柑橘パッショナート

インプットとアウトプットを繰り返すごちゃまぜスタイル

松岡昌宏x土井ケイトの二人芝居「ダニーと紺碧の海」を観劇してきました。

TOKIOについて何を知っていると聞かれれば私は完全に電車と競争したり、車電車でGW連休どこが一番早く帰られるかとか、最強の農民だとか、そういうネタ的な要素と共にバンドマンとしても結構好きだったりします。「花唄」「メッセージ」「do!do!do!」「リリック」あたりが特に好きですね。「ding-dong」とか。完全にドラマ影響が強いです。

といっても生で見たことは数えたことしかないし、何ならお芝居として「俳優」として見ることはドラマを通じてしか殆どないわけですが。

今回松岡昌宏さんが芝居をやられるということで、しかも二人芝居と聞いて非常に興味があり、チケットが一般でも入手できるよ、って教えてもらったのでお芝居が好きな友人と揃っていってきました。

 

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超ネタバレしていますのでご注意ください。

あらすじ

ニューヨーク ブロンクス。孤独な男と女が偶然出会う。
二人の心が徐々に近づき、お互いのエネルギーをぶつけ合って心の傷をさらけ出していく。
暴力によってしか心の痛みを吐き出せなかった男は、女に真心をぶつけるようになる…。

二人の姿は切なく、瑞々しく、観る人の心を打つ。

(公式ホームページより引用)

 登場人物はダニーとロバータという男と女が一人ずつだけ。

 

キャストとスタッフ

出演はダニーに松岡昌宏、ロバータには土井ケイト*1さん。元々土井睦月子さんとして活躍されていましたが、先日よりお名前を土井ケイトさんにされたそうです。蜷川幸雄作品に数多く出演し、感情の揺れ動きを美しくも荒々しく表現される女優さんです。ナベプロに所属の様子*2

 

インスタとか見ているとめちゃくちゃおしゃれでびびった。いやぁびびったびびった。

演出家は藤田俊太郎氏。ロバータの土井さんと同じく蜷川幸雄作品に携わるお人のようで、ベステとか様々な雑誌でお名前をお見かけしていました。というか個人的には太田くんの「手紙」の演出家さんでめっちゃくちゃ驚きました。

 

www.youtube.com

パルコステージの良いところはこうやって演出コメント出してくれることですよね。

改めてお顔を見ると先日のサクラパパオーと同じくみんなお若いなあと驚きます。

 

原作について

ダニーと紺碧の海

ダニーと紺碧の海

 
Danny & the Deep Blue Sea

Danny & the Deep Blue Sea

 

 原作について藤田さんはこれをやりたいといったときに蜷川幸雄氏にまだお前には速いと言われたそうで……それを満を持してというのが面白いですね。

なお原作は私は完全未読です。札幌座とかでも舞台になっていた様子。

 

 

感想について

非常に「概念」としてどこに気持ちを置くのか、というのが難しい作品であるなあと思いました。ストーリーをなぞるとロバータにもダニーにも共感しにくいかもしれないですね。

二人舞台だからこその情報量の多さ。

幕が上がって、ロバータが1人でプレッツェルを食べているシーンから始まるわけですが常に緊迫している状態。高いヒールで颯爽と現れるロバータの佇まいは綺麗な女性だなあと思うのですが、どこか不安定な危うさもあって見ていてどきまぎしました。

ダニーが現れ、彼らが会話をし始めるまでの少しの時間。緊迫していて、張り詰めているくせに探ろうとしている距離の間合いみたいなものがピリピリと伝わってきました。

ダニーは荒くれていて、傷だらけで割りとジャックナイフのような男だと最初思いましたが、話が進んでいくに連れて救われたいと願うのかどうありたいのかが揺れに揺れている印象を受けました。

最初は荒れているのに、途中でこれでもかっていうくらいのバカップルみたいな感じで。ベッドシーンは色気があるはずなのにソレ以上に「可愛らしい」と思わせる何かがありました。よく俳優さんのファンの方で「推しのキスシーンやそういうシーンは見たくない」というのがありますが個人的には「こんな顔できるんだなあ」「芝居としての幅がガンガン広がっているんだなあ」と思うので好きなほうです。

話が逸れましたね。とにかくダニーという男とロバータという女はお互いにお互い、傷を抱え込んでいます。

衝動的に人を殴ってしまうダニー。

罪の意識を抱えながらもその場所から動けないロバータ。

もう最初に聞いてて思ったのはJourneyのDon't Stop Believin'*3でした。いや別にあれとこの作品がリンクしているわけでもなんでもないのですが、メンタルゴリゴリ削られる中で彼らがどうあるのか/何を見るのか/どうするのかという精神的な部分を見ていて彷彿と思い出させました。

