人生日々ハイテンション

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「ちはやふる-結び-」は何を結ぶのか

下の句発表の際に続編制作決定という話になった「ちはやふる」ですが、今作は「実写版ちはやふる」の総括したお話になっています。

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ちはや-結び-

 

私はいわゆる「原作ファン」なのですが、上の句/下の句を見て「上の句は非常に丁寧にできていた」と思い、下の句で「うーむ」と首を傾げていて、これは原作ファンで今尚展開を追いかけているからこそのモヤモヤなのか、作品としての「好きor嫌い」が出てしまっているのか言いようがないのですが…取り敢えず、相対的に見て複雑な気持ちを抱いていた中での「結び」が形になってどんな風になるのか期待半分、不安半分で見てきました。

上の句・下の句の感想はこちらから。

amanatsu0312.hateblo.jp

あくまでも「これはこれ」という意味で、大分印象が変わったので「原作への知識がありすぎる」と「ちゃうやんけ~~~!」という気持ちが強くなりかねないなって思っているので、「ちはやふる」という作品においては「原作は原作」としての視点のほうがいいと思います。時系列が変わったりしているので。

其の上で興味があったら是非アニメと漫画(原作)に触れてほしいなって思います。アニメもね、3期がね、決まったので。是非。是非!!!

ということでのんびりちはやふる「結び」の感想を。

あらすじ

いつも一緒に遊んでいた、幼なじみの千早、太一、新。

家の事情で新が引っ越してしまい、離ればなれになってしまうが、高校生になった千早は、新にもう一度会いたい一心で、太一とともに仲間を集め、瑞沢高校かるた部を作った。

「新に会いたい。会って『強くなったな』と言われたい。」

創部一年目にして、全国大会に出場した瑞沢かるた部だったが、千早は個人戦で史上最強のクイーンに敗れ、さらに強くなることを部員たちと誓った。

 

あれから二年―、かるたから離れていた新だったが、千早たちの情熱に触れ、自分も高校でかるた部を作って、全国大会で千早と戦うことを決意する。

一方、新入部員が入り、高校三年最後の全国大会を目指す瑞沢かるた部だったが、予選を前に突然、部長の太一が辞めてしまう。動揺と悲しみを隠せない千早。千早、太一、新は、再びかるたで繋がることができるのか?

今、一生忘れることのない最後の夏が始まる。

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キャスト・スタッフについて

ほぼ前回からの続けています。今回は新たに「周防名人」という登場人物がキーとなるのですが、賀来賢人が出ています。

また、瑞沢高校には2年生や1年生も増えているのでこちらも増えています。

太一のこと大好きでリア充目指して走っている菫ちゃんに優希美青、今まで「下の句かるた」を続けてきた筑波くんに佐野勇斗君が出ています。

また、今回は「映画オリジナルキャラクター」として”我妻伊織”という登場人物に清原果耶が新加入となっています。


監督・脚本は小泉徳宏、音楽は横山克の布陣です。

また、今回も主題歌は中田ヤスタカが手がけるPerfumeの楽曲。今作は「FLASH」から、「無限未来」となりました。

無限未来

無限未来

  • Perfume
  • エレクトロニック
  • ¥250

 

 

感想

 

「瑞沢高校かるた部」として最後の夏

既に千早たちは3年になっていて、かつ入部部員は0です。

そのため、「2年生の時にあった出来事」と3年生ならではの葛藤を抱えています。

よって、新入部員の二人にそこまで時間を割ききれず、菫ちゃんに対してのかなちゃんのカッケエエエエって言葉とか、筑波くんに対しての机くんの最良アドバイスとか(あれめっちゃ好き)入っていなかったのは正直残念だったんです。

それと周防名人に「辞めないでくれ」と新が食って掛かって「じゃあもう一年」といったシーンで太一が嫉妬したりとか(原田先生は太一の直接的な師匠、いわば新のじいちゃん枠に近い)、結構原作で「ここも」「こっちも」「あーいいっすねー後これもあるんですわー」っていうのが次から次へとリングのように繋がってくるから、評価がすっっっっっごいし辛いんですけれど(ファンあるある)

原作ファンとしての総括としては「違うところも散見したけど“これはこれ”として楽しむ作品」でした。

時間の流れが違う、いるはずの人がいない、どこへスポットを当てるか、などを含めてしまうと「原作と展開も何もかも同じ!原作ファンも大満足!」というのは世の中難しいですし、個人的には何か違いがないのならそれは「原作」というものがあるからそっちに行けばいい、と思うので改変自体に文句はそれほどないです。

