柑橘パッショナート

インプットとアウトプットを繰り返すごちゃまぜスタイル

「パビリオンの星空」を見てきました/偽物の星空でも、本物になれると憧れる

「劇団クロジ」のパビリオンの星空を先日友人に「チケットあるしYOU来ちゃいなよ」と言われて「いくいく~★」と軽率に行ってきました。

クロジの舞台について微塵も知識が無く、声優さんの舞台のお芝居はさり気なく実はとってもお久しぶりなのでそわそわワクワクしつつ観劇。

つらつら長くなるので感想録とか綴ってみます

 

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【追記】DVDが!発売!されました!おめでとう。この後味の悪さというかどうとでも撮れる感じとても好きです。

劇団クロジについて

このブログは声優さんもサッカーもアイドルもご飯も映画も何でもかんでも「うるせえ私が好きなように書くと決めたんや!」のノーコセンプトなメモ帳状態です。コラムなんてとんでもない。ただの書き散らした備忘録ですよ。

ということで、”劇団クロジとはなんぞや”という人も多いだろうということを考え(自分もそんな詳しくないので)調べてみました。

 

www.kuroji.jp

2004年より活動を開始。

福圓美里・松崎亜希子が主宰する演劇プロデュース団体。2006年以降、森悠が主要な作家となる。近年では、年に一度のペース、東京の劇場で公演を行う。

作品は、華やかな舞台設定で観客の目を楽しませつつも、そこに正直な人間の姿を、時に痛々しく、時に滑稽に描き出す。

(公式ホームページ クロジwebsite●クロジとは より引用)

福圓美里さんと松崎亜希子さんが分からない。大丈夫私もだ。

福圓美里さんはジョジョのイギーをアニメでやっていましたね。お二人ともお芝居に対して非常に力を入れているということで「声優さん」だけど声もまた「芝居」の一つとして、表現者として積み上げられていらっしゃるイメージです。

なお興味深いのはクロジの解説について。「ときに痛々しく、時に滑稽に」というキーワード。人間味のあふれる、ハッピーエンドというわけではなくビニールの城で言うところの相互矛盾みたいなものを此方も孕んでいる作品が多そうなイメージ。社会批判というよりもエンタメとしてどう作るか、舞台を見ることで突き合わせていく世界の物語、が多い気がします。

 

パビリオンの星空について

今回の「パビリオンの星空」ですが、「パビリオンとはなんぞや?」になるわけですね。意味については「天幕」等が該当します。

サーカスを舞台にした、とある人達のとある物語。

 

あらすじ

 キラキラ輝く兄妹のブランコ乗りを中心にマジシャンの団長、ピエロや猛獣使いなど歪な家族の様な団員達が集う『マキノサーカス』

そこへやって来た、醜い火傷顔の少女マカ。

華やかな世界に魅せられ、一番星と呼ばれるブランコ乗りのスター・ミーナに引き込まれる様にマカの世界は動き出す。

しかし、ある事件をきっかけに『マキノサーカス』はガラリと世界を変える。

少女の時間から女性の時間へと経て、彼女たちが本当に欲しいものは...

天幕の星空に何を見るのか...


「あーあ、あの子がいなくなってくれてよかったぁ」

(公式ホームページより引用)

 

キャスト・スタッフ

演出・野坂実(東京ジャンケン)

作・森 悠

 

出演は下記の通り。

名塚佳織

木村良平劇団ひまわり

福圓美里(クロジ/シグマ・セブン

関 智一(アトミックモンキー)

松崎亜希子(クロジ)
木村はるか
三原一太(はらぺこペンギン!)
高雄一郎(Theatre 劇団子)

細見大輔

 

感想

友人が木村良平さんのファンにつき色々話を聞きつつ、私は彼についてはもう何年前になるかな「シーサイド・スーサイド」という舞台のイメージが非常に強く。生で「芝居をする」のは中々最近(声だけじゃなくて芝居で)なかったので新鮮味を持って観劇が出来ました。

舞台としては「エンターテインメント」の象徴とも言えるサーカスの内部、裏側の「人々を笑顔にする」ためにたくさんのことを歪ませてしまった人たちの物語だなと思いました。

シアターサンモールという大きすぎない見やすい箱で、可愛らしい天幕と、可愛らしい衣装と、そこで躍動するのにどこか歪んでいる人々は見ていて矛盾性を孕みまくってて見てて面白いです。

マカとミーナ、そしてアオという歪みきった三角関係は特に興味深いです。

マカは何も持ち合わせていない、その分「自由に動ける」存在です。

ミーナは美人で、この狭い「サーカス団」の中の絶対的な存在です。

アオはミーナの兄で、彼女との相互依存みたいなものがうかがい知れます。

 

