柑橘パッショナート

インプットとアウトプットを繰り返すごちゃまぜスタイル

森田剛氏が結婚しましたね。

2018/03/16(金)、ジャニーズ事務所に所属しているアイドルグループ「V6」のメンバーである森田剛氏が結婚しました。

V6を知らないティーンズに言うと95年にデビューした6人のアラフォーなアイドルたちです。知らなくても当然だけど、20代なかば~30代にとっては「学校へ行こう!」のイメージが強いんじゃないかな。

森田剛さんに関して言えば昨今お芝居の世界、特に板の上でのお芝居が主体になっていました。故・蜷川幸雄氏のお芝居に出ていらっしゃったりね。

昔は「俺これ好きなんだよね…こ…小技…?」という小枝のCMに風間俊介くんと出ていたりしました。あのときの風間くんの「先輩だから立てとこう」感の「こ、小技!小技ね!!」みたいな笑いがすごい好き。森永製菓はあのCMよく思いついたなと思います。漢字弱そうなのわかるもん…。

 

で、このトップニュースに対して私が知ったのはスマートフォンが大変残念な出来事に見舞われインターネットという外界から遮断された中だったこともあり、夕方どころか夜9時を通り越していました。

たまたま食事をしていた中で、たまたまそこに居合わせた人たちに「そういえばここに来る途中で森田剛宮沢りえが結婚したけど宮沢りえって再婚だったんだねえ”」と言われたことでその出来事を知るという、情報にうとすぎる状況でありました。

mainichi.jp

お手紙をファンクラブには送ったということだったのですが、お手紙については頂いてもなお読了したのは本日17日段階だったわけです。

正直「結婚報告の手紙」と「バースデーカード*1」があって先にバースデーカードを見ていたのでそれどころじゃなかったのが本音だったりする(笑)

「他所グループのファンがうちのグループのことに口を出すな」と言われそうななかなのですが、自分はV6のファンをやめたおぼえは1ミクロンもないので*2、ご結婚についての報道を受け、ショックを受けている友人、ショックじゃないけど何だかぼんやりとしている友達、おめでたいってニコニコしているフォロワーさんと様々な人達を見て、色んな話を聞いた上で以下、ぼーっと思ったこと感じたことを語ろうと思います。

長くはないけれど良い話というわけでもない、どこにでもいるどこにでもあるようなファンのお話です。

 

結婚について考えること

このブログで結婚ネタに触れるのは2度めで、V6の結婚はこれで4回目になります。長野くんの時何故すっとばしたのかというと友人が長野くんのファンにつき気持ちがそちらに吸い寄せられていたからです。

で、そのうえで岡田さんの結婚があり、今回の森田さんの結婚報道を受けて、最初の井ノ原さんとの結婚パターンと全部含めてどう違ったのかと言われると。

自分の場合は下記のような感情の波がありました。

  1. 井ノ原さんの場合
    衝撃。混乱。「えっ、あ、う、うん、そうか、そうなのか」
    ただこの時私はいわゆるゆるーくまったりのファンなので「そっかぁ…そうなのかあ…」という気持ちのほうが強かった気がする。

  2. 長野くんの場合
    祝福と安堵と一抹の寂しさ
    なんか近所の慕っていたお兄さんが結婚して嬉しいような寂しいような、でもやっぱり一つの初恋がどこかひっそりとチクリと痛むような気持ちだった。

  3. 岡田さんの場合
    「あァァァんまりだァァアァ」*3……は冗談としても、混乱に陥って感情を飲み込むまでの賛否両論で言えば「もうちょいこっち側の感情を見てほしかったなあ」という気持ちがあったのは嘘じゃない。
    自分の中で折り合いを付けられたならもうファンも向こうも幸せなんじゃないかなっていうあれそれ。
    詳細は「岡田さんの結婚に寄せて」でまとめましたとおりです。

ということで、まぁ人によって結婚のスタイルはそれぞれに違います。

 

森田さんの場合はどうだったのか、って言われると「ああそうかあ、結婚かあ」とずいぶんフラットな気持ちでした。

驚愕、衝撃、動揺、そのどれであってどれでもなかったです。ショックでしたかって言われれば「そうかあ」っていう少し俯瞰したような奇妙な相槌を打っていたのが一番自分の感情としては正しいのかもしれませんね。