ポイントとなるのは「改変したことによって面白くなったか」ということ。

 

今回は予告編で匂わせていた通り3年の太一の受験などを含む(一番は千早と新)ことからの退部が重きを置かれています。

一年の間があるため、その一年で千早がどういう立ち位置でどういうことを積み上げてかるた部はどこまで来たのかというところが少し不明瞭かなと。

また、新の復帰を待とうってなって≪帰ってきた≫が2年の時にショートカットされたのはちょっと残念。3人の幼馴染として、恋愛感情だけではない「チームちはやふる」としての良さだと思うので。

 

また、クイーン・名人に対してのスポットが違うところに置かれていて、主としてクイーンが「変わり者のどえりゃあ強い人」だけになっていて(尺の都合上仕方ないのですが)人間ドラマとして1人でカルタをして1人で強くなって行く彼女を、千早と出会って、部活で団体戦をしてみることで違いを感じる新との差異みたいなのがないぶん、突っかかりまくるこえーねーちゃんになっているのが惜しまれる。

驚きの千早→→→→若宮という一方通行ぷり。

 

一方で良かったのは名人かな。

賀来賢人のボソボソした喋りと、表情が変わらないぶん「どこで伝える?」っていうのを見た時に目や、小さな動作が非常に良かったです。また、周防名人の甘党自由の結果太一がアシスタントとして世話を焼くところも含めて。

須藤さんが同じ東大生としての接点や、太一に対して対戦者として向き合う過程はカットされているので心情はわかりませんが須藤さんから見た太一、周防さんの関係をカメラのなか、纏う空気、カルタのシーンで伝えるというのはあまり言葉を使わない彼らとしてアリだと思います。

まあそれはそれとして「まつげ君が伸びるのは守りカルタだったのかあ」という恩師原田先生の言葉には承服しかねるとは思いました。師として導く中で、人として感じ、覚えていくなかで「それでも君はライバルだから」っていえるカルタ歴40年の原田先生と太一の関係は原作云々を差っ引いたとしても、上の句でメインに語られていました。

だからこそそんなこと言うかな、とも。勿論このシーンあのシーンないから仕方ないとは思うんですけれどもね。

 

恋愛面について

終わりかた、恋愛面について「千早という人間が太一と新という青年に対し結論付けるのか」という点において不明瞭なので(今のコミックス展開が圧倒的にかるた>恋愛である)、そこも踏まえて制作陣は苦労したろうなって思います。 原作のあそこを持ってきたので個人的には「ですよねー」て思ったりとか。

 

また、前述した≪過程のなか≫でカットされてしまったため、机君、かなちゃん、肉まん君のトリオにおける感情の動きはほぼないです。彼らは彼らで考え、悩み、関係について「メイン3人ではない」ながらも積み重ねてきたものがあります。

今作で描ききれなかったとはいえ「あの世界ではなかったことになっている」のは惜しいからHuluやらアマゾンプライムあたりでやって欲しかった。肉まん君の「ずっと2位」とか、もともとできていた人だからこその悩みとか。

 

登場人物出しきれないので仕方ないのですがヒョロ君や北央の面も惜しかったですね。しゃあない!

一人ひとりの物語としては漫画の連載でもスポットを当てていて、あの「北央が瑞沢高校にリベンジを果たす」都大会決勝について、より臨場感を楽しめる仕組みになっています。この作品には出てこなかった人、出てきたけれど「どんな人」かよく分からなかった人。それぞれがいます。是非そこも気になったら併せてみると「ああ、このときのこっち側の彼らはこういう心境だったのか」って見られると思います。

有る種の群像劇でもあるから取捨て選択が非常に難しいんだろうなあとつくづく思いました。そこだけ見た層が「わかる」仕組みにするのもやっぱり作りにくいしね。映画作品だけ見たら「ヒョロくん」が何者なのか伝わりにくいもんなあ、とか。太一とヒョロ君の関係もとても「同じように頑張ってきたライバルの一人」として、私は好きです。

 