話としてはミーナが突然いなくなって、ブランコ乗りの居なくなったサーカスが廃れる中で必死こいてマカが支えようとして、ブランコ乗りになろうとあがいて、たくさんの物を「ミーナが戻ってこれるまでの場所」になろうとする話。

でも、「いつまでも待てる」わけじゃなくて、変化は人には絶対的に訪れる。マカにとっての「世界すべて」がミーナで、でもミーナにとっては「みんな」と一緒で。

 

作品として思ったのは「皆が好き」は「誰も好きじゃない」と同義語であるという言葉を思い出しました。ミーナにとっての特別、依存、オンリーワンだったアオは、アオはアオで知っているたくさんのことが合って「そうじゃない」の突き放しがあって、アオはまた外に飛び立とうとしながら出来ていないわけです。サーカスがあるから。サーカスにはミーナがいるから。

ミーナは皆の羨望の象徴で、生まれながらにして「こうあるべき」として存在してしまっているわけです。だからこそのジレンマ。解き放ちたいけど解き放っていけるのかも分からない。自分も【何のためにいて何のために生きて、どうやっていけるのか】も分からない。そんなアオの思春期は見ていて感じるものがあります。

そこに訪れた変化の象徴、顔に傷を負った決して「美しくない」マカはミーナに魅せられるわけですが。

 

なんだろうな、見ていて真っ先に思ったのは「閉鎖的な女子校等で見られる光景」にちょっと似ているなと思いました。

精神的な縛り、「私達ずっと一緒だよね」という言葉が永遠だと思いこんでいてそれが出来ないということを直面した時、高校にあがりたくない大学にいきたくないと変化を拒む人と、その変化を受け止めざるを得ない人の違いかな。

マカはミーナの代わりにならなくては、となることで垢抜けてどんどんきれいになっていく。ミーナは思い出に縛られる。それはなんでかというとミーナは「永遠の象徴」でなくてはならないわけでサーカスのトップで、ずっとずっと(いつまで?)やり続けなければならないわけで。

アイドルですよ。偶像そのもの。生きていることが地獄レベル。

ジャニーズとか女性アイドルとか色々なものを見ている身としては、ミーナという女の子は闇を持ちながらやっている存在で「仕方ないじゃない」ってなるのはすべて彼女が純粋で「そうじゃないとやってられない」っていう孕み方をしているからかなと。

クライアントに関係を強要されても、その上でいるのはしょうがない。

かわいそうだったから手を伸ばしたくなる。

自分にとっての特別はマカだけでもない、皆好き、皆も私が好き。

闇かな?闇だ。

 

 

終わり方は皆それぞれにそれぞれの歩き方をせざるを得ないという終わり方です。団長もそうだけれど男たちの闇に対しての免疫力のなさに対して女の子たちが一歩一歩よたよたながらも踏み出していく姿は明暗はっきりしているなと。

おばさまもしかり。でも女の人達は精神的に強かろうと「ここに居続けられない」「このままではいけないけれど打破する力が足りない」のジレンマを持ち合わせているのも興味深い。

 

俳優さんとしては殆どの方を「声優さん」として認識している方ばかりで、お芝居として見るのは関智一さんはヘロQぶりかな。うん、なんだろうこのお父さんの精神的な弱さ。後頭部ひっぱたきたくなる

一番のイケメンはピエロと猛獣使いの妹さんかな。あそこの二人の心の動かし方がつらい。妹は妹で彼女もまた養子の息子さんに対してちゃんと手を離せる。精神的に依存していた「愛人にしてやっていた」女からちゃんと手を離される。

「気持ち悪い」と言いながらも側におくことを決めてしまっていた彼の不安定さは明治の文豪かな?!!疲れちゃうのかな?!!みたいな感じですが彼は彼で「見てほしい」人はいつまでも父親で、だからこそミーナが許せないしサーカスが許せないのジレンマなんですよね。

待とうとしたのは良心だけどこの場所で潰そうと決めたのは、彼なりのけじめなのか、許せなさなのか、やるせなさなのか、何故この父親に自分はこんなに振り回されているのかの虚脱感なのか。

いや~~見終わったときの言いようのない疲れた感じ半端ないぞ~~!!(笑)ってなりました。

 

ちなみにアオちゃんの キラキラ王子様 → だめんず代表 →お兄ちゃんのけじめ も良かったですね。最初の王子様具合めっちゃ乙女ゲームかなって思いました。キラキラしてる!!

名塚佳織さんの芝居力はやっぱりさすがだなと思いました。

あわれ彼女は娼婦」とかにもでていらっしゃいましたよね。2014年には入野自由くんとの「今度は愛妻家」も出ていらっしゃって非常に見に行こうか悩んだのを思い出します。

 

後は、舞台としてオープニングにプロジェクション・マッピングを使っていたのでせっかくだからもっとガツガツ使ってもらいたかった気もしないでもないな~と改めてDVD見ながら思いました。ということで以上、感想でした。

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