 

そもそも結婚することが悪いのか、良いことなのかということをよく論争でお見かけしますが、個人的には「悪いことだとは思わない」けれど、そればかりを取り上げられたり、強要されるのは好きではない、という感じでしょうか。

 

「お前のものにでもなると思っているのか」とか、「ガチ恋はこれだから」と言われそうなのですが、正直それとはまた違う感情が働いているのかなと思います。

このへんに関しては、先日語った朝井リョウ氏の「武道館」に紐付けられると思うのですが、「偶像崇拝」という風にアイドル⇔ファンの関係は紐付けられます。

そもそも「idol」という言葉が「偶像」という意味であることを鑑みれば「そりゃまーそうだよねー」ってなりますよね。

個人的に面白いな、と思ったのはLUXESTA MIND LABさんの「アイドル心理学 アイドルにハマる9つの理由と抜け出すための考察 」。アイドルに何故我々は没頭するのか、というお話でした。勿論多様性があるので「これが答え」というのはあくまでも其の人の中にしか無いので、一概には言い切れないのですが、「お前は何故アイドルという生産性のかけらも自分にはもたらすことがないものにハマったのか」ということを問いかけられると、楽しいからというサブリミナル効果も無きにしろあらずな気がします。というか楽しくなかったら何事もはまらないよね。

私は彼らが「人間として100%パーフェクトな人間である」とは全く思っていません。私自身が完全体ではないのと同じように彼らもまた完全体ではないと思うからです。一歩間違えればスーツを着こなしたり、または違う格好をしていわゆる「お父さん」だったり「彼氏」だったり「友達」だったりと変わらない生活をしていると思います。

でも、「画面の中にいる」時は、その「完全体ではない姿」を表に出さないでほしいなあというのが個人的な意見です。それを求めている人たちもいる。例えば「あさイチ」のときの井ノ原さん。あれは「司会」であり「コメンテーター」であり「素朴な疑問」を投げる必要がある。

アイドルのときと、あさイチのときの井ノ原さんで感じる「違い」はそこにあたっているので、「生活感を求めていない、アイドルとして求めているときの井ノ原さん」と「生活感のある、お茶の間の皆のちょっとした疑問を答えてくれる井ノ原さん」が乖離している。不思議な話ですよね。同じ人なのに。

「結婚」という二文字は多分、そのどちらの間にも立つことになるのかなと思います。ここでアイドルとしての活動をしていたとしても、ああこれが終わったら「おかえり」といってくれるひとのところに帰っていって癒やされるのだろうな、みたいな。アドレナリンが自分の中で思いっきり出ていくのを感じる一方で冷水を頭からぶっかけられるような、そんな感じなのかな、とか。

そこまで考える人も入れば幸せなら…オッケーです!*4ってなる人もそれぞれだと思います。

 

自分がどっちなのって言われると「アイドルの仕事をしているときに、そういった生活感がむき出しにならないでほしいな」とは思います。

「アイドルはトイレにいかない」という発想に近いのかなって言われると「そうなのかな」っても思うのですが、なんというか、「そんなことはない」とわかっているからこそ、「今、アイドルを演じている自分」の中に「オフの自分」を切り売りしないでほしいというか。別物でいてほしいんですよね。

一般企業でスーツを着て画面と向き合い仕事をする際にジーンズ・パーカーにサンダルで来ないでほしいのに似ているのかな…。会社でそれをやっていいところもあれば、それはおかしい、と思う人もいると思うんですけれどね。

会社員の一人で属してたらそれを「個性」として受け止めたい部分もあれど「TPOってあるんじゃない?」って気持ちとが渦巻くんじゃないかなあ、と。

うまくまとめられないのですが、「”アイドル”って何だろう」って考えた時、アイドルというのは偶像で、蜃気楼みたいなものかなっていう風に思います。「いる」けれど「いない」。フィルターが五枚ぐらいかかっているような状態といえばいいんですかね。

控室にいる「誰も見ていない」状態の時、疲れたーと足を投げ出して態度がダメダメの「こいつ…!」ってなる部分があったとしても、ステージの上に立てばころりと表情を変えて「お前全然そんなんなかったやんけェ…!」っていうような、あれですね。