新入部員について

筑波くんと菫ちゃんについてですが、菫ちゃんの好きな札の話は作品展開の過程のため名人に持っていかれています。

the恋愛脳だけど、だんだんカルタにはまり込んで、だんだんと突き動かされていく人として(最終的には頑張る太一を止めようとする母を止めるくらいには成長してる)、また、情報集めとしても成長していく人材です。机君のデータを継承している部分が原作には強いのですが、映画は女性同士、かなちゃんってのが強いなあと思いました。柔らかな心で包めるかなちゃんと、自分のしたことの下手したらサークルクラッシャー状態な菫ちゃんの原作とは異なるものの、先輩後輩としてのやり取りは見てて「悩める青少年」として良かったと思います。

 

また、筑波君については原作の「田丸さん」の要素を強く盛り込まれています。あの独特のイラァ…とくる「お前友達おらんやろ」感をよく出していたと思います。かるたのやってきたものが違うというところにまで割けなかった事実とかもあると思います。まあそれはそれとして、男がやるとこうも腹立つわ感増すのか…と佐野勇人君のつくばくん見ながら思ってました(笑)

彼に関しては肉まんくんを見て感化されるってポイントが大きいかな。

 

2人の後輩が先輩達を見て、大会の中で変わっていく、という要素が盛り込まれていて勢いづく瑞沢を意識する周囲を跳ね除けてやるという力が見えました。

「勢いの瑞沢か」「伝統の北央か」とか煽り文句ついてそうですね。

この2人に時間を割ききれない中で、大会の中で強くなれるという方向に持って行ったのはなるほどな、ってなりました。

自分がデータ集めに徹するとなった机くんと「出なくてもいいやになったらダメなんだ」っていう肉まんくんのぶつかり合いがなかったのですが(めっちゃくちゃ好きなポイント)それやったら尺足りないのと、3年生だからという部分があるので納得してます。

 

その他気にしたところ

演出面が非常に見やすくなってました。読まれる可能性のあるかるたが光っていてだんだん選ばれたかるたが金田一少年の事件簿のごとく絞られていく、そこにスローで撮る、というのわかりやすかったです。

また、運命戦の流れも「どれ」を取ればいいのか、どういう状況なのかを実況と解説を交え、また文字を使うことで画面で≪ことば≫ではなく、≪かたち≫で見られたことは大きいです。わかりやすい。

こいすちょうとしのぶれど、の一騎打ちについて、新と太一をこんなに表しているものはないという展開も分かりやすく、それを説明するかなちゃんも良かったですね。

 

終盤の太一の原田先生、名人を見た上で「青春全部かけても勝てない?かけてから言いなさい」の結論が青春どころか、の部分であるのと、今の俺が今までで一番強い俺、というフレーズがとても良かったですね。

新が負けてもなお静かに見据えているのが印象的で、めちゃくちゃ悔しいっていう人間性が少し隠れているのが彼らの対比になってるなとおもいました。原作の新の修羅も是非見て欲しい(笑)

また、青春、の部分は原作の「青春は何度でもやってくる」っていう言葉があり、とても

 

映像の千年前への描写も実写ではなく流れる絵のような形で良かったと思います。恐らく実写にしたらチープ感出てしまったと思うので個人的にこの描写好きです。

 

また、千早が教師になりたいという道を選ぶにあたって道標となった富士崎の桜沢先生がいるけど(セリフ後ろで言ってる)千早の人生に関与していない中でラストシーンを言うのはうーん…とは思わなくもないのですが(作中の千早と明らかに言い回しが違う。明らかに桜沢先生の言い方でしたね、あれ。)、先生だすとあの個性がボンドで固めた集団来ちゃうし、千早に影響与えた理音を出さないわけにはいかないので難しいところですね。

そういう意味で、三年生を見送る女帝の言葉とか、誰かにそこを担ってもらっても良かったかもしれません。

また、一番作中で不満だったのは「たすき」を渡すシーンで瑞沢かるた部が女帝に一礼するシーンがなかったこと。

これは「誰かに与えてもらってばっかりだった」という千早の言葉や言動に大きく関与するわけですし、繋がるからこそ入れて欲しかったんですよね。

一回戦じゃなくて二回戦に用いるとか、何か、何か手立てはあった。シーンとして時間はかからないもので、タスキというのはそれこそ駅伝でいうと「誰かと誰かをつなぐもの」になっている象徴で。

この話でも千早が太一に渡しているからこそ、女帝お手製襷のシーン、女帝に一礼してほしかった。初戦つくばくんが一礼できないから、というのもわかる。団体戦個人戦の違いがわからない段階だから。でもなあ、やはり、そういうの、あってほしかったんですよ。

