物語っている(「悪魔=コウちゃん」、「王子様=大友くん」で、”大好きな悪魔と離れて王子様とキスをした”ってのがあったので)とは思うのですが、割りと頭に入ってこなかったのが残念。

それと一番最後の!最後のあの、流れが、いきなり精神世界になってしまったのとアートムービーになっていて驚きました。作中描写のためというのは分かるんですが、それよりもなんかこう……なんかこう…!!と思わなくもなく。

夏芽が「皆知らないでしょうと自慢する」というモノローグで、コウちゃんの背中を見ながらも前を見ているというある意味矛盾している状態で「どこまでもいける」というのが分かるんですが、わかるんですが…こう、見終わった時にいいようのない気持ちになったので、締め方こうするのかあと。

 

後は、前述しましたけどカナちゃんがどういう立ち位置なのか見てて個人的にわからなかった(ライバル視してるの明確なんだけどその理由が「昔のあなたに憧れていた自分はもういない」なのか「コウちゃんに選ばれるくらいになる」なのかも分からん)のと大友くんの口から最近のコウちゃんとのやり取りっていうか疎遠になった理由?というか元々「友達」「親友」だったのかどうだったのかがわからなかったので気になりました。まぁそれ入れると尺が多分まとまらないんだろうな!とも思うのと無くても見れたので「ディレクターズカットが出るかもしれん」と希望的観測を言っておきます。やってくれたらいいなあ。

 

映画自体を勧めるかどうかと言われると芝居力に引き込まれる作品だった、ってのと普段あまり恋愛映画を見ない私がちゃんと見られましたということで。キラキラピュアピュアっていうよりは尖って尖って、行き場のない気持ちを何処へぶつけようというかんじの「衝動」な作品だったと思います。

広能さんの「変態でしょ」っていう言葉に対して、潜在的に持っている内側にある「そんなことはない」「そんなのは私じゃない」(ペルソナ4でいうとシャドウ的な)ものがあって、そこを付かれている夏芽と、彼女が向き合う過程は芸能界という闇に染まりながらあのスポットライトへ自らの手で戻ろうとする、選択しようとするのが見えました。その分いろんなもの切り捨てていかなきゃいけないわけで。象徴が大友君だったのかなと思うとつらいな~とか。後は自殺した男は多分一生呪いだとしても彼女の心に残るだろうし、いつかまたフラッシュバックするとは思うし男にとっては本望だろうけど胸糞悪い話な限り。夏芽は多分コウちゃんを思い出す時に彼を思い出すし、コウちゃんもまたそうなのだろうなあと。傷はあるけど、それも踏まえて歩いていくわけで。

コウちゃんの内面がよくわからないながらも(言ってしまえば神的、本心が見えない)夏芽にとっての「神さん」で、コウちゃんにとっての「ファム・ファタール*1」であったのだろうなとか。

大友くんにとって夏芽はファム・ファタールじゃないけれど側にいたいというか。金色のコルダ3的に言うと響也(大友君)、かなで(夏芽)、冥加さん(コウちゃん)的な。ちょっと違うかな。

まぁそんなことを思いつつつらつらと書いてみましたけど全くきれいにまとまりませんでした。書きたいこと書き連ねたらまとめられなくなってしまった状態ですが、透明感のある映画がみたい方、俳優さんの頑張りがみたい方、言いようのないうあーー!!って気持ちになりたい方あたりにおすすめ

 

そして私はこれを機会に重岡くんについてズルズル知ってドツボにハマっていくということをこの時知りもしませんでした(遠い目

*1:男にとっての「運命の女」(運命的な恋愛の相手、もしくは赤い糸で結ばれた相手)の意味。また、男を破滅させる魔性の女(悪女)のこと。良い意味でも悪い意味でも大きな変化を与える存在

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