個人的には、オフがどんな姿であろうと、表(いわゆる仕事面)がちゃんとしていたら、それでいいかなっていう風に思います。不思議な話ですよね自分が応援している人がコンサートで生活感丸出しのお話をされることが多いのに!!(笑)あれをじゃあお前許してるのかっていわれたら「許す/許さない」ではなく「好き/嫌い/無関心」の問題なのかなと思います。なので、私の「こうあってほしい!好き!」が「いやでも生活感があって本当にちゃんと”いる”アイドルだっていてもいいじゃない」っていう意見もあるのも百も承知です。っていうかそういうのを売りにしている人もいるしね。

 

話がそれましたけれど、まぁそのうえで。

今回の結婚についても踏まえてV6というグループが活動していく中で思うのは「前に進み、変わっていく彼らとともにファンもまた変化をしていく」ということ。10年前、20年前どころか昨年と同じ自分/相手はいない。

だから「あの頃はよかったなあ」って懐古してしまうのだろうなと思います。決してそれは悪ではないでしょうし、思い出はいつだって綺麗ですからね!お腹はすくけど*5

俺は上に行くよ*6ってなる人もいればそうじゃない人もいる。にんげんだものそんなもんですよ。全部見どころで好きなところRE PLAYっていう場合もある。そんなもんです。

 

でも、ここから一番言いたいことですけれど。なんならマーカー引いてもらいたいぐらいに主張したいんですけど。誰も「幸せになるな」とは思っていないと思うのですよ。だって好きだもの。

「好きだからこそ、嬉しい」人もいれば「好きだからこそ、寂しい」っていう人もいる。そして、後者の人は「そんな自分」への嫌悪感を抱く人だっている。「祝えなくてごめんなさい」と泣いている人もいる。

向き合うのに時間がかかるからこそ、難しいのだと思います。

人の心は千差万別です。育ってきた環境が違うのだから。考え方が違うのだから。他人なのだから。

 

「アイドルという存在の在り方」が其々個性としてあるように「ファンの在り方」も其々がちょっとずつ違うと思います。なぜなら自分たちは人間で、AIのようにプログラミングサれているわけではないのだから。

改めて今回の報道を受けて、彼らについて考えると同時に周囲の状況を見ながら思い起こしていました。

 

 

ファンはかくあるべきと誰が語ったのか

別にツァラトゥストラ何もこの件について語っていないし何だったらタイトルもじっただけで「ツァラトゥストラはかく語りき*7」詳しく読みまくって詳しいわけではないのですが。

まぁそれはさておき。「ファン」という立ち位置についてこういう機会じゃないと考えるチャンスもないのでつらつら考えているわけです。

例えば「誰かとの恋愛報道がされただけでショックを受けるファン」がいる。そのファンを他のファンが「誰と付き合っていてもいいじゃない!そんなことで落ち込むようじゃ本当のファンとは言えない!」という。

「本当のファン」って何だろう?という話です。

本当のファンとはなにか。「本尊(=偶像対象)」が何をしても是、というものなのでしょうか。

また、本当のファンというものの境界線はどこにあるのでしょうか。

ファンである/ファンじゃない議論はそれこそアイドルとして名高い松田聖子さんの頃からあったと聞き及んでいますが…なんというか、それもまた何ともはやと思います。

ファンなんて結局「自称」なんだよなあと思います。

じしょう【自称】
( 名 ) スル
① 実体はどうあれ、自らこうだと称すこと。 「 -音楽家
② 代名詞のうち、話し手が自らをさしていう語。一人称。
③ 自慢すること。 「我より外に心も剛に案も深き者あらじ、と-して/義経記 5」

 大辞林上記のように書かれていますが、「自称」するものであって、ファンという立ち位置は誰かに脅かされるものではい、誰かに言われるものではないかな、とも思います。

そう言われると、「結果よりも結束が、成果よりも意思の確認が必要な人間もいるってだけのことさ」*8という言葉を思い起こします。

 

人の気持ちは其の人のものです。私が「おめでとう」ということで傷つく人もいれば、「おめでとう!」と同調する人もいる。

一方で私が「悲しい」という言葉を言えば、同じ気持ちの人が同意するだろうし、そんなことはないと反論する人もいるでしょう。

人それぞれです。その気持を「傷ついた人もいるのだから言わないで」「こっちは祝っているんだから言わないで」っていわれたらそれは”同調圧力”というものになってしまうのだろうなと考えてしまいます。難しいね。