 

青春どころか、は「青春全部かけても勝てない?まつげ君、かけてから言いなさい*1という原田先生の名言があっての言葉です。

併せて、原作で出てくる広志さんの「青春は何度でも来る」という言葉もあるんですが、「青春」とはなんだという話になっていて、その人たちが生き生きしていたら、かけているものがあったら、それは青春といっていいのでは無いかな、と私は思います。

だから「青春どころか」のかけてから言いなさい、の原田先生の言葉は青春全部=彼の”人生”になっている、と太一が気づいたようにも思えました。

 

映画としての終わらせ方で千早が顧問に就任して~という下りは個人的にはなくてもよかったかなと思います。

最後の最後に女帝の手元にある進路希望調査表に教師、と書いたものをアップにするとか、なんていうか、「頭悪い子がそこからどう進むのかどう頑張ってそこに進むのかな」のワクワクが残ればいいのにな、っていう。また、生徒たちはお揃いなのに教師の彼女が一番派手な着物というのは単純に「そりゃ先生なくね…?」っていうのと”元クイーン”っていう扱いは「教師はクイーンになれないとでもいうのか」という、作中のおばあちゃまから若い人まで挑戦する「目指す先」に対しての否定にも見えてしまうので、ちょっとなあ、と。坪口さんだって名人まだ目指しているわけで……なんだろう、説得力が欠けてしまうのと、「クイーン」 という目指すべきものをただの肩書みたいに扱われているのは「ちはやふる」という作品に於いてだと、個人的にはモヤモヤが残ります。

 

映画オリジナルキャラクター「我妻伊織」という人について

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原作者の末次由紀さんによる伊織



最初聞いたときに「新のことを”おにい”と呼ぶ準クイーン」というので「とんだ夢小説ヒロインぽさMAXな子が出てきちゃったな…」って一瞬くらりと立ちくらみを覚えました。

これは原作に於いて新の幼馴染に由宇という「戦闘しないけれど気にかけてくれる幼馴染」がいることや、若宮詩暢に対して敗北を喫し、けれども前を見据え続けている登場人物*2や、クイーンを目指す同じ高校生・社会人はそれぞれに出てきます*3

だから「おいおいそれを全部新の幼馴染で準クイーンっていう美味しいところどり&高スペック持ってきちゃうのか…」っていう点で、オリジナル詰め込すぎではないかな…?と複雑な気持ちを抱かずにはいられなかったのが事実です。

 

若宮詩暢⇔綾瀬千早という「競技かるたのライバル」という要素と「綿谷新を”自分に敗北を与える存在”としてライバル視している詩暢、”神様じゃなくて友達でいたいよ(※これは原作での千早の言葉)”の千早」という関係だったわけですね。

そこに「かるたもやっていて、強くて、新という存在に対してもベクトルを向けている」という分かりやすい登場人物が入ってきたことで関係性が変わってきます。

 

作中では限りなくポップに、嫌味なく紛れ込んだ(千早に対しての嫉妬もフラットだった)し、彼女と新のコミュニケーションは見てて瞬殺してるの面白かったです。あそこが挟まれることでピリピリしたテンポがやわらぐ。

 

ただネックになるのは「クイーンが現役女子高生なのすごい!」っていうのを話題になっているなかで、「準クイーンも女子高生」ってなんていうか、強いのインフラが起きているなあっていうのが凄く見ていて思いました。“大人も子どもも皆が目指している”

という世界観だからこその、名人で言えば「原田先生だって名人を諦めていない」というポイントがあるからこそ「若宮詩暢が圧倒的に強い」という部分に対しての否定というか、「結局かるた界って高校生でもクイーンレベルボコボコいるじゃん(笑)」って言われかねないのでは…っていうようにも感じるというか。下の句で言ってたことと矛盾してない…?って疑問が生じます。

こういう原作にはいないけど、ハイスペックなキャラクターを溶け込ませるのか、というのは改めてとても難しいですね。

私は嫌いではない登場人物でした。準クイーンじゃなくても良かったのでは?とはやはり思うけれど。冒頭シーンで「千早がいけない場所に立っている人」に過ぎなかったのは設定過多感は否めないです。

このキャラクターがどういうことを考えて彼女が現れたことでどう変わるのか。原作と同じ水の流れだとしても一つの石を入れることで何が変わるのか、そういうものがオリジナルキャラクターにおけるポイントだと思うので、もう一声ほしかったかな。

