柑橘パッショナート

インプットとアウトプットを繰り返すごちゃまぜスタイル

「アイ・フィール・プリティ!」を見てきました/自意識過剰なぐらいがちょうどいいのかもしれない

昨年12月中頃ぐらいに、とあるドラマのタイトルが炎上したわけですが(ちなみにそのメインを張る主演の方は朝ドラでもいろいろ大変だった記憶がある。なので個人的に頑張って欲しさがある)、そに対して「そんな自分を下げるような気持ちよりアイ・フィール・プリティ見たほうがいいで」というTwitterでツイートを見かけて「は~~~なんか面白そうな予感がするぞ~~??」っていうすごい軽いノリでいってきました。

基本トーホーシネマズが好きで(会員なので)どっかでやってないかなと探したんですが、基本松竹系でやっていらっしゃるようで、最終的に見に行った場所がラスト・ホールド!を見に行った場所でした。

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自己肯定でいこう

ということで、大体自分の雑記なのですが、軽い感じで書いていきたいと思います。

ざっくり概要

ifeelpretty.jp

コメディエンヌのエイミー・シューマーが主演のコメディ映画。

 

www.youtube.com

 

あらすじはホームページ参照で次のとおり。

 レネー・ベネット(エイミー・シューマー)は、ぽっちゃりでサエない容姿を気にして、自分に自信が持てない。高級コスメ会社リリー・ルクレアのオンライン部門に勤めているが、美しい社員たちが勤める華やかな本社ではなく、チャイナタウンの地下の小部屋においやられ、サエない毎日を送っていた。

 ある日、レネーは一念発起し、痩せるためジムに通い始める。しかし、トレーニング中にバイクから転落!その勢いで頭を強打し、失神してしまう。目が覚めたとき、レネーは自分の異変に気づく。なんと絶世の美女に変身していたのだ。しかし、それはレネーの思い込みであり、実際は何一つ変わっていなかった―。

 なお、日本版の吹き替えは渡辺直美さん。それを聞いたときに「でしょうね!!!!」の一言に尽きた。他に思いつく人がいないってぐらい印象がぴったりである。

 

感想

もともと今回一緒に見に行った友達が留学経験が有り、海外の方たちにおける「思考」が私よりも分かる人だったので、見終わった後に感想を言い合いながらこれは多分そういうことだね、という解釈を深めていました。

 

まず最初に言えるのはいわゆる「共感性羞恥」を感じる人だと最初のあたりは結構しんどいんじゃないかなと感じました。

共感性羞恥というのはマツコ・デラックスさんと有吉弘行氏による「怒り新党」から話題になったことなのですが、いわゆる「他人の失敗」とか「うまく言っていない様子」とか「誰かがバカにされる光景」が見ていたくないと思う感情のことを指します。

togetter.com

 

ちなみに上のまとめで「共感性羞恥」という言葉は心療内科で浸透しているかというとそうでもないようです。

 ゆうきゆうさんはこのようにお話しています。

 

で、この映画におけるポイントとしては「あまり自分に自信を持てない女の子(外見に対するコンプレックスを持っている人)が、頭をぶつけたことによって自分が美人に見えている」という部分なわけです。「でも周りからすると何も変わっていない」。

だから、彼女が外見が美人なことで自己肯定的、自信満々になって「自分美人だから!!」ってなっているのを見て「いやいやお前そんな外見してねーじゃん(笑)」みたいな視線で見られているところに対して「しんどい」と思う人が0ではないだろうなとは見ていて思いました。

私は共感性羞恥(古語でいうと「かたはらいたし」ですね)に対して同意するというか見ていられなくて目を背けてしまう人の気持ちに共感をしてしまうタイプです。

レネーが自信満々でいろんなことに対して「私美人だからね」という状態で挑んでいるのを見て、周りの目を見てドキドキしていました。

 

自分に自信を持ったレネーは本来の彼女が持っている素敵な、ポジティブな部分をよりオープンにしていきます。自分に自信を持っていなかった頃は自分の友だちにしか言えなかったような軽口をたたけるようになったり、後は「自分にはできないな」と思っていた本社の受付嬢の挑戦をしてみたり、逆ナンのような形をしてみたり。

 

レネーがいる会社は高級コスメメーカーの「リリー・ルクレア」です。

いわゆる「デパートコスメ」の部類です。で、彼女はそこの「通販部」。

この会社の本社はニューヨーク五番街。ニューヨークの金持ちが堂々と歩いていそうな「ウッ…金持ちタウン…!」ってなるような感じですかね。高級マンションガンガン立ってて、ショッピングエリアのお値段に「oh」ってなったり。勿論それだけじゃない部分もあるとは思いますが、ニューヨークの富裕層の象徴とも言えるようなかんじ。

そこに構えている本社で勤めたいけれど、あまりにもトップのいわゆる「かっけ~~!!」「すげ~~!!」「めっちゃおしゃれ~!」な空気を醸し出していてみんなキビキビ働いているわけで。彼女は通販部でチャイナタウンにてもうひとりの同僚とひっそりと仕事をしているのが不満でたまらない。丸の内OL目指して大きいところ入ったのに飛ばされたのは「違うそうじゃない」的な場所に言ったと思えばわかりやすいのだろうか…。

本社で受付嬢の応募があったことを知って自分にチェックを入れたら最後の「本社の”顔”になれるような人」というポイントが挙げられていました。

 

日本の受付のお仕事に対しての扱いが現在どうなのかはちょっと計りかねるのですが、割と私の周りでは「頭が良くて入って、何でも対応できる人」としての認識があります。というか、受付をする人も最終的にはいろんな部署を回って上にいくキャリア組なのかな~という印象もあります。これは多分私が見ていたドラマに「ショムニ」があるのも理由かなあとかも思うんですが。勿論作品に寄って、立場によって扱いは違って当たり前なのだけれど。

で、冒頭でいった友人の意見としては「最悪頭悪くても美人だったらなれるって考えだから、認識の違いはあると思う」ということでした。

レネーが通販部に入って(社員)いるのに対して、受付をするということは給料も下がるしなぜ?という目で見られるということで。大体「モデルになるための足がかりにするか、自分の顔をつなげて独立を考える」かということを同社の社長があげているのを見てそういうことかーと。

 

見ててレネーはひたすらポジティブです。外見が変わったから世界が変わった。とてもキラキラしてみえる。自信を持って色んな人に接している。

その姿に最初は怪訝だった人たちもだんだん彼女のスーパーポジティブさに引っ張られる。これは視聴している私みたいな(いたたまれない気持ちになっている)人もしかりで。

彼女がいかにチャーミングで明るいかを知れる。だから自然と彼女の周りには人が集まるようになっていく。

でも、上り詰めてどんどん「きれいになったから」と前を向く彼女は、一番最初の自分に自信がなかった頃の自分の際に持っていた魅力を失って友人たちを怒らせてしまうわけで。

美人になったから付き合いをやめたのではないし、美人だから付き合ったわけではない(少なからず美人と錯覚してから知り合った人たちからしてみれば「美人じゃなかろうと自信満々の明るい彼女の内面に引っ張られた」っていうわけで)。

見る人達にとって見ればレネーはレネーであることが変わらない。

でもレネーはそこに気づけなかった。だからいろんなものを失いかけた。

レネーが「綺麗じゃない私なんて誰が見るの」みたいな形で外見のこと、綺麗になりたかったという夢に対して友人たちが「綺麗になりたいだけが夢なの」と問いかけるシーンが凄く刺さりました。

 

きれいになって、色んな人にちやほやされたい、認めてもらいたいの承認欲求があるレネーですが、その結果友達を失うのはあまりにも寂しいなと。そして顔がきれいになったから(と錯覚している)、自分の望んだ会社の受付に入れて、恋人はできるし、自分の憧れていた社長の弟(ちょっとこの人存在意義が薄くて残念だった)ともいい感じになるし、あの美人の社長だって自分を認めてくれている!!っていうのを「=自分が美人だから」ってなってしまうのが本当に見ていて苦しかったです。

滑稽であるのと同時に、その突き抜けた自信を魅力と思う人もいて、少なからずピエロではなく「彼女はそれで自信を持つことでとても自分も明るくなれた」とイーサン(彼氏)とか、社長もそうなわけで。社長も見かけは100%美人でもコンプレックスの声や「エリート至上主義」のセレブ組ながら常識や細かいいわゆる「普通」のユーザー目線に建てない人だって惹かれていくわけで。