 

「ボーリング大会いこうよ!自由参加でいいよ!」っていいながら自由参加なので断ったら「なんでお前こないの?会社のイベントだよわかってんの?」って言われてるのと似たようなものを感じます。知人の会社がそういう会社だったので辞めてよかったねと今でこそ思うばかりです。

 

まぁ何にせよいいたいのは「ジャニオタなら祝えて当たり前」「自担を祝えないやつはジャニオタじゃない!」みたいなことを言われたら「私の在り方をしれっと否定されるのは異議を唱える」って話です。

自分のスタンスは自分のスタンスとして守っていくのでいいと思うし、「崇拝」の姿も人それぞれだと思います。宗教かよ、信仰深い信者様か、っていう揶揄もよく受けるし、「そうな」って思う部分もあるのですが、末法思想の人もいれば、神に祈りたい人だっているし、そうじゃなくてもうそれを「文学」「歴史」「エンターテインメント」という目で見たい人もいる。視点はそれぞれに違う。万華鏡のようなものでしょう。

 

私はどうかって言われたら、まぁ前述した「どれ」でもあって「どれ」でもないってかんじですかね。

「ビニールの城」というお芝居に関して思うのはどこの雑誌か忘れてしまいましたが荒川良々さんと六平直政さんと森田剛さんの対談が非常に印象的だったなあという思い出。宮沢りえさんの存在感が非常に強く、作品としても当時の時代背景や何やらを掘り下げていくと非常に鑑賞に浸れるし、あの時「朝顔」「夕顔」「昼顔」という3ツの言葉を使っていたあたり、まぁ当時花言葉というものがあったのかどうかは存じ上げませんが、興味深かったなという話でした。

円盤化してほしかったかって言われたら、うんうん、見たかったなっていう部分と「芝居だからこその呼吸使い」で「舞台だからこその見られるもの」が確実にあって、そういうものを描写して表現した世界ゆえに円盤化しないのも分かるしなあと思います。

 

 2冊買って片方ビリビリ破るのすごいドキドキした思い出。

 

ところで宮沢りえさんの映画なら「紙の月」が非常に印象深いし好きなんですが、近年だと「湯を沸かすほどの熱い愛」が話題ですね。杉咲花ちゃんのお芝居がとっても良かったのが記憶に新しいです。杉咲花さんの次の作品が楽しみな次第。芝居の個をこれからも伸ばし、さらなる道を切り開いていってほしいですね。

 

「未婚」は悪なのか

ということで、結婚報告を「受ける側」としてのファンについてぼーっと思っていたことを書き連ねていたのですが、ニュースサイトでいろいろ見てて、「それはどうかな?」*9って思ったのでちょっと細々と。

 

「これで未婚なのは坂本昌行さんと三宅健さんだけ!!」っていう言葉がちょっとひっかかっています。

世の中の異性はどれだけいるのでしょうか。35億ってブルゾンちえみwith"B"*10が言ってるじゃないですか。ダメウーマン!

 

 だって、地球上に男は何人いると思っているの?

「・・・35億。」

「・・・あと5000万人。」

 

35億と5000万人の中から人生を一緒に歩んでいきたいという相手を見つけるというのはどう考えてもめっちゃくちゃ大変です。宝探しですかね、ありったけの夢をかきあつめ探しものを探しにいくのさって感じですよ。

婚活サイトとかで頑張っている知人・友人もいます。世の中は「出会い」がいくらあっても足りないなんて割とよくあることです。日本という世界の中でも「自分」のことを知っている人間なんて数えるほどしかいないし、インターネットが広がったからといってそこから全てが知られるわけではない。

 

三宅さんも坂本さんも「結婚はしたい」というお考えの人の認識ですが*11、それでも今の所「結婚する」という選択肢を選んでいないのには其々に其々の理由があると思います。

上司や親戚、周囲に「いつ結婚するの?」「相手は?」「xxさんは結婚したけど君は?」って言われると「うるせぇ、エビフライぶつけんぞ」*12ってなるし「他所は他所、うちはうち!」っていう風に言うわけです。