 

「結び」というタイトルから、結んだものはなにかを考える

 「結び」というのは”結論”、”完結”であるということともに、作品に対する「襷」にもかけていると思うのですが(だから冒頭女帝からもらうシーンを入れていたのかと)。

結んだものはなにか、を考えるわけです。

TOHOシネマズで映画を見に行ったときにJTのCMが一時流れていた頃があって。そのCMが非常に印象的でした。

youtu.be

人生は、言葉で伝えない想いのほうが、はるかに多い

今作の「ちはやふる-結び-」を聞いて、EDで水引となっていくのを見ていて私はこのJTのCMを思い出しました。

31文字ってTwitterの140文字よりも少なくて、何かを伝えるのにはあまりにも世界として短いのに、すべてがそこに込められている。水引のような、「伝えきれない想いが全部を詰め込んでいく」世界であると感じていて、この2,5時間足らずの「結び」のなかで、彼らが何を「結ぶ」のか「誰に」結ぶのか、を考えていくと非常に興味深いです。

自分の後輩たちに襷をつないでいくのか。

それよりもっと先、”君は魔法イリュージョン、追走する才能たちへ*4”なのか。

また、「誰から」繋げてもらっていったのか。若宮詩暢が全て糸のようにかるたと繋がっている、というように、千早たちも紡いで繋げてリレーを繰り返していく、ということを伝えたかったのだろうか。とか。

なんかひたすらスタッフロールを見ながらそんなことを考えていました。

結論

上の句見たときと同じように、「ちはやふる」の入りとしていくならば原作、アニメ、映画となった場合映画が最初が一番いいと思います。

どうやっても長いので、コンパクトに集約されていてどういう展開で進むのかが見られるので「このコンテンツのはじめの一歩」としては映画を推奨します。

 

原作ファンも所謂「村でも焼かれた?」って言われるほどではないですし、原作漫画が好きな自分でも「これはこれとして、人に面白い?と聞かれたら面白かったよと答える」作品だと思います。

ファンというのはわがままで、自分がそうなんですけどここが違う、あれが違うと言いだすとキリがないです。でもやるなら、原作に対し敬意を払って作ってほしい!って気持ちもわかるんですよね、ベツモンとしてやるならなんでこれやったのさって主張もああ、うん、とならなくもない。

それでも私はこのちはやふるに関してはよくできていたと思います。下の句についてはもっと行けたもっとやれた、とは思うけれど(笑)

個人的な評価では「ちはやふる上の句>結び>下の句」という評価です。

 

シリーズありきで作ったであろう、上の句/下の句の展開については「それなら連ドラで、枠が難しいならネット配信でやって欲しかったな」っていうのが本音です。映画館で上下分かれてるのあまり好きではないというか……あれです…それなら連ドラでしっかりやってほしいな…っていう…そうすれば他の子達のお話もしっかり描けたかなあとも思うんですよね。前後編に足を運ぶって結構リスクがあるから(前編見たかったけど終わってたからもういいやってなりかねない)だから非常に難しいなと思います。

個人的には上の句で一つ「部活動映画」として終わっても、それはそれで悪くなかったと思うんですけれどね。

人気出たから下の句やるよ、とか。勿論上の句の終わり方だと「エエエエ」なので、うまくこう、調整して……ああでもそうすると高校生である彼らの外見が変わってしまうというリスクがあるのか・・とかいろいろぐるぐるしています。

個人的には初めから「続編ありき」ってのが好きではないって話です。そこまでを完結させて続けるのならいいけど半端で切らないでほしいなあ、っていう。下の句の「この終わり方でいいのか…いいのか…続編ある?ああまぁでしょうね」っていうのは正直結びの発表を見て複雑な心境になったのは否めません。ただ下の句で終わらなくて良かった…という安堵感があったのも嘘ではない。

 

色々惜しい点は否めませんが、作品として面白かったなあと振り返れる映画でした。

作品展開があるおかげでアニメの三期も決まって、漫画も今佳境です。どうなるのか楽しみです。展開があるって嬉しいですね。

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ちなみにこれは一月某日の近江神宮

ピリッとした空気感(寒い)でした。


*1:上の句でも予告で使われています。名シーンですね

*2:元クイーンの山本由美が代表的

*3:山城理音、猪熊遥等があげられると思います

*4:戸塚祥太「Dolphin」より