それは「レネー」の個人の能力の結果だからこそ、すべての魔法が消え(錯覚がとけ、いつもの自分に見えた状態)怯えているレネーは「そうじゃないんだよ~~そうじゃないんだけど分かるんだよ~~」みたいな気持ちになりました。

 

化粧は女性の武装ともいいます。まぁ化粧しなくてもいいやっていう人には「分かるぞ~~楽だよな~~」って思うし、化粧しっかりしたいっていう人には「分かる~自分がビシッと決まると格好いいって褒めたくなるよね~!!」ってもなるし。

どっちの言い分もすんごい勢いで分かるわ、っていいたいんですよね。おしゃれは努力というけれどもパーカージーンズスニーカーってめちゃくちゃ楽ちんだし可愛いと思う。でもタイトなスカートでびしっとかっこよく決めてさっそうと町を歩く自分が「うおお今自分かっこいいぞ~!頭の中でディズニーとかのサントラ流しちゃうぞ~!」みたいな気持ちになるのも分かる。

 

ただ、誰もがどこかしらにコンプレックスがあって、人生が100%うまく行ってる人がいるわけではないっていうのはレネーが通うジムに出てくるエスニックな雰囲気を持つ女性が体現しています。後は社長だってパーフェクトなかわいい!!!憧れ!!だったけどそれだけじゃない(庶民の心がわからない祖母からは理解できないと烙印押されている、飛行機苦手、自分の声がボイトレにいっても変わらなかったくらい高い。その高さがコンプレックス)し、ミシェル・ウィリアムズの見かけなのにコンプレックスがあるに「マジか…まじで?!!!」って思えるレネー(というか私=視聴者)のかんじがすごい印象に残りました。いやうん思わない。思わないけど「人には人の乳酸菌」っていうぐらいに「人には人の悩み」があってもしょうがないよね、わかる。

 

レネーがレネーとして慕われている部分は彼女は「顔」ではなく、「スタイル」ではなく「スタンス」「性格」であることに気づけた時の言い方がすごい好きでした。

 

で、見ていて最後に「顔っていうのはあなた達全員を言うのよ」という広告がぶわーーっと出てきた時に私は見ながら「ふぇ、フェイスブックで見たようなコラージュのやつだ~!!」ってなんか違う反応していました(笑)いやいいシーンでした。

化粧ではすべてを変えることが出来ないかもしれないけれど、そのほんのちょっとの自分の背中を押すことができるよ、それに自分たちは寄り添うぞっていうのが「高級化粧品メーカーが作るドラッグコスメ」の目線に立つっていうので、いいなあと。

 

プチプラだろうとデパコスだろうと自分を装うための武器であることは変わりないわけなんですけど(違いはそれぞれにあって、そのへんは好みだし)、レネーが最終的に自分の周りにいる友人たちとの付き合い方をなぜ一気に変えたのかなって思うと自分自身で線引を内心でしてしまっていたのかなと。自分はイケてて、そうじゃない二人にも付き合ってるけど同じくらいに「してあげる」みたいな。まぁ見方によってはマウンティングになるわけで。悪意はないけれど(彼女はそんなつもりないから)二人はもやつく。女性心理としてままある話だし「なんだあいつ」ってなってしまう。

 

最後まで見ていて、「自分」をどうあるべきかと考えた時に過小評価してしまうことはないのかな、と思います。イーサンが言っていたセリフの中で「自分の良さに気づかずに消してしまいがちだ」というお話。本当はそんなことはないのに、自分でどんどん籠もっていってしまう。

整形に対しての原因で恋人や家族、友人に外見を言われてしまってずっとコンプレックスを抱いてしまっていたという人のものを聞きます。レネーもどこかで言われたことがあるのかもしれないなと思いますし、コンプレックスを払拭するのってなかなか難しいことだと感じます。

でも、何かしらで自分がちょっとでも前を向ける「自分は素敵だ」と思えるものがあるなら、そこについては自信過剰で前を向いていてもいいんじゃないかなあと思える映画でした。

自分のことを褒めるなら自分が一番いいと思うし(まぁ逆言うと自分のだめな部分ってめちゃくちゃ自分でも刺さってて分かるんですけど)、自己肯定を「いやそんなに出来ないってぇ……」と思うぐらいにやるのがちょうどいいのかなとこの映画を見て思いました。

自信は態度につながる。少なかれずレネーは行き過ぎた部分があったことは間違いないですが、最初の頃の五番街に憧れていて周りがおしゃれで自分の外見を気にして足元を見たり、周りの目を気にしてしまう頃よりも錯覚してから自信満々に歩いて、人と接しているところ、良かったと思います。ビキニコンテストの彼女の行動は以前の彼女なら出来なかっただろうし、本来の彼女の「楽しませる」ことができる性格をいかんなく発揮できたと感じました。

 

そういえば「自分がインドアで女々しいからか周りから、ジーサンという蔑称で言われている」という悩みを見せるイーサンに対して「イーサンだからジーサンなのね!!!頭よくない?!」ってキラキラというレネーに対して「あ~なるほどそういう考えもあるのか」っていうふうにいうイーサンの流れがすごい目から鱗的なノリだったんですが、日本的に「イーサン」と「ジーサン」の言葉なら「まぁジーサン言われて喜ぶ人少ないよね」って思うんですがアメリカではジーサンってどんな意味でのジーサンなんですかね。ちょっと見ててふと疑問をいだきました。二人の心の距離が縮まるという意味で好きだったんですが、気になりました。

 

あとこの映画では衣装や小道具が見てて楽しいものがたくさんありました。

ヒロインであるレネーの服、小物類は「めちゃくちゃハイブランドではないけれど、ちょっとお金を貯めれば買えるもの」という意味でもかわいいものがたくさんあって、リリー・ルクレアのメインのスタッフたちとの対比としても楽しかったです。セレブの札束で顔をぶんなぐってくるぐらいのお洋服もかわいいんですが、彼女が「自分」を表現するっていう意味で選んだ服や小物が良いなと。後靴がかわいい。

見てて思ったのは「着たかった服を着よう」っていうのは「自分にはこういう服が似合わない」というふうに思っている人への肯定があるなーと思っているんですが、レネー自分に自信ないといいつつめちゃくちゃ華やかなピンクのパンツ見えそうなぐらい短いスカートで「これすごいな~」って思ってたんですが、そのへん日本と海外との違いみたいなのを感じました。似合ってたけどね!!

「好きな服を着る」「好きな服を着て前を向いて歩く」「ちょっと高いヒールでも履いてみたいから履く、歩く」=楽しいに繋がれるってすごくポジティブなんじゃないかなと思います。

 

だから私はなんやかんやこの映画を見て思ったのは「過小評価を自分に刻むことはない」かなと。日本人は謙遜してしまう文化だし、自分を下げてしまうということもよく問題提起として挙げられるんですが、少しずつでもほんのちょっとでも前向きにいられたらいいなあと願ってみたりします。思っているよりも自分は素敵な人間なのかもしれない。そう思える日が着たらいいな~と。

後「あの人美人でいいなあ」という羨望・嫉妬は片方の見方で反対側から見たらその人はその人なりの悩みがあるということもあるわけで。作中出てきたモデルさんにとって自分なんて、となっていたときにレネーの言葉が少しでも浮上の一言になっていたらいいなと思う。自分も素直に誰かを褒められる人間であれたら良いなあと願う映画でした。

 

全体的な感想としては、ポジティブになれるけれど最初の部分が「うわー!!うわーーしんどい~~!」っていう部分もあるので、結構見る人を選ぶかもしれない(笑)

個人的には見に行って良かったなと思う映画なのですが…。

後作中に出てきた音楽が大体好みでした。ああいうふうに挿入歌出されるとポジティブな気持ちになれるから良いですよね。

中流れた曲では「Me too」がめちゃくちゃ好みでした。こういうのいいよね…!!!っていうことで最後に貼っておくからみてほしいです。

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なんかいろいろ話したけれども言いようのない「さ、刺さるぞ~」っていう部分と「もう勘弁してあげてください…!」っていう部分の融合があって、かつ笑えるポイントもあるから結構評価が人によって割れるなって思った映画でした。

 

次の映画はとりあえず刀剣乱舞とマスカレード・ホテルがみたいところ。

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