これは女性だけじゃなくて男性にも言えることで、結婚する人・しない人は其々の生き方があるし、其々の考え方があるから「お前はまだなの」というのとか「置いていかれてる(笑)」とネタにされているのは、寂しいというか、そこでいじるのって、何だかなあって。老後が心配とかどうこう、っていうのは、正直それってあさイチで井ノ原さんが反論した「40代以上の女性の未婚」の方に対して「そういうやつがいるから少子高齢化が進むんだ」って言う方々と似ているなあと思ったりします。

news.livedoor.com

坂本くんも城島くんもそういう話題が出やすいから分からなくもないんだけれど、それこそ身内内*13での「気心知れてて別にいいや」って思うイジリと周りのイジリの境目ってどこに入るのだろうってすごく真剣に考える。

 

上司に言われても友達に言われても「だまらっしゃい ソォイ!!!」ってなっちゃうけれど。ううむ、難しい。

ただ、何度も言うけれど結婚だけが選択肢ではない、と私は考えています。知り合いに独身の方もいますが「それはそれで自分の人生だから、勿論ご縁があればいいとは思うけれど、無理して探したり”結婚した~~~い”ってもあまり思わない」という風に言う人も居ます。

勿論、一緒に歩きたいと思える人がいる、っていうのは素敵なことだとは思います。でも、それは「其の人」の場合で、「一人でも楽しいことをいっぱい見つけている人」は確実にいるわけで、其の人に「お前もはやく結婚しなよぉwwwまだ独身なの?www」って言われるのは、其の人の在り方を否定するみたいで、ファンのあり方と同じで「お前の中ではそうなんだろう、お前の中ではな」ってやつだと思います。

それをメディアで片っ端から言っているのを見ると、まるで在り方を否定するみたいでなんだかな~って話です。頼むからセロリ聞いて。山崎まさよしVerもいいぞ。

セロリ

セロリ

  • provided courtesy of iTunes

 

 

と、いうことで……。

 

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Happy Wedding

写真画像、岡田さんのときの使い回しとかいっちゃいけない。(いい画像がなかったんだ)

森田さん、宮沢さん、この度はおめでとうございます。さらに笑いの耐えない思い会える日々を二人で、そしてお嬢さんと三人で進んでいかれることを願っております。

舞台、映画、ドラマ。いろんな形でこれからも見ることが増えると思いますし、また同時に一人の人間としてさらに思慮深くなったり、見解が広くなられること喜ばしく思います。

全然関係ないですが友人が同日に結婚を致しました。なので同じ日に結婚した友人と同級生(?)になります。

友人の結婚式に友人代表としてスピーチすることが決まっているので、その前打ち合わせで友人にその話をしようと思います(笑)おめでとうございます、お幸せに!

*1:2018年からジャニーズ事務所ではどうやらバースデーカードシステムを導入した様子

*2:「かけもち」とか「DD」という概念があんまりない世界で生きているっていうのもある

*3:ジョジョの奇妙な冒険戦闘潮流の柱の男エシディシのセリフ

*4:眞子さま婚約「幸せならOKです」あの学生は今…タイから送る感謝

*5:JUDY AND MARY「そばかす」参照

*6:越前リョーマ君の名言

*7:フリードリヒ・ニーチェによる書物

*8:BLACK LAGOON ベニーの言葉

*9:遊戯王ヴァンガードデュエルマスターズなどのカードゲームでおなじみなセリフ。「これでお前は終わりだ~~~~~~~~~」っていう窮地に対して不敵な表情で「かかったな!」っていう起死回生の時とかに使う。作戦成功だぜっていう心理フェイズで相手への動揺を誘うのにも有効

*10:「キャリアウーマン」というコントネタ。2017年の流行語にもなりましたね。

公式動画参照:ブルゾンちえみWith"B"「キャリア・ウーマン」 - YouTube

*11:少なからず三宅健さんは「40までは(結婚)しない」とは言っているけれど、願望がないわけではないという認識です

*12:昔そういうアスキーアート(文字でイラストを作り上げる)が流行りました。Twitterでも一時@@投げつけんぞって流行っていた印象。元ネタについてはこちら参照:うるせぇ、エビフライぶつけんぞとは(意味、元ネタ、使い方)AA

*13:山口達也くんが岡田くんの結婚のときにいじってた→山口達也、V6岡田の結婚祝福も「心配なのがリーダーの坂本」 - 芸能社会 - SANSPO.COM(サンスポ)

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