「紺碧の海」ってどういう意図でこの表現をするのだろうと思いますが、母なる海っていうけれど、どこまでも深く、深く、ディープ・ブルーということは沈んでいくものでもあるわけで。

水の演出がこの作品では特により印象的でした。水遊びをするかのように、きらきらと反射する所から、深く深く沈むまでの過程も含めて。

 

ロバータは「ああでも結婚式挙げられないわ、カトリックだから」という言葉を放っていましたけれど、その言葉に感じて、続けていったのは「あああ遠藤周作の”沈黙”」でした。もう今年あの作品に何度心をえぐられるのやら。パードレ助けて!

ダニーはロバータを許す流れがありました。

あのシーンでロバータは「あんた、神父様?」って笑う部分がありましたけれど。ロバータが許されたい、許されないの葛藤を孕んでいたのはずっとずっと、己の罪を背負っていて誰にも話せなくて(言えるわけがない)しかもその上で離婚しているわけだからカトリックの教えにも反している=教会に足を運べない部分があったんじゃないかなあと。

宗教的な考えって正直「こうなんじゃないの~」っていうふわっとぬるっとした根底に「神様がいてもいなくてもまぁ世界は回るよね」という考えを持った私みたいなタイプからすれば良くわからないのですが、「自分を確立するための一部」としての認識であるわけで(概念だから)それが教えとして「あってはならない」近親相姦/離婚/エトセトラを抱え込んだロバータが「許して」とはいえなかったのでしょう。

年齢でいえばロバータは成熟していて、中学生の子どもが居て、たくさんのことを「しなければならない」わけで、子どもではいられなくて。

ダニーがそれを支えるわけでもなく、「受け止める」んですよね。器がでかいわけでもなく、よくわからない境界線でブチ切れる、不安定極まりないダニーが。

彼らはヤマアラシのジレンマのようにお互いを傷つけながら、それでも寄り添いあうわけで。最後の握手が一つの答えなんじゃないかなあと思います。

 

藤田さんは作品について次のようにコメントしています。

激しく殴ることと、優しくキスすることがまるで同価値のように表現される関係性。作品から滲み出るのは、孤独と孤独が交わることによるロマンチック、ラヴソングのように紡がれていく言葉、言葉、言葉。
男ダニーが味わった深い海は、女ロバータという、うたかたのまぼろしに過ぎなかったのだろうか。
母性と海はどこにある、かたちにならない愛のかたち。帰らなきゃならないのに帰る家がないというメッセージ。それは時代を超え、閉塞感や格差、孤独や個人、生々しくぶつかることのできない現代の世界性の中でより色濃く響き、演劇にしかつくれない、繰り返される言葉の新しさを持ち続けています。

 

この作品が80年代のものであるとは到底思えないような作品だなというふうに感じました。時代に関係あらず、そこにあるのは「孤独」を抱えて1人でいて、それでも誰かといたくて、帰りたい家があるのに帰っても何もない、どこにもない。そんな迷子のような、答え探しみたいな話だと思います。帰りたいけど帰りたくないの反抗期から大人になろうとしている話が本当にあるあるすぎてあーー心がしんどいんじゃーーーってなりました(語彙力のなさ)

 

「このお芝居、好き?」って言われると「めっちゃ疲れた…」っていいたくなる芝居だったわけですが、それでも演者二人の熱をひしひしと感じたし、藤田さんが挑戦した演出もすごい興味深かった。バーの壁にぶわーーっと並べられた乱雑なタブロイドらしきものの数々。

部屋にあった「幸せ」の象徴たるウエディングドレスだとか、子どものおもちゃ。

いろんなインタビューを見ていると”差し込んだ希望の光”と表現されています。

紺碧の海に沈んでいく彼らが見出した差し込んだ光が、淡く、ゆらゆらと揺れながら導かれる「赦し」としてつながっていけばいいなあと、なんかすごい全然答えになってやしない答えを書いておこうと思います。

 

 

 見終わった感想があまりにも雑記になっていてもはや笑うしかない。まとめられてねえ!!(笑)

 

そういえば終わってからのんびりと友達と話して、少し空いてから帰ろう~ってしたら藤田さんにばったり遭遇しました。お疲れ様でした、とペコペコしたら大変丁寧に「ありがとうございました」と仰っていてああ、大変丁寧な方だな!という風に思いましたとさ。

紀伊国屋の舞台でお芝居をみたのなにげに多分シアター!ぶりとかそれぐらいなんですが、いやあこじんまりとしているからこそ近くて色々感じることが出来たお芝居